1. 積ん読ざんまい
  2. 第11回 ブック・オブ・ザ・イ..
2022-01-17 1:32:24

第11回 ブック・オブ・ザ・イヤー2021

今回は2021年に読んだ数々の本の中から、特に印象深かった本について熱く語っています。(いつもより長めでお送りします)

【マト文庫のベスト本】
・路上にあるのは希望か、それとも…『ノマド 漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー 著/春秋社)
・元ギャングたちのパパ会『プロジェクト・ファザーフッド アメリカで最も凶悪な街で父になるということ』(ジョルジャ・リープ 著/晶文社)
・全編パンチラインだらけ『ヒップホップ・モンゴリア』(島村 一平 著/青土社)
・理解しがたい他者と共に生きる困難さ『精霊に捕まって倒れる』(アン・ファデマン 著/みすず書房)

【カジワラさんのベスト本】
・半地下じゃない!『女ふたり、暮らしています。』(キム・ハナ、ファン・ソヌ 著/CCCメディアハウス)
・某ゲリヲン発〜某回戦経由〜『塗仏の宴』(京極夏彦 著/講談社文庫)
・働くことは生きがいか、それとも苦役か『三千円の使いかた』(原田 ひ香 著/中公文庫)

【参考まで】
・本屋プラグラジオ vol.17 「語らずにはいられない、モンゴル・ヒップホップの魅力」 https://open.spotify.com/episode/7rjMqx1NfmDbFacmFKAn01?si=37HzTkC8S_KMwLKQ4Nx7jg&utm_source=copy-link

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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日記すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文子です。こんにちは。梶原コーヒーです。今年もよろしくお願いいたします。今年もよろしくお願いいたします。
そんなわけで、今回は、もう年明けちゃいましたけれども、2021年に読んだ中でベスト本ですね、ブック・オブ・ザ・イヤーの本と、あとは、積ん読になっている本で、今年は読みたいなというような本の紹介。
積ん読オブ・ザ・イヤーって感じですか?
積ん読オブ・ザ・イヤーについて、ちょっと当たっていこうかなと思います。
じゃあ、先にブック・オブ・ザ・イヤーの方から順に話していきますか。
そうですね。お互いブック・オブ・ザ・イヤーやってからの方がいいんじゃないですかね。
そうですね。はい、じゃあまずは的文子から話していきますが、ちなみに去年読んだ冊数が56冊読んでましたね。
これ、多いのか少いのかが、ちょっとよくわかんないんですけど。
でも、冊数でいうと、その冊数だけども、またページ数にすると違う場合がありますからね。
そうですね。今回結構大物いましたね。500ページ超えとか、そのぐらいのものがあったので、それに対しての56冊だったら、まあまあ読んだ方なのかなっていうところですかね。
ですね。
長編とかも読んでましたしね。パール・バックの第一とか、これが全4巻かな。で、あとアンナ・カレイナが全4巻。
そうですね。読んでましたね。
長編っていうかね、読んでますからね。
読んでましたね。で、56冊の中からのベストですね。
何冊かはあるんですけれども、ちょっとその中でもっていうものを紹介していくんですが、まずはジェシカ・ブルーダーさんという方が書いた、ノマド・漂流する高齢同僧者たちですね。
これは、映画のノマドランドの原作になったドキュメンタリーですね。
実はこのポッドキャストで収録はしたんですけれども、ちょっと音源の音質があまりにもノイズが入りすぎて、お蔵入りになってしまったっていう回で取り上げた。
お蔵入りになっちゃったんでしたっけ、あれ。
ちょっとね、お蔵になってしまって、ちょっといつかまたこれについてはお話ししたいなっていうところはあるんですけれども、内容としては副題にある、漂流する高齢同僧者たちっていうタイトルが示している通りに、
アメリカが、これ舞台にはなってるんですけども、もう家賃が払えなくなってしまって、もう家を手放さざるを得なくなってしまった人たちが、課題道具を全部自分の車に乗せて、車中泊をしながら、仕事を探しながらアメリカ全土を漂流している。
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で、主にそれが高齢者の方たちが今そういうような暮らし方をしている人が増えているっていう、それを追ったノンフィクションですね。
映画になったっていうのもあって、これ再版というか、2018年にもともと出てはいるんですけれども、映画でアカデミーの作品賞とかいろいろとって話題になって、去年また擦り直して、本の方も話題にはなってはいるんですが、これなんで去年読んだ中で印象に残ってるかっていうと、ちょうどこれ読んだ時に私も無職だったので、
仕事を辞めて、その時にこれが書店で出ているのを見て、意外と人事じゃないなっていう感じがしまして。
でもあの時に私も思ってたのは、やっぱり年齢を重ねてきて、ちょっとそういうのが身近になってくるっていうか、自分がこれからどうやって働いて、政権を立てていくのかっていうのが、やっぱり20代の時なんかよりは完全にそっち側に近くなってきているので、やっぱりちょっと自分のことも考えて、
なんか話したような気がしますね、あの時。
そうですね、やっぱりその日本も今そうだと思うんですけれども、就寝雇用で一つの仕事でもうずっと長く働いて、で定年を迎えて、あとはその退職金とかそれまで貯めた貯金で、悠々時的に10秒まで過ごすっていうようなライフプランがもう成り立たなくなってきたと。
もう途中でリストラとか会社が倒産してしまうとか、そういったリスクが誰にも起き得るような社会になってきたと。
昔から無窓っていうか、季節労働者みたいな形で出稼ぎに行ったりとか、特に定職を持たず、いろんな職を流しのように生きている人たちっていうのは一定数いたと思うんですけれども、
それってやっぱり今までは結構特殊な存在だったと思うんですが、そういう生活をせざるを得ない人たちがどんどん増えていると。それは景気っていうのもあるし、今までは製造業で会社がガッチリ全部、ユニカムから墓場までじゃないですけど、もう家から何から全部用意して、仕事を引退した後も面倒見るよっていうような、そういう社会ではなくなってきたと。
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そうですね。あとはなんか、昔は、昔はっていうか、若い時はっていうのかな、季節労働っていうか、夏だったら海系の仕事をして、冬だったら冬山の、そういうロッジとかで働いて、また季節によって沖縄の方に行って、サトウキビの収穫とかやってたりする人たちも、
今も一定数いるのかもしれないですけども、それともまた違って、そういう季節ごとに働く人たちは自分の意思でやってるけれども、やらざるを得なくなってるっていう変化を感じますよね。
そうなんですよね。
自分が選んでそうやってるわけじゃなくて、気づいたらいつの間にか、そういうふうに渡り歩かなくては仕事が得られなくなってしまったっていうのがまたね、ちょっと感じるところっていうか、思うところというか。
そうなんですよね。で、これ一応その主人公というか中心になっている方がいて、その琳妲さんって女性の方を中心にこのノンフィクションって進んでいくんですけれども、その琳妲さんにしても、ずっとその若い時からいろんな職について働いては来てきたんだけれども、離婚を経験したりとか、
あとリストラを経験したりとか、あと自分で事業を起こして会社を起こして、それなりに儲けてたりはしたんだけれども、その共同経営者に裏切られたりとか、いろんなそういうふうに見舞われて、でもずっと働いては来てたんですよ。
ただ、最終的にはもう年齢ですね。60も過ぎてくると、今度も雇用をなかなかされなくなってくると。いろんな仕事は探すんだけれども、自分に見当たりはないですけど、希望するような職にはつけなくなってきて、つけたとしてはものすごく安い時給だし、その安い時給、仕事すらつけなくなってくるっていうような状況で、本当についにもう家賃も払えなくて、
子供の住んでる家に行くんだけれども、その子供もやっぱり貧困で、家賃が払えるかどうなるかっていうような瀬戸際みたいなところで、だからもうそこからも出ざるを得なくなって、もう一時は本当にガス爆発で腰死のうかしらっていうところまで行くんですけれども、
でも、ペットを飼ってた方で、このワンちゃんと一緒にそんなガス爆発なんて無理ってなって、その時にネットで見た社中泊でこうやって暮らせるよっていうようなブログを見て、それでこういう方法もあるのかというのを知って、自分の車を改装して、
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アマゾンの倉庫とか、あとはキャンプ場の管理の仕事とか、そういう仕事を渡り歩くっていうようなエピソードがありまして、これ読んだ後なんですけど、読みながらすごく世知辛い話がどんどんいっぱい出てくるんですけれども、ただなんか読み終わった後はそんなに暗い気持ちにならなかったんですよ、不思議なことに。
で、これが希望っていうとちょっとまた違うのかもしれないですけど、結局ずっと家にいて、もう自利品のとこまで追い詰められて、結局中には自殺してしまう人っていうのがたくさんいるんだけれども、リンダさんはもうそこを勇気を持って、もう路上に出るんだって言って、自分で仕事を探しに行くんだっていう、そのガッツですかね。
で、この人はなんか最終的にはその持続可能なエネルギー、廃品とかそういうものを使って、自分で土地を買って、そこにもうずっと住める家を作るんだっていう目に満身して仕事をしてるんですけれども、ものすごく大変な生き方の話ではあるんですけれども、全く希望がないわけではないし、そういう生き方もあるのかっていう、ただすごくリスクは大きいですけれども。
そうですね。
ただなんていうか、さっき言ったように、今までみたいにもう定年して、定年後はもうゆっくりのんびりっていうようなライフプランを描けないような社会になりつつあるときに、やっぱり今までのこういう生き方じゃないとダメなんだっていうのがもう言えなくなってきたっていうところで、やっぱ新しい生活様式じゃないですけど、こういう生き方もあるのかなっていう。
これが本当に、なんていうんですかね、言葉にするのはすごく難しいんですけれども。
そうですね。
今まで通り生きてたとしても、おそらくそれはそれで希望がないですし。
ただなんとなく思うのは、今アメリカとかのコロナがまだ続いている状態で、雇用率とかも予想よりちょっと下回ったんでしたっけ、今回。
確か。
そうなったときに、そのノマドが描かれたときよりも、若い人の失業者も増えてるじゃないですか。
そうですそうです。
そうなったときに、同じ仕事を探すライバルにその若い人が入ってきてしまうと、今だとそれがどういうふうに変わってきているのかなっていうのも、ちょっと気になるところではありますよね。
確かに。継続して見ていくと、やっぱりそこはまた問題になってくるでしょうね。
多分そういう、今までだったら高齢の人たちとか、仕事を探し続けなくちゃいけないような環境にある人たちがつけるはずだった仕事も少なくなっちゃうっていうか、そこも競争になってしまって。
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またパイの取り合いになってくるってことですよね。
また原油価格とか、ガソリン依頼とかの行動とかもあると、そういう車での暮らしとかも、そこまで変わらないのかもしれないけれども、でも距離とか移動の制限とかが、もしかしたらその本が書かれたときよりは厳しくなっているのかもしれないですよね。
そうでしょうね。これ書かれたのがだいたい2010年代の前半ぐらいの状況をもとにして書かれているので、特に今回のコロナの状況になってから、またやっぱり違う困難があるかと思いますし、
映画のパンフレットの方には、今現在のノマドの人たちの状況というのがちょっと触れられていたんですけど、やっぱりかなり厳しい状況だと。雇用がそもそもかなり削られてしまっているといったところは書いてはありましたね。
そうですよね。ちょっと継続して考えていきたい内容ではありますよね。
そうですね。決して対岸の火事じゃないですけど、そういう話ではなくなってきているのかなとは思うので。
海外であることってちょっと遠くに感じるけども、実は日本と大差ないっていうことは結構ありますからね。
継続ですからね。
意外と近いというか、見えてないだけで、同じようなことはやっぱりあるだろうなっていうような。ただアメリカとかかなり極端に出てきますけどね、それが。
そうなんですね。あの国、この間クリスマス祭でもそう言ったけど、何があるかわからない国が出てくるので。
そうですね。夢もあれば絶望もあれ。
その差が激しすぎちゃって。
そうですね。
その振り幅、そこまでの振り幅は日本にはまだないかなっていう。
確かに。
宇宙に行かれた方ぐらいじゃないですかね。古着屋さんから宇宙までみたいな感じは。
そんなわけで、これが1冊目ですね。
あとは、番組でもそれこそ一番最初の回ですかね。
で、ちょっと触れたジョルジャー・リープさんという方が書かれたプロジェクト・ファザーフッド。
アメリカで最も凶悪な街で父になること。
ロサンゼルスのゲット、スラム街みたいなっていう、しかも何十年にわたってギャングの抗争で何十人も死んでるみたいな。
そういうすさんだところで育った人たちにもやっぱり子どもがいまして。
この子どもたちには自分たちみたいな人生を歩ませたくないというような思いがあるのと。
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あと、この著者の方っていうのが大学で文化人類学の研究されてる人で、かつソーシャルワーカーもされている人で。
実際に自分がソーシャルワーカーとして、ゲットの環境を少しでも治安を良くするためにということもあって、
ゲットに住んでいるどんじゃないですけど、まとめ役みたいにみんなから慕われてる人がいるんですけど、
その人と、あともう一人立ち上げ人みたいな人がいて、3人でパパ会を立ち上げるんですね。
お父さんたちが集まって、父親としてどうやって子どもたちとかを教育していったらいいのか、育てていったらいいのかっていう話し合う会みたいなのを、
毎月1回とか2回ぐらいですね、やるっていう会を立ち上げて、そこでいろんな背景を持つ父親たちっていうのは集まってきて、
いろんなことを話し合うんですけど、大体この中に出てくる父親っていうのが、
こんなにややこしいこういった事情を背負っている人たちが、こんなにどっさり集まってくるかっていうぐらい、
混みまくってるんですよね。
まあ、ガトラ場所ですからね。
大体みんな全家持ちっていう。
ここのワッツっていう地域、ロサンゼルスの中でも一番治安の悪い地域で、
このワッツって確か刑務所もあるんですよ。
ああ、そうかも。
そこの刑務所ってものすごい重犯罪っていうか、かなり重い刑を課せられた人たちが入っているような、
やっぱり全米でも屈指の悪が送り込まれる刑務所もあるぐらいのところなんですけど、
そこで父親たちが、父親になるとはどういうことかって喋るんですけど、
ただ自分にも父親がいたことがないっていう人たちが大半なので、
父親が生まれた時に、自分が物心をついた時には刑務所にいるとか、
最悪死んでるとか、別れていないとか、どこ行ったかわかんないっていう人たちが大半なので、
自分たちにとっても父親っていうのが全く想像がつかないっていうような、
そこからまずスタートしていくと。
難しいですよね。
本当そうですね。
あとやっぱりここのゲットに住んでる人たちっていうのは大体黒人系の方。
あとは黒人系だけじゃなくて、今ラテンアメリカの人たちっていうのは増えてきていて、
大体半分ぐらいがラテン系になっているとか。
なので、黒人だけのゲットだったらまだ文化的な背景が似てるので、
そこで結束とかもあると思うんですけど、
ちょっと文化的背景が違った人たちがいるってことによって、またちょっとややこしい事情とかがあったりとか。
あとはそうですね、ジェンダーの問題とかそういったのもかなり出てくる。
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ただこれ面白いのが、パパ会を立ち上げる際にまとめ役に乗る人っていうのがいるんですけど、
この人は黒人の人で、自分も昔刑務所に行ってたと。
で、1回付き合った女の人と別れて、今別の人と再婚してっていうような、
大体そこに集まってくる人たちと似たような人生経歴を送ってきた。
今はちゃんと後世して、自分で会社を立ち上げて商売してるっていう人なんですけど。
だからその父親たちにとってはロールモデルになるような人物であるんですよ。
大体その人のことは言うこと聞くんですよ、みんな。
似てる背景を持ってる人だから、いうことに対して説得力があるわけですよ。
ただその著者のジョルジャーさんっていうのは、
白人系の人で、女性で、しかも学歴が、大学の先生ですから、高学歴の人でっていう、
集まってくる人たちとは全く違う属性を持っている人なんですよね。
だからジョルジャーさんがしょっちゅう言われるのは、
白人が何がわかるんだとか、女の前何がわかるんだとか、
本当にそれをしょっちゅう言われるんですよ、何か意見するたびに。
でも読んでいくうちに、これたぶんジョルジャーさんっていう全く異質の属性の人がいることによって、
議論の中でもちょっと異質な目があるというか、
おおむねそっちには賛成はするんだけど、でもこういう見方もあるでしょっていうのを提示してくる人っていうのが、
やっぱり何割かいるっていうのは、グループの中で話し合ったりとかするときに、
結構大事なんじゃないかなっていうのは、ちょっとこれを読みながら思ったんですね。
そうですよね。ちょっと反対意見っていうか、反対までいかなくても異なることを言ってくれる人がいるっていうのは、
そういう話し合うときはいいですよね。
口だけになっちゃうとか、あとは仕方ないっていう、
俺たちはこれだから仕方ないっていうふうにまとまりがちなところを、また違うところがボール投げてくれるっていうか。
ジョルジャーさんってあくまでもこのプロジェクトを立ち上げてるし、研究でずっとこのゲットとかに入っている人なので、
一応どういう文化背景があるのかっていうのは、知った上では入ってきてる人なので、
全く知らなくて外から攻撃してくるようなことを言ってる人ではないんですけれども、
ただやっぱりこの方もこの方で全然違う文化で、社会で育ってきた方なので、
パパ買いに来てる人たちのことを理解しきれてるかっていうとそうでもないし、
やっぱり自分の生きてきた経歴を中で考えてこうなんじゃないかって意見を持ってる方なので、
やっぱりそこはパパ買いのその人たちからは、お前何がわかるんだって言われつつも、
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やっぱり違う意見を投げる、あえてそこに投げていくっていうのは、
結果的にそのパパ買いに来てる人たちにとってもそういう視点もあるのか、
受け入れるか受けられないかはまた人によるんでしょうけれども。
ですよね。それが趣旨で入ってるっていうのはありますしね、きっと。
言われるのはもうわかっておりますみたいな。
わかった上で、でもやっぱりすごくぶつかるんですよね。
なんでこの何回言ったらわかるのかなっていうのか、本当にわかんないなっていうのを、
お互いこうなんでわかんないんだって言いながら、
ただそれでも決裂しかける危ういシーンはあったりするんですけれども、
このジョルジャーさんはかなりタフにそこをやり過ごしたり、ぶつかったりやり過ごしたりしながら、
3年ぐらいのこれやってる記録を書いてるんですけれども、
なかなか今その分断とか意見の対立とか言われる時代ではあるんですけれども、
全然違った文化背景の人たちと何かをやっていくっていう時に何が大事かっていうのを、
ちょっとこれを読みながら思ったりしましたね。
そうですね。なんか別に人格否定してるわけじゃないんだけれども、
そう取られてしまうことがすごい今多いじゃないですか。
そうですね。
物事に対して私こう思うんですけれどもっていうことを述べてるだけなんだけれども、
その物事を発した人への攻撃と取られることが多いっていうか、
Aさんが発言したことに対して、私そうとは思わないんだけれどもって言ったことは、
Aさんが発したことであって、Aさん自身ではないのに、
なんかAさんは自分が攻撃されたと思ってしまうっていう。
わかります?
意見に対してじゃなくて、自分そのものに対して言われてるみたいな感じですかね。
そうそう。だから多分そういうのなんですよね。
男性、女性の性差もあるし、
女に何がわかる?的なことが出てくるのは。
本当にしょっちゅうそれが出てきますね。
それは女性だからじゃなくて、人としてこういう意見もあるって言ってるのに、
そういう性別とか。
そうですね。属性で満ち合うとか。
属性で言われてしまうっていうのが結構悩ましいところでもあるかなっていう気はしますけどね。
お互い様なのかなっていうところもあるけれども。
そうですね。この方は自分もわかってないところっていうか、
ぶつかってしまうところもセキュララに書いてる。正直に結構書いてる方なのかなと思いながら、
分かり合うと本当に難しいなっていうのをつくつく思った方で。
あとちょっと話外れるんですけど、この帯書いてるのがなぜかジブラが書いてるっていう。
24:00
そうでしたね。
結構それでちょっと盛り上がった。
謎のジブラっていう。
えーみたいなね。ジブラでもいいとこの子だよねみたいな。
意外とそうですよね。いいとこの人ですよね。
確かにいいとこの人ですよね。あなたみたいな。
そうそう。あとは、ちょっとジブラつながりかどうかわかんないですけど、
ヒップホップモンゴリアっていう、島村一平さんという国立民族博物館で研究されてる方。
モンゴルの文化について研究されてる方なんですけど、
モンゴルで今すごくヒップホップがめちゃくちゃ流行ってるんですよ。
今って言っても、でも90年代の後半ぐらいから、
そのヒップホップ文化っていうのが、主に日本だったかな。
そのあたりから入ってきて、独自の進化を遂げていると。
それと、あとシャーマン文化の融合について書いてる本で。
ヒップホップとシャーマンってまたね、何、どこでつながるのって感じですけど。
ヒップホップモンゴリアっていうタイトルがパンチが強すぎて、そのパンチだけで買ってきたような本なんですけど。
だって、モンゴルって聞いてまだヒップホップ出てこないじゃないですか。普通に考えたら。
え、これなんで、どこがどうなってモンゴルとつながるのかっていうのを紐解いていくと、結構シャーマンのところにも最終的にはつながっていくっていうような話で。
でもモンゴル語っていうのが結構、発音的にその韻の踏み方っていうのが結構ヒップホップ向きらしいんですよ。
うまく説明できないんですけれども、ちゃんとヒップホップについてもちゃんと論じてる本ではあるんです。
ヒップホップ公文の公文と、あとそのモンゴル語の言語的な特性からちゃんと分析してる内容にはなっていて。
だから日本語でヒップホップやるよりもはるかにヒップホップ向きの言語らしいんですね、モンゴル語って。
へー。
なんか韻がすごく踏みやすいのだったかな。
日本語難しいですからね。
日本語はやっぱり韻を踏むっていうのがなかなか難しいらしくて、ただモンゴル語だと一つのセンテンス、なんか1秒間に5個ぐらい韻踏めるみたいな。
向きなんですね。
かなり向いてるらしいんですよ、リズムに乗せたりするのが。
あとはその今活躍しているモンゴルのヒップホップアーティストについてのその紹介とか、どういう背景があってヒップホップやってるかとか、あとそのモンゴルのヒップホップグループのジャンル分けみたいな。
どういう出身の人はこういう感じで歌っててっていうような、世代別とあとはそのジャンルごとの分けて論じてたりとかして。
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全然私たちが普段知ってるモンゴルの数形とは全く違うモンゴルがここには書かれていて、いちいち驚きしかないっていう。
あとさっきのシャーマンの話ですね。
シャーマンも実は90年代後半からやたらシャーマンの人口が増えてきてっていう話が出てきていて、そのヒップホップの流行とシャーマンの流行っていうのが大体同じ時期らしいんですよ。
へー、面白い。
それはやっぱり社会的な経済成長とか、それに伴う社会の在り方とかが急速に変わってきた中で、それでやっぱりいろんな不安とかそういうのが出てくるわけで、
それが一方でヒップホップで、社会に対する問題提起とか疑問投げかけとか怒りとかもあれば、一方でシャーマンの方に行ってその不安の源っていうのはどこから来るのかみたいなのをシャーマニズムで解決するみたいな方に行って、
すごい面白いのが、何がどうなってそうなるのかっていう感じなんですけど、ヒップホップのメンバーがヒップホップのメンバーでありながら同時にシャーマンっていうグループもあって、
5人全員シャーマンっていうグループもあるんだけど、何が何だかよくわかんないみたいな。
すごい、どこからの層でも受け入れますよみたいな感じの。
もちろん歌詞の中にもシャーマン的な要素の歌詞があったりとか、曲そのものがシャーマニズムについてのヒップホップソングとかあったりして、本当ヒップホップで思いつかないよなっていうような。
なんかヒップホップイタコみたいな感じ?
そうそう、ヒップホップイタコですね。
これはちょっと去年読んだ本の中でも、こんな世界があるのかっていうような一冊ではありましたね。
でも社会不安が両方あって、今すごく納得したんですけど、
そう、すごく納得したんですよね。
そういう履け口と寄り所っていうのは、背中合わせなんですね。
パンチめちゃくちゃありすぎますよね、ヒップホップラッパー兼シャーマンって。
情報量が多すぎるみたいな。
情報量は多すぎるけれども、なんかちょっと心地よくなっちゃっていく感じはいいのかな、量。
ヒップホップで即興で言葉を紡いでいくってあるじゃないですか、何て言うんでしたっけあれ。
うんうん、わかりますわかります。
ラップバトルみたいな、あるじゃないですか。
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ラップバトルもやっているうちに、自分で考えていないけど言葉が先に出てくるみたいな。
で、シャーマンも自分で考えていないけど言葉が先に出てくる状態になるらしいんですけど、
ただそれって、シャーマンの人に、じゃあ何かそれって自分に神的なものが降りてくるんですかっていうと、
いや神とかではないんだけど、そういうんじゃないんだけどみたいな。
ただ言葉が先に出てくるようになるみたいな。
そういう何か入っていくものがあってみたいな。
そこが結構ヒップホップのラップバトルの名識で陰を踏むようになるのとちょっと似てるみたいな、
共通点があるっていうような指摘もあったりして。
アナウンストークはないのかなっていう。
そうですね、でもそれで言うと、やっぱり言葉を仕事にしてるっていうところでは、
よく小説家の方でも漫画家の方でも、自分が考えていたストーリーとは書き進めているうちに、
どんどん作品の方が動き出すみたいなことを言う方もいるじゃないですか。
いますね。キャラクターが勝手に動いてみたいな。
そうそう、だからちょっとそういうのに言語を司る脳っていうのは、そういうバグっていうか、思ってるのかもしれないですね。
確かに。
もしかしたら。
面白いですね。
そう、めちゃくちゃ面白くて。
で、これはちょっと本とはまた離れるんですけど、
なんかそれこそポッドキャストやってる方で、
本屋プラグラジオっていうポッドキャスト番組の方が、
この島村さんにインタビューしに行く回があって、2時間くらいの番組なんですけど、
それでそのヒップホップモンゴリアに書かれている話とか、
あとはそのモンゴルの今みたいな話を2時間くらい喋ってるんですけど、
その話がすごく面白いので、
もしこのヒップホップモンゴリアって何っていうのをちょっと気になった方は、
このポッドキャスト番組をちょっと聞いていただくのもいいのかなと思いますね。
じゃあもう1回そのポッドキャスト名を。
本屋プラグラジオさんっていうラジオの、
語らずにはいられないモンゴルヒップホップの魅力という回ですね。
ちょっとこれは概要欄にリンクを貼っておきますので。
ツイートとかでも書いてもらえるといいかもしれないです。
面白かったです。
モンゴルのテレビ番組事情とか、
あとファッション事情とか、
全く想像がつかないようなところに話がどんどん展開されていくので、
気になった方はぜひ聞いていただければっていうところですかね。
モンゴルってちょっと面白いですよね。
なんか前にクラブハウスがちょっと流行ったときに、
モンゴルに長いこと住んでた方の話をずっと聞いてたときがあったんですけど、
広さとか、国の広さ、土地の広さっていうのかなとか、
33:03
やっぱり独特で面白かったですね。
ちょっと興味深い。
好きではありますよね。
モンゴルって言ったらもうちょっと古いですか?
多数流しか出てこないですよね、印象が。
そうですよね。
でも、パオとか、
そういうユーボク民族的なイメージが強いんですけど、
意外と都市はすごい大きい都市だったりするんですよね。
そうそう。
で、なんかそのヒップホップの、モンゴルヒップホップのMVとかあるんですけど、
YouTubeとかでガンガン見れるんですよ。
本の中にも書いてあるんですけど、新曲大体YouTubeにアップされるんで、
みんなそれで聞くらしいんですけど、
そのMVの映像とか見ると、ここモンゴルなのかっていうようなぐらい、
全然想像している野っ腹大草原画っていう風景って全くないんですよね。
あれは多分NHKの…
そうですね、シルクロード的なところ。
あまりにもそっち側をすごく、我々は洗脳のように、ユーボク民族ってなってるけれども、
全然違うんですよね。
20年ぐらい前の林森子さんのエッセイにそんなことが載ってて、
イケイケ女子たちがいるみたいな。
そう、そういう感じでした。
もうめっちゃ都市みたいな。東京とそんな変わらなくてみたいな、その20年ぐらい前の。
もしかしたら東京よりも、もうちょっと尖ってる感じがあって、みたいなのを描いているのが確かあって、
不思議の国モンゴルと思ったんですけど。
あと、さっきのその著者の方がツイッターされてて、不良の格好をしているモンゴルの若者たちの写真があって、
日本の不良の格好なんですよ。
学欄に来て、島村さんは、モンゴルにも日本の不良文化って今入ってきてるんだと思って、
ツイッターにあげてたんですよ。
そしたらそのリプ欄に、東京バンチリベンジャーズのコスプレですよっていう風に流れてきてて、
それはそれで驚きだったんですよね。
モンゴルで通り目のコスプレやってる人たちがいるっていう。
だから、そのぐらい日本の文化、アニメとかもほとんどリアルタイムで入ってきてるみたいな。
で、コスプレ文化もちゃんと入ってきてるっていう。
すごい。コスプレ文化すごいね。
一番すごいんじゃないですかね、やっぱりコスプレって。
モンゴルのコスプレで通り目っていうのは、ほんとこれも情報量多すぎるなっていう。
面白い。
私のほうから紹介最後なんですけど、年末に読んで衝撃的だった本なんですけど、
36:04
アンファディマンっていう人が書いた、精霊に捕まって倒れる。
医療者と門族の患者、2つの文化の衝突ですね。
8月ぐらいに買って積んでたんですけど、そろそろ読まなきゃなと思って、12月に入ってから読み始めたら、
箱根駅で言えば8区あたりで、新都圏外にいた選手が、10人ぐらいごぼう抜きしてトッパラスに来るぐらいの勢いで。
とんでもねえ本だなっていう。
もうトッパラスにぶち抜いてきた本ですね。
素晴らしい。
これはすごい本で、内容としては1980年代ぐらいなのかな。
アメリカのカルフォルニアのマーセドっていう地方都市に、門族っていうラオスの少数民族みたいなのがいるんですよ。
そのラオスの内戦から逃れてきて、政治難民みたいな感じで、アメリカに難民として渡ってきた門族っていうのが15万人ぐらいいるんですよ。
全米各地に難民として移り住んできて、それなりにコミュニティとかもあったりするんですけど、そのうちのマーセドっていうところで起きた出来事なんですけれども、
Dさんっていう一家、門族の一家がいて、そのDさん一家のリアちゃんっていう子供がいるんですけど、赤ちゃんがいて。
その赤ちゃんが幼い頃から転換を患っていて、ただ転換になってそれを地元のその医者に見せに、病院に見せに行くんですけれども、
ただこれがですね、本当に文化の背景が違うと、こんなにも世界の見え方って違うのかっていうのをまざまずと書いた出来事で、
精霊に捕まって倒れるっていうタイトルがですね、これ何なのかっていうと、門族の言葉で転換を意味する言葉なんですよ。
で、門族の中で転換っていう症状は、その辺に悪い精霊がダっていう精霊がいるんですけど、その精霊がその人の魂を連れ去ってしまって、体の外から。
で、それによって倒れちゃうんだっていうような、だから転換はダの仕業なんだと。精霊が悪さをして起きることなんだっていうような捉え方をするんですよ。
ただ一方で、門族の人にとっては、その転換症状を起こす人っていうのは、シャーマンになる素質があるっていうように見ていて、
シャーマンって門族の中では結構地位の高い職業の人なんですね。誰にもなれるわけじゃないから。
で、シャーマンってすごくいろんな儀礼とか、悪いことが起こったら、その生贄を捧げて、祈りを持ってその悪いことを払ったりとか、お祝いの席とかにも呼ばれるし、観光操作には欠かせないし、
39:09
医者みたいな働きとかもするので、すごく地位が高いんですよ。ただ、病院に転換の店に行くと、やっぱりそこは西洋医療にもって治療しようっていうことになるじゃないですか。
でも、門族の人にとっては、それ治療対象ではないんですよね。
症候対象なんですね、どっちかっていうと。
治したいかっていうと、治したいっていうのとはまた違うんですよね。でもそこ、やっぱり医者としては、これは治療するべきだし、薬でコントロールすれば治りますよと。
ただ、価値観が全く違う人たちが、そこで対立するというか、衝突してしまうんですよね。価値観もなし、言葉も全然、門族の家族の方は全然英語が喋れなかったっていうのもあって、医者が言ってることを理解できないんですよね。
しかも、理解したとしてもそういう文化背景があるので、そういう治療はさせたくないとか言うんですよ。
そうしているうちに、投薬がうまくいかない。で、それのことによって、だんだん転換症が重くなっていってしまう。
でも、両親は子供のことを虐待してるわけじゃなくて、両親なりに治療はしてるんですよ。
例えば、シャーマンを呼んで、祈祷してもらったり、あとは、生贄ですね。豚とか鳥とかを殺して生贄にして、で、それによって病気が治るように祈ったりとか。
あと、薬草とか買って、肌身離さずつけてあげたりとか。門族の治療方法ですね。そういうのやってるので、両親にしたら、ちゃんと治療はしてますよって話なんですよ。
でも、アメリカ社会では全くそれを受け入れられないじゃないですか。治療は何でもないし、迷信だと。そういうものに対応して、ちゃんとした病院からの処方とか、投薬計画に沿った投薬を全くしてないし、それによって症状が重くなってる。
だから、この両親には子供をちゃんと面倒見る資格はないというので、一旦家庭裁判所にかけられて、強制的に里声を出されたりするんですよ。
逆体ととられちゃうんですよね。そうなんです。逆体してるっていうふうに言われてしまって。でも、それって門族の両親にとっては全く理解できないんですよね。
自分たちは逆体をするわけじゃないし、ちゃんと治療してるし、しかも病院に行ったら行ったで、なんか悪くなって戻ってくるみたいな。
病院って娘にとってはいいこと一つもやってくれてないじゃないかみたいなことを、どんどん圧力が溜まっていってしまって、最終的には結構深刻な事態になってしまうっていう。
42:04
結構読んでてそれは辛いんですけど。なんか基準ってなんだろうって思っちゃいますよね。そうですよね。価値観もそうだけども、西洋医学が幸せをもたらすとは限らないっていうか、健康になれば幸せなのかっていうところとかね。
特に日本人なんかは死をすごく恐れる民族だって言われてますし、長生きしたいって思う民族だって言われてるから、病院とかね、そういうお薬とかにはすごく頼るっていうか、ありがたいと。私自身も割とそういう方ですけれども、でもそれを良しとしている国ばかりではないっていうか、人生ばかりではないっていう。
ところをまず理解しないと、きっとこの本は読む人によっては全然わけわかんないって、ただの虐待じゃないかって思っちゃう人もきっといると思うし、この西洋医学ってすごく難しい。難しいですよね。絶対なものみたいな感じで捉えてしまうと。
そうそう。あとそういう病気とかなんだろうな、もっと広くすると、自閉症とか病気なのっていう、なんていうのか、突き詰めちゃうと、それって病気だけれども、病気っていうふうに今なっているけれども、それでいいとしているところの人はそれで本当は幸せなんじゃないだろうかっていう、そういう。
地域とか民族の中では、それで良しとしているところに入り込んでいって治療するっていう方が残酷なんじゃないだろうかとか。でもちょっと難しくてわからないけれども、簡単には言えないことだけれども、西洋医学ってすごく難しいって。難しいですよね。
個人的に大学とかでも精神医学とか心理学とかちょっと勉強はしてきて、そういう本とか読んではきてるんですけど、やっぱり治療するべき疾患と捉えるか、それともそういう存在というか。
一つの個性としてね。
個性というか特性みたいな、それこそそのシャーマンの素質があるっていう。昔だとおきつねさんとか言われてた人たちっているわけじゃないですか。でも今多分それだと、なんだかしらの精神疾患の病名がつけられるっていうような。それはどっちが幸せなのかなっていう。
西洋医学の方に寄っちゃうと全部病名がついてしまうから、病人になってしまうんだけれども、医学側から見なければどうなんだろう。それは自然の一つっていうか、一つの在り方っていう。
45:11
そう、在り方というか役割を持った人みたいな形に捉えられて、全然違う意味合いでその存在する。職業として成り立つ人たちも本当はいるっていう。それはちょっと難しいし、年末に読んでごぼう抜きにしてくるっていうのもある。
打ち抜きましたね。
ですね、わかります。
あとなんか、その病気云々っていうのの捉え方とかもそうですし、全然その異なる価値観とか、さっきのプロジェクトファザーフットにもちょっとつながる部分かもしれないですけど、全然違った背景をたどってきた人たちのことをどう理解していったらいいのかっていう。
ちょっとこれ読んで思ったのが、それこそ森達也の絵ですかね。オム真理教の中に入ってドキュメンタリー撮ったじゃないですか。それもなんか読んだときに、オムの外から見たらもうすごく異常な人たちっていうふうに見えるけれども、オムの内部に入ってみたら世間の方がいいよみたいな。これをやっぱり話し合ったとしても、分かり合えるっていうのは難しいだろうなっていうような。
まあ何でもそうですよね。それで一番分かりやすいのはやっぱり宗教かもしれないですけども。
なんでこれとかも結局その最後にどうすればこういうような衝突が起きずに、衝突の結果、まあ結果っていうか、このギアさんが結局最終的には植物状態になってしまうんですよ。大きい発作を繰り返してしまって。
最終的にはもう自分の意思を出すのが難しいっていうか、それはもうできないぐらい相当のダメージを負ってしまうっていうすごく痛ましい状態になってしまうんですけれども、ただそれも何が原因かっていうのは本当に特定するのが難しい。
本当に投薬を最初から両親がしてたら良くなってたか、それと病院のタルトを見るとちょっとまあ感染症にかかってしまって、院内感染で感染者にかかってしまってっていう記録もあったりとか、あと2カ所ぐらいその病院を変わったりとかして、それでやっぱり処方された薬とか治療法が違っててっていうようなこともあったりなので、
いろんなことがたまつき事故みたいな感じで起こった結果とも言えるので、何が悪かったかっていうのはなかなか特定しづらいんですけれども、ただやっぱりそのうまくお互いの意思疎通がうまくいかなかったっていうのは結構大きいんじゃないかっていうふうになってて、最終的には相手に事実を述べたら理解してもらえるとか、こっちがこう動いたら相手は変わってくれるっていうような期待を持たない方がいいみたいなことを書いた。
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どこかで受けるところを受け入れる、もうわからないところはもうちょっと理解できないので、それを否定するんじゃなくて、それはそういうものだと。置いておくっていう態度っていうのは結構大事なんじゃないかっていうふうに語ってるシーンとかもあって、これは多分何のコミュニケーションの場面でも言えることかなっていうのは。
そうですよね。尊重するってことですよね。自分とは違う考えだとしても、そういう考えの人もいるよねとか、そういうこともあるであろう。
そういうこともありますよね。自分は確か祈って、シャーマンが祈ってとか、あと、生贄を捧げたからといって病気が治るとは思えないけれども、でもそれはこの人たちにとってはすごく大事なことなんだなっていうことは、理解するっていうか、そういうものなんですねっていうか。
これをやっぱり実践するっていうのは、なかなか難しいところはあるけれどもっていう。
その時の、そうなっちゃった時の、本人の一番の希望を尊重するべきなんだろうけども、植物状態になったお子さんに対して両親が変わらぬ愛情を持っているとすれば、
それはそれで、一つの家族の在り方というか、それでなんか困ったことになったぞ、まあ困ったことになったぞは困ったことになったぞなんだけれども、言葉にするとちょっと難しいですね。
結局6歳ぐらいで植物状態になってしまって、ただすごくこの著者の方も、あとその病院の方たち、医者たちもびっくりしてたのは、植物状態、もう脳死状態になってしまった人たちっていうのは、長くてもやっぱり1、2年ぐらいしか持たないらしいですね。生き延びることができないそうなんですけど、
ニアッサンに関しては30歳ぐらいまで生きてるんですよ。それやっぱり両親のすごく賢明な看病で、によってそこまで長く生きたんじゃないかっていうのは書かれていて、その亡くなるぐらいの頃になっては、もう結構衰弱してきたなっていうような感じになってたみたいなんですけれども、
ただ普通だったらなかなかそうなってくると、ちゃんと解放してもらえないとかそういうこともあったりはする。植物状態になってしまったっていうのを隠すらしいんですよね、普通の人っていうのは。そういうこともなく、ずっと寝てる子供を世話するように世話をして、
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ただやっぱり回復はしてほしいから、ずっと祈祷を捧げて、時々生贄を捧げてお祈りをするっていう、最後そのお祈りをするシーンで終わるんですよ。またクレニーすごい本読みましたね。そうですね。これもちょっとね、もうちょっと時間をとって紹介したいなと思うんですけど、ただこれすごく面白いなと思ったのは、この本自体って90年代の後半ぐらいに出てるんで、もう20年ぐらい経ってるんですね。
実験書で出て、去年初めて日本語訳は出たんですけど、15周年記念版に寄せてっていうのが最後にこれ載ってるんですけど、そうですね、1997年に出されて、その15年後にまた記念版っていうのが出てるらしいですね。はい。
これすごく有名な本になっていて、介護とか医療の現場に就く人たちにとってはもう課題本になるみたいな、大学の。そのぐらい結構名著というか有名な本らしいんですけど、その15年後にその著者の方が当時のことを振り返って書いてる中で、すごい面白いなと思ったのが、当時はその門族っていうのがどういう文化背景を持っていて、なんでアメリカに来てどうしてこういう生活をしているのかっていうのが、
自分自身もわかってなくて、文献もそんななかったから、手探りで書いていくしかなくてって、やっぱり今読むと結構門族寄りの書き方をしていると。門族寄りというか、実際のその門族の人たちではなくて、ちょっとやっぱり自分の中で理想化しちゃってる部分もあったわねっていうのを書いてるんですよ。
でも確かにそういうのって、ちょっとやっぱり自分でも本読んでたりとか、あと何か事件に接したりとかするときに、ちょっと相手のその今、こんなに置かれてる人のことをちょっと美化して想像してしまうことってあるなと。でもそれによってちょっとやっぱり、実際にコミュニケーションを取ったりするときに、あれなんか違うなっていう風になってしまうこともあるよなっていうのと、ちょっと似てるのかなと思って。
で、あえてその部分については今回修正しませんでしたと。もう多分修正しようもないし、これはこういう記録として残すっていうふうに書いてあって。結構その辺もなかなかね、面白い。その他者を理解するっていう困難さと、なんていうか、面白さっていうところなのかなっていうふうに思って。やっぱりすごくいい本だなっていう。
そうですよね。現実をそのまま受け取るって、人間できないんじゃないですかね。思考がある限り。
そう、これを本当にこの本で何回も言われてます。自分が見たいようにしか見れない。
やっぱり見えないっていう。そうなっちゃいますよね。
自分こそありのままに見ているという思い込みと常に戦っているっていう。
そうですよね。
それですよね。潜入感とか、こうあってほしいという液体とか、そういうのから逃れることはやっぱりできないから。
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意識しててもやっぱりそこから逃れるのは難しい。
難しいですよね。だからそこを書いているところがまた素晴らしいですね。
そこを書いているのが素晴らしいですし、15周年記念に寄せてっていうのが、ちょっと少し救いにはなってるんですね。その後の人たちの、この出てきた人たちのその後っていうのが書いてあるんですけど、
あれだけ退治していた人たちが、また一つの出来事によって少しずつ歩み寄っていくっていうのがあって、そのきっかけっていうのは、そんな喜ばしいことがきっかけではなかったんですけど、
やっぱり自分と同じ苦しみ、同じ困難を、相手と同じ困難ですかね、を経験することによって、あの人ってこの時こういう辛さがあったんだなっていうのを知るっていう。
で、それをまたその相手も、あなた今こういうことで辛いよねっていうのを言ってくると。
で、なんかすごくよくわかんないなこの人たちって思ってた人たちって、実は自分と本当に変わらないんだなっていうのをそこで気づくっていうのがあって。
なかなかこれ読むのは、何ですかね、職場の休憩中にこれ読んでたんですけど、休憩明けにもう成功を突き果てるみたいなぐらいぐったりするような内容ではあるんですけど、
そのぐらいやっぱり読み応えもありますし、やっぱりこれはもう今後もオリオンに触れて思い出すであろう本になるだろうなと思いましたね。
まあそんな感じで、私の方からは4冊ですから。
重い本も読まれましたね、また。
重い本、また分厚い本ばっかりでしたけど、だいたいみんな400ページ前後のハードカバーで。
ほんとドンキみたいな感じの本ばっかりでしたが。
そうですね。
じゃあ私、1位の話からしちゃった方がいいですかね。
はい、ぜひ。
私ですね、昨年は何冊読んだのかな、ちょっと冊数はわからないんですけれど、漫画をちょっと読む機会が多かったり、あと家庭内ちょっとバタバタした時期があったので、ほんと今回冊数を読んでいなくてですね、本という本は。
ただ、前にやっぱりポッドキャストでお話しした、「女二人暮らしています」は、やっぱりすごく自分の中で上に入っている本で。
そうだ、私はあれ、今年読んだ、今年っていうか2021年に読んでた本なんですよね。
そうですね。
なんか一昨年ぐらいに読んでたのかなと思った、違うか。
そう、今年なんですよね。
そうだった。
で、これも1位、2位で争うなと思って、前回的さんから次じゃベストの話をしましょうと言われた時に、私これだなって思ったんですよ。
女二人暮らしていますが、やっぱりダントツで良かったなと。
57:00
まあ理由としては、去年、一昨年、韓国文学を読み始め、まあハンチカとか、ほんと暗い話が多い中で、それも女二人の回で話したんですけども、こんなに明るいね、ジェンダーの韓国文があったのかって。
確かに。
もうその衝撃ですよね。ハンチカが出てこない。
暗くない。
暗くない。
そうですよね。
そしてちょっとオシャレ。
うんうん、そうですね。
その上、前向き。不幸な人が出てこない。これにつきますよね。
えー。
まあ、あの女二人暮らしていますの前に、女の答えはピッチにある。
答えは?
もう読んでて、あれも良かったんですけども、まあどちらかというと、女二人暮らしていますの方が身近な話っていうか。
あ、そうでしたね。
私サッカーとか全然しないので、スポーツものとしては面白いし、レッスンとしてもすごく良い本だったので、あれも好きなんですけども、でもどちらかというと、女二人暮らしていますの方が年齢的とか、仕事に対する感じとか、そういう人生の狭間な雰囲気がすごく良かったので、1位だろうと思っていたわけですよ。
確かに韓国小説とか、なんかこう興味はあるけれども、キム・ジオン筆頭に重いやつしかないじゃないですか。
そうなんですよね。
なんか若干暗いというか、若干じゃないですよね。結構ヘビーなやつが揃ってるなっていう。
そうそう。
去年何でしたっけ?ハンガンの、去年だったか一昨年だったか、彩色主義者を読んでボコボコにされるっていう。
そうそう。大体ボコボコにされるんですよ。
ちょっとしばらくつらいかなっていう風になってしまう。次読もうっていうのがなかなか手に取るのが勇気が出ないっていう。
心の準備と覚悟と、本当にメンタル的にも穏やかな時っていうか、忙しくない時とか、あと日照時間のある夏とかね。
コーディションが揃う時が難しい。
日照時間が少なくなる秋冬とかにはあまり読まない方がいいかなとか。
そうですね。立ち直れないですね、しばらく。
だから意外にいろんなことを考えて読まなくてはいけなかったんですけども、そういう不安は一切ないっていうところで、この女二人暮らしていますが最高だと思っていたんですが、年末にですね。
年末に頭にトップ争いが。
トップ争いがありまして、ちょっと前置き長くなるんですけど、私ですね、この歳になって初めて、何がしゲリオンっていう超大作の、
1:00:03
某ゲリオンですね。
某ゲリオンにハマりまして、あれ一回挫折してるんですよ、私若い頃。
放送された時期ですね、あの時に挫折していて。
95年くらいですかね。
そうそうそうそう。で、今見たら意外にわかることがあって、テレビシリーズから全てに対して、ちょっと最悪と言われるような回のもあるんですけども、もう最高だと思って、今回走り切ったわけですよ。
今年、その2021年で全部振り返ったんですか?
はい。
3週間で全て。
即死。
はい。
すごい。
それで、映画も何度か足を運び。
何度か。
何度か足を運び、もう最高だと。
すごいですね。
あれだけジェンダーのことを語っていたのに、本当に申し訳ないっていうこと、結構あるんですよね、アニメ。で、女の人辛い目に遭ったりとか。
そうですね。
で、またちょっと言えば、女の人結構出資してたりするので、あのほかが。
そうですね。
だから、すいませんと思いながら、見ていたわけですよ。そしたらですね、それの繋がりで全く気にしていなかった、呪術な逃がしっていう。
もうどんどん沼に埋もってるじゃないですか。
すいません、あれからね、こんな軽々とした話になって。
いや、いいんですよ、いいんですよ。
でも、呪術な逃がしをちょっと繋がりで見ようと今回思って、私ほらネタバレ好きじゃないですか。
そうですね、調べてから予想してから見る。
だから、呪術な逃がしゼロっていう漫画を読んだわけですよ。
そっちから読んだんですね。
そうなんです。
あれが前日短で映画にもなっている。
だから、それを読んだら、その内容のまた出てくる人たちの前日短みたいな感じで8巻と9巻を読めと。
なので、私ゼロ巻8巻9巻を読んだわけですよ。
ちょっとわけわからないですよね。
そうですね。
でも、そしたら8巻と9巻を読んだら、あれ?と思って、これナウシカの漫画版かな?みたいな。
自分と、あとこれは同国の谷ではないかと。
クマですよね。
的さんのお得意なクマ系。
そうですね。
ちょっと著作が違いますけど。
でも同じテーマというか事件の話ですよね。
同国の谷とも繋がるなと。
もう一つが、津山事件。
やっぱり昔あった。
村人殺しちゃったっていう。
あのお話の3つが私の中ではヒットしたわけですよ。
そんな話じゃないですか。
名前を出すとファンの方に怒られちゃうといけないから。
いいで消しておきます。
1:03:02
その中で、ナウシカをもう一回読み返すとなると、また年末にナウシカの漫画かと思って。
また同国の谷も年末に読む本ではないですよね。
12月に読む本ではないなと思って。
で、残ったのが津山事件だったわけですよね。
そこ残んないから、残しちゃダメなやつですよ。
そしたら、津山事件から私の中になぜか、京極夏彦さんのぬりぼとけの宴に繋がっちゃったんですよね。
それで年末読んでたんですね。
はい。で、私ぬりぼとけの宴を、またこれも昔一回挫折しているんですよ、私実は。
そうなんですね。
で、今回ちょっと読んでみようと思って、読んだら面白くてですね。
で、やっぱりこれ、ずずつなにがしと繋がっているじゃないかと。
ずずつなにがしに出てきている、今回の映画で悪者となっている人は、本当に峡谷堂にね、あってほしかったなと思いながら。
つきもの落としてほしかった。
つきもの落としてほしかったなと思いながら、なんかちょっと読み続けたっていう。
なるほど。じゃあ、つきもの落ちなかったから何かになっちゃったってことですか?
そんな感じなんですかね。
確かに、つきものついてそうな感じのタイトルですけどね。
でも、主人公の方が大きいの持ってるんですけどね。つきもの持ってるんですけども。
それで、私の中で1位がぬりぼとけの宴っていう。
塗り替えられてしまった。
もうページ数にやられたって感じはあるんですけども。
確かに、あれもなかなかですよね。だって上下感ですよね、確かに。
上下感なんですよ。
上下感ってもう何?っていう。
確か最長なんですよね。
そうなんだ。ジョロウグモ、そうですよね、ジョロウグモよりも。
もう厚いですけど、上下感なので。
なんで私挫折したんだろうっていうぐらい結構面白く読んでたんですけども。
あれ何でしたっけ、関ちゃんが結構大変なことになるやつですよね。
そうそう。
毎回大変なことにはなってるんですけど。
毎回大変なんですけども。
関ちゃんが。
一番やばかったですよね。
そう、一番大変な。
ダークサイドに落ちてしまったみたいな。
そうそうそうそう。
いや、いつもダークサイドに落ちるんですけど。
もうね、ダークサイドに落ちていく様で、本当に私関口さん苦手で。
本当に苦手って思ってて、多分挫折したんだと思うんですけど。
でも、なんかやっぱり読むと、京極さんの本は面白いなっていう。
またね、ジェンダー的なところから見ると、どうなのっていうところは多々あるんですけれども。
1年かけていろんな本を読んできたのに、結局京極さんかっていう。
1:06:05
自分のこのね、なんか本当薄っぺらさ。
いやいやいや。
いやでも、京極夏彦は、私も中学生の時にドハマリした作家だったので、なんだかんだでやっぱりベースにはなっていると思うんですよね。
中学校の時に本当に夢中になって、ただ意味は分かってたかっていうと、分かってなかったと思うんですけど。
そうなんですよね。
京極夏彦の本と赤毛のワンは、本当大人になってから読み返してほしいって。
そうなんですね。
今お聞きの皆さんに、私は声をね。
京極夏彦と赤毛のワンをもう一回読んでくださいって感じですね。
いやでも、やっぱりなんか京極夏彦を通ってきたからか、民族学とかそういうところにもやっぱり後々興味が出て読むようになったし、あと長い小説に対する。
体制ですか。
体制ですね。それはついたと思うんですよ。
ドフトウェフスキンとか読みますけど、京極夏彦に比べたらとかちょっと。
思いますよね。
多分、塗本家の方がカラマゾンの兄弟は長いと思いますよ。おそらくは。
そうかな。
だって2段組で1200ページぐらいありますよね。
ありますね。すごい厚さ。
だとしたら、おそらくそこまではページ数ないはずですよ。
しかも途中になんかすごい難しい思想だのなんだのを挟んではくるんですけど、でもそれってやっぱり京極のあれですよね。非弁と同じなんですよね。
そうなんですよね。だから飛ばしちゃってくださいって苦手な方は一回。
飛ばすこともできるし、でも結局そこは最終的に後で効いてくるっていうか。
そうそうそうそう。でもなんか本当考え方が、やっぱり京極さんの本を読んだ時のある人は独特の考え方をするような気がして。
だからさっきの最後の的さんのおっしゃってた。
精霊に捕まって。
あれとかも、なんかいろんな角度から見てみようっていうふうに思えるようになったっていうか、みんなが同じものを見てるわけじゃないとか。
そうですよね。
あともう一段階言えば、みんな違う個体じゃないですか人間って。みんな離れてる脳じゃないですか。
なのに同じものを見ているってなんで信じられるんだろうっていうふうに結構私いつも思うんですけど、絶対京極さんのあれなんですよね。影響ですよね。
大きいですね。私もそれはすごく思いますね。
こんなにみんな分離しているのに、なんで青はこの色だって信じられるんだろうとか、同じものを見ているって信じて疑わないのが不思議だなって。
1:09:04
あとやっぱりその言葉の解釈の仕方とか、言葉でその人を呪いにかけることもできれば、救うこともできるみたいな。
人間って言葉に依存して何が自分の気持ちだとか、結局そこの依存せざるを得ないっていう部分って大きいよなっていうのは、何かそういうカウンセリングの本だとか、そういった本を読むときに頭にぼんやり京極道の姿が思い浮かんでしまうっていう。
ついつい思い浮かんじゃいますよね。
思い浮かんじゃいますね。
あとはさっき梶原さんがおっしゃったみたいに、やっぱり小説とか読んでて、ついついこの人ついちゃってるわっていう。
着物落とししてもらえばいいのにねみたいな感じに思ってしまう。
さがを背負って生きざるを得ないという。
そう、一回読んでしまうと呪いですよね。
呪いですね。
本当に逃れられないっていう。
本当に中学生という多感な時期に読んでしまったから、なおさらそれはもう逃れられないですよね。
そうですよね。
一番影響を受けた作家って誰ですかって聞いたら、おそらく京福夏彦か夏目漱石かっていう。
そうですね、私もそうかも。
同じ時期に読んでるので。
2話だとそうなりますよね。
心かな。
心かな。
心かな。
確かに。
でも京福夏彦はやっぱり自分の中ではノベル図で読みたいっていうのはすごくあって、何年か前に読み直そうかなと思って本屋に行ったんですよ。
ノベル図は手放してしまったものもあって、家から持ってこれないものもあったので、本屋に行ったら売ってるだろうと思って行ったら、ノベル図版は今売ってないんですね。
そうなんですよ。
絶版になってて、文庫で分割とかなんですけど、分割ってなんだよみたいな。
そう、分割じゃないんだよっていうところですね。
あの重さに耐えって読むんだよみたいな。
まだ耐えるというか、あの重さに斧のけと。
そう。
これどうやって製本してんだっていう。
ねえ、製本の限界を見せてもらったって感じがしますよね。
そうですよね。
そして開いたら2段組なんですよ。
そう。
あの厚さで1000ページ超えてくる2段組って。
なんか宣伝布告なのかっていう。
そうですね。
なんなんだこれは、一体読みきれんのかっていう。
でも、一方で本好きな人にとってはお得意を感はすごいありますよね。
そう、だからあれを見て危機とするか絶望するかで、古いにまずかけられますよね。
そうですよね。
京福さんの場合は。
そうそう。
で、なんかちょっと話がね、手術なにがしに戻るんですけど、
手術なにがしを読んでいて、その中でシェリフに、
もう問答は終わりかい?っていう問答ですね。
文前問答の問答ですね。
もう問答は終わりかい?っていうシェリフがあるんですけども、
え、問答してた?って思っちゃったんですよ、私。
1:12:03
でもファンの皆さんにちょっと怒られちゃうといけないんで、あれなんですけども。
でも、私その後に京福夏彦さんを読んだので、知りませんと。
京福夏彦さんレベルの問答を問答だと思ってしまっていた自分が悪かったんだなってすごく反省したんですよ。
だってね、ジャンプってあんな決められたページで話をどんどん進めていかなくちゃいけないわけじゃないですか。
だから何回かの会話で、これでもう問答としていいんだっていう。
100ページくらい書かないと問答として認めないみたいな。
100ページも書けないんだろ?って。
そこはすごく反省して、また勝手にこうやって自分の持っているところを引き合いだして、そんなふうに思ってしまった自分が本当に情けない。
もう京福夏彦という付物から、あ、だめだ、京福先生が付物になっちゃう。
付物みたいな感じでございますけどね。
時代ペースにあるような京福夏彦。
黒体制ついたのも京福夏彦だと思うし。
でもあの辺の時代って結構真本格のミステリー流行ってて。
それこそ森博士とか出てきたのも確かあの辺だったし。
そうですね、あの時いろんな本当。
作家出てきて、マヤユッタカとか、アリスとかもあの辺だったと思うんですよね。
そうかも。それでちょっと離れて、大津市とかその後西尾一新かな。
だから私よりちょっと一回り下の子たちだと西尾一新とかがすごい読んでたっていう。
ラノベとスイリンモノの中間ぐらいな感じで書いてたんですかね。
なんかまた久しぶりに、何年ぶりかに読んだのでよかったです。
家にあったかな。売っちゃったかもしれないですね。
私何回か売るなり手放すなりしていて、もう一回も買い直してるんですよね。
なんか何回捨てても戻ってくる人形みたいになってる。
今回はもうちょっとサクリ読もうと思ったので、Kindleで買ったら、Kindleなのに超分割なんですよ。
Kindleで分割する意味あるんですかね。
何なんだろうって思いながら、ちょっと途中途中イライラしながらその分割を得たんですけれども。
でもなんか挫折したものと抜き合えた年でしたね。
もう一冊というか、さっきノマドの話の時に今年読んだ本のことを色々思い出してたんですけども。
これがっていうわけじゃないんですが、とっても高齢者が働く話っていうのが増えたなっていう印象があって。
3000円の使い方とかっていう小説をたまたま何かで紹介されてて見たんですけども。
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その中にですね、おばあちゃんが出てくるんですね。70代かな。
70代のおばあちゃんが突然働き出すっていう。
人のためになりたいっていうか、年金とかじゃなくて、働いてお金をもらうことってなんて素晴らしいんだろうって気づくきっかけがあって、その本の中で。
なんかね、お嫁さんのお友達におせち料理の作り方を教えてあげてほしいみたいな。
お嫁さんのお友達たちもおせち料理作ってみたいんだけども、作り方がわからないから、お母さんちょっと教えてあげてほしいんですけどみたいな感じのことを言われ、
おせち料理なんか教えてもねーなんて言いながら教えたらすごく喜ばれ、その上お礼として5000円をいただいたと。
その時に、なんて働いて得たお金というのはワクワクするんだろうっていうか。
で、コンビニとかの面接受けに行ったりするんですよ。そうすると、70代だとちょっとみたいな、60代ならみたいな感じで言われちゃうんですけど、
あまりにもそのおばあちゃんの雰囲気が良かったのをコンビニの人が覚えていて、駅前にできた和菓子屋さんで年配の方を探していると。
従業員で募集しているから、なんとかさんいいんじゃないですかみたいな感じで誘いを受けて、面接に行って働くっていう。
ストーリーの大きいところにはなってはいないんですけれども、その70代が働くっていうこととか、スルリと入り込んできているっていう。
それこそね、最後まで一つの会社で働くっていうことが今難しくなっているし、特に女性なんかは転機が結構あったりもするわけじゃないですか。
そうですね。
そうなった時に、どうやって70代まで働けばいいんだろうっていうような、明るくもないし暗くもない、そういう希望とか、そういうのが意外と今、街に溢れているなって。
たまたま乗ったバスの広告に、70代から働くみたいな広告があったりとか。
そうなんですか。
今、日本がそういうのを推してるじゃないですか。
生涯経験みたいな。
そういうのとか、年金とかでは食べていけないっていう現実が、そういう小説とかに入り込んできたら末期だなってずっと思ってたんですけど。
そうですね。
これがスタンダードになっていくんだなって思って、そういうこと本当に相当いい話ではないので。
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ただ、うちはですね、うちらっていうかうちの実家が自営業でやってるので、うちの親は、親っていうか少なくとも父親は、もう死ぬまで店やりたいって言ってるんですよね。
自営業だと別に定年とかって、これと言って明確にないので、働けるまで働くと。
確かに大きい会社とかにいて、退職金もすごくあって、悠々時的にっていうのは、それは確かにそれで一つの幸福な余生の過ごし方なのかもしれないですけど。
個人的にはそういう親の姿を見てきたからかもしれないですけど、家に幸福な余生を過ごせる人もいるかもしれないですけど、話もそれが本当に幸福なのかどうかっていうのがよくわからなくて。
うちの親みたいに働いて社会に出てた方が生き甲斐になるっていう人もいたりするので。
体も若い時みたいにいうこと聞くわけでもなくなってきた時に、ただ経済的な理由で働かざるを得ないっていうのは確かに大変なんですけども、一方で働かなくなった時にずっと家にいるとかっていうのも、それはそれで苦痛な人とかもいたりするのかなっていうのは。
だから多分その賛成の使い方っていう本の中でそういう感じで書かれてるんですよね。
なるほど。
うんうん。しかも亡くなった旦那さんの残したものと自分の蓄えたものでずっと暮らしていたんだけども、外で働いた時のその喜び的なことも書いてあるわけですよね。
だけどもその働いている姿を息子さんが見て、そんな年を取った母親が働いているのがみっともないみたいなふうに感じる息子さんっていうところも書かれていたりして。
なんかそういう働くことに対してとお金に対しての話なんですけど、その小説は。
なんかでも若い人が読むとすごくいいんじゃないかなって。高校生とか大学生、高校生ぐらいかな。読むとなんとなくいいのではないだろうかっていうような本だったんですけれども。
ただほんと年を取ってからの話っていうのが、作家が年を取ってきてるからっていうのもあるのかもしれないですけど、去年1年間で読んだ漫画にしても本にしてもなんかそういうのが多くて。
もっとペラッと軽いところで言えば、ハッピーマニアっていう漫画、庵野もよ子さんのあの話なんかは、ほんと46歳ぐらいになってるんですよね。主人公が。
続編出てますよね。
1:21:01
そうそう、それそれ。それなんかはもうほんと身につまされるというか、他人事とは思えないことがすごく出てきたりとか。
あとプリンセスメゾンっていうマンションを買う話なんですけども、それは漫画講座を受けた時の課題としてだったので読んだんですけれども、その中にもやっぱり女の人が結婚とかもしなくて、
一人で生きていく時にマンションを買うということを一つのゴール。ゴールでもないんだけども、人生の中の点ではあるんですけど、いくつかこうあるじゃないですか。通過地点。通過地点ですね、ゴールじゃなくて。
通過地点の一つとしてマンションを買うっていう話がいくつか出てくる漫画なんですけども、確かその漫画講座でおっしゃったのが、マンションの住宅メーカーが出しているメルマガ的な、そういうのに載せてた漫画らしいんですよね。
そうなんですね。
だから、女の人がマンションを買うことを普通にしたいっていうか、女だてらにマンションを買うだなんて、みたいな風潮をなくしたいっていうか。そうそう、そういう感じの目的で描かれてた漫画らしいんですけども、人生をどう生きていくかっていうようなテーマが意外と多く、去年はあったなと思って。
そういう年頃だから、そういうのに手を出してしまうのかもしれないんですけども。
でもやっぱりそれは私も20代の時に比べたら、今後はっていうのは、20代の時なんてもうなんか長生きするとか全く現実味がなかったので、その時その時で生きていく感じでしたけど。
やっぱりこのもう40億前になってくると、今後はっていうのはちょっと考えないといけないのかと思いながら、まだぼんやり過ごしてますけど。
まだ、まだいけます。
ライフシフトでしたっけ?なんか人生がもう100年ぐらいのスパンで考えていくってなった時に、その、どう後っていうのをどう過ごすかみたいな。
のなど読んでてすごく思ったのが、その人生のライフスパンがすごく長くなってしまったっていう。長くなってしまったって言っていいのかわかんないですけど、今まではせいぜい生きても60、70ぐらいで寿命が来てっていうような人生設計で社会ができていたのが、
それがもう80、90、100まで生きていくってなった時に、社会の構造とかがそれに追いついていないんじゃないかっていうのを、高齢者の社会問題とか、高齢者がどういうふうに生きていくかっていうのを書いた小説とかを読んだりする時にちょっと考えたりする時はあるんですけれども。
だから的さんのご両親みたいに、もとから自営業だったという場合だと、ずっとね、生涯現役で自分が元気なうちはできるじゃないですか。
1:24:11
解説試してたりして、いざ50ぐらいまで働いたとして、そこから自営業ってなかなか難しいっていうか、できる人はできるけれども、自分もどっちかというと50寄りなので、40の時だったら全然いけるでしょうって思ってたけども、いざ50近くなってくると、意外に体力的に難しいなとか。
そうですね。自営業は体力勝負ですね。何の勝負をするかによりますけど。
だから今、コーヒーとかも仕事としてやっていますけれども、集中力とか、いろんなところで、これはなかなか難しいかもしれないと。もっと年を重ねた時に。
さっき野間さんの時にちょっと話しましたけれども、若い人たちもどんどんと参入してくるわけじゃないですか。そうなった時に、年を取った人から買うのと、若い人の上手なブランディングのところから買うのでは、まずブランディング力とか。
そうですね。企画力とか。
企画力とか、その時代に合わせて発信力とか、そういうところからどんどんとポロポロポロっと押していくのではないだろうかとか。同じ投票に全員上がっちゃう時が来るかもしれないじゃないですかね。これからって。
そうですね。
どんどんと、若いうちにリタイアしましょうみたいな流れにもなってきてるし、そうなってきた時に、年寄りどうする?みたいな。だけど、年寄りの中でも若手の方の年寄りだから、今のうちから何かしておかなくちゃっていう気持ちがすごくあって、最近。
種を蒔いておかなくても70代のためにっていう。
なんか、すごく、それが周りからも煽られてるような気がして。
その読み物とか、こんなライトな方にそんな70代のおばあちゃんが働くって、出てきちゃう?みたいな。
差し込まれてくるっていうか、そういうのをひしひしと感じる読書でした。昨年は。
ジェンダーとはまた違う何か。
また違った軸ですよね。
また違った軸でしたね。労働?
労働。逃れられないんですよ、労働。
逃れられない労働と、あと最後にちょっと一つだけ軽く、これも読んだ本で、文芸界っていう小説、文芸春秋から出てる文芸界っていう雑誌の9月号に、桜庭和樹さんが載せてた「少女を埋める」っていう小説があって、
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それは今度、年を取った親と年を取った娘のあり方っていうか、その関係性の話だったんですけども、なんかこういうのがやっぱり世代的に身につくのか、
作家と自分の年齢が近くなってきてるから、そういうふうなテーマが出てくるのか、ちょっとわからないんですけれども、
近い未来とか近い将来の話がすごく載ってる。桜庭さん、私、若いはず、同い年ぐらいだったかな。
たぶんそうなのかも。
そこまで離れてないんですよね。だから、すごく近い問題を抱えていて、そういうところで意外と考えさせられる方に、昨年は出会ってしまったなっていう。
だから、たぶん、年末最後に読んだ京極さんの本が、内容はともかくとして現実離れしてたから、もう最高って思ったのかもしれないなって。
全然、自分と接点がない。塗りぼときは全く私の人生とは接点がないので。
そうですね。ないと思いたい。
とりあえず、つきもの落としをしてもらわなくても、たぶん大丈夫だし、今のところは。
もうね、その話の内容がハッピーだろうが、ハッピーじゃなかろうが、もうオールオッケーみたいな感じ。
でもそれは、自分の身にあんまり関係ないとかでは、ちょっとないかもしれないですけど、
去年読んだ本の中で、外国の、しかもあんまり身近じゃなさそうなところの、それこそヒップホップモモリアとか、
アフリカの本とか、あとはプロジェクトファラフットみたいなアメリカのゲットの話とか、ノマドもそうなんでしょうけど、
日本の話より、外国のあんまり身近じゃないような文化の本、文化人類学の本とかすごい読んでて、
今自分が暮らしている社会との対比で、こういう社会もあるんだなとか、こういう考え方しながら生きてる人たちもいるんだなっていうのも、
ちょっと興味があって読んでたっていうのはあるんですけど、やっぱりちょっと今の日本の問題に向き合いすぎると、
ちょっとあまりにも疲れるなっていうのもあって、別のところの国のやつよみたいな、そういう気はすごくあったんだと思うんですよね。
だって読書って結構そういうところはある。ちょっと芸術逃避したいっていうのはあると思うんですけど、
去年一昨年は本当に富にそれが大きかったのかなっていう。
今的さんがおっしゃってて、自分の中で腑に落ちたのは、去年はちょっと私の父が体調を崩したりして、
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半年間ぐらいバタバタバタッとしたんですね。そういう時だったから、すごく漫画とかが救いだったのかもしれないですね。内容はともかくとして。
やっぱりああいう時に勤務授業的な重さのは読めないっていうか。
ちょっと読めないですね。ちょっと削られますよね。
そうですね。だから去年は私の人生の中で重い本をほとんど読んでないっていう。
意外とヘビーな本好きなんですけど、なんか振り返ると割とライトな本ばっかり読んでたなっていう気がしますね。短編で意外に。
いやー疲れてる時に、やっぱ現実がすごくパワー使う時に重い本ってなかなか読めないですよね。
そうですね。
逆に私、やっぱ重い本を読めるっていうのは、ある程度やっぱり元気で、ちょっと余裕があるのかなって思いますけどね。
そうですね。でもそうなんだなって今思いました。だから今年は重い本たくさん読んでいこうと思います。
でも去年は一昨年よりはまだ良かったかな。去年はまだちょっと、一昨年はコロナだったし。
ちょっとお仕事でも大変そうでしたね。
そうですね。ちょっと大変でしたね。去年はまたコロナの中、仕事を辞め無職になり、転職活動をするっていう無謀なことをしてましたけど。
その中でそれだけヘビーな本読まれてるっていうのは。
今はちょっと転職先では落ち着いてはいるので、それは少し余裕が出てきたのかもしれないですけど、でも結局ポッドキャストをやり始めてから全く本は読めてないですね。
本末転倒じゃないですか。
もう11月とか無しになってますからね。一番編集でううう言ってた時期ですね、これは。本末転倒なんですよね。本当に。
今年はもうちょっと読めるようにしたいですけども。
そうですね。
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