1. The Potluck
  2. 【#030】祝30回👏 改めて自己..
2021-06-09 1:33:00

【#030】祝30回👏 改めて自己紹介をしてみる(The Potluckを始めたきっかけと今後/お互いの生い立ち・キャリアなどなど)

今回でこのポッドキャスト「The Potluck」も30回目を迎えることができました!いつも聞いてくださるみなさん、ありがとうございます。

30回の節目ということで今回はいつもと趣向を変え、これまでほとんど触れてこなかった私たち自身の話をしてみました。前半ではThe Potluckをはじめたきっかけや経緯、そして今後の話を。後半ではRieとNagisaのこれまで歩んできた道やキャリアの話を。これまでお話してきたさまざまなものごとに対する考え方や視点の根底にあるエッセンスを少しでも感じていただけると嬉しいです。


Rie (Rie Ehara)

証券会社、コンシューマー向けのサービスを投資対象としたベンチャーキャピタル2社を経て、2005年にRE株式会社を設立。草花をテーマにした様々なコミュニケーションプロダクトを制作する傍ら、インターネットサービスとリンクしたオフィスデザインやウェブサービス・アプリのディレクションを行うなど、デジタルとリアルを統合させたビジネスデザインに取り組む。2018年よりサンフランシスコ在住。日本企業向けにアメリカの先端事例を活用したコンサルティングやアメリカ進出のサポートを行なっている。

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Nagisa (Nagisa Ichikawa)

ファッションデザインを学んだのち、海外ラグジュアリーブランドのPRなどを経て、2013年に独立。クリエイティブ・コンサルタントとして国内外の企業、ブランドのプロモーション企画/ディレクションに関わる。

また自身でのクリエイティブ制作にも注力しており、フォトグラファー、動画クリエイター、コラムニスト、モデルとしての一面も合わせ持つ。強い服と少し先の未来を垣間見れるデジタルプロダクトが好き。

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00:07
みなさん、こんにちは。りえです。
The Potluckは、サンフランシスコ在住のりえと、東京在住のなりさが、
アメリカや日本の気になるプロダクトや企業、ブランドを、ビジネストレンド、クリエイティブ、コンシューマーといった、
さまざまな視点からひも解き、一歩先の商品について考えるポッドキャストです。
記念すべき30回。
30回、そうですね。ゆるりとね、きましたね。
はい、ちょっと冒頭の文章というか、このポッドキャスト自体のコンセプトみたいな部分も、
今、冒頭の文章で、ちょっと新しく定義し直した感じですね。
はい。
今日のポッドキャストのテーマ、ちょっと今日は番外編という感じで、
なんで今、この冒頭もちょっと変えたかみたいなところにも関わってくると思うし、
なんか全部多分、今日の話につながってくると思うんだけど、
たぶん、第1回目のときに、ちらーっとさ、私たちについてと、
なんかこのポットラック、ザ・ポットラックについて、ちらーっと話したと思うけど、
いったい何なの?っていうふうに、たぶん、思っていらっしゃる方がたくさんいるんじゃないの?と思って。
はい。
ちょっとね、改めてね、
っていうか、ちょっとオフトピックっていうポッドキャストを聞いてて、
番外編をやってるのを聞いて、
あ、これいいなと思って、
ちょっとインスピレーションを受けた。
インスピレーションを受けまして、
なるほど。
こういう感じでやればいいんだ、そうだ、今からでも遅くないと思って、ですね。
ちょうどいい節目で、改めて、このポッドキャストが始まった理由や、我々などについて、改めて。
今日は、はい、今日はそこをちょっとひもといていきたいなと、感じですね。
まず、ちょっと最初に、ザ・ポッドラックキャストをね、ザ・ポッドラックっていう言い方にしちゃったんですけど、
最初はね、クローズのコミュニティで始まった、というか、本当に試験的に始めたって感じだったんです。
そうですね。
さらに、その前を言えば、こういう女性同士で仕事の話とかを、何でもできるような仲間がいるといいよねっていう話があって、
03:13
そういう気の合う女性の友達同士で、クローズドの合宿にね、行ったのが、本当の始まりで。
そうですね、あれ何年前ですか?4年ぐらい?3年?4年?
もうちょっと前かもしれない。
ね、結構前ですよね、もうね。
そう、5年ぐらい前かもしれない。
そうですね、何人ぐらいだっけ?6人ぐらい?9人?
6人ぐらいだった。
ね、そう。
で、まあ楽しかったんだよね。
そう、みんなで長野だよね、清里って長野だよね?
だっけ?
うん、行って合宿をしたんですよね。
あのザコネでね。
うん、ザコネでなんか、マインドフルネスとかして。
そうだね。
そんなのがね、その合宿が、ザポットラックっていうものが、コミュニティとして始まる第一歩みたいな、前進の活動だったみたいな感じですね。
そうだね、で、こういう人増やしたいよねって、で、もっとこういうのに自分も呼ばれたかったよね、みたいなさ。
そういうのがスタートで、で、私がね、サンフランシスコに引っ越してきたのもあって、
あの、サンフランシスコで、なんか、頑張ってる女性を誘ったりして、ね、ちょっと集まったりとか、そういう感じでいろいろやってたんだけど、
まあ、コロナもね、ありましたし、なんか、実態的になんかこう、やっぱり、そのなんか、
あと、入りたいです、みたいなお問い合わせとかもいただいたりとかしてて、そこについてずっとどういうふうにしようっていうのを考えてたんですけど、
そもそもなんか、入れる、入れないとかっていうことじゃないよねって、コミュニティってっていう話になって、
もっと、なんかね、実態的なもの?
別に、私となぎちゃんが、なんかメンバー同士だから、これをやってるみたいな話じゃなくって、っていうのと同じ?
なんか、もっと興味関心とかがコアになってて、そこの周辺に集まってるというかね、志をともにしてるから、なんていうんだろう、つながってるみたいなね。
そうですね。
で、そういう感じでやっていきたいねっていうので、ずっとこのポッドキャストをね、私となぎちゃんで続けてきてるから、
これを中心に、そういうふうに実態的なコミュニティとして活動していきたいっていうことで、
06:08
まあもう別に、このポッドキャストに改めて、ポトラックキャストって名前をつける必要もないよねっていうことで、
冒頭でも、ザ・ポトラックっていうふうに、名前もシンプルにね、してって感じですよね。
そうですね。
なので、クローズドの閉じたところで、人が集ってるっていうよりは、今後はこのポッドキャストでの情報発信というか、
この発信がメインとなって、私たちが喋ってる内容とかに、興味とかを持ってくれるような人たちが、
ソーシャル上でもリアルの場所でも、集って、お互いの興味関心とかをシェアしあって、
高められるとまで、ちょっと意識高いことが言えるかわかんないけど、
そういった興味関心をシェアして、お互いに面白いねっていう、インスピレーションを互いに与え合えるような、
場っていうのもリアルなのか、オンラインなのか、両方うまく使いながらやっていければ、という感じかな。
そうですね。
一応、このポッドキャストで、こういうテーマをやろうと思ったところも、ちょっと触れたいんですけど、
女性が消費の大半を占めてるのに、女性が主体的にビジネスを語るような身近なメディアっていうのが、実はないよねっていうところ。
主体的にっていうのは、確かにそうです。
だから、そこを、やっぱり自分が、私はこの後でも少し話していくと思うんですけど、
自分でもビジネスをやったこともあるし、お手伝いもしたこともあるし、いろんな立場で仕事にやってきたんですけど、
自分が当事者として、いろんなビジネスを語るみたいなのって、あんまり見かけてこなかったっていうか、
わりと自分のビジネスでの、PR的な感じの記事とかっていうのは、よくあるじゃないですか。
インタビュー受けて、みたいなのが。
でも、それって、自分たちの話であって、わりと広い視点で未来を見ていくっていうところに関しては、やっぱりそれを話してる人っていうのは、
09:09
実体的にはみんな話してると思うんですけど、だよね。
だけど、メディアではそれを話してる人いないよなっていう。
だから、私となぎちゃんが普段会って話すような内容が、たぶんみんな聞きたいはずなんだけど、そういう話してる人いないよねっていう。
たしかに。
あと最初に、こういう話を、自分たちの知見をシェアするっていうのが、
これは、私の個人的な考えなんですけど、そういう形で、これからいろんなことに挑戦したい女性のエンパワーメントになったらなっていうのがあって、
ポッドキャスト、私はやりたいなって思ったんですけど。
なるほど。
どうですか、なぎちゃんは?
なんとなく、私に誘われるかもっていう側面もあると思いますけど。
そうですね、私はなんか、りえさんほどにすごい女性側っていうのは、あんまりないんですけど、
基本的に、なんだろうな、私の普段の行動とか、経験とかで、何かそれが世の中の誰かの役に立ったりとか、
好奇心刺激するような何かに、結果的に繋がってくれたりとかするのはすごいありがたいというか、そういうふうには思ってたりするので、
なんですかね、ほんと、好きなことを調べて、好きなことに触れて、好きなことをしゃべっているだけっていう感じではありますね。
でも、そこ大事かなと思ってて。
そうだね、なんか、何回なればなとは思ってるけど、役に立つでしょ?みたいな感じでやってるわけではないからね。
そう、あとなんかすごい使命感を感じてるとかね、いうのは、個人的にはなくて、ほんと、なんか自分が好きでやってることが、誰かの何かいいことに繋がってくれるのは、すごいいいことというかね、ポジティブだなって思いますね。
私はなんか、そういう人たちが困ったときに、なんとなく思い出してもらえるデスティネーションになったらいいなっていうのはありますね。
やっぱ、なんか自分が、そもそもやっぱ、ほんと先輩にあんまり恵まれなかったというか、いなかったから、上がね。
だから、なんか、そういう意味で、じゃあなんか、誰も彼もに手を差し伸べるとか、男性はお断りとか、そういうことじゃないし、なんですけど、たぶん、なんとなくやっぱり、これも実体的なものだと思うんですけどね。
12:19
これを聞いて、なんか役立つなって思ってくれる人が、女性が多かったらより嬉しいなっていう感じですかね。
やっぱりね、なんか、情報に舞いのめりな男性っていうのは、すごく多いイメージはあるんですけど、
なんか、同じようなテンションで、こういうニュースを面白がってる人がいたら、知り合い、なんかお友達になりたいっていうか、仲間になりたいですよね。
そんな感じですよね。
それが、まあ、ザ・ポトラックですっていう話でした。
まあ、ちょっとふわっとしてますけど、そういう感じで、今後もちょっといろいろ考えてることもあるし、またね、変わっていくと思うんですけど。
そうですね。
ずっとね、リアルイベントみたいなのはやりたいねって言いながらね、結局、コロナにもなっちゃって、なかなかそういうのは実際やりづらいっていうことにもなってしまったけど、
どんな人たちが聞いてくださってるのかっていうのは、このしゃべってる我々にもすごく興味深いところで。
そうだよね。
だから、最後、会おうとしてた、設定してたときもあったのに、ちょっと、私が東京に行けなくなっちゃって、それからコロナってなっちゃったからね。
うん。
なんでまあ、そんな機会もね、いろんなものが落ち着いたら、改めて設定したいなっていう感じはしますよね。
そうですね。
じゃあ、私たちについての話を。
まあ、なんかでもさ、なんでその話をね、しようかなと思ったかっていうと、
さっきも、実態的なものだよね、みたいな話とか、
なぎちゃんとはいつもこういう、自分が面白いと思ってることについて話してるって話で、あんまりお互いの話をしてないっていうか、
お互い自身の話をね。
知らないっていうかね、それは、たぶん仕事的には、ちゃんと相手のことを勉強してないと、みたいな、あると思うんですけど、
15:06
私なんかちょっと、なぎちゃんは昔、チラッとね、あったとかなんかに、wikipediaをチラッと見て、
うん。
ちょっと見るのやめとこって。
面白い。
思って、なんかあんまり、情報入れちゃうと、なんかバイアスかかって、なぎちゃんってこういう人だよね、みたいなふうになるの嫌だなと思って。
うん、なんかすごいわかる、それは。
特に、仕事を一緒にしましょうっていう手で出会ったわけじゃなかったじゃないですか。
そうだね。
うん、それ大きいなっていうのは思う。
まあ、だからなんかこう、自分なりにそのまま共通の話題みたいなのが、たぶん私たちの間を結んでるものだから、それを一番最優先したみたいな感じで、
なんかそういう余計な情報を取りすぎないみたいな感じで来たんですけどね。
はいはいはい、でも私すごいそれわかるな、なんか友達ほど意外に知らないっていうか、なんかまあ喋ってくれたらね、聞くんだけど、
私あんまりこう他人にすごくこう、他人を詮索するって言い方すごい悪いんだけど、ネガティブな言い方になっちゃうけど、
なんかこうねほりはほり聞かれるの、個人的にあんまり好きでもないし、
なんかあんま喋りたがってる以外のことを自分から突っ込んで聞くのすごい得意じゃないから、
なんか友達ほど意外に、なんかこうじゃあちっちゃい頃どこに住んでたのかとか、どこ生まれなのかとか、
ああそう、知らない。
そう、そういうことすごい知らない。
でも別に今仲いいし、一緒にいて面白いし、なんかそれでいいかなっていう。
なんかその、なんかのタイミングでお母さん来てるってなって、お母さんじゃあどこだっけ実家って聞いたりみたいな、
そういう感じだもんね。
そう、あるけど、なんかね、例えばなんかその子実は結婚して離婚してたとか、なんかそういうのも知らないみたいな、
そうなんだ、くらいの。
なんかこうプライベートのことあんまり知らないパターン多いなっていうのをなんか思った。
で、とはいえ、とはいえですね、それはそのままで良かったんですけど、
なんか私たちの関係ももう気づいたらすごい長くなってきてて、
あと、やっぱこのポッドキャスト聞いてくださってる方に、
18:03
なんかなんで私たちがこう、なんかそういう意見を持つのかとか、
なんでそういう視点でそういうコメントするんだろうっていう部分に関して、
多分なんかもっとそのパーソナルなことが関係してる?
うん、まあ今までの経験とかね。
で、そういう部分を得てある今っていうところを、もうちょっとなんかこう理解して聞いてもらえるといいなっていうのと、
まあ私も、なんかこういうタイミングだから、もっとえっと、なぎちゃんについて知って、
なんかこのポッドキャストについても、なんか一段なんか上にのなんかこうね、ステージに行けたらいいなっていうのもあって、
だからものすごく初歩的なことから聞かせていただきたいんですよね。
はい、我々、我々互いへの理解は、なんだろう、さらにこうポッドキャスト自体の、なんて言うんだろうね、深まるというか、
そういったところにもつながってくるのかなぁなんていう。
そうですね。
改めて我々について、我々自身が知るっていう。
うん。
はい。
ね、全然話さないだろうからね、ほっとくと。
このまま。
うん、話さないね。
ここも共通点なんですよね、たぶんね。
そうだね。
この話せば聞くけど、変に詮索しないっていうね。
うん。
じゃあさ、まずこちらから聞かせていただいてよろしいでしょうか?
はい。
いや、でもさ、なんかほんと私、あれだよね、なんか、栃木?
うん。
ごめん、ちょっと待って。
家があるのは知ってるんだ?
あー、はいはいはい。
だけどそこで、
そうですけどね。
そうだよね。
うん。
それしか知らないんだよね。
だからまず、
そっかそっかそっか、なるほどね。
だから実家は、
どこみたいな?
その辺、実家もその辺なんだっけ?みたいな感じで、
あー。
なんだかんだ言って、ちょっとぼやっとしてる。
あー、なるほど。
なので、ちょっとほんとにどこから、どこで生まれて、
で、なんかあれだよ、ちょっとあの、すごいきっちりした性格だったっていうのは知ってるけど、
なんかやるって決めたらやるみたいな。
うん。
なんかどういう感じでさ、
で、たぶん、なぎちゃんはさ、言っても私と違って、すごい都会っこで、
うん。
なんか、昔からすごい、なんか、東京へのアクセスとかもあったと思うので、
21:02
うん。
その辺、どういう感じだったのかを聞きたいなと。
あー。
ど、そう、え、
なるほど。
出身、どこなの?
なんか、今、ほんとこれ聞くのちょっと恥ずかしいんだけど。
超おもしろい。超おもしろいですね。
出身どこなのって聞かれたの、なんか、なんだろう、何十年ぶりぐらいな気が。
出身、出身、ただ、すっごい細かい話をすると、私は生まれたのは大阪なんですけど、
おー。
まあ、それは単純に両親の、
あー、出生地としてね。
うん。県近でいただけって感じで、
その後は、まあ一応なんかこう、サラリーマン家庭だったんで、
車宅行ったりとか知ってたけど、一番育ったって言っていいのは千葉県ですね。
あ、千葉なのね。
おー。
え、千葉のイメージじゃなかった。
そうでしょ。千葉県市川市に、私2歳から27歳ぐらいまで住んでましたよ。
おー。
でも、なんか千葉の市川市って、まあご存知の方もいらっしゃるかもしれないんですけど、
ディズニーランドのある浦安市の隣なんですね。
あー。
そう。だから、地下鉄が通ってて、
で、まあそれこそ、なんて言うんだろう、繁華街、渋谷、原宿、新宿とか、
なんかね、わりとどこでも40分ぐらいで行けるんですよ。
うーん。何線だっけ?
東西線。
東西線か。
そうそう、東西線が通ってて。
だから、まあわりと子供の頃から、買い物行くって言って銀座行くとか、
なんかそういう、土日、週末は東京に行くっていう感じの育ちですね、地理的には。
それって、東京に行ったりするっていうのは、
うん。
ご両親と一緒に、もうちっちゃい時から行ってたの?
そうそうそう、なんかね、銀座が近いんですよ、すごく。
銀座って日本橋が近いから、なんかそれこそね、ドアトゥドアで30分かかんないぐらいなんじゃないかな。
うーん。
だから、結構週末、両親とっていうのもあったし、
なんか、やっぱ子供ながらに銀座って、いろんなものがあって楽しいみたいなのがあったりとか、
うん。
なんか、あと私、伊藤屋が子供の頃、すっごい好きで、あの文房具って。
あー。
あと、なんか三里王のお店、でっかいお店が当時あって、遊園地みたいな。
はいはい。
そこと伊藤屋に行くっていう、なんか。
なんかイメージが湧くんですけど。
そう、それすごい覚えてますね、子供の頃。
銀座に行くっていう。
24:01
で、まあ、なんか集めてたの?
そうそうそう。で、なんかね、小学4年生?3年生とかかな、なんかね、漫画家になりたくて。
おー。
で、なんかそれこそ、プロが使ってる道具が、そのやっぱ伊藤屋とかに売ってるんですよ、ペンとかね。
なんか今だと、漫画ってほら、ほとんどデジタルで描くと思うけど、昔はこうインクをさ、ペンにつけてさ、こうやって描いてた時代だったから、
なんかそういう道具とかを買いに行ってたなーって思いがありますね。
何系漫画?やっぱ少女漫画なの?
少女漫画だった気がする。
どんな漫画描いてたか、ぜんぜん覚えてないけど、でもなんか、やるってなったら、とことんやるのは割と変わってないかな。
なんかね、自分でね、応募してたね、あの講談社とかの、なんか後ろにあるじゃん?
えー!すごい!
なんか、なんとか書みたいなやつ。
はいはいはい。
なんかでっかい封筒買ってきて、それに原稿入れて送ってたね。
えー。
ねー、なんか割ととことんやるし、うちの親も割ととことん付き合ってくれる親だったから。
なんかすごい、銀座はその伊藤家と三里男。
でもなんか、すでにミニ薙子だね。
そうね、頑固者なこととか、ほんと変わってないと思うね、たぶん。
ちなみに、三里男はさ、何キャラが好きだったの?
三里男はキティですね。
あー、キティちゃんか。
そう。表情のないキャラクターが好きなんですよね、たぶん私。
あー、だからブラウンとかも?
そうそう。なんかこう、媚びうってこないじゃないですか。
はいはいはいはい。
可愛いでしょ、私みたいな感じじゃないっていうか。
なるほど。
そう、で、割とこっちの思ってるように、向こうの感情をなんかこう、想像できるっていうかね。
悲しい気もするし、笑ってる気もするし、みたいな。
だから、そういうのが割とこっちの想像で、なんか、何て言うんだろう。
まあでも、三里男ってそういうキャラ多いよね、たしかに。
いやー、まあでもなんかキティ派生っぽいキャラは割とね、無表情ですよね。
うん、でも基本キャラクターってやっぱり、なんかライブリーな感じ。
ミッキーとかもそうじゃないですか、なんか割と。
いやー、前向きキャラというか。
アメリカのキャラも表情豊かだよね。
そうそうそう。結構だから、キティって、なんかそういうとこで特殊だったんだろうなっていうのをなんか思うし、
なんか昔すごい、すっごいちっちゃい頃からキティ好きだったんですけど、
27:02
なんか、母親が言うには、登場した当時は、なんだこのかわいくないキャラクターはっていうくらい全然人気がなかった。
でも私は好きだった、みたいな話を聞いてて。
たぶん結構登場した当時は、あの感じってすごいこう、マイノリティというか珍しかったんじゃないかなって思いますね。
かわいいアピールしてこないキャラ。
確かにそうかもね。
だからね、きっと諸外国で今、キティなんてワールドグローバルで活躍されてますけど、
なんかそういった部分珍しく映るんじゃないかなって思ったりしますね。
確かに。面白いね。
本当、キティ好きで、落とし物なんかキティのものあると勝手に届くぐらい有名ではありましたね、近所で。
キティが好きだって。
まあ、なぎちゃんでしょこれ、みたいな。
私のじゃない、みたいな。
だからなんか、自分が気に入ったものしか持ちたくない、みたいなの、今にも通じてるんですけど、
なんかもう本当、子供の頃からそういう感じですね。
面白いね。
まあ、でもそうなんだろうね。
何がそうさせるのかは、ちょっとわかんないですけど、
もともとの持ち味なのか、なんか環境がそうさせるのかわかんないですけど。
それが小学校とかのとき?
うん、それ小学校。長っ、小学校。
小学校ですね。
で、中学校はどんな感じ?
で、たぶん、小学校5、6年ぐらいのときに、うちに初めてパソコンが来て、
それまではなんかね、ワープロで遊んでたんですけど、
なんかドット絵描いたりとかして、
たぶん6年生ぐらいのときにパソコンが初めてうちに来て、
まあ、インターネットのうち高かったんで、まだ小学校のときはたぶんネットつないでなくて、
中学1年生ぐらいのときにたぶんネットにつながりだしたんですけど、
中学校はなんか、全然学校の記憶がほんとないんですけど、
インターネットしながら原宿に行ってたっていう覚えですね。
インターネットしながら原宿に行く?
なんか、深夜しかほら、インターネットがやりづらい時代だったわけですよ、当時はね。
11時からテレ放題っていう、電話代が一定の金額で使えますみたいなサービスがNTTがやってて、
当時のインターネットはね、ダイヤルアップって言って、
30:03
ほんとにモデムで電話をアクセスポイントにかけて、そっからつながるみたいな話だったから、
夜の11時から、自由に使えないっていうかね、時代だったから、
夜はインターネットして、昼は中学校行って、土日は原宿行って、っていうライフだった気がする。
もうでも、なんかその感じが、私からするともうシティーガールだね。
中学校って、でもほんとに闇多いですよね、なんか人生の中で。
そうだよね。
うーん、なんかもう、学校はほんとにもう暗黒だった気がして、先輩と仲良かったって覚えるくらいしかないなと、
テニス部の顧問の言ってることに納得がいかなくて、やめたぐらい。
で、テニス部だったのね。
そう、先輩と仲が良くて、けっこう一歩上の。
そう、なんか割と先輩がみんないるから、入ってみるかっていうのと、
黙って部活考えないでいると、なんか水素学部に入れられる予感しかしなかったんで、それが嫌だったっていう。
うちね、音楽一家なんですよ、実は。
へー。
これもあんまり外で喋ってない気もするけど。
それはなんか、でも趣味で?
趣味、仕事としてではないけど、プロフェッショナルな腕があるっていう意味?
そうね、うちの母親とかはもう普通に東京芸大とかを受けてたレベルの人ですね、クラリネットで。
へー。
でも、それこそクラリネットをやるか、服を学ぶか、どっちかに選ぶときに服を選んだっていうのが、うちの母なんですけど。
割と、うちの母親も父親もずっとクラリネット吹いてて。
それが、あれなの?2人のロマンスなの?
そう、そうみたい。
家で、母親と父親がクラでアンサンブルやって、
私は2歳ぐらいからずっとピアノやってたから、ピアノで伴奏しろとか言われて、伴奏したりとかして。
そういう感じの、割と音楽一家だったんですよね。
へー。
だから、小学校とかも、強制的にというか、小学校3年生の後半になったら、家に私用のクラリネットが買われてて、
33:05
まあ、もちろん吹奏楽部入るよねっていう。
なるほどね。
そう、だからそこからちょっと逃げたんですよね、私は。
中学校で。
で、もうインターネットしてましたね。
あれだ、ちょっと反抗期的な。
そう、自分のやりたいことはこれではない、みたいな。
なるほどね。
そっか、私なんてインターネットつながって、まともに自分でパソコン使うのだったなんて、相当遅かったと思うよ。
まあ、そうね、うちは割とそこそこ早い方だったんじゃないかなっていう気はしますね、まだ。
98年とかかな?97、8、9ぐらいだよね。
で、だから結構中2ぐらいの時に、当時好きだったミュージシャンのウェブサイト作って、ファンサイトみたいなの作って、
そこで、もう結構いろんなところに住んでることを、ネット上で交流って言ったら変な言い方だけど、して、結構ね、会いに行ったりとかしてましたね、リアルで。
全然学校の友達とか、あんまり話が合わなかったから、東京周辺に住んでる人たちだったら、原宿で遊んだりとか、
一番仲良かった子とかは、広島に住んでたから、広島まで遊びに行ったりとかしてましたね。
中学生で?
うん。
それでもさ、それを行かせてくれるご両親もすごいよね。
そうね、そうなんでしょうね。だから、母親がついてきて、私は宮島に行きたかったから、ちょっと宮島行ってくるわとかって言って、別行動して。
私は広島で友達に会って、母は宮島を一人で満喫みたいな。
いいね。
とか、名古屋行ったりとかしてましたね。結構、中学校の時からなんか、一人で新幹線乗って、勝手に移動とかしてましたね、中3ぐらいになってた時は。
なんか、でも、なぎちゃんほんと変わってないね。
そう、変わってないですよ、たぶん。
ちょっと柔らかくなったんじゃないですかね、ぐらい。
許容できる範囲が増えたなって。
そっか。
なんか、高校すごいしつこく聞いてるけど、次の高校は?
36:00
高校、まあだから、中学校と高校は割と、地続きなライフを送ってた感じはあって、
中学、高校は幕張にあったんですけど、千葉の。
でも、なんか結構、もう学校外の友達と遊んで、
土日はもう原宿に遊びに行くっていうのが、もう中3ぐらいからほんと普通になってきて、
当時ド派手な格好してたので、なんかそういうのに目立ってたんでしょうね、街中でね。
で、なんか雑誌とかに声かけられて、読者モデルみたいな、今でいうインフルエンサーみたいなね。
の走り的なことをいろいろやって忙しかったのが、高校時代って感じかな。
でも、夜中はインターネットやってるっていう。
そんな原宿ガールと、なんかインターネットの掛け算っていうのが高校時代かな。
ないじゃんだね。
それ、何の雑誌の録音だったの?
キューティーとか、ジッパーとか、全部なくなっちゃったのかな、今。
ケラーとかね。
昔はもっと雑誌いっぱいあったじゃないですか、ジューニーとか。
これ、なぎちゃんのこと詳しい人は、そんなことも知らないのって思って聞いてるかもしれない。
読者モデルをやってたのは知ってるけど、どの雑誌?
でも、キューティーはすごいイメージつくけど。
あと、フルーツとか載ってましたね。
フルーツは、インスタの投稿で見たことがある気がする。
フルーツ、唯一手元に残ってる。
でも、そのときの写真とかも、ちょっと眼光鋭かったもんね。
だって、ほんとに登場してる友達とかも、ほんと尖ったナイフだったって言われますからね。
ほんとに、今じゃ考えられないけど。
でも、素質は変わってないんですけどね。
人見知りすぎて、人としゃべれないし、人のこと信用してないし。
なかなか扱いづらい、ティーンだったと思いますよ。
そのさ、人見知りで、人疑り深いって、ご両親どっちかがそういう感じ?
どうなんだろうね。あんまり親について、そういうふうに感じたことはなかったけど、たぶん父親のほうなんじゃないかな。
なぜならね、私も疑り深いんだけど、結構父親がそうなのよ。
同じじゃないですか。
39:00
そうそう、それで、なんかやっぱ影響あったのかなって思って、やっぱり後になって思ったね。
どうなんだろうな。
割と、性格はうちは父親に近いなっていうのは思うんですけど、
うたより深い性格は、割と勝手に自分で作った気もしますね。
なるほど。
忙しかったな、高校生のときほんとに。
すごいよね、なんかその、そういう、もう私と全く違う高校ライフだよね。
すごい、なんか仕事してるって感じでしたからね、割と。
そうだよね、芸能活動的な。
うん、だからなんか、結局事務所とかにも所属してるわけでもないし、
別に自分的に芸能活動やりたいわけでもなかったから、
事務所入るわけでもなく、自分でスケジュール管理してね、
アポイントメントを受けて、みたいな、なんかそういうことやったから、すごい仕事としてる感覚でしたね。
その後、あれだよね、アートスクールだよね。
その後は、そうですね、文化に入ってますね、ファッションスクールに。
そう、私の友達と、あれ同級生だっけ?
でしたね、そうそうそうだ。
ひどいからね、またね。
そんな感じですね。
割とだから、高2、3ぐらいから、なんかちょっとこう、モードみたいな世界に目覚め始めて、
さらに扱いづらいやつぶりが加速するっていう。
で、結局、服のほうに行ったってことだよね。
うん、なんか仕事としてインターネットがあるっていう考えが全くなかったですね。
それはそうだよね、それくらいの歳だとね。
そう、なんかあれはやっぱり趣味でしかなくて、あれがね、どう仕事になるのか全然わかんなかったし、
でも、ほんとに小さい頃から、デザイナーなりたい、ファッションデザイナーなりたい、洋服作る人なりたい、みたいなのすごいやっぱあったので、
もう迷いなく、みたいなね。
ほんとは海外に行きたかったんですけどね。
それはなんで行かなかったの?
いやね、うちのね、親ほんとにドメスティックな人なんですよ。
ほんとに、なんかうちの父親は仕事絡みで結構海外出張とか行ってたんですけど、
なんかあんまりこう留学とか英語とか、なんかそういう国際交流とかね、そういうのが一切ない家庭だったから、
なんか親的にも、やっぱその留学みたいなの全然身近じゃなかったんですよね、おそらく。
42:06
だから、は?みたいな。
は?パリ?は?
なんかそういう感じで、これはダメだと思って。
とりあえず、日本で天下を取ればいいのでは?っていう考え方。
なるほど。
あの、音楽活動をしてたんでしょう?
あれはいつなの?
私さ、それもすごい申し訳ないんだけど、全然知らなくてさ。
知らない、知らないですよ。知らないですよ。
いや、なんか周りが知ってるみたいな感じで、
なんか前、ドリキンさんかなんかのポッドキャスト聞いてて、なにちゃんの話が出てきて、え?と思って。
あーおかしい。それね、たぶん19の時だから、文化の1年かな?の時かな?
そうそう。
なるほど。
そう、知らない方が大半だと思うので、なにかとお話しすると、
一度、19歳なんで、もう20年までいかないぐらい前か、
あの、中田康隆プロデュースでCDを出してるっていうね。
そう、っていうのが19歳で、
でも、それもあれですよ。なんか、あの、キューティーとかに出てたの。
私を見て、ヤマハのレコード会社から電話かかってきたっていうね。
へー。
それがきっかけで、で、私もまた当時は、なんだろう、なんつうんだろうね、
言葉少なな人間だったから、なんか、あれよあれよと話が進んでいき、みたいな感じでした。
それは、あの、なんで続けないことになったんだろう?
やっぱりね、他人にプロデュースされるのが苦手っていうのを決定的に思ったんですよね。
なるほどね。
うん。
本当にあの時は、本当に感じの悪い人間だったと思いますよ、関係者の方たち。
本当、なんか、それこそ中田くんとか、そのカプセルのね、こしじまさんとか、いまだに普通にこうフレンドリーに接してくれますけど、
うん。
ほんとやなやつだったと思いますよ。
ははは。
はぁー。
そうそう。だから、やっぱ、なんか当時から、私は私みたいなのがあったんですよね。
なるほどね。
うん。やっぱ、他人が作りたいイメージってあるじゃないですか、
そういう場合ってね。
そうそう。そことの、やっぱりギャップを楽しめなかったんですよね、当時の私には。
45:02
うん。
なるほど。
そう。だから、なんかもう、当時もなんかつらかったっていうか、忙しくて、本当に新宿でよく泣いてましたね、私。
ルミネの下で。
はぁー。
なんか、学校忙しいし、なんか割と学校のほうにね、ブック作るほうにいろいろ集中したいけど、
なんかそのレコーディングとかも受けちゃって、忙しくて、で、なんかプロデュースされる自分と本当の自分の狭間に挟まれ、みたいな。
ははは。
そう。だから、笑い話になって話せるようになったのも、ここ10年ぐらいじゃないですかね、たぶん。
あー、まあ、うーん、なるほどね。
うん、そんな感じ。
なんかもう、すごいしっくりくるね。
一貫性はありますよね、行動に。
あるね。あるあるある。
あの、このポッドキャストの冒頭のジングルも、なぎちゃんがね、作ってくれてるんだよね。
うん。まあ、ガレージバンドでちょいちょいとやれば、作れるのでね。
そっか。
そんな、そうですね、懐かしいな。
なんか、結構、たぶん、両極端両方に興味があるタイプだよね。
うん。
でも、やっぱり、なんかこう、興味はあるけど、そこにはまらない、みたいな。
ので悩む、みたいなところは、たぶん、私と似てるところだとは思う。
そう、なんか、あの、目の前にある機械は、生かしたいなって思うんだけど、はまらなかった時がもう、最悪になるんですよね。
そーれはわかる。
でもやっぱり、一度、なんて言うんだろう、手にしたから、最後まで責任持ってやらなきゃいけない、みたいな。
なんかその、ちょっとしたいい子ちゃん魂みたいなのも、働きつつ、
いやー、わかるな。
その狭間にこう挟まれて、もがく、みたいなね。
まあ、だから、そういうね、なんかこう、自分にフィットするかしないかみたいな部分も、やっぱり一度やってみないとわかんないことだったりもするので、
そうだよね。
だから、全ては無駄にはならないんですけど、つらい時期はあったりするよねっていう。
仕事は、最初の仕事は、その後は何を始めたのかしら?
なんか、私、文化服装学院って、アパレルデザイン科っていう、デザイナーを目指すためのクラスに、専攻にいたんですけど、
4年生だった、あ、4年じゃない、3年生だった、その専攻をね、2年半で辞めてるんですよ、最後の1年残して。
48:10
で、なんか、まあいろいろいろいろいろあって、辞めたんですけど、
デザイナーになるの辞めて、別の道を選んだ方が、私に向いてるんじゃないかと思って、
で、そっから、なんかPRっていう仕事があるんだっていうのを知って、
で、まあなんかいろいろ仕事探して、自分でなんかこう、突然かけたりとか、
おー。
ね、なんかそれこそ、なんかファッションの人だったらご存知だと思うんですけど、なんか、
ステディースタリーとかそういうところにね、電話かけたりとかして、学生なんですけど、バイトさせてもらえませんか?みたいな。
あー。
そう、で、辞めた直後から仕事探して、まあ最初勤めたのは、それこそ履歴書持って突撃しに行った、
まあ大歓山にある某ちょっとカルトなセレクトショップがあって、そこで働いたのが一番だった、最初かな?
なんかお店に、ショップスタッフ兼プレスみたいな。
そんちが最初だったんだけど、けっこうね、仕事がハードすぎて、なんか体調崩しちゃったりとかして、
なんか21、22、20、21、21、22ぐらい、けっこううよ、うよ曲折というか、右往左往してた感じでしたね。
仕事辞めたり、なんかちょっと派遣で働いてみたり。
なんかやっぱりPRやりたかったんですけど、もう未経験ってなるとね、一切やっぱ求人自体ないし、
なんかけっこうそこで、なんかなんつうんだろう、なんて言うんだ?
ちょっとこう、前に進めない感じの時代でしたね。
まあ今思えばほんとたったの1年ぐらい、たったの1年に1年半ぐらいだと思うんですけど、
なんか友達のブランドを手伝ったりとか、なんかウェブサイト作ったりとか、
なんか会社設立手伝ったりとかしてましたね。
で、その後、と偶然出会った仕事が、
まあ某フランスのラグジャリブランドのPRの、もうほんと末端のアシスタントの仕事にたどり着く機会があって、
で、そっから割とそういうブランドのPRを20代はやってた感じですね。
まあ夜はインターネットしながら。
変わらず。
で、その後も独立したの?
51:00
そうですね、だからPR、そのラグジャリブランドのPRやってたのが、
たぶん22から26、7ぐらいかな?6かな?
で、なんかその時ちょうど、26か7ぐらいの時にちょうど震災があって、
なんかあの時いろいろ考えたじゃないですか、みんな。
考えたね。
で、なんか、まあ今またこう、ブランドのPRの人の仕事内容って、
私がやってた時とまた全然変わってるとは思うんだけど、
なんか当時、なんかこの一切デジタル化されてないこの仕事、
なんかこのままやってて、未来はあるのだろうかっていうのをすごい考えてしまって、
で、なんかまあ、あとはなんて言うんだろうな、
ファッション業界の人たちの、なんかこう視野の狭さとか、
なんかそういうところに結構疑問を感じるようになって、
で、いったんクリエイティブ系の会社に転職したんですね。
それはその会社の社長にわりと誘われて、
で、そこはまあ、今ちょっと私がやってるような、
ブランドのクリエイティブのディレクションとか、
ウェブサイト作るとか、
ブランディングみたいな仕事をやってるクリエイティブエージェンシーで、
そこでなんて言うんだろう、初めてというか、
なんかこうウェブサイトを業務で作るとは何ぞやとか、
どういう過程で作られるのかとか、
なんか割とそのクリエイティブを制作する過程みたいな部分を、
なんかすごい学んだ機会だったんですけど、
で、そこを辞めたのが多分もう27とかで、
そっから就職せず、フリーランスになったって感じですね。
今に至るって感じ。
今に至る、うん。
なるほど。
なんかすごいつながってるね。
そうですね。そうなんですよね。やっぱりね。
どう?今ちょっとさ、こんな話をさ、まとめてしてみて、
なんかこれが自分にとって人生の転機だったかな、みたいなのって。
いやー、いろいろありますけど、やっぱりちゃんと就職したっての大きかったですね。
拾ってくれた人がいたっていうのすごい大きかったな、そのPRの仕事に就いたとき。
なんかそれも、もともとはほんと超短期派遣で、
人に穴が開いちゃうから、ポジションに穴が開いちゃうから、
次の人見つけるまで、ちょっとテンポラリーで誰かみたいな感じのとこに入って、
54:03
で、まあなんか評価してもらって、そのまま正社員になったって感じだったんですよ。
だから、なんかそのときの同じチームだった元上司とかにめぐり合ってなかったら、
間違いなく今の自分ないなっていうのは思いますね。
なるほど。
なんか、わりと仕事しだしてからはすごく人に恵まれてるなっていうのはすごい思います。
上司とか。
就職してた。ちゃんと会社員やれてたっていう。
結構長くね、言ってもね。
20代の4年間、5年間ぐらいって結構、今考えたらすっごい短いんだけど、やっぱりすごい濃厚な日々でしたね。
いや、濃厚でしょう。
そこで、まあそれこそ他人に対する礼儀とかね、マナーとか、
なんかそういうのもやっぱ徹底的に学ばせてもらった感じもあるし、
こんな元上司が聞いたらまだ失礼な部分あるわよとか言われそうな。
そうね、そこは結構ターニングポイントでしたね。
今もやっぱその上司とかから相談を受けたりとかってすごいしょっちゅうあるし。
いいね。
でもなんか、そういう人と一緒に仕事をできた時っていうのは、
なんかやっぱり、すごいいい意味でキャリアに影響があるよね。
いや、ほんとにそれ感じますね。
休みの取り方とか、働き方とかって、
ほんとその20代の若い頃、働いた環境とかにすごい影響受けるなと思ってて。
結構昔から、私はその会社員の時は、なんかもう忙しい時は忙しい、しょうがない。
やることがみんなそれぞれあるから、忙しい時は忙しい。
でも忙しくない時に、いちいち残ってる必要はないし、
休む時は徹底的に休むみたいな人たちだったんでしょう、みんな。
だからもう、夏休みいつ取る?みたいな話を常にしてるわけですよ。
年明けたら夏休みの話してるみたいな。
いや、私いついつ取るから、なんとくさんいつ取るの?株無いようにしてね。
だし、なんか別に上司が仕事してても、残業とかしてても、別に私の仕事が、やるべき仕事が終わってたら、
え?なんで?なんかうじうじ残ってないで早く買いなよ。みたいな。
なんかそういうさっぱりさがあって、非常に合理的な仕事の仕方ができてた気がして。
57:06
それは外資っぽいよね、それはね。
まあでもね、結構話聞いてると、外資でも意外とやっぱ働いてる人は日本人だったりするから、
なんかね、そこまでさっぱり割り切って働けてるのって、本当に人によるなっていう感じもするんだけど。
その辺はすごい影響を受けてますね、当時は一緒に働いてた人たちが。
その後のクリエイティブエージェンシーみたいなところでやってたことの延長を今割とやりつつ、
自分自身でいろんな発信活動もしてるじゃない?
うん。
その辺は今後はどういうふうに考えてるの?
ここがね、なんかあんまり、すごい自分的にこうなりたいとか、あれやりたいとか、
細かいことはあるんだけど、なんかあんまりなくて、何ですかね、
なんか、まあこのまま、このまま、このマイペースのまま生きてくのかなっていう感じはしてますね。
なんか、自分、まあ割とやっぱり、その自分の発信みたいな部分とか、
例えば文章書いたり写真撮ったりとか、そういった部分じゃない仕事を、
クライアントワークで何かクリエイティブ作って納品してとか、
なんかこう、イベントの企画にアドバイザーとして関わってみたいな仕事って、
なんかこう、クライアントありきだったりするから、
なんかそうじゃない部分で、自分の自身のなんか授業をやりてみたいなっていうのは、
昔からあるんですけど、
まあ、あんまりおいしいアイディアが思い浮かばないから、
なんかピピッときたら、突然始めたりはするかもしれない。
そうですね。
ね、クライアントワークは基本的に縁っていうかね。
そうそう、そうなんですよね。
だからね。
まあね、まあとはいえ、なんだろう、
私もそのサラリーマンとして雇われる立場をやめたことって、
なんかこう、すごい独立したいからやめた、フリーランスになってやる、
一人でやるんだっていうモチベーションというよりは、
なんかその仕事やめた当時に、なんか入社したいなって思う会社がなくて、
なんか必然的に、なんかフリーランスになっちゃったまま、
8年ぐらいは経過しているだけだったりするので、
これは常に言ってるんですけど、
1:00:02
なんかフルコミット、なんか全力でコミットしたいみたいな、
なんか会社とか人とかが見つかったりしたら、
まあそういう道もあったりするのかなっていうのは、
常に頭の片隅にありますね。
うん。
まあ、なぎちゃんの場合は、なんかこう、職業とか事業とかっていうより、
なんかいろんなものがフィットして、
その、なんか自分のパッションと重ならないと実現しないんだろうから、
そうそう。
それがどういう形になるかは、
なんかこのままやっていってみないとわかんないって感じだよね。
そうそう、そうなんですよね。
だから割と、なんか明確なゴールを決めて、
そこにたどり着くために着実に階段を登っていくというよりは、
なんか見えない何かを追い求めて、
常に前進し続けることが大事かなっていうのを思ってますね。
うん。
そうね。
なんかこう、種まきながらね、写真撮ったりしてこう。
そうね、とりあえずそういうふうに、なんか手を動かしてやってみつつ、
なんか、今特に世の中の変化とかもすごい激しいから、
うん。
とりあえず、まあ、こう、
まあ、私はよく使う表現だと、なんかとりあえずパドリングしといて、
あー、そうですね。
波来たら乗りますみたいな。
うんうん、いい表現。
うん、なるほどね。
うん。
すごいなんか恥ずかしいですね、やっぱこの、
自分の話ばっかりして、こんだけ尺を使うっていう行為自体が。
いやー、でも、うん。
でも、なんかすごいしっくりきたわ。
なるほど。
なんか、なるほどねって感じ、
なるほどねって何回も言いそうになって、
言ったけど、
そう。
はい、そんな感じで、
30運年、生きてきましたね。
うん。
いや、まだ楽しみですね、これからね。
そうですね、ほんとにね、まだまだ何が起きるかわからないっていうね、
わくわく感は常に持って生きていたいですよね。
うん。
だって、アメリカの人たちとこんなに、
アメリカの人たちとっていうのも変な言い方だけど、
なんかアメリカとこんなに縁ができるなんて、一切思ってなかったですからね、私。
そうだよね、だって、最近まで来たことなかったんだもんね。
うん、なんかもうカルチャー的には、完全にヨーロッパの方に興味がね、あったから、
昔から、なんか英語学ぶんだったら、イギリス英語だし、と思ってたから、
なんか、ほんとアメリカにあんまり目線が向いたことがなかったんだけど、ほんとここ5年ぐらいかな。
1:03:03
まあ、でもそれはやっぱりインターネットね、企業がアメリカにあるからっていうのは、大きいと思うんだけどね。
そうね、うんうん。
そう、それも面白いなって思いますよね。
私なんかも、高校のときに留学して、アメリカには二度と戻ってこないと思った。
今、住んでるからね。
なんか、すごい田舎だったんですよね、たしか。
そう、ほんとつらくて、すっごいつらかったからね。
二度と戻ってこないと思ったんだけど、住んでるからね。
何があるかわかりませんよ。
ね、これすごい私の話だけで長くなっちゃったけど、りえさんの話もここにつないでって感じで、いいんですか?
いいんじゃない?私そんなに長く。
そんな。
なんかだって、別で撮って話すような大それたものでもないし、と思って。
あら、じゃあ、どこで生まれた話から?
私、さっき自分が聞いたのに、思い出しながらなんとなく、
私は、なぎちゃんと同じように、生まれだけは山口県の下関市です。
ふぐだ。
そう、ふぐ。
両親がそこ出身で、さっと帰り出産ってことかな。
だから、生まれた病院自体はそこだけど、
広島の福山っていうね、町育ちで、
ほんと全然おもしろくないんだよ、私の話は。
なんかね、小学校から高校まで、一貫の女子校、
小学校は教学だったんだけど、一貫の学校に行ってて、
女子校育ち。
そう。
意外。
そうなのよ。
だから、それで、嫌でしょうがなかったっていうのは、あるんだけど、
それで、その前、学校の話はすごいつまんないんだけど、
前さ、ちょっとちらっと話したかもしれないんだけどさ、
私、4歳ぐらいから国際交流、英語を学ぶやつ。
はい、コミュニティみたいな。
国際交流、コミュニティみたいなのに通ってたのね。
英語で歌を歌ったり、演劇をしたりするみたいな。
かつ、なんかキャンプとかあったり、国際交流があったり、
国内で違う人の家に泊まりに行ったりとかもあって、
そっちの多分、なんか影響もすごい大きくて、
それで、それのプログラムで、1ヶ月ホームステイに行きますっていうのがあったの。
1:06:04
で、それに両親が積み立てしてくれてて、
うちは、なんか、なぎちゃん家と違って、親はドメスティックなんだけど、
これからの人は、英語が絶対いるからと。
英語だけは習うべきみたいな感じで、
で、中3で初めてアメリカにテキサス州行って、1ヶ月ね。
で、そこで、なんか、私ホストシスターチアリーダーだったのね。
で、学校にすごい一緒について行ったの。練習で。夏休みだったけど。
で、かつ、なんか学校が始まるのが早かったから、学校も3日間だけ行ったのね。
で、あまりにそれが楽しくて、
でも、私はもう絶対アメリカの高校行きたいってなって、
で、やっぱ日本の高校、中学高校がほんとつまんないし、
私もやっぱ中学、けっこう暗黒だった気がする。
ね。中学ってそういう時代ですよね。
で、やっぱそれ中3のときにそんな経験もしたから、
親をひたすら説得して、
で、降参でアメリカの、いまさっき話に出た田舎ね、
ウィスコンシン州のコールマンっていう人口が400人の街にね、
1年間留学して、農場で。
1年?
うん、1年。
農場体験みたいな。
農場はね、実際私お手伝いしなくていいお家だったんだけど、
させなきゃいけないお家もあったんだけど、
うちはなんか子供と奥さんは手伝わなくていいお家だったのね。
それもなんかポリシーが家によって違うんですかね?
うん、家によって違う。
子供が手伝う家もあれば、手伝わない家もあるんだけど、
うちはそういうところで、
でもなんか、あと趣味でね、うさぎをいっぱい飼ってて、
それもなんか、決闘、大会みたいなのに出すうさぎを飼ってるから、
なんかブリーダーみたいな感じ?
そうそう、だから100匹とかガレージにいるわけ、うさぎが。
で、それの大会について行ったり、それがまあバケーションなんだけど、
東京ドーム3個分ぐらいの場所にうさぎばっかりいてさ、
それはなかなかできない経験だ。
そう、ケンタッキー州のね、
私あれ生涯さ、あんな光景はもう衝撃的でさ、
たぶんなかなかない経験をしたと思うんだけど、
確かに。
もうちっちゃいのからすんごいでかいのまで、もう多種多様のうさぎがね。
1:09:00
へー、でもそれすごいうさぎなんですよね、きっとね。
全部そうだと思う。
で、なんかブルーリボンだ、なんだって評価されてさ、
うさぎにもそういう世界が。
そう、アメリカのなんかこう、ひとつのジャンルに対するこの深さ?みたいなのに衝撃を受けたよね。
確かに、うさぎがそこまで、うさぎ史上がそこまであるとは思えない。
そうそうそう。
だって、日本でさ、幕張メッセ全部うさぎが埋め尽くすとかないでしょ?
そうですね、うん。
おもしろい。
でも、そういう場所だったから、
しかもさ、ウィスコンシーってめっちゃ寒いのよ。
あ、そうなんだ。
10月から5月ぐらいまで雪があるのね。
へー。
だから、ほんとすることがあんまりなくて、
学校と家と往復するぐらいで、
私、暇すぎて部活をやってたんだけど、
部活、日本で部活英語部だったのね。
最初、フランス語クラブだったんだけど、配分になって、
それで、仕方なく英語部に入ったっていう。
学校がね、フランス人が創立した学校だったの、女子校がね。
あー、はいはいはい。
それで、だから、運動は、足はまあまあ早かったんだけど、できないんだけど、
アメリカの生活があまりに暇すぎて、
で、アメリカってシーズン制なのね。
夏、冬、春って、で、
夏、冬、春って、3回選べるの。
好きな種目を。
だから、私はバレー、バスケ、陸上ってやったのかな。
はいはいはい。
そうそう。だから、一番下手だった。
あー、おかしい。なるほど。
そこには、日本人とかアジア人はいたんですか?
うーんとね、100%白人だった。
そうですよね。
うん。で、ドイツ系ばっかりかな。
へー。
なんか、ネトフリで、なんか、メイキングマーダラーっていう、
あの、なんか殺人の濡れ着を着せられた人のドキュメンタリーがあるんだけど、
それに出てくる人たちとかが、すごい、こう、騎士感があるっていうか、
その感じの世界、なんかもう、すごい、ほんとに人より牛のほうが多くて、
なんか、みんな毎日牛食べてて、
1:12:00
うん。
なんかもう、ほんと体も大きくて、
すごい、なんか、ちょっと、うん。
とにかく、こう、モダンなこの都市部のアメリカとは全く違う。
へー。
だから、多様性の他の字もないよね。
なるほどね。
うん。
それはそれで貴重な体験ですね。
そうだね。だから、アメリカ人にも言われるたまに、
なんでそんなところに行ってたのって、で、
なんか、自分よりアメリカを知ってるね、みたいな、ある意味知ってるね、みたいな。
そこに行った理由としては、なんか、そういう留学あっせん会社みたいなのが進めてきたとかなんですか?
そう、もうマッチングだから、その国際交流団体のやつの。
あ、そっかそっか、それ。
うん。で、
なるほど。
その、提携先が、やっぱその、うさぎとか飼ったりとかしてるのでわかるように、
なんかその、自然活動、なんかその、動物育てるとか、なんかそういう活動をするような団体。
はい。
なんか、ボーイスカウトとか、そういう感じに似てて、なんか、動物と触れ合ったり、またキャンプしたり、みたいな。
うんうん。
そういう団体とだから、より田舎なんだよね。
うーん、なるほど。
そうそう。で、それで行ってるから、まったく、なんでそこに?って言われても、私は別に行きたくなかったっていうか、別に自分で希望したわけじゃないんだけどね。
うんうん。
っていう。
でも、そこに1年間いて、
そう、で、降参で行って、降参に入ったから、アメリカの高校も卒業してるし、私は日本に帰って、副学してるから、日本の高校も実は卒業してて。
うーん。
なんかね、私はほんと、中学校のときの中二病が、すごいもう、アメリカの、ああいう映画とか、ああいう、なんか洋楽とか、アメリカの映画みたいなのが好きで、
なんか、日本のやつは、ちょっと見たいな。
なんか、そういう。
ああ、方画とか見てるんだ、みたいな。
そうそう、なんかちょっと、そういう系の方向に行っちゃってたタイプだったから、やっぱり、実際に経験、ちょっとしてすごい楽しかったっていうのもあるんだけど、どうしても、なんかハイスクールに行ってみたかったわけよ。
すごい、でも、ちゃんと、ちゃんとというか、身をもって体験しに行って。
まあ、でもさ、やっぱり、しゃべれないじゃん。
当たり前だけどさ、いきなり行くからさ、なんか全然しゃべれないわけ、最初。
だし、なんか、そんなさ、社交的でもないから、友達とかもそんなできないじゃん、最初。
1:15:07
だから、結局、すごいなんか、スクールカーストの最底辺みたいなところだからさ、そんなにさ、楽しくないわけよね、やっぱりね。
まあ、時代的にもね、今みたいに、なんかこう。
そうそう、SNSとかもないし、なんか、そう。
あと、そういう多様性も少ない学校だったから、なおさら。
なんか、ほんと、みんな興味ないんだなっていう。
なんか、日本の学校とかに、やっぱり、欧米の人とかが来たらさ、みんなわーって集まってきてさ、その国のこと聞いたりとかさ、あるじゃない。
なんか、そういうの全然ないから。
あ、興味すらないんだ、みたいなね。
そう。
えー。
まあ、だから、もちろんね、なんかちょこっと友達できたけど、時間かかったし、ほんと大変だったし。
まあ、まず、ほんと勉強が大変で、宿題もすごい多いし、厳しいし、授業も参加しないと、厳点されちゃうから。
おー、それフル英語の授業に、突然ぶち込まれるわけですか?
そうなのよ。
すごいな。
そう、だから、よく行ったなって感じなんだけどね。
そうね。
まあ、考えてないし、若かったからできたし、それこそ自分が決めていったからさ、投げ出せないじゃん。
でも、すごい嫌だったんだけど、さっきの、たとえばバスケで一番下手だったんだけど、私、プレーも結局試合には、私、賞味2分ぐらいしか出てないんだけど。
それなのに、なんか、MIPってMost Improved Playerって表彰されたのね。
へー。
で、なんか、そのコーチのセリフが感動的で、私はもちろん一番下手だから、発表会にぼーっと座ってて、表彰式に。
選ばれるわけないから。
ない、そうそう。
まあ、1人だけしか選ばれないわけだからね。
そんな留学生に何のメリットもないじゃん、私でも。
確かに。
そうした話を聞いてると、この賞は誰にあげようか迷いました、みたいな感じで。
でも、このMost Improvedっていう名前に最もふさわしい人物は誰かっていうのを考えたときに、この選手はシーズン始めにドリブルシュートすらできませんでした、とか言って。
その、インプルーブドの幅が誰より広かったこの人に渡したいと思います、とか言って。
はー、みたいな感じで。
あたしみたいな。
でも、すごいいい先生。
そう。
ね。
それで、私、これがアメリカかと思って、すごいなと思ったんだよね。
1:18:02
日本だと、絶対そんなことないじゃない?
ないだろうね、なさそうだね。
あと、絵のクラスでも、自分の絵がアートオブイヤーみたいなやつに選んでもらって、しかもそれを学校が有料で買い取ってくれたの。
へー、なにそれ。
すごいよね。
だから、ちゃんと評価するだけじゃなくて、それに対して金銭を払って、学校に飾るっていう感じでやってくれて、
すごい。
私は運動も、別に特にどれかに対して、すごい長けてたわけではないし、美術も同様だったんだけど、
アメリカの学校に行ったことによって、そうやってないと思ってた才能が開花されたわけじゃない?
だから、それがすごいなって、それをクラスメイトが無関心でも、コーチが見てるとか、
とにかく誰かがちゃんと見てくれてて、そこに対して正当に評価がくだされるっていうのが、私はもうすごい感動したっていうか、
9割つらかったけど、そういう1割ですごい逆転させられるっていう。
すごい、なんかコアな経験というか。
それを私は、やっぱり今もそれは信じてるから、これからなんかやるにしても、やっぱなんかコツコツ自分の信念に従ってやりたいなって思ってるの。
じゃないと、やっぱ表面的なこととかっていうのは見破られちゃうし。
そうですね、見る人が見ればわかっちゃいますからね。
そういうのはやっぱり、いくらプレスに出てようと関係なく、私がいいと思ったんだからいいっていうふうに言ってくれる人がいる国だから、
それはすごい、だからそれが経験できたのは良かったかなっていう。
なるほどなぁ、もうその1年の経験がすごく大きかったってことですね。
そうね、ただ大学とかは、やっぱり相当さ、勉強できないといい大学行けないし、
私は日本に帰って、日本の大学行って就職したいって思ってたから、
そんななんか、ちっちゃい街の中でも、そんなさ、抜き入れていい成績を取るとかも難しいわけで、
そんなのなんかね、こんな大きなアメリカの中で戦っていける気がしなかったからね。
1:21:04
でも、私はその就職氷河期世代なのよ。
あー、そっか。
で、私、言ったことあったっけ? 私、ずっとスチュワーデスになりたかったのよ。
あー、聞いてない、聞いてない。聞いてないけど、ちょっとりええさん、スチュワーデスになってるの想像ができる。
いや、昔、私、なんか、やっぱりその、英語使うっていうのと、女性でそれなりのお給料を稼げるっていうので、
で、いろんな国に行けるっていうところで、スチュワーデス、今だと、キャビンあって、しえさんになりたくて、
でもさ、就職氷河期で、なんか就職がなかったのよ、募集が、なんと。
だから、私、小さいときからずっとそれを目標にさ、身長まで伸ばしてさ、頑張ってきたのに。
あー、なるほどね。
そう。だから、そっからも、ほんと、結構、なんか、私も、なんか、結構、なぎちゃんと一緒で、わりと、なんか、縁があったところと仕事で働くっていう感じが強くて、
新卒は、私、証券会社で営業してて、なんか、債券とか、なんか、そういう、売ってたんだけど、
で、これは、私、すごいイメージと違うって言われるから、今も一切やらないし、それもある意味、私にすごい良くない影響を与えたんだけど、
私、営業で新人証を取ったんだけど、それが、なんか、営業やりすぎて、営業が嫌いになっちゃった。
なるほどね。ゴリッゴリにやりすぎて、それは、燃え尽きたっていう意味なんですか?
燃え尽きたっていうか、それこそさ、最適化して、ひたすらやれば、確率上がるっていう話なのよ。営業も。
なんか、例えば、私の戦略は、みんながコスティング100枚するなら、私は150枚するみたいなやり方だったわけ。
おお、俳句会計だ。
そう。とか、そういう単純に人より少し多めにやるっていうのと、あとは、大口を徹底的に落とすっていうやり方でやってたんだけど、
なんか、それを取ったから、どうなんだろうっていうふうに思っちゃって。
なるほど。
かつ、私、新卒のときに、911があって、株が大暴落。
かつ、その、なんか、円論問題とかね、いろいろあって、
1:24:03
なんか、過去、今までがんぽん割れしたことがないような金融商品ががんぽん割れしましたとかね、
なんかその、会社に言われて売ってたものが、結局そういう会社も読めなかったようなリスクが起きちゃって、
お客さんの資産に若干影響があるっていう状況になって、
売ろうと思えば売れるけど、
なんか、ほんとに売りたいものを作るほうのほうが大事だっていうことになったわけ。
で、うちは、親がお店をやってるから、
商売屋で、なんか、結構、子供たちのアイデアを聞いて、
なんか、それを、じゃあ、明日これやってみようみたいな感じで、生かすようなお家だったから、
やっぱその、私が最初に入ったからして、一部上場企業だったから、
女性に全くキャリアパスがないっていうのもそうだったし、
そういう、なんか、大企業的な、
これっておかしいんじゃないかって思っても、どうにもならないみたいなのを経験して、
なんか、男社会のイメージあるね、証券系って。
いや、もう実際そうで、私はなんか、総合職希望してたのに、
地域限定影響職っていう、なんか謎の職種に振り返られて、
で、1年目はほぼ一緒だから、条件は。
とりあえずやって、成果を出してくれれば、転換も可能って言われたわけ。
で、賞取ったじゃない?
そういうのに、まだ早いって言われたのね。その翌年に。
でも、同じ視点に自分の半分以下の成績とかしか出てない男性は、総合職なわけ。
はいはい。
だから、すごく理不尽だなと思って。
ですね。
そこではね、私、何個かイラッとすることをいろいろ言われてて、
なんか、ここはずっと働く会社じゃないなって、
私が結構入った会社に、すごい貢献しようっていう、モチベーション高く入ったのよ、最初は。
入ったからには、みたいな感じで。
そしたら、全然会社側がそういうふうに思ってないし、扱う気もないから。
なるほどな。
こういう経験してる女性って、いっぱいいるんだろうなっていうのを、思いますね。
いると思う。
それで、私はその後、女性が経営者で投資をしてる会社に入って、
1:27:05
証券会社出身だったからってことで、投資事業部に割り当てられて、
あ、来た。
来ちゃったね。
そこから、私は投資の仕事をするようになって、
そこは、消費者関連のビジネス。
飲食住職誘惑みたいなところに投資しますっていう、
よくわからない、自分が実際に消費者となって使ってみることのできないところには投資しないみたいなスタンスの会社で、
そこで結構、実際に投資をするとか、案件を発掘してくるとか、
あと、ほんと新しい商業施設ができたら見に行って、
どこの会社がやってるっていうのを調べたりとか、
今の原型みたいな。
それが、そこからそういう仕事をして、
その後も、もう一社、同じような独立系のベンチャーキャピタルに入って、
同じような領域に投資する、もっとちっちゃい規模の会社なんだけど、
ほんとに3人とかのVCだったから、
何でもかんでも全部やんなきゃいけなくて、
最初のほうのVCは、店舗ファンドもやってて、
お店を証券化するっていう感じで、
金融畑が私のキャリア的には、
仕事と努めでは、私のキャリアだったって感じかな。
なるほど。
そんなにVCにいたっていうのは、変な言い方だけど。
でもね、期間としては、たぶん3年行ってないくらいだと思う。
へー、なるほどな。
ちょっと邪魔が入ってきちゃったね。
小さなゲストが。
そっから自分で私は、投資する側って、
結局アドバイスとかばっかりで、
自分でやったことないっていう、やってみたことないのに、
アドバイスするみたいな、すごく違和感があって、
かつ、私は投資家より、企業家のほうが、
数として出てきにくいっていうところに問題を感じてて、
それで自分で独立することにしたんだけど、
ちょっとずっとしゃべる、そんな感じですかね。
1:30:03
聞こえないね。音聞こえない。
音聞こえないよ。
ちょっとね、このまましゃべるのが難しいかもしれないね。
お花のビジネスの話、聞きたかったですね。
そっからどうつながってくるのかが、すごいですね。
あー、そうだよね。
というわけで、ちょっとあれかな、ゲストがいらっしゃるので、
ちょっと私が聞きたい、りえさんのお花のビジネスをやっていた時代の話と、
なんでVCと証券会社というバックグラウンドからそっちに行ったのかっていう話は、
次回の冒頭で、私が聞きたいので、聞こうと思います。
すいません、ちょっとね、今日いろいろ予定が押しちゃったから、
ちょっと準備があったので、私がすごいベラベラしゃべっちゃいましたけど、
いやー、でもね、おもしろかった。すごいね、おもしろい。
はい、こんな人たちがやっているポッドキャストですよということで、
今後もね、お付き合いいただければ嬉しいですね。
そうですね、すいません、ちょっと収まりきれなかったので、次回ということで、
じゃあ今日のザ・ポットラックはこの辺で。
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1個思い出したんですけど、マシュマロでのご質問をいただいてたのに、
ちょっと今回話ができなかったので、
こちらもまた次回、お話しできればと思います。
はい。
じゃあ、ちょっと番外編の後編を、次回ということで。
そうですね。
はい。
次回は、ちょっと冒頭にその話をして、後半は通常営業かな?分かんないけど。
うん。ちょっとまあ、様子を見て。
はい。
では、ザ・ポットラックのりえと、
なぎさがお届けしました。
次回もお楽しみに。
お楽しみに。
01:33:00

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