1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2024-04-18 16:45

#5-3ゲスト: 芝原誠一さん 社長時代のお言葉「一反入魂」の背景とは

【今月のゲスト】

芝原誠一さん


【今週のテーマ】

・工場の作業着に17色のポロシャツを導入 

・企業理念「一反入魂」の言葉の背景は? 



東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。 さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今週も引き続き、日本フェルトの取締役会長 芝原誠一さんにお話を伺ってまいります。
前回までは、早稲田大学小学部を卒業されて、 日本フェルト株式会社に入社、
そして経理のはずだったのが、なぜか営業になって 大活躍をされてきたというお話を伺ってまいりましたが、
今日は、いよいよ社長に御就任されてからの お話を伺いたいと思います。
2011年の6月に取締役に就任されてから、
13年に長務、そして2015年に社長に御就任されたということで、
なかなか大変な時期の御就任だったというふうに 伺っておりますけれども、どうだったんでしょうか。
そうですね。社長就任の時は、今もそうなんですけれど、
やはり紙パルプ業界の紙の需要というのが どんどんレベリーしていくと。
そういう中での就任でしたので、 役員のOBの先輩の中には、
よく引き受けたなと言っていただく方もおりましたけれど、
ただ、やはり我々やるべきことは決まっておりますし、
すぐに100周年のイベントもありましたので、
そこになんとなく明るく、まずはスタート出しを切ろうと、 そんなつもりで就任しましたね。
そこで私も本当に100年以上会社にお世話になっていて、
本当にあっというふうに鴨目したんですけれども、
一旦入魂という素晴らしいキャッチフレーズですね。
先々週ですか、水木しげるさんの話に出ました、
一旦モメンの、一旦ですよね。
布を数える一旦に入魂はもちろん魂を入れると。
これはどういうことでこれを標榜されたんですか?
まず一旦ですけど、フエルトの場合は数え方を一旦二旦。
やっぱり布と同じで、そういう数え方をしますので、
フエルトを一個作るのに精神、精液、魂を込めてということなんですけれど、
特に私どもの製品というのは水木しげるさんの機械にかかっているわけです。
ですから例えば車だとか電化製品だとか、
諸々の商品というのは作った人、メーカーの製造にタッチした人も、
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どのように使われて、どんな評判かというのは直に目に触れることができますけれども、
このフエルトというのは製造現場に携わっている人たちが、
実際自分たちが作ったものがお客さんでどうやって使われて、
最後どういうルートで流れたものが終わりになるかとか、
あるいはその間の評価は、
レポートを見れば評価とかは分かりますけど、
実体験できないでそのまま定年を迎えてしまうという方がほとんどですから、
そこにどうやって思いを込めて作るかというモチベーションを持たすとか、
ということが重要かなということを持って、
絶えず断るごとに一旦入魂ということを設定したり伝えたりというのが気持ちです。
それは素晴らしいですね。
私ども建築ですけれども、
よく土木とか、特に地下鉄の土木工事の方に言われるのは、
お前んとこはいいよなと形として残るから、
だからそこに携わった人が、
俺が作ったんだよとか子供に言えるけど、
俺たち地下鉄通ってても真っ暗けで何が何だか分からないよって、
そこが羨ましいよなって言われて、
あっそうなんだ、僕らそういう仕事ができてるんだと思ったんですが、
確かに会社のお仕事も紙という製品があのように素晴らしくできてくるのは、
間違いなくフェルトの品質がいいからなんですけれども、
そこが見えない、それを見えるようにするっていうことが、
この一旦入稿に込められている、こういうことでしょ。
私もね、子供がちっちゃいとき、
お父さん会社って何作ってるの?って言ってもね、
見ることができないですね。
見ても分からないですからね、フェルトを作るのは。
昔はね、御像塔用とかにすごく品質のいい毛布を作られてて、
あれはあれですごく暖かくて、
あれ多分今でもうちに入るんじゃないかと思いますけど、
ああいうものがね、あれば分かりますけどね。
なるほど、そういう一旦入稿だったんですね。
今日ラジオなんでお見せできないんで残念なんですけど、
ぜひどこかで非常に寛邸流っていうか、
筆文字みたいな素敵な日本風の素晴らしいキャッチフレーズで、
どこかで目に留めていただければと思います。
それと、あの時にこれもびっくりしたんですけれども、
作業着を変えられて、ポロシャツになったんです。
この辺はどういう?
まずですね、グレーの作業着。
そうですね、ごく普通の作業着ですね。
ごく普通のオーソドックスな。
やっぱりそれ変えたいとは前から思ってたんですよ。
何かないかなと思って、お客さんの中にもそういうカラフラな部門もあったりして、
そういうところにちょっと見せてもらったりに行ったりして、
最終的にはポロシャツにしようと、
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部門ごとにカラーも変えようと思ってたんですけど、
一層のこと、どの部門も役職も男女の別なく、
好きな色を選べと。
あれ全部で何色あるんですか?
17色用意して、各自自分の好きなものを選ぶと。
いう風にしたんですよ。
そしたら綺麗に散らばってね。
それは何でしょうね。
各課で多少、まず若い人たちから決めて、
部長はこれにしてくださいとか。
そんなことなく、それぞれ。
私はじゃあこれということで。
あれは当時社長さんでした。
社長さんや会長さんもお召しになることがあるんですか?
行くときは作業に。
ちなみに島原会長は何色を選ばれる?
選ばれるっていうか、
よこされたですね。
白か何か。
役員さんは権限がないんですか?
あんまり来て工場の機会に入るってことはないんで。
そうですか。
会長すごくファッションセンスがおありになるし、
ご自身いろいろ工夫されてるんで。
そうやってみれば、
会長の作業着姿まだ拝見したことないので、
ぜひ今度会長が色を選ばれて、
17色から何を選ばれるか期待してますので。
すごく素敵なコーポレーション・アイデンティティというか、
それが発揮されたように思いますけれども、
これはやっぱり職場環境づくりとか、
そういうものにも関連つけてお考えになられたことはありますか?
お客さんからはすごい好評でしたね。
明るくなったねということと、
安全にいいそうだよと。
自社でも取り入れようかなというインパクトがあったみたいです。
本当に17色って素晴らしいですよね。
某銀行がポロシャツとかでやってるんですけど、
結構グレーとか地味な色なんで、
なんかもったいないなとか見てても思いますけど。
会長は収入を得るために仕事をする。
これはもちろん大事なことなんだけれども、
やっぱり楽しくやろうよということをテーマに掲げられてる。
皆さんに投げかけられてる。
やっぱりそれもこの17色のポロシャツユニホームっていうのも、
ある意味ではそういうところもあるかなと。
やはり人生が限られていて、
1日は24時間ですから、
そのうち8時間が睡眠だとして、
仕事が職場では7時間ないし8時間、
通勤する人は1,2時間使ったりしますから、
大半が仕事が絡んでるわけですね。
そうすると人それぞれで構わないんですけど、
やっぱりお給料はその仕事の代償だと割り切ることもいいでしょう。
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ただどうせそれだけで人生の半分以上費やすんだったら、
やってる仕事が楽しく充実のあるものにできればというふうに思ってるんですよね。
そして社長に御就任後2017年に、
日本フェルトさんは創業100周年を迎えになられたわけですけれども、
ここでは何かこの100周年を期してというのは何でございましたか。
100周年を迎えるということができたのは、
やはりフェルトの専業メーカーとして、
ある意味分け目も振らず、
いいものを作っていこうと、いいフェルトを作っていこうと、
その結果が100年に至るということではあると思うんです。
ただそれが今後もそれでいいかとなると、
前に申し上げました通り紙の需要もだんだん減っていくという中では、
ある意味過去の成功体験というのはリセットしていかなきゃならない面がありますので、
それに加えて新しいチャレンジをどうやってやっていくかということが重要で、
企業理念も変えまして伝統の継承と新たな挑戦というのを歌うようにしています。
その後さらにコロナ禍というこれはもう記憶に新しいところですけれども、
こちらの影響というのはいかがだったですか。
まず新しいものでは具体的に何をやっていくかという先ほどの話になるんですけれども、
いくつかある中で不動産事業、
これは社長になってすぐ手掛けましたので、
例えば赤羽根の本社ビルのフロアをもうちょっとスリムにして、
賃貸家にすると収入を図るとか、
あるいは既存の今まで駐車場とか主に使っていたり、
有給地だったところをマンションにしたり法政大学の寮にしたり、
またコンビニプラス保育園、後は老人施設とか、
地元のニーズに沿った活用をして、
それはもううまく転がって今の売上の助けになっているんですけれども、
ただそれ以外に先ほど申し上げましたワイヤー、キャンバス、ベルト、
これもフェルトに変わる、
次のフェルトに次ぐ次の柱にしようということが最重要課題で取り組んだんですけれども、
これがこのコロナで半分凍結状態になって、
設備を入れなきゃならないんですよね、増産するには。
それがなかなかできなくて、2年ぐらい硬着状態。
これは参りましたね。
社長になった日々結構ストレスのある中で、
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それが加わったということで、
誰に相談もできる問題じゃないし、
社長の苦しみというのは、
社長経験者しか多分理解できないだろうなと、
この時思っていますね。
特にコロナというのは未曾有の事態で、
近年社長を務められた方でも同様に経験が終わりにならないというケースも
あろうかなというふうに思いますね。
その時に妻にそういう類のことを愚痴ったら、
それはお金出しても買えない苦労だし、
誰もが経験したくてもできない苦労だと、
そういう世界の苦労を今味わっているんだから、
むしろその経験を今楽しんでやったら、
楽しんで望んだらと言われて気が楽になったですね。
まさに楽しく仕事をするということですね。
楽しくはならなかったんじゃない?
社員さんに投げかけていた言葉が、
ご自身がちょっと詰まった時に、
まさに奥様から声がかかったという。
自分はどうだったんだ?
本当に振り返りでしたね。
私も少し奥様の顔が浮かぶくらい、
よく存じ上げていますけど、
素敵な奥様で、
それは良いアドバイスで、
元気倍増でしたね。
ありがとうございます。
そうですか、なるほど。
日本フェルトさんは実は、
創業期、国産のフェルトを作らなければいけないという、
当時明治の終わりから大正にかけての、
そのニーズに応えて出来上がった会社ということで、
これは主に来週また伺うんですけれども、
実は渋沢一さんが絡んでいると。
渋沢さんが王子に消費会社を作って、
製品商業を始める。
この時に一気通貫で全部国産にするというのが、
目標だったんだけれども、
なかなかフェルトは良い製品が作れなくて、
輸入フェルトに頼っていたと。
そういう前段があると伺っています。
ちょっとだけ当時のお話をしていただけますでしょうか。
当時の話は会長の方がよくご存知なんですけれども、
やはり王子精子を生んだ渋沢栄一。
その王子精子が中心となって生まれてきた日本フェルト。
ということで、うちの先輩の中にも、
渋沢家の経緯たちとか松井がいらっしゃいましたけど。
やはり日本フェルトは王子精子が北区で創業したと。
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それに伴ってうちも、今の年は8丁目ですか。
高段のマンションのあるところに創立しまして、
その工場として1990年まで創業していましたけど。
非常にこの北区には私自身も思い入れがありますし、
今の赤羽根の本社になったのも、
やはり精子業界の私どもとしては、
エッセンシャルカンパニーという自負してるんですけれども。
そういう存在の日本フェルトがやはり精子発祥のうち、
なおかつ私どもも王子で生まれ育ったと。
そこに本社として地を置くというのは、
すごく意義があるというふうに思っています。
渋沢さんはこれらを乗り越えたり、
スペイン風を乗り越えたりという方だったんですけれども、
コロナ禍を乗り越えられた柴原会長のお話、
また来週もお伺いしたいというふうに。
いや、乗り越えたりはどうか。
また来週もどうぞ。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
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