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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、ウェルプレイド・ライゼスト株式会社代表取締役、谷田優也様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
2010年に門川コンテンツゲートにご入社。IPデジタルコンテンツのプロデューサーを務めた後、2015年11月にウェルプレイド株式会社を設立。
現在のウェルプレイド・ライゼスト株式会社さんを設立されました。
2011年3月のeスポーツ専門会社として設立をなさっていらっしゃいます。
そして2020年に東証グロース仕様に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
谷田社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでしょうか。
生まれは大阪でして、その後に小学校を過ぎたぐらいに神奈川というか東京に越してきて、そこからずっと関東に行ってという形です。
じゃあ小学校時代は神奈川のことですか。
そうですね。
小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか。
そうですね、割とかなり普通の小学生だったなと思うんですけど、
でもその頃からというか、両親が元々ゲーム好きというか、
なので1983年から5年ぐらいにファミリーコンピューターが出たと思うんですけど、
僕は82年生まれなので、要は物心ついた頃から家にゲームがあってというのが当たり前の環境ではありまして、
なのでずっとゲームをしながら小学校、中学校、高校と育ってきたなというような記憶があります。
なるほど、じゃあ小学校時代はご両親と一緒にゲームをやっていたのか。
そうですね、親に勝ちたくてとか親と一緒にクリアしてとかというのが結構当たり前にやっていたような、
だから僕らはちょうど今年40ですけど、その世代ってまだゲームなんかやってって怒られてたりとか、
親からコンセント引っこ抜かれてとかっていう時代だったと思うんですけど、
ありかし親がそういうことを許容してくれているような家だったんじゃないかなと思いますね。
ちょっと珍しいご家庭でいらっしゃいますね。
中学校時代はどんなことをして過ごしたかという思いでございますか。
はい、中学はいわゆる部活動、どこかにちゃんと入らないとの流れではあったので、
大体の友達はみんな野球部に入るかバスケ部に入るかという感じだったので、
その流れで僕も野球部に入って3年間かな、野球部にいたという感じです。
なるほど、結構野球はお上手だったんですか。
いやそうですね、その頃、今僕も身長そんなに大きくないんで今165なんですけど、
中学校入った頃ってまだ成長期をギリ迎えてないみたいな状態だったので、
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150切ってるみたいな状態でしたから、本当にレギュラーどころかベンチもいないみたいな感じだったので、
かなり体のこうなんて言うんでしょう、でかいちっちゃいかなり影響あるなと思いながら練習してた感じがしたんで、
大きくそんなに活躍したという感じではないんですけど、
一応部活動は一生懸命やってたという感じですかね。
なるほど、ありがとうございます。
高校は神奈川県内の高校ですか。
そうですね、神奈川県立の高校になりました。
なるほど、高校時代はどんなことして過ごしたのか。
そうですね、高校の頃はいわゆる青春を謳歌する時代だったりはしたので、
文化祭ではK-ON!と一緒にライブをやったりだとか、
あとはやっぱりまたゲームのセンターが楽しい時代に突入していたので、
その頃部活には入らず、いわゆる帰宅部というやつで、
友達とよくゲームをやったりとかっていう中で、
コンシューマーゲーム、家庭用のゲームとゲームセンターのゲームに加えて、
PCを所有する友達だったりというのが出てき始めた頃ですから、
その頃にPCゲームにも触れていくみたいな時代だったかなと思います。
いわゆるまだインターネットもテレ放題の時代というか、
テレホタイムと呼ばれているような夜11時ぐらいから
インターネットにつないでという時期を通過してきたような時代だったなと思います。
ありがとうございます。
大学はどちらに?
大学は出ておらず、当時高校卒業した後にプログラマになりたいなと思っていて、
それこそ小学校の頃からゲーム会社の働いている姿をテレビでよく見ることがあって、
それこそトンネルズの昔生でダラダラ行かせてという番組があったんですけど、
あの番組でカプコンさんで働いている人たちの取材というか、
トンネルズと一緒にゲームを作るみたいなのがあって、
あれを見たときに、
ゲーム遊ぶのも楽しいのに作るんだったらもっと楽しいじゃんというふうに幼い頃だと思ったので、
では最初にやるべきがプログラムかなということで、
プログラミングの専門学校に入って、
そこからシステムエンジニア的な入社にしていくというような感じでしたね。
なるほど、ありがとうございます。
専門学校時代は何か思い出とかございますか?
専門学校時代はもう6年もなかったですね。
本当によく遊んだと思います。
一つはたくさん麻雀も遊びましたし、ボウリングしたりとか、
あとは本当にパチンコ打ったりとか、そういうことだったかなと思いますけど、
あとはBボーイというか、ラップとかヒップホップみたいなのが流行ってきたりもあったので、
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ダンスに時間をたくさん使ったりとかっていう感じで、
よく勉強したかと言われると、よく遊んでたなというような時間だったかなと思います。
じゃあわりと私もそうですか、麻雀とかパチンコとか若い頃はよくやっていたんですか?
そうですね。
わりと一般的なダンスになりますね。
ゲームはその頃はあんまりやらなかったですか?
その頃もよくゲームはやっていましたので、それこそ高校の頃からですね、
専門学校にかけてで言うと、いわゆるみんなもちょっとゲームやらない人とやる人っていうのが出てきたりだとか、
っていう中で家で、給品状態のファミコンのカセットとかスーパーファミコンのカセットみたいなのがみんな家にある状態だったので、
放送委員会に力を借りてですね、毎週家に余っているファミコンとかソフトがあったら無料でお預かりしますというアナウンスをずっとしていて、
トータルで学生時代に1000本くらいソフトを集めたんですよ。
それを毎年夏に、今こそゲーム実況というのが一つの職業になってきたりとか、
ゲームをみんなで遊んでいるのをみんなで見るみたいなことが当たり前だったんですけど、
それこそ22年前くらいに、いわゆるVHSで映像を録画しながら、
1000本のゲームをひたすらクリアシーンを録画して、録画したシーンは友達に貸して見てもらうっていう、
ゲーム実況の始まりの始まりというか、みたいなことをして、
ずっと休みの時間は遊んでましたね。
今のユーチューバーの走りで。
走りだったかもしれないですね。
時代が追いついていたら、とっくにユーチューバーになっていたかもしれないですね。
上々披露したくなく、ユーチューバーで何十億貸せるかもしれない。
そんな感じでいらっしゃいますね。
大変面白い話でした。ありがとうございます。
その後、新卒で門川コンテンツゲートでいらっしゃいますか?
門川コンテンツゲートは手前に2社挟んでいまして、
最初就職したのは、新横浜にある小さいSIAの会社でして、
そこで当時システムエンジニアという形で新卒入社しました。
最初にやっていたのが、当時iモード、公式メニューというのが前世紀だった時代でして、
いわゆる携帯の占いサイトとか、待ち受け画像をダウンロードする公式メニューの
サイトを運営している会社さんに出向させていただいて、
サーバーサイドのシステムの構築であるとか、
フロントエンドのデザインの実装みたいなところを3年ぐらいやらせていただいてという感じですね。
その後に、その会社の一緒に働いている仲間から誘われて、
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システムエンジニア側だけではなくて、いわゆる企画のディレクションというか、
公式サイトのディレクションを担当するような部分を含めて、
転職の相談があったので、2社目でシステムの実装もできるし、
企画の構築もできるというような、プランナー兼システムエンジニアみたいなことを
2年から3年ぐらいやっていました。
なので、5、6年システムエンジニアとディレクターとして働いた後に、
いろいろなIPを取り扱ってコンテンツを作っていましたから、
その辺の知見が活かせるような転職先を探した上で、
カドカの子会社であるカドカコンテンツゲート、
今現在でいうとブックオーカーという電子書籍をやっている会社なんですけど、
当時はデジタルIPのプロデュースがメインの会社ではあったので、
そこに入らせていただいたという形ですね。
2社のシステム会社での思い出は?
ネットワークの通信企画みたいなところは、とてもよく勉強させてもらえたのがあって、
これがまさに今、eスポーツの会社をやるのに当たってめちゃめちゃ有効だったのが、
配信の仕事とか生放送の仕事というのは基本的に常に一緒になってついてくるようなビジネスではあるんですけど、
その中で何もないイベント会場に300人、500人の人たちが同時に対戦する通信環境を実装しましょうみたいなことを考えたときに、
究極それを一人でできちゃうという学びは結構あったので、
ネットワークのことを詳しく興味を持ってやれたというのは、
いい学びだったなとは思います。
なるほど、ありがとうございます。
カドカワコンテンツゲートにご入社されるわけですが、ここは何の会社でどんなことをやってらっしゃるんですか?
いわゆるカドカワ書店のIPとなると、いわゆる映画であるとかアニメであるとか小説といろんなIP取扱いをしていますので、
その中で二次利用を自分たちでやる会社という感じですかね。
なので一番印象的だったのが、当時モバゲーグリーと呼ばれるソーシャルゲーム最初の盛り上がりの時代でしたから、
そのときにカドカワのグループで保有している様々なIPを、
スマホのゲームの前のガラ系のゲームからPCブラウザのゲームに変えてビジネスを進めるというようなところが大きかったんですけど、
それ以外にも電子書籍をやったりだとか動画の配信をしたりだとか、
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デジタルIPのプロデュースというのが会社としてはメインの仕事でした。
何かネットシステム開発の会社で、カドカワコンテンツゲートで、いわゆるIPの会社というのは今の会社につながっていくように思えるんですが、
最初から狙ってそういうふうに動いていたんですか。
いやいや、もう全然狙ってなかったんですけど、IPプロデュースの仕事はこんなにも
今はEスポーツの仕事に有効活用できるものかと思うぐらいにはやっててよかったなというか、
やっぱりIPの許諾の仕事って、やっぱりどうやって実際のIPを大事にできるかとか、
どうするとハンモスさんも嫌がらないかというか、喜んでいただけるかみたいなところを考えていかなきゃいけないという中で、
一つEスポーツの仕事って見ると、やっぱりゲームも、ゲーム開発会社さんというか、ゲームをパブリッシュしている会社さんの持ち物ではあるので、
そのゲームを一番うまく活かして、どういうイベントを作っていくかとか、どういう大会を作っていくかみたいなところはすごく相性が良かったですね。
その当たり前を結構ないがしろというか、基本的な情報としてそれが必要ということを認識している人たちも少なかったというか、
ゲーム好きだから盛り上げたいし、自分たちで大会やったらみんな見に来てくれるし、メーカーさんも喜ぶだろうみたいな、
良かれと思ってやっていることが、実はそういう範囲に触れちゃうと、嬉しいことも嬉しくなくなっちゃうよみたいなことをあんまり考えないで展開していくような人たちも結構多かったので、
そういった意味でこの時期に監修がありますよね。
じゃあ許諾の時間というか監修の時間をこれぐらい取ればイベントを許諾いただけますかみたいな話は僕の中では当たり前だったんですけど、
それがちゃんとやってくれる会社というふうに思っていただくことで信用していただけたなあというのは思います。
ありがとうございます。
その後、独立になられると思うんですが、この経緯はどういった経緯で独立になさったんですか。
その過渡化の後にMarvelousというゲームのパブリッシャーの会社に勤めていたんですが、
その頃から自分の趣味でいわゆる格闘ゲームを一生懸命やっていました。ストリートファイターというゲームを一生懸命やっていて、
自分自身も瞬間最大風俗的ではあるんですけど、いわゆる一つのキャラクターでアジア4位とかのランキングまでいけるようになりまして、
一定の認知度を得るわけですよ。ちょっと一発芸人的じゃないですけど。
その中で仲間になる友達というのも僕らよりもはるかに上手い友達がたくさんいる中で、
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その中で、要はMarvelousという会社のゲームのプロデューサーをやっている自分の一定の収入であるとかポジションみたいなことも含めて、
でも自分のこれはあくまで仕事として向き合っている中でのきちんとした評価だと。
僕よりもめちゃくちゃゲームが上手い人たちがたくさんいるのに、究極僕らより全然稼いでないじゃんと思ったんですよ。
こんだけのプレイをこんだけ細かく丁寧に緻密にやれるのに、一定の評価を得られていないのは、
簡単に言うとムカついたというか、もっと評価されるべきだろうって思ったわけですよね。
僕自身がゲームが上手くなるという方向を頑張るよりも、そういう上手い人たちが何かしら舞台を得て評価するタイミングを得て、
収入を得るタイミングというのがビジネスになっていった方が人生面白いと思ったというのが一番の厳選の部分。
その上で日々通っていたゲームセンターで、今の創業メンバーのもう一人である高尾という人間と、
本当にストリートファイターと対戦していた、対戦相手としてやっていたので、
その時にゲームが上手い人たちがすげえよというのは高尾自身も思っていて、
プラス、いつかそういう世界が来たら、一緒に仕事できたら面白いねみたいなことを言っていたのが、
2011年から2015年くらいの間でしょっちゅう話をしていたので、それもあって、
じゃあなんか、eスポーツというキーワードがどうやら海外では結構当たり前になりつつあるらしいという中で、
じゃあ日本でそういう評価ができる世界を、おそらく2020年とか25年とかには、
そういうのが認められる会社があってもいいかもしれないなって思ったんですよ、その2015年の時に。
だけど、じゃあそれが認められた時に、なんかいいなと思ってその会社に憧れて入社するってなっているのが、
嫌だなって思ったんですよね。だったら、なんかうまくいくかいかないかは別として、
自分たちがその最初のファーストペンギン側で入れるチャレンジをしたいなというふうに思って、
2015年に会社を作ったというのが全体的な経緯という感じです。
なるほど、ありがとうラムさん。念のためリスナーの皆さん、ファーストペンギンというのは、
ペンギンが一番最初に飛び込む人が一番偉いというか、挑戦者という意味合いで、
まさにリスナーの皆さん方も挑戦者である方が多いと思いますが、
田村社長様もいわゆるチャレンジャーである社長、こういう話で。
そうですね、うまくいかなかったらまたゲーム業界に戻って仕事しようなんていう、
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ちょっと甘い考えもあったかもしれないんですけど、
ただやるのは自由だろうということで、チャレンジさせてもらいました。
ありがとうございます。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはJ様でいらっしゃいます。
はじめまして、今回ご相談したのはパワハラ防止法についてです。よろしくお願いいたします。
なかなか難しいお題ですね。
都内で飲食店を経営しており、現在5名のスタッフが働いてくれています。
お恥ずかしい話、去年の4月からパワハラ防止法が義務化されたのをつい最近知りました。
パワハラの定義や種類など何も把握していなかったため、急いで調べましたが、
指導、教育とパワハラの整備がかなり難しく困惑しております。
対策の明確化や相談体制の整備などをもたらないといいますが、
不明点が多く、具体的に何をすればいいのか、どのように進めていけばよいのかをご助言いただきたいです。
何年もどうぞよろしくお願いいたします。
これ大変難しいので、うちの社内でもいろいろディスカッションがありまして、
結果的には今はパワハラ防止については、あの手この手の手立てを打っています。
うちの会社は、うちの管理部長、社長士の資格を持っていますので、
そこでいろいろと社長士としてのアドバイスが入ったので、うまくいっております。
そういう意味で、これは難しいので、専門家を入れることをお勧めしたいなと思います。
社長士の先生、もしくは弁護士の先生とご相談なさうことをお勧めしたいと思います。
お親しい社長士さんや弁護士さんいらっしゃいますでしょうか。
もしいらっしゃなかったら、ちょっと探してみていただければと思います。
さらに、社長士の先生や弁護士の先生からご指導を受けた上で、やらなきゃいけないことはいくつもあります。
いわゆるパワハラ、セクハラ防止規定みたいなのを作らなきゃいけないんじゃないかなと思います。
さらにその規定の中で、勉強会などを社員向けにやらなきゃいけないと思います。
うちですと総務人事課長が時折、パワハラ研修、セクハラ研修をやります。
実際にその後、メール等でこういうのはダメですよ的なのがたまーに流れてくる、みたいなことをやっております。
ですので、規定と勉強会的なものをやらなきゃいけないと、こういうことになってくると思います。
実際、パワハラの定義とか種類とかって言われると、これはかなり難しいですね。
裁判でもかなり難しく争われる事項でございますので、
その意味で、社長の先生とか弁護士の先生と一つ一つ相談していくしかないんじゃないかなと思います。
いくら規定を作ったからといって、いくら勉強会をやったからといって、
パワハラ防止法にちゃんと則っているのかと言われると、一応基礎レベルはできたぐらいでらっしゃるので、
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そういう意味では日々社長様が気をつけるということも重要になってくるのかなと思います。
私自身、昔はパワハラ上司と言われたことも大昔20年もありますので、
今現在は非常に気をつけておりますので、そういう意味でJ様も私と同様、一緒に気をつけていただければなと思います。
もし分からないこと等がございましたら、無料で経営相談に載っておりますので、何々とおっしゃっていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。