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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社ユークス代表取締役社の谷口幸典様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
広島県出身、高校時代からゲーム製作会社に携わり、学生時代からゲーム製作会社と契約し、
そして、1993年、大阪府立大学を3年中に大阪府酒井県でユークスを学生創業されていらっしゃいます。
そして、2001年には、昔のナスダックジャパンですね、今現在のジャスダックに上場されている、
もう20年以上上場されている上場機能の社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身、広島ということで、小学校時代はどんなご少年でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね、小学校のときは基本的には外で遊ぶのが好きだったんですけれども、
廃材を使って基地を作ったりとか、そういうことをするのと、
あともう一つはまっていたのが電子工作みたいなことで、
電気屋さんの裏に昔はまだ真空管のテレビとかが捨ててある頃で、
そういうものを電気屋さんにテレビの基板をちょうだいと言って取り外して持って帰って、
ハンダ付けし直して違うものを作るというのにハマっていましたね。
もともと物作りとかがお得意というかお好きというか、そんな感じでいらっしゃったんですか。
そうですね、どっちかというと最初は壊すのが好きだったんだと思うんですけれども。
なるほどね。中学時代はどんなご少年でいらっしゃったかというお思いでございますか。
中学校のときはバレエ部で、バレエ部のエースアタッカーをしていましたが、
その傍らでパソコンにハマっていましたね。
小学校のときにインベーダーゲームがすごく流行った世代でして、
親にもらった小遣いって当時300円とかそんな金額だったので、1ヶ月に3回やったら終わりと。
それを運良く3回できればいいんですけど、置いてあった場所が喫茶店とかで、
学生服を着てタバコ吸っているような人がいっぱいいた頃で、
そういう世代だったので、ひどい目に合わずにゲームをしたいなというのがあって、
パソコンで作ったらできるんじゃないかということに気がつきまして、
そこからゲームを作ってみようかなということに。
中学時代からゲーム制作をやっていらっしゃったんですか。
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そうですね。最初は雑誌とかを見てそのまま打ち込んで遊ぶというところが精一杯だったんですけど、
だんだん中身を改造したりするようになって、
中学3年くらいのときから自分で作るような感じになりました。
頭もよろしいお子さんでいらっしゃったんですか。
数学とか物理とかは理系なんでしょうね。
なるほど。
当時のパソコンは98シリーズとか。
それが98とかMZ80とか、シャープとNECがすごくお高いものを出していたんですけれども、
当時MSXと言ってマイクロソフトが作ったベーシックが載っていて、
共通の仕様で日本のいろんなメーカーが発売している、
それこそ10分の1くらいの3万円くらいの値段のパソコンが出てきて、
それでやっと買えるようになったという感じですね。
ありがとうございます。
高校は広島の高校でいらっしゃいましたか。
そうですね。地元の自転車で行けるところにある高校に行っていました。
なるほど。高校時代はどんな風に過ごしたのでしょうか。
高校に入ってバレーボールを続けてみようかなということでバレーブに入ったんですけど、
丸刈りにさせられまして、
全く女の子にチヤホヤされなくなったことに気づいて、
こんなことで花の高校生活を終わらせてはまずいなということで、
5年くらいにとっとと辞めまして、
そこからはどうやってお金を稼いでいくかということにだんだん興味が向いていきました。
バレーブを辞めるときにご両親とか監督とか反対されなかったんですか。
全然。1年入ったばっかりなので、球拾いぐらいしかさせてもらえない感じだったので、
辞めてから結構最初はゴルフ場でキャディーやったり、
肉や魚や八百屋は全部やりましたね。
じゃあアルバイトばっかりしてやったんですか。
そうですね。時給当時500円くらいだったと思うんですけども。
でも1年生のときにゲーム製作会社という契約というふうにお勧めになってらっしゃいました。
そうですね。そういうバイトを夏休みくらいまでやってたんですけども、
これはいくらやっても金にならんなっていうのもあって、
そんなときにたまたまよく通っていたパソコンショップの2階で
プログラミングのバイトをしていた大学生が、
広島でゲーム会社を作ったんですね。
顔見知りだったっていうのもあって、声をかけられて、
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仕事でゲームを作ってみないかということで話をされて、
2つ返事がありました。
親に業務委託契約書2,000円なんてサインしてもらわないといけない。
結構そこで、親とはいろいろつったものでありましたけども。
でも1年生から高校3年までゲーム作りばっかりって話なんですか?
そうですね。結構顔見知りだったんですけども、
1年生から高校3年までゲーム作りばっかりって話なんですか?
そうですね。結構学校終わったら、そのまま自転車で
10キロぐらいの距離走って会社に行って、
そのまま朝までやって、そのまま学校に行くっていうこともありましたね。
すごいですね。高校時代にもお仕事を普通に個人自販機で続けるということですね。
結構稼がれてらっしゃったんですか?
一番最初の契約書が1ヶ月40万くらい。
ちょっと今聞いている方々、衝撃を受けていらっしゃるかもしれませんけど。
当時はゲーム作れる人っていうのはものすごい希少で、
会社に入ってみるといた人も結構NTT辞めてきている人とか、
大学生もいたし、たまたまパソコンショップっていうところで
つながりがみんなあった感じでしたね。
逆にそこで出会った方々と今もつながりとかあるんですか?
一部ありますね。たまに同窓会みたいなことをやったりしますね。
ゲーム作り同窓会みたいな、そんな感じでございます。
そうですね。いろいろ、なんていうか、珍しい、変わった性格の人が多かったですね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、大阪府立大学にご進学されてらっしゃいました。
こちらに進学した理由は何かございましたでしょうか?
えっとですね、僕の父親がですね、15歳、中学出て、
そのまま当時あった養成校って言われてたらしいんですけども、
会社に付属している学校に行きながら給料をもらうみたいなことがあって、
一応それでも夜間の別の高校は出たんですけども、そのままその会社に入って、
後から入ってきた大学でごぼう抜きにされていくっていう経験があったので、
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殴り合いしてでも大学に行かせるぞみたいな感じだったんですね。
最初、高校出てすぐの受験の時は、親に交通費出させて東京に大学受験に行ってくるって言って、
滋賀高原に行ってスキーしてましたね。
スキーしてましたね。
悪い息子さんから。
そうですね。
大学受験もそんなにする気もなかったんですか。
本当はなかったんですけど、落ちたんでしょうがないから仕事するわって言ったら、
予備校行って浪人して大学行けって言われて、たまたま会社の隣に川井塾があったんですけども、
そこにお金払わして親に行ってるふりして会社にばっかり毎日行って。
じゃあ浪人した上に川井塾からゲーム制作してたってことなんですか。
それはバレなかったんですか。
今になってはカミングアウトしましたけども、当時はお金も稼いでたんで、
親に黙って免許を取り、親に黙って車を買い、最近家の前に露駐してる車あれ誰のかなって言われて、
さあねみたいな。
ちょっとした震えを出しちゃいますね。
そういう感じですかね。
そういう感じですかね。
高校2年の時にアメリカに1年間行かせてもらったんです。
交換留学っていう形で。
当時はアメリカで取った単位っていうのが日本では認めてもらえなかったので、
帰ってくると1つ年下の人たちのクラスに入れられる。
高校出た時はもう19歳で。
広島ってもう19歳で成人式が当時があって、今どうなっているのかわからないですけど、
19歳で成人式ってまだ高校生なわけですよ。
学生服着て成人式にも行けないしみたいな、そんな感じでしたね。
やっぱり年が1個上だったっていうのもあって、何かとクラスで一人代表者を決めてっていうのは無理くりやらされましたね。
なるほど。
じゃあ高校3年プラス1年プラス1年みたいな感じですかね。
そうですね。大学入った時はもう立派な大人になってたんです。
でも大阪不律大学は頭のいい大学なんでよく受けられましたね。
よく受けられましたね。
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そうですね。友達がみんな大学に、新学校だったので、進学率98%くらいだったのかな。
もうちょっといったかもしれないくらいの。
あ、そうだ。毎年500人近く1学年がいて、1人か2人大学に行かない人がいるっていうくらいで、
みんな大学生で夏休みになってわーって帰ってきて、話してるとえらい楽しそうだなみたいな。
仕事しながら高校行ってたわけだし、仕事しながら大学も行けんじゃね?みたいな話になって、
そこから1ヶ月くらいは受験勉強に打ち込んだんですけども、やっぱり仕事もしなきゃなっていう感じで。
だから、テストに出る範囲って全然全部やってないんです。半分ちょっとくらいかな。
ただアメリカに行ったのがあって、英語は何もしなくてもほぼほぼ満点だったんで、だいぶ判定はもらってましたけどね。
やっぱり頭のいい少年でいらっしゃったというか。
ちょっとずる賢いことばっかり考える感じだったかもしれないですね。
ありがとうございます。大学時代はどんなことをしたのかお思いでございますか?
大学入ってからは、最初は広島のゲーム会社の大阪開発室という名前のマーションを借りて、
そこに一人なんで住んでやってたんですけども、結構ハードに働いて、
バリバリ稼ぐぞって言ってやってましたね。
3年次にはもう創業されてらっしゃるんですか、このユークスさんを?
そうです。
何で創業しようと思われたんですか?
広島の会社っていうのが最終的に破綻しまして、給料ちゃんと払ってもらえないということで、
大阪の会社と新たに契約を結んで、また仕事を1年ちょっとかなしてたんですけども、
さらに稼ぎが良くなって、税理士に会社にしないと税金ばっかりになるよっていう話になって、
一応会社を作ったっていうのが今のユークスの大元ですね。
なるほど。じゃあ流れ的にというかそんな感じ?
そうですね。
その当時作られたユークスさんは、こういう会社にしようみたいな目標はあられたんですか?
基本的に僕の個人事業主としての仕事の延長だったので、
自分が契約してもらってこれる金額の中で払えるバイトを雇ってちょっとずつ増やしていけばいいかなぐらいに、
最初は思ってたんですけども、そこから当時プレイステーションが発表されるまだ前で、
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仕事のもともと広島の会社の元同僚からすごいものがあるから見に来いって言われて、
東京に来てソニーに行ったらもっと偉い高性能なゲーム機が出るっていうことで、
それを見たときにやっぱりこれは一気にゲーム開発にかかる人数だったり、
開発費だったりっていうのがどんどんゼロがいくつも増えていきそうだなっていう予感がありまして、
そこについていくためには資金力を手に入れるしかないなっていうのはそのときに思いましたね。
じゃあ上場とかも結構早いのか。
そうですね。最初の1年ぐらいでもうプレイステーションとの出会いがあって、
プレイステーションの仕事をたまたまソニーさんからいただけたので人数はどんどん増えて、
1年半ぐらい経ったときにはもう15人とかになってて、
その頃はもう仕事終わって飲み会行こうかって言って、
近所の居酒屋に行ったらこれからはこうなってこうなって、
もうゲーム一本作るのに何億もかかるようになってくるから、
上場を目指して頑張るからみたいな話はよくしてましたね。
じゃあやっぱり結構早い段階でいらっしゃるんですね。
そうですね。
ちなみに理事さん、東高烈伝シリーズは累計100万問題ヒットをしたということで、
当時だったらゲーム業界は超有名人でいらっしゃったんですか?
いや、意外と下請け会社ってあんまり表に出してもらえなかったりするので、
そんなに…という感じですかね。
そうですか。
3分コンサルティング。
水水が社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、ケイ様運送業だそうです。
新タニさん、はじめまして。運送業を営んでおりますケイと申します。
近い将来、拠点を新設し、営業エリアを拡大していきたいと考えていますが、問題があります。
それは、自分の仕事を任せられる管理者が現時点では人にも触っていないということです。
これまで何から何まで自らでやってきてしまっており、
社員教育を大塚にしてしまいました。
今後、私がいなくても現場を任せられる管理者の教育に力を入れていきたいのですが、
どのように進めていけば良いのでしょうか?
新タニさんのご助言、何事宜しくお願いします。
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管理者ということはマネージャー職というか、課長さんとか部長さんとかそういうことだと思うんですけども、
もしよろしければ3人ぐらい候補者をまずは選んでみた後とか、
その3人を選んで、いわゆる管理者になるための勉強会とか、
管理者育成勉強会とか、マネージャー育成勉強会みたいなのを、
社長さん自らが開いていたらどうでしょうか。
そのことによってですね、まずマネジメントは基本とか、
もしくは現場でどういうことが起こった場合、実際の事例なんかを出しながら、
こういうふうにしたら、しなきゃいけないということをですね、
考えさせながら教育をしていく。
その後、その3人の方と社長さんで計算まで、
食事なんかをしながら、社長さんの思いなんかを伝えていく、
みたいな場面を作ってみたらどうでしょうか。
それがまず最初なんじゃないかなと思います。
それも月1回とか週1回とか、
週1回ちょっと多い方は2週に1回とか、
その辺はお任せしますが、
そういうことが大変重要なんじゃないかなと思います。
その中から一番優秀な人が、
一番最初に管理者になればいいし、
もし3人ともどうしてもダメだなと思ったところで、
外部からマネージャーをヘッドハンティングしていくというのが、
もう一つの方法になろうかと思います。
ヘッドハンティングの場合はですね、
K様の運送業の社風に合うのかどうかという問題がありますので、
かなり密に、ご入社後かなり密に、
K様がヘッドハンティングされてきた方をフォローしなきゃいけないし、
何なら週に1回ぐらい打ち合わせなんかをしていかないと、
なかなか馴染めないというか、うまく合わないみたいなことが起こる可能性はございます。
あと費用も大変ヘッドハンティングが高いですね。
とりあえずヘッドハンティング、今だと35%ぐらいの人件費の35%、
年報分の35%ぐらいが最低レベルのかかる費用でしょうから、
もっとかかると思いますかもしれませんので、
そういう意味合いでいくとヘッドハンティングはちょっとお金がかかるというのと、
本当に馴染めるのかというのが問題ですので、
その点を気をつけてフォローをしなきゃいけないかということになります。
一方で今言う方々を管理者、マネージャー育成の勉強会を月1回でもやっていると、
その分は時間もちろん取られますが、
社風に合っていらっしゃる方々が選ばれると思いますので、
その点がリスクが低いですね。
かつ費用はそこまでもかからない。
ただどっちが早いかというと、
やっぱりマネージメント職をもともとやったことある方をヘッドハンティングした方が
スピーディーにいきますので、
お金で時間を短縮させるのか、
それとも時間をかけてでも部下たちを教育していくのか、
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ここが迷いどころになるんじゃないでしょうか。
そういう意味で、まずは3人ぐらい選んで、
社長さん自らが勉強会なんかを開いて、
6ヶ月後、1年後には管理者を1人なり2人なり、
何なら3人育てるということを目指してやられることを
お勧めしたいなというふうに思っております。
もし難しいことで、もっと細かいところを教えてほしいということであれば、
最近ですとオンラインZoomとかで無料で経営相談が載ってますので、
何なりとおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズリズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
ありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズリズはここまで。また来週。