2024-05-09 26:32

[S1-2]"十勝開拓の父" 依田勉三(北海道開拓者)の挑戦と失敗、そして神になった男 [北海道 帯広市編2]

💎Summary fm 要約
このエピソードでは、マルセイバターに関する興味深い情報が話題になっています。バターサンドの話には、製造過程での失敗のエピソードや現代に六花亭の再商品化の取り組みが明らかにされています。さらに、依田勉三の挑戦や失敗についても触れられています。彼の起業家としての挫折や開拓目標の達成率についての考察が発表されました。北海道の開拓やビジネス展開に関心がある方にとって、このエピソードは興味深い内容ですので、ぜひお聞きになってください。

⏰ Summary fmタイムスタンプ
依田勉三とは?
目標設定と成果
開拓と経営失敗
豚の養豚と北海道への貢献

パーソナリティ
たか (TaaaKaaa) X ⁠https://twitter.com/taaakaaa_forest⁠
まい (Mai)

Hash Tag: #シンクローカルラボ

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00:02
スピーカー 1
ゼロから地域を学ぶThink Local Lab 仮。
こんにちは、パーソナリティを務めますTaaKaaです。そして、
スピーカー 2
Maiです。
スピーカー 1
この番組は、都会に疲れ、田舎が恋しくなり、ついに脱サロを決意した夫と、
都会に疲れてはいるものの、フルリモートで都会の仕事を日々こなしている妻が、
学校では教えてくれない地方自治体、ローカル知識についてゼロから学んでいく番組です。
前回は帯広市の概要、帯広市どんな形をしてて、
食料自給率が1000%を超える食料大国だということを話していったんですけれども、
その帯広市ができた時っていうのが、明治政府に代わって、
そこから江戸地って呼ばれてた北海道を開墾していった歴史があるんです。
その中で帯広市っていうところがあるのが、都勝地方っていう場所なんですけど、
そこを開墾した方について話していこうと思います。
この人ね、失敗の歴史なんですよ。
スピーカー 2
すごい人だって言ってたじゃん。
スピーカー 1
すごいんだけどね、その失敗のおかげで今帯広市が、こういう農業大国というか、
今根付いているグルメだったりっていうものの礎を作った人。
残念ながらこの人はあんまり成功しなかった。
しなかったけど、その失敗におかげでそれを学んで、今の人たちが成功してるというか、
そういう、何て言ったらいいんだよな、イノベーターかな。
この人がですね、与田弁蔵さんっていう方なんですよ。
この人は静岡県が出身で、特に北海道に生まれていた人でもなくて、開拓事業者として北海道に入ってきたんですよ。
スピーカー 2
一般労働者として?
スピーカー 1
一般労働者かな、どうなんだ。
その通り開拓民として入ってきた人。
概要から言うと、慶応義塾大学ってあるじゃないですか。
そこがまず大学になってない時、慶応義塾に入塾してるような人で、結構弁学だったりとかそういう新しいことをしていこうということに熱心だったんだろうなっていう方なんですよ。
この人、もう亡くなってはいるんですけど、この人、緑字法書っていう訓書をもらってるんですよ。
緑字法書とか分かったりする?
なんか支持法書とかっていうのが芸能関係で功績を上げた人がもらったりテレビでニュースになったりするんだけど、っていうのがあって、この色が6つあるのかな。
で、緑字法書っていうのは緑を、緑色の訓書みたいなやつなんだけど、これがですね、支持法書とか芸能関係だったりとかするんだけど、緑字法書は長年にわたって社会に奉仕する活動をしてきた人。
03:12
スピーカー 1
ボランティアだったりとか、そういったもので功績を上げた人に贈られるものらしくて、それを受賞されてるんですよ。
スピーカー 2
どこから贈られるの?
スピーカー 1
国。国からもらってるの。すごくない?
もうそれ自体で結構、すごい人なんだなっていうのは、今認められてる人なんだっていうのが分かる。
で、この人がもっとすごいのは、神になってます。
神様になってるんです。本当に神様になってるの。これが。
北海道神宮っていうところに開拓神社ってとこがあるんですよ。
そのとこに祭神っていう祭りの神って書いて祭神として祀られてるんですよ。
だから勲章ももらってて、北海道の神社で神様として祀られてるわけですよ。
そのぐらい功績を残した人なのっていうことを今言いたくて。
で、十勝を開拓した人、十勝の開拓の父って言われてる。
スピーカー 2
危ない話かなと思って、神様になったんだよ。
スピーカー 1
危ない話じゃないんだよ。本当にこの功績認められないと人間、人が祀られることなんてないじゃない。
だから本当に十勝地方の帯広市を中心に本当に活躍された人。
150年ぐらい前の話ではあるけれど。
スピーカー 2
まだ150年しか経ってない。
スピーカー 1
明治維新が起こって明治政府に変わって150年だと思うから、そこら辺からいろいろやってた。
この人が一人じゃできないから、静岡生まれなんだけど北海道に来て開拓をしてビジネスをやっていこうとかっていうのを考えて会社を起こすんですよ。
スピーカー 2
それが晩成社っていう名前で、晩が昨晩とかの晩。夜のね。
スピーカー 1
で、成が成功の成に、社は会社の社かな。で晩成社っていうのを作って主には畜産だったりとか牧場を経営したりして、あとは木工加工場も作ったりして。
で、このやったことっていうのは最初に言ったようにあんまり成功はしなかったんだけど、結局今の帯広市の主な産業というかその文化を作ったっていうのが今も残ってて。
実際にこう畜産もものすごく有名になってるし、で木工加工場もその時はなかったんだけど、今それの作ってたことをルーツにしていろんな木工加工場が帯広市にあったりして。
っていうのがあるので、確実に根付いてはいる。誰かに継承されて根付いているっていうものを作ったって感じかな。
現在、徒勝地方の名産、帯広市も含めて名産になっている牛肉だったりとかハムを当時函館で売ってたんですよ。
06:05
スピーカー 2
徒勝、帯広で作って札幌までも売っててたってこと?
スピーカー 1
札幌よりもっと遠い函館っていうのは青森があるんですけど、だから本当に本州と一番接している函館まで牛肉とかハムを運んで売ってた。
スピーカー 2
帯広から函館までフェリーで行くの?
スピーカー 1
そこが陸路っぽい。
この時ね、今だとどのくらいなんだ?今だと多分電車通ってるから5、6時間で行けると思うんだけど、そうだね、今だと帯広から函館まで440キロぐらい鉄道で。
5時間40分。約6時間ぐらいで、今だったら着けるかな。
この時はまだ電車が通ってなかったんですよ。列車がまだ開拓当時で作ってる途中だったから、帯広まで通ってなくて函館までは20日間かかって輸送してた。
スピーカー 2
そうだよね、車もないもんね。
スピーカー 1
いろいろ残ってるの見た結果、川を渡す業者がいて、その人に川を渡してもらったりして、いろんなところに泊まりながら函館まで着いてた。20日かけて。
スピーカー 2
人の力で運べるだけのハムとかを持って。
スピーカー 1
多分ね、この時には牛肉なんだけど、そのまま生きた牛を歩かせてると思う。
スピーカー 2
そういうことか。
スピーカー 1
箱立てでおそらく加工をして牛肉に変えている。
だからそんなに運べてないはずなんだよ。
スピーカー 2
そうだよね。
スピーカー 1
っていうのもあって、採算が取れないわけ。
だからもう販路の拡大も帯広で作って、箱立てで売ろうとか、この人東京で売りたいって考えてたんだけど、そもそも運べないから、しゃーない箱立てだっていうところで売ってはいたんだけど、やっぱり20日間かかるじゃん。
コストもすごい高いし、っていうのでなかなかうまくいかなかったみたいな。
でもこの人、牛肉とかハムは箱立てまでだったんだけど、この人東京にも進出してるんですよ。
それが前回言ったマルセイバターっていうバター。
スピーカー 2
バターを使ってね。
スピーカー 1
バターを作って東京に卸してたんだって。
で、これもこの人畜産も牧場もやってたから、そこら辺のノウハウがずっとあったんだと思う。
スピーカー 2
だからバター作ったり練乳作ったりとかやってたみたいで、そのバターがなんで卸すことができたかっていうと、その時にはもう鉄道が発達してたんですよ。
ハムを運んでる時には陸路しかなくて、20日間かけていってたけど、バターを加工品として売り出せるようになってからは鉄道ができてたってこと?
スピーカー 1
もうその時には鉄道ができてた。
10日間で東京まで行けてた。
おびひろから。
スピーカー 2
すごいじゃん。
スピーカー 1
これが結構革新的だなと思って、やっぱり交通もってこの時大動脈って今でも言われてるけど、これによってビジネスすごい変わるんだなっていうのを見てて面白かった。
09:07
スピーカー 1
でね、有名な喫茶店だったらしいの、今はないんだけど、青木堂っていうところがあって、
スピーカー 2
どこに?
スピーカー 1
東京の文京区らしくて、これが東大の近くだったらしい。
だからよく書いてあったのは森養飼とか小説家がよく利用してたちょっとハイカラなお店だったらしいの。
喫茶店だったりそういう西洋風のものを売ってる。
だからそこにバターをおろしたりして、人気だったらしい。
なんだけど、これがやっぱ10日もかけて東京に持ってくるじゃない。
だからね、面白いのが青木堂から来たクレームのハガキも残ってて、重量も足りないしなんかお菓子な匂いがするって書かれてて。
スピーカー 2
腐ってた。
スピーカー 1
腐ってたから、やっぱりその時手で作ってるじゃない。
帯広でいろんな人たちを集めてやってるから、そんなに決まった量を作れないだろうし、あとは10日かけてるから中には腐ってるものもあったと。
っていうのもあって、なかなかそれも太客をつかんだとしてもちょっとクレームがあって、こんなんだったら提供できないってなったりもしたんだと思うんだよね。
だからそこも難しくて、最初東京までなんとか持ってきて成功するのかと思いきや、やっぱりこんなん。
で、売り上げにはあまりならないっていう感じらしい。
でも一応今そのマルセイバターっていうのが、
スピーカー 2
六花亭。
スピーカー 1
六花亭だ。
その六花亭は帯広市にあるけど、やっぱ有名なお菓子メーカーでも地元で生まれたマルセイバターっていうものをどうにか、
スピーカー 2
商品化したいって。
スピーカー 1
一応消えてしまってたからもう、ちゃんと事業がうまくいかなくて、マルセイバターはこの世からなくなってたんだけど、帯広を開拓した証というか、そういうふうに捉えているのかわからないけど、六花亭はそれをもう一度商品化して、それをお菓子にしたっていう。
この時はバターの製造はすごく難しくて経営がうまくいかなかった。
けど現代になって六花亭っていうお菓子メーカーが帯広を作ったヨダベンゾーが残した商品、今はもうないけどそれを再現をして、
でそれをお菓子として売り出して、こういう人がいたんだよっていうのを残したかったのかなと思う。
それはちゃんとした意図はわからないけれども、その時のマルセイバターの商品のラベルみたいなのかな、赤いラベルで。
スピーカー 2
今もそうだよね。
スピーカー 1
そう、それを模したマルセイバターサンドっていうのも、確かそういうラベルを模して作ってるから、尊敬はあったんだと思うんだよ。
だからこの人当時は成功はしてなかったんだけど、やっぱり尊敬されてる人物であるんだと思う。
12:03
スピーカー 2
そうだよね、だって20日かけて函館まで売りに行こうみたいな人もその時代はいないしさ、東京まで絶対持っていくぞなんてさ、東京異国感じゃん、北海道からしたら。
海を渡ってみたいな、そこまで持ってったっていうのはすごいよね。
スピーカー 1
すごいと思う。
本当にいろいろやってて、バター作る人もいなかったし、この時缶詰とかもやってたの。
缶詰はその時は全くニーズがなくて、革新的だったの。
革新的だったの、言うと長期保存できて、牛肉だったりとかっていうのを缶詰にして味付けされてて、今だったら栄養価が高い保存食って思われてるけど、この時はニーズがなくて、それも財産が取れなくて、っていうので断念したりとか。
なんかね、先進的すぎたんだと思う、この時は。
スピーカー 2
戦争直後じゃないけどさ、いろんなものが発達してないからこそ缶詰売れそうなのにね、食料なんとか。
スピーカー 1
これがね、時代が本当に合わなかったんだと思うんだよね。明治時代はそれで合わなかったけど、これが大正時代になった時に第一次世界大戦が始まって、この時に物資を戦地まで運ばなきゃいけないじゃん。
だから船を持っている運送業の人たちはすごい儲けて成金になったみたいなのがあるし、あと豆か、豆っていうのが長期保存できる、食べられるものだったから、それも運んで、それを売る豆成金っていうのがいたりとかしたらしくて、だから船持ってる人と豆育ててる人は大儲けじゃん。
でもこの人はバターを作ってたんだけど、そのバターの原材料がどんどん高騰する時代だったのね、この時、飼料とかも。
スピーカー 2
あ、そうか、戦争で取られちゃうから。
スピーカー 1
そうそう、飼料もどうなんだよ、豆かな、牛を育てるってなると飼料が高騰していて、それを買ってくるのにも経営を圧迫して、どっちかというとヨダ弁蔵の場合は飼料が高騰するっていうところの煽りを受けてバターの製造をやめてしまったって。
スピーカー 2
牛に食べさせるエサがそもそも高いってことか。
スピーカー 1
この人の場合は世界大戦が起こったっていう煽りで、もう経営が成り立たなくなっちゃったっていう。
スピーカー 2
勘詰めで儲かりそうなのね。
スピーカー 1
儲かりそうなんだけどね、この時そこに回すことはできなかったんだよね、っていうのがありまして。
いろいろ失敗をしているヨダ弁蔵なんだけど、調べていくと確かにちょっと発想力はあるんだけど、計画がなんて言うんだろうね、ずさんっていう言い方じゃないようにしたいな、なんて言うんだろうな。
計画力が弱い。
計画がね、どんぶり感情な感じがする。
15:02
スピーカー 1
万聖社っていう会社を起こした時に、15年でこのぐらい開拓するぞっていう目標を立ててたんだって。
それが今の単位で、もう田んぼの単位なんだけど、一万長部っていう、町に歩くって書いて長部っていう単位があるんだけど、一長部が3000坪ぐらいって言われてる。
その3000坪、一長部3000坪ね。
で、一万長部開拓するぞって言ってる。
すごいことだね。
15年で一万長部やるって目標に立てて。
で、それがどのくらいかというと、3000万坪。
3000万坪どのくらいかっていうと、ディズニーリゾートがあるじゃないですか。
スピーカー 2
東京の?
スピーカー 1
東京のディズニーランドと市を合わせた。
あれが30万坪。
だから、ディズニーリゾートが100個入るところを開拓するぞっていう目標を立ててた。
目標自体が素晴らしいわけよ。
スピーカー 2
まあ機会があればね。
スピーカー 1
でも言うと、北海道は原野だから、やろうと思えばできるっていうので多分立ててたんだと思うんだけど、
10年後蓋を開けてみたら開拓どのくらいできたかっていうと、30長部。
1万長部の目標を立ててました。
10年後30長部、一応開拓できました。
スピーカー 2
1万じゃなくて30しかできなかったと。
スピーカー 1
だからこれで言うと9万坪、それでもすごいんだけど。
すごいんだけど、ビジネスの目線で見ると当初立てた目標があります。
それの達成率を考えると0.3%の達成率。
だからちょっとどんぶり勘定だったなって。
多分どうなんだろうな。
北海道を開拓するっていうスケール感もやっぱり自分も想像できないからどうなんだろうな。
0.3でもすごいようにちょっと思えてはいるんだけど、
そこら辺がまだビジネスの人としてはちょっとどんぶりがあったのかなって感じがする。
スピーカー 2
だって開拓するのに人も必要じゃん。
その人たちにずっと働いてもらうために食料とかも必要なわけじゃん。
スピーカー 1
その資金がない状態だったからいろいろ作っていろいろ売り出そうと思ったけど失敗しちゃったんでしょ。
だからそれが成功してたらもしかしたらいけてたのかもしれないけど、
そこのお金の資金繰りか、資金繰りがうまくいかなかったからここら辺になってたんだと思うんだけど。
ただ九万坪を開拓したっていうのはすごいと思うんだよね。
スピーカー 2
開拓してそれどうしたんだろう。
スピーカー 1
開拓してそこが町とか村になってるから。
そこが帯広しの部分になってるのかな。
あと十勝地方でもやってたから、他の今帯広しじゃない町とかもあるからそこにも点在してるとは思うんだけど、
そこら辺が今の町の礎になってるのかなっていうこともあったんだけど、
この人の場合はうまくいかなくて、結局晩年は農地とかも売却をして、
18:05
スピーカー 1
万世社も解散して事実上も経営が成り立たなくなったから解散しちゃったんだけど、
だから成功はしなかった、残念ながら。
でもこの人は現代ではやっぱり認められて神社に祀られるような人になっているという形なんですよ。
スピーカー 2
この経緯が知りたいけどね。
スピーカー 1
この経緯はどうなんだろう。
今残ってるものだとすると、帯広しのグルメで豚丼っていうのが有名なんですよ。
でも畜産で豚が有名とは書いてなかったから何でなんだろうなと思ったら、
スピーカー 2
この豚丼のルーツがまたヨダベン像だったんですよ。
その時、豚を食べるっていう習慣が日本にはなかったらしい。
スピーカー 1
それを広めたのも、北海道で広めたのもこの人。
この人がイギリスで生まれた豚を4頭北海道に持ち込んだんだけど、
それが十勝地方で養豚するという歴史の始まりだったんでしょうね。
最初はもう食べさせるものがないから、人間が食べた残飯とかをリアカーで集めて、それを豚に食べさせてて豚を養ってたというか。
スピーカー 2
そういう今有名だなっていうのを掘り下げていくと、大体ヨダベン像さんに辿り着くと。
スピーカー 1
そうね、ハムとかバターとか、あと牧場関係かなこの人の場合は。
あと田んぼも開拓してたらしいから、そういった基礎を十勝地方に持ち込んだのはこの人かなっていう。
だから今この人が持ってた農地は売却されて誰のものになってるかわからないけど、
もしかしたらヨダベン像から譲り受けたものを代々育てて水田建て畑に今もなってるかもしれない。
っていうところもあるから、最初に技術を持ち込んでそれが今も根付いているっていうふうには思ってる。
スピーカー 2
全国的に活躍したわけじゃないけど賞をいただいたわけじゃん。
スピーカー 1
緑地豊賞。
スピーカー 2
緑地豊賞。それも知ってる人しか知らない状態だったわけじゃん。
帯広の関係者だったりとか北海道の歴史に詳しい人しか知らない人で、
でもそれをちゃんとこの人はこういう失敗もやっぱり多かったけど、この人たちのおかげでこういう今が成り立ってるよっていうのを教えてくれた人がいるってことだよね。
スピーカー 1
私が調べられたのはこのぐらいなんですけど、やっぱりフィールドアークしたいなっていうのはふつふつと出てきた。
たぶんこういう人がいろんな市にもっといるんだろうなっていうのが分かったりはして。
始める人はたぶん個人からやってて、そっからどんどん仲間が増えてって成功とか失敗を繰り返して今が成り立ってるんだなっていうのも感じるから、
21:06
スピーカー 1
できればフィールドアークして調べられるようになりたいなっていうのをこれを調べながら思った。
スピーカー 2
現地に行ったら違う方面から分かることがあるかもってことね。
スピーカー 1
そう、百年記念館みたいなのがあって、帯広百年記念館っていうのがあったりとか、必ず民族博物館あると思ってるから。
スピーカー 2
地域ごとにね。
スピーカー 1
そう、そういうのを見れたらなぁとは思ったりしました。
帯広市ができた理由としては、いろんな理由があるけれど、イノベーター・ヨダ・ベンゾーがいたっていうことは皆さん知っておいてほしいなと思ってるわけでして。
スピーカー 2
絶対私たちより知ってるよ。
知ってる。
スピーカー 1
行ったことないからね、私たち。
スピーカー 2
そうだよ、北海道に住んでる人と北海道ラバーは多分知ってるんじゃない?
スピーカー 1
知ってるのか。
じゃあ、私たちも行ってちょっと見ていきたいなとは思うな。
スピーカー 2
まるで六花亭調べてほしかったな。
スピーカー 1
六花亭ね、どうだろう。
スピーカー 2
私好きなんだよね、六花亭。
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
六花亭あんまりよく分かってないけど。
スピーカー 2
レーズン嫌いだからね。
スピーカー 1
レーズンね、最近食べれるようになったけど、また現地で行ってみたいなと思うんです。
スピーカー 2
なぜ六花亭がそのバターを使ってるのか知りたかった。
スピーカー 1
それはここでは言えそうないから現地に行って調べてみよう、また。
今回はヨダ・ベンゾーさんっていうイノベーターがいましたという話をしていきました。
これで自分で学んだこととしては、確かに生きてる間に成功はしたいんだけど、
自分が今もう個人事業主になっちゃったので、成功はしたいんだけど、
でもこの人見てたら失敗してもいいのかなとちょっと思ったりはした。
そんなにものすごく儲けて成功するっていうよりかは、
自分が死んだ100年後ぐらいに自分が作ったものが何かしらの文化として根付いてたりとか、
自分が始めたビジネスとか応援してたビジネスを誰かが受け継いで違う形で残ってるっていうのはすごく夢があることだなと思ったから、
そういった面でもちょっと勇気づけられました。
スピーカー 2
そうだね。今すぐ成功しろとか今すぐ稼げみたいな話ではないよね。
スピーカー 1
夢だなと思った。100年後こういう人がいて失敗しちゃったんだけどさって言われつつ、
でも今も根付いてんだよって誰かが気づいてくれたらちょっと嬉しいだろうなと思って。
スピーカー 2
いろいろ残しときなよ。
スピーカー 1
頑張ります。
スピーカー 2
ネットの世界じゃ流れていくかもね。クレームの手紙みたいにね。文字で残しとかんと。
スピーカー 1
ちょっとね、人の記憶に残るようなことをやっていけたらなと思いました。
24:03
スピーカー 1
以上です。どうでしたか?
スピーカー 2
ざっくりと聞くね。
なんか、いや、その考え方とかすごい人だったんだろうなってちょっと浅いとこだったけど、いろいろ聞いて思ったし、
タカが最初言ってたみたいに交通の便が発達してないことで、ビジネスって本当にバタッと止まっちゃうこともあるんだなっていうのを思いました。
ただ今現代にいたら多分すごく大手企業の社長さんになってたんじゃないみたいなくらいの勢い。
だって文京区にある喫茶店に卸すとかさ、どういうツテッツだったんでしょう。
スピーカー 1
すごいと思うよ、北海道。
スピーカー 2
ね。
スピーカー 1
メールもないんだよ。
スピーカー 2
そうそう。
Zoomもないんだよ。
ちなみに送る先さ、分かんないじゃん。住所とか調べらんないから。
スピーカー 1
うちらは今ネットでできるけど、どういうツテを使ってって思ったのと、やっぱり人柄が良かったのかなと思った。
そうだろうね。
スピーカー 2
こういうことやりたいんですとか、それを共感してくれる人をちゃんと巻き込める力とかがあったのかなって、こんな少ない情報からだけど、それを思いました。
スピーカー 1
もっと調べたいなと思いました。
スピーカー 2
調べたいこと多すぎて手回んないんじゃない?
手回んない。
スピーカー 1
ね。
手回んない。
スピーカー 2
ね、そうだよね。
スピーカー 1
できる限りのことはちょっと調べて残しておけたらと思います。
うん。
じゃあ今回は与田弁蔵さんのは以上になります。
はい。
ゼロから地域を学ぶシンクローカルラボ、今回はここまでです。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
番組ではお便り、ご意見、皆さんの地域の情報を募集しています。
特産、特徴、こんなすごい人がいるなど何でも大丈夫です。
Googleフォームを用意していますので概要欄からチェックしてください。
X、インスタグラムのメンション、コメントなどでも大丈夫です。
ハッシュタグはカタカナで、シンクローカルラボです。
概要欄にも記載があります。
シンクローカルラボは毎週木曜日に更新されます。
配信を見逃さないように番組のフォローと良い評価をしていただけると、制作の励みになります。
それではまた次回も聞いてください。
スピーカー 2
せーの、Thank you and bye-bye!
26:32

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