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2024-12-08 31:57

「待降節の福音、地獄から天国へと救う為に」2024年12月8日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2024年12月8日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)Ⅱペトロ3:8-11愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。9. ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。10. 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。11. このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。

メッセージ題 : 待降節の福音(イエス様が来られた理由、地獄から天国へと救う為、Ⅱペトロ3:8-11)
*クリスマスの4週前から、イエス・キリストの来られることを待望する、アドベントの時期です。今は再び来られるイエス様を待ち望んでいますが、なぜイエス様はこの世に来られたのか?再び来られるのか? 
*全人類を地獄から天国へと救い、導く為に!絶対忘れてはいけない聖書。ヘブライ9:27 
*人間はすべて地獄に行くしかありません。アダムの原罪の故に。罪、死、地獄


1.地獄はどんなところであり、元々、誰が入るようになっていますか?

*マタイ25:41元々地獄は神様の創造秩序の破壊者、神に敵対したサタンとその手下を罰する為に備えられたところですが、悪魔の誘惑に騙されて罪を犯した人間と、福音を断った人間が
*聖書は地獄を・・・永遠な火の池、外の暗いところ、永遠な罰、永遠な滅亡、火と硫黄の燃える池と呼ばれます。マルコ9:48-49では地獄では蛆が尽きることも火が消えることもない。人が火で塩味を付けられる。ところです。このような地獄に人間が入る?・・・この問題を解決する為に
#聖書で地獄について誰が一番、沢山語られたのか・・・ヨブ記、詩編、箴言、イザヤ、エゼキエル、福音書、書簡、黙示録一番沢山語られたのはイエス様だった。なぜ?救う為に来られたから
*私たちが知らない将来のこと?Ⅱペトロ3:6-11最後の裁き、神様の忍耐?悔い改めることを


2.神様は、神の御姿で創造された人間が地獄に陥られることを願っておりません。救いたいと!

*その為に、ひとり子まで犠牲をされながら!ヘブライ9:22贖いの血を流すように!それほど…使徒4:11,12 神様はすべての救いの道を備えておいて待ちますが?千年を一日のように!
*しかし、神様の御心を知らない人間・・・100年の人生、何の為に与えられているのかを知らないで?この世がすべてだと思って、この世で上手く食べて生きる事ばかり考え、罪の上、罪を?
‐天国に行けない人は失敗した人生。この世でどんな生活をしても天国に生きるなら成功の人生
*しかしここに問題が・・・救い論が間違えて騙されやすい。落とし穴!救いは恵みによって信仰によって始まるが・・・完成は天国に入ることなので、信仰生活の間、油断しないで、イエス・キリストに従う生活に忠実にしなければ。マタイ7:21-23。ある人に福音を伝えたら?父母が地獄にいるなら?自分だけどうして天国に行けるのかと・・・ルカ16:27-28地獄にいる親の切なる願い・・・


3.救いは、この世で住んでいるすべての人の問題。救いは個人のことがら、代わりにやってあげられない

*個々人が救い主イエス・キリストに出会って、信仰によって信仰告白をしなければ。また、イエス様に従う生活をしなければ・・・子供たちが心配です。子供たちが天国に来るようにどうすれば
→親ができるのは、イエス・キリストの福音を教える、またとりなしの祈りを・・・主が恵みを与えるように!ですから・・・親である私たちが確かにしなければ!地獄はどんなところなのか、天国は
*一番大事なのは、イエス・キリストに対する信仰、愛、親しみの中で聞き従う生活=最善の準備
@待降節の時期!イエス様は神様を愛して、人間を愛して・・十字架を背負う為に来られた。感謝

サマリー

このエピソードでは、待降節におけるイエス・キリストの誕生が全人類を地獄から天国へ導くためであることが強調されています。また、地獄の恐ろしい現実とそれに対する神の救いの計画についての説明があります。さらに、天国と地獄の概念について深く考察し、永遠の命と永遠の罰の違いが明らかにされています。愛する家族のためにどのように祈り、救いを求めるべきかについても語られています。イエス・キリストに対する信仰と救いの重要性が強調され、クリスマスの時期において人々が永遠の世界における救いを求め、神様の願いに応える必要性が語られています。

イエス・キリストの誕生の目的
毎週主事デハイでは、待降節の福音というテーマで、
イエス様がなぜ来られたのか、イエス様が来られた理由を、私たちが少し学んでいるところであります。
今日は、イエス様が来られた理由を、地獄から天国に導くために来られたという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
待降節の時期、イエス様が来られたことを記念する時期ですけど、なぜ来られたのか。
今日は、全人類を地獄から天国へと救うために来られたということを申し上げます。
私たちの人生に、絶対忘れてはいけない聖書の見事場があります。
これ、ヘブライ賞9章27節です。
また、人間にはただ一度死ぬことと、その後、裁きを受けることが定まっているということです。
人間はただ一度死にます。この後、何もないことではありません。
この後、必ず裁きがあることを定まっているということです。
ですから、私たちは人生を全てを行う時に、神様の裁きを受ける覚悟で、私たちは毎日毎日の生活を過ごさなければなりません。
ところが、人間は、みんな地獄に行くしかありません。
なぜなら、人類の先祖であるアダムとエバが、神様が禁じられた全悪の知識の木の実を食べて、罪を犯したからです。
これを原罪と言います。
人間はすべて原罪のもとで生まれ、人間には原罪が流れることによって、原罪のもとにある人間は罪。
その罪によって死ぬこと、その後、罪によって地獄に行くこと、これは避けることができない、これは仕方がない方法です。
なぜなら、罪人は自ら自分自身を救うことができないからです。
人間の罪の罰として、創世紀3章16節から19節まで、神様が女性には子供を産む腹身の苦しみを与えたと言います。
その前はどうだったのか分かりません。
とにかく子を産む苦しみ、男性には生涯食べ物を得るために苦しむと言いました。
その生涯苦しみをずっと経って、最後に地理に過ぎないお前は地理に帰れと言います。
地理に過ぎない人間、地理に帰る、これが死ぬことなんですけど、この死んだ後には、人間には地獄という結果が待っています。
では皆さん、地獄はどんなところですか。
まだ地獄には誰が入るようになりますか。
もともと地獄は、マタイ25章41節を見ていますと、神様を敵対した、創造秩序を破壊した悪魔と悪魔に従った家来たちが入るために備えられたところでした。
また、牧師録に現れる獣、また偽りの預言者たちがそこに入ります。
その悪魔を罰除するために作られたものですから、ものすごい怖いところです。
ところがそこに悪魔の誘惑によって騙されて罪を犯した人間も、また福音を断った人間も入るようになっているということは怖いです。
聖書は地獄を永遠な火の池、また外の暗いところ、また永遠な罰、永遠な滅亡、火と硫黄が燃える池と、
書かれてあります。
また、マルコ9章48節からは、地獄では渦が尽きることも火が消えることもなく、火とは見な火で塩味をつけられるものだ、ところだと言います。
このような地獄に、罪の結果によって人間が行くしかないということです。
ところが、地獄に対して、聖書で誰が一番たくさん語られたのか、皆さんご存知ですか。
旧約聖書では、呼ぶ気に地獄という言葉が出てきます。
また、支援にも地獄が出てきます。
神言、またイザヤ、エジケール書、そこに少し少し地獄という言葉が出てきますけど、一番たくさん出てくるところは福音書です。
また、人たちの召喚にも地獄の言葉が出て、最後の黙示録のところに地獄がもっと明らかに発見されます。
地獄に対するメッセージは、イエス様が一番たくさん語られたんです。
神の救いの計画
なぜイエス様はそれを語られたのか、イエス様が、全ての人が地獄に行くしかないこの状況の中で、
人々は地獄から天国に導くために来られたからです。
私たちはこれからわからないことが、将来のことです。
将来のことについて聖書は明らかに表しています。
第二次ペテロ三章六節からです。
当時の世界は、その水によって洪水で押し流されて滅ぼされました。
ノアの時代、全世界は洪水によって裁かれました。
しかし今、地と天と地は、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取り上げられ、
不信心な人たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれたと言います。
だから、昔は水で滅ぼされたんですけど、今は火で滅ぼされるために、
この地球全てのものが、今そのまま置いてあったということです。
そうしながら、聖書は、主のもとでは一日は千年のように、千年は一日のようで、
だから裁きのところが来る、裁きが来る、裁きが来ると言いますけど、
みんなが早く来ないから、裁きが来ないんじゃないかと思います。
しかし、裁きが来ないんじゃなくて、一人も滅びないで、みんな救われて天国に行けるように、
神様が悔いを改めることを待っている。
どのくらい待っているか、一千年を一日のように待っている。
神様には一千年が一日のように、神様が待っておられる。
ですから、あなたたちは全て滅び去ることですから、
あなた方は、正義なる、信心深い生活を送らなければいけないと言います。
最後の時が来たら、火で滅ぼされることが分かりました。
その時、住みびてあるというある人間は、地獄に行くようになるんですけど、
神様がそれをあらかじめ、早めに悟って、悔いを改めることを待っておられる。
皆さん、人間は、罪を犯したから地獄に行くんじゃなくて、
罪を悔い改めないから地獄に行きます。
悔い改めない罪が、私たちは引っ張って地獄に連れて行くんです。
ですから、罪を犯すことは仕方がないんですけど、
悔い改めない罪が、私を地獄に連れて行くんだと思って、
私たちは悔い改めに力を入れなければなりません。
では、悔い改めはどうするんですか。
イエス様が、十字架で、私たちは罪の身代わりとして、全ての罰を受けられた。
だから、私たちはイエス様の功労を信じて、私たちは救われるんだということを信じること。
そのイエス様の前で、私たちの自分の罪を全部告白することです。
大智和音1章9節。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を許し、あらゆる不義から私たちを清めて下さろうと言います。
聖書の中で一番素晴らしい単語は、私たちが罪を犯すしかありませんけど、
この罪を悔い改めることができる人は、幸いな人だと言います。
神様は、神の見姿で作られた人間が、地獄に行くことを絶対願っておりません。
神の見姿である人間は、全てを救いたいです。
ですから、ひとり子まで犠牲されて、十字架で私たちの贖いとして、
この死を担ってくださったんです。
その理由は、ヘブライシア9章22節。
地の流しがなければ、罪の許しがない。
誰かが私たちの罪のために、地を流さなければいけないということです。
そのことを、イエス様は担ってくださいました。
世の中で誰も、私たちのために地を流して、代わりに身代わりとして死んでくださった方はいません。
イエス様しかいません。
ですから、このイエス・キリストを通して、神様は、
罪と死、地獄から私たちを救い、永遠の命と天国を受ける道を備えておいて、
私たちに悔いを得るため、福音を信じなさい、信じなさいと言われています。
皆さん、救いということは、地獄に行くべき人を天国に生かしてあげることです。
そのために、この世の100年が用意されています。
なぜ?皆さん考えてみてください。
世の中のすべての人は、どこから来たかわからないんですけど、
この世で100年過ごして、どこかわからないところに行ってしまいます。
この100年の期間、これは何のために与えられたと思いますか?
私たちはこの世で生まれたから仕方がなく、
食べて生きるために精一杯お金を稼ぐために頑張るんですけど、
そのためにいろいろ工夫したり、いろいろ準備したり、精一杯頑張りますけど、
私たちはこの世で頑張って得た富、またいろいろなものは、
一つでも天国に持って行くことはできません。
この世で頑張って成し遂げたすべてのものは、
事実、天国に行くこと、そのところには何の役にも立ちません。
この世で得たものは、この世の中の生活を少し楽にしてあげる手段にすぎません。
大事なのは、この後の永遠の世界ですけど、
私たちが天国に行くことができなければ、
この世の中でいくら頑張っても、いくら成功しても、その人の人生は失敗です。
反面、この世の中でいくら貧しくても、いくら苦しくても、
天国に行くことさえできれば、その人の人生は成功です。
なぜなら、この世は百年、天国地獄は永遠だからです。
ですから、この世の中で天国のために準備することよりもっと大事なことはありません。
そのために私たちは信仰生活しています。
信仰生活の目的は救いです。
救いが得られない信仰生活は何の役にも立ちません。
救いを得るために、私たちは何か感じて悟って、
この信仰を持って神様に求めながら天国に行くことですけど、
そのために旧聖君の創始者ウィリアム・ブースは、
旧聖君新学校の卒業式で、新学生たちにこう言ったそうです。
あなたたちは4年間学校で熱心に勉強したと言うんですけど、
私はそれより、あなたたちが地獄を10分でも1分でも地獄を経験することを、
それを私はもっともっと望んでいるということです。
あなたたちは地獄を体験したとするなら、人生の目的はただ一つになります。
それは地獄に行かないこと。
人生の伝える、新学生たちがこれから伝えるメッセージは、
絶対地獄に行ってはいけませんということをあなたたちは伝えるだろう。
そのために私たちに一番大事なのは、イエス・キリストしかいない。
イエス様を信じて、イエス様を従って、イエス様の中に留まる。
そのように伝えるだろうと言われたことがあります。
皆さん、神様の見姿で作られた人間。
神様の見姿で、神様は不滅の方です。
永遠の命と罰について
ですから、私たち人間も不滅です。
私たちは絶対死ぬんですけど、それは体的に何か変わることがありますけど、
私たちは霊魂はもう滅ぼされることはありません。
天国は地獄で永遠に生きます。
ただ、それが永遠な命なのか、永遠な罰なのか、これなんです。
永遠に生きる世界のために準備すること、これは一番大事です。
しかし、人間は永遠に生きる世界をわからないから、
この100年のためにどうすればもっとうまく食べるか、どうすればうまく生きるか、
そこをたけに気をつけて、ここでうまくお金を稼ぐために、
罪を犯すことをもう怖がらないで、とにかく豊かになろうと頑張ります。
罪のゆえに地獄に行くんですけど、罪を犯すことを怖がらないで、
富を得ようと頑張る人間のこの愚かさ、どうすればいいでしょうか。
以前、私は新学校で日本の方に福音を伝えるとき、ある話に話を聞きました。
キリスト教の聖書に比べたら、私たちの父母は地獄に行っているのは仕方がないので、
父母が地獄で苦しんでいるのに、私だけあなたの話を聞いて天国に行くんだとするなら、
私は親孝行するべきなのに、それはどれほど間違いなのかという話を聞きました。
ところが皆さん、もし親が地獄に行っているとしても、その親が子供のために何を願っているでしょう。
これをルッカの16章、金持ちとラジャロのたとえで教えてくださいます。
そこで現れるラジャロ金持ちは、神様はその金持ちの名前を覚えていない。
この世の中にいるときに、たくさんの財産を持って贅沢な生活をしました。
しかし死んでみれば、よみ地獄に行っているんです。
しかし、そのとき生きていたときに物語りだったラジャロは、
アブラムの懐で楽園で天国でいることを見ます。
金持ちの人は地獄で苦しんでいるんですけど、彼がこう言います。
ルッカの16章、24節。
そこで大声で言った。
父アブラムよ、私を憐れんでください。
ラジャロをよこして、指さきて、水をひたし、私の舌を冷やさせてください。
私は炎の中でもだい苦しんでいますと言います。
それができないと言うから、金持ちがこう言います。
父よ、ではお願いします。
私の親の家にはラジャロをつかしてください。
私には兄弟5人がいます。
あの人たちまでこの苦しむところに来ないように、
よく言い聞かせてくださいと言います。
地獄に行っている人の願いはただ一つです。
地上にいる家族までこの苦しむ地獄に来ないように、
誰かが言って、この地獄というものがあるんだということを
伝えてくれればいいのにということです。
地獄には絶対に愛する家族が来ないようにしてくださいということ。
これが地獄に行っているかもしれない私たちの親しい家族、
また愛する家族たちの切なる願いです。
皆さん、救いはこの世の中のすべての人に関わっている問題です。
家族のための祈り
救いは個人の事柄ですから、
他の人が代わりにしてあげることはできません。
おのおのイエス様に出会って、
信仰告白を通して救われ、
イエス様と親しい交わり、またイエス様と共に歩む、
そこで天国に安全に入るように、
キリストのうちに続けてとどまらなければなりません。
ここで一番問題は子どもたちです。
今私たちの子どもたち、その子どもたちがイエス様に出会って、
そして信仰告白ができ、イエス様のうちにとどまること、
そのようにしてあげればいいのに、
子どもたちが親の話を聞かない。
私たちは子どもたちのために何ができるかということです。
何ができますか。
イエスキリストを信じることを私たちが伝える、教える、
模範を見せる、それでもなかなかついてこないとき、
私たちは最後の手段として取りなしの祈りがあります。
祈りは必ず聞かれます。
ですから私たちは愛する子どもたちのために、
どうか神様、子どもたちに恵みを施してくださって、
子どもたちがイエス様を出会い、
イエス様の恵みによって信仰が与えられ、
救われ、そして天国に来るように助けてくださいと祈ることです。
一番大事なのは救いのために誰かの祈りが必要だということです。
恵みを与えるために誰かの祈りが必要だということです。
誰が祈りますか。
昔、日本と韓国とか中国の今この世界のために、
アメリカ人、ヨーロッパ人たちが熱心に祈ってくださって、
そのおかげで私たちは救われました。
だったらこれから私たちは、
この世界のまだ信じていない人々のために、
私たちが祈りをもってその人たちの救いになるように、
私たちが力を入れなきゃいけないのではないかと思います。
救いのための準備
私はたびたびお風呂に行ったときにサウナに入ります。
サウナで今度10分くらい我慢しようと思ってサウナに入ります。
みなさん、サウナの温度は何度か知っていますか。
40度、45度くらいですかね。
42度、45度くらい。
そのことでも私は10分我慢しようと言っても、
いや、10分までいけないんですね。
5、6分くらいで出てきます。
もしサウナに入ったのにこれから出てきません、
出てくることができませんと言ったら、
サウナは私にものすごい苦しみになるでしょう。
しかしみなさん、地獄は40度、50度の温度ではありません。
火山の溶岩が1000度くらいになるんだと言うから、
それは1000度くらいになるんだとしたら、
1000度の中で外に出てくることができないとするなら、
これが永遠にその中で苦しみを受けるんだとしたら、
みなさん、これはどれほどの刑罰になるでしょう。
マルコ9章48節49節、地獄ではウジが尽きることも火が消えることもない。
地獄にはウジがうじうじとしている。
また、人はみんな火で塩味をつけるほど、
そのような苦しみを受けるんだとするんです。
これを永遠な罰と言うんです。
神様が1000年を1日のように待っておられるに対して、
みんなが悔いを改めることを待っておられる理由はここにあるんです。
地獄は悪魔のために備えられたものでから、
人間がそこに入ってはできません。
反面、天国はどこですか。
イエス様の愛と恵みを無限にいただきながら、
神様の栄光の光の中で、
霊と精神と体が完全な満足と喜びに満ちあうれるところ、
悲しみ、嘆き、苦しみ、涙がない、全くない、
そのような幸せを永遠に味わうところです。
天国と地獄を考えるなら、
皆さん、私たちはどうするべきでしょうか。
私たちは天国に行きたいなら、
イエス様を信じますという、この理論的な信仰ではなく、
生きている信仰、またイエス様の愛との愛の交わり、
また悔い改めと許しを通して、
自分を捨てて、清い生活、神を愛し隣人を愛する、
また三蔵の水墾の生活を実践しながら、
神様と共にイエス様のところに、
懐にいつも留まるような生活をし続けること、
これが私たちに今与えられている大事な大事なことです。
最近テレビで、日本の芸能人の中で私が知っている人、
何人か亡くなれたんですね。
まあ、教会の審査のことも含めて。
私はこの日本で、
釣りバカという映画知ってますか。
釣りバカ。
そこで西田俊幸さんという方。
私はなぜその方を覚えるのか。
私は日本で前、会社にいるときに、
私の同僚が彼と全く似ている人だった。
私はこの同僚を見ながら、その人を大好きだったんです。
コメディアンみたいな演技をされるから、
本当に面白い方だなと思って。
その方が76歳なんです。
76歳で亡くなった話を聞きました。
今、私70です。
皆さん、6年後、私もそうなるかもしれないということを考えたら、
6年間、世の中で楽しく、
いろいろなことをエンジョイするんだとしても、
皆さん、私に一番大事なことは何だと思いますか。
残り6年だとしても、
私は天国に行く準備をしっかりすることでしょう。
私たちが残された人生、本当にわずかだと思ったら、
それをこの世の中のために使いますか。
永遠に天国で、
イエス様の花嫁として準備できることのために使いますか。
そのために、私たちが一番大事なのは、
イエス・キリストの福音をしっかり握って、
イエス様の家に留まること。
また、悔い改め。
また、皆さん大事なのは許すことですよ。
他の人を許さなければ、私たちは行けません。
悔い改めの許しを、生活をしながら、
人たちのように、この世は仮住まい、
また、旅人の生活だと思って、
天国に希望を置きながら、
キリストの花嫁としての生活を、
毎日毎日過ごすことです。
私たちに一番大事なのは、イエス・キリストです。
イエス・キリストに対する信仰。
イエス・キリストを愛する。
イエス様がお話しされたことを実践する生活。
これが、天国のために一番一番大事な準備です。
私は、皆さん考えてみてください。
救い論がいろいろありますけど、
イエス様が信じるんだと言うなら、
もう救われたよ。
軽々しいこの話を、
自分の人生、永遠の人生を任せますか。
そうじゃなくて、
イエス様が信じるんだと言っても、
イエス様の家に留まっているのか、
また、キリストの花嫁として、
私の準備ができているのか、
皆さん、これがもっと確かな準備じゃないですか。
永遠に生きる私の命を、
軽々しい、
救いの重要性
ボーンヘッパーの話とおり、
安っぽい信仰に私たちの信仰を任せますか。
確かな信仰に私の命を任せますか。
私は、救い論を軽んじることは、
本当に自分の永遠の命を持って、
今、何をやっているんですかと言いたいところです。
救い論は、聖書の中で、
イエス・キリストが私たちに言われた、
私に対して主よ主よという人が、
全部天国に入ることではない、
私の父の御言葉通り生きる人が救われるんだと言われたら、
そこだと思って、
そして、広い道じゃなくて、
狭いものから狭い、細い道に歩むことが、
命の道だとするなら、
そこに選択するべきでしょう。
広い道で行きながら、
私はイエス様を信じるから私は救われるよと、
いくら言うんだとしても、
神様の基準を確かに持って、
その準備をしなきゃいけない、
曖昧な救い論はダメなんですよ。
救い論は厳しいほど良いと私は思っています。
なぜなら、私は確かな救いが欲しいからですよ。
私は天国に行きたいからですよ。
そうじゃありませんか、皆さん。
地獄に行くかもしれない。
しかし、天国に行くんだと言うから、
いいんじゃないですか。
こんな自分の命を持って、
こんな愚かな信仰を持っているのは、
これは正しいでしょうか。
私はそれを知ってはいけません。
最後の最後に私に残っているのは、
イエス・キリストだけ。
イエス・キリストだけ。
イエス・キリストが私のすべてです。
私はあなただけを愛します。
あなただけを信じます。
あなたは私のすべてだから、
主よ、私を使わせてください。
こんな信仰を持って、
残りの人生、イエス様と共に歩もう。
この信仰ができればと思います。
今は大公説の時期です。
イエス様が来られたことを記念する時期です。
イエス様はなぜ来られたんですか。
イエス様は第一の今しめ。
神様を愛して、神様の切なる願い。
私の見姿で作られたこの人間、
一人も地獄に行かないで、
天国に来るように、
その人を救ってください。
これが神様の切なる願い。
人間の切なる願いは何ですか。
人間は将来が分からないから、
今は地上のことばかり考えているんですけど、
この地上のことだけじゃなくて、
永遠な世界があるんだということ。
その永遠な世界の救いのために、
イエスキリストはこの世に来られ、
十字架で死んでくださり、
全ての人をこのイエス様地上によって、
罪を許してくださり、悪魔を滅ぼしてくださり、
私たちを救ってくださったんです。
この素晴らしいイエス様。
この素晴らしいイエス様。
このイエス様を愛し、
この素晴らしい心にいつも、
イエス様を受け入れ、
イエス様と共に歩む、
この生活、
これが大公主時代に今一番大事なことです。
イエス様にいつも感謝と、
あなたに褒めたたえます。
あなたのゆえに私は救われました。
感謝しますという、
あなたのために私ができることは何でもやりたいです。
あなたしかいません。
このイエス様に対する強い信仰、
強い愛をいつまでも持ち続ける。
これが大公主の一番大事なことではないかと思います。
永遠の命の約束
お祈りいたします。
私たちを救うために、
天の栄光を捨てられ、
神のポストを捨てられ、
この地上に来られ、
一番低くされ、
そして十字架で死ぬほど、
この地によって私たちを救うために、
すべてを犠牲されたイエス様のおかげで、
私たちは永遠の命を得ました。
しかし、イエス様が私たちを救ってくださった理由は、
ただの救いじゃなくて、
これから、これから、
天国に入るこのような姿、
天国に入るような信仰、
神様が喜ばれるこの信仰を持たせるために、
死んでくださったことを信じ、
これからイエス様についていく私たちになりたいと思います。
どうか、どうか私たちに豊かな恵みを与えてくださって、
これからイエス様だけを求め、
イエス様だけを信じ、生きる私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
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