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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今週も、マルゲン飲料工業株式会社代表取締役、阿部貴明さんをお迎えして、お話を伺ってまいります。阿部さん、今週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
先週までのところで、阿部さんのお仕事への姿勢とか、いろいろ伺ってきたんですけれども、今後の展開として、阿部さんが今まで食を楽しむとか、食にまつわることをいろいろ考えながら事業を展開されてきたんですけど、現在注目しているというのはどういうところでしょうか。
はい。結論から言うと、朝の時間なんですけど、ずっとこの間一貫しているのは、おいしいものを提供しようとかいうことよりも、楽しいことを提供する、あるいは楽しい環境とかシーンを外食の中に提供しよう、みたいな気持ちが多くてですね。
そのことによって、結果的に人の行動パターンが変わったり、決して大げさでなく文化が変わっていくようなことってあるんだと思うんですね。
そういう意味では、今度小篠さん、ちょっといろいろ相談したいことがあるんで、ホテルのカフェで、7時半からお忙しいと思いますけど、朝飯でも食いながら打ち合わせしませんかって、今あんまりないんですよね。
そうですね。あまりないね。
夜、ゆっくりっていうことじゃなければ、お昼でも食べながらっていうのはありますけど、朝飯一緒にいかがですかって、アメリカやヨーロッパでいうブレックファーストミーティングって、日本にはほぼ全くまだ定着していない。
いや、そもそも北区にいると空いてる店がない。だから都市に行けばホテルとかそういうところに行けるけど。
そういう意味では、外食の皆さんにもずっと提案してるんだけど、なかなかその文化ができなくて、実はちょっと前にコロナもあって、またちょっとこれからと思ってますけど、
例えばパンケーキ屋さんが急にググってきてですね、朝食なりあらゆるお休みの日のブランチ、午前中にお客様単価1500円、2000円、2500円で朝ごはんを食べるっていう人たちが若い人の中で増えてきてですね。
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これは朝食市場が少し成熟していく過程としてはついに来たと思ってましたけど、ちょっと感染症で冷や水になっちゃったので、これから本当に朝の時間の有効な使い方って、広い意味での朝活の中に外食が含まれるっていうのは、生産性が上がっていくっていう意味ではですね。
なんかいいんです。夜遅くまで後になってみると反省しかないようなダラダラとずっと飲み続けるのもたまには必要なんですけど、小城さんに何か教えてもらいたいなみたいなご相談があって、朝1時間だけ時間くれいただけませんかと。
そういうときに2人で朝ごはん5000円ずつのおいしいものを食べるってこれから絶対にあると思いますよね。
なるほどね。
そこでそっくり抜けたマーケットなの、今。そっくり抜けてるマーケット。
今言われてる単価は別にしても、方がは感じるのはね、例えば外食のファミリーレストランみたいなところで、いわゆるビフェスタイルみたいなのをやると、この北区内なんかでも結構繁盛してるんですよ。
もちろん単価の問題も安いとかっていうこともあるけれども、でもやっぱり海外で体験したりとかいろんなことの中で、そのスタイルが入ってきてるとか。
それからやっぱり消防会社の北支部のメンバーで、台湾のそういう外食を展開してる人がいるんだけど、この人はお粥、台湾の文化にあるじゃないですか。
それなんかをやってる。そこはやっぱり7時からやってるとかね。
なんか少しずつそういうものが出てきてるかなっていう感じはするけど。
その中華文化の中、中国系の文化の中って朝飯すごく重要な文化で、朝うちで食べる人なんか一人もいなくて、朝は確実に外。
日常の中でそれもあるし、打ち合わせしながら、あるいはお友達とおしゃべりしながらっていう文化って、今まで日本ではですね。
お家でお母さんが作ってくれて、お母さん当然忙しくなっちゃったし、そうすると今度は食べないとかっていうパターンになっちゃって、あるいは急いで菓子パン1個食べてみたいなことになるんですけど。
もう少し違う価値を朝食の中でクリエイトできないかな。
やり方いろいろあるような気がしますね。
昔、アメリカに視察旅行で行ったときに、ニューヨークの天皇がいっぱい建ってるところの真ん中でちょっと低いビルのところがテラスになって、そこで朝食を食べられるみたいなのがあってね。
もちろん僕らは視察で行ってるから団体でいるんだけど、そこでやっぱりそういう商談をしてる。
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そういう人たちがいて、かっこいいなと思った。1980年代、90年代のものかな、思った記憶がありますけど。
なんかああいうのをドラマとかやってくれると。
朝の打ち合わせシーンってかっこいいですよ。
かっこいいよね。だんだん頭もスッキリしてるしね。
頭も一番スッキリしてるし、それからお尻が決まってるからダラダラしないですよ。
だからそういう意味では、生産性を上げていく一つの方法として、午前中の時間、朝食の時間をうまく演出できるような外食の皆さんと一緒にメニュー開発ができるといいねと。
今朝食っていうと牛丼屋さんに行ってみたいなところが目一杯なので。
実はいわゆるスペシャリティコーヒーショップさんたくさんあるじゃないですか。
あえて私アメリカのところどことか言いませんけど、海外のスペシャリティコーヒーショップさんの1日の売り上げの6割近くが午前中なんですよ。
日本はその時間帯30%あるかないかなんですね。
圧倒的に半分以上を午前中、特に7時前とかの時間帯にピークでもって迎えててですね。
日本はほぼ真逆なので。
午後文化っていうか夕方文化、あるいは飲んだ後に夜文化も残しながら朝が載せられると市場を大きく拡大すると思うんですよね。
なるほどね。
でも本当に安倍さんが打ってきた手とか見てきたものって5年とか10年の間でみんな実現してきてるから、本当に5年後世界がそういう風になってるような気がしてきますね。
実現するといいですね。
ということで、ご本業の中でいろいろな手を打ってこられた安倍さんですけれども、地域についても本当に頼りにされる存在の一人ということで、
第1回の時にちょっとお話ししましたけれども、安倍さんと僕が知り合ったきっかけも東京商工会議所の同期の会長ということで安倍さんは墨田区の会長を務められてという、2013年のことでしたけれども、
実はそれより前に安倍さんはすでに墨田区の観光協会の理事長になるんですかね、お勤めになられてたんですよね。
これはきっかけは何だったんですか。
これは今となってみると皆さんご承知の東京スカイツリー。
このスカイツリーさんの建設誘致を商工会議所の先輩たちが一生懸命取り組んでました。
2006年に墨田区に台東区さんと連携をしながら仲良くあのエリアで、木島エリアでもってタワーを建てましょうと。
場所は押上ですということが決まって。
墨田区としてはそれまでいわゆる外からお客様がたくさんいらっしゃるようなエリアではなくて、どちらかというとものづくり中心、あるいは住むところ中心ということでしたので、
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改めて観光協会をしっかり作り直そうということになって。
2009年に23区では初めての一般社団法人のしっかりした組織で観光協会を立ち上げると。
これの初代の立ち上げを仲間の皆さんと一緒にやらせていただいたと。こういうご縁ですね。
どうですか。ある意味そういう意味でいえばゼロから立ち上げられたということなんですけど、そこに当たっていくのに何からスタートされたんですか。
これ今でも続いているんですけど、結局最初からの議論はですね、具体的なきっかけとして東京スカイツリーというのがあるわけです。
あるんですけども、当初は賛否両論があって、こんなに大きなタワーが建ったらば、私たちの生活はどうなっちゃうんだろうとかですね。
夜中まで電気がついてて明るくて寝られないんじゃないかとか、あるいは周りの商店の皆さんは買い物はみんなそっち行っちゃうので、私たちは取り残されちゃうんじゃないかとかですね。
迷惑施設まで行かなくても必ずしも皆さんが歓迎していたというわけではなかった。
なので、ただ今振り返ると改めて思うことは、やっぱり人間変化に本能的に嫌がるんですよね。
いい変化だろうが悪い変化だろうが、一緒方で拒絶反応があったりみたいなところがある中で、
一つは住みながら変わる大きなチャンス、きっかけができますよということと同時に、何も私たちの生活は変わる必要がなく、むしろ私たちの生活がより豊かになる方向になるような観光施策を打てるといいですよね。
というのが観光協会を作った時の一番大きなポイントだったと思います。
そういう意味では地元で生まれて育って、いろいろな活動を皆さんと一緒に、本当に地場のお祭りだったり町会の活動だったり、
ボンドで一緒に裏方で仕事させていただいたりという中で、私なりの価値観の中で皆さんと一緒にできたというのはすごく良かったなというふうに思いますね。
これはもう次回になると思いますけれども、北区も大変観光協会の立ち上げに安倍さんからいろいろご指導いただいたんですが、
その時にもおっしゃっていたのは、やっぱり行政主導じゃない形がいいよということをおっしゃってくださって、
まさにすみだく観光協会も行政がやるということではなかったわけですよね。
結構行政的にはブーム的に、すみだくもそうなんですけど、今は産業観光部という部があるんですけど、
その前は部の中に観光課というのができた時代があって、皆さんそれぞれ、東京であれば23区それぞれが、
今まで観光と全くご縁のなかったエリアでもきっとですね、人口も減っていくし、
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これから経済もそうだし、地域が元気になっていく活性化していく一つの方法は、
移動人口を迎えをして、国自体もインバウンドのどれだけ来ていただいて、
下世話ですけどお金を落としてもらうかみたいなところがあったので、そういう意味では考えはそうなんですけど、
どれだけお金を落としてもらえるかみたいなところに究極行くんだとすると、それは行政の仕事には馴染まないんですよ。
安倍さんやっぱり偉いね。馴染まない。俺はできないと思う。
やるべきじゃない。
そういう意味では民間にある程度任せていただいたということが、すみだく観光業界としてはスタートが良かったのかなというふうに思います。
しばらくその手伝いをしながら来て、その間気がついたことは、北草ももしかするとそうかもしれないけど、そのエリアの魅力ってたくさんあるんですよね。
外から人に来てもらおうと、観光って光を見るって書くわけですけど、そのエリアの光、輝いているものってなんだろうと。
そのエリアの魅力ってなんだろうと。
そのエリアの皆さんが誇りに思っていることってなんだろうということが、まずちゃんと分からないと。
これを見に来てください。これを体験して来てください。これを食べに来てください。これを一緒にやりましょうみたいなところには行き着かないんですね。
そのプロセスを最初にやるわけですけど、スタートしたときの最初のキャッチフレーズで、本物が生きる街っていうのを大きなキャッチフレーズにしながら、
私たち存在するもの、あるいは存在していたものをしっかり掘り起こしをしましょうと。
掘り起こしたものを磨き上げて発信をしていこうと。こういうことだったんだけど、新しいものをですね、急に建物を建てちゃったりとか、そんなことする必要は全然なくてですね。
結果、新しい施設ができるのはいいんですけど、もともとその島に根付いてきているものをしっかり掘り起こして、
その価値をちゃんとみんなで理解をして磨き上げるということが、島の観光としては非常に重要なポイントだと思います。
まさにね、実は北海道観光協会の立ち上げにおいて、その部分をご指導いただいたということなので、このお話はぜひ次週、じっくりお伺いしたいと思います。
今週もありがとうございました。
ありがとうございました。