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絵のない絵本。ハンス・クリスチャン・アンデルセン。絵のない絵本。
第十四夜。月が話しました。森の道に沿って二軒の農家があります。
戸口は低く、窓は上と下とについています。
辺りにはサンザシやヘビノボラズが生えています。
屋根は苔で覆われていて、黄色い花やイワレンゲが咲いています。
小さい庭にはキャベツとバレーショがあるだけですが、
生垣にはニワトコが花をいっぱいに咲かせています。
その下に一人の小さい女の子が座っていました。
その子は飛び色の目で、二軒の家の間に立っている古い柏の木をじっと見つめていました。
この木は枯れた高い幹を持っているのですが、
その上の方はノコギリで引き切られていました。
そこにコウノトリが巣を作っていました。
ちょうど今コウノトリがその上に立って、
くちばしをガチャガチャやっていました。
一人の小さい男の子が出てきて、女の子のそばに並びました。
この二人は兄弟だったのです。
何を見ているんだい?と男の子は聞きました。
コウノトリを見ているのよ、と女の子が言いました。
お隣のおばさんがね、
コウノトリが今夜私たちに小さい弟か妹を連れてきてくれるって言ったの。
だから私コウノトリが来るのを見ようと思って気をつけてるのよ。
コウノトリなんて何にも持ってきやしないさ、と男の子が言いました。
いいかい、お隣のおばさんは僕にも同じことを言ったけど、
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そう言ったとき笑ってたんだ。
それで僕、おばさんにきっとですか?って聞いたのさ。
だけどおばさんは返事ができなかったんだぜ。
だから僕にはちゃんとわかっちゃったんだ。
コウノトリの話なんて僕たち子供に本当らしく思わせるだけのことさ。
だけどそんなら赤ちゃんはどこから来るの?と女の子は尋ねました。
神様が連れてきてくださるのさ、と男の子は言いました。
神様は街灯の下に入れて連れていらっしゃるんだよ。
だけども人間は神様の姿を見ることができない。
だから神様が赤ん坊を連れていらっしゃるのも僕たちには見えないのさ。
その瞬間、庭とこの木の枝の中でザワーザワーという音がしました。
子供たちは両手を合わせて互いに顔を見合わせました。
確かに神様が子供を連れてきたのです。
二人は手を取り合いました。家の戸が開きました。
それはお隣のおばさんでした。
「さあ、入ってらっしゃい。」とおばさんは言いました。
この鳥が何を持ってきてくれたかご覧なさい。
ちっちゃな弟さんよ。
すると子供たちはうなずきました。
二人ともその弟が来たことをもうちゃんと知っていたのです。
第十五夜
私はリューネブルクの荒野の上を滑って行きました。
と月が言いました。
道端に小屋が一軒ポツンと建っていました。
葉の散り落ちたヤブが二つ三つ。
そのすぐそばにありました。
そこではどこからか迷い込んできたナイチンゲールが歌を歌っていました。
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けれどもナイチンゲールは夜の寒さのために死ななければなりません。
私が聞いたのはそのナイチンゲールのこの世での最後の歌だったのです。
赤月の光が輝きました。
旅人の一体がやってきました。
それは外国へ移住していく農夫の一家でした。
船でアメリカへ渡ろうとしてブレーメンかハンブルクへ行くところだったのです。
この人たちはアメリカへ行けば幸運が夢見ている幸運が花を開くものと思っていたのでした。
女たちは小さい子供を背中に背負っていました。
いくらか大きい子供たちはそのそばを飛び跳ねていました。
痩せこけた一頭の馬がわずかばかりの家具を乗せたう車をひいていました。
冷たい風が吹いてきました。
それで小さい女の子は母親のそばにぐっと体をすり寄せました。
母親は駆け始めた私の丸い月の輪を見上げながら
故郷でなめてきたひどい苦労のことを思い浮かべたり
払うことのできなかった重い税金のことを考えたりしていました。
それはこの一行の誰もが考えていることでした。
だから赤赤と輝く赤月の光は
再び訪れてくるであろう幸運の太陽の福音のように思われたのです。
今にも死にそうなナイチンゲールの歌声を聞いても
それは悪い預言者ではなく幸運の告知者のように聞こえたのです。
風がヒューヒューと鳴っていました。
ですから人々にはナイチンゲールの歌う歌がわかりませんでした。
やすらかに海を渡れ、長い船路のために
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お前は持てるすべてのものを支払った。
貧しく寄るべなくお前はお前のカナーンの地を踏むだろう。
お前は自らを売り妻を売り子供を売らねばならない。
だが長く苦しむことはない。
香り高い白い墓毛に死の女神が座っている。
その歓迎のキスはお前の血の中に死の熱病を吹き込むのだ。
行けよ行け。
盛り上がる大波を越えて旅人の一行は喜んでナイチンゲールの歌に聞き入りました。
というのはその歌がやがて来る幸運を歌っているように思われたからです。
薄雲の間から日が輝いてきました。
農夫たちは荒野を横切って教会へ行きました。
黒い着物を着て頭を厚い白い浅布で包んだ女たちの姿は
教会の中の古い絵から降り立ってきたのではないかと思われました。
この辺りを取り巻いているものは広々とした高齢たる環境ばかりでした。
干からびた褐色のヒースと薄黒く焦げた芝草が白いサスの間に見えるだけでした。
女たちは賛美歌の本を持って教会の方へ行きました。
ああ、祈れよ。
盛り上がる大波の彼方の墓場へさすらい行く人々のために、祈れよ。
第十六夜
私は一人のプルチネンラを知っています。と月が言いました。
見物人はこの男の姿を見ると大声に囃し立てます。
この男の動作は一つ一つが滑稽で、小屋中をわあわあと笑わせるのです。
けれどもそれはわざと笑わせようとしているわけではなく、この男の生まれつきによるのです。
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この男は他の男の子たちと一緒に駆け回っていた小さい頃からもうプルチネンラでした。
自然がこの男をそういうふうに作っていたのです。
つまり背中に一つと胸に一つ、鼓舞を奢わされていたのです。
ところが内面的なもの、精神的なものとなると実に豊かな天分を与えられていました。
誰一人この男のように深い愛情と精神のしなやかな弾力性を持っているものはありませんでした。
劇場がこの男の理想の世界でした。
もしもすらりとした美しい姿をしていたなら、この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。
英雄的なもの、偉大なものがこの男の魂には満ち満ちていたのでした。
でもそれにもかかわらず、プルチネンラにならなければならなかったのです。
苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔に滑稽な気真面目さを加えて、
お気に入りの役者に手を叩く大勢の見物人の笑いを引き起こすのです。
美しいコロンビーナはこの男に対して優しく親切でした。
でもアルレッキーノと結婚したいと思っていました。
もしもこの美女と野獣とが結婚したとすれば、実際あまりにも滑稽なことになったでしょう。
プルチネンラがすっかり不機嫌になっている時でも、
コロンビーナだけはこの男を微笑ませることのできる、
いや、大笑いをさせることのできる、ただ一人の人でした。
最初のうちはコロンビーナもこの男と一緒に憂鬱になっていましたが、
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やがていくらか落ち着き、最後には冗談ばかりを言いました。
あたしあんたに何が欠けているか知ってるわ、とコロンビーナは言いました。
それは恋愛なのよ、それを聞くとプルチネンラは笑い出さずにはいられませんでした。
僕と恋愛だって?とこの男は叫びました。
そいつはさぞかし愉快だろうな。
見物には夢中になって騒ぎ立てるだろうよ。
そうよ、恋愛よ、とコロンビーナは続けて言いました。
そしてふざけた情熱を込めて付け加えました。
あんたが恋しているのはこのあたしよ、そうです。
恋愛と関係のないことがわかっているときにはこんなことが言えるものなのです。
するとプルチネンラは笑いころげて飛び上がりました。
こうして憂鬱も吹っ飛んでしまいました。
けれどもコロンビーナは真実のことを言ったのです。
プルチネンラはコロンビーナを愛していました。
しかも芸術における崇高なもの、偉大なものを愛するのと同じようにコロンビーナを高く愛していたのです。
コロンビーナの婚礼の日にはプルチネンラは一番楽しそうな人物でした。
しかし夜になるとプルチネンラは泣きました。
もしも見物人がその歪んだ顔を見てならば手を叩いて喜んだことでしょう。
ついこの間コロンビーナが死にました。
葬式の日にはアルレッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。
この男は悲しみに打ち沈んだ男やもめなんですから。
そこで監督は美しいコロンビーナと陽気なアルレッキーノが出なくても
見物人を失望させないように、何か本当に愉快なものを上演しなければなりませんでした。
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そのためプルチネンラはいつもの2倍もおかしく振る舞わなければならなかったのです。
プルチネンラは心に絶望を感じながらも踊ったり跳ねたりしました。
そして拍手喝采を受けました。
ブラボーブラビッシモン。プルチネンラは再び呼び出されました。
ああプルチネンラは本当に計り知れない価値のある男でした。
夕べ芝居が終わってからこの小さな化け物はただ一人町を出て
寂しい墓地の方へ彷徨っていきました。
コロンビーナの墓の上の花はもうすっかり潮れていました。
プルチネンラはそこに腰を下ろしました。
その有様は絵になるものでした。
手は顎の下にあて目は私の方に向けていました。
まるで一つの記念像のようでした。
墓の上のプルチネンラ。それは誠に珍しい滑稽なものです。
もしも見物人がこのお気に入りの役者を見たならばきっと騒ぎ立てたことでしょう。
ブラボープルチネンラ。ブラボーブラビッシモ。