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絶望の窓際族
こんばんは、じょるのです。
このポッドキャストは、不登校やマラハラ、経済的虐待や転職失敗で人生積んだこのじょるのが、窓際族として転生し、生活の知恵や希望とユーモアをお送りする人生再設計番組となっております。
こんばんは、じょるのです。
前回までは、私が裁判傍聴と出会ったきっかけであったりとか、傍聴した裁判のうち、いくつかの裁判を紹介いたしました。
それから、今回の事件の概要を説明しました。
今回は改めて裁判傍聴についてどういうふうに行うのかというところをお話しして、事件の細部、それぞれの登場人物に焦点を当てていければと思っております。よろしくお願いします。
では、まず裁判傍聴しに行くにあたって、皆さんニュース等で見られたことあると思うんですけど、
世間的に大きく報道されていたりとか、注目度が高い事件というのは、報道機関や傍聴したい人も多いんですね。
それをどうやって選別するのかというところなんですけど、こちら毎度おなじみ傍聴権というのをもらう必要があります。
傍聴権はどうやってもらうのかというと、事前にだいたい告知されているんですね。
インターネットであったり、裁判所内の掲示板であったりに告知されているんですけども、何月何日の何時から何時まで傍聴権を配りますというのが書いてあります。
その傍聴権をもらう人数が多い場合は、その前に抽選ですね。生理権をもらいます。
生理権は今回で言えば、ライブとかでよく使うリストバンドを渡されまして、そこに番号が書いてあります。
その番号を後ほど抽選するんですけども、
抽選はですね、これちょっと今どうやっているかわからないんですが、以前はですね、私これ実は手伝ったことがありまして、
傍聴希望者の中からスイッチを押す人っていうふうに言われたので、私ちょっと手を挙げて押させてもらったことがあるんですけど、
Excel VBAでですね、乱数が組まれていて、スタートストップボタンを押すみたいなことになっているんですね。
それで番号が当選した人が傍聴が可能になる、傍聴権をもらえるというふうになります。
ですので、会社を休んで傍聴に行ったとしても、希望者が多い場合ですね、その傍聴権をもらうということができず、見ることができないというふうになります。
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私はですね、今回それで判決の裁判に行ったんですけれども、そこについては聞くことができませんでした。
幸運なことに、それ以外については全て当選しました。
晴れて、じゃあ裁判見れるっていうふうになると、そこから裁判の時間というのも何時からありますというのが公表されているので、
その時間にですね、裁判の法廷に行くということになります。
法廷とですね、傍聴のルールなんですけども、当然電子的な録音であったり録画っていうのはできません。
許可されているのが紙とペンであったりとか筆記用具ですね、これを持って入ってメモをしたり似顔絵を書くということは許されています。
ですので、皆さんニュースで見る裁判の似顔絵ですね、ああいったものは書いてもいいようになってまして、私も実はちょいちょい似顔絵を書いてます。
結構下手なんで、かなり画伯なんですけれど、裁判の法廷の中での録音撮影は当然NGなんですけども、
裁判所の敷地内でも録音撮影はNGになっていて、駐車場の中でもですね、カメラで撮ろうとしたら怒られます。
ただ裁判所に入るところの画面録画というか撮影なんかも報道機関はされていると思うんですけど、
あれ私今回見つけたんですけど、裁判所の敷地の外からですね、植え込みの向こう側みたいなところからそっと撮影していたのを見つけたので、こうやって撮っているんだなって思いました。
裁判の行われる法廷の中では、それと帽子もかぶれません。
ゼッケンみたいなのをつけている、市民運動みたいな人たちも入れません。そういったものは外して入ってくださいという風になっています。
当然ですね、飲食もできません。喉が渇いたら外に行って飲み物を飲むということをしないといけないです。
これがですね、ちょっと全体的な傍聴権の取り方と裁判所の中のルールという風になっています。
裁判所と法廷についての説明、とりあえずやってみました。
これからは、この2人の被告人と被害者、この2人の人生について焦点を当てて話していきたいと思います。
ある程度、かいつまんで話させてもらうと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
まずですね、被告の寺内進について解説させてください。
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彼はですね、今32歳です。
事件が起きた時は31歳だったと思います。
私から見た印象なんですけれども、事前にテレビであったりとかSNSで見てた姿から想像するよりも、
とても小柄で自信なさげな感じで、マスクしててですね、声が小さくて、法廷の声が全然聞こえないということも多々ありました。
身長は私より小さくて、骨格も大きくないですね。
私が169センチ、見た目172さんありそうと言われるんですけど、体重70キロぐらいなんですけど、
彼は見た目、骨格もですね、私より一回り小さくて、とてもそんなに喧嘩が強そうというか、やんちゃしてそうというふうには見えなかったですね。
後でですね、法廷質問でわかったんですけれども、逮捕時から体重が5キロぐらい減っているそうでして、
私が普段68から70キロぐらいなんですけども、見た感じ彼は多分普段はよく動いてたとしても65キロぐらいだったんじゃないかなと思うんですね。
そこから5キロってなると60キロぐらいになるので、やっぱり人層等が変わっているのかなという印象でした。
全体的にはですね、やっぱり細くて自信がない感じで、報道とかですね、SNSの画像等とは全然印象が違うなという感じでしたね。
写真だとちょっと昔の成宮くんみたいなイケメンっぽい感じだったんですけど、今はですね、坊主にしていて暗そうな感じでジャージ着てて、全然イメージと違いました。
彼がどんな人生を歩んできたのかというところについてなんですけども、
彼はですね、大阪に生まれまして、両親と彼と3人で暮らしていました。
彼がですね、小学校、低学年ぐらいかな、低学年ぐらいから中学校ぐらいまで、お父さんにですね、結構暴力を振るわれていたようでして、
お父さんもお酒を結構飲まれる方だったようで、お酒を飲んではですね、酔っ払って暴力振るというタイプだったみたいです。
お母さんも、報道とかではあまり言われてなかったんですけども、それをですね、ちゃんと止めれてたかっていうと、ちょっと止めれてなかったんじゃないかなっていう印象でした。
いろんな法廷での表現を聞くとですね、女性にもいろんなタイプがいますよね。
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暴力振る男性に対して向かっていくタイプもいれば、逃げ出すタイプもいるし、口で言いまかすタイプもいますしですね、いろんな方がいらっしゃいます。
後に精神観点に当たった臨床心理士の方がインタビューしてて、わかったんですけども、当初ですね、お母さん暴力振られていることを知らなかったって言ってたんですけど、最後の最後はですね、ちょっと認めるような発言をしてたそうです。
なので、守りきれなかったんだろうなと思います。
これはなんか、やっぱり力もね、女性は弱いですし、男性と比べて守ってあげられなかったからといって、お母さんを攻めるのはちょっとかわいそうかなというふうに個人的には思っています。
この被告人の手打ち進むがですね、大きくなるにつれ、体型もね、先ほど小柄に見えたと言いましたけど、大人の体になるにつれ力も強くなってきますし、ボクシングを習ったそうなんですね。
格闘技を習ったので、親の暴力にも対応できるようになったんですよね。それで虐待されることはなくなったそうです。
その代わりといってはなんですけども、やっぱり悪というか荒れた学校でもあったそうなので、先生に暴力を振るったり、いろんな喧嘩をしたりっていう生活をやっていたそうです。
その精神観点に当たった臨床心理師の方が、地域であったりとか、お母さんのインタビューもしてるんですけども、先生がおっしゃるには、やっぱり荒れた地域、そういった被告に走る人が多いような地域、何をもってそう思ったのかわからないんですけども、だったそうです。
これ多分、私の印象では差別的な発言というよりも客観的にそう思ったんだろうなと思いました。
彼はそこからヤンキーの道といったらあれなんですけども、結局高校を一年で中退します。その後、地元の先輩について行って南で働いたり、大阪の繁華街であるそういったところで働いたり、東京に行って、やっぱりナイトワークですね、主に働いたり。
そこからコロナ禍になってしまったので、九州に行ったようです。鹿児島とか宮崎とか大分とかを点々として、ナイトワークだったりとか、あとはトンネル工事だったりとか、肉体労働もしてたそうです。
そこからは一攫千金というか、何か自分でやりたいという気持ちもあったようで、福岡に来たみたいです。
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福岡に来てどうやって仕事を探したかっていうところで、ここがちょっと私驚いたんですけど、よく繁華街に無料案内所っていう風俗とか水商売の女性を圧戦する場所っていうのがあるんですけど、そこで無料案内所に行って、そこで知り合った人から仕事を紹介してもらったそうです。
それが今回被害者である河野さんと出会うきっかけとなった会社のグループですね。河野さんはそこのキャバクラというか、会員制クラブの部門で働いていて、寺内容疑者は会員制クラブの女の子がですね、アフターで使うようなバーを経営しているグループだったそうなんですけど、そこのボーイというかで働いていたそうです。
バーのボーイとしても働きますし、クラブの黒服としても働くっていうことをしていたそうです。
そのように福岡に来てですね、寺内容疑者が働いていたという状況でした。
ここまでの話でですね、私はいろいろ思ったことがあるんですけども、まず彼がですね、格闘技を身につけて自分に自信が持てるようになったと。
喧嘩でも何人かかってきても、ひるまず戦うことができたし、いろんなことに対応できるようになったし、人との約束を守るであったりとか、強気を助け、弱気を挫くじゃないですけど、そういった心も養われたっていうことをですね、何か言っていたそうです。
これはですね、自分もすごくオーバーアップできるところがあって、自分はもともと体が弱くて、周りからそんなにリスペクトされないというか、強いてあげられたりしてたんですけど、格闘技と出会って、やっぱり自分が強くなれて、自分もいろいろ自信が持てたり変わることができたんですね。
彼も同じような出会いだったと思うんですよ、格闘技との出会いが。そこで私の場合は、やっぱり一緒に練習してくれる人、教えてくれる人、それを支えてくれるいろんな人がいるんだなっていうことが実感できて、すごくいいふうに転んだんですけど、彼は相手と戦うこと、そういう暴力とかヤンキーの道に行くことしかできなかった。
というところが、とても残念だなって思いました。自分はこの経験を通して、辛くても頑張るとか、目の前で本当におかしなこと言われたとしても、自分の方が強いし、いいかと思って受け流すことができるっていうのは、年取った今でも財産になっているので、とてもいいことだったんですね。
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もう一つ思うところがあって、彼は後に臨床心理師の先生がおっしゃってたんですけど、情報を受け取って処理するっていうのが、とても苦手だったみたいですね。コミュニケーションはすごく取れる人だったみたいです。
いろんな心理テスト、知能テストで、コミュニケーション能力は高いっていう数値が出てるんですけど、その代わりですね、想像力であったりとか言語能力であったりとか、社会的スキルっていうのがとても低いという結果が出たそうです。
これどういうことかというと、飲んでやり取りして盛り上がることはできるけど、よくありますよね。飲んでLINE交換して、この人いいかもって思うんだけど、言ってることが噛み合わなかったりとか、言葉があまりにも拙いみたいな人っていると思うんですよ。そういうタイプだったみたいですね。
例えば、学校にまともにちゃんと行ってなかったからっていうのもあると思うんですけど、徳川幕府は誰が建てたんですかっていう問いに対しては、織田信長ですって言ってみたり、太陽はどこから昇りますかって聞いてみたらですね、西ですって言ってみたりしたそうです。
私との違いをそこでも思ったんですけど、私も小さい頃、保育園ぐらいの頃は母が夜働いたので、おばあちゃんとおばさんとかと一緒に暮らしたんですけど、私は保育園の頃からずっと本ばっかり読んでたんですよね。
当時はそんなに難しい本を読めなかったんで、絵本とか小学校低学年の時は電気ばっかり読んでたんですよね。
ただ、彼はそういった本を読むとか知識を得るっていう機会にどうやら恵まれなかったみたい。もしくはそれが苦手だった可能性もありますけど。
なので、言葉を伝えられない、自分の感情をうまく言葉で表現するっていうことはやっぱりかなり苦手だったようで、想像力もないので、相手が自分の思い通りに動かないと裏切られたって勝手に思ってしまって激行するっていうタイプだったみたいです。
これも本当に不幸なところだなと思っていて、コミュニケーションができるんだったら、そこまで深く解説なかったんですけど、もっと言葉を知っていればですね、相手とやりとりができたんじゃないのか。
感情の表現であったりとか、自分がやられたことの説明っていうことができるんじゃないかというふうに思いました。
臨床心理師の先生も、自分の感情を表現するっていうことが全然できないタイプだったっていうことをおっしゃっていました。
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次にですね、彼の精神鑑定、よく聞いていて言われていたことなんですけども、やっぱり母性に対する欠乏とか渇望っていうのがあったそうです。
それはやっぱりお父さんから暴力を受けていた時に、もしかしたらお母さんに甘えられなかった、助けてもらえなかったっていうところがあるのかもしれないです。
そこがですね、年がだいぶ離れてますよね。だいぶというか、6、7歳くらい離れた母のさんに対して、甘えるじゃないですけど、そういうところもあったのかなって思わされるところですね。
私もそうですね、やっぱりちょっとあんまり恵まれない感じだったので、家庭がですね、20代、30代前半くらいまで、特に年の離れた女性とお付き合いすることが多かったですね。
そこはですね、わからんでもないんですけど、ある程度30代くらいになってくると、さすがに大人にならないといけないというか、自分の決断とか発言に意味とか責任とかを見出すようになったので、だいぶ変わってはいったんですけど、彼はそこまでに至らなかったんだなっていうのを考えると、とても不幸なことだったなと思いました。
なんでそう思ったかというと、やっぱり仕事の選び方とか、中須に行き着くまでの彼の人生の軌道というのが無軌道ですよね。これ法廷でも言われてたんですけど、あんまり先のことを考えずに無軌道に行動しているように僕にも見えるんですね。
いろんな人生があるので、無軌道に行動していたからといって犯罪を犯すというわけでもないんですけど、自立をちゃんとしていないなと思うんですよね。ちゃんと貯金をしていないとか、いろんなところをてんてんとしてば当たり的に生きているとか、
それって本当に自分が地に足つけて生きていかないと誰も助けてくれる人がいないから、正直死ぬみたいな感覚でずっと生きてきたので、そこが彼と違うところかなと思ってます。
もしも夜の仕事でも土木の仕事でも、ちょっとずつ周りから信頼を勝ち得て、少しずつ自分のポジション、居場所というのを彼が広げていくということができさえすれば、こういった事件が起こらなかったのかなというところが、今、彼に対して思う感想です。
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ありがとうございました。
今日は裁判聞くまでの傍聴権の取り方であったりとか、裁判所内のルールについて説明して、この事件の重要な1人である容疑者についていろいろ解説しました。
皆さん、いろいろ感想とはあるかと思いますが、もしあればTwitterXにポストいただくか、概要欄の方にご感想いただければと思います。ではまた次回、よろしくお願いします。