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2022-11-21 31:13

「収穫、感謝と神様の恵み」2022年11月20日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2022年11月20日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

Ⅱコリント 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

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今日は収穫感謝礼拝として 収穫感謝また神様の恵みという対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
今日は収穫感謝礼拝です。 一年間一番この
嬉しい時期、感謝するべき時期です。 収穫という言葉は非常に良い言葉です。
老婦が一年間熱心に種を蒔いて 耕して、それで苦労して、その結果を与えられることが
これが収穫ということですから。 本当に収穫に対する期待感
その期待感が私たちが皆を全ての苦労をそれを担っていく 忍耐ができるようにしてくださる素晴らしい言葉ですね。
また収穫ということは 人生の最後の段階にいる私みたいな人間に非常に怖い言葉でもあります。
なぜならヘブライション9章27節には 人間にはただ一度死ぬこと
その後に裁きを受けることに定まっているということです。 一度死ぬことそして裁きは必ずあるよと言います。
だから100年間人生を生きることを 気をつけて行いなさいということでしょう。
あえて私は神様からどんな裁きを受けるんでしょうか。 そこに
本当に皆さん心が落ち沈むようになるでしょう。 ここで絶対私たちに必要なのは神様の恵みです。
神様の恵みがなければ 私たちは何ができますか。
人生で私たちの力でできることは何があるんでしょう。 私は神様の恵みに絶対的に委ねます。
神の恵みがなければ私は生きられません。 今日もあなたの豊かな恵みをお願いします。
そして毎日毎日行う。 私を息子に毎日祈ってあげることがこれなんです。
今日は今日の恵みで生きる。明日は明日の恵みで生きる。 今日の恵みに生きたとしたら感謝する。
それです。毎日毎日やっています。 ところが神の恵みが望むために大事なのが
謙遜なんです。神様は謙遜な人に恵みを与えてくださるから。 謙遜な人だけができることがあります。これが感謝ということです。
感謝ほど大事な単語はまだないでしょう。 感謝はすべて美しい結末を表現する単語でもありますけど、
またすべて良いものを呼び集める単語でもなります。
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なぜなら感謝する人に神様の恵みが望むからです。 感謝することがたくさんある中で私たちの教会は特別に子どもによって感謝が多い教会です。
私は毎週毎週教会学校、また子どもたちのメッセージ、
またそのメッセージ、あとクイズに答える子どもたちを見ながら本当に嬉しく思っています。
私たち教会の先生たち、メッセージが上手くなりましたね。 行けば行くほど上手くなって私よりもっと上手いじゃないかと思っているところです。
またその先生のメッセージをよく傾聴しながら、それでクイズに答える賢い答えをする私たちの子どもたちすごいですよ。
それが私の楽しみです。皆さんもそうでしょう。 本当に子どもたちが成長することを見ることよりもっと嬉しいことがないのではないかと思います。
今日は収穫感謝礼拝のメッセージとして収穫感謝、また神の恵みについてメッセージを分かち合いたいと思います。
まず収穫です。 収穫を期待ができるなら、適用とするなら、
何かをまいたり、植えなければなりません。 ここに礼的な法則があります。
カラディア六書七節を見ますと、思い違いをしてはいけません。 神様は人から穴取られることはありません。
人は自分のまいたものをまた刈り取ることになるのです。 これはもう自然法則、これは礼的な法則です。
では私たちは今年何かまきましたか? 植えましたか?
また何をまいたんですか?何を植えたんでしょうか?
収穫ということは何を植えてから始まることですから。 では何をするのをまいた、植えたとするのか?
まずパウロは神様に対して、人に対して奉仕すること、神様に対して献身することを植えた、まいたとします。
神様に対する愛、愛の実践、 人々に対する隣人に対する愛の実践
特に皆さん家族に対して、どれほど犠牲を持って献身されたんでしょうか?
私はエペソ3章20節に神様が私たちが植えたこと、まいたことよりもっともっと豊かな収穫を与えてくださることを願っています。
今私たちは羊をまきました。いつ実りが来るかわかりませんけど、それを待つ楽しみ、期待感を持って楽しみに待つこと。
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このために神様に対して、隣人に対して、子どもに対して私たちはたくさんまくこと、これが大事です。
まく、まく。2番目、パウロは教会に対する奉仕をまいた、植えたと言います。
事実はパウロの奉仕によって各地域、地域に教会が建てられ、教会によって福音が述べ伝えられ、それでその実りとして大勢の人々が救われました。
これは神様が一番喜んでおられる、一番願っておられることがパウロを通してたくさん成し遂げられたんですね。
この意味で私たちもたくさんまきましょう、たくさんまきましょう。
ここがいいから、私が今まで言った言葉はこれです。
私はこのロクザペアでもここがいいから、これでいいからですといつも言ったんですけど、私は悔い改めなきゃいけませんでした。
ここで止まったらいけない。
日本全国で開拓する、また教会を建てる、そしてこの地域の人に福音を述べ伝える、これがどれほど大事でしょうか。
ここで満足したら私たちは終わりですよ。
だからあちこち教会を開拓する、あちこちで福音をまく、植える。
だから日本の全ての方々が救われる、これを私たちが期待していきましょう。
私と天道寺さんは今年、皆さんの取りなしの力に背負って、緩ましにまき始めました。
今は始めの段階ですけど、私は第2コリント9章10節、
まく人に種を与え、それを増やし、そして豊かな実を結ばせてくださる神様、神様を信じて、これからたくさんまき続けたいと思います。
皆さん、私たちの人生はもう終わりがありません。
天国に行く時まで生きている限り、私たちがやるべきことは、まくこと、植えることです。
まいて、植える限り希望はあります。
その希望を持って、私たちはまたまた続けてまき続けましょう。
ところが、まいた、植えたとして全て刈り取ることではありません。
自然災害もあり、病虫害もあり、また奪われていく者たちがたくさんいて、
刈り入れることが全くない場合もあります。
そのために、農夫は一生懸命見守ることをやりますけど、人間の力では何でもできないことがたくさんあります。
だから、植えたもの、まいたものが実を結ぶためには、神様の恵み、保護膜が徹底的に必要です。
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また、私たちが子どもをうまく育てることも、まくこと、植えることです。
子どもをうまく育てることよりもっと大事なことはないと思います。
なぜなら、子どもは私のすべてですから、私の分身だと思っているからです。
ところが、子どもには親の欲が働きます。
気をつけなきゃいけない聖書の御言葉が、この際の3章21節です。
親たち、子どもを苛立たせてはならない。
いじけるといけないから。
私はこの御言葉を切に感じます。
なぜなら、私の父は私を育てながら欲がたくさんあったような気がします。
ところが、私は父親の期待に及ぶことができなかったので、父は無知を使って私を叩きました。
その故に私は父に反発しました。
父が言う逆にやりました。言うことの逆。
反発で、お互いに非常に難しい思春期を私は過ごしました。
結局最後は私の父親と全く父親の期待と違う牧師の道を歩み始めました。
その時私を見ている父はどれほど本当に苦労したでしょうか。
申し訳ないんですけど、私は父親よりは神様に従わなきゃいけなかったこともありますね。
そのような私も私の息子にすごく欲がありました。期待をしました。
新学生が無理やり子どもをインターネッショナルスクールに入れました。
なぜなら、これから国際社会の中で英語が大事だと、国際的な概念を見るためには人々が集まるところに
子どもをインターネッショナルスクールに入れたかったです。
ところが、そこでいじめられました。
私が息子を日本の学校に入れないで、インターネッショナルスクールにわざわざ入れたのは、いじめが怖かったからです。
しかし日本の学校じゃなくて、インターネッショナルスクールでいじめられて、
私の息子はすごくかわいかった。昔は非常にかわいい子どもでした。
その子は引きこもりまで行きました。本当にかっかりしました。
すでに実る前に折れたと言いましょうか。
折れた枝を、私たちは一生懸命正常的に作ろうと思うんですけど、
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弱い部分があるんですね。
皆さん、私たちに一番切実な部分が子育て、子どもを育てることです。
子どもの問題の前には、親は本当に謙遜にならなきゃいけません。
なぜなら、神様の恵みが必要だからです。
私のことを天道寺さんがたびたび言います。
私は1995年度、日本で駐社員として東京に来て、
この東京教会に、初めに教会に出席しました。
その時、天道寺さんが私を見たところが、高慢、高慢、高慢だったと言うんです。
実は私は、その時の神先生をうまく従うことができなかったんです。
それを今も悔い改めているところでありますけど、
牧師になってみれば、その気持ちがわかったんですね。
神道たちがいろいろ牧師先生を従ってくれない、
そのところがどれほどつらいものなのかを、今になってわかってから、
本当に悔い改めていることです。
昔、私は高慢でした。今、本当に悔い改めています。
皆さん、植えたり、
まいたり、それを耕したり、そして収穫することは、決して優しいことではありません。
自然法則だって、自然法則通り美しく成し遂げるのは、
恵みが必要です。
しかし高慢になるなら恵みはありません。
収穫を期待されるなら、この御言葉を覚えていただきたいと思います。
第一クリント三章六世中です。
私は植え、アプロは水を注いだ。
しかし、清掃させてくださる方は神様だということです。
すべては神様がなさいます。
神様はどのようにされるのか、謙遜な人に恵みを注いで、それを成し遂げてくださるのです。
是非とも収穫を期待するなら、神様の御前で謙遜に、
自分の役目を担いながら恵みを祈ること、これが非常に大事です。
二番目、感謝です。
感謝は信仰と深い関連性があります。
たくさん収穫した、だから感謝する、これは誰でもできます。
これは誰でもできます。大事なのは収穫がないのに感謝する。
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また苦難の中でも感謝する。なぜですか?
神様をくださると約束したから、それを信じて感謝する。
ここにいつも神様の奇跡が伴います。
ピューリタンたちは信仰を守るためにアメリカ、新大陸に渡っていきました。
信仰を守るためにヨーロッパの自分の生活基盤をすべて捨てて、それを危険性、冒険するんですね。
新大陸に行きました。すごいでしょう。
信仰によって行くなら神様が祝福されるべきではありませんか。
しかし新大陸に行ったその初めの年、非常に苦労して移住した人の中で大勢の人が亡くなりました。
上、寒さ、伝染病によって亡くなりました。
県住民たちの攻撃もありました。
その時、みなさん、どうしてこんなことがあるんですか。信仰のためにここまで来たんですよ。
神様、どうですか。
そうするべきなんですけど、彼らは神様に感謝の礼拝をさせる。
どんな状況でも感謝する人には奇跡が起こります。
その時、インディアンたちの助けによって生き残るようになり、次の年、収穫、感謝、礼拝を捧げたんですけど、
それがきっかけになって、今、収穫、感謝、礼拝が続けられたと言います。
彼らはアメリカに行く時、信じたことがありました。
神様が必ず私たちの信仰を通して私たちの子孫たちに祝福してくださるということです。
彼らの信仰通り、信仰の自由、祝福、一番豊かな国、一番強い国としてアメリカになりました。
このように難しい中で感謝の礼拝は非常に大事です。
皆さん、感謝は神様が一番喜ばれることです。
どんな状況でも感謝するなら、災いが転じて祝福になります。
感謝がもたらす素晴らしいこと、何項目も一緒に分かち合いましょう。
第2コリント4章中号説を読みますと、感謝するなら神様が栄光を受けられ、恵みを施してくださるという。
感謝にはいつも神様の恵みがついてきます。
神様と私たちの間の礼儀的な法則を知っていますか?
神様は恵みを施す。神様は奇跡を起こしてくださる。
私たちは感謝する。私たちは神様を褒めたたえる。これなんです。
神様の恵みをくだされば私たちは感謝します。神様は奇跡を起こしてくださるなら神に栄光を与える。
それを私たちは繰り返し繰り返し行う。これが全循環なんです。
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私たちは神様に不平不満をするなら何があるんですか?何もないんです。
だから私たちはこの全循環の信仰生活をうまくやっていきましょう。
2番目、感謝するならすべて関係性の扉が開かれます。
神様に感謝するなら神様との関係が良くなります。
人に感謝するなら人と人との間が良くなります。
ですからお母さんたちがいつも子供たちに何か少しいただいたとするなら感謝しなきゃ。
ありがとうって言え、言えと教育させるでしょう。
会社で営業マンたち一番大事なのは挨拶周りということです。
私、教会も同じです。教会の周りの方たちに挨拶周りをすることは非常に大事です。
なぜなら感謝するならすべての関係が良くなるからです。
しかし人は感謝より不平不満が自然に出てきます。
ところが皆さん不平するなら不満をもたらすなら関係がダメになります。
良い関係でも不平不満だったら関係がダメになるから。
これは感謝しなきゃいけません。
ところが感謝は自然に出てくることではありません。
わざわざすることなんです。感謝には訓練が必要なんです。
また感謝するなら自分自身が幸せになります。
いくら難しい状況の中でいくら悪い状況の中でも感謝するなら自分自身の気持ちが良くなり幸せになります。
だからどんな状況でも感謝するということはパウロが私に言っていることでしょう。
いつも喜びなさい感謝しなさい祈りなさい。これはこれなんです。
ですから神様はイセラリ人たちがいつも感謝できるように年の3度
感謝祭を用いてその祭りを大切に守りなさいと命令しました。
これは私たちのために神様が命じられたことです。
私たちは絶対忘れてはいけないことは神様は絶対善です。
いつも一番良いことをくださるということです。
今苦難がありますか。まず感謝しましょう。
ローマ小小小小4節
苦難によって忍耐が生じ与えられ、忍耐によって連絡ができ、連絡によって希望をもたらしてくださる。
貧しいですか。今貧しい時祈ってください。
祈りによって神様から祝福恵みが与えられます。
私は主のうちで死ぬことも感謝するべきではないかと思います。
21:02
なぜなら私の父親、私の母
看護からニュースが出るときいつも何があった病気病気なんとか病院に入院された
すごく緊張しました。しかし今
母が亡くなった今すごく楽です。
皆さんこれは何と説明すればいいでしょう。
子どもたちが心配しないように神様の懐に安全に今見守っておられる。
それを考えるときに主のうちで亡くなることも祝福だなぁと思う。
子どもたちに何と祝福でしょう。
本当に父を見るとき考えるとき母を考えるときに
天国でイエス様と共におられる。私を感謝します。
今心配が全くなくなりました。
どれほど感謝でしょう。
ですから皆さん絶対善である神様
その神様の絶対善を味わうためには感謝感謝です。
苦難の時に感謝。今うまくできるかできないか関係なく感謝。
皆さん無鉄砲で感謝ではありませんよ。神様の真実さ神様の約束を信じるからです。
感謝を生活化するなら幸せの人生になります。
これらの言葉があるでしょう。
健康の違いが人生の違いだと言うんですね。
私はこう言いたいです。感謝の違いが信仰の違いだと言います。
斧の信仰が違いますね。それは感謝によって全てが決められる。
だから健康の違いが人生の違いであるなら感謝の違いが信仰の違いだ。
成熟した人こそ感謝がうまい。
全てのことに感謝できるんだ。
今日は子供祝福式があります。
聖書の中で面白い聖書があります。神言の中九章、中四節です。
家と財産は先祖から受け継ぐもの。
賢い妻は主からいただくもの。
財産は先祖から受け継ぐものだけど、賢い妻は神様からいただくもの。
皆さん賢い妻が欲しいですか?
祈ってください。神様に祈ってください。
だったら神様が与えてくださると言います。
今私は三由姉妹を結婚した彼。
本当に幸せだなと思います。神様から賢い妻がいただいたからですね。
本当に同じ脈絡で子供は神様がくださることです。
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神様の命を私たちに預けてくださることです。
大切な神様の命を預けてもらったら、その子供を大切にしてうまく育てるべきでしょう。
子供たちのために何を植えばいいでしょう。何をまけばいいでしょう。
政治になってしまった子供に今から何とかしようとしたら難しいかもしれないけど、
教会学校の子供たちにはこれからでもいくらでも可能性があります。
ここで私は今日お勧めしたいのは、
五次元の教育ということをご紹介したいと思います。
私は韓国で2年間浪人したときに、
韓国のウンドン・ヤン・パクサという方が建てた学校があります。
その学校に娘を入れようとしたら、
親がまず教育を受けなきゃいけないと言って、私が向こうに行って教育を受けました。
その教育は五次元教育ということです。
この世の中に勝ち抜き、この世の中を支配するキリスト社になるためには、
これをぜひ学んでくださいということ、それを備える子供を育てましょう。
クリスチャンなんです。
マータイの二重交渉を通して5つのことを教育します。
まず、知力です。
2番目は心力。心力ということは霊的なことです。信仰も入るでしょう。
3番目は体力です。
4番目は自己管理能力です。
5番目は人間関係能力です。
この5つを備えた子供が、このキリスト社がこの世界を支配する、治めることができる。
その中で一つでも弱ければ、ダメになれば、それによって自分の役目がうまくできないということです。
皆さん、知力が弱い人、知力が足りない人、これは難しいですね。
2番目、心力が良くない。心の力がない。
だったら、それで怯えて何ができるでしょうか。
3番目、体力が弱い。
難しいですね。全てが備えられたとしても、体力に問題があったら何もできません。
4番目、自己管理能力がなければ、自己管理をしっかりさせなければ、
人間関係が良くなければ、世界的な働きはまず難しくなるんですね。
ですから、この5つの力を持つ大人として成長するために、私たちは子供たちに、
この5つの面について、私の子供はどのようなレベルまで進んでいるのかを、よくよく考えて、
親が子供たちのために、祈り、教育させ、模範を見せながら、子供たちに連れて行く、導いて行く、そして支えて行く、これが大事なんです。
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私はこの5つのことを考えながら、子供たち、また教会の皆さんに、これからも教育ということを続けていきたいと思います。
私は、私の子供のために、いつも祈るでしょう。皆様もお祈りされるんじゃありませんか。
祈りながら、祈りながら、最近はこんな祈りをします。この3つだけを祈ります。
イエス様をよく信じて、主の御業をよくやりながら、天国に行かせてください、ということだけ、私は続けて祈っていることなんですけど、
永遠に生きる私たちの人生を考えたら、これ以上良いものはないかなと思って、続けて祈っていることです。
さあ、結論を申し上げます。今日は収穫感謝日として、3つのキーワードを分かち合いました。
まず収穫、2番目は感謝、それで神様の恵み。
今、私たちの状況はどうですか。神様の恵みによって、今年1年を考えるときに、いろいろな面で参ったことに対して、
実りがよく現れていますか。今、実っていますか。忍耐すれば、何か見込みが見えていますか。
私はこれからでも第2五輪と九書、十節、種を蒔く人に種を与え、そして食物としてパンを与えてください。
私たちが蒔いた種を増やし、成長させ、そして良い実りをさせてくださる神を信じて、
これからでも私たちは続けて蒔き続けましょう。
蒔き続いた人は借り入れが期待があります。希望があります。
私はこう考えます。私たちは今、蒔いて死んだとしても、私の子どもたち、子孫たちがそれを借り入れるでしょう。
死ぬまで蒔き続ける。これがすごいなと思います。
何を蒔くのか、今日いろいろ説明申し上げました。
ぜひとも、私の人生は終わりだと思わないで、死の時まで蒔き続ける。
蒔き続ける。だったら、永遠に永遠に子孫たちに借り入れの希望が残る。
私たち教会も同じです。これからもこれからも諦めないで、絶望しないで、蒔き続ける。
これをぜひ私たちがやっていきましょう。子どもたちのために、犠牲たちのために、ぜひとも素晴らしい遺産を残す私たちになりましょう。
お祈り致します。
主よ、私たちの教会を4年間守ってくださり、
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この狭い部屋ですけど、ここで礼拝を捧げることができるようにしてくださってありがとうございます。
4年間、信徒たちの信仰を増し加えてくださって感謝します。
特に、教会学校の子どもたちによって感謝します。
また今年、結婚式があったことを感謝し、
また、しおんちゃんを与えてくださって感謝します。
また、健老の皆さんを健康に守ってくださったことを感謝します。
また、神様がいるましで行ってくださったいろいろな働きに感謝し、
中尾先生ご夫妻によって感謝し、
長野、福岡、マレーシア、韓国の同僚者たちによって感謝し、
また、私たちに天国の希望を与えてくださってありがとうございます。
このように2022年度くださった神様の恵みに感謝し、
2023年度も神様、私たちと共にいてください。
主に栄光を与えます。
シエス・キリスの皆によってお祈りいたします。
アーメン
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