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2025-02-01 11:24

♯40「訴訟をして勝ち取るものとは」

弁護士 鈴木康晃 さんのお話〜 被害者の代理人として、加害者側の保険会社と交渉する中で、過失割合や損害賠償の金額について話し合いを進めていきますが、交渉がうまくいかないときは、依頼者の判断で裁判に進むこともある鈴木さん。訴訟をして勝ち取るものとは?

サマリー

今回のエピソードで、鈴木弁護士は交通事故によるトラブルの解決方法を解説します。裁判に進むことで得られる賠償金が、必ずしも問題の本質的解決には繋がらないことを考察し、相手に寄り添うことの重要性についても触れています。

鈴木弁護士の日常
さあ始まりました、タダの箱庭ラジヲ。本屋では買えず増札もされない、読み手から読み手へとギフトされる1万冊の箱庭本についてお話ししていきたいと思います。
ということで今回のテーマは、「訴訟をして勝ち取るものとは?」というテーマでお届けします。
今回の主人公は、町の弁護士として日々人々の困り事を解決している弁護士の鈴木さんです。
鈴木さんはテレビドラマに出てくるような派手な法廷での攻防を繰り広げるタイプの弁護士ではありません。
交通事故など身近なトラブルに寄り添い、人々の生活を支えることを専門としている弁護士さんです。
そんな鈴木さんの活動を通して、裁判で勝つこと、本当に解決することの違いについて一緒に考えてみたいと思います。
鈴木さんが最も得意とする分野は、交通事故の案件だそうです。
赤信号で止まっていたところを追突されたり、交差点で接触事故を起こされたりといったケースが多いそうです。
事故を起こしてしまった加害者ではなく、被害者の側に立ってサポートするのが彼のお仕事。
特に、保険の弁護士費用特約を利用して相談に来る方が多いそうです。
この特約を使うと、保険会社が弁護士費用を負担してくれるため、相談しやすくなるんですね。
では、実際にどのようなサポートをしているのでしょうか。
鈴木さんはこう説明してくれました。
被害者の代理人として、加害者側の保険会社と交渉します。
過失割合や損害賠償の金額について話し合いを進めていきますが、交渉がうまくいかないときは依頼者の判断で裁判に進むこともあります。
ただし、裁判になるケースは少ないそうです。
ほとんどの案件は次男で解決します、と鈴木さんは言います。
日本人はやっぱり裁判にまで持ち込むのを嫌う方が多いですね。
しかし、それでも裁判になる場合があるそうです。
その多くは、過失割合への納得感の欠如や、謝罪がないことによる感情のよじれが原因だと言います。
例えば、被害者の方が自分は全く悪くないと考えているのに、相手側が3割の過失はあなたにある、みたいな主張をしてくるケース。
また、せめて謝罪してほしいと感じているのに、加害者が一切顔も出さず、保険会社だけが対応してくるような場合です。
鈴木さんはこう語ります。
保険会社が加害者に何も言うなと指導しているかもしれませんが、それが被害者にとっては非常に冷たく感じるんです。
事故を起こしておいて何も言わないのかと、被害者の感情が高ぶってしまうんですね。
ここで少し考えてみましょう。
もし、自分が交通事故の被害に遭ったとして、加害者が何も言わず謝罪の言葉もないとしたら、あなたはどう感じるでしょうか。
被害を受けたことそのものよりも、相手の態度に腹が立ってしまうかもしれませんよね。
鈴木さんによると、裁判にまで進むケースは、被害者がそのような感情を抱えたまま、次男で折り合いがつかなかった場合に限られることが多いそうです。
そして実際に裁判になると、どのような流れになるのでしょうか。
鈴木さんによれば、裁判には短くても半年から1年、長い場合にはなんと2年から3年もかかることもあるそうです。
その間に法廷が開かれるのは、5回から6回程度。
裁判のプロセスは、まず訴状という書類を作成して、裁判所に提出するところから始まります。
そしてそれを受けて、裁判所が初回の審理の日程を決定しますが、それにも1ヶ月程度かかるため、1回1回の間隔が長くなりがちです。
さらに裁判には費用もかかります。
弁護士費用や手数料を含めると、案件によっては数百万円が必要になるなんてこともあるそうです。
問題解決の本質
では裁判に進むことで本当に問題は解決するのでしょうか。
鈴木さんが話してくれた事案には、その答えが隠されています。
ある日、鈴木さんの元に相談に訪れたのは、隣の土地に建てられた建物のせいで、自宅が日陰になってしまったという方でした。
この方はまず内容証明を送るところから始めましたが、相手がそれを無視、民間調停を試みましたが、調停の場にも出てこなかったため、最終的に訴訟に進むことになりました。
訴訟では依頼者の方が証訴し、数百万円の賠償金を得ることができました。
しかし日陰になった家の状況は変わらないままです。
隣の建物が存在する限り、下手したら今後数十年、死ぬまでその影響を受け続けることになります、と鈴木さんは語ります。
この話、皆さんはどう感じますでしょうか。
賠償金を得ることで経済的な保証は受けられますが、実際に求めていた日陰にならない状態は手に入りません。
こうしたケースではお金で解決することに割り切れない思いが残るかもしれません。
鈴木さんのエピソードは裁判の勝利や金銭的保証が必ずしも問題の本質的な解決には繋がらないということを教えてくれます。
それでも人々が裁判を選ぶのは自分の尊厳や正当性を示したいという思いがあるからでしょう。
皆さんもこのエピソードを通じて問題解決の方法について考えてみませんか。
本当に相手に寄り添うとはどういうことなのか、どのように向き合うべきなのか、鈴木さんのエピソードを胸にぜひ考えてみてください。
ということなんですが、皆さんいかがでしたでしょうか。
問題解決の手段としてお金を手に入れるというケースは訴訟以外にもたくさんあります。
例えば、奥さんとの記念日を忘れてしまいご機嫌ななめな奥さんの気を取ろうとしてご飯を煮つれて行ったりとかね、プレゼントを用意したり、
もしくは言うことを聞かない、ダダをこねる子供にお小遣いをあげて言うことを無理やり聞かせたり、
なんてね、実はこの世界はあらゆる問題解決をお金でしているのかもしれません。
皆さんそんな経験ないですか。
僕も余裕がないときはですね、よくダダをこねる子供にお菓子とか物やお小遣いで言うことを聞かすみたいなことをあんまりして、
それが日常化すると、あえて子供たちがこねるみたいな、なんとかしてお小遣いを手に入れるみたいな、そんなコミュニケーションに発展してしまうなんてこともあるでしょうし、
そうやってお金で解決するみたいなことをしていると、本当に相手がなんで泣き止まないのかとか、そこにどんな思いがあったりしたのかみたいな、
そこに寄り添うことがしないっていうことで、結局その子供も自分の感情にちゃんと向き合うことができなくなったりとかしてしまう気がしますね。
なので、なるべくこう、なんでもお金で解決するみたいなことはあまりない方がいいのかもしれないですね。
じゃあ逆にお金で解決しないなら一体どうやって解決するんですかね。
みなさんだったらどうしますか。
はい、ご機嫌斜めの奥さんと、機嫌を取るのにプレゼントやお金で解決するのではなく、話を聞いてあげたりとか、
僕はマッサージをしてあげたりとかしますけど、
そうですね、うちはよく問題解決の手段だったり、フラストレーションっていうか不満が溜まって爆発して喧嘩みたいになる前にマッサージでほぐすってことをよくしますね。
なので相手がちょっとイラッとしている態度を取ってきたりとか、コミュニケーションが荒かったりするっていう時はですね、お互い今日よりマッサージしよっかみたいな、
そんな一言がですね、意外とやっぱり関係性を良くしてくれている秘訣なのかもしれないです。
はい、というわけで今日は訴訟をして勝ち取るものとはというテーマでお話しさせていただきました。
次回も皆さんに響くお話をお届けしたいと思います。
それではまたお会いしましょう。ありがとうございました。
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