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2025-01-19 32:33

「新年、祝福される信仰の為に」2025年1月19日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年1月19日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)フィリピ3:12-14 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト․イエスに捕らえられているからです。13. 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、14. 神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

メッセージ題 : 新年、祝福される信仰の為に (フィリピ3:12-14)
*新年、皆さんが夢を見たり、新しい決心をされたなら、教会は尊重しお祈りを持って応援します*教会は新年、皆さんがもっと良い信仰を持つことを祝福します。信仰が大事です。イエス様の口癖?あなたの信仰があなたを救った。あなたの信仰通りなりますように。信じるならその通り・・・
1.私たちの信仰生活で、一番大事なのは信仰です。
*ヨハネ6:29私たちがやるべきことは信じること!‐>神様がなさることは?信仰を見られ働くこと*ところが、信じる?という言葉ほど・・・でたらめな話はありません。あえて何を信じるというのか。
#私たちが信じる神様は?創造主、絶対的な主権者である神様と救い主イエス様と助け主聖霊の三位一体の神様を信じます。―>ところが、この信仰がどれほど大事なのか?救いも、お祈りの応答も、礼拝での出会いも、賛美のお受けも、癒しと回復も・・・すべて信仰によって捧げるとき
#また、信じる根拠は?ローマ10:17自分の希望ではなく、神様の御言葉、神様からの約束に!
2.このような信仰に・・・正しい信仰と誤った信仰があります。正しい信仰に神様の応答があります。
*誤った信仰をもっていながら、自分は信じているから神様が喜ばれるだろうと?イザヤ1:11 正しい信仰に神の応答と祝福がありますが、誤った信仰には災いがあります。十字架の福音で学んだ、神を知ること、神を愛すること、神を信じることに対する定義を持って・・・ その関連性を!
1)神を知るという言葉の意味?
神に関して知ることと神を知ることの違い・・・理論的知識的勉強によって?親しい交わりの中で照らされて?神に関して知ることは悪魔も持っている。ヤコブ2:19
2)神を愛するという言葉の意味?
神を愛するというのは神様だけを愛することの意味。いろいろなことを愛する中で神様もその中で一人、それは愛ではない!神様だけ愛することが正しい信仰
3)神を愛することと神を信じることは同じ概念。
 神様も信じ、この世も信じ、自分の力も信じるなら?*神様がイスラエル民を荒野に導かれた理由?荒野に行けば、その信仰が正しいのか分かる!
#神を正しく知る、愛する、信じる為大事なのは?聖霊様の働き!Ⅰコリント2:10,ガラテア1:12
では、どんな人に聖霊様の働きがあるのか?Ⅰペトロ5:5謙遜な人に、マタイ5:3-11幸いな人
3.信仰には変わる信仰があるし変わらない信仰がある。変わらない信仰に、子孫に祝福と美しい継承が!
*信仰は最後まで行ってみなければわからない。最後まで変わらない信仰が美しい、継承が!*ダビデとソロモン?サムエル下10章以前と/11章以後のダビデの信仰?列王上8章以前と9章以後のソロモンの信仰は?変わった!それによってイスラエル国の運命が・・・しかしモセ、ヨシュア、サムエル、ダニエルの信仰は?変わらない美しさを最後まで!黙示録2:4,5エペソ教会?
#どうすれば最後まで変わらない信仰を?パウロから学ぶ。フィリピ3:12₋14過去を?焦点をイエスに最後まで変わらない信仰を維持するとき・・・私たちの子供、家族、教会が祝福され継承されます@信仰は大事。信仰を見て働かれる神様。偽りがない正しい信仰、変わらない信仰をもって継承

サマリー

2025年1月19日のメッセージでは、新年に向けて祝福される信仰の重要性が強調されています。信仰の力や、それが神との関係を形成する方法について語られています。また、正しい信仰と誤った信仰の違いに焦点が当てられ、神を知ることの重要性が示されています。このメッセージでは、ダニエルや彼の友人たちの信仰を通じて、神に対する信頼の重要性や、その信仰が奇跡をもたらすことについて述べられています。さらに、聖霊の働きや謙遜な信仰の必要性、変わらない信仰の秘訣についても触れられています。新年を迎えて、信仰の重要性が再確認され、過去を振り返らずに未来に向かって歩むことの大切さが語られています。また、子供たちへの信仰の継承が教会の繁栄につながるというメッセージもあります。

新年に向けた信仰の重要性
今日は、新年、祝福される正しい信仰のためにという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先ほど申しましたけど、新年、皆さんが見られた夢、 また皆さんがなさった決心、
また私は今年ぜひ、これはやっていきたいと思っておられること、決心されたことがありましたら、
教会は皆さんの夢、皆さんの決心を尊重して大切に応援していきたいと思います。
ぜひ教えていただければと思います。 また教会は、
皆さんが今年はもっと良い信仰を持つことを教会は祝福していきます。
信仰ということは非常に大事です。
イエス様の口癖があると、ある人が勉強会をしながら、マルコの勉強をしながら言いました。
イエス様は口癖があるんですね。あなたの信仰があなたを救った。
あなたの信仰通りになりますように。これがイエス様がいつも言われたことです。
あなたの信仰があなたを救った。あなたの信仰通りになりますように。
だから私たちはどんな信仰を持っているか、イエス様はそれを祝福して、その通りになりますようにと、イエス様は応援の祈りをしてくださったんですね。
じゃあそうです。信じた通りになります。
私はyoutubeで大抵、これをやればいいですか、やらないほうがいいですかといろいろな議論が出てくることがあるでしょう。
私は簡単です。あなたが信じる通りになりますよということです。
あなたはこれが大事だと思いますか。これを信じる通り神様はあなたに報いてくださると私は信じます。
これが正しいのか正しくないのかということを分別することは大事だけど、皆さんが持っている神様に対する信仰、これは非常に大事です。
信じることができれば何でもできるということも聖書は教えてください。信仰は素晴らしいことです。
ですから今日は信仰について皆さんとメッセージを分かち合いたいと思います。
ヨハネ6章28節29節に人々がイエス様にこう聞きます。
神の業をするためには行うためには何をしたらいいでしょうか。
みんな神様に対する熱心があるから、神様のために何かやりたいと思うでしょう。
だからみんなが神の業を行うためには何をすればいいですかと言うとイエス様の答えはこうです。
神様がお使わしになったものを信じることそれが神の業です。
じゃあ皆さんよく考えてください。私たちがやるべきことは信じることです。
だったら神様が私たちを信仰いただいてもらって神様は働くんです。
私は信じました。神は働きました。
一番大事なのは私たちが信じることができれば神様がその信仰を持って私たちに働いてくださいます。
だから信仰を持つことは非常に大事です。
ところが信じるという言葉ほど手たらめな言葉はありません。
一体何を信じるんでしょうか。また信じると言ったら信仰の根拠は何でしょうか。
だから信じると言うならあなたは何を信じるんですかということを中身を聞いてみなければなりません。
私が出会った日本のOJの方たち、他の宗教を持っていらっしゃる方たち、みんな神様を信じますと言いました。
あなたが信じる神様は一体どんな方ですか。聞きたいほど。
皆さんは一体どんな方を信じていますか。どんな神様を信じていますか。
私たちが信じる神様を確かにしなければなりません。信仰は信じる対象が確かじゃなければいけません。
私たちが信じる神様は聖書がお話しされる神様です。
天地万物と人間を作られた創造主、絶対者、主見者神様。
また私たちを罪から救うために、十字架で自分の身を犠牲してくださったイエス・キリスト。
また私たちを助けるために、今私たちのうちに来ておられる聖霊様。
私たちはこの三密体の神様を信じます。
これを皆さん、父なる神様、子なるイエス様、生理三玉の神様。
この神様に対して知れば知るほど私たちの信仰は良くなるし強くなるし、
また私たちのこの信仰によって成し遂げられるパワーはすごくなります。
この信仰はどれほど大事なのか。
私たちのすべては信仰によって成し遂げられます。
信仰によって救いが与えられ、信仰によって行った祈りに答えがあります。
信仰によって捧げる礼拝に神様との出会いがあり、
信仰によって捧げる賛美に神様は応えられます。
また信仰によって主に進み出るときに癒しが伴い、回復の働きがあります。
正しい信仰の定義
すべて信仰を持って捧げるとき、神様が喜ばれて答えをしてくださいます。
この信仰の根拠は私たちの希望ではありません。
聖書で書かれてある神の御言葉、神様の約束が大事です。
ですからローマ書中七節には、
実に信仰は聞くことにより、
しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ですから皆さん、御言葉から始まらなければ信仰は始まってもない。
だから私は信じます。何を信じますか。
御言葉に根拠があって、私はこの御言葉を根拠を通して、
私はこのような神を信じるし、このような祈りに応えられると信じますということになれれば、
本当に皆さん正しい信仰になったことがわかるでしょう。
ところが信仰には正しい信仰と偽りの信仰があると、
十字架の福音で学びました。
もし偽りの信仰、誤った信仰を持って、
私は信じるから神様は喜ぶだろう、
私は信じるから神様は応えてくださるだろうと言うかもしれませんけど、
私は信じると言うんですけど、神様は全然知らないと言われることがあります。
イザヤ1書中1節に、
お前たちの捧げる多くの生贄が私にとって何になろうか、
私はその生贄を喜ばないと言いました。
自分たちは捧げたんですけど、神様はこれを受け止めない。
受け入れないと言われます。
神様はむしろそれが嫌だと言います。
そのような礼拝を捧げながら祝福されると期待できますか?
ですから正しい信仰には祝福がありますけど、
偽った信仰、誤った信仰にはむしろ災いが臨むことがあります。
十字架の福音を学びながら、
神を知ること、神を愛することの定義を学びました。
またそれが正しい信仰と、誤った信仰と関係があることを分かりました。
まず信仰で一番大事なのは神を知ることです。
神を知るなら神を愛することができるし、神を信じることができます。
神を知ることが一番大事です。
しかし神を知らないのに神を愛しています。
これはどんな神を愛していますか?
神を信じます。どんな神を信じますか?
だから神を知らないのに信じるんだということは過ちにながれます。
神をよく知ってから信じるなら、これは正しい信仰になるでしょう。
ここでこれはいつも皆さんご存知のこと、
私たちの教会には基礎に与えるこの部分を皆さんに聞いてみましょう。
神を知るという意味をご存知ですか?
私は神を知っています。
ここには神様に関して知ることと神を知ることがあるということを
中治家の福音で学びました。
神に関して知るということは理論的、知識的に知ることであり、
また神を知ることは神様を人格的に親しみを通して、体験を通して神を知ることを意味します。
神に関して知ることは勉強によってできますけど、
神を知ることは親しい関係、また精霊様の照らしによって知ることができます。
神に関して知ることは何の力もありません。
しかし神を知ることを体験的に知るなら驚くほどの働きが行います。
皆さん、ヤコブが原に行く土地に荒野で夜になりました。
石を枕にして寝ているところです。
そこで夢の中で神様が現れました。
ヤコブは驚きました。
それでヤコブは何と言うんですか?
ここに神様がおられる。神の家だここが。
そしてこの場所をベテルと言いました。
このヤコブが体験したベテルの神様。
ヤコブの一生涯このベテルの神様によって信仰が持ち入れられました。
この大事な体験。
しかし神様に関してよく知っていたパリサイ人たち。
そのパリサイ人たちの信仰は
立法主義・陳本主義・ゴリヤク信仰になる
この誤った信仰だったんですけど
神を親しくわかってから神様に捧げた礼拝。
ヤコブの礼拝はこれからヤコブの人生に大きな祝福の源になりました。
神に関して知ることは悪魔も持っています。
しかし神様と親しい関係の中に知ることは
これは正しい信仰を持っている人だけ持つことができます。
もし私たちが持っている神様に対する信仰
これが神様に関する知識できない信仰だけだったら
この信仰は誤りやすい、誤りに流されやすい信仰でしょう。
また神を愛するという言葉はご存知ですか?
神を愛することは神様だけを愛する意味です。
神様も愛し、世の中も愛し、他のことも愛し
神様がいろいろ愛することの中で
一つの部分だということになるなら
それは神を愛することではありません。
これもすぐわかるでしょう。
妻も愛し、他の女性も愛し
これは愛することではなく
その愛には災いが臨みます。
しかし神様だけを愛する信仰なら
これは大きな祝福が伴います。
ここに神様だけを愛するこの信仰が正しい信仰であり
神も愛し、他のことも愛し
いろいろ愛する中で神様もいますよということは
これは誤りに流されやすい信仰になります。
神を信じることは神の愛することと同じです。
神も信じるし、世の中も信じるし
自分の力も信じるし
これは神に対する信仰ではありません。
神を信じるということは神様だけを信じることです。
神様だけを信じる信仰に正しい信仰です。
この信仰に祝福が伴います。
神様が逸られる民をアラノに連れて行きました。
なぜアラノに連れて行くのか
信仰の訓練のためです。
何にもないアラノに行ってみなければ
その人が持っている信仰が正しい信仰なのか
偽りの信仰なのかわかりません。
この世の中で何にも委ねることがない
神様しかいない
そのところで完全な平安
完全な満足を得られることができるのか
ここが正しい信仰です。
ダニエル詩を読んでいますと
ダニエルが獅子のほららに投げ込まれました。
獅子が立ちます。
飢えている獅子。
神に対する信頼と奇跡
この中でダニエルがこれを流されました。
投げ入れました。
この怖い獅子を見て
ダニエルの真骨はどこにあるのか聞きたいでしょう。
ダニエルはその怖いところの中で神様を信じました。
アラノの中で神様を信じると同じように
獅子のほららの中でダニエルは神様を信じました。
神様がダニエルを救ってくださるだけじゃなくて
大きな祝福を与えてくださりました。
ダニエルの3人のお友達も同じです。
バーベロンの国の中でみんなが金の城に
金の空城に拝むんですけど
3人は拝むことができないと言いました。
それで陽光炉に投げ込まれました。
陽光炉の中にいる3人
そこにお祈りが加えられて4人が
陽光炉の中にうろうろしながら
何にも被害を受けることはなかったんです。
この中での信仰
この信仰は一体どんな信仰でしょう。
これは神様だけが私の全て
神様だけを信じますという
ダニエルと3人のお友達の信仰でした。
その信仰はものすごい大きな祝福と奇跡が伴い
私たちがたびたび
私たちの生活の環境の中で
難しい場面がたくさん現れる時があります。
その時にイライラしながら
私どうしようどうしよう
これは何を意味するのか
あなたは信仰がないということを意味します。
もう世の中がどうであれ
私は神様が共におられる。
神様が私の全て
神様によって私は生かされる。
これだけ信じているなら
神様はどんな場面どんなところだとしても
癒してくださり助けてくださり
救ってくださいます。
心配することはない
ただ信じなさいと
ヤイロンに言われた同じように
私たちもただ神様だけを信じる信仰
そこに奇跡があるし
神様が喜ばれる信仰です。
聖霊の働きと謙遜な信仰
バリサイ人たちは
勉強をたくさんやった人です。
彼たちは優れた聖書知識を持って
自分たちが一番神様を愛する人だと思いました。
一番信仰がいいと思いました。
しかしイエス様は
ヨワネ8章44節で
あなたたちの父は悪魔だと言いました。
聖書の知識、教理、信仰の年数
このばかりを考えながら
自分は偉い、信仰はいいと拷問になった人たちは
悪魔の餌食に過ぎなかったのです。
彼らは聖書はよく知っていたのですが
信仰はできませんでした。
結局、偽りの信仰をやりながら
滅ぼされたと言ったことは良いでしょう。
私たちが神を知り、愛し
正しい信仰を持つために
私には何が必要でしょう。
それは聖霊の働きが必要です。
聖霊様はどんな人に働かれるのですか。
聖霊様は神のすべてをご存知ですから
聖霊が働くときに
私は正しい信仰を持つことができるのですが
聖霊様はどんな人に働くのか。
ペテロ、大地ペテロ、コショ、コセテには
神は傲慢な者を敵とし
謙遜な者には恵みを与えてくださる。
大事なのは
聖霊様は謙遜な人に働きます。
だから謙遜な人には
正しい信仰ができます。
しかし傲慢な人は
正しい信仰に導くことはできません。
また三条の推訓で
マタイ五章三節から八節
貧しい心、悲しむ心
気に飢え渇く心
そのような心を持って死を求める人に
聖霊様が働いて
その渇いている貧しい心を
豊かに満たしてくださいます。
このように
聖霊様が働いて信じることになるなら
神を正しく知り
正しく愛することができ
正しい信仰を持つことができるので
そのことを通して
救いは正しい
お祈りは正しい
礼拝が正しい
すべての信仰の祝福をいただくことができます。
神様はこの謙遜な人を大事に思っておられます。
ですからアグスティンが
信仰の第一は謙遜
第二も謙遜
第三も謙遜だと
本当に礼拝は謙遜な人たちが
神を恐れ敬いながら
神の前でひざまずいて
神様と賛美し祈り礼拝する
これが神様の前で受け入れられる
礼拝になるでしょう。
じゃあ私たちは正しい信仰なのか
逸話の信仰なのか
結局その心が
神の前で謙遜で
恐れ敬う心を持っている人に
聖霊が働いて正しい信仰に
導かれることが分かりました。
是非とも謙遜になって
正しい信仰に導かれる
変わらない信仰の秘訣
私たちになりましょう。
もう一つあります。
信仰には変わった信仰と
変わらない信仰があります。
皆さんが一番好きな言葉は何ですか?
永遠に変わらない
永遠に変わらないということを
みんなが好きです。
永遠に変わらない人を好きだし
その歌も
前にユナさんがピアノで
弾いてくださったんですね。
永遠に変わらない
みんなが好きなんですけど
私たちは変わりやすいものです。
私はもう明日になれば
70歳になります。
70歳になれば
いろいろ考えることいっぱいありますね。
私も若い時は
イザヤのように
主よ私がここにいます
私を使わせてくださいと
祈る時に手を挙げて
叫びながら神様に祈りました。
今私は
本当に私自身が見ても情けない
そのような勇気はどこにいたのか
情熱はどこにいたのか
心骨の熱い心はどこにいたのか
と思われるほど
今は本当に情けない私がいます。
ですから
私が今考えていることは
最後まで行ってみなければ
わからないんだということです。
最後まで行ってみなければわからない。
時間が過ぎると全てが変わります。
ですから
長い信仰生活しているうちに
初めは良かった人が
だんだんだんだんだんだん変わって
後になってみれば
本当に惨めな存在になっていく場合が
たくさんあります。
皆さん信仰の素晴らしい人
ダビデ
神様が一番愛したと言われるダビデ
ダビデの信仰
サムエル城からずっと
ダビデの信仰が出てきます。
しかし
サムエル家の10章までのダビデと
サムエル家の11章からのダビデは
全然違うダビデのように見えます。
なぜなら
ダビデの信仰が変わったんです。
ソロモン
レチョウキ城の1章から8章までのソロモンと
9章以降のソロモンは
全然別のソロモンです。
どうしてこの素晴らしかった信仰が
変わったのでしょう。
結局
最後の時のダビデの罪によって
イスラル国が揺れ動かされ
最後の時のソロモンの罪によって
国が2つに分けられました。
その後
ソロモンの子孫たちは
アッシリアとパベロンに滅ぼされて
捕虜になってしまった。
ダビデの時代のイスラエル
ソロモンの時代のイスラエル
まさかこんな
ダビデの王国が
パベロンの捕虜になったり
アッシリアの捕虜になったりするのでしょうか。
しかし
捕虜になってしまいました。
だから皆さん
私たちはわかりません。
今はいいと言いますけど
私たちは信仰が変わり変わり変わって
どんなみじめなものになってしまうのか
わかりません。
ですから
大事なのは信仰の先祖たちが
うまくやらなきゃいけない。
先祖たちが大事なんです。
しかし
聖書の中で
モーセ
ヨーシュワ
サーメル
ダニエルの信仰は
また
主役時代のパウルの信仰は
変わりがありませんでした。
最後まで
美しい信仰を
保つことができたんです。
どうしてこんなことができるのか
信仰は純粋なものだから変わりやすいです。
しかし
変わらない信仰の秘訣は何か
パウルが教えてくださいます。
これが今日読んでくださった
フィリップン3書の
12節から14節まで
私がもう一度読みましょう。
私はすでにこれを得たというわけではなく
すでに完全なものとなっているわけではありません。
何とかして
捉えようと勤めています。
自分はキリストイエスに捉えられているからです。
兄弟たち
私自身は
すでに捉えられたとは思いません。
なすべきことはただ一つ
後ろのものを忘れ
前のものに全身を向けつつ
神がキリストイエスによって
上へ召して
お値になる賞を得るために
目標を目指して
ひたすら走ることです。
パウルの素晴らしさは
今までやった過去のことを
どれほどうまくやったと思っても
それを全部忘れる
捨てる
自分が考えることは
前のことばかり
全身を向けつつ
それからそこにひたすら走るんですけど
その竹は何でしょう
イエスキリストなんです
イエスキリストにフォーカスを合わせて
イエスキリストをもっと知るため
イエスキリストのようになるため
だから
学ぶ
イエスキリストを学ぶ
イエスキリストについていく
イエスキリストに対してもっともっとしていく
自分の人生のすべてを
イエスキリストにフォーカスを合わせて
死ぬまで
最後までイエス様についていきましょう
だったら変わらない信仰
正しい信仰なのに変わらない信仰で
最後まで貫くことができました
皆さん
ダビデの過ちはここにあるんです
サーメル家の24世を見ますと
サーメルの最後に
信仰の継承の重要性
人口調査をするんです
イスラエル人口調査を命じます
私はその人口調査をするのは
もうやることもあるでしょうと思う
そこになぜ神様はこんなに怒られたんでしょう
理解できませんでした
しかし今日のパウルのメッセージ
今日ピリポ3章中年説から中年説を読みながら
理解ができました
パウルは過去にやったことを全部忘れて
前を向けて前進しつつ
イエスキリストをフォーカスにして
ずっと前にし続けたんですけど
ダビデは何をしているんですか
終わりの時に後ろを向いて
自分が何をしたのかそれを計算していたんです
パウルは後ろのことを全部忘れて
前のことを見ているのに
ダビデは後ろをやったことを
自分はどれほど偉い王様で
どれほどうまくやったのかを数えていたんです
皆さん自分が全部やったことは何ですか
神様の恵みによってできたんじゃありませんか
自分がやったことではないでしょう
神様が全部なさいました
だったら自分は神様がしてくださったこと
ありがとうございますと言って
前を向けて前進しつつ
イエス様についていけばいいのに
それができなかった
これがダビデの大きな過ちでした
その過ちによって
サムウェル経の24章中3説から見ますと
3つのことで選びなさいと言って
彼が神様から与えられた罰を選ぶんですけど
3日間疫病がイスラエル全域に広まることでした
この疫病によって人々は死んでいく
苦しんでいく
そのことでダビデは悔いを改めたのでしょうか
神様がやめなさい
この怒るのはやめなさい
それでやっとイスラエルが生かされるようになりました
皆さん最後まで変わりがない信仰
皆さんこれが大事な理由は
最後まで変わりがない美しい信仰を持つとき
その信仰が正しく私たちの子供たちに
この後の子孫たちに継承ができます
アブラムがイサクに
イサクがヤコブに
ヤコブがヨセブに継承した
これは優しくできることではありません
上の方の信仰が美しく結末でできるとき
次のところに美しい信仰が継承されるんです
私が一番願っていることは
今皆さんごめんなさい
教会が小さい理由があります
開拓のメンバーは苦しますよ
2代目3代目は繁栄します
開拓のメンバーはいつも苦しむしかないんです
なぜ?開拓するものだから
私たちの目指すのは
私の後の世代が美しくものになりたい
私たちの後のものが繁栄してもらいたい
これじゃありませんか
皆さんが繁栄してもらいたいんですか
いいえ私は貧しくても
子供たち 理性たち
この後の私たちの子孫たちは繁栄して
幸せになってもらいたい
これは親の心ではありませんか
これは先祖の心ではありませんか
子供たちをうまくやるためには
私の後の結末が美しく終わらなければいけません
これが私たちが正しい信仰もいいけど
正しい信仰を持って最後まで美しく結末を
ちゃんとこれをやっていくなら
この信仰が後に繋がり
アブラムの信仰がイサクに
イサクの信仰がヤコブに
ヤコブの信仰がヨセブに
それから十二部族
それでイスラル人域に祝福が広まっていくんです
信仰の先祖という言葉は優しい言葉ではありません
美しい信仰の実践
最後まで美しく信仰を持って
最後まで貫くことが大事です
私たちこれから最後まで美しい信仰を持って
私たちの教会をこの次の世代に
これをうまく継承できるようにやっていきましょう
もう始まったのに
あとはめちゃくちゃで
もうやったのかやるのかもわからないうちに
全部もうパーンになってしまった
このために開拓したんですか
そうではないでしょう
この信仰が主によって
日本全国に美しく広まるために集まったでしょう
私たちに責任がある
これからどうなるかはうまくやっていきましょう
今日は信仰によって分かち合いました
信仰は非常に大事です
神様は私たちの信仰を見られて
働いたり祝福したりします
このために偽りの信仰をやめましょう
正しい信仰をやりましょう
変わる信仰ではなく
永遠に変わらない信仰
ユナちゃんがピアノを弾いてくれた
永遠に変わらないもの
変わらない信仰を私たちがやっていきましょう
そうするなら私たちも
子どもたちもまた教会も
これからますます反映し
ますます祝福する教会になると信じます
開拓メンバーは苦労しますよ
開拓メンバーが幸せになると思うのやめなさい
開拓メンバーは苦労するもんです
これ次が祝福されるんです
次が反映されるんです
私たちは準備して子どもたちに
また子孫たちに立派な遺産を伝えてあげましょう
お祈りいたします
私を今日は信仰によってついて分かち合いました
私たちはいつも信仰信仰と言いますけど
変わらない信仰正しい信仰を持って
神様を喜ばせる教会になりたいと思います
どうか私たちの力ではできません
恵みを与えてください
イエスキリストの皆を通してお祈りいたします
アーメン
32:33

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