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2022-06-12 31:13

「聖霊の充満とは?」2022年6月12日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2022年6月12日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

Ⅰヨハネ2:15-17 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

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今日は 精霊中万とはという対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
皆さん、キリスト社、信者である私たちの一番大きな特権ということは何だと思いますか?
これが精霊の中万を受けることです。 精霊様は神様です。
ですから神様が私たちの心の中に中万ということは これは
私たちが神様の力で生きることができるということです。 人間が神様のようになり
イエス様のようになるということはあり得るのでしょうか? ですからこれが私たち神の子供に与えてくださる一番大きな特権
力ではないかと思います。 これは私のうちに神様が100%
私が0%になれば可能です。 私のうちに私が0%で神様が100%になれば
私が神様だと言えるでしょうか? そのような表現もできるのではないかと思います。
このような生活をされた方がイエス様でした。 イエス様はいつもこのような表現をたびたび用いてくださいましたけど
ヨワネ17章21節です。 父よ、あなたが私のうちにおられ
私があなたのうちにいるようにということです。 イエス様は神様のうちにおられ
神様がイエス様のうちにおられるということは 神様とイエス様が一心同体だということです。
そうするなら 神様と私は一つだという言葉も用いられます。
イエス様には神様が100% 自分自身は0%でした。
ですから イエス様の働きはすべて神様の働き
イエス様が教えてくださる 語ってくださる見言葉はすべて神様の教え
神様が語られることでした。 これが精霊十万な姿なんですけど
イエス様は弟子たちにもこのようになることをできるようにしてくださいと
神様に祈られました。 これが精霊十万にさせてくださいという意味なんです。
使徒パウルも精霊十万な生活をしました。 彼は精霊十万のためにいつも実践した見言葉がありました。
これがカラディアン2章20節です。 私はキリストとともに十字架につけられています。
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十字架につけられてパウルは死んだということでしょう。 生きているのはもはや私ではありません。
キリストが私のうちに生きておられるのです。 パウルは自分は0%
自分のうちにキリストが100%だということです。 そのためにパウルは毎日自分は死んでいく
毎日死んでいくと言いました。 毎瞬間自分が死んでいるのかをチェックチェックチェックチェック
やっていたんです。 私たちが精霊十万になれれば私たちもイエス様のように
私たちもパウルのような人生を過ごすことができます。
では 精霊十万はどんな姿なのかその有益は何なのか
イエスキリストの霊 精霊ですね。 精霊様はイエスキリストの霊ですから
精霊十万になれば私のうちにイエス様が十万になる。 イエス様と私が完全に結ばれて
一つになる状態を意味します。 そうするならイエスキリストが私の霊と魂
体を全部統治されます。 そして私の体を通して神の力
神の高品性が現れるようになります。 これを精霊の賜物、精霊の
実りということを言われるんですね。 その時神の力である神の知恵
神の知識、神の奇跡、神の病気を癒す力
今日教会学校は病気を癒す力を教えてくださいました。 すごいなと思いましたけどそれが精霊十万によってできることです。
また精霊十万によって予言し霊の分別をし意見を語ることができる
様々な能力が現れます。 また愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
入和、節制、このような美しい高品性の実りが現れるようになります。
人生を過ごしながら人間的な動力としては決して得ることができない
一番理想的な人間として変わっていきます。 精霊十万になるということはイエス様に見習っていこうという言葉で用いられるでしょう。
ですから私たちが精霊十万になる時は私のうちに十万になっているイエスキリストが
世の中のすべての問題、すべての苦しみから私たちを救ってくださり
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私たちを復活と永遠の命の力によって栄光からまた栄光、栄光からまた栄光に私たちを変えていきます。
精霊十万は私たちが求められる一番最高の価値です。 精霊十万素晴らしいですね。
ところがなぜ精霊十万はよくできないのか またできたとしても長く用いられないのかこれが問題です。
以前私は大学の時代、大学の教会で熱心がありました。 青年会がある時1ヶ月1回ぐらいは山に登って
それで夜通し叫びます。真っ暗の中で叫びます。 そうしながら精霊の炎を受けたい
精霊の力を受けたいと思って夜通し叫び祈りました。 そうしたら
恵みに満たされるような気がしますね。 そして家に戻ります。
現実に戻ったら 3日
もう1週間経ったらまた冷めていきます。 燃えた神の恵みが冷めていくこの瞬間の虚しさ
本当になぜなのかなぜなのかいろいろ工夫していったんですけど じゃあ皆さんどうすれば精霊十万になれるのか
どうすれば精霊十万を維持することができるのか これを今日一緒に考えていきたいと思います。
人間は霊と魂。魂ということは精神的な部分ですね。 また身体を持っている存在です。
私たちが新たに生まれたとしますけど 相変わらず昔のことがそのままあります。
今一番、新屋さん今いろいろ悩みがあると思います。 イエス様受け入れたのに私変わってないんじゃないか。そうですそうです
イエス様受け入れたんですけど全てがそのままです。
変わってない部分、それが精霊十万の邪魔になります。 じゃあまず霊的な部分です。
霊的な様々な問題が精霊十万の邪魔になります。 私たちはイエス様を信じて救われました。
救われたら私がすごく変わるんじゃないかと思うでしょう。 いいえ、相変わらず過ちと罪を繰り返し起こします。
救われたのに罪を犯す自分自身が本当におかしいと思うでしょう。 それを早く悔い改めればいいんですけど
忘れてしまいます。また怠けになってしまいます。 ですから私たちの霊がイエス様によって清くなったんですけど
また汚くなります。 だんだん汚くなります。
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心の中で汚染物がたくさん入っているから 心の中に精霊様が来られたのに汚染物と一緒に暮らそうとする精霊様の苦労
皆さん考えられますか? だから精霊様が悔い改めなさい、悔い改めなさいと指摘します。
しかし私たちはそれをうまく受け取ることができません。 だから精霊様が私のうちで嘆きをしながら悩んでいられることです。
皆さん罪の中で一番大きな罪は何ですか? 神様を無視する罪も大きいです。
それが何かと言いますと自己中心性、これが罪なんです。 相変わらず自分の目的のために自分の方法で自分の熱心で過ごします。
しかし倫理道徳的な罪を犯してないから私は罪を犯してませんと言います。
神の前で一番大きな罪を繰り返していながらも自分自身が罪人だとわかっていません。
神中心的に生かないで自己中心的に生きること、それがどれほど大きな罪なのか。
イザヤ53章6節にはイエス・キリストが私たちの自己中心性のゆえに忠実化にかかられ、死んでくださったということです。
またイザヤ55章7節には神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそれを企み、考えを捨てなさい。
主に立ち帰るならば主は憐れんでくださろう。私たちの神に立ち帰るならば豊かに許してくださろうと言います。
悔い改めるということは自分の考え、自分の道、自分のやり方を捨てて神様の中心的な生活をすることを意味します。
自己中心性が罪なのに罪だということをわかっていなくて、私は倫理・道徳的な罪を犯していないぞと思いながら偉そうに偽人らしい生活をしているから精霊様は苦しんでおられるんです。
また私たちはイエス様を信じるは信じるんですけど、いまだにイエス様を愛して神を信仰を持って生きるんじゃなくて、世の中のたくさんの偶像を持っています。
この世の中のことを好きに愛し求めることすべて世の中のことではないでしょうか。
だから第一要は古書中六説をこう言います。
世にあるものも愛してはいけません。世を愛する人がいれば御父への愛はその人のうちにありません。
なぜならすべて世にあるもの、陸の欲、目の欲、生活の奢り、生活の自慢話、それは全部御父から出ないで世から出た。
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世ということはサタンから出たということです。世の中でことは神様の敵なんですけど、私たちは神の敵であるものを栄養として頑張ります。
そのような心に精霊様は来られても長くおられることができますか。
例えばある方が結婚しました。妻がいるのに旦那さんが自分が好きな他の女性を連れて行って一緒に暮らそうとします。
そうするなら妻がその家で一緒に過ごしてくれますか。出てしまうでしょう。
この世の中で愛することをたくさん持っていながら精霊様来てくださいと言います。
精霊様は田舎の少女のように純粋で真面目なお方ですから、精霊様はそのようなことを嫌がれる。
だから空城と一緒に暮らすことができないよと、それを精霊様は今嘆きをしておられるんじゃないですか。
私たちは教会に通います。見事ばを受けて恵みをいただいて祈りもたくさんしながら、
精霊様が怒られるんだとしても、中盤になるんだとしても、間もなく何日続けられない理由は別の愛する相手を隠しているからです。
これが空城です。空城を捨てなければ精霊様はその心におられることはできません。
2番目、精神的な不純物を、それが精霊中盤の邪魔になります。
精神的な根的な問題は聖書的な価値観ではなく、この要的な価値観で生きることです。
もし皆さんメッセージを聞きながら、誰がそんな生活ができるか、それは聖書の話で今世の中ではそんなことできないよと思われたら、これが神を逆らうことです。
また、合理的、理性、知性、また科学的な考え方を持って、神様の素晴らしい奇跡は今の世の中にはそんなことないよと思ったら、神様の働きを否定することになります。
だったら精霊様はその心に留まることができません。
またキリスト社たちは世の中のことが好きなんです。
だからお金、出世、学歴を誇ります。
それでなんとなく自分の力だと思っています。
そのような人と一緒に精霊様は来られますか。
たくさん祈って、もう精霊に満たされるんだとしても、精霊様と価値観、考え、観点が違うから精霊様は耐えられないんです。
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この部分については、私は問題だらけの牧師でした。
以前、韓国で有名な先生が私たちの教会の集会に来られました。
私は教会の執事さんたちを紹介しながら、この方は慶應出身ですよと先生に言いました。
だったらその先生が私を情けない奴だなという目継ぎで私を見たことがありました。
今も私は覚えています。
世の中の核歴、名誉が大好きな牧師、これが私です。
世の中のことをこんなに好きなのに、精霊に十万ができますか。
皆さん、モーセをご覧ください。モーセはヘブライション11章24節から
信仰によってモーセは成人したとき、パラオの王女の子と呼ばれることを拒んで
儚い罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に拡大される方を選び、
キリストのゆえに受けるあさけりをエジプトの細胞より勝る富と考えました。
それは与えられる報いを目を向けていたからですと言います。
モーセは神の国、神様のことを一番の価値、
世の中で一番の価値あるものと考えました。そしてそれをいつも愛し求めました。
だからモーセには精霊十万だったんです。 皆さん、私たちの考えが変わらなければいけません。
考えが変わらなければ精霊十万をしばらく精霊十万だとしても維持することができません。
また、肉の欲は打ち叩いて 服従させて節制しなければなりません。
体は死の前は新たに生まれることはできません。 ですから私たちは絶えず私たちの肉の欲と戦わなければなりません。
事実は精霊様を悲しませ妨げ、精霊様が我慢できなくて私たちのところから出てしまう理由は
肉の欲、情欲というものです。ローマ書8章7節8節
なぜなら肉の思いに従う者は神に敵対しており 神の立法に従っていないからです。
従えないのでです。肉の支配下にあるものは神に喜ばれるはずはありません。
アフリカの有名な福音伝道者であるジョン・ビュリンド先生は
死のために熱心に働いたとあちこち集会を開いたり死のために働くんですけど
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精霊様がある時彼を指摘します。 彼が集会をあちこち回りながらいつも何を考えて何を見ているかを指摘してくださいます。
いつも乱な思いを持って神徒たちを眺めている そのことを精霊様は我慢できないと言われる
警告されることがありました。 だから彼はケンサスシティの祈りの家で出て告白して悔いを改めたりしてはありませんか。
ですから牧師だとしても精霊中盤を維持することができなかったんです。
いつもリースが回し車をくるぐる回るように 恵みをいただいてこぼしてしまってまた恵みをいただいてすぐこぼしてしまって
それを何十年間繰り返しをします。 精霊中盤をいただいて恵みをいただいても一歩も前に進められない信仰生活
これが肉の欲に従う者の生活です。 だから精霊中盤もできなくいつも罪意識、罪在籍観に縛られているから
自分自身が救われたのか自分自身が地獄に行くんじゃないかと 救いの確信もなし迷っています。
その方たちが他の人を救うことができますか。 自分自身も救えないこのような人ではないでしょうか。
精霊中盤をいただいて力をいただかなければ働きができないんですけど すぐ精霊中盤をいただいてこぼしてしまってすぐこぼしてしまう。
このようなリースが回し車をくるくる回すような信仰生活 これを私たちは断ち切らなければいけません。
ではどうすればいいんでしょうか。 霊と魂と体の汚い不純物から
いつも自分自身を清く守りながら精霊様を受け入れ それを精霊様がいつも自分の心の中に留まるようにする
働きはどうすればできるのか。 私はそのためにずっと先週祈りながら準備する間に
主の祈りが その秘訣だということが分かりました。
皆さんイエス様があなたたちはこう祈りなさいと言いました。 イエス様は他のことじゃなくて
一番大事な祈りに対してこう祈りなさいというのはこれは大きな意味があります。 ここに精霊中盤と精霊中盤を維持する秘訣があるんです。
ですから今日 精霊中の祈りを意味をもう一度考えながら
21:02
祈りながら実践していくなら 精霊中盤と精霊中盤を維持することができる秘訣がここにあるんだと申し上げたいと思います。
主の祈りを今日も一緒に祈りました。 主の祈りの初めの祈りは神様に対して3つの祈りをします。
初めに皆が崇められますように 御国が来ますように 御心が天で行われるように地でも行われますようにと祈ります。
じゃあ皆さんここで皆が崇められますようにという意味は 主の栄光のために主の喜びのために行きたいということでしょう。
だから何をするんですか? 礼拝をするんです。
まことの礼拝を捧げながら祈るなら 精霊中盤が与えられます。
ですから皆さん今、礼拝の時間が精霊中盤をいただく時間です。 礼拝を大切にしてください。
礼拝の時間に一番大事な精霊中盤をいただくことができるからです。 また御国が来ますように御心が天で行われるように地でも行われますように
じゃあ皆さんこの世の中が神様が統治される神の国になり 神の御胸が成し遂げるために私たちが何をするんですか?
使命を担うんです。 ですから使命を担いながら主から力をいただくために祈るなら その場で精霊に中盤が行われるんです。
結局、礼拝者使命人の生活を忠実にしながら祈るなら 精霊中盤が与えられると。
以前私はそれをわからなくて山に登ってそこからよーっと叫ぶなら 精霊中盤が来ると思いました。
いいえ、礼拝者使命人の生活を忠実に行いながら主に祈るなら 精霊中盤になります。
皆さんこれが神中心的な生活。 これが神の御母を求める生活になります。
次に主の祈りでは精霊中盤を妨げることを取り除く祈りをします。
精霊中盤を妨げることは何ですか? 罪なんです。
罪の問題を解決しなければなりません。 私の罪の問題を解決するために
聖書が教えてくださる 他の人の罪も許してあげなさいということです。
ですから主の祈りでは私たちも私たちにお夢のある人たちを許しました。
私たちのお夢をお許しくださいと言います。 じゃあどうすることなのか?
皆さんの敵がいますか?皆さん一番憎む人がいますか? 敵と和解し
24:01
敵を愛し敵が飢えているなら 食べさせながら和解をする
そうしながら自分の罪のために悔い改めるなら 神様が私の罪を取り除いてください。
だったら精霊中盤を妨げる罪が解決できます。
皆さん許すことができなければ自分の罪の許し 精霊中盤はありえません。
また3番目に精霊中盤を妨げる罪を犯さないための祈りが大事です。
私たちを試みに合わせないようにしてください。
また罪を犯したなら悪から私たちを救ってくださいということです。
アダムとエヴァが蛇の誘惑 蛇の偽りに騙されて罪を犯して それで神様が離れてしまいました。
アダムも誘惑しダビデも誘惑し イエス様も誘惑しようとしたサタンが
私たちを誘惑しないと思いますか 私たちも今誘惑しています
だから誘惑に陥ってしまって罪を犯して悪魔の奴隷になるなら
どのように私たちの家におられる精霊様が 中盤に私の心におられることができますか
ですから試みに合わせないで 悪からお救いくださいという祈り
これが精霊中盤を維持する大事な大事な祈りです
じゃあこの道の祈りをしながら ひたすら求めなさい探しなさい叩きなさい
そうするならルカ11章13節に
天の父は求めるものに 精霊を与えてくださらないのかと言います
皆さんこのようにするなら精霊中盤になるだけではなく 精霊中盤を維持しながら
父が私の家に私が父の家にこのようになりますけど この時イエス様が言われたように
私が言う言葉が神の言葉だ 私の働きが神の働きだ
こんな素晴らしい働きができるんです
そうするなら皆さんこのメッセージが とれほどパワーがあるでしょう
そうするなら力強い精霊の力によって とれほど大きな様々な賜物が現れ
愛と入和と接生 完全な人格のキリスト社になるでしょう
美しい人になるんです
そうするならそのような私たちを見て とれほど大勢の人々が恵まれ力を受け
生かされそして癒やされ回復されるでしょう
すべての人を救う人になるんです
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ですから洗礼を受けて神の子供になった私たちが 熱心に求めるべき事は
私たちの家に神様が100%働くこと
それが洗礼十万ということです
私たちが神様のように生きる 私たちがイエス様のように生きる
イエス様と私は一つだ
こんな偉そうに見えるんですが 事実これがキリスト社に与えられた一番大きな特権
祝福なんです
宗国のウォチマンリーという人がいました
彼が洗礼十万の人についてこう説明しました
自分自身については非常に謙遜 いつも自分自身が物足りないようなものに見えるんですけど
その人が病人に近づいていて祈ってあげるなら
その病人を患っていった悪霊が追い出され 病気が癒されるということです
非常に謙遜ですけど非常に力がある
これが洗礼十万の姿です
皆さんこのように人を助けることができれば
世の中の人々が洗礼十万の人にどれほど感謝するでしょうか
だからカラリア古書23節には洗礼十万の人は 全世界から受け入れる 歓迎される人になるんだということです
このような祝福を与えてくださるために
イエス様が十字架で犠牲され 洗礼様が来られました
私たちは私たち自身のためにではなく
周りの大勢の人々のために 洗礼十万にならなければなりません
ところが何十年間信仰生活したのに
なぜ成熟した信仰 洗礼十万になれなかったのか
皆さん悔しく思われるでしょう
これから私たち残された人生 正しい人生をやりたい
信仰生活をやってみたいと思われるなら
まず礼と根と身体の不純物 信仰の不純物を全部切り捨て
自分の考えを全部下ろして 自分の欲を全部下ろして
すべて神様に任せながら 今日の見方は通り実践してみてください
私たちはこのように美しい信仰生活しながら 天国に行く私たちになりましょう
洗礼十万は信者だけの特権です
神様が私のうちに 私が神様のうちに
これが人生の勝利の秘訣であり この世で天国を味わう秘訣であり
永遠な天国と報いをいただく秘訣であります
30:03
このような洗礼十万を必ず回復し 天国を行くまで維持しながら
大勢の人々に役に立つ 助けになる私たちになりましょう
お祈りいたします
神様 洗礼様を送ってくださるために
イエス様が十字架で死んでくださったんですけど
今までなぜこのようなキリスト社の特権である 洗礼十万を私たちが受け入れ
また守ることができなかったのか 悔しい思いでいっぱいです
これから信仰の不純物を全部切り捨て 自分自身を下ろし
世の中の誘惑から神様から守られ
洗礼十万をいつまでもいつまでも 維持できる私たちにならせてください
そして大勢の人々の救いになり 助けになり役に立つ私たちにならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン ありがとうございます
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