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2020-12-26 19:33

「千利休と天下人たち」第4話 織田信長

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茶道の祖として名高い千利休。一方で天下人との関わりの中で戦国の世に絶大な影響力をもった利休の生涯を描いたボイスドラマ。
今日に上洛した信長との出会いにより茶頭となり、堺との交渉を任された千利休。堺に戻り会合衆たちと矢銭2万貫という莫大な戦費の拠出を求める交渉に、利休は挑むことになった。


セリフ書き起こしはこちら:http://bit.ly/34NEN4K

●作・演出:岡田寧
●出演:
 千利休⇒西東雅敏
 津田宗及⇒平塚蓮
 織田信長⇒忠津勇樹
 三好咲岩康長⇒遠藤圭介
 三好長慶⇒谷沢龍馬
 ナレーション⇒大川原咲
●選曲・効果:ショウ迫
●音楽協力:H/MIX GALLERY・甘茶
●スタジオ協力:スタッフ・アネックス
●プロデューサー:富山真明
●制作:株式会社PitPa

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千利休と天下人たち 第4話
織田信長 A611年
1568年 足利将軍吉明を奉じて上落した織田信長は、
堺の町に夜戦二万丸を用意するように命じました。 今の数十億から数百億円になる大金です。
信長など、ただの田舎大名ではないか。 三好の敵ではあるまい。
いや、もはや三好の時代ではないのだ。 大金が三好から織田に変わるだけよ。
堺の町は、対織田の主戦派と和平派に分かれました。 主戦派は、野刀屋や弁屋などの古くからの江郷衆が中心で、
旧勢力である三好の復活をいまだに信じています。
一方の和平派の中心は、いち早く織田に取り入り、 半ば下信となった信仰の今井宗久です。
そして問題は、最大勢力の天皇寺や津田宗久がどう出るかでした。
李久は堺に戻ると、宗久をお茶に招きました。
しかし、李久さんには驚かされてばかりだ。 今をときめく信長様にお会いできるとは。
まさに長吉様のお導きです。
信長様が、それほど長吉公を敬愛されていたとは。
それに驚いたのは、三好の本文が瀬戸内の海上公益にあると感覇されたことです。
それこそがまさに三好と堺の繁栄の礎、 そして我が天皇寺屋の最も得意とするところなのです。
李久や北九州に末路を持つ北家州の営業力と、 三好水軍による瀬戸内の海運力によって国際公益ネットワークにアクセスできる、
それが堺の最大の武器であり、信長が本当に欲しかったものでした。
時日、種ヶ島に伝来した鉄砲は、このルートをたどっていち早く堺に運ばれ、 三好長吉の機内統一を果たしたのでした。
織田信長は飽きないがわかる。新しい武家だ。
宗牛様もそう思われますか。
しかし困ったことが一つ。
我が天皇寺屋は石山本願寺と代々のお付き合いがござる。
もし信長様が本願寺の首都である一皇一貴とことを構えるおつもりならば、 天皇寺屋は表だってはお力添えいたしかね。
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それでも結局、堺は夜戦二万丸を支払いました。
しかし天皇寺屋宗牛が危惧した通り、 やがて信長は朱門との争いの泥沼にはまり込んでいきました。
1570年から始まった石山本願寺との石山合戦は実に十一年間にもわたって続き、
信長はその間も比叡山天台北家宗と日蓮北家宗の争いに巻き込まれ、 長島や越前の一皇一貴にも苦しめられました。
ただ、これらはすべて宗教上の問題が直接の原因では必ずしもありませんでした。
市や公益の既得権を保ちたい朱門側と、 落市落座など物流ネットワークの改革を目指したい異政者との当然のごとくの対立だったのです。
そして信長にはこれらを打ち破る腕力と財力の源があったのです。 それが国際公益都市堺だったのです。
僧駅、僧牛はまだか?
まもなくこの岐阜城にご到着されることと存じます。
バンジー、ぬかりはないか?
風呂、茶、ご食事、すべて整いましてございます。
おう、乱者隊はどうした?
上様のお袖の内の白木箱に。
で、春香。
天章2年、1574年。
織田信長は岐阜城に天王寺や津田僧牛を招きもてなしました。
信長自らがご飯のおかわりを求し、 竹の尺までしたと言われています。
さらに乱者隊というのは信長が用意したスペシャルプレゼントでした。
これは奈良商倉飲魚物の貴重な鉱木で、
信長はこれを足利八代将軍吉政以来初めて切り取って所持していたのですが、
そのうちの一袋ずつを僧牛と李宮にあげてしまったのです。
天王寺屋に敵に回られると、 軍事、経済の両面で行き詰まってしまうからでした。
それほど天王寺屋は力を持っていたのです。
しかし天王寺屋は一方で、 反織田勢力とのパイプも繋いだままだったのです。
それが三好長吉の叔父、三好靖長でした。
靖長は長年老いである長吉の参謀を務めてきましたが、
長吉亡き後は三好三人衆と組んだり、
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あるいは織田家を飛び出した松永壇上と組んだりしながら、
ずっと反信長を通してきた癖者です。
ただし阿波の国三好本家に印然たる力を持ち、
天王寺屋とは三好長吉と同じほどに深い付き合いなのでした。
その年石山本願寺が再び信長に反旗をひり返すと、
三好靖長もこれに好応して反信長の動きを見せましたが、
逆に信長に責められて降伏しました。
そして靖長は堺州を通して信長に強順の意図を伝えてきました。
裏で天王寺屋が動いていたのでしょう。
翌天正三年、信長は三好靖長を京都松国寺まで召し出しました。
信長はその場に李宮も同席させました。
これは三好将冠殿。
信長様にはご機嫌うるわしゅう。
靖長は定発した宗教で、
岩が柵と書いて将冠という宝名を名乗っていました。
茶人としてもこの時代李宮ら三好将の先輩格にあたる存在だったのです。
信長とは敵味方で初対面のはずでしたが、
かねてより将冠殿にお尋ねしたききがあって呼びつけ申した。
その前に、持参したるこの名物三好を信長様に納め願いたく。
何?三好とな。まことか。
宗彦、これへ持て。
かしこまりました。
これはあの李宮か。
おお、久しいの。
将冠様、ご無事で何よりでございます。
うん、そなたもな。
長吉の叔父である将冠と李宮は顔なじみです。
宗彦、開けてみせよ。
千君三好長吉公の弟、実宮様より頂戴いたしたものでございます。
うん。宗彦、どうじゃ。
間違いございません。
これは河内の戦の折に高雄城にて六つに割れ、
それをこの李宮が実宮様よりお預かりし継いだものでございます。
天下無双の名物三好の茶壺にございます。
この李宮が継いだ三好の茶壺は、
その値打ち一万元とも言われたそうですが、本能寺の返で消失しました。
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何という巡り合わせか。
またしても長吉公の御縁か。
長吉様、やはり三好の宝は信長様へという意味なのでしょうか。
して、上様にはこの松原にお尋ねになりたい義徒は?
他でもない。長吉公のことじゃ。
長吉公は若干十一で厳復された後、本願寺一皇域との難しい交渉を見事にまとめられておる。
あれは火災であった松原殿の力が大きかったとお見受けするが。
千君は若干十一。
ただし本願寺の少女様もその時十九に荒らせられましたゆえ、
互いに腹を割るのに時がかからなかったのです。
私めは三好と周文の長いお付き合いを若いお二人に説いて差し上げただけでござる。
それよ。
そなた、賢女にもそれを悟してくれるか。
と申しますと。
この信長は長吉公の正当な継承者だと。
石山本願寺の敵ではないのだと。
家臣どもも石山との終わりなき合戦にはうんざりしておるのじゃ。
これには控えていた信長の家臣一同が驚きました。
信長は昨日まで本願寺と一緒に反抗していた敵の大将に
首をはねるかと思いきや、その本願寺との交渉をまとめろと言っているのです。
将軍、苦しゅうない。いる者は何でも。
あ、そうじゃ、この光秀にでもお申し付けよ。
確かに将軍様なら賢女様を説得できるだろう。
しかしあの明智様のお顔を見ればわかるが、
家臣の皆様にとっては面白くはないことじゃ。
明智光秀は比叡山の焼き討ちや、
越前一皇一騎の殲滅戦などもっとも精算な戦地を転戦させられていました。
しかも三好家は光秀の前の主君である足利将軍家とは因縁の間柄です。
面白いわけがありません。
さらに事態は光秀にとってもっと面白くなくなっていきました。
まんまと信長の家臣となった三好将軍安永は、
一度は石山本願寺との講和に成功するのですが、再び破綻。
というか、将軍にまとめる気など花からなかったのかもしれません。
天章四年。
ついに明智光秀が本願寺との戦に直接出動します。
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天皇寺の戦いと言われるこの戦で、将軍は早々に敵前逃亡を決め込み、
光秀は危うく死にかけるのです。
ところがなんと、信長自らが救援に駆けつけ、家楽も勝利します。
勝つには勝ったのですが、信長が足に鉄砲の弾を受け軽傷を負い、
光秀は過労で寝込んでしまいます。
それほど激しい戦闘でした。
さらに光秀が土佐の国国首である張祖壁本地下とまとめ上げた四国支配の計画が、
三好将冠の復権とともに保護になってしまったのです。
信長は一度は光秀を窓口として張祖壁本地下に四国を与えると約束しておきながら、
天章十年、将冠と三難の信長に阿波と佐渚を与えてしまったのです。
おまけに信長を三好家の養子に出し、張祖壁本地下を制伐するとまで言い出す始末です。
三好将冠安永に振り回された明智光秀は困り果てました。
ところでここからは想像ですが、
信長の将冠美意気にはこんな理由があったのかもしれません。
上様には新年の挨拶はいい。
それより曹易、そなたに尋ねたいことがある。
天章十年、1582年元日、
李宮は安土城天守閣の信長のもとに三賀に訪れていました。
そこは信長の天章思想を壁画にした黄金の間でした。
一面の金箔の上にマンダラや千人の棲む桃源郷が描かれ、天与が舞っています。
李宮は和美茶とは対極にある、その美しさに圧倒されました。
これが黄金の国ジパングじゃ。
え?
バテレンは日の素のことをそう呼ぶらしい。
左様でございますか。
ところで先ほど三好将官が参ってな。
わしに三好の宝を献上すると申すのじゃ。
三好の宝?
そなたが工夫した和美茶を持ってして天下人の資質を抱いた人物を見極めるのだ。
その男に我が三好の宝を譲る。
さて、三好の宝とは一体。
わしがそれを尋ねておるのだ。
そなた、三好公から何か聞いておらんのか。
いいえ、何も。ただ。
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ただなんじゃ。申してみよう。
三好公は天下を取るにふさわしき人物に三好の宝を譲ると仰せに、それがどんなものかは遂に知る機会がござりませんでしたが。
なんと、三好公が死下とそう申されたのか。
はい。
では将官の話。
あながち、ただのホラーではないかもしれるな。
実はな、将官が申すには、阿波の国の三好の里に兵家の隠れ里があり、あの安徳帝がお隠れになっていたという伝説があるそうだ。
そして鶴木山という山に三好の神器の一つである草薙の宝剣が埋められているという。
それは、誠に元旦らしくおめでたいお話でございませるが、いかにも将官様らしく。
はっはっは、宗益、そなたもそう思うか。
しかしな、実はわしの先祖にも似たような話があるのじゃ。
それによると織田家は兵家であるという。
そして越前鶴木神社というところに、佐能の御事の御霊が宿る宝剣が伝わっておる。
幼い頃、父上から本物じゃと教えられ、わしは今もそう信じておる。
阿波の国の宝剣も、将官はともかく長吉公が信じておられたのなら、ぜひにもきちんと調べてみたい。
そなた、すまぬが阿波まで行ってきてはくれぬか。
かしこまりました。
今年は漢博医か、打状大臣、左右大臣、内大臣を招いて茶会を開く。
仮にその宝剣が偽物であったとしても、面白き余興になるかもしれん。
佐能は宗益に頼む。
はっはっは。
その春、信長は朝廷より、打状大臣か、漢博か、正位大将軍のどれかを選ぶよう遂任されました。
それに先立ち、信長は扇町天皇に上位を要求したのです。
もしかすると、信長は皇室と隕石関係を持ち、平の広森のようになりたかったのかもしれません。
かくして李宮は、三好長吉の故郷である四国阿波の国に向かいました。
まだ長吉が元気な頃、弟実宮の茶会に招かれて依頼でした。
長吉様、三好の宝とは、誠にその宝剣のことでしょうか。
どうか、李宮を導きくださいませ。
李宮は三好一族の省水城から吉野川を遡り、深い谷を下り、険しい山を登って、その隠れ里に着いたのでした。
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来たか、李宮。
将軍様。
ここから先は聖域像。立ち入るにあたっては約束がある。
何でございましょう。
これから先で見聞きしたこと、決して後悔ならぬ。
もし金を破れば、天罰が下ると覚悟せよ。
作・演出 岡田康史 出演
千利休 斉藤雅俊
須田壮牛 平塚蓮
織田信長 忠津雄貴
三好将軍安永 遠藤圭介
三好永吉 谷沢龍馬
ナレーション 大河原崎
編曲 甲賀 松佐子
音楽協力 H-MIX GALLERY
アマチャ
スタジオ協力 スタッフアネックス
プロデューサー 富山正明
製作 株式会社 ピトパ
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