韓国SFの新しい波
はい、tantotの時々読書日記、第27回です。
今日はですね、キム・チョヨプさんの『わたしたちが光の速さで進めないなら』こちらの本についてお話ししたいと思います。
こちらはですね、いわゆる韓国SFの短編集で、綾川文庫から出ているものです。
2024年の10月15日に出ているものです。つい最近文庫化されたものって感じになります。
キム・チョヨプさんすごい若くて、93年生まれているということなので、非常に若い韓国の作家で
最近も本当に韓国文学がブームというか、すごいよく読まれてますし、
ハンガンさんがノベル賞を取ったりというところで、かなり本屋に行ってもいっぱい並んでるんですけど、
なかなかまだ入門しきれてはいなくて、いろいろ読んではいるんですけど、
ちょっと前だったら50peopleとかチョンセランさんとかも読んだりしてるんですけど、
結構いっぱい出ていて、逆にちょっとどこから読んでいいのか、なかなか悩むなみたいな感じだったりはします。
韓国のさらにSFもすごく最近勢いがあるというような話で、
その中の一つの代表的な作家がこのキムチョヨプさんでしたね。
こちらは短編集なので、非常に読みやすいというか、1、2、3、4、5、6、7つの短めのSFなんですけど、
全体として読んだ感覚として、いわゆるSFと言っても、
遠い未来のものすごい科学技術が進んだ世界を描くっていう感じではなく、
すごく身近な感覚、ちょっとした未来というか、今の現代の私たちの感覚というか、
今の世の中とか、今の人たちの感情とか、そういうのを描くために、あえてちょっと未来の道具立てをすることで、
よりビビッドに、今生きている私たちの思いとか感情とか、課題とか、そういうのを描き出しているというのが、
そういうタイプの小説だなというふうに思います。
解説が見てても、韓国SFは女性作家が多いっていう話もされていて、
だからこそマイノリティだったりとか、そういった人たちへの、特に社会的に難しい状況にいる人たちのことを描く、
そういった人たちへの共感を持って描くみたいなのが、結構特徴的だというような話もされていました。
物悲しさを描く短編
実際そうだなというふうに感じて、なので結構読み終わって、すごく、
どの作品もグッと心に、ちょっとした物悲しさが残るような、そんな独語感のお話が多いなというふうに思います。
そうですね、結構最近のSFの流れとして、やっぱりいわゆる、すごい大きなストーリーというか、
大きな物語みたいな、こういう未来で人類も進化して宇宙に出て、
そういう妙年期の終わりみたいな宇宙人との、人類との大きな接点みたいな、
そういう話は割と少なくなっていて、割とSFと言いながらも結構、
良くも悪くもひきんな話、少し小さな話で、その道具立てとして未来というものを使うという話が結構増えていて、
それで言うと日本の作家で代表的なのがイスカリユーバさんみたいなね、ちょっとくすっと笑えるようなSF短編、結構いろいろ書いてますけど、
そういう人たちと共通するところはありつつ、結構イスカリユーバさんとかは面白さというか、
ちょっとは皮肉とか面白さみたいな方向に突き詰めているのに対して、
このキムチョイオプさんの本は、物悲しさというか、ちょっと悲しさ、寂しさみたいな、
そういう感情を描く方にグッと触れているというか、そんな感じを感じました。
いくつかあるんですけど、ちょっと1個だけ短編紹介すると、
私たちが光の速さで進めないならという、兄弟作になっている、やっぱり兄弟作だけってこれはすごくいい話だなというふうに思ったんですけど、
ちょっとどんな話かというと、ある老人が、女性なんですけど、おばあちゃんが、
古びた宇宙ステーション、ほぼ廃棄寸前にあるような宇宙ステーションで、来るあてもない宇宙船を待っている。
それはスレンフォニア惑星系という遠いところにある、に行くための船を待っていると。
その老人はなんでこんな古びたところで待っているのか。
その辺が、それを見つけた、語り手はちょっと若い男で、そこで働いている駅員じゃないですけど、
そういう人で、その人が待っている女性に話しかけられて、その会話の中で進んでいく。
女性がなんでそんな老人がそのところに待っているのか。来るあてもない宇宙船を待っているのか。
というのが話していく中で徐々に明らかになっていく。
宇宙旅行のことであるこの世界は、結構もうだいぶ進んだ世界で、
宇宙に行く、さまざまな惑星系、地球が遠く離れたところに行くためのワープ広報みたいなのが開発されていて、
青函航海技術はものすごい進んでいて、人類は本当に果てしない世界、宇宙のいろんなところに広がって点在しているというような時代。
その時代でスレンフォニア惑星系には、どうやらその女性の家族がいるらしいと。
その家族のいるところに女性は行こうとしているという。
そんなような話なんですけど、結構読んでいるうちに、2点、3点と驚きの展開があるみたいな。
中で女性の抱える悲しみみたいなものがぐっと迫ってくるという話です。
別れの意味を考察する
ちょっとそのタイトルにもなっている部分の女性のセリフを読みますと、
別れというのは昔はこんな意味じゃなかった。
少なくともかつては同じ空の下にいたからね。
同じ惑星で同じ大気を分かち合っていた。
だけど今では同じ惑星はおろか、同じ宇宙ですらない。
私の事情を知る者たちは数十年もの間私を訪ねてきては、慰めの言葉をかけてくれたよ。
それでもあなたたちは同じ宇宙に存在しているのだと。
それはせめてもの救いではないかとね。
でも私たちが光の速さで進めないなら、同じ宇宙にいるということに一体何の意味があるだろう。
私たちがいくら宇宙を開拓して人類の田園を押し広げていったとしても、
そこにいつもこうして取り残される人々が新たに生まれるのだとしたら、
私たちは宇宙に存在する孤独の僧侶をどんどん増やしていくだけなんじゃないか。
ちょっと今の文脈がわからないので、どういう話なのかわからないかもしれませんが、
これを読むと今のこの人の言葉がすごくグッとね。
人が別れるとは何なのか。別れた人がそれでも一生同じ世界、同じ世界を共有できているとその感覚とは何なのか。
そんなことを考えさせられるようなお話でした。
そんな形で優しさ、悲しさ、そんなところを感じられるようなすごくいい短編集だったなと思います。
いわゆるSFみたいな、いわゆるSFっぽさみたいなものとは結構違う独語感なので、
SFそんなに好きじゃないよっていう人でも逆にこういうの面白いのかなというふうには感じました。
もう少し韓国SF読んでみたいなというふうに思っております。
こんな感じかな。
この本は手に取っていただくとわかるんですけど、表紙のイラストも割と可愛らしくて、
そういうところも結構いい本だなというふうに思ったりします。
想定も綺麗ですね。
そんな感じで、今日はキムチョーヤプさんの私たちが光の林で進めないの、早川文についてお話ししました。
ありがとうございました。