AIと教育の関係
10月3日、木曜日の声日記です。
今は、昨日届きましたiPhone 16 Plusに、ZOOMのH1essentialというレコーダーをUSBでつなぎまして、
このレコーダーを外付けマイクとして使って、LISTENのブラウザ録音で録音をしています。
昨日は内蔵マイクを使ってブラウザ録音をしたのですが、多少音質に違いが出るかどうか試してみたいと思います。
今日は一日家で仕事をしていたのですが、午前中は国立情報学研究所のシンポジウムを聞いていました。
いつもだと金曜日の午前あたりにやることが多くて、私は授業なのでなかなかリアルタイムで聞くことはできないのですが、
今回は木曜日ということで聞くことができました。
いろいろなテーマが取り上げられるのですが、たまたま今回は全てAI関係の発表でした。
その中でも私が特に感銘を受けたものが、最初に発表された京都大学の柳瀬陽介さんの発表です。
タイトルは結構難しい感じなんですが、こんな感じになっています。
「AIの言語生成と人間の言語使用の違いを重視するAI活用」。
副題が「大学英語ライティング授業の教育学的考察」というものですが、
この発表のポイントは、これからの英語教育というものは、AIでは生成できないような内容を人間として書いていく、そういう教育でなければいけないということです。
人間にしか書けないものというのは何かと言いますと、単なる一般的な、誰でもが考えつくような、そして書けるような、そういうものではなくて、自分にしか書けないような、そういう文章を書いていくということだと。
その際、英語で書く場合は、言語的な難しさがありますけれども、それはAIに助けてもらう。
けれども内容に関しては、AIが書けないような、そういう文を書くように指導する。
それがこれからの英語教育なのだという、そういう主張だと思います。
この考え方というのは、別に英語教育に限ったことではなくて、全ての分野について当てはまることだと思います。
少なくとも、言語で何か表現することが求められるような、そういう分野については当てはまるのではないでしょうか。
例えば私が教えている歴史というものを考えてみても、学生に何らかの歴史に関するような文章を書いてもらうことが多いのですけれども、
そういったものも、それらしいものはいくらでもAIで生成できるわけでして、そのようなものを学生に書いてもらってもあまり意味がないわけですね。
もちろんちゃんと自分で考えて書こうという意思がある学生であれば問題ないのですけれども、
ともかく課題を出しておけばいい、そして単位をもらえればいいという学生ならば、
AIで適当に生成したものを提出する、それで済ませてしまうということもあるだろうと思います。
そんなことを学校でやっていても意味がないわけでして、
AIには生成できないようなそういうものを書く機会を持ってもらうというのが、
これからの学校での授業で必要なことじゃないかと思うんですけれども、
そういう意味でこの柳瀬さんが言っていることというのは、英語教育に限らず全ての分野について言えることではないかなというふうに感じました。
ということで、今日の声日記、これで終わりにします。