1. YAMATAROFARMの福利厚生
  2. 167 いざさんゲスト回パート1
2024-10-25 37:10

167 いざさんゲスト回パート1

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00:01
YAMATAROFARMの福利厚生、本日は、ゲストをお迎えしてのエピソードになります。
今日、一緒にお話をしていただくのは、いざさんです。よろしくお願いします。
こんばんは、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
いざさんは、実はリモートでね、ズームで撮ってるんですけど、
比較的近くにいらっしゃる。
そうですね。
今日は特に。
早いにいけよ、っていう話なんですけど。
本当ですね。
いや、もうちょっと動けたら。
いえいえ。
ちょっと明日もある。
そして、そんなすげえ近くでもないんですよね。
そうですね、ちょっとだけね。
同じ圏内ですけど。
そんな中でちょっとお話を伺っていきたいんですけど。
今回、どんなお話をっていうとですね。
いざさんも、すごい久しぶりに、ご自身の番組を更新された、きっかけになった手法ですね。
そうですね。
それをもちろん自分も聞かせていただいて。
ただ、ごめんなさい。
そこで出た番組のリファレンスはちょっとしてないんですけど。
イメージ的には自分も、こういうことかなっていうのも出ましたし。
あとはまあ、恐怖って言ったらあれですけど。
自分も今、なかなかうまくいっていない中で、いろんな人に助けてもらっている中で。
モチベーション的には、いざさんってどんな人なんだろうっていう。
シンプルにそういうことを、自分がいろんな人にお伝えしたいなっていうところ。
それから、いざさんが言葉にできていない部分を一緒に言葉にするみたいなことに携われたらなと思ってお呼びをさせていただきました。
ありがとうございます。
いろいろやりたいこととかあって、それでもなかなかうまくいってないこともあって。
そのギャップを埋めていかないと、これからの行動というかね、生き方というか、その辺がうまく定まってこないんで。
一人で悶々と考えているとグルグルしてしまうところに、たつやさんがお声掛けいただけたんで。
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ちょっと甘えさせていただきます。
ではめちゃくちゃとっつきやすいところから、いざさんこと井河悟さんですけど。
いざさんってやっぱり井河悟から来てるんですか?
そうです。単純に。本当、名前つけるのとかすごい苦手で。
あんまりやってこなかったですけど、ロールプレイングゲームとかって、キャラクター、主人公の名前とかつけるやつあるじゃないですか。
ありますね。
ああいうのすごい苦手で。全然アイディアが出てこなくて。
もう本当に安易な仕方で、頭文字から取ってみたいな。
でもそうするとイーサーになるんですよね。
そうですよね。
だけどなんか呼びにくいなと思って、ただ濁点をつけたっていう。
そういう安易な考えで。
もともとのいざさんっていうことでお名前を名乗るようになったのは、ポッドキャスト界隈に入られてからなんですか?もともとその前からなんですか?
いや、もう本当にポッドキャストというか、ひぐち塾に一時期入って、今は抜けてますけど、一時期入れさせていただいてたときがあって。
そのときに、一本あげたらひぐち塾に入る資格があるみたいなときがあって。
それはもうちょっと遡ると、ひぐちさんを休ませる権利っていう議事館のイベントがあったときに、何も知らないけどひぐちさんはラジオを聴いてて知ってたんで、
有名な人だし、すごい人数が。
あのときは5万円だったから、それをもうさんが買い取って、みんなで分けようみたいな話になったときに、ひぐちさんっていう名前は知ってたから、ちょっとそれも本当に安易な。
たぶん100人とかいっぱい来るんだろうなーみたいな感じで、そしたら1人500円とか200円でっていうぐらいになると思ったから、
ただただもうさんのXに、あのときはツイッターかな?の投稿に反応しただけで、ひぐち塾の存在も知らないし、当時は議事館も聞いてなかったんですよね。
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そこで、もうさんとのやりとりからひぐち塾の存在を知って、1本だけ挙げて入れさせましたっていう経緯です。
当時は全コミュニティの中にひぐち塾があったときですかね。
いや、もうそこは出てたんじゃないかな。
ひぐち塾に入った当時は、古典コミュニティすら入ってなかったので、ひぐち塾に入ってから紹介してもらって、三期生で古典コミュニティは入ってるんで。
逆ですね。
なるほどなるほど。
じゃあ、もうさんがひぐち塾を休ませる権利のツイートをされて、
そこまではだから本当に、ゆーたら古典ラジオリスナーだけみたいな、その界隈との付き合いとすると。
界隈はそうですね、新型を聞き始めたぐらいだったかなっていう感じですかね。
なるほどですね。
古典ラジオ、今自分2周年をやってるんですけど、好きなエピソードとかあります?
いやーぶっちゃけその歴史そんなに、歴史だけじゃなくて勉強自体が得意じゃないので、あまり記憶に残らないというか、なんですけど。
でも、聞き直しても、初っ端のイメージがすごく印象に残ってるんで、吉田松陰の会話、かなり好きですね。
えっと、一発目ってことですかね。
一発目、はい。やっぱ一院列伝って。
一番最初の。
なるほどですね。
逆にじゃあ、なんで古典ラジオを聞こうと思ったんですか。
古典ラジオは、それもそもそもだいぶ遡っちゃうんですけど、
サラリーマン、その当時は物流関係の仕事をしてて、
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コロナの前ぐらいだったのかな、確か。コロナにはまだなってない頃に、なんかこう、もう本当に安易すぎるんですけど、
プログラミングとか、要するにリモートワークができる仕事っていうか、
肉体労働ではなくて、ちょっとそういうのが流行ったというか、
そういう情報がいろいろ自分が検索の中で出てきたときに、
いろいろそういうYouTubeだとか、そういうプログラミング関係のオンラインサロンじゃないけど、
ちょっとそういうグループに入ってたりとかもしたんですけど、
その中で、一番初め音声配信、
昔のラジオFMとかAM以外の音声配信を一番初めに聞いたのはボイシーなんですね。
ボイシーは、けんこんにしのさんとか、
当時、わーままはるさんとか、さわまどがさんとか、
どちらかというと啓発系みたいなところを聞いてて。
確かね、わーままはるさんだったと思うんだけど、紹介されてたんですよ。
FMラジオ面白いみたいな。
なんかそんな記憶があるんですけど、そこから聞き始めた感じですかね。
なるほどですね。
そこでPodcastっていうかSpotifyをダウンロードして聞き始めたみたいな。
そこからいろんなPodcastにハマっていったみたいな感じですね。
お仕事の話がちょっと出てきたんですけども、
過去、飲食店をやられたっていう話も集合に出てましたし、
今は物流番組みたいな話もされていましたし、
結構いろいろとご経験されてきたんですか。
そうですね。
もともと大学まで行かせてもらってから大学で飲食店に入って、
これはあちこちで言ってますけど、僕はバツイチなんですけども、
飲食店のときに知り合った子と結婚をしてるんですよ、一回。
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そのときにその子にお子さんがいたんで、
飲食店だと転勤もあるし、お店ができたらあちこち全国に行っていうことにもなったし、
地元が同じだったんで、地元に戻ろう。
そのとき、当時東京にいたんですけど、
辞めて地元に戻ろうっていうことになって、
2人で戻って、そこの、
大抵でも県内で働けるところを探してみたいな。
その仕事を選ぶ基準がそこにあったんで、
家から近いとかというしょうもない理由で決めてたから、
なかなかうまく仕事の成果も出ないし、モチベーションも上がらないし、
みたいな感じで、例えば車のリーラーに勤めたりとか、
住宅営業みたいなところに行ったりとか。
でも営業はどうしても自分の特性的に苦手だなっていうのが何となく分かって、
とはいえ、手先が器用なわけでもないし。
ということで、フォークリフトの免許を取ろうって思って。
免許というか資格ですね。
フォークリフトって工場とか物流倉庫とか、
いろんなところで潰しが利くというか。
そういう仕入れがあって出荷があってみたいなところは、
だいたいフォークリフトが使えるんで、どこでも行けるなみたいなところがあって。
あとは営業と違って土日が休みなところが多いじゃないですか。
なので子どもの行事とかいろんなところとの時間も合うし、
休みと時間が合うなーと思って、そっち系行ったって感じですね。
物流関係に行ったっていう。
その中でも点々としますけどね。
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それは部署の中で移動というか、点々とした感じですか?
いや、もう転職ですね。彼氏は自体を変わってて。
フォークリフトというか、厳密に言うとショベルローダーっていう資格があるんですけど、
フォークリフトよりちょっとでかい重機の。
それを扱ってるところに初め入ったんだけど、
一時期ちょっと本当にそのタイミングだけなんですけど、
目が若干外での作業だったんで、
光が強いところだと眩しすぎるみたいな症状が出たときがあって。
今は全然そんなことないんですけど、
そのときに一回事務的なところ、製造業とかでも事務的なところに行けるところを探して、
そこで一回転職して。
行ったら行ったで、下請けの会社だったんで、メーカーだったんで、
親会社からの要望がすごいんですよね。
大無理なんだとか言われて。
そのときは管理っていう部署にいたんで、
親会社と工場との糸挟みみたいな感じで、
そこを若干拠点だった感じで。
やっぱり現場っていうかね、フォークリフト乗ってた方が気楽だしみたいなところで。
でまたそこも別の会社に移ってみたいな。
飽き性っていったら、それで片付けるのはよくないんですけど。
でもその頃には、もう本当に離婚しちゃってたから。
どうしても土日休みなんて言う必要もないし。
理由は聞いたんですけど、
それでも今更ファービス事業行ってもなーみたいなところもあったし。
当時山登りをしてたんで、定期的にちゃんと休みが取れたりとか。
毎日もたまにこの台球とか、土曜日出た代わりに。
たとえば日月で休みが取れたら一泊で行けるとかね。
そういう仕事のストレスを登山で発散してたみたいなところもあったんで。
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それはそれでいいかなみたいな。
一人気楽だしみたいな感じで。
そのときは何も考えずに、ただただ遊びのために働いてたみたいなところもありますね。
それでもいろんな役職だったり、
役職もそうですとも、職種というか分野も全然違うことをいろいろと経験されてくる中で、
どうして今のカメラに落ち着いたんですか。
そうですね。
もともと一眼レフカメラ。
僕はフィルム時代を知らないというか、ほぼほぼ触ったことがなくて。
デジタル一眼レフが出てきたころに、
自分のカメラもコンデジですね、小さいカメラ。
昔の携帯とかガラケーとかにカメラが付き始めた頃とか、
コンデジが出始めた頃も持ってはいたんですけど、
一眼レフを初めて買ったのが、結婚してたとき。
やっぱり子供の運動会とか、そういう行事のときにあったらいいなみたいな感じで。
初めはそんな感じの理由で買ったんですよね。
でも結果的にそんなに長いこと付き合わずに別れちゃったから、
そういう機会も減ってしまって。
それでも、なんかカメラ好きだっていうか、写真撮ること自体が好きだったのか。
離すのも、離婚しちゃったからカメラもいらないかってなることもなくて、
その風景を撮ったりとかしていこうかなって思って。
だからカメラを買って、子供撮ってたけどいなくなって、
自分の好きなものを探すイメージで撮り始めて。
そのときに身の回りにあるものを撮ってるだけじゃなくて、
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普段、日常生活では見られないものを撮りたいなって思ったときに、
運会であったりとかご来航だったりとかっていうのを、
写真雑誌とか見てるとやっぱり色々素敵な写真が出てくるんで、
なんか山いいなっていう感じで、そっから登山を始めたっていう感じですね。
写真があって登山があってみたいな流れですね。
それがあって、写真自体が好きだっていうことがあったんだけど、
途中で物流環境のちょっと大きめの倉庫に働いてたときに、
めちゃくちゃ長時間だし、時間も不規則だったし、
休みもほぼほぼ日曜日しか撮れなくて、
当時テントを担いで山登ってたんで、
1日だけ休みもらってもそれができないっていう感じになっちゃって。
でもそうなったときに、そのときに一番病んでたんですけど、
カメラ持ってても逆に撮りに行く暇もないし、
それで逆にストレスになっちゃって、カメラ手放してた時期があるんですよ。
ちょうどその頃、カメラ手放して、
ひたすら長時間の仕事をするしかない、みたいな状態に追い込まれたときに、
もさんの、えぐさん休ませる権利のタイミングがその頃だったんですね。
そこに乗っかって、もさんとかしゅうさんとかって知り合って、
変な人いっぱいいるな、みたいなね。
今まで付き合ってた人たちとは違う人たちがいるなっていうのをそこで知って、
それが1回目のえぐさん休ませる権利が8月ぐらいだったと思うんですけど、
20年?
21年?
21年か。
21年の8月だったと思うんですけど、
僕その頃に樋口塾界隈の人たちと知り合って、いろいろ話をしてる中で、
なんか今の状況が異常だなっていうふうに思って、
年末で僕は辞めたんですよ、仕事。
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そこから、その時は当然カメラ持ってない状態で、
21年、22年は全部、すべてをリセットしようと思って、
山月だからって長野の徹畑の近くに引っ越しまでして、
仕事辞め、12月15日付が最終出勤で、
12月30日まで有休だったんですけど、
その期間のうちに引っ越しをして、僕飯金パレットに行ったんですよ。
行ったら誰かおるかなと思って、単純に。
行ったときは、最近はちょっと更新されてないですけど、
富士ラジオってやられてる富士さんっていう方とお会いして、
富士さんと飯金パレットで飲んでたときに、富士さんが小屋さんを呼んでくれて、
仕事終わったら来てもらえませんかみたいな感じで呼んでくれて、
小屋さんとお話ししてる中で、当時ですね、
LACっていう宿泊のサブスクサービスがあって、
飯金パレットも加盟してましたと。
定額であちこちテンテンとしながら、泊まりながらいけますよっていうのがあったんですね。
それを小屋さんに聞いて、
年明けから長野に住むことにしてるんですみたいな話をしたら、
長野から山梨に入ったところぐらい、
そのとき借りた部屋から40分ぐらいで行けるところにLACの拠点があったんで、
一回行ってきたらみたいな感じで小屋さんに勧められたんですよ。
そこに行ったら別の拠点の人がいて、
また別の拠点に行ってっていうふうにどんどん地図つなぎにあちこちの拠点回りながら行ってたら、
中にはカメラマンの人もいたりとか、
デザイナーの人がいたりとか、プログラミングやってアドレスホッパーでやってる人とか、
いろんな変な人がいるわけですよ。
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普通だったら普通っていうか、一般的に言うと自宅があって、
会社勤めをして、通勤して会社に勤めてまた帰ってきて、
っていう生活とはまた全然違う世界があるなっていうのを知って、
その中にカメラマンの人もいたし、
やっぱり何かこれから自分でやっていこうって思ったときに、
やっぱり好きなものでないともちろん続かないと思ったから、
そこでやるようなカメラ好きだったから、また買い直してみようと思ったんですよ、そこで。
で、あちこち回ってる間に出会ったカメラマンとかに、
何買ったらいいですかみたいな話を聞いたりとかして、
一回長野に帰ったときに買って、そこから、
そのときは若干まだふわっとしてて、ここでやっていこうみたいなのがあったわけじゃないんですけど、
でもカメラを持って動くことで、何か変わるかなっていうふわっとした期待を自分の中に持ってたっていう感じですかね。
今の一連の話の中でも本当に色々とお伺いしたことが出てきちゃってるので、
まだだいぶしばらくは色々お話を伺う感じになる気がするんですけど、
ちょっと気になったところとして、
伊沢さんの途中途中ちょっと病んでたって話もありましたけど、苦手だったところって何なのかなと思って。
苦手。
例えば、ペンと持って山登りに行くのができなかったなんていう話もありましたし、
長時間とか、あとは接触ごと、交渉ごとでストレスを感じたとかっていうのもありましたし、
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自分から今、そこまですごい長いお付き合いをさせていただいてるわけじゃない中で、
少なくとも伊沢さんってコミュニケーションにどっちかっていうと長けてる方のイメージが強いんですよ。
そうなんですね。
それで言うと、多分コミュニケーションが取れなかったから、やめていった。
転職振り返したみたいなところがあると思ってるんですよ、自分の中では。
というのは、飲食チェーン店って、僕らも20年以上前だったけど、その頃って本当大会系だったんですよ。
焼肉チェーン店にいたんで、初めは夜営業だけだったんですよね。
でもランチ営業もしないと売上伸びないみたいなところがあって、ランチ営業しだすと、
夜中12時、1時に閉店してそこから片付けをして、3時とか4時に帰っていって、
ランチ営業ってなったら、9時とか10時から仕込みをしないといけないわけですよ。
でももちろん交代できる人数はいるんですけど、当時店長やってたから、なかなか休みも取れないし、時間長いし。
僕は一回ぶっ倒られるんですよ、飲食チェーン店のときに。
働きすぎて。長時間労働で。
ランチとディナーの間にちょっと休憩してくるって言って、
店長ってちょっとした事務所みたいなところでもらえてたんで、そこで意識なくなってたんですよ。
夏時期に3、4ヶ月休みなしでぶっ倒してやってて。
でもそのときは本当に人に恵まれてたっていうか、
同期が近くに店長でいたりとか、
自分が採用したバイトの子たちがすごく一生懸命やってくれたりとかしてて、
長時間やってても、
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なんかしんどいなとか、体力的にはたぶんしんどかったから倒れたんですけど、
精神的にとか、そういうところはなくて、
とりあえず楽しいからやってるみたいな、別に長い時間やっても全然つらくないし、
そういう意味ですごい人に恵まれてたところはあると思ってて。
ただ物流関係とか製造業とかのフォークリフトの仕事になったときに、
やっぱり作業量が半端じゃないんですよね。
ああいうところのリフトの仕事とかって。
しかもほぼほぼ一人で動いてることが多いっていうイメージなんとなく分かってもらえるかなと思うんですけど、
フォークリフトが例えば、
何だろう、喋りながら並走してみたいなことはほぼほぼないわけですよ。
自分の持ち場があって、そこを荷物を運んで、
棚に入れてとか出してきてみたいなことなんで、
チームで動く、大きなエリアで言うとチームで動くんですけど、
やってる作業はほぼほぼ一人なんで。
結構会話も少ないし、
一番最後病んで仕事を辞めたときは、
挨拶すらしてくれないぐらいの環境だったんですよね。
知らんうちに先輩や上司らは帰っちゃってるみたいなときがあって、
ここまでやっとけよみたいなのが、
同じ残らされてるもう一人から知らされて、
まだめっちゃあるじゃんみたいな感じで、
やっと終わらせて帰っていくみたいなこともあったりとか。
だからそういう意味で、
コミュニケーションが来れる会社とか、
そういう集団の中ではすごく自分もなじめたというか、
それが仕事的にしんどいというか長時間だったとしても、
労働条件として一般的に条件があまり良くない、
ブラックって呼ばれてもおかしくないような環境であっても、
そこにいる人たちに恵まれてたら、
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頑張れたっていうか、頑張ってる感じもなかったんですけどね。
延長でみんなが頑張ってくれるのが楽しくてしょうがなかったみたいなところがあったんですけど、
その差があるかなって思いますね。
環境かなっていう。
また時間が迫ってきてしまったので一回聞きますけども、
またそのお話を踏まえていろいろとお伺いしていきたいなと思っておりますので。
すみません、話がまとまらず。
いやいや、引き続きまたよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
とりあえずパート1は以上ということで、
引き続きお話伺っていきますので、またよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということでお聞きいただきましてありがとうございました。
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