1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2024-10-31 16:34

#11-5 フラレア編集長平井さんと語るフラダンスとハワイアン・ミュージックの魅力|ゲスト: 平井幸二さん

【今月のゲスト】フラ専門誌「フラレア」編集長 平井幸二さん

【今月のトークテーマ】

・フラダンスの文化を日本に取り入れたのは?

・ハワイアンミュージックの魅力とは?

東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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00:06
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今月ラストの回となります5話目は、先日10月19日20日に開催された飛鳥山ハワイフェスティバルで行った公開収録の様子をお届けしたいと思います。
ゲストは先週に引き続き、フラ専門誌フラレア編集長の平井さんをお招きしております。それではお楽しみください。
さて、フラダンスのことについてちょっとお話を伺っていきたいと思いますが、現在日本のフラダンスの人口は60万人というふうに言われてますけれども、非常に帰宅でもね、先ほどおっしゃったように盛んなんですけれども。
帰宅もフラ人口多いですよね。
多いですね。大体8か所9か所ぐらい教室というかね、あるんじゃないですかね。
どうですか、60万人という数字、平井さんの感覚で言うと、すごく影響力も含めて大きいなという感じはありますか。
そうですね、やっぱりフラは本当に小さなお子さんから5年配で90歳のぐらいの方までやってらっしゃるのでね、幅広いんですよね。
楽しみ方っていうのが一つの、なんていうのかな、例えば雑誌で言うとね、20から25の雑誌とか30から35の40歳の雑誌とかね、そういうのはあるんですけれども、フラって専門誌なんですけどないんですよね。
だから3歳の子も90歳まで同じ目標で持って楽しめてるっていう、だからみんなが同じ共通の話題で、子供から5年配の方まで楽しめるっていうのが特徴でいいと思うんですよね、一つの話題でね。
確かにね、今続々と見えてる参加者の方を拝見してもまさにそういう感じで、年齢を超えてっていうね。
平井さんご自身も実はフラ親輪になられてということなんですけれども、ちょっと男性が少ないようですけど、男性だってもう。
増えてきましたよ、随分と。今日もですね、旧渋沢店でさっき踊ってますし、随分増えました。
そうですか。なるほど。平井さんが習い始めた頃は。
03:01
いやいなかったですね。
ね。
だから友達が、平井お前松明持って踊るのかって。
ポリネシアンショートを間違えられてね。
そもそもお教室に行ったら、やっぱりお一人だとちょっとダメって言われたっていう。
そうですね、男性っていうか女性ほぼ100%に近い状況だったので、行ったら男の人はダメよって断れたんですね。
何人か連れてくればっていうので、何人か連れて行って、それで始めたのがきっかけですね。
ここにですね、資料のところにフラは人から学ぶもの、踊り方は組むの完成っていうパラグラフがあるんですけど、これちょっとどういうことなんでしょう。
やっぱりフラツリーって言われるんですけども、日本で言うとお茶屋、例えばお花でもそうですけども、いろんな流派がありますよね。
ハワイのキルトっていうもののやるんもそうなんですけども、一つの先生は一つのフラを自分で作り上げるというようなものなんです。
だからいろんなものをミックスじゃなくて、その先生の感性で作っているので、それっていうのはやっぱり人から人のものと、それを文化的に受け継ぐっていうものであると思ってます。
それってすごく日本的っていうか、そういうところもありますね。
だからやっぱり日本文化がすごく非常に入っていっている。先ほどおっしゃられたようにやっぱり移民っていうものも多いのかなと思います。
なるほど。それからやはりダンスということですから、ハワイアンミュージックという、音楽のところも非常に大事だと思うんですけども、これは歴史的にはどんなものなんでしょうか。
ハワイって文字で書いて残す文化っていうのがなかったわけですよね。キャプテン・クックがハワイを発見してから、欧米の人が入ってきてから、文字とか洋服を着なさいとかっていろいろな文化が入ってきましたもので、
音楽最初にハワイ人が聞いたのはみんなウクレレの音楽とか言うんですけども、賛美歌ですから。
やっぱりね、賛美歌が元になったものっていうのが、いろいろなハワイ音楽の元になっていますね。だからもう本当に全部著作権は切れてますけども、
チャールズ・E・キングさんという方がハワイ音楽を400曲ぐらい作曲しているのかな。そのベースになっているものっていうのはやっぱりスローテンポで、
そうしたものがですね、賛美歌に近いもののような音楽がベースになってどんどん進化してきているっていうのが。
さっきもちょっと触れましたけども、このハワイアン音楽、そしてそのフラットの関連、これの中では本当に唐川を、そしてその一族、妹さんをね、ものすごく影響されている。
ご自身が作詞をし作曲をされていると。さっきも申し上げましたけど、ハワイの国家もそうですし、それからアロハオエも、あれは妹さんだったんですよね。
06:02
やっぱりその自分たちの国土、土地ですよね。ハワイというものが、なんていうのかな、外国に取られてしまうという、非常にそういった不安があって、そういったものが出てきたのかなと思うんですけどもね。
だって幕末は西のほうとフランスとイギリスが入って、グラバーテと幕府のほうはここはまさにフランスだったんですけども、それでこうやりあったわけで、どっちか取れるかなということで。
でもあわよくば大井川から向こうがイギリスでこっちがフランス、なったかもわからないと、歴史的にはね。それが直面してたのがハワイなんですよね。
神奈川側の妹さんが最後の国王になったんですけども、最後クーデターが起きて遊兵されたときに、その遊兵の中での気持ちを慰めるの一つが、キルトであり、そしてハワイの音楽自分が作るというね。
その中で随分心を慰められたということもね。
だから日本もギリガタンです。そのときに日本の統合艦隊を派遣しましたよね。
ハワイですよ。
革命が欧米による占領が行われたときに、やっぱりこれだけはって言うんで、東郷平八郎さんが行って、アメリカの軍艦の横につけて、要するにあまりひどいことやるなよって。
台本向けて撃つぞっていうね。
そういう要するに、ハワイの国王に対して敬意を表した形でやれよっていうのをやったっていうことも聞いてますよね。
さてですね、そんなことで、ですから自分の気持ちを慰めるようなこともありますし、
ナミノリの詩ですとか、キラウエや火山の伝説とか、あらゆることがハワイは音楽の中には取り入れられているということですね。
ウクレレの音もね、本当に心が慰められるっていうかね。
これからこの飛鳥山に来られると、あちこちでね、その音楽が見されるんじゃないかと思いますけど。
今外見てるだけでも大勢の人が集まってます。
それでこれちょっとまた歴史の話になりますけども、
じゃあ日本にフラ文化とかハワイミュージックが入ってきたのって、いつなんだろうなって。
僕なんかの記憶ですとね、テレビでアップダウンクイズっていうね、昭和40年代にやってて、
これは10段階で上がってて、優勝するとハワイへ行けますっていうんで、
そうすると最後優勝した一人に必ずレートが渡されて、
それから腰身のつけた昔のイメージのフラダンスの女性が出てきて渡すみたいな。
その辺がなんとなくフラ文化とは言えないかもしれないけど、僕らの仕掛けでしたけどね。
アップダウンクイズで行ったっていう方で知り合いがいましたね。
ミスターサマータイムとか歌ってるサーカスというグループ。
09:03
加納大介さんっているんですが、それが行ったらしいんです。
そうですか。
そんな話を聞いたりとかですね。あとやっぱりコマーシャルね、あの高等児って。
トリスを飲んでハワイへ行こうっていうね。
誰もここ今若い人たち、一人分かりそうだけど。
そんなコマーシャルもね。
本当にそういうものがあって、やっぱりハワイって憧れのものになっていたんですね。
それからやっぱり、なんたって常磐ハワイアンセンター。
常磐炭鉱ね、いわき市の福島県の常磐炭鉱が非常に炭鉱閉鎖が続いている中で、
何かやらなきゃいけないっていうことでね、始められたことなんですけれども。
これもひとつきっかけになって。
そうですね、映画でもフラガールってなりましたけどもね。
そうですね。
全くその通りのストーリーでしたね。
素晴らしい踊りを得されていましたけども。
あんなこともやっぱりひっつけ役というか。
そうですよね、あれはもう。
映画で有名になりましたね、フラガ。
どうですか、フラレアを創刊当時の日本にとっては、
日本にとってクムとかハワイアンのミュージシャンってどんな位置づけだったんですかね。
すごく遠い存在だったんですね。
プロモーターの問題もあるんでしょうけども、なかなかやっぱり出会いがなかった。
直接話し聞くことができなかったっていうジレンマが、
多くのフラの人たちや日本のミュージシャンにもあったので、
そういったものを打破するためにもフラレを作ってやろうということでやったのがきっかけだったんですね。
すごく近くなりました。
ハワイのフラの先生と日本人というものが近くなったりとか、
すごく一緒に話せるようになってきましたね。
だからこう遡ると、戦後のバッキー・シラガタさんとか、
要するに戦前の海田勝彦さんとかっていう、
いわゆる超オールドのハワイのブーム、ハワイアン音楽のブームから、
それからやっぱりそういうテレビ文化の中で出てきて、
そこにまたフラレアが登場されて、
本当に市民に根付いてきてるみたいなね、そんなイメージがありますね。
本当につながり考えると渋沢栄一さん、中田加藤ありがとうって感じでね。
この場所なんでも優しく、聖地ですからここは。
そして未来を見つめたときに、今後のフラのあり方、ハワイアン・ミュージックどう広めていくか、
ハワイ産後自身が想像しているもの、それから野望があれば聞かせてください。
野望はないですけどもね、今ハワイのミュージシャンというのは日本の歌を歌っているのが多いんですね。
12:02
非常に、だから那田曹操のものとかね、他でもそうです。
尾崎豊のI LOVE YOUもそうですし、すごく逆っていうか、
日本の音楽ってこんなにいいんだなっていうのがブームですから、
日本人も逆にハワイ語で歌っているそういったもので、今日でも何人も踊っていると思いますけども、
音楽もそういう風に変わってきてますよね。
そういったものが、また扱いマンになるんですけども、この野望じゃないですけども、
そのステージでね、芝生でもこちらでも踊ってもらえるっていうのは一つの喜びでもあるんですね、私は。
嬉しいなっていうか、本当に文化交流ができているっていうか、
混ざったものが当時のね、1881年のものが、今になってまたここの地で繋がったっていうのが一番野望っていうか、
その4年前にね、それがこういう風に実現したっていうのがもう、それだけで感無量な気持ちですね。
やっぱり、聖地っていうことは、やっぱり人を惹きつけていくっていうことなんで、
そうですね。
やっぱりだから、この飛鳥山という場所が、ハワイ、ハワイアン、そしてフラ、そういったものの世界に広がる、
ハブの中心の一つ、もちろん台本山はハワイに決まってるんだけども、
日本でのハブになれるとすごく楽しくなるかもしれないですね。
ここね、来て、旧渋沢の芝生のマウンド見ると、真ん中に水みたいなのが凹んでるところがあるんですよ。
私、あそこ雨降ったら水が流れる場所かなと思ったら、そうじゃなくて、その場所、背の高い唐川があるって、盛り上がったところもね。
そう、背の低い。
渋沢栄一があるったっていう、そういうものが未だにきっちりと残ってるんですよ。
本当に。そこで裸足踊ってますからね、フラを。
だから本当に素敵な場所で、フラの方も踊れるし、とても条件が整ってるっていうか、
みなさんそれを知るようになってから、やっぱり旧渋沢町で踊りたいっていう方が非常に多くなってますね。
ハワイにメリー・モナークっていうね、これもまさにメリー・モナーク、陽気な王様、唐川を知らんだ名前ですけども、
大フラの大フェスティバルがありますけど、僕の野望としてはね、ぜひ日本のメリー・モナークになるぐらいのイベントになってたら楽しいなと思いますね。
まだまだここでやりたいこといっぱいあるんで、今度ご説明しますけど、今言っちゃうとフライングになっちゃう。
なるほど。それでおいおいは、ハワイとのいろんな交流もまた強めていきたい。
これがね、ここで誓われた友好が唐川王が夢見たように、世界平和の礎になるようなことになればね、
15:01
これはもう渋沢王も唐川王も喜んでいただけるんじゃないかなというふうに思いますね。
ここまで平井さんのお話を伺ってまいりました。お時間が近づいてまいりました。
今月はたっぷり5話分、平井さんとお届けをしてまいりました。どうもみなさんありがとうございました。
ということで、ここまで楽しんでいただけましたでしょうか。
最近は渋沢フェスタでの公開収録に続き、今回のハワイフェスティバルなど、
飛鳥山の窓からも活動の幅が広がっているように感じています。
今年の12月でこの番組も初回配信から1周年を迎えます。
さらにエンジンをかけて、より魅力ある番組作りができればと思います。
来月もみなさんお楽しみに。それではまた来週。
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