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こんばんは、今日も一日おつかれさまでした。
それでは、わたしたいわしたいわ、今日も始めていきたいと思います。
このチャンネルは、自分との対話や他者との対話を通して自分を再発見する、
対話によって自分を深く知ることができる、
そんな時間を一緒に過ごしたいと思って考えながらお話をするチャンネルです。
お休み前にのんびりと聞いてもらえたら嬉しいです。
今日もよろしくお願いします。
そして今日のテーマなんですが、
自己の中の他者とは
今日のテーマは、自己の中の他者。
自己の中の他者というテーマで考えてみたいと思います。
ちょっと聞き慣れない言葉かもしれません。
自己、自分のことですね。自分の中の他者ということをテーマに考えてみたいと思います。
メタ認知という言葉、聞いたことありますでしょうか。
メタ認知ですね。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、
調べてみると、自分の認知活動を客観的に捉える。
つまり、自分の認知、認知というのは考えるとか感じるとか判断するとか、
そういった認知という、自分がこう認知しているということを認知する。
ちょっと説明が難しいですが、自分が見ているのではなくて、
自分をちょっと別の角度から俯瞰して客観的に見るということがやられている状態、
それができる能力をメタ認知能力というふうに言っています。
分かりましたでしょうか。
要は自分自身をちょっと俯瞰的に見ている状態、見ることができる状態のことをメタ認知というふうに言うと、
というふうに解釈をしています。
聞いてみてどう感じましたでしょうか。
実際、自分の暮らしの中でメタ認知している機会ってありますでしょうか。
私はコーチングを仕事でも使っているんですが、
コーチングの用語の中でメタ認知という言葉がよく出てきます。
これは自分を客観的に振り返ったりするときに使います。
例えばコーチングである程度テーマに沿って話していただいた後に、
ここまで話してみてどう感じますかというような形で問いを投げると、
クライアントさんは今までの話をずっと振り返りながら要約をして、
それをちょっと別の視点で眺めているような状態になるので、
そうすることですごく自分の考えを客観的に考えることができるというところで、
メタ認知というところをよく使っています。
自分のことを他者として俯瞰してみることができるということになるのかなと思います。
私自身はこの能力が高いかどうかというのはちょっと別としておいて、
良くも悪くも普段からとても当たり前にやっていたことだなというふうに思いました。
自己理解の進化について
結構子供の頃からこの感覚はあったと思います。
当然当時はメタ認知という言葉も知らなかったですが、
どこか自分のことを別の人が自分を見るような視点で見ているというのが、
当時は意識していなかったですけど、今思えばそういう視点でいたような気がします。
どういうことかというと、例えば何かをするとき、何か行動するときとか、
何か誰かに話すときというのは、その何かをしている自分をちょっと上から、
自分の目線じゃなくてもう少し上の視点から自分のことを見ている、
自分がいるような感覚がありました。
だから例えば何か熱量を込めたようなこと、いわゆる熱い言葉とか、
感情のこもった言葉なんかを言おうとすると、ちょっとそれを冷静に見ている自分がいて、
ちょっと恥ずかしさを感じてしまって言うのをやめてしまったりということもありました。
結構そうやって自分の視点に入り込んで、のめり込んで言葉を言おうとすると、
別の人が見ているような視点でそれを冷静に見ているので、
ちょっと何か他の人が聞いてどう思うかみたいなことを考えて恥ずかしくなっちゃう、
みたいなところが昔から結構あったように思います。
自分の感情を冷静に見ているというのは昔からあって、
なのでいつも周りの印象から見ても穏やかな印象、
あまり感情の起伏の多くない子供だったんじゃないかなと思うんですけど、
子供の頃を思い出してみると、あまりそれはいい面とは自分も捉えていなかったように思います。
どちらかというと、ちょっと何というのか冷めた子供というか、
いう感じだったんじゃないかなと思います。
あまり感情的な物言いも、子供だからしてはいましたけど、
でもやっぱり意識的に何かを言おうと思った時には、
ちょっとやめておこうと思うようなことが多かった。
無意識に自分を俯瞰してみるということで、
本能的な行動みたいなものにブレーキがかかっていた、そんなように感じました。
もちろんこのメタ認知とか、このことだけが原因であったわけではないとは思います。
他の要因もきっとあったんだろうとは思いますけども、
子供の頃からそういう冷静に俯瞰して自分を見ているというところもあったように思います。
自分の中の他者を意識するとどうなるのかなというのをちょっと考えてみました。
あまりにも当たり前にやっている人も多いんじゃないかなと思います。
一番はやっぱり自己理解が進むということかなと思います。
自分を別の視点、他者の視点として見ることができるので、
何か感情が動いたときとかいうときでも、今自分はこう感じているんだなというふうに
ちょっと客観的に見て気づくということがしやすくなるので、
感情的に怒りを爆発させたりとかも少ないですし、
そもそも自分の感情とか価値観というふうに気づきやすいというところが、
自己理解が進むというところが、
自己の中の他者というのを意識する一番のメリットなんじゃないかなと思います。
ここを意識してあげると、すごく冷めたというよりも、
自分を客観的に見るとか、自分の理解を深めているというふうに考えることができるんじゃないかなと思います。
この自己の中の他者という感覚なんですが、
これは私の話になりますけど、私にとってはいい面も悪い面も両方を合わせ持っているものだったなというふうに思います。
例えば自分の中に他者を感じない状態、
つまり自分だけの価値基準で考えたり行動したりしている、
他に見ている人がいない状態ですね。
そうすると自分の価値基準だけで選べるので、周りのことを考えなくていいので、
自分の意思に沿って迷わずグイグイ進めるというメリットがあるんじゃないかなと思います。
あまり迷いがない状態ですね。
でもそれが俯瞰的に客観的に見ることで、要は他者がどう思うかというのを感じることになるので、
自分の言動が他者にどう聞こえるか、どう受け入れられるかみたいなことを感じてしまう。
そうするといい面としては攻撃的になったりしないで、相手に届きやすい言葉をかけるということができるけれども、
逆に考えると相手がどう思うかを考えすぎてしまって、
必要なことが言えなくなってしまったりとか、自分の感情にブレーキがかかってしまうということがあるかもしれないと思います。
そんなことを考えてみました。
まだまだメタ認知というか事故の中の他者という自分の中に当たり前にある感覚なんですが、
そこは当たり前すぎるところもあるのかなと思っていて、
自分の中ではまだまだ自覚的に使えていない部分ではあるのではないかと思うんですが、
例えば自分が何か感情のコントロールであるとか、何か自己理解を深めようというときとかいうときには非常にこの感覚って有効だなと思うし、
リフレクション、いわゆる振り返りなんかにもすごく有効かなと思います。
今日はこんなことがあったというときにも、そのとき自分はどう感じていたんだろうとかいうふうに振り返っているときにも、
非常にこの事故の中の他者という視点で見ることでより分析できるということにもなると思うので、
そういった視点で普段から意識してうまく活用できるようにしていきたいなと思いました。
ということで、今日は事故の中の他者について考えてみました。
ぜひ皆さんの方でも考えてみてほしいなと思います。
それでは今日はここまでにしたいと思います。
今日も聞いてくれてありがとうございました。
おやすみなさい。