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2020-12-03 18:33

コーヒーの歴史 日本編

 
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おはようございます。
今日もコーヒー飲んでますか?
コーヒー沼で泥遊び、パーソナリティーのしょーへいです。
こんにちは、こんばんはの時間に聞いてくれているあなたも、ちょっと一服していきませんか?
今日は12月の3日、木曜日でございます。
毎日ね、あっという間なんですよね、ほんとに。
1日こんなに早く過ぎるって思って、やりたいことが山ほどあるんですけど、
ずっとずっと執筆中だと言っているKindle本、500文字ぐらいしか機能は進みませんでしたね。
優先順位とかを決めるのがなかなか難しいなとか思っております。
一番はやっぱり家のことなので、家事をしたりだとか子育て、家族でお散歩行ったりとかね、
そういうことはちゃんと優先できているかなと思うので、やるべきことはやっているかなとは思いますけれども。
とにかくうちの子はよく動くんですよね。あんまり寝ないですし。
子供を遊びながら他事をやるっていうのはなかなか難しくて、いや難しいというか無理ですね。
そういうもんなんですけど、パソコンを開いてとか携帯をポチポチしながらっていうのはなかなか難しいので、
インプット音声配信聞いたりぐらいですかね、できることといったらそんなもんです。
昨日は夜9時頃からコラボライブをスタンドFMの方でさせていただきまして、遊びに来てくださった皆さんありがとうございます。
内田亜佑美さんことウッシーさんですね。
ウッシーさんが今度またミクチャーをやるっていうこともあって、それの宣伝も兼ねて、
コーヒーとプリンっていう形で新しくライブを定期的に開催できたらいいねとかいう話になって、
昨日は終わりましたけれども、そんなライブに来てくださった中にですね、
新しくウッシーをフォローしてくださった方とか、これから応援してくれるって言ってくれてる方がたくさんいらっしゃって、
とっても嬉しい話でございます。
僕のお友達なので、ぜひぜひ応援していただけたらいいなと思います。
では今日の本題に入っていきますけれども、
毎週木曜日はTBTスローバックサーズデイ、過去を振り返るコーナーということで、歴史の話とかいろいろさせていただいております。
本日のテーマはコーヒーの歴史、日本編ということでお送りいたします。
この番組はコーヒーは楽しい、そして時には人生の役に立つというテーマのもとをお送りする、
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毎日10分から15分くらいのトークラジオとなっております。
皆さんの今日のコーヒーがいつもよりちょっと美味しく感じていただけたら嬉しく思います。
さて、この歴史のコーナーですね。
以前からちょくちょく話しているような気もするんですが、僕結構この歴史の話苦手なんですよね。
苦手なんだけど、こういう音声配信というアウトプットの機会を利用して、
強制的に勉強する機会にしようと思って、今まで頑張ってリサーチをしてお話をしてきたんですけど、
なかなか時間を取るのも難しいし、まとめるのも大変なので、定期的に毎週できなかったりとかいうことも続いておりました。
今回もやっぱり台本を書いたりとかする時間がなくてですね、どうやったら続けられるかなと思ったんです。
もちろんこの歴史の話をやめるっていうのも一つの選択肢ではあるんですけど、やっぱりこの僕自身も勉強をしたいしということで考えたんですよ。
考えてみたんですけど、もうこの歴史の勉強をしている姿自体をコンテンツにしてしまえばいいのではないかと思いまして。
今回ちょっと初めての試みなので、どういった感じか皆さんが聞いてみて、ちょっとやめといた方がいいんじゃないとか、面白かったよとかいうご意見はいただきたいなと思うんですけど、
僕自身が歴史の関係で調べて引っ張り出してきたいい感じの記事を読みながらちょっとそうなんだみたいに理解していくっていうことをやっていきたいなと思いまして、
今回ちょっとこういう形を取らせていただきますが、コーヒーの歴史のお話ですね。
それも日本編ということで、日本にどのようにコーヒーが伝播して、そして全国に広がっていったかというお話をしたいと思います。
まずですね、日本にコーヒーが伝来したのはいつ頃かと言いますと、江戸時代の話になります。江戸時代の初頭、長崎の出島にコーヒーが入ってきたみたいです。
最初はですね、西欧諸国でコーヒーハウスというのが次々とオープンしていって、コーヒーの文化と呼べる芸術、文学というものが開花していったんですけれども、その頃ちょうど日本は鎖国中ということで、なかなかそういうコーヒーが入ってくる機会はありませんでした。
で、このコーヒーが長崎の出島、鎖国中でも唯一海外との取引ができた場所ですね。ここのオランダ商館の設立の時にたまたま持ち込まれたんじゃないかと言われているそうです。
ただこの頃ですね、外国人、この出島にいたオランダ人たちに接触できた人間というのがすごく限られていまして、役人、商人、通訳、友情などなど限られた人たちだけでしたので、ほとんどの人はコーヒーに触れる機会なんてなかったんですけど、ここら辺の限られた人が、いわゆるこのコーヒーの味を知ることができたと言われています。
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これは1776年に発行されているツンベルグ日本気候という本に、日産の通訳のみがようやくコーヒーの味を知るのみであるという記述があるので、そういったことが言えるのではないかと言われております。
なのでこうせっかく出島にコーヒーは入ってきていたみたいなんですけれども、なかなかこの江戸の人たちにコーヒーが伝わるということはなかったみたいですね。
実際にこの本格的に全国的に普及していったのはいつ頃になったのかというと、明治の半ばを過ぎた頃の話に一気に飛ぶわけです。
明治の頃というと、ようやく西洋文化がしっかりと取り込まれた時期、文明開化とか言われる頃でしょうか。
そういった憧れとかもあって、西洋文化の象徴であるコーヒーを積極的に受け入れようとしたという背景があるようです。
長崎、神戸、横浜、函館などの外国人居留地というものがどんどんと作られて、そこで外国人から接待を受けたり、
欧米諸国へ施設とか出撮留学などで、海外に行って向こうの食事とかをしてきた人たち、
そういった人たちがまた帰ってきて、日本で洋食とかコーヒーを普通に口にする機会が増えたのではないかと言われています。
まあでもここまで聞いて、まだまだ一般的に広まる感じじゃないなぁとは、皆さんも大思いになると思うんですけれども、
どうやって全国的にバーッと広がっていったかと言いますと、勝飛茶館というコーヒー屋さんがキーになってきます。
このコーヒー屋さんはですね、日本で最初の本格的なコーヒー屋さんと言われていて、
テイさん、テイ・エイケイさんという日本人の方なんですけど、この方がこの勝飛茶館を開いたことによって、
ここを起点に全国的にコーヒー屋さんが広まっていくという流れがあったそうです。
このテイさんはですね、1888年にアメリカに留学、帰国後に教育者などになって、そのいろんなキャリアを経てですね、この店、勝飛茶館を開いたそうです。
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文学者、芸術家たちが集うフランスの文学カフェをイメージして作った場所で、
残念ながら数年後には閉店せざるを得ませんでした。
え?
ほら、ちょっと、あの、どういうこと?
すいません、あの、記事をね、読んでる感じになるんでね、
僕、完全にここから広がっていったんだって思いましたよね。
違ったわ。
えーと、ちょっと続き読んでいきますね。
コーヒーの輸入量を見ても明治10年の初めの時点で18トン、21年の時点で60トンに増え、明治40年代になっては80トン程度にはなりますが、まだまだ多いとは言えず、一般の人たちに普及する量ではありませんでした。
で、喫茶店がいくつも開店し、ハイカラ好きの人々や文化人、芸術家がそこに集い、コーヒー文化と呼べるものが日本に根付き始めたのは明治の終わり近くになってからのことだったそうです。
じゃあやっとここから、日本全国にコーヒーが広まっていく時代っていうのが迎えられたわけなんですけれども、そのきっかけというのが日本でのコーヒー文化の先駆け、パンの会、コーヒー愛好家の会だそうです。
これは森鴎外が指導して1909年に創刊された文芸雑誌、スバルのメンバーである北原博集、石川卓北、高村幸太郎、佐藤春男、永井嘉風などが、日本橋、小浜町の名尊幸之というところを利用して毎月会合を持っていたのがきっかけだそうです。
スバル、聞いたことありますね。ここでやっと知っている情報が出てきました。この辺は学校の歴史の授業で習った覚えがありますね。
この名尊幸之では本格的なフランス料理や洋酒、コーヒーなどなど、フランス式の深入りコーヒーとかを出していたそうです。
ここは文子の社交場、物書きの人たちの社交場になっていたみたいなんですけれども、こういう感じのカフェというのがどんどんと日本国内でできていったそうです。
この色々とできていった時点ではまだまだ敷居が高い、一般の人にはなかなか入りづらいようなコーヒー屋さんだったわけですが、カフェパウリスタというコーヒー屋さんができまして、ここがいわゆるきっかけ、火付け役となって、いろんな一般の方たちにコーヒーが飲めるようになったということです。
カフェパウリスタは有名なお店ですね。僕もこれ名前はよく聞くんですけれども、いまだに銀座の方にあるようなお店ですね。100年たった今でも現役で続けられているコーヒー屋さんです。
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このカフェパウリスタはですね、なぜそんなに多くの人たちに支持されてコーヒーを広めることができたかというと、だいたいこの高級西洋料理店というように言われていた銀座のプランタンだったりとか、これも名前よく聞きますよね。
さっき言われていたメイゾンコーノスみたいなお店、当時コーヒーは15銭ほどだったそうですね。ここのこの15銭という金額が高いわけです、一般の人からしてみたら。しかしこのパウリスタでは約5銭、3分の1程度の金額で飲むことができたため、しかも本格的なブラジルのコーヒーを提供していた。
そのため、どんどんと流行りまして、全国に店舗を展開していくような形になったそうです。
その後ですね、昭和に入ってからどんどんと需要を伸ばしていきますが、第二次世界大戦でコーヒーは敵国飲料として輸入禁止となります。
日本人の生活からは一時はコーヒーが姿を消してしまうわけですけれども、戦後昭和25年からまた輸入が始まり、コーヒーは平和の使者とばかりに人々を感激されましたという感じでね。
いやー、なかなか長かったですね。すみません。読みながら説明をしていく感じにしたんですけれども、どうでしょう?伝わりましたでしょうか?
僕は一応なんとか頭に入りましたので、一回配信これで撮ったので、次回から日本でのコーヒーの歴史について教えてくださいって言ったら、さらで言えるようにはなったかなっていう印象です。
パウリスタが結構いい仕事をしたような感じですね。今のお話ですと。
このちょっとコーヒーパウリスタについてもうちょっと詳しく調べてみたくなってきたところですけれども、今日はこの辺で終わっていきたいと思います。
このコーヒーの歴史を、僕が勉強している感じでお話しする初めての試みだったんですけれども、いかがでしたでしょうか?
あんまりね、いやちょっとそれは聞きづらいんちゃうっていうご意見が多いようでしたらね、ちょっとやめようかなと思いますけど、僕はなかなか個人的にはありなんじゃないかなと思いました。
でも面白おかしく話ができてるかって言ったらまた微妙なところですよね。難しいな。でもこのコーヒーの歴史の話、なんとか続けていきたい。
今日はガッツリと歴史の話でしたけど、以前したようなスターバックスの創業の話とか、ビジネスにつながるような話もできるかなと思ってますんで、このコーナーはなんとか続けていきたいといった感じでございます。
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こういう風にしてみたらとか、これ扱ってみてよというような話がありましたら、ぜひ皆さんからご意見いただけたらと思います。
どうもありがとうございます。それではここからはですね、コメント返しのコーナーです。
コーヒー沼でドラ遊びではいただいたコメントに声でお返事をしています。
ヒマラヤでは聞いていただいている番組にコメントをしていただくことができます。
PCや他のアプリからはコメントができないので、ぜひぜひヒマラヤアプリをダウンロードしてお聞きください。
昨日のブルーボトル羊羹ですね、紹介させていただきました回にコメントいただいた方お返ししていきます。
お二人の方からコメントをいただいております。
まずはKさん、いつもありがとうございます。
ブルーボトルの羊羹気にはなっているけれども、食べてないです。ちょっと食べてみたいです。といただきました。
ぜひぜひ食べてみてください。かなりいい体験ができると思います。
その羊羹自体の概念も結構屈がありますね。
僕が思ってた普通の羊羹、小豆の坊。
小豆の坊って語彙力がね、ちょっと乏しくて申し訳ないですけど。
本当にね、あの一般的によく言われているような羊羹とは全然違う味でしたね。
イチジクとかクルミが効いて、もはや全く別のチョコレートではないんだけれども。
あるじゃないですか、チョコレートにいろいろ入っているやつ。レーズンとかクルミとか入っているようなチョコレート。
あれの羊羹バージョンみたいな感じで。
まあダメだな、ダメだ。あんまり説明が上手じゃないんですけど。
羊羹の概念が屈がりますんでね、Kさんぜひぜひ試してみてください。
ネットでも購入が可能ですので、近くにブルーボトルがない方でもお試しいただけるかと思います。
ぜひお試しください。Kさんコメントありがとうございます。
続きまして足つぼ市の毎日健康ラジオゆうりさんからコメントいただいております。
こちらは美味しそうですといただきました。
まさしく美味しいですとお返しさせていただきます。
お子さんでも食べれるかな。あ、でもちょっと洋酒とかが効いてたりラム酒かな。
あたりが効いてるような味なので大人の味といったところですね。
ゆうりさんが。子供さんはちょっと食べれないかもしれないですけれども。
コーヒータイムのお供にいかがでしょうか。ぜひぜひ食べてみてください。
福岡はね、ちょっとブルーボトルないのでネット販売になりますでしょうか。
そちらお試しいただけたら嬉しく思います。
さあ今日はキンドル本の出筆進むのかな。進むのかなじゃないね。進めていきます。
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頑張って進めていきますね。
あとはですね、昨日ありましたうっちぃさんとのコラボに関しましてはアーカイブが残っております。
スタイフのライブが落ちてしまいまして毎度のことながら前半はまた消えてしまったんですけれども。
後半戦ですね。40分ほどアーカイブ残ってますのでよかったら聞いてやってください。
それでは今日は終わっていきたいと思います。
次はどの声とつながりますか。引き続きヒマラヤでお楽しみください。
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