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こんにちは、わかまろです。採用支援を行う会社の営業マネージャーで、現在は産休中、3歳、0歳娘の育児をしております。
記憶喪失になりそうなくらい慌ただしい毎日の中で、日々の気づきを忘れないため、そして同じく忙しい日々を送る同志の皆さんと、このダタバタを分かち合いたい、そんな思いで、このチャンネルをお送りしております。
あ、すごい噛んでしまいました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
毎日とっても暑いですね。日差しがじりじり照りつけてて、すごい殺人的な暑さだなぁと思っています。
こんな時にお勧めしたいのが、私、日傘ですね。日傘はもう手放せないんですけども、女性だと割と日傘持ってるよっていう方多いと思うんですけども、男性にもぜひお勧めしたいです。
本当に耐火温度が全然変わりますし、夏の炎天下の中を歩く辛さっていうのがかなり緩和されます。
最近男性用の日傘、ちょっと四角いっぽいデザインとかでですね、なんか出てたりもするみたいなので、ちょっとぜひ男性の方も、もちろん女性の方も日傘使っていただければなと思います。
今日は何の話かなんですけれども、私が子供の時からですね、よく感じていた恵まれていることに対する罪悪感っていうお話をしたいなと思います。
特に結論がある話ではないのですが、ちょっとリアルな友達とはちょっと話しづらかったので、この場で話してみて、共感していただける方いらっしゃるのかな、いないのかな、というのをちょっと知りたいなという目的で話しております。
恵まれていることに対する罪悪感っていうのが何かっていうと、例えば子供の頃とか、ご飯をちょっと残したりすると、世界にはご飯もまともに食べられない子がたくさんいるんだから、ちゃんと食べなさい、みたいなことって言われませんでしたか?
例えば、何か新しいおもちゃを欲しがった時に、そういうのがちゃんと買ってもらえない子もいるんだから、もし手に入れられたら大事にしなさい、とかですね。
うちは結構なんか言われてた記憶があって、そのせいなのかどうかはわからないのですが、自分が異色中、何も不安なく不自由なく暮らせている状態と、
あと特にですね、例えばなんか贅沢した時、贅沢って言っても、旅行に行ったとか、美味しいものを食べた時に、でも世界だったり身近にはこの幸せを感じられない人がいるんだ。
なんかすごく自分が今の幸せを感じていることは申し訳ないんじゃないか、とか思っちゃって、その幸せを心から楽しめないってことがよくはないかもしれない、たまにあるんですよね。
最近もちょっとその罪悪感を感じた瞬間っていうのがありまして、何かというと週末に夏祭りに出かけたんですね。
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夏祭りでいろんなブースが出展をされてて、綿飴とかかき氷とかそういったものから、なんかいろんな団体のブースも出展されていて、
その中にその里親になりませんかっていう案内をしている団体さんのブースも出展されてたんですよね。
そこがですね、風船を配っていたので、娘がその風船が欲しいというので、そのブースに行って風船くださいということでお話をしていくと、
その簡単なアンケートに答えてもらえればいいですよということで、アンケートに答えました。
そのアンケートがどういうものかというと、例えば東京都にいろんな事情で親と暮らせない子どもがどれぐらいいると思いますかとか、
例えば里親になった時に一緒に暮らす期間っていうのは数ヶ月から数年どれだと思いますかとか、
ちょっとそういう里親の認知を高めるような目的での簡単なアンケートというかクイズみたいなのに、
シールを貼って答えていくっていうものだったんですけれども。
なんかすごく考えさせられてしまって、一番象徴的だなと思ったのが、
いろんな事情で親と暮らせない子どもが東京都に何人いるかっていうクイズでですね、正解は4,000人以上なんですね。
東京都は子どもの人数で言うと155万人いると言われていますので、4,000人ってパーセンテージで言ったらビビたる数字かもしれないですけれども、
でも4,000人って多くないですか。
その子たちが多感な時期に親御さんと事情があって暮らせないでいるっていうその事実にですね、
なんかすごく胸が痛くなって、またその自分が恵まれていることへの罪悪感っていうのが自分の心の中ですごく出てきました。
私が置かれている環境というのは普通と言えば普通かもしれないんですけど、すごく恵まれているとは思うんですよね。
例えばその心身ともに健康な両親のもとに生まれて、学校も行かせてもらいましたし、もちろんご飯も食べさせてもらいました。
今だって仕事だって食べるところも住む家もあって、娘2人とは一緒に暮らしていて家族みんな心身ともに健康なわけです。
でもこれって自分が努力して得たものというよりはたまたまの部分が大きいんですよね。
例えば両親が心身ともに健康だったのだってたまたまですし、自分が仕事ができていることも家族がいることも偶然の産物なわけで、
例えばもし明日私と夫に何かあったとしたら、この娘2人は親と暮らせなくなっちゃうんですよね。
そんなふうにいろいろ考えるっていくと、偶然のうちに生まれた幸福っていうのを私が享受していて、
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享受できていない人が実際にいると。
そうするとこの幸せを自分はもらっちゃっていいのかなっていう気になるんですよね。
冷静に考えたらおかしな話だったし、
罪悪感を感じること自体がそのものが傲慢だなという気もするし、
でもたまらなくまた罪悪感を抱えてしまってですね。
その子たちに何かできることがないだろうか。
自分が里親になるのは今の状況的には難しいので、母親とか始めてみようかなとかいろいろ考えてみたりしました。
この恵まれていることの罪悪感って共感してくださる方いますかね。
ネットで調べてみたらですね、ちゃんと名前がついてるんですよね。
この感情には名前があって。
それもズバリ恵まれている罪悪感ってそのままなんですけど。
そのネットでの情報によると、自分が努力してないのに持っている環境、
例えば家族とかもそうですし、
あとここに書いてあったのは健康とか美容とか美人な人とか。
自分が努力しないのに得られてしまっているということについて、
罪悪感を抱きやすいということが書いてありました。
この感情はおまんやりだったりの元になるとして、良い面もありつつ、
ただ行き過ぎてしまうと、自分が犠牲を払うことで何とかしようとしたりとか、
自分がその幸せな状況になった時にそれを手放そうとしちゃうとか、
そういう弊害もあったりするそうです。
対処法としては、恵まれていることに対して罪悪感を持つのではなくて感謝をする。
感謝をして適切に今のことを受け止めた上で、
周りの人、周囲の環境に何かできることがあるなら建設的な考えで考えてみようというのが書いてあって、
確かにそうだよなって思いました。
今日は全然結論も何もない話なんですが、
私が子供の頃から今に至るまで自分の状況、恵まれていることに対して、
何かこう罪悪感、傲慢とも思える罪悪感を捉えてしまうということと、
それが調べたらその感情に名前がついていたので、
もしかしたら共感してくださる方もいるのかなと思って話してみましたという話です。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ちょっと次回は何か結論のあるお話がしたいなと思っております。
最後にコメントのお返しをしたいなと思います。
前回の心を不健康にする考え方という放送にコメントをいただきました。
あっこさんとお呼びするのでよろしいのでしょうか。
あっこさんありがとうございます。
この放送では自分の心を不健康にする考え方をいくつか紹介をしてまして、
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そこに対してコメントをいただいております。
ありがとうございます。
マインドリーニングを初めて知りました。
そしてめちゃくちゃやってました。
ついつい物事を悲観的に捉えてしまう癖があるなと思っていて、
好天的ポジティブを目指していますということでありがとうございます。
すごくよくわかります。
このマインドリーニングというのは放送の中でお伝えしたのですが、
人の顔色を読んでその人の心の中が読めてしまうと思い込んじゃうこと、
例えば同僚がはーってため息をついたときに、
私の人は私のこと嫌いだわとか、なんか怒ってるって思っちゃったりすることなんですけど、
これをめちゃくちゃやってましたということで、
すごくよくわかります。
私もめちゃくちゃやってしまいます。
そうやって顔色を読みに読んでいると、
人を傷つけちまった、やっちまったみたいな失敗は少なくなるかもしれないんですけど、
自分がどんどん追い込まれていきますよね。
なので人の心は読めないということで、
私も気をつけたいなと思いますし、
あっこさんも好天的ポジティブを目指しているということで、
ポジティブ目指して頑張っていきましょう。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
また次回も聞いていただけると幸いです。