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2020-12-15 14:38

「千利休と天下人たち」プロローグ

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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史は、日本の歴史の一部の場面を切り出して、その時々で命を削りながらも懸命に生きてきた人物にスポットを当てて、ボイスドラマとして再現した番組です。
シーズン3は「千利休」の生涯を描きます。茶道・侘茶を大成させた人物として有名な千利休。しかしその実態は、3人の天下人たちとの深い関わりから生まれてきた戦国に生きた武将さながらのすさまじい人生。
本編のドラマを聴く前に時代背景や事の成り行きについて、このプロローグでナビゲーターが解説いたします。
ある程度時代背景をご存知のリスナー様は、第1話のドラマ部分よりお聞きいただいても十分に楽しめる作品にしております。

●ナビゲーター:熊谷要子
●プロデューサー:富山真明
●制作:PitPa(ピトパ)

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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史、ナビゲーターを務めます熊谷陽子です。
この番組は、日本の歴史の時々で、命を削りながらも懸命に生きてきた人物にスポットを当てて、ボイスドラマとして再現いたしました。
このプロローグでは、本編をより楽しんでいただくために、物語の時代背景、登場人物、またその時に起きた事件などを簡単にご紹介するエピソードです。
歴史について詳しい方は、いきなり本編からお聞きいただいても楽しめる作品ではございますが、それも含めて簡単におさらいしたいなと思われましたら、ぜひこのプロローグから聞いてください。
それでは早速、シーズン3のエピソードをご紹介していきましょう。
今回取り上げる内容は、千利休と三人の天下人です。千利休ってお茶の人っていうイメージがありますよね。
私も表千家の茶道を習得しておりまして、利休百種という千利休の教えを和歌にしたものがあるんですけれども、そういったものをお勉強させていただいたりしておりました。
印象に残っているのは、
習いつつ、見てこそ習え、習わずに、よしよし言うわ、愚かなりけり。
まずはチャレンジしてみましょうよっていうような内容だと思うんですが、こういった心の在り方とかもてなし方なんかをですね、学んだりするわけですけれども。
実はこの千利休はですね、そういった優雅なマナー教室の先生なわけではなくてですね、戦国時代の真っ只中を駆け抜けた人ですから、文化人として茶道を体制したということよりも、
実際は今回ご紹介する3人の天下人と深く関わり、政治面での活躍が強い人物だったんです。
ではその3人の天下人とは一体誰なのでしょうか。
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天下人というとですね、3人セットになっているというと、小田信長、豊臣秀吉、徳川家康と来るかと思うのですが、今回ご紹介する天下人は小田信長と豊臣秀吉はご紹介します。
そして信長よりも以前に京都を中心とした紀内、今の近畿地方ですね、この紀内を全域初めて制圧した大名がいるんです。
近年、研究者たちが戦国時代の最初の天下人は実はこの人ではないかと注目を集めているその人の名は三好永吉。
今回はこの三好永吉、小田信長、豊臣秀吉、この3人の天下人になります。
さて千利休、この利休という名前はいわゆる豪という今でいう芸名みたいなものですね。
ですので本名があるんです。
本名は田中芳郎と言います。
結構普通な名前ですね。
普通な名前だったんですけれども、この芳郎は1522年に大阪堺の魚どん屋の子供として生まれました。
いわゆるお茶の道については17歳の頃から始めたという記録があるんですが、
基本的には堺の庶民として繁盛を過ごしております。
後に出家して千双益と名乗るようになります。
この当時の堺という町はですね、また非常に特殊な町でして、
中国、その時は民国ですね、中国とは言わず民国ですね、とか琉球、
あとヨーロッパ、南蛮諸国との貿易の中継拠点として国内外の、
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それはそれは多くの商人たちが行き交う町だったようなんです。
戦国の世にありながら町として非常に栄えていまして、
この堺の商人たちによる自治で成り立っているという特別な地域だったんですね。
その堺の繁栄に目をつけたのが阿波の国、今の徳島県ですね、
この大名であった三好家でした。三好家の党首三好本長は室町幕府の官令、
細川家の内紛に乗じて細川家の細川春本と手を組んで堺を支配します。
この三好本長が今回の一人目の天下人として紹介する三好長吉のお父さんにあたる人物なんです。
なかなか歴史の教科書で紹介されることがない三好長吉ですが、生まれは1522年、
なんと李宮と同じ年の生まれだったんですね。長吉の幼少期の名前は千熊といいます。
父本長がこの堺を支配した時に一緒に堺に移り住んでくるんですね。
これが千の李宮、田中義郎と三好長吉、千熊の運命的な出会いのきっかけになるんです。
吉郎と千熊は堺にある臨済宗大徳寺派のお寺、南周庵の大臨相当のもとで、
共に禅を学び平穏な日々を過ごします。しかし世は戦国。
父三好本長が堺において力を持ちすぎたために手を組んでいたはずの細川春本に疎まれて、
計略によって自害しなければならない状況に追い込まれてしまうんです。
この時吉郎と千熊はまだ十歳なんですね。
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窮地に追いやられた千熊は仕方なく阿波の国に逃げ帰って、
吉郎との一時の別れを余儀なくされてしまいます。
ですがここからの三好長吉の巻き返しがすさまじいんです。
十二歳で幻復後、細川春本と和解をします。
しかも春本の下心になりつつ力をつけていって、
最後にはその春本、さらには時の将軍足利義輝をも抑えて、
京都を中心に、機内全域を支柱に収めるまで大躍進いたします。
そして何を隠そう、この大躍進の支えになったのが、
筑波の友、千利休、田中吉郎と堺の商人たちだったんです。
三好長吉は1564年、43歳で病死しますが、
利休はその後、織田信長、豊臣秀吉に茶道、
これはお茶に頭って書くんですね。
簡単に言ってしまえば、お茶会のホスト役として使える人ですね。
まあこれになっていきます。
この茶道という役職っていうのは、どれぐらい重要な位だったかと言いますと、
豊臣政権時のナンバー2と言われた秀吉の弟、秀長が新しく参加に入った部署、
まあ新人部署というんでしょうか。
まあこういった人たちに対して教示するときにですね、
公のことは私に、内々のことは利休に相談せよと言われたくらい絶大な地位にいたということなんです。
しかしそんな利休も茶人としても政治人としても絶頂にあった1591年、
主君秀吉から切腹を命じられます。
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武士でもない利休が切腹をするということは、
異例中の異例でありまして、またなぜ利休が秀吉から切腹を命じられたのかは、
今も理由ははっきりと実は分かってないんですね。
しかし今回私たちは、この理由を三好長吉と利休の関係が影響しているという大胆な仮説を立ててですね、
挑むことにしました。
この利休と3人の天下人との関係はどのようなもので、
どのような繋がりがあったのか。
幼馴染の三好長吉のみならず、なぜ信長や秀吉までもが利休を重宝したのか。
そして利休はなぜ秀吉に切腹を命じられたのか。
このあたり本作ならではの解釈も加えながら、お話を展開していきます。
千利休という人物が、歴史的見知からは単なる茶人というだけではなく、
深く安土桃山時代の政治に関わっていたということをご紹介できたらなぁと思っております。
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史シーズン3千利休と天下人たち。
どうぞ最後までお楽しみください。
本編の各エピソードには台本書き起こしのリンクを貼っておりますので、ぜひこちらも合わせてご覧ください。
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