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2022-12-11 29:27

「神と人との間の仲介者として来られたイエス様 」2022年12月11日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2022年12月11日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

Ⅰテモテ2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト イエスただおひとりなのです 。

00:00
今日は神と人との間の仲介者と来られたイエス様についてお話を分かっちゃいたいと思います。
皆さん、神様は霊です。 神様が霊ということは私たちの目には見えません。
また神様の声は私たちの耳では聞こえないということです。 しかし神様は人格体であり
全知全能、絶対的な主見者です。 神様は万王の王、万種の種と言います。
一言で申しますと、全世界の持ち主、主人です。
目に見えない神様は目に見える世界をどのように統治されるのか。 人間を通して統治されます。
ですから人間を神様が作られた時に特別な計画を立てたんですけど、それが創世紀1章26節です。
神は言われた、我々に偏り、我々に似せて人を作ろう。 そしてこの世の中の全てを支配させようと言いました。
そのために神様は人間を、神様の全てを与えてくださって人間を作られたんですけど、
その時は人間が神様と出会って対話ができるし、見声を聞くこともできるし、お話しすることができたんです。
しかしそれがいつダメになったのか、創世紀3章で罪を犯してからダメになりました。
罪を犯したらすぐ霊的な目が暗くなり、肉的な目が明るくなりました。
それで神を見ることもできない、聞くこともできない、また罪人は神様に出会うことができないので、
神様とのすべてが断ち切られ、悪魔の支配に入るようになりました。
それを第一弱音8章3章8節には、罪を犯す者は悪魔に直しますという表現を使ってくれます。
神様はこの世の持ち主なんで、任せられた人間が悪魔の奴隷になることによって、悪魔がこの世の主人になって、悪魔がこの世の神になってしまいました。
もともと主人は神様であり、もともとすべては神様が作られたのに、悪魔が作ったように自分が主人の代わりをしています。
悔しい神様、神様はご自身のすべてを取り戻したいと願います。
この世の中も、失った人間も、この世の管理権も、すべて神様は取り戻したいと思います。
03:02
このために神様がまず、罪によって霊力の目が暗くなっている人間に、
真ことの神様の知らせて、またなぜこの世のすべてのことが今のようになったのか、その実情を知らせようと思います。
また人間を救うために熱心に働いておられます。
しかし、人間は罪によって目が見えない、耳が聞こえない、その中で目が暗くなっている人間に悪魔が誘惑して騙すから、
神様も知らない、自分勝手に過ごしながら、むしろ神を恨みながら迷っています。
この人間をどうすれば助けること、生かすこと、救うことができるのか、
そのために私たちには仲介者、取りなしの人が必要です。
まず私の証から始めましょうか。 私の父は非常に厳しい方です。
私はこの厳しい父に不満がいっぱいありました。 ある時何かがきっかけがあって、私が父に口答えをしました。
そして父に逆らいました。 そしたら父が私に質下が悪いと言って、私をすごく殴りました。
私は悔しいと思いました。 そしてその日、私を殴る父を避けることもありますけど、これ以上この家では住みたくないと逃げてしまいました。
真っ暗の中で家から出たら行くところがない。 だから隣に行った親戚の家に行って、そこで一晩出ているところなんですけど、
夜明けになって母が私に尋ねてきました。 息子がどこにいたのか、夜通し探しながら親戚の家から連絡をもらって、
そして私のところに来ました。 母はいつも泣きながら、あなたが父にこう言って、
間違えました、許してください、許してください、言いなさい。 私は母の涙に勝つことができなくて、
父のところに行って許しを求めながら、そしてそのことがなんとかまとめられました。
もしその時母がいなかったら、私は家出をして、今どんな人になっているのでしょうか。
もしかして役者になったかもしれません。 皆さん私たちには仲介者、
取りなしの人が必要です。 ところが仲介者、取りなしの人になるためには愛が必需です。
06:04
愛がない人は仲介者にはなれません。 罪人である民を愛して、
また悲しんでおられる神様を愛して、 神様と罪人の間に立って、
神の身分を成し遂げてあげ、罪人を神様に導く大事な役目の人が、この仲介者、取りなしの人です。
神様をこの働きのために立てておられた下部が、 預言者と最主張です。
預言者は神様の立場から神の身分を民に伝える人であり、
最主張は民の立場から民の罪を背負って、 羊の血によってきれいに洗って、
神様に許しを求める人です。 そのようにして神様と罪人を和解させる役割をする方ですけど、
旧約聖書は数多くの預言者、最主張たち、その代表的な人物が、 孟聖がいます、サムエルがいます、エリアがいます。
その最主張、預言者たちがその働きをしました。 彼らのメッセージは悔い改めなさいということでした。
その悔い改めは、叱るように悔い改めなさいと言ったことではなく、 彼らを愛するから、生かすために悔い改めと言われたんです。
皆さん、悔い改めが神様と罪人を和解させる一番大事なメッセージです。
ですからヨナがアシリアの首都ニヌベに行って、 神様に悔い改めなさいと叫ぶ場合もありました。
このように純粋に従った主のシムベたちのおかげで、 罪深い民が救われたんですけど、
皆さん、鳥無しの人、仲介者の役割をしようとしたら、どれほど苦労するのか。
神様は神様の悲しい心をお話しするから、それを聞いた預言者は、神様がかわいそうで泣き、
また民たちは民たちなりに苦しみを言うから、
民たちをかばって慰めながら、その真ん中で泣きながら慰めながら祈る人が、この鳥無しの人です。
その中で、預言者最初たちの苦しみがどれほど大きいのか。 例えば、皆さん、イザヤの苦しみを知ってますか。
自己中心的な信仰を熱心にやっている民たちに、神様の御言葉を伝えます。
09:00
イザヤ1章11節、ここを言うんですけど、ソドムの支配者たちよ、主の言葉を聞け、
小村の民を私たちの神の教えに耳を傾けようとします。 皆さん、イスラエルの民にソドムの民、小村の民というから、
どれほどイスラル人たちが怒ったのでしょうか。 また、注意せずに、お前たちの捧げる多くの生贄が、私にとって何になろうかと主は言われる。
たくさんの捧げ物にあいた。 また、動物の血は私は喜ばない。
自分なりに熱心にやっているのに、神様が喜ばないと伝えるから、民たちは怒って、イザヤを鋸って引いて殺したというのではありませんか。
皆さん、エレミーアの苦難を知ってますか。 選ばれた民、イスラエルなんですけど、悔い改めなく、
一割の信仰を続けている彼たちに、神様は我慢して、我慢して、これで70年間の裁きを決められた神様。
それで、エレミーアに命じます。 これから、イスラル人たちはパベロンの捕虜に出て行って、苦しみながら、
神を使える信仰がどれほど良いのか、神の民として生きることがどれほど良かったのかを悟りなさい。
それを伝えなさいというのに、イスラル人たちに、あなたたちはパベロンの捕虜になって行きなさいと、
そのようなメッセージをするから、民たちは思い違いをして、エレミーアを殴ったり、苦しめたり、
それで、エレミーアは涙の預言者でした。 皆さん、イザヤとエレミーアが神様の見事を伝える時、
民たちは、イザヤとエレミーアに、自分たちの神様に対する鬱憤を全部払ったんです。
ですから、預言者イザヤはどれほど苦しんだのか、彼がイザヤ64章1節に、このように祈ります。
どうかあなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々を振り動かして、あなたが直接民たちに語ってくださいと言います。
自分が語るから民たちが聞かないから。 その時、神様はエレミーア5章1節にこう言います。
ユルサレムの通りを巡り、よく見て悟るがよい。広場で尋ねてみよう。
ひどりでもいるか、正義を行い、真実を求める者がいれば、私はユルサレムを救おうと許そうとしよう。
12:02
神様の身群を悟り、行う人が誰もいない。 だから神様は悲しいと言います。
結局、それを悟る人がいなくて、イスラエルはパベロンの捕虜になって滅ぼされ、捕虜になって連れて行かれます。
その以降も、誰も悟る人がいない、取りなしの人もいないイスラエル。
ですから神様が、このイスラエルを哀れに思って、自ら救うために取りなしの人、仲介者を送ってくださるんですけど、
その方がイエス・キリストなんです。
イエス様は、ワンダフル・カウンセラー、取りなしの人として来られました。
イザヤ9章6節にこう言われます。
ひとりの緑子が私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。
権威が彼の肩にあり、その名は驚くべき使徒者、力ある神、永遠な父、平和の君と唱えられる。
じゃあここで皆さん、驚くべき使徒者、これを英語の聖書では、ワンダフル・カウンセラーと書いてあります。
これがイエス様が来られて、私たちと神様の間の仲介者の役割をされることを意味します。
イエス様はキリストという意味は、油注がれたという方でしょう。
油注がれた方として、イエス様は預言者の役割をされたんですけど、
民たちに神様の御言葉、神様の御心を教える役割が預言者の役割です。
また、油注がれた人として、最初は民たちの罪を許してくださいという、
自分の血を十字架で流しながら、神様に祈る役割をイエス様がされたんです。
神様と罪人の間の仲介の役割をされながら、最後には十字架で和解のために、
犠牲の生贄として、血を流しながら、命まで捧げてくださいました。
先週私はメッセージを準備するのに、十字架を背負っているイエス様の御心が私に照らされたような気がしました。
イエス様はワンダフルカウンセラーとして来られたんですけど、
皆さん、神様も慰めが必要です。
神様はこう言われます。私が神様なのに、私が主人なのに、人々は私の話を聞かないんだ。
その話をされる神様の御心を考えてみてください。私が神様なのに、私が主人なのに、
15:03
私が作った民は私の話を聞かないんだ。
その時、イエス様はこのように言われたような気がします。
神様、神の民に対する鬱憤を私に払ってください。
私がすべて受け取ります。
そしてイエス様が十字架で、神様の鬱憤をすべて受けて担われました。
どのくらい苦しみが難しかったのか。
イエス様が十字架で、エリエリラマサラクタニと言いました。
この意味は、我が神よ、我が神よ、どうして私を見捨てられるのですかと言われるほど、
神様は十字架のイエス様を徹底的に見捨てながら呪われました。
そして全人類に対する鬱憤を十字架のイエス様にすべて払われました。
また皆さん、民たちにも鬱憤があります。
今この世の中で誰が神の御言葉を通り生きる人がいますか。
私たちがそれほど熱心に礼拝を捧げるのに、なぜ神様はこれを受け取ってくれませんか。
私たちは神の子供なのに、なぜ祝福してくれませんか。
神様に対して民たちの鬱憤があります。
その民たちにイエス様はこのように言われるような気がします。
分かった、分かった、それを私に全部払いなさい。
そうしたら民たちはそれをイエス様にすべて払います。
百二十体も鞭を打たれ、唾を吐き、槍で刺し、
そして十字架で釘をかけて、殺しながら民たちの鬱憤をすべて払いました。
イエス様は神様の鬱憤、民たちの鬱憤をすべて受け取られて、そしてこう言われるような気がします。
神様、これでできましたか。
これからは民たちの罪を許してください。
また悟るように聖霊様を送ってください。
また民たちには、これでお前たちの心がすっきりなったのか。
これからは聖霊様の導きに従って正しい信仰をやりなさい。
そして神様を愛する人になり、隣人を愛する人になりなさい。
このようにイエス様はワンダフルなカウンセラーとして十字架で死んでくださいながら、
神様と民、民と民たちの間を和解させたことが私に感じられました。
皆さん、十字架の縦の軸は神様と人間の和解。
18:05
十字架の横の軸は人間と人間との和解です。
和解には必ず和解の生贄と地が必要です。
ヘブナーション9章22節、こうしてほとんどすべてのものが立法に従って地で清められており、
地の流すことがなしには罪の許しはありえないんです。
イエス様はご自分の地によって神と民、民と民の鬱憤を全部解決されました。
そして十字架でテテレスタイと言いました。
成し遂げられたということです。
このイエス様に対して第一手向け2章5節には、今日読んでくださった2章5節にこう言います。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も人であろうイエスキリスト、キリストイエス、ただお祈りなのですと言います。
このイエス様は十字架にかかる前、大祭祀して神様に祈った有名な鳥梨祈りがヨワネ17章には書かれてあります。
この3箇所だけ私が少し読んでいます。ヨワネ17章11節。
私はもはや世にはいません。
彼らは世に残りますが、聖なる父よ、私に与えてくださった皆によって彼らを守ってください。
私たちのように彼らも一つになるためです。
イエス様は十字架の前で弟子たちのために鳥梨祈りをされました。
またヨワネ17章20節、21節です。
また彼らのためだけではなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにもお願いします。
これは弟子たちの伝道によって救われる世の中の人々に向かって鳥梨祈りをすることです。
父よ、あなたが私のうちにおり、私があなたのうちにいるようにすべての人を一つにしてください。
彼らも私たちのうちにいるようにしてくださいと言います。
またヨワネ17章24節、父よ、私に与えてくださった人々を私のいるところに共におらせてください。
天国に来るように弟子たちも、弟子たちの言葉によって救われる全ての人が天国に来るように導いてください。
そして天国でイエス様の栄光を彼らが見るようにさせてください。
この祈りをイエス様が最後の最後のところに神様に大祭祀の祈りとして捧げられました。
21:08
イエス様は数多くの民のためにすべての罪を背負って見代わりとして死んでくださったことによって
仲介者、虜の一年の使命をすべて完成され復活、昇天されました。
皆さんその時から神様は人間が立法を守ったのか、うまくやったのか、うまくできなかったのか、その人間の行いを見ることではなく
イエス様の虜の涙と血を見てくださって、罪人である私たちを無条件受け入れてくださいます。
神様が私たちを受け取って受け入れてくださる理由は、人間が何かをうまくやったからではありません。
ただイエス様、ただイエス様の忠実かの功労によって私たちを受け取ってくださるんです。
この虜の人として来られたイエス様、このイエス様を礼拝しなくてどのように過ごすことができますか。
ですからクリスマス、ギリストを礼拝せよというのです。
これから救われた私たちの使命は虜の役割です。虜の人の役割です。
聖書が私たちを教えてくださること、エペソン2章10節には私たちを救われた理由を教えてくださいます。
なぜなら私たちは神に作られたものであり、しかも神が前もって準備してくださった良い技のためにキリストイエスにおいて作られたからです。
私たちはその良い技を行って歩むのですと言います。
ここで皆さん良い技は何ですか。一番大事なのは虜の人の役割をすることです。
皆さんこの世の中のすべてのことはイエス様の十字架のご厚労に背負って、祈る虜の人の祈りによって成し遂げられます。
神様は他のことを見ることではありません。イエスキリストの十字架に委ねて、祈る人の祈りを喜んでくださって、
恵みと祝福を与えてくださり、その祈りを成し遂げてくださるんです。
何回も申し上げるんですけど、私の家庭、私の父の家はどのように救われたのか。
母の高校時代の友達の祈りによって救われたんです。
高校時代のお友達は母に対して、私があなたのために祈ってるよ、祈ってるよ、イエス様信じなさい、ずっと祈ったんですけど、
24:01
母はそれを受け取れなかったそうです。イエス様は信じることが嫌だと言ったそうです。
しかしそのお友達の祈りが息子である私に臨むことになり、それから母と全家族に臨みました。
結局皆さん、誰の祈りによって私たちは救われたのか。
私たちはみんな誰かの祈りがあって、それによって救われるんです。
だから祈りがなければ救われることはできません。
その方たちの、その母のお友達に本当に感謝します。
また皆さん、神様の偉大な御業はすべて鳥梨の祈りによって成し遂げられます。
イスラエル人たちはパベロの捕虜になって、それからイエスサラムに帰還されるんですけど、
その時にヌエミア、ダニエル、またその人たちの祈りによってイスラエル民がイエスサラムに戻ってくるようになりました。
またミエシアの誕生の時、ミエシアの誕生はシミオンとアンナの祈りによってできました。
神様はシミオン、おじいちゃんです。アンナ、おばあちゃんです。
おじいちゃん、おばあちゃんの祈りを喜んでくださって、その名前を聖書に記録され、永遠に、永遠にみんなが学ぶようにさせてくださったんです。
神様に対して鳥梨の祈りの人、民に対して鳥梨の祈りの人、どれほど大事なのか。
皆さん、私たちは鳥梨の祈りの人にならなければなりません。
私はこれから何年生きるかわかりませんけど、私に命を与えてくださる理由は、鳥梨の祈りの人になりなさいということです。
イエス様が神様と罪人の間で鳥梨の人になられたように、私たちも神様とこの世の中の人々の間で、
その人たちを救うために、鳥梨の祈りの役目を行わなければなりません。
ここで大事なのは、私に導く祈りではなく、真言の仲介者、完全な鳥梨の人であるイエス様に出会うことができるように、祈ってあげることが大事です。
皆さん、教会は子供たちのためにずっと祈っているんですけど、私は子供たちのために祈りながら、最後に結果的にこの祈りに決着しました。
イエス様はよく信じて、主の御業をたくさん行いながら、それで天国に行く子供にならせてください。
いつも祈ります。皆さん、これ以上祝福はありません。
27:02
世の中どんな素晴らしいことだとしても、この3つ、イエス様はよく信じて、主の御業をたくさん行いながら天国に行く、これ以上の祝福、永遠の祝福です。これ以上はありません。
最後に私たちの教会のビジョンは、回復とリバイバル、大収穫ですけど、
最後の時に来られるリバイバル、聖霊様の力に背負って、日本を救い、全世界を救うこと、これです。
それによってイエス様の災人を舞い倒しにすること、これが私たちの任務です。
これは、日本と全人類を愛することであり、これは神様が一番願っておられることなので、神を愛することなのです。
今度のクリスマスをきっかけとして、私たちもイエス様のように鳥なしの人になること、ワンダフルなカウンセラーになることを祈ります。
誰かが私の祈りによって、イエス様に出会い、救われ、癒され、祝福されますように。
そのような鳥なしの人になること、これが神様が一番喜ばれる人であり、隣人を一番愛する人です。
罪人である私たちを救うために、神様と和解させるために来てくださったイエス様。
このために十字架で自分こ自分を犠牲されたイエス様を礼拝する素晴らしいクリスマスになりますように、お祈り致します。
ワンダフルなカウンセラーイエス様、神様と罪深いこの世、この人々を和解させるために来られたイエス様を賛美します。
イエス様ありがとうございます。永遠に、永遠に私たちの礼拝を受け取ってください。
また私たちもイエス様のように、鳥なしの人、仲介者として行くように導いてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。アーメン、アーメン。
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