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2024-07-07 44:05

#1 ラ米文学研究者に訊く『百年の孤独』

2 Comments

「深夜喫茶/ホール 多聞」からお届けする多聞ラジオ。第一回は、ラテンアメリカ文学研究者で多聞従業員、ふじけんさんに『百年の孤独』についてアレコレうかがいました。

7月14日には多聞にて、ふじけんさん主宰のイベント「『百年の孤独』をめぐる音楽と文学」が開催されます!

サマリー

多聞ラジオでは、多聞で働くフジケンさんのラテンアメリカ文学の研究と、京都で行われる『百年の孤独』についてのイベントが話し合われます。 「百年の孤独」はラテンアメリカ文学の中で特別な位置づけがあり、作品が世界的なベストセラーになったことで注目を浴びています。この作品は、孤独というテーマを通じて悲しみや哀愁を描きながら、豊かな物語や個性豊かな登場人物たちを通じて読者を引き込むものです。 『百年の孤独』についての研究者のトークイベントが開催されます。イベントでは、作品の特徴や文学と音楽の関連性について幅広い話題が展開される予定であり、メキシコ音楽の生演奏も楽しめます。

フジケンさんの研究と京都イベントについて
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多聞のラジオ
ふじけん
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多聞のラジオ
どうもこんばんは。
京都にある多聞という深夜喫茶を舞台にお届けする多聞ラジオ。
今日は多聞で働く2人でお送りしたいと思います。 こんばんは、ゴーです。
こんばんは、フジケンです。 よろしくお願いします。
ということで藤堅さんに来ていただきましたけれども、 藤堅さんが
ふじけん
とても面白い経歴を持っているということで、ちょっと自己紹介をお願いしてもよろしいですか。
藤堅と言います。
普段は多聞でも従業員として働くさせていただいているんですが、
その傍らというか、 ラティアメリカ文学の研究をしています。
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研究の傍ら、多聞で働く傍ら研究をしています。
ありがとうございます。傍らで働いていただいて。 本職は研究の方だと思うんですけど、もう何年ぐらい?
ふじけん
もう大学の博士課程に4年くらいいるので、
研究、修士課程とかから数えたら
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7、8年くらいですかね。
藤堅さんは東京大学の博士課程で、
ふじけん
ラティアメリカ文学の研究室となるんですか? そうですね、東大には2つ
ラティアメリカ文学を研究するところがあって、 1個は中南米科っていう
駒場と本郷って東大キャンパスが2つ、大きく分けて、 他にもいくつかあるけど、
メインどころは駒場と本郷で、 駒場の方に中南米科というところがあって、
そこは地域研究をやるところなので、 中南米に関する政治経済とか文化人類学とかの中で
文学も研究できるところがあるんですけど、 僕はそこではなくて、
本郷の文学部の中にある現代文芸論というところで所属していて、
そこだとこれまでの文学研究の、 例えばフランス文学、ドイツ文学、中国文学とか、
昔からある枠組みには収まらない文学を研究する人が キュッと集められているところで、
だからラテアメリカとか、東文学とか、 現代の国文化ではできなさそうな日本の新しめの作家とか、
村上春樹とか、あと翻訳研究、翻訳論みたいなやつとか、 比較文学、世界文学みたいな、
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いろんな人たちがいるところで、 僕はラテアメリカ文学を研究していると。
やっぱり専門の話になると、 淀みないですね、話が。
ラテアメリカ文学を研究されている方って、 日本にはどれくらい?
ふじけん
日本には、何人くらいかは分からないですけど、 それなりに数はいるけれども、
やっぱり英文学とかフランス文学とかに比べると、 すごい少なくて、
多分イメージ的には、 アメリカ文学の中のフォークナー研究している人っていうのが、
大体ラテアメリカ文学の研究者くらいという感じ。
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フォークナー1人に対して大陸1個みたいな、 面白い例えが。
ふじけん
あれだと、作家、誰々の専門っていうだけでも、 たくさん人がいるとか。
だけど僕らはまだラテアメリカ文学研究、 それなりに数がいないから、
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ラテアメリカ文学を研究しているとなると、 いろんな作家について喋ることを求められることもあったりするというか。
藤堅さんの主な研究対象の人っていらっしゃると思うんですけど、 例えばそれを研究している人っていうのもやっぱり限られてくる?
ふじけん
すごい限られていて、 僕が研究している作家はまだ多い方かな、分かんないけど、
カルロス・フェンテスっていうメキシコの1928年生まれの作家を メインに研究しているんですけど、
その人について研究しているのは、 僕と同い年くらいの中だと僕だけなんですけど、
もう少し上の世代に2人、3人くらい、 一応彼を専門にしている人がいたりして、
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それが結構多い方というか。
それで多いということですよね。
ふじけん
じゃあ結構こう、責任重大じゃないけど、
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みんなで引き継いで、背負っていっている部分もあるということで。
ふじけん
結構基本的に一人一作家みたいな、 それぞれが自分の画像で頑張るみたいな感じの規模感。
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もうこの人は私に任せているという、 だからまあ本当に第一人者だなといつも思っているんですけど。
東京大学の博士課程にいらっしゃるんですけど、 京都に住まれてますよね。
ふじけん
そうなんです。
GO!
2年くらい?
2年くらい、そうですね。 この間の4月で2年だから、もう2年を超えていらっしゃってますね。
それはなんでですか?
それはなんか僕のパートナーが2年前に京都で就職をして、 それについて京都に引っ越してきたということです。
研究もこっちで?
ふじけん
研究もこっちで、もう授業とかもあんまりないし、 自分家で本を読んでやるだけなんで。
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本当にそれでよかったのかと。5年後、10年後に。
ゼミとかは別にないんですか?
ゼミとかはそんなになくて、 オンラインで参加できるのもやっぱりコロナ以降増えたりしたから。
京都に来たご縁で、うちでもちょっと手伝っていただいているということですよね。
今日藤堅さんに来ていただいたのが、 またとても素敵な企画を考えてくださっていて、
ちょっとそれのお知らせも兼ねて、 いろいろお話を伺っていこうかなと思っているんですけども、
ちょっとイベントについて教えてください。
ふじけん
このTAMONで、7月14日から日曜日に 100年の孤独をめぐる音楽と文学というイベントをさせていただきます。
これはオープンが2時半で、トークと文学に関するトーク。
しかも、最近文庫化されて大変話題になっている ガルシア・マルケスの100年の孤独という素晴らしい小説がありますけれども、
それについて文庫化を祝う意味も込めて、
その作品をめぐるトークを、同じアメリカ文学の研究者である 京都産業大学の三浦福美さんをお招きして、
僕が聞き手を務めるトークをやった後に、
作品の世界と関わりの深い音楽を演奏するグループ、ロスアミーゴス・アヌシアドスというグループをお招きして、
文学に関するトークと音楽の演奏という2本柱で構成されるイベントになります。
トークとか演奏の合間とかその後には、
僕が選曲したラテンアメリカの名曲をBGMとして流させていただいて、
それでタモンの美味しいコーヒーやイベント限定のラテンアメリカ・メキシコっぽい軽食やドリンクなんかも一緒に楽しんでいただこうというイベントになっております。
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100年の孤独を巡る音楽と文化、ほんもり沢山のイベントを楽しみにしています。
100年の孤独の文庫化について
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またちょっと後でイベントについても色々聞いていきたいんですけども、
せっかく来ていただいたんで、100年の孤独、今文庫がだいぶ売り切れ俗出みたいなことでちょっとした社会現象に、
こんなことでも例は入ってなかったですよね。
ふじけん
あんま聞いたことないですね。
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古典が、古典というか名作がこんなに売れるみたいな、改めてというのは。
それは文庫化されたんですよね。
どこから文庫化?
ふじけん
文庫化は周囲しちゃってない、間違えた、申し訳ないです。
新潮文庫から。
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新潮文庫から、またなんか想定もちょっとかっこいい感じで、またなんか新しいイメージを喚起するようなアレですけど。
ちょっとこの文庫化について色々、せっかく専門家いるんで聞いてみようかなと思って。
そもそもなんでこれまで長い間文庫化されなかったっていうのが気になるポイントなんですけど。
ふじけん
文庫化の理由は、たぶんこうだろうなって感じなんですけど、
元々ガルシア・マルケスの100年の孤独というか、ガルシア・マルケスの全作品が新潮社でハードカバーで出てて、
100年の孤独もそこに含まれていて、それはずっと変える状態にはあったんですけど、
たぶんそれがそれなりに売れ続けてたので、改めて安い文庫版を出してもそんなに買わないだろうっていう予想を出版社がしてて、
だから単行本がこれちょっとずつ売れ続けてればいいかなみたいな感じのアレだったと思うんですけど、
でもその予想を超えてというか、それを考えていたのに文庫化に踏み切って、
それが思った以上に売れまくっているというか、すごい良い話だと思います。
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なんでその文庫化をここ2024年に踏み切ったの?
なんでなんですかね、なんかはわからないですけど。
特に話題というか、なってないんですか?
ふじけん
そう、なくて。
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学会とかでも?
ふじけん
学会とかでもやっぱり事前にされるらしいみたいな話は全然聞かなかったです。
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急に?
ふじけん
急に、普通に発表されたタイミングで即話題にはなったけど、事前にあれなのもわからなかったし、
GO!
あと文庫化になるってなった時も、もともとの鶴見忠さんの役そのままなのか新役なのかもあんまりわからなかったです。
そういう目測が飛び交って。
なるほど。
結果的には、もともとの本役、本役は何年くらい前なのか?
ふじけん
本役は、百年の孤独が最初に役されたのは、確か1972年で、
その後一回同じ鶴見さんの役だけど、いろいろ直した新役バージョンが出ていて、
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長らく流通していたのは、鶴見さんが役し直した方のバージョンで、文庫化もそれと同じものが出ているみたい。
なるほど。やっぱりさすがに詳しいですね。
鶴見さんというのはすごい人なんですか?
ふじけん
すごい人ですね。僕はお会いしたことがないんですけど、
とにかく多分日本語がすごい流れ、流れな日本語です。
結構百年の孤独もそれなりに拡張高い日本語に役されていて、
だから原文はもう少し大衆的なんじゃないかみたいな話もあるけれども、
やっぱりその鶴見さんの役文のイメージもあって、
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百年の孤独が日本でこれだけ読まれているみたいなところ。
鶴見さんはマルケス以外もいろいろ役されているんですか?
ふじけん
そうですね。もういろいろ役していて、
ボルフェスの電気衆の役も鶴見さんでした。
あと同じラティアメリカ文学を日本でお好きな方の中で、
百年の孤独に並ぶ人気作品というか有名作になっているのが、
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補瀬戸之さんの夜の乱れの鳥という作品があるんですけど、
ふじけん
それも結構長らく絶版だったのが、数年前に推薦者から再版されて、
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それも結構売れたという話が聞きます。
夜の乱れの鳥、それも小説?
ふじけん
それも小説で、それも鶴見さんが役されている。
GO!
じゃあヒットメーカーじゃないですけど、
ふじけん
そうですね。
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紹介者というか。
で、牽引されていた方という。
ふじけん
なんか弟さんが漫才師らしいですもん。
これ最近ネットで見てそうだったんだと思ったんですけど、
弟かお兄さんかどっちか、
兄弟が伝説の漫才師的な人らしくて、
だからこの鶴見正役の日本語のリズムというのは、
そういうところにルーツがあるのかもしれない。
GO!
その伝説のというのは本当に、いわゆる浅草とか、
ビートたけしより前みたいな、
たぶんそうですね。
そのあたりの漫才師の、
そんな情報も。
で、この文庫は役は鶴見さんで、
特に単行本から、根本的には変わってないと思うんですけど、
ふじけん
そのいくつか特徴があれば教えてほしいんですけど。
どうですかね。
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せっかく文庫で読む意義というか。
解説もついてるんですよね。
ふじけん
あ、そう、これ解説もついていて、
最初の役につけた役所跡書と、
その後の新役した時の役所跡書というのが載っていて、
筒井康隆の解説と文庫版の特徴
ふじけん
あと文庫版には筒井康隆の解説というのもついて。
で、筒井康隆という人は、
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ラテアメリカ文学が日本で結構役され始めたのが1980年代くらいから。
で、その時にラテアメリカ文学を結構面白い面白いと言ってたのが筒井康隆。
ふじけん
で、この解説はちょっと性格じゃないところもいくつかある。
作品の解説としてはちょっとそういうところもあるけれども、
彼がどういうふうに作品を読んだのかみたいな、
当時どういうふうに受け止められたのかっていうのを知る上では結構面白い解説が文庫版にはついてますね。
GO!
すごいなんか大雑把なイメージだけど、
筒井康隆のある意味貪欲さみたいな作家としてはちょっとラテンっぽいのかなと思ったり、
単純に純文学を追求するというよりは、
結構大衆性もあるし、めっちゃ面白くて、
貪欲というか勢力的なイメージはありますよね。
ふじけん
確かに。
なかなか大衆的になるのを恐れないっていうところと、
あと大衆性と前衛性の両立というか、
その両軸がどっちもあってどっちかだけじゃないみたいな感じっていうのは確かにラテアメリカの作家と似た感じかもしれないですね。
GO!
その解説もちょっと文庫で読むかもしれない。
ふじけん
文庫でしか読めない。
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うん、一つということですね。
「百年の孤独」とラテンアメリカ文学の位置づけ
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あとちょっといくつか気になることがあるんですけど、個人的に。
藤池さん、マルケス研究者ではない、ずっとマルケスを研究している人ではないと思うんですけど、
ラテンアメリカ文学という大枠で見たときに、この100年の孤独という作品がどういう位置づけなのかなというのがこの歴史の中で、
それはちょっと聞いてみたいところで、
結構日本人というか、我々にとっては100年の孤独がとても有名だし、面白いし、浮き立って広く知られている作品だと思うんですけども、
元研究者の人にとってはいろんな裾野の中で100年の孤独があるという中で、その関係性みたいなのをちょっと聞いてみたいなと思うんですね。
そうですね。ちょうど僕が研究しているカルロス・フェンテスという作家は、ガルシア・マルケスとだいたい同年代の作家で、実際に過ごした親しい友人でもあった人。
マルケスはコロンビアの人ですよね。
ふじけん
そう、コロンビアの人ですね。
そのフェンテスはメキシコの作家なんですけど、
ガルシア・マルケスは結構人生のほとんどというか、かなり長い時間をメキシコで過ごしていて、
だからそのメキシコの作家たちともすごい付き合いがあったし、中でもカルロス・フェンテスなんかとはすごい親しくしていたということなんですけど、
だからラティアメリカ文学の中で100年の孤独がどういう作品かというと、一番つまらない感じで言っちゃうと、
初めて世界的なベストセラーになったラティアメリカの中の作品ということになって、
だからやっぱり100年の孤独以前と以後みたいな感じで、海外からは特にアメリカとか欧米からは、
次の100年の孤独みたいな作品がないのかみたいな感じでそれが求められるように。
GO!
結構分数入れというか。
ふじけん
そうですね。
GO!
それはすぐベストセラーだったんですか?出てから。
ふじけん
まずラティアメリカで出版されて、それもメキシコだけじゃなくて、
メキシコとアルゼンチン、初版はアルゼンチンの出版社から出ていて、
そのアルゼンチンの版がメキシコとか世界的に流通して、それが出てすぐベストセラーに。
GO!
瞬く間に。
瞬く間に。
ふじけん
それがメキシコの。
アルゼンチンの出版された。
そうです。
アルゼンチンの出版された。
そうです。
そうです。
その中で、
GO!
お前のぼかしは、
何かメキシコでの出版をしていたんですか?
といいますか、
アルゼンチンの出版をはじめた時のメキシコに関しては、
確かに日本だと割と難解な小説とか
ふじけん
そういう結構挫折したっていう人も
多く聞くんだけれども
一方でスペイン語圏の人にとっては
もちろん文学性とかっていうところを見たら
確かに高度なあれを使ってるんだけど
割と親しみやすいっていうか
田舎の
ガルシアン・マルケスは
この作品は自分で作ったんだけど
ガルシアン・マルケスはこの作品は
自分のおばあさんの語り口っていうのを使えば
この内容を書けるっていうふうに気がついて
そしたらスルスル書けたみたいなことを
嘘か本当か分からないけれども
言っているので
だからそういう語り口の親しみやすさみたいな
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文言より口語ね
口語に近いような
ふじけん
急に話が変わるとか
その話そんな詳しくいるみたいな感じか
田舎のおばあちゃんが
しゃべっているような感じだと言われれば
確かにそうかも
GO!
世界的に大ベストセラーになった
初めてのラテンアメリカ文学ということで
100年の孤独が
世に広がったわけなんですけども
それ以前の
ラテンアメリカ文学というのは
ふじけん
どのような世界の中で受け止められていたんですか
それ以前からも
ちょくちょく海外英語とかフランス語になって
多少話題になる作品がいくつか出ていて
例えばフリオコルタサルの
石蹴り遊びっていう作品が
63年か64年くらいに出ていて
同じくらいに
フリオコルタサルの都会と犬どもっていう作品とか
あと僕も研究している
ロスフェンテスのアルテミオクルスの死っていう作品とか
が発表されていて
それがある程度
欧米でも翻訳出版すぐにされて
注目を集めるようになっていたっていうのがあって
だからそういう中で
割と世界的な流通網とか
下地ができていた中で出てきたのが
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百年の孤独
ふじけん
私は百年の孤独が出る前から
ガルシア・マルケスっていうすごい作家がいるとか
あいつはいつかやる男だよみたいな
あと百年の孤独の原稿を読んだんだけど
あれはすごい小説だとか
っていう前評判みたいなのがすごい高まっていた
だから文芸史とかもすごい
いろいろ国を越えて
ラテンアメリカの作家がやるようなものが出てきたりして
そういう中で今度すごい小説が出る
っていう話をみんながして
それをみんなが知る
「百年の孤独」のタイトルと作品の内容
ふじけん
っていう下地ができていたから
出た瞬間にめちゃめちゃ売れたっていうことがあるみたいな
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なんか偶然かもしれないけど
仕掛けとしてはすごいよくできた
それで出る前からちょっと注目されていた
百年の孤独
何でしたっけその
例えばパリの文化人コミュニティであるとか
そういったところで取り上げられたりとか
そういうのもあるんですか下地っていう部分では
ふじけん
下地ではどうなんだろう
例えば風光
フランスの現代思想の風光が
古藤バトモの有名な本がありますけど
その序文でボルヘスを引用していたりとか
そもそもアルゼンチンに
ロゼカイオワっていう人が
アルゼンチンに長く住んで
亡命していたのかな
それでアルゼンチン文学をたくさんフランスに紹介した
ということはあるんですけど
結構フランスの知識人みたいな人は
ボルヘスばっかり引用して
他の作家にはあまり関心がないというか
あまり言及することはなかったんですけど
逆にパリに
ラティアメリカの作家たちは結構たくさん住んでいて
そこでのラティアメリカ作家のパリでの
コミュニティみたいなのが結構
大きいものが当時あった
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流れを作っていった文が
そういう時代の動きの中で
百年の孤独っていうのが
一個大きな
象徴的な
だけど本当はそれだけじゃない
後にも後ろにもいろいろある
これはちょっとなかなか
ただ読んでるだけじゃわからない
見知りなんですけど
あとちょっと気になるのが
もう一個あって
タイトル
百年の孤独って
とても有名で
歯切れのいい
一度聞いたら忘れないようなタイトルなんですけど
これもなんか不思議だなと思っているのが
孤独というタイトルにしては
この小説っていうのはとても
色彩豊かでバラエティー飛んでて
本当に田舎のおばあちゃんが読んでも面白いような
口頭向けだし
どんどん引き込まれるような
次どうなるのっていう
楽しい小説でもある
その一方で孤独っていうのも
わからない部分があって
というのは
めちゃくちゃ何人も
途上人物が出てきて
家計図とかもすごい数
なりますけど
全員がどうしようもない悲しみを
抱えているというか
なぜかこうしか生きられない
別のやり方では
なぜかその道は歩めない人生
そういう愚かさとか
悲しみみたいなものを抱えて
死んでいったりするような
そういう
いろんな物語がある気がしていて
このどうしようもない悲しみとか
人生っていうものは
なんとなくその人のものでしかないというか
他人が共感したり肩代わりすることが
難しいような
そういうどうしようもなさ
悲しみの果てみたいなもの
哀愁みたいなものが
この小説の底かしこに漂っている
感じがあって
そういう意味では確かに孤独なのかな
この物語のテーマは
っていうような
個人の
なんとなかの感想なんですけど
タイトルについて藤堅さんが
思ったりもあるいは
めちゃくちゃ研究の論文も書かれてると思うんですけど
どういう風に受け止めてるのかなっていうのは
聞いてみたくて
ふじけん
なんかやっぱり孤独って結構
意外とラッタイアメリカの
中で割とキーワードになることがあって
メキシコの
作品の注目と世界的なベストセラー化
ふじけん
ノーベル賞も取ったオクタビオパスっていう
詩人がいますけど
メキシコ人のアイデンティティみたいなのを論じた
エッセイというか評論
本があるんですけど
その本も孤独の迷宮
っていうタイトルになって
孤独っていうのがやっぱりメキシコ人にとって
重要な概念なんだみたいな
ことは言っているんですけど
100年の孤独の孤独っていうことで言うと
大阪大学の
松本賢治さんっていう
ボラーニョとかと最近新しい
ラッタイアメリカ文学を訳されている
研究者の方がいるんですけど
その人が
名前忘れちゃいましたけどある本の中で
論集があって
世界文学の現在みたいなやつかな
そういう本の中に100年の孤独論を書いて
終わられるんですけど
そこで100年の孤独の中には
過剰な人か
欠損している人しか出てこない
多すぎるか少なすぎるかで
ちょうどいい人がいない
何人かしか出てこないっていうことを言ってて
過剰な人とか少なすぎる人とかで
それを埋めてくれる人もいないみたいな
っていう意味で
孤独っていうのはそういう意味で
ずっとの人物もそれを抱えている
GO!
過剰な人にとっては
過剰な部分をぶつけたり
受け止めてくれる存在っていうのは
いるわけもないし
欠損している人にとっては
欠損している人っていうのも
いるはずはないよねっていう感じですかね
ふじけん
そういう孤独
そういう意味で変な人ばかり出てくるから
臭いスキューとかな
面白い話がどんどん続いていくんだけど
本本にはすごい哀愁があったりとか
一方で
こんな人は自分の人生で知らないんだけど
なんかいた気がするみたいな感じの
親戚の話を聞いているみたいな
GO!
近くてでもちょっと遠い
それを聞いていると
目の前にいる藤堅さんも
ふじけん
その類の人なのかなって
GO!
分からないけど
過剰というよりは欠損でしょうか
ふじけん
自分でどう思われますか
確かに社会の
ここに自分がはまれるみたいな
感覚はあんまりないかもしれない
ここに行けばみたいな
その場その場でゆっくりなじんでいく
みたいな感覚
GO!
そういう気持ちは分かるかもしれないという
二人でお送りしてますが
ふじけん
そういう人が
過ごしやすい場所を保る
GO!
そういう場所を
一つでも増やして
ふじけん
抵抗勢力として
GO!
やっていこうという感じで
ちょっといろいろ面白いことを
教えてくださいました
改めてイベントについても
もう少しだけ教えていただこうと思うんですけど
音楽と文学という話ですけど
文学にまつわるトークということで
ふじけん
新平福美先生がいらっしゃる
新平さんは僕の研究室のもともとは先輩
同じ研究室の方で
今は京都産業大学で
教鞭をとっておられるわけなんですが
彼女は
いろいろ研究されているんですけど
第1位はファン・ルルフォという
メキシコの作家の専門家で
もう一つの風景
ファン・ルルフォの創作と技法という
博士論文をもとにした
ファン・ルルフォの作家論を書いていて
とても面白い本ですね
ルルフォ
最初に
ラテンアメリカ研究者は
一人一作家を担当して頑張っている
研究者のトークイベント
ふじけん
という話をしたと思うんですけど
だから新平さんはファン・ルルフォを
一つ担当されて素晴らしい本を書いて
GO!
これは任せてという
ふじけん
大変エネルギッシュな方
ですが
GO!
これトーク聞きた当日
藤池さんが
どういうトーク展開される予定なんですか
ふじけん
トークとしては
ファン・ルルフォはガルシアマルケスとか
僕が専門にしているカンロス・フェンティスより
大体10個くらい
一世代くらい上の作家になるんですけど
メキシコ文学ラテンアメリカ文学の中で
これまでの文学とは違う
新しい作品が出てきた
というところの
一番最初
先駆け的な存在になっていて
だからガルシアマルケスも
メキシコに来た時に
ファン・ルルフォを読めという風に無事に進められて
読んでものすごい影響を受けたという風に
GO!
そういう系譜があるんじゃないですか
ふじけん
ニヒラさんの
ファン・ルルフォに関する研究書の中では
ルルフォというのは
時代の地層を描いた作家なんだという
同じある場所の中に蓄積している
重なっている歴史みたいなのを
描いた作家なんだという風に言っていて
それってガルシアマルケスとも
すごい似ているところがある
でも結構違うところもあるという
そのあたりのこととか
お互いの100年の孤独の印象とか
原文で読んだ時と
訳で読んだ時と
お互いの専門も絡みつつ
文学と音楽の関連性を楽しむ
ふじけん
ザックバラに幅広い話を展開できる
GO!
ザックバラに
ふじけん
専門的な話も
これから読んでみようとか
読んだけど脱出しちゃったという人も
楽しめるし 作品が大好きで
何回も見返してますという人にも
GO!
楽しんでいただける
なかなかニッチな
コアな回でももちろん
気軽に参加もできるという
音楽もいろいろあるということで
ふじけん
音楽もあって
ロスアミーゴスアムニシアドスという
GO!
謎のバンドが出演するんですけど
ふじけん
僕もメンバーなんですが
このグループは今回のイベントのために
結成された特別グループで
元々は僕は東京の方で
ベネジェラ音楽とかメキシコの音楽を演奏する
活動をしていて
メキシコのカリブ海の音楽
ソンハローチョというのがあるんですけど
それを演奏するロスラギートス
GO!
というグループを
ふじけん
やっていて
それのメンバーを中心に
ソンハローチョ以外も演奏する
ラティアメリカ音楽のグループということで
別のバンド名を付けて
GO!
ここでやらせてもらうという感じです
ふじけん
バンド名は何か意味があるんですか?
ロスアミーゴスアムニシアドス
ロスは英語でいう
the
アミーゴスは友達という意味
アムニシアドスは予告された
という意味なので
ガルシアマルケスの予告された
殺人の記録というのがあって
その予告されたというところから
撮っていたのと
今回演奏するのが
ロスラギートスという前々からやっている
グループの中で京都に引っ越してきた
僕と同じくもう一人いるんですけど
そこで知り合いになってて
今京都に越してきているメキシコ人
音楽を通じて知り合ったメキシコ人がいて
彼とかと
京都でやれたらいいねという話をしていて
今回実現するので
予告されていたお友達たちということで
そういうタイトルにしています
タイトルじゃないや、バンド名を付けました
GO!
予告通り素敵な演奏を
ふじけん
演奏するのが
もともと演奏したことになる
メキシコのカリブ海沿いの
カリブ海沿い
あとベネジェラ音楽も
もともとやっていたんですけど
ベネジェラとコロンビアは隣の国同士
GO!
音楽的にも同じものがあったり結構似ていたり
ふじけん
山も
鉱山系ではなくて
平原の
ベネジェラもコロンビアも
カリブ海沿い
なので
海っぽいカリブっぽい音楽があって
コロンビアは
ガレシャマルケの出身地でもあって
あとキューバ音楽も
ちょこっと演奏する予定なんですけど
その音楽って全部カリブ海で繋がってる
海沿いの音楽で
文化的にもいろいろなんだけど
なんか似てるみたいな
ガレシャマルケスもすごい縁の深い
国の音楽を演奏する予定になっております
GO!
なかなか聞く機会がないから
ふじけん
貴重な会ですよね
GO!
なかなか生で多分
メキシコ音楽場
コロンビアベネジェラの音楽を聞かないと
面白そうです
美味しいおつまみとかお酒も
あるんでしょう
ふじけん
そうですね
おつまみはメキシコのワカモレ
チップスとか
トルティーヤチップスっていう
どんタコスの味がついてないやつ
トルティーヤチップスで分かるか分かんないですけど
それに本場風ディップをつけたやつとか
本場風の
ナチョスみたいなやつとか
GO!
ワカモレの
ふじけん
アボカドのやつですね
メキシコで国民的スパイス
タヒンというスパイスがあるんですけど
ちょっと発音が
タヒン
喉を鳴らす
タヒンというやつ
を使ったピーナッツ
メキシカンピーナッツみたいなやつ
をご用意していて
そうした食べ物に合う
メスカルもあるんでしたっけ
メキシコのテキーラみたいな
お酒
とかそれを使ったカクテル
なんかもご用意して
GO!
お待ちしています
もう一度タイトルと日時を教えてください
ふじけん
100年の孤独をめぐる
音楽と文学
日時が7月14日の日曜日になります
場所は深夜喫茶ホール多門
オープンが14時半
トークが15時から75分
演奏が16時半から
40分くらいですね
GO!
その間も
普通に飲んだり食べたりしても
ふじけん
料金が2000円で
ワンドリンク付きという
GO!
お得な価格設定になっています
予約とかもできるんですよね
ふじけん
予約はメールでよければ
hyakunen.event.0714.gmail.com
あるいは
インスタグラムとか
ツイッターXの
多門のアカウントに
DMをしてくれても
店頭でも受け付けています
あと僕らのどちらかと知り合いの人は
直接連絡をいただいても
GO!
予約を
ふじけん
あらゆる手段があるんですね
緑緑な予約方法も
GO!
ぜひ予約して
予約なくても
フラット来てもいいし
ふじけん
またメキシコ行かれるんですよね
予定では来年の1月から
GO!
メキシコに2年間留学する予定です
それまで短い間ですけども
多門でいろいろ面白いことを
やってくださいということで
楽しみにしています
多門ラジオは
ふじけん
今日は私が
お送りいたしました
おやすみなさい
44:05

コメント

すごい!多聞ラジオが始まってる!! そして、いきなりこの濃さ!😆 イベントの音声も配信とか、どうですか?😊

GO!

ありがとうございます!! イベントの配信もトライしてみたいです

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