1. 名谷教会
  2. 2012/01/29:聖日礼拝(旧音源)
2012-01-29 1:00:41

2012/01/29:聖日礼拝(旧音源)

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2012/01/29 聖日礼拝(旧音源)


00:00
私を政子姉にしていただきます。本日の聖書の箇所は、ペテロ第一の手紙、二章の一節から十二節までです。新約聖書の四百五十三ページです。ペテロ第一の手紙、二章の一節から十二節までです。
ですから、あなた方は、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善や妬み、すべての悪行を捨てて、生まれたばかりの血飲み子のように、純粋な御言葉の父を死体求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
あなた方はすでに、主が慈しみ深い方であることを味わっているので、主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には選ばれた、たっといいける意思です。あなた方も、いける意思として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊の生贄を捧げなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。
みよ、私は主よに選ばれた石、たっとい書籍を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。したがって、より頼んでいるあなた方には、たっといものですが、より頼んでいない人々にとっては、家を建てる者たちが捨てたいし、それが礎の石となったのであって、つまづきの石、妨げの岩なのです。
彼らがつまづくのは、御言葉に従わないからですが、また、そうなるように定められていたのです。しかし、あなた方は、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。
それは、あなた方を闇の中から御自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の素晴らしい御業をあなた方が述べ伝えるためなのです。あなた方は以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前は憐れみを受けない者であったのに、今は憐れみを受けた者です。愛する者たちよ、あなた方にお勧めします。
旅人であり、起留者であるあなた方は、魂に戦いを挑む肉の欲を遠ざけなさい。違法人の中にあって立派に振る舞いなさい。そうすれば、彼らは何かのことであなた方を悪人呼ばわりしていても、あなた方のその立派な行いを見て、訪れの日に神を褒めたたえるようになります。以上です。
それでは聖火隊の方々に賛美していただきます。
03:01
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
06:36
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
新聖火の382番を賛美していただいた後に、選ばれ召された者に対して足立先生からメッセージを語っていただきます。
おはようございます。
今日は、御教会で行われます大切な礼拝新年正会に、こんなものを呼んでいただきまして、御用させていただきますことを感謝いたしております。
御覧になってわかりますように、健康であるために御用ができるということですね。神様の憐れみです。恵みです。
そしてまた、どんなに御用ができても、呼んでくださらなければここに立つことはできませんが、内田先生の御恩情によって、こうして立たせていただいたことを覚えて、本当にうれしく思っております。
当たられた御用が全うできますように、祈りながらどうぞ協力してください。
お祈りします。
天の父なる神様、寒い時でございますが、守っていただいていることを感謝します。
09:01
こうして新しい週の始め、まずこのところに導いてくださいましたが、賛美、感謝、礼拝をお捧げして始めていただきますから、ありがとうございます。
贖いを完成し、御復活された主は、今朝もこのところにも臨在していてくださいまして、私たちを迎えてくださったが、御絆ゆえに許してくださるし、清めてくださるし、平安をお与えくださるし、
そしてまた新しく御霊の御息をもって私たちを立たせてくださるから感謝します。
どうか与えられた今週も、今歌いましたように、主のように、本当に主のようにと、本当に主に値るものを目指して歩む一日としてくださいますように。
小さき者がこうして御用させていただきますけれども、おすがりしております。
どうぞ御精霊様、導いてください。
そしてあなた様が今日も御言葉をもって、私たちの中に宮座を行ってくださいますように。
何かの都合でどうしても来ることができなかった兄弟姉妹の上に申しの良き仏会をよろしくお願いいたします。
捧げられました御祈りと感謝に合わせて皆によって御捧げします。
アーメン。
もう修法に書いてありますのでお別れでございますが、選ばれ召されたもの、今回は第一ペテロの手紙から、
クリスト社、つまり私たちは神様に選ばれ召されたものということを見ていくといいますか、聖書からもう一遍読ませていただきます。
私たちは初めは自分がキリストを選んだと思っております。
同じ信仰するならキリスト教だと。
そして言っているうちに、そうだ私はイエスをキリストと信じる。
そうして自分でクリスチャンになったと思っております。
ところがしばらくするうちに、あなた方が私を選んだのではなく、私が選んだということを見て、あるいは聞いてですね。
ほーっと思って、来る前に神様が私を選んで召しておられたということがわかって感謝するんですけれども。
さらにエペスト書に書いてあると見ると、天地が作られる前からキリストのうちに愛を持って選んでおったと書いてあるとね、不思議に驚くということです。
12:05
そこで選ばれ召されたものですが、まず順序として私たちが救われる前、選ばれ召される前はどんなだったかと言いますと、
これはもう私たち自分のことを振り返ったらよくわかります。
聖書的に申しますと、誠の神には背を向け、偶像礼拝、自分は様々な情欲と快楽の奴隷、他者に対しては悪意と妬みで日を過ごしておりました。
そのままならば、やがて神に捌かれ捨てられて永遠の地獄という、そういうことでしたね。
お互いそうしたところから救われたということですけれども、神から離れている人間の運命ほど悲惨なものかつ哀れなものはありません。
二つ目、ではそこからどのようにして私たちは救われましたでしょうか。
ある方はお友達に誘われた、ある方は気がついたら家がクリスチャンだったので連れられて来てしまった、こういう人もおられるかわからない。
ある人は本を読んでという、なんでも三浦彩子さんがお書きになった本を読んで救われた人は数え切れないほどたくさんおられるそうですけれども、
本を読んでという人、あるいは自分のことや対人関係、いろいろなことで思い悩んで教会に来たと。
まあ、きっかけといいますか、動機は様々ですけれども、救われたのはでは努力したからでしょうか。
あるいは私たちにはそれだけの資格や値打ちがあったからでしょうか。
一つのことは一章の三節を見てください。
今日はもうペテロの手紙だけですので、一章三節。
私たちの主イエス・キリストの父なる神が褒めたたえられますように、神は御自分の大きな憐れみの上に、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて生きる望みを持つようにして下さいました。
ここには私たちが救われたのは神の憐れみによったと書いてあります。
これについては、イエス様がなさった宝刀息子の話を思い出されるとよくわかると思いますが、
あの宝刀息子が気まま勝手な生活をして、そして行き詰まって、悪かったと反省して帰ってきますが、今さら子と呼ばれる資格はない。
もう雇い人の一人でいいから、お父さんのそばにおりたいと言って帰ってきました。
15:05
するとどうでしょう。まだ息子が家に入りかねているのを見かねて、お父さんの方が飛び出して行って、そして抱っかかえて切符をしたと書いてある。
私たちがどんなに罪をわかって悔い改めても、天皇お父様がそっぽ向いておられたら、救われっこないんですけれども、
私たちが悔い改めることもさることながら、神様の方が私たちは憐れんで、そして引き寄せてくださったというね、神の子にしてくださった。
私たちが救われたのは、神の憐れみです。
その次は一章十八節。
ご承知のように、あなた方が不祖伝来の虚しい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちるものに寄らず、傷もなく穢れもない保室児のようなキリストのたっとい地に寄ったのです。
キリストの地の贖いに寄ったと書いてある。
神様は慈愛に富んでおられます。哀れみ深い。
同時に聖なる方であり、儀なるお方です。
罪人をそのまま大受け入れになることはできません。
そこでどうなさったかというと、見代わりをお盾になった。
私たちを裁かないで、見代わりを裁くことによって、私たちをお救いくださる。
そこで大切な恩一人号を十字架につけ、私たちの罪の見代わりとし、救いの道を開いてくださいました。
私たちが悔い改め信じるだけで救われたのは、キリスト様のたっとい地に寄ったということです。
そしてもう一つは、一章二十三節。
あなた方が新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない神の言葉によるのです。
神の御言葉によったと言われてますね。
申し上げていますように、この世界に憐れみと慈愛に満ちた天皇神様がおいでになる。
私たちを滅びることなく何とか救ってやりたいとお示しして、こともあろうに一人号を犠牲にしてまで私たちを救ってくださる、救ってくださった。
みなさん、このキリストによる救い、言葉が分かるならば、復縁は何によって知ったのですか。
それは御言葉ですね。
どんなことを読んだり、あるいは人のお話を聞いたかも分かりませんけれども、最終的には御言葉を私たちは読んだ。
18:02
そして御言葉に示されているキリストによる救いが分かって、そして信じたんですね。
まとめて言うならば、キリスト社、クリスチャンの救いは、父子御霊の神、三味一体の神の御業であり、神の一方的な選びによりました。
私たちが御業を賛美し感謝するわけですね。
私たちの主、イエス・キリストの父なる神が褒めたたえられますように、本当に救われたことは嬉しい感謝、ありがたい、ありがとうございますと言ってね、私たちはいつも神様を賛美する、そういうことですね。
はい、それでは段々話の中止に入りますが、大きな三つ目は、神様は私たちを御選びになりお召し下さった神様の御目的ということです。
物でも人でも選びには目的や期待があります。
物と言いましたが、こうして時計を持っていますけれども、時計屋さんに行くと何重と並んでおる、その中から一つをあがなうわけです。
姿形もでしょうけれども、この時計、私の腕にひっついたら、時を正しく刻んで、私の生活に役に立つと、そういう目的と期待を持ってあがなってくるわけですね。
たくさんある中から一つを。物とともに人もそうです。今は不協、不景気、就職難、そういう時に皆さんが事業を起こしてね、そして10人は人が欲しいなと思って募集したところは30人も応募があったと。
選ばなくちゃならない。どういうふうに選ぶんですか。それこそ姿形も気にはするでしょうけれども、それよりはこの人が私の会社に来てくれたら、愛者精神で私の考えあるいは計画をよく理解して一生懸命協力してやってくれると、そういう期待を持って目的を持って30人の中から10人を選ぶのですね。
神様がまだ救われていらっしゃらないたくさんの人々の中から一足先に私たちをお選びになった。そして身元にお召し下さった。神様にもご計画があるのです。ご目的があるのです。
それを今から3つ見ていきますと、まず第1話1章の2節に書いてあります。
21:19
あなた方の上にますます豊かにされますように。キリストに従い血の注ぎを受けると。こんなことが書いてありますね。
この血の注ぎとか目玉の清めというのがありますが、皆さん血を注ぐということは旧約聖書で神様が神殿、主に神殿のように礼拝のためにお使いになる器具、こういう器でもね、机でも、それは血を注いで清別なさったんです。
そしてそれを持って神殿で礼拝にお持ちになりました。血を注ぐということはね、私たちをまず洗い清めてくださる。身元にお召しになると、今まで犯した様々な罪、穢れをキリストの血によって許し清めてくださる。洗ってくださる。そして聖霊を注いでくださるんですね。
私たちはそこまで自覚あるいは知っていなかったかも分かりませんが、食い改め、そして神に立ち帰った時に神様はキリストの血の上に許し洗い清めて、もう罪などない、罪なんか犯したことがないものと認めて、義と認めて、そして交わってくださるんですが、
さらに聖霊を吹き込んでくださったのです。よくその時に分からなかったかもしれませんけどね、イエスはキリストと信じて生まれ変わった、救われた時に、聖霊はその人の心の中にもう住んでおられるのです。そしてその人を内から変えなさるんです。どんどんどんどん変えていかれるんですね。
いやー、そんな人だって救われてすぐいい人間になれるわけではない。またしても失敗する。そうです。
けどその度に神様は血を注いで、食い改めたらどんな罪でも許してくださる。思い出した罪でも犯した罪でもすべて許して清めて、ますます聖霊を注ぎ満たしてですね、私たちを中から中から変えてくださるのです。どういうふうに変えなさるのですか。
ついにはキリストに似るものにまでと聖書が教えてますね。先ほどの賛美も本当に主のように、主のようにと歌いました。本当にあの賛美歌は聖書的に素晴らしいですね。私たちをキリストの味方、キリストの心を心とする、
24:13
キリストの似姿、キリストの兄弟にしてくださるというのですから素晴らしいことです。
初めの人間がそういう神様のご計画のもとに作られたんですけども失敗しました。悪魔に誘われたといえ罪を犯して堕落しました。新薬になって神様は新しく私たちを作り変えてくださいました。選び召して。
そういう私たちに神様が期待してらっしゃるのはイエスキリストに従うということですね。そして従うものを神様が変えてくださる。ところで神に従うということは分かりやすいようで分かりにくい。そこでここにはイエスキリストに従うと書いてあるんです。
聖書の書簡というところを読んであるところはキリストイエスあるところはイエスキリストと書いてある。どういう違いがあるのかと思っていろいろと考えたり読んだりしているうちに分かったことはイエスキリスト様が神であることを強調したいときはキリストイエスと書いてある。
その反対にイエス様が人間となられたことを強調したいときはイエスキリストと書いてある。そしてここはイエスキリストですからね人間となられたイエス様のことそれは福音書を見たらよくわかる。
神に従うと言われてももう一つ分かりにくい。けれどもイエス様に従うと言えばね大変分かりやすいですね。そして人となられたイエス様の御生涯はどういう御生涯でしたか。
イエス様は謙遜であられました。イエス様の御生涯まとめて一口で言うと父なる神には信頼と服従。どんなときにも神には信頼。そして自分では従いたくないと思うことであってもこれが神様の導きであるとわかると従っていかれるというね。
周りの人には善意と思いやりです。人を分け隔てしたり好き嫌いなどなさらない。善意と思いやりですね。そして御自分は非常に謙遜であられました。
27:10
私たちクリスチャンはそのイエスキリスト様に従う。そうすると精霊が助けてくださってね、私たちを良い神の子に作り変えていってくださるのです。
そして先ほど申しましたように、とうとうキリストに見るものにまでしてくださる。神様にはどんなときにも信頼。御言葉には従うんだと。喜んで神の御言葉に使える。
そして一緒に働く、一緒に生活する人にはね、善意と思いやり。救われるまでは悪意と妬みで日を過ごしなんて書いてあったけどね、聖書に。救われたら善意と思いやりですよ。思いやりは大切ですよ、皆さん。善意と思いやり。
そして自分は謙遜であられたように、本当に私たちも高ぶった思いを持たない、キリストの心を心とするという。だんだん精霊は作り変え作り変え、成長成長、とうとうキリストに見るものにしてくださる。
午後も出てきますけども、クリスチャンは、人生、私の思うまま、私の勝手気ままでなく、御言葉を読む。そしてイエス様とお交わりする。イエス様の心を移していただいて主に従う。
これが清めということですけども、それをしてくださるのが見たまなる神様だと教えてありますね。
みんなもう一度ね、本当私はキリストの血をもって買い取られた神のものである。私のものではない。精霊は私の家にお宿りくださって私たちを指導し、また作り変えようとしていらっしゃる。
そのことを本当に自覚して、我は十字架、キリストは我が家を身につけるということですね。そしてイエスキリスト様に従っていくと、私たちは本当に良い神の子に成長させてあげる。仕上げていただけるという。
精霊はそのことをいつもしておってくださるという。いよいよ見たまに明け渡していきましょう。見たまの言えるごとくせよとありましたけども、見たまの実を枝のたわに結ぶ良い神の子に成長させていただきたいんです。
二つ目のことは二章の九節。二章の九節を読むと、しかしあなた方は選ばれた種族、王である妻子、聖なる国民、神の所有とされた民です。
30:21
それはあなた方を闇の中からご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の素晴らしい御業をあなた方が述べ伝えるためなのです。もうはっきり書いてあってよくわかりますね。神の御業を語り伝えるためです。選ばれ召されたのは。
選びとか神の御元に召されるといえば旧約でイスラエル民族ということを直感しますね、皆さん。イスラエルというのは選ばれた神の皇太子という意味だそうですけどね。旧約のイスラエル・アブラムの子孫は選ばれた。
そして時が来てエジプトから救い出され、あらゆる訓練を経て約束のうちカナンに住むようになりました。
神様の御目的、御期待は何であったかというと、羊を飼う、そして田畑を耕すだけの、そういう農民のようなイスラエルが、個人も民族全体も生活は平安、むしろ栄える。
外敵が攻めてきても攻め込まれない。外敵が負けてしまう。
周りの国々にしたら、どうして、何でイスラエルってあんなに幸せな民なんだろう。
それはね、生きる誠の神に信頼してるからよ。
彼らは生きる誠の神を一足先に知らされて、そして神様にどんな時でも信頼しておる。
だから神様が守っておられるし、祝福して繁栄も与えてなさるのよ。
ほう、そうなら私たちも彼らが信じてる神様を信じようじゃないかといって、みんなが救われることを神様は願っておられた。
そのためにイスラエルをまずお盾になった。
ところが旧約の歴史を読んでみるとね、旧約のイスラエルは、その神様の御期待や目的には沿わなかった。答えなかった。
むしろ神様の心を痛めるような反対なことをしてしまったんです。
今でいうならば、クリスチャンが世の人をキリストに導く、世の人を教会に引っ張り込むと、
33:00
ところがむしろクリスチャンが世の方に引かれていって、知らんまに世の中の方へ埋もれてしまった。
そういうことになったんです。
旧約の歴史を読んでいただいた方もよくわかると思いますけれども、
信約で神様がお選びになった、私たちクリスチャン、それではいけないんです。
信約の選びのためまでそんなことになったらね、神様は本当にもうがっかりなさる。
神様が私たちをお選びになったのは、世の人の前に出ていって、そして驚くべき見わざを語り伝えるという。
イエス様のことを人に伝えて、教えて、見せて、そして私もクリスチャンになりたい、私も教会に行こう、私もクリスチャンになるんだと、
そういうふうになってほしいと願っていらっしゃるんですね。
ところで、そういう使命というか役目を果たすために大切なことがあります。
それがここに言われておりますが、その一つは二章の一節から読んでみましょう。
ですから、あなた方は全ての悪意、全てのごまかし、いろいろな偽善や妬み、全ての悪行を捨てて、
生まれたばかりの血飲み子のように純粋な御言葉の父を下へ求めなさい。
それによって成長し、救いを得るためです。
まず書いてあることは、信者の成長ということですね。
そしてその次に書いてあることは、御説、あなた方も生きる意思として霊の家に築き上げなさい。
そして聖なる祭祀としてイエス・キリストを通して神に喜ばれる霊の生贄を捧げなさいと書いてあります。
成長して、そして霊の家でお祈りをするということです。
まず成長といえば、証の妨げになるものは覗く、捨てる、離れるということでしょう。
そして積極的には御言葉を飲み食いする、御言葉を飲食して成長する。
霊の家では祭祀としてひざまずいて鳥梨の祈りをするという順番になりますが、
皆さんここに一節にはいつつの悪があります。
悪意、ごまかし、いろいろな偽善や妬み、悪行をしていると書いてありますが、
まあもうよくわかっていらっしゃるのでね、短く申し上げると、
例えば私たちが言うこととすることが違うとかね、偽善と言いましょうか、裏表があると。
36:04
日曜日と、月曜日から土曜日までとは違った生き方をしていると。
こういうことでは明かしにならないと、そういうわけですよ。
例えば新しい求道者さんが入ってこられると、そして教会ってどんないいところかなと思ってね、
そして注目しておられたら、礼拝終わった後で信者同士が人の悪口をやっているとか、
そういうね、醜いことが見えたら、せっかく来た人もですね、
なんやキリスト信者も結局私たちと一緒やな、と言うてですね、つまずいてしまう。
ですからそういうものはあってはいけませんよ、とこういうことですね。
そして聖地をしなさい。御言葉をよく味わいなさい、という。
生まれたばかりの赤ん坊が、本当にお母さんのお乳をゴクンゴクンと飲みますけれども、
あのお乳の中には何でも成長剤とともに病菌を防ぐものもお乳の中には入っているそうですね。
そして子供がだんだんだんだん成長するんですけれども、皆さん命の御言葉、礼の知事、
この御言葉はね、味わえば味わうほど私たちを成長させる。
礼の知事、お乳、そしてよからのものがあれば、それは示して取り除いて下さるね、御言葉をよく読むということです。
そして集会にもよく来る。自分で一人読んでもね、なかなかわからない。
教会に来る、説教を聞く。そうするとね、今日わからないことも、1ヶ月先には3ヶ月先には、
あ、そういうことだったのかと言ってね、わかる時が来るというようにして神様がわからせて下さい。
まあ結論のようなことを言うようですけれども、私この年まで若い時から救われて長い間教会生活させてもらいましたけどね、
御言葉もあまり読まんが、集会にもろくに出ようがという人で、良いクリスチャンという人に私は出会ったことがない。
けれどもどこの教会に行っても、どこでお会いしても、本当にキリストの香りがする。本当にキリストを表していらっしゃるな。
本当にね、惹きつけられるような良いクリスチャンという方は、聞けば聞くほど御言葉によく聞き従っていらっしゃる。
そして教会にも休まずに出ておられるし、よく祈っていらっしゃる人だということがわかって、
もう聖書に書いてある通りやな、ということを教えられてきました。
どうか、そういう神様が喜びにならないものがあるならば捨てる。そして受けるべきものはしっかり受けるということですね。
39:02
私トラクトというものが好きでよく読むんです。好きというか、もちろんそれは役に立つというか、励まされるし勉強になる。
トラクトというのは読んでおると、10枚のうち6枚7枚ぐらいに決まって書いてあることは、私が初めて教会に行ったとき。
もう信者さんが温かく迎えてくれたとかね、本当にもう親切にしてくださった。
もう本当に教会におるということは、なんだかもう温かい家におるようだ。
ここが私の居場所だとわかって、それから来るようになったということがね、もう10枚のうち6枚ぐらいは書いてあります。
素晴らしいなと思いますね。これからもそういうことをお互いに努めて励んでいきたいんですが。
もう一つのことはね、霊の家で祈るということですよ。ここに書いてありますね。
ご説にね、あなた方も生ける意思として霊の家に築き上げられなさい。
そして聖なる祭祀としてイエス・キリストを通して神に喜ばれる霊の生贄を捧げなさい。
生ける意思とか霊の家とか書いてありますけど、これは教会ということなんです。
ペトロがこれを書いた当時、ローマ大都市、ローマ大帝国はね、立派な石造りの家が立ち並んでおったという。
そして人々は誰言うとなくローマは永遠なりとこういうふうに言っておったそうですが、
教会はというと、できたばかりの小さい教会は物置小屋をちょっと改造したり、
救われた心ある信者さんが家を開放して家庭集会するような、そういう状態でしたから、
堂々とあるローマの大きな立派な帝国から見たら教会なんてですね、ふっと降りたら飛んでしまうようなところだった。
けどペトロは向こうはやがて崩れ去るもの。
こっちは霊の家、生ける意思、本当の永遠に存在するのがキリストの教会だと、そういうことを言っているんですね。
そして救われたクリスチャンはその教会に来て、祭司となって祈りましょう。
まだ救われていない人のためにね、どうぞ神様、あの人を救ってあげてください。
今日も行ってきましたら、あのうちで何か本当につらいことがあったようです。詳しいことは分かりませんけれども、
どうぞ家族を顧みてやってください。皆さんもみんなで祈るという。
そうすると精霊が働いてくださってですね、救われる人を起こしてください。
まあこの辺は全然とも時間がなくなりましたけれども、神様はね、旧約のイスラエルでなく新約のイスラエル、エロビの民は、
42:11
神がイエス・キリストを通してなさってくださった素晴らしい御業を明かししてほしい。
そして信じた人自身が良いクリスチャンとなって、キリストに憎る者とまで成長して、
そして周りの人にね、あ、私も教会に行きたい、私もクリスチャンにしてほしいと、そういう風になるようにしてほしいと願っていらっしゃる。
そのために私たちはね、御言葉によって取り扱われ清められ、御霊に従うことによって、
御霊に従うことによって、どんどんどんどん作り変えられて、そして成長する良い赤人となる。
そして大事なことは祈るということです。
昔から今日まで、いろいろな伝道の方策は聞かされます、教えられます。
けれどもどんなに良い方策、あるいはそういう手立てがあったとしても、祈りなしに成功する方策はないと思います。
どうか個人として、教会として、本当に神様、イエス様といってですね、
自分の成長とともに、まだ救われていない家族のために、あるいは友達のために、御祈りを捧げていただきたい。
そこへ精霊が働かれるのです。
そして思わない人が教会に来てくれる。
あの人はと思っていた人が喜んで来るようになる。
そして救われて、霊の家、教会が盛んになる、こういうことですね。
与えられた役目を務めさせていただきましょうか。
私が神戸清泉教会というところにおった時に、私よりも十五六上の奥さんでしたけどね、子供さんの二人。
二人目を産んだ時から転換という発作が起きて、大変苦しまれた。
そんなわけもあったでしょうか。あまり外に出なくなっちゃったので。
ですから考え方が非常に狭い、狭い、自己本位、自己中心という人でした。
それが教会に来られて、そして救われると、御言葉に親しむ、そして祈りを励まれる。
どんどんどんどん変えられていって、三年も経ったぐらいでしょうかね。
ある時、婦人会でこういう証なかった。
皆さん、私の心を今、開いて見せることができるならば、私の中にあるのは、イエス様への愛と、周りの人に対する愛、それ以外に何もありませんと言われてね、
45:03
私はびっくりしていました。
えー、こんな証をしていいのかと思ってね、ちょっとオーバーじゃないかと思ってね、びっくりしたんですけどね。
けども、おめさりになるまで、その証、私は裏切られたことはありませんでした。
そんなことがあって、しばらくしてから、送天祈祷会に御主人が来ておられ、
なんでかなと思って、片通り送天した後、御主人に今日はどういうわけでとお聞きしましたら、
いや先生、カナエを見ておりましてね、カナエが本当に素晴らしく変わったってこと。
カナエを見ておったら、もう私もここへ来るわけにはいかないようになりまして、来ましたんです、言われて。
それから御主人も急動の猿、そしてすぐ我、信者になられた。
その奥さんの弟さんという方が、スズランダイの方で事業しておられたんですけど、失敗して落ち込んでおられ、
私に行って福音を伝えてくれとおっしゃるから、参りました。
もうやけくそで酒ばっかり喰ろうてね、もう本当に、奥さんももう見捨ててどっか行っちゃったし、
哀れな状態でしたけど、本当に福音を語る。
酒飲んでもうええかねんしておる奥さん、お姉さんがね、教会の牧師さんが来て大事な話をしていらっしゃるしっかり聞きながら、
しっかり飛ばしたりしていましたけども、とうとうその方も救われましたよ。
そして良い信者となって、天に行かれましたがね、本当にそういうことは素晴らしい。
何か私がしたと言うんでなしに、本当にそういう良い器ができる、その器を神様が持ちなさるということですね。
もう一つのことを読んでおくと、こんなことが書いてありますよ。
十二節にしましょうか。十二節。
十二節。
この立派立派と書いてあると、
ちょっと私たちは近づきにくいという感じがいたしますけども、
これは貧困法制とかね、落ち度がないとか欠点がないとか、そういう意味ではなく、
あの人のようになりたいという、それがこの立派という意味だそうです。
あの人のようになりたいという。
古い話で申し訳ないですけども、私が旧正の中等学校に入ったときは、戦争も竹縄のとき、
48:00
学校ではもう中学校からね、軍人精神を打ち込むとか叩き込むとかいうような世の中でして、
学校に行くことはもう殴られに行くようなものだった。
学校に行ったらもう先生は殴る、上級生は殴るね、殴られに行くようなもの。
それでもね、不登校だとか登校拒否なんていうのは一人もいなかったね。
毎日みんな全員殴られて集まっていた。
そういう中でね、決して生徒を叩かない先生が一人おられた。
弱虫かと思ったらね、決して弱虫ではない。
なかなか明るいしね、本当に頼もしい先生でしたけども、
決して生徒を叩かない。
授業は楽しい。
みんなあの先生好きやーと喜んでおったんですけども、
間もなく戦争が終わりました。
私は学校を出る4年ほどして、4,5年経って教会に行くようになったんです。
初めは夜の伝道集会ばかり行っておったんですけども、
ある時から礼拝、日曜日の朝の礼拝も出るようになったんですが、
最初に礼拝に行った時に目がガッとこまらった。
司会をしておられた先生はその先生だったんです。
私もそれを見た時にね、キリスト教徒もまだ何も分かってないよ。
キリスト教徒もまだ何も分かってないけど、分かっていらんけども、
この先生が居るところなら、私はこれからずっと来ようと決心したんですよ。
そうして決心して間違いなかったね。
何にも分からんでも、この先生がいらっしゃるところなら、私はこれからずっと来るぞ。
そういう風にして来ましたがね、あの先生のようになりたいと。
教会に行く前から印象を付けられたもんですから。
教会でその先生を見た時には、クリスチャンだったのか。
だから先生が決して聖徒をたたいたりしなかったんだなと思うとね、
この先生のおられるところへもこれから来ようと。
本当にそれからもご指導いただきましたが、
いいクリスチャン教師に私は若い時に出会ったもんです。
救いは信仰のみですけれども、
証には良い行いがいるということ。
お互い良い証人としていただいて、神様に用いていただきたいと思います。
それでは、もう長くなりましたが、最後の三つ目は五章の実説です。
五章の実説を読ませていただきます。
五章の実説は、あらゆる恵みに満ちた神、
すなわちあなた方をキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神。
51:06
召してくださった、召し入れてくださった神御自身が、
あなた方をしばらくの苦しみの後で完全にし、固く立たせて強くし不動のものとしてくださいます。
永遠の栄光に入れるために私たちを選びお召しくださいました。
これはこれから起こることで、現在まだいただいておりませんけれども、
救いがなければ滅びる、永遠の地獄に行くお互いでありましたが、
そういうものが救われて、神と人に役立つ生涯を送らせていただく。
そして、役目が終わると、栄光の御国に入れていただけると、こういうことですね。
永遠の栄光については、一章の四節目るとこう書いてあります。
一章の四節には、また、朽ちることも、穢れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。
これはあなた方のために、天に蓄えられているのです。
朽ちることも、穢れることも、消えていくこともない資産を受け継がしてください。
これはあなた方のために、天に蓄えられているのです。
世の富、世の栄は、しばらくです。どんなに素晴らしいと言っても、やがて消えていくものです。
豊臣秀吉は、そういうことを皆さんに言った。
秀吉さん、幸いだ。本当に足軽から身を起こして、言うたらもう天皇の次だという、人間が達してくる最高の位にまで上った。
秀吉さん、偉い王子の人に貸し憎かれて、秀吉さん幸いだ。幸せだと言うと、
世の中に、我にも似たる人もがな、生きてかえなきことを共に語らん、と彼が言うたんです。
多くの人が、秀吉さん幸せ、幸せ、私もあんなになりたい、と言う。
いや、何にも幸せじゃない。こんな感覚打上大臣、秀吉は何にも幸福じゃない。
言うても、みんなはわからへん。
けれども、もし私と同じ経験した人、同じ立場に立つ人がおったら、話し合ってみたら、
なあ、秀吉さん、出世はした。持つものは精一杯持った。みんなは幸せだろうと言うけども、幸せはないなあ、言ったら、
本当そうやなあ。何にもこんな立場に置かれんでも、もっと下の方で、みんなと一緒に百姓しとった方がよっぽどよかったと。
54:05
まあ、世の中に我にもねたる人もは、生きてかえなきことを共に語らん、と言うね。
秀吉と同じ立場のもんなら、話が通じる。けれども、そうでない人は、言うてもわからん、と言う。
まあ、そういうことでしたが、最後は、つゆとき、つゆときえぬる、わがみかな。
なにわのことは、ゆめの又ゆめ、と言うてね、要さりました。
もう、そういうことで、人間はほんとはね、悟らないかんのにね。
一般の世間の出来事、歴史を見ても、この世の富士坂へなんてものは、そんなに夢中になるもんじゃない。
もっと大事なものがあるはずだ、と言うことに目が開かれないかんのに、わからない。
けど、私たちは救われた。そして、目が開かれた。
そして、やがて、口づけがれず、しぼむこともない、天の資産。
イエス様は、天におかえりになる前に、お祈りになったね。
私が地上に来る前、天で持っておった、あの資産、あの栄光。
私を信じる者たちにも、ともに、受け継がさせてやってください、と。
共有、共有させてやってください、と、お祈りになりました。
私たちは、資格も値打ちもありませんが、神様のある意味により、
イエス様の遺産をと、鳥なしの家にね、天に入れるのよ。
そして、イエス様が持っておられた資産を、共有できる、と言うんですから、
なんという光栄ある身分でしょうか。
先ほど申した姉妹がね、ある夏、もう秋口でしたがね、
まだ白い半袖のとき、礼拝終わったときに、こいつの腕をぐるぐる巻きしてやる、包帯で。
どうなかったんですか。いやー、って笑ってやりましたが、
私がまあ、しつこく聞くもんですから。
先週、温泉に行きまして、友達と。
そしてまあ、湯に浸かって、出るときに、まあ、冷たいと暑いとね、
発作が起こって、暑い方を押したらしい。
そしてすごい、こうなったもんだから、もう、熱湯に打たれて、
そしてもう、大火傷になったと言われました。
いやー、本当お気の毒でしたな、奥さん言うてね。
私が言うたら、いこっと笑って。
向こうに行ったら、もうこういうことはないんです、と言われました。
ね、向こうに行ったら、もうこういうことはないんです。
地上にある間は、そういうことがまあ、避けられません。
けども、やがて時が来て、体まであがなわれて、
復活のイエス様と同じ体にかせられて、着せられて、天に上がるときには、
そして向こうに行ったらね、もう死も悲しみも病もないと書いてありますね。
イエス様と共に、神と人に仕えていくんですよ。
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永遠の命というのはね、ただ長いと言うだけでなくて、
神の国に住まえる命ということですね。
今皆さん、このままで宇宙にはいけませんよ。
宇宙に行ったら死んでしまうんです。
宇宙に行こうと思ったら、宇宙服を着ないかんね。
天に住まわしていくときには、天で住まえる体を着せてもらうということですけど、
その体にはもう病だとかね、そういう死なんてものはない。
栄光の体を着せていただく。
そしてイエス様と共にね、神と人に仕えるということは素晴らしいことです。
一つの盲人という方のお証を持って終わりますけども、
盲人クリスチャンの方が、あるとき謝って水に落ち込んで、
そして腰骨を痛められた。
兄弟姉妹が気の毒に思って慰め、励ましに行ったところ、彼がこういうことを言った。
何不足、宇宙は我が家、神は父、無限は我の持ち物ぞかし。
スケールが大きいね。
何不足、宇宙は我が家、神は父、無限は我の持ち物だ。
私の持ち物だと言うんですからね。
こっちの目は見えなかったかしら。霊の目は開かれて、そして天を見ておられた。
やがて、キリストに会っていただく栄光がどんなに素晴らしいものかということが見えておられたんですね。
霊の目が開かれている人は幸せですね。
何不足、宇宙は我が家、神は父、無限は私の持ち物だと言うんですから。
いや、素晴らしい。
今年も地上ではいろいろなことがある。
けれども、神様はそれらをもって訓練、成長させてくださって、
身業のために用いて使命が終わるという国に入れてくださる。
イエス様をあげみずつ進みましょう。お祈りします。
天皇お父様、ありがとうございます。
本当に滅ばされて叱るべきものを救ってくださったばかりか。
清め、目玉に満たして、神の選びの器として作り変えてくださるわ。
まだこの身業を知らない多くの人々の前に、良い証の器として用いてくださることを感謝します。
そして、役目が終わったら、栄光の御国に喜びを持って立たせてくださるという、
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キリスト様にあってなされた身業、それをいただいている私たちの幸せ、感謝のほかございません。
賛美感謝申し上げます。
どうか、こうした救いに預かっていることをなお深く目につけて、
今年もあなた様のご期待に沿う喜んでくださる。
どうぞ神の子の生活を行って、枝もたわに身を結ぶ、あなたに結ばれたクリスチャンとしていってください。
イエス様の皆によってお祈りします。
アーメン。
どうも長くなりまして失礼しました。
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