意味のないものの探求
みなさんこんにちは、きなこです。さて、今日はですね、意味のない、価値のないものなんて、無いかもしれないね、というテーマでお話をしていこうと思います。
私は1歳の男の子と女の子の双子怪獣を育てながら活動しております、フリーランスの漢方ライフコーチです。
このラジオでは、これを聴いてくださるあなたの人生が、よりご機嫌豊かになれる日と発信しております。
ということで、早速なんですが、通車料金を払いますので、ちょっとお待ちくださいね。
めっちゃ雨、めっちゃ雨、あの窓開けた瞬間、めっちゃ降ってきた。
160円、ありがとね。
マラシナ1個も、平日はめちゃくちゃ、場所によるけどね、安いんですよね。
休日はね、1650円ぐらいかかるんですけど、平日はね、660円とかね、結構良心的なんですよね。
休日、平日関わらずね、今温度の方増えましたね。
賑やかなのがね、とても良いことだと思うんですけれども、とってもね、かつての活気が戻って、かつてよりも、かつてよりも相互となってんちゃうっていう感じがするんですけど、
今日はね、雨の奈良なので、あんまり人ではなかったですね。
それが逆に良かった。
今日クライアントさんと一緒に、兵庫に住んでるクライアントさんが遊びに来てくれたので、わざわざね、遠慮はるばる来てくれたので、
一緒にね、奈良町っていうところ、昔ながらのね、小民家があるところなんですけど、そこをね、お散歩しておりました。
予約2ヶ月待ちとかがね、当たり前のかき氷屋さんとかがね、今日はまさかの普通に、フラッと入れる状態とかでね、そんなのをやってたみたいで、めちゃめちゃびっくりしましたね。
そんなことある?思って。うん、びっくりした。
なかなか予約取れへんくてね、予約取ろうと思っても、またあかんかったみたいなとこがね、そうあるのにね、そんなこともあるんですね。
さて、向かいの方から、a lot of 外国人観光客の方がごめんやで、めっちゃ道開けてくれてるやん。一列にピッシーン並んで大名行列みたいになってる。ごめん。
ありがとうございます。すまへ。ありがとうね。すいません。ありがとう。
おお、わおって言われた。すまへ。ありがとう。
よいしょ。さて、そんな話でね、そう、価値のないものなんてないんだよっていうね、お話なんですけど、
子どもの成績と創造性
めちゃめちゃ観光客の方と、a lot of 鹿がおるんで、おっと、バイクも来たね。さっきあなた行ってください。
OK。ワイ行くで。ワイ行くで、ワイ行くで、みんなワイが通るで。よし。
ほんで、そう、今日ね、果たして意味のないものってあるんかねっていう話なんですけどね。
クライアントさんのお子さんの話でね、結構今日は盛り上がったんですよね。
で、クライアントさんのお子さんが、一部成績がちょっと伸び悩んでて、で、これね、クライアントさんもね、もう解決した話なんですけど、
授業を、こう、面白くない授業って正直あるじゃないですか。こんなんで怒られるかもしれんけどね。
で、私、面白くない授業の時って結構聞かずにね、ぼーっとしたり妄想するの好きだったんですけど、
どうやらね、クライアントさんもクライアントさんのお子さんもまたそういうね、特性があるそうで。
で、なかなかね、その授業が伸び悩んでて、本当はね、真面目に授業聞いてさ、勉強すればいいかもしれへんのやけど、
なかなかね、そういうわけにもいかず、で、何をしてるかって言ったら、その子は自分で物語を紡ぐのが好きみたいでね。
もしもこういう世界があったらどうなんだろうとか、例えばすごく好きな作品があって、この作品の続きを描くとしたら、
どんな未来が待っているんだろうとかね、そういうのを紡げるんだって。
で、それを、その何か絵にね、描くとかはないみたいなんだけど、そういう頭の中でふわふわーってね、想像して世界を作り上げるのが趣味みたいです。
実際ね、エンターテインメント作品、ドラマとかね、映画とかはすごく好きみたいで、
で、クライアントさんがね、過去にその子供ちゃんに、こんなね、あの成績悪くてね、こんな成績でどうするのよと、
まあ心配じゃないですか、親としては。で、こんなね、もの、それこそね、あの何の勉強の成績アップにもつながらないね、
想像とか、妄想というか文章を書くというかね、そんなことする暇がね、あるんやったら、
ね、成績につながるようなことをちょっとでもしてくれた方が、
あなたの将来にとっていいかもしれへんのに、なんでそんなことするんやと、というふうに当初はね、思ってたんですって。
でも、なんか私とね、あの対話をしていくうちに、その正しさとは何だっていうふうなところに、
ご自身でね、そのクライアントさん自身もね、自分の中の正しさっていうものを、いい意味で疑うようになってきたんですって。
で、あったと考えたときに、いやよく考えたらと、私も面白くない授業のときは聞くのが苦痛だったし、
そういうときはよく空を眺めて、あのふわふわと想像を巡らせていたなぁと。
で、あの後からね、この担任の先生とかそれ以外のね、先生とかに、娘さんはすごく文章を想像する力がありますね、と表現ね。
要は言語化ですよね、の力がすごくお上手ですねって後から言われて、
そうかと、私は当初はと、うん、こんなね、しょうもないことに、それを想像っていうことね、に時間なんか使わんと、
ちょっとでもね、英単語の一つでもね、数学の勉強の公式の一つでも覚えたらいいのにって思ってたけど、しょうもなくなんてなかったですねって言ったんですよ。
学びの本質とは
親としては、そう可能性を信じてあげることが、親としての存在というか、貢献できることなんだけど、
どうしても目先の成績だとか評価だとか、そういうところに目が行っちゃいますねっていうね、この葛藤ね、
私もね、まだ子供がほら1歳と10ヶ月だからね、そういうところの自分ごと化は100%はね、してあげられないのがね、ちょっと悔しいところではあるんですけれども、
でも、自分がもしこの時の親御さんの立場だったらどうするんだろうって思ったときに、
気持ちはすごくわかると思います。やっぱり学校の成績がかんばしくないってなったときに、やっぱりどうしてだろうねっていうのは言うと思うんですけれども、
ただ、子供を親と子の上と下の関係ではなく、人間対人間として考えるんだとするならば、こそ子供に願っていることが2つあって、
それを私はクライアントさんにね、お伝えさせていただいたんですけど、
1つは、勉強はそもそも学びというものは楽しいものだということ。これは学校の勉強がということではなくて、生涯を通して知らない世界に興味を持ち、今まで知らなかったことが知れるようになる。
今までできなかったことができるようになる。ゲームと一緒ですよね。
だから、学びというものは本来ゲーム感覚のようにできないことができるようになったり、自分の新しい世界を紡ぎ上げるのにとってもリンクしているというか、面白いもの。本来面白いものなんですよね。
よくさ、勉強おもんないっていう固定概念あるじゃないですか。あれはね、おもんない授業をする人がいるからだと私は思うんですよね。
今日もその話クライアントさんとしてたんですけど、先生のせいに100%しちゃいけないよ。やっぱり自分で学び通すっていう姿勢は大事なんだけど。
だけどとはいえ、おもんない、何て言ったらいいのかな、交流団みたいな授業あったじゃないですか。先生がただただ教科書を見上げてるみたいなね。
もうそれやったらAI音声自動読み上げとかで良くないって思っちゃうんですよ。私やったらね。
それやったら別にその授業でその先生の話を明らかにお前の話聞かへんみたいなのはちょっと失礼やからあれやけど。
もうその先生からちゃんと聞くことはいい。そのこと諦めて面白いことを考えとくとか妄想するっていうのは私はすごく有効な時間の使い方だと思うんですよね。
だからちょっと話されたけど、そもそも学びっていうのは楽しいものなんですよと。自分が知らないものを知れたり、興味がある世界を掘り下げていくっていうのは本来楽しいもの。
だから思わないっていうことは何か思わない原因があるんですよね。だからその思わない環境の中で頑張ろうとしなくていいっていうこと。
それを伝えたいっていうのが一つと、あともう一つはもともと自分が頑張らなくてもできちゃうことっていうところを伸ばす。
要は端緒を克服しようとするんじゃなくて、長所、自分が呼吸するようにやっちゃうことっていうことが
そのまま誰かの価値貢献になるものってめちゃめちゃあると思うんです。この仕事をしてて本当に思うんですよ。みんなが何となくやってることとか
なんかそんなにすごいんですか?みたいなことって、自分の常識は他人の非常識って言いますけれども、そのクライアントさんの娘さんに関しては言語化能力ですよね。
物凄くいいんですよ。あとはパラレルワールドを物語を紡ぐ力、創作の力ですよね。これって私はすごく才能だと思うんですよね。文章の表現力もすごく語彙力が豊富で上手なんですって。
中学生の視点
それも話を聞いてると、好きなドラマとか好きな作品とかを俳優さん推しのアイドルが出てるからとか俳優さんが出てるからっていう俳優つながりで見るっていうのはよくあるあるだと思うんですけど、中学生で何で見るかって言ったら推しの脚本家とか推しの監督とかそういうところで見たりするんですって。めっちゃ渋ないですか?
大人になったらそういうのはあると思うんですけど、中学生であんまりそういうのって少なくとも私の周りではあんまり聞いたことがなくて。だからね、もちろん好きな俳優さんとかもいてるらしいんですけど、それよりももっと引きの目線で物語の構成とか起承転結の置き場所とかそういうところを見てるんですって。
そういうの好きなんですよって言ったんですけど、それって私すごいことやなって思って。なぜならその物語の抑揚とか人々の思考がどういうふうに感情が動いていくかとかそういうのがわかるんですよね。どういうところで抑揚をつけると面白くなるかっていうのが感覚的にわかるって、これは表現力の塊ですよね。
自分がこういうふうに伝えたいことがあるってなったときに、そこの塩コショウですよね。お料理が上手なんですよね。言語化というね。これはね、うまいこと使ったらこれからはまさに風の時代なんて言われてるし、いわゆる天ぷれの正解詰め込んだらそれが必ずしも正解かって言われたらそういうのがない時代になってきたと。
自分のあり方とか生き様とか、自分の正解を正解にしていけるような、そんな時代になっていくから、風の時代を生きるのにはぴったりな才能じゃないですかって話をしたら、なんかすごく安心しましたってクランチさんも言ってはったんですけど、とはいえね、だからといって明日からね、全く勉強しなくていいよって言われたらそれとこれとはまた話違ってくるとは思うんですけれども。
でも、今まではクランチさんが言ってはったのが、どうして勉強しないのっていう方向に目線が行ってた。
だけれども、自分もお子さん目線になって考えてみたからこそわかることがあると。面白くないものは面白くないよねと、それを受け入れた上で、じゃあどうやったらね、面白くないものを勉強をね、面白くしてあげられるのかなと、どういう方法を使えば自分は学び、今目の前の学びに関心が持てるようになるのかなとか。
あとは、当初はね、自分としてはそんなことして、どうにでもならないよって思ってた、表現というか創作ですよね。これもよく考えたら、あの子の才能ですよねって言ってて危うくね、意味ないって思ってたけど、そんなものなんてないですよねって言ってはって、そうですよ、そうですよと、その通りですよという話をしてたんですけど。
逆にどれだけテストの点数が良くて、もちろん良いことなんですけどね、与えられたことを完璧に聞かれたことを準備してたカードをね、順番通りに出して成績が良かったとしても、それをランダムな状況の中で自分が使いたい手元のカードを使って、相手に伝えたいやり方で、つまり言語化ですよね、そして相手に伝えることができるかって言われたら、それはまた別の脳みその話だと思うんですよ。
そこらでもね、学びっていうのは最悪、できるからこそ、今楽しいと思うことをいっぱい楽しめるような時間を使うっていうのもね、せっかくの学生生活なんですからね。テストの点数だけでさ、その子の魅力が点数つけられるなんて、そんな失礼な話ないじゃないですか。きれいごとかもしれへんけど、みんなそれぞれにね、得意不得意があって、ほんまにそう思うんだよな。
テストの点だけで、それは受験とかはそうかもしれへんけど、そこが苦手、数学とかが苦手かもしれへんけど、ただね、評価としての評価するシステムがないだけで、こういう言語化能力っていうものとか、人間性だとか、そういうものって、この時代を生きていく上ではね、めちゃめちゃ必要な能力だと思ってるんですよ。
実際、私今、それでご飯食べてますからね。そう、私は別に薬剤師の知識っていうものでご飯を食べてるわけではないですし、数学の公式を使ってね、やってるわけでもないし、科学の公式を使って、だけをね、正解どおりのものを並べてやってるわけではなくて、自分が思ったことを表現し、こうやって言語化をしていって。
で、それこそ、私もね、昔、親御さん、うちの親に、あんたそんなん書いてなんの役に立たへん、なんの役にも立たへんでんって言われてた、お絵かきの能力ですよね。正確には落書きかもしれへんけど、それだって、今は図解っていう形で、
あの、はなさん、最強のパートナー、はなさんにも、今ちょっとね、まとまってパナさんとか言っちゃったけど、はなさんの、これ図解の仕事きますよって言われたぐらいのお墨付きもいただいたし、
で、実際クライアントさんのお茶のイラストにも、そういうのもね、入れて、クライアントさんたちにもすごく喜んでいただいてるし、実際私の図解とか投稿がきっかけで、きなこを知ってもらって、セッションの本申し込みをしてくれた方だっていらっしゃいますし、
もちろん、学校の評価ではね、評価しきれない学校の教科、教科って言ったらいいのかな、テストの教科だけでは判別しきれないような表現力とか、人間力とか、そういう部分こそが、今後の時代を生きていく上での強みになるんじゃないかな、両輪で見ていってあげられると、こういうところだっていいよねっていうところを伸ばしていくといいんじゃないかなって思いました。
学びの楽しさ
私それこそ、クライアントさんのお子さんがね、結構妄想して物語を紡ぐのが好きって話をしてた時に、私そういえば高校の時、文芸部でっていう話をして、きなこはね、高校時代文芸部だっていうね、とっても文化祭前だけ活躍する部活に入ってたんですけど、
でも月1ぐらいではやってたかな、すごい緩い部活だったんですけどね、めちゃめちゃ楽しかったのが、リレー小説を作るっていうのがあったんですよね、それは何かっていうと、ある程度の設定をみんなで決めておく、主人公はこういう人でこれぐらいの登場人物がいて、でも後は何も決めない、物語の終着点がどこに留まるかも知らない、
それはもう最後に書いた人の手腕っていうところではあるんですけれども、6人ぐらいで原稿用紙ね、当時はまだ古かったからね、ワープロとかワードみたいな感じではメインではやってなかったんで、
4日目の原稿用紙何枚分ぐらいを1人1週間持ち時間があって、それで物語を紡いでいくと。私がね、最後高校3年の時に書いたやつがね、確か異世界もの?天性ものやった気がするんだけど、そういう妄想を膨らませてね、高校こういうところが面白いっていう。
ちょっとだけここで、大体起承転結があるんで、大体3番目とかやったらここで一発ひっくり返しておこうかとかね、そういうのを妄想するのも面白くってね、そういうのでリレー小説とか、春夏秋冬のテーマに合わせた心を考えるとかでやってましたよーっていう話をしたら、うわーそれうちの子を聞いたらめちゃめちゃテンション上がりそうやわーって話してて、
こういう、こういうのにエネルギー乗っかるじゃないですかーって言って、そういうところやったらいくらでも調べたり書いたりすると思うんですけど、楽しく働くってこういうところだと思うんですよねーって言ったら、ああ本当そうですねーって大人になっても一緒ですねーって話をしてて、そう大人になっても大人でも子どもでも、おもろいものはおもろいし、おもんないものはおもんないんですよね。
大事なのは、それはね、お受験っていうゲームルール上やらなあかんところはあるけれども、そこ以外の部分にエネルギーが乗っかる部分をどうやって伸ばすというか、いいねーって言える環境にいるかっていうのはね、この子の自己需要感を育てるのにも結構大事なのかなーって思ったりしました。
まあね、私も二人の子供を持つ母ですから、半分人事じゃないなーと思ってね、今日はセッションのような、なんかのような、私のセッションっていっつもいわゆるテンプレのコーチングセッションではなくて、ただ気なことの会話って感じなんですけれども、でもねすごくすっきりした顔をして帰ってもらってね、奈良まで来てもらってよかったなーって思いました。
なんか私自身もちょっと囚われてた気がしますって言ってはったんで、まあね、お二人分の気持ちが軽くなったのなら嬉しいですね。さて、ここまで喋って最後おまけトークなんですけれども、おまけで言うと、その娘さんね、英語の成績があんまりかんましくないっていうのを悩んではったんですけれども、これね面白かったのが、前喋ったかな、オーストラリアはシドニーに行ったときに、英検の能力があって、
英検の能力と英会話の能力はリンクするのかっていう話を、現地に在住している、あのもうね向こうでバリバリ英語使って住んでる方たちに、そういう話で盛り上がったんですよね。
そうしたら、やっぱりライティングとスピーキング、リスニングっていうのは全然使うのお味噌が違うと。だから多分俺ら英検出されても全員落ちるでって話してたんですよなって言って、私が嘘って言ったんですけど、絶対わかんないと思う、文法とかわかんないもんって言ってて。
だから逆に言ったら、中学の時、高校の時、英語の成績がボロボロだったからと言って、私は英語のセンスが皆無なんだって思うのは、それは違うと思うでって、それは日本の教育の英語という、誰かが作り出したルールの上における成績のジャッジであって、必ずしもそれはあなたは英語圏では暮らしていける才能はありませんよとは結びつかないからそこはイコールにしない方がいいよって言われたんですよね。
これすごく希望になるなーって思って、その話をクライアントさんにもさせてもらったら、えーそうなんですかーってね、そのクライアントさんもびっくりしてはったんですよね。
そう、だからこのお子さんも、確かに英語の成績そのものはかんばしくないかもしれない。けれども英語そのものにアレルギーがなくて、英語の作品に興味が持ったり、そういう世界観での表現というものに興味が湧いたら、もしかしたらね、いくらでも後から伸びしろはあるかもしれないですよーって話をしてたんですよね。
そしたらクライアントさんが、そういえば昔私が高校の時の同級生英語ずたぼろやったのに留学かな、なんか行って帰ってきたら急にペラペラなって帰ってきて、私より成績悪かったのにえー話せるようになってるなんでーっていうことありましたわーって言ってて。
確かに英語の成績だけで言うとちょっと定義がだいぶ広いけど、それって日本の教育に日本の学校教育における日本が開発した英語という教科における点数なのであって、それはイコールすなわちあなたは外国の人とコミュニケーションを取るセンスがありませんとは言ってること全く違うから、
だからその学校の成績だけで全てを判断するとか、点で自分の能力を決めつけてしまうというのは非常にもったいないことだよねっていう話をしてました。
その点で見るっていうことを今喋りながら一つ思い出したのが、私は今は薬剤師の仕事にとても誇りを持っていますが、薬学部に入って病院実習に行った5年生の時は、
病院のルールになれなくて、その点で判断して私は薬剤師なんて向いてないって思いましたね。こんな仕事にはつける気がしないって思ってたこともありました。
だけれども薬剤師という仕事は何も病院薬剤師だけじゃないし、咳出ちゃった。
で、聞いてはそこの病院のルール、病院によってもルール違うし、薬剤師って別に医療関係だけじゃないしとか、当時は思いもしなかったけどね、フリーランスで働くなんて。
で、その薬剤師として毎日人の相談に乗る仕事を生かして、薬剤師という職場で培ったものを薬剤師以外の世界で仕事を作るっていうことだってできるわけ。
だから何でもかんでもね、点だけで全てを判断するっていうのはすごくもったいない。
自己認識の重要性
そういう視界を広げて、そして膝をグッと一緒に持ち上げる。グイッと。ほら、顔を上げてごらんっつってね、持ち上げるのがコーチの仕事なのかなーなんて思いました。
まあ私ね、酸素すでに酸化炭を吐いてるだけなんですけどね。
はい、ということで、きなこでした。ほなまたねー。