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社長に聞く、in WizBiz
その後、1994年にがんを発症されたということをお聞きしているのですが、がんを発症されたのは、もう今は完全に治っていらっしゃるということでしょうか?
20数年経っていますので、がんに関しては完治していると思うんですけれども、当然一度がんになっていますから、
例えば、僕は陰等がんだったんですけれども、肺がんとか、もしかしたら他の部署でがんになる可能性がありますので、年に2回ほどは毎年出国検診しています。
1994年にがんが見つかったときはどんな気持ちだったんですか?
告知はなされなかったんですよ。
ですので、最初は実は普通によくある整体ポリープみたいな形で、ポリープができているので、これは切らなければいけないみたいな話だったんですね。
それで手術は無事終わりまして、そこから退院するときかな、4日、5日ぐらい入院していたんですかね。
退院するときに、実はちょっと放射線を来週からやるからって話になりました。
放射線って、ポリープで放射線って聞いたことないですから、ちょっとまずいんじゃないの?って思いながら、先生それはまずいんでしょうかって聞いたんですけど、実はそのとき告知なされていませんで、
今もそうかもしれませんけど、告知する先生としない先生に分かれると思うんですけど、当時は圧倒的に告知をしない先生の方が多かったんですよね。
それで、そこから放射線治療が始まってどんどんひどくなっていくんで、これはまずいなと思いまして、
ちょっと母親にカマをかけたら、大丈夫よっていうもんですから、発見が早かったんで大丈夫です、ガンじゃねえかっていう。
なるほど。
というふうに、それで私も認識したっていう、そんなようなことがありましたね。
そうですか。その当時はまだ3社ともやってらっしゃったんですか。
やってました。ただもう、ガンになったときはゲームの会社がもう完全メインで、ゲームの会社が当時どのぐらいですかね、
20億ぐらいの規模で200人とか300人とかいたぐらいまで急成長、毎年倍々みたいな感じで急成長してた時期だったんですけど、
本当にそういう意味では晴天の霹靂と言いますか、ストレスかもしれないですね、今から振り返ってみますと。
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ガンは治った後はもう一回授業を思い切ってやろうみたいな、そんな感じでいらっしゃったんですか。
ガンになってちょっといろいろまた考えちゃうんですね。
やはり若い時期にガンになっちゃうって、すごく運が悪いというか不幸じゃないですか。
めったに32歳でガンになる人なんて聞かないですし、
僕の友人が実は僕がガンになる前年にリンパ腫で亡くなっているんですよ。
首が非常に大変なことになっている。
それを見ていたので非常に儚いなという気持ちもあってですね。
僕自身は逆にすごい焦っちゃうんですね。
このまま死ぬのかなという気持ちの方が強くなってですね。
死ぬのであれば、ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとか、
当時世間の方が非常に世間の方を熱狂させるような超対策のゲームが人気だったんですけど、
私もそういうすごい作品を残して、いわゆる名前を残して死のうというふうに考えるわけですね。
なるほど。それでヒットにつながったという感じですか。
いや、その前の作品もそこそこヒットはしてたんですね。
その作品を作っている最中に会社がなくなっちゃうんですね。
そうなんですか。
要するにですね、ちょっと今から思うと断腸の思いなんですけど、銀行からの借り入れも結構してましたので、
ガンで作品を残して死ぬから、みんな手伝ってくれって言えないじゃないですか。
うちの当時のメンバーに、俺ガンで死ぬからさ、作品残して死にたいんだよねって言ったら、
もしかしたら死ぬ気でみんな手伝ってくれたのかもしれないんですけど、
そんなこと言わずに社長がいきなり85キロの体重だったのが60キロになったりとか、
狂ったような仕事を始めて、一部の社員から社長狂ったって本当に言われてたんですけど、
みたいな状況だとみんな怖いじゃないですか。
僕としては銀行さんの手前、そんなようなこと絶対言えなかったので大人の時、
本当今でも断腸の思いなんですけどね、そんなの無視してそこまで突き進んでいくんだったら、
本当は身近な社員の一通と暗くを共にしてきたメンバーに、
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ちゃんと言って対策を残して死にたいからって言えば、
あんなことにはならなかったんじゃないかなっていうのはちょっと今から思ってるんですよね。
会社が倒産されるわけですけども、その時他の会社は?
もう編集プロダクションとかは完全にその段階で会社は閉じます。
それと先ほど言った資本コーポレーションは、
倒産のタイミングで株を僕はもう運営できませんので手放すんですね。
それが結果的に回り回って、そういう形でマザスに上場するんですけど、
社名も変わってますんで、僕は最初全然分からなかったんですけど。
という形で、あとゲームメーカーは当然破綻しますので、
会社としてはもう倒産と、私自身も自己破産というような流れになってきます。
なるほど。自己破産はやっぱり銀行借り入れの個人保証でいらっしゃいました。
そうですね。
なるほど。
同時に二十数個個人保証してましたので。
なるほど。
自己破産して以降はどうしようかなとかはお考えになられたんですか?
まずは当然ですけど、破産の経験でしたことがある方の方が少ないと思うんですよ。
僕も周りを探しても、自己破産した経験のある方ってどなたもいらっしゃらなくて、
果たしてどうなっちゃうんだろうなと。
再建者が家に押しかけてきて大変なことになるとか、
逃げをして北海道とかに逃げるとか、そのような話とかはよく聞いてましたけど、
実際問題じゃ、いざ自分の立場になりますと、どのようなことがどういうふうに起きるんだろうと。
半分パニックというか、半分わからないことだらけで、半分もう開き直るしかないというか、
という中で時間が過ぎていくんですよね。
結果的にはすぐにやはり立ち直れないですよね。
いろんなダメージが大きくてですね。
半年間ぐらいですかね、破産期間の間、悶々としながらアルコール漬けの生活を送るような、
よくありがちな状況に陥ってしまうんですけど、徐々にそんなことをやっててもしょうがないので、
少しずつ、地震時代は取り戻せるわけじゃないんですが、
少しずつですけど普通の感覚を取り戻していくような、そんな半年間を経て面積を受けるという形になっていくんですよね。
事故破産からどうやって復活したのかというか、戻ったのかというのは何かきっかけとかそういうのはあるものなんですか。
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結果的にやはり半年間が大きかったと思うんですよ。
最初は非常に銀行さんのことを恨んだりとか、非常に自暴自棄になったりとか、
叫びたりの生活のような状況に陥るんですけど、
さっきお伝えした通り徐々に普通に戻っていくと、やっぱり元にいた場所に戻りたいという気持ちの方がだんだん大きくなってきまして、
結果的に面積をいただくと、借金というか借り入れ、僕が個人保障している分も含めてですけれども、
一旦面積を受けますとゼロに戻ります。
普通の人間に戻るということですよね。
そこからゼロベースからまたスタートできるという、そんなような環境をいただけるので、
新しいことにもう一回踏み出せる環境だけはできていくわけですよね。
そこで僕が一番感じたのはやっぱり周りの友人じゃないですかね。
一人で全て何とかするというのはやっぱり正直難しかったと思うんですね。
当然破産することで離れていった友達とかもそれは当然多かったんですけど、
僕実は案外友達増えちゃったんですね。変な話なんですが。
ずっと仕事ばっかりやってたんで、人付き合いとかもあまりせずにずっと仕事ばっかりやってたんで、
多分意外ととっつきづらい人間だったかもしれないですよ、若い頃破産前はですね。
破産者って変な話ですけど、ダメ人間じゃないですか。
毎日楽しく飲むしかないですよね。
飲んでるうちに友達増えるんですよね。
気がついたらすごい友達に囲まれる人生になっちゃって。
またみんな昔からの友達は昔からの友達で、もう一回頑張んなよなんて言ってくれますし、
新しい友達は新しい友達でまた応援してくれますし、
僕はすごく友人に恵まれたような気がしますね。
吉田社長のお人柄が素晴らしくてそういうことになるんだと思います。
死ぬほど飲んだのがよかったと思います。
一番最初は仕事としてはどんなことを自己破産後は始めようみたいな感じになっていらっしゃったんですか。
本当はインターネットの世界とかゲームとかエンターテイメントの世界に戻りたかったんです。
ただ正直言いましてそこまで自信が回復しなかったんですね。
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それで実は破産前にすごく感じていたのが、先ほどお酒の話をしてしまいましたが、
毎日いたたまれなくなって深酒をすると翌日つらよけですよ。
それぞれ全然前向きな状況ではないので、一時期僕はマッサージで癒されていたんですね。
本当に人間つらいときってお酒じゃ癒されないなと思うんですが、
マッサージをしていただくことで少し何とか元気になって翌日仕事ができるような、そんなような環境になったんですけど、
それでリラクゼーション系のビジネスってすごいなと思いました。
あんな極限の状態の人間を次の日また頑張らせるだけのすごいモデルなんだなと思ってですね。
もし自分が復活するときにそんなようなことができたら少し役に立つかなみたいなのと、
自分もやってもらいたいというのもあったんですが、
実は僕は日本で初めての太鼓式マッサージの店を作るんですね。
なるほど、全然ちょっと違う部屋ですね。
聞いていただいて、そろそろご理解いただく方だと思うんですけど、何かの延長線上で事業をしないんですね、僕ね。
結構聞いている方は唐突に何か始めるというふうに思われるかもしれませんが、
自分の中で繋がっているんですけど、パッと聞くと全く唐突に何か始まるんですね。
今回もそういう意味では、そのときも太鼓式マッサージの店だったんですけど、
普通の脂圧の店とか、普通のオイルマッサージみたいな店を作ってもよかったんですけど、
何の目当たりさもなかったので、当時太鼓式マッサージって今では日本に至るところにあると思うんですけど、
当時なかったんですよ、日本に。
なんでないんだろうなと思って、不思議でいろいろ調べていったところを、単純にないという結論に出してですね、
それであれば非常に面白い展開が可能ではないかなと思ってですね、
それでやったところ、雑誌に取材いただいて、その後テレビにも取材いただいて、
面白いですよね、初めての日本の太鼓式マッサージなんで。
気が付くと、4ヶ月とか5ヶ月先まで予約でいっぱいのとんでもない繁盛店になっちゃうんですよね。
やっぱり吉田社長、もともと商売センスがあられるから、そういうふうに当てられるという感じがしますよね。
僕、商売が好きっていうよりも、マーケティング的な、
要するに、もともと自分の中でのマーケティングセンスみたいなところをすごく自分で自信を持っていたというか、
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今もそうだということなのかもしれないんですけど、
世の中の方にとって何がバリューになるのかとか、何が面白いのかっていうのを、
ずっと大学生以降からやってきたじゃないですか。
特にメディアの仕事ってまだにそうだと思うんですよね。
世の中の方が何が面白いと思うかっていうところですし、
そんなのがもしかしたら、ちょっとだけあったのかもしれないですね。
本日の3分コンサルティングは、経営様でいらっしゃいます。
採用支援サービス従業員15名の会社様です。
初めまして、私は神奈川県で採用支援サービスを企画販売しているケイと申します。
おかげさまで売上げも好調で、従業員数も見方がより増え、うれしい夢をあげております。
素晴らしいですね。
しかしながら、去っていく仲間が多いことも事実です。
ある程度の約束を与えても、なかなか自分の右腕と呼べる人材には成長しません。
新谷さんのところでは、こういった悩みを抱えた経営者のためのセミナーや講演会が多数あるとお聞きし、今回ご相談させていただきました。
新谷さんご自身はどのように右腕と呼べる人材をされていらっしゃるのか、ご教示いただければ幸いです。
何卒よろしくお願いいたしますということでいらっしゃいます。
私どもの会社ウィズビズはちょっと変わっていまして、前の会社、私が当初一部上場企業で常務をやっていたことがあるんですが、
その会社から部下たちを引き連れて外に出たものですから、
私どもの営業の取締役の2名はそのまま連れてきていますので、当初一部上場企業で部長職や子会社の社長を歴任したメンバーを連れてきているので、
右腕を育てるという感覚よりは、もう育っているものを連れてきたという感覚なので、ちょっと御社には参考にならないんじゃないかなと思います。
一方、それでは他の会社さんたちはどうやって右腕を育てているかというと、
やはり社内から育てていくのが一番なんじゃないかと思います。
育てていくとしても、やはりこんなことがありまして、薬食を与えて必ず育つかというと、そうではないと思うんですね。
薬食を与えてみて、マネジメントができるかどうか、やらせてみないと分からないといったことがあるんじゃないかと思います。
先日あるところで聞いたお話ですが、営業成績がいいので、そのまま薬食をあげてみると、全然マネジメントができなくて、そのまま下ろしたということがあったと。
一方で営業成績はそこそこぐらいで、そんなすごくはないんだけども、上にあげてみると、これがコミュニケーションが取れるタイプだったのかもしれませんが、
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マネジメントができるタイプで、チームの成績が上がり業績が良くなって、大変順調に進んだというようなことがあります。
つまりマネジメントの適性というのもあるなしがあるんではないかと思います。
そのときに重要なのは、薬食を与えた後、下げることができるかどうか、そういう人事評価制度を持っているかどうかというのが、本当は一番重要かもしれません。
薬食を課長職とか部長職とか一旦与えると、それを下げにくいですし、本人も何で下げるんだというふうに思っていますが、それをうまく下げて残れるようにしていくことが重要なんじゃないかなと思います。
私の会社でも課長職をやらせてみたり、だめだなと思ったら、主任に下げたり、その下に下げていったりというようなことをよく上げ下げをしております。
上がったり下がったりすることが普通になってきますと、慣れというものもありまして、問題なく下がったり上がったりということができると思います。
もちろん落ち込んでもらったほうがいいわけですし、もしマネージャーになりたいと思ったら、マネジメント力をつけてもらわなきゃいけないので、ある程度下げるときは理由をきちっと明確に説明し、下げなきゃいけないという部分もあるかもしれません。
かつ上がったり下がったりする人事評価制度をつくっておかないとならないですし、その人事評価制度に従ってそうなっているということをきちっとご説明できる状態をつくらないといけないかもしれません。
ですので、右腕を育てていくということに関しては、一つは人事評価制度ということになるんじゃないでしょうか。
もう一つはマネージャー研修といいますか、幹部研修みたいなのをやって、どういうふうにマネージメントをしていくのかというと、教育をしていかなきゃいけません。
これは日々のJTでもやらなきゃいけませんし、幹部研修みたいなのを研修を受けさせるみたいなこともやらなきゃいけません。
そういう意味で、右腕にさせたいなと思っているメンバーには、外部のセミナーにいろいろと参加させたり、研修を受けさせたりということをいろいろとやっていくべきじゃないでしょうか。
その中の何人かの1人が育ってくる、結果的に育ってきたというようなことが起こってくるんじゃないかと思います。
最後にもう一つは、辞めていくことというのはあまり気にする必要性はないんじゃないかなと思います。
素質というものもありますし、勉強をしているかどうか、努力をしているかどうかというものもありますが、
辞めていく方は御社の制度といいますか、組織風土といいますか、そういうものに合っていないのかもしれませんので、
ある程度は辞めていただいても仕方ないんじゃないかというふうには思っております。
その辺細かいことになりますが、一度ご相談にお越しいただいて、もう少し細かくお話をできたらなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。