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2024年10月18日金曜日、毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
日々生きてるとね、効率よく生きようとしちゃうんですよね。もうこれ無意識のうちにやと思うんですけど、何々しながら何々するっていうことが結構日常的になっていて、
効率よく過ごせたなぁと、こなせたなぁと思う瞬間もあったりするんですけど、
それで時間をお得することもあれば、それぞれの濃度が薄まってるなぁって気づいたことがあって、
よくやるのが、食事しながらスマホを見るっていうことをね、またやってるなって思うんですけど、
これをやることで、同じ時間内に食事することと情報を入れることができるっていうね、
時短になってるとか効率よく動けてると言えばそうやけど、濃度薄まってんなって思ったんですよ。
例えば情報を入れることやったら、食事しながら耳で聞くとか動画見るとかね、文字を追うとかって、
結局これってでも取りこぼしてもいいようなもんしかその時間にはやってへんなってことに気づいて、
ほんまに勉強したいことって食事しながらは絶対しえへんし、文章書きながらとかね、文字をしっかり指で追いながら勉強するので、
どうでもいい娯楽でやるとか、覚えとかんでいいようなもんしかやってへんなぁと思って、
だからこそそうやって食事をしながらっていうことができるんやろうけども。
それともう一個は食事の方ですよね。情報の方はおろそかになってもいいようなもんかもしれへんけど、
食事はというと、食べてしまえば栄養素としては動画見ながらでもテレビ見ながらでも食べてしまえば栄養素になるんやけど、
そのものを味わうっていう意味では、やっぱ意識がそこにないと味わいきれてへんなって、そのことに気づいたんですよね。
食事を食べるっていうね。量を足すだけでは何かしながらでもいいけど、味わいきる。
最近それに気づいたのがお米なんですよ。やっぱ新米。新米がね、こんなにおいしかったなってことに気づいて、
今まではだから米に集中してなかったんですよね。他のことに意識がいって。
だからこれは米に限らず、一つ一つのおかずや食べ物に対してそこに意識がいくと、もっと深く味わえるんやなと思いました。
新米がね、こんなにおいしかったんかと思った日は土鍋で炊いてたんですよね。
今まで炊飯器やから、土鍋で炊いたからおいしいなったんちゃうかっていう単純比較ができひんかったから。
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その次の日以降は炊飯器で炊いて、どんなもんかと。
そしたらもう数日前に食べてた小米の炊飯器の味なんて覚えてないんですけど、結局今食べてるこの新米はうまいなと。
ちょっと固めに炊くのが好きなんですけどね。水分多いから水も少なめにって感じで炊いて、おいしいなと。
お米を味わいたいから、味の濃いおかずはなしにして、ご飯のお供としては鮭フレークとかね、なめたけ、えのきだけとかね、にしても味強いしそっちに引っ張られるんですよ。
ほな塩昆布やと思って、塩っぺ塩っぺ言ってたけど、塩昆布ぐらいやったらそんなに邪魔せへんやろうと思ったんですけど、やっぱ塩の味とか昆布の味っていうのはご飯そのものの味だけに比べると強い味になるので引っ張られると。
ほなもうそのことを米だけにしたれと思って、ここ数日朝ご飯は米だけにしてるんですよ。炊きたてのご飯をお茶碗によそっていただきます、それだけ食べる。
そこに集中して食べるとね、まあうまい。米ってこんなにうまかったよなと。今まで生きてきて思ったこともあるけど、改めて今ここに来てうまいなと思って。
数日これ、今の自分のマイブームとして続くやろうなと思って。
もう悩ったら、実は今日は米でしたみたいなね、去年の米使ってましたみたいな、なっても僕たぶん気づかへんやろうし、うまいうまいって食うんやろうなと思って。
そう思ったら今までご飯の食べ方もったいなかったなと思ってね。
単純に腹を満たすためだけのかさ増しであるとか、ペールトーンを作るための白の絵の具みたいな、とか、ハイボール作るための炭酸みたいな。
なんかそういう扱いになってたなと思って。もうそのものだけの魅力をもっと味わいたいな、気づいたんやったらね。
しばらくこのブームが続く間は、そんな食べ方をするっていうのもオツやなと思って。
それからその意識の分散っていうのは、効率よいんかもしれへんけど、濃度が薄まってんなって思ったっていう話。