1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #134(s17-4)【精進料理の伝来..
2022-11-01 1:11:04

#134(s17-4)【精進料理の伝来と発達】精進料理の伝来と日本の精神とその影響(たべものラジオ)

中国での発生から伝来、そして日本の中での精進料理のもともとの扱いと、その文化背景を見ていきます。

訂正:本地垂迹の読み方は正しくは「ほんぢすいじゃく」でした。


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00:07
たべものラジオ
かちゃ料理むとう、むとうたくろーです。
むとうたろーです。
はい。
随分渋い入りしたね。今回のタイトルコール。
いや、どうしようかなと思ってて。
ああ、なるほど。
ちょっと悩んでんだよ、これ。
いずれ、あれやってみる?2人でせーのっていうのやってみる?
いや、だめだな。
うちらのキャラじゃねえだろうな。
びっくりしちゃったよ。
ロゴマーク作ってくれてる西村さんかもね。
いや、これなんか再考察せねばみたいなのがツイッターで書いてあって。
なるほど。
どのこと言ってるんだろうと思って。
ちょっと気にしちゃってる。
曲が変わったから。
そうそうそうそう。
なるほどね。
そんなことなのかなと思って。
そういえば、返信してないんだけど。
いやいや、さっき今ふと思い出した。
俺それだいぶ前に見てスルーしたなと思って。そういえば。
もうツイッター沈んでた時期だから。
そうね。最近ちょっと僕もツイッターご無沙汰してたんで。
完全にロム化してましたしね。
忙しかったですからなんか。
ちょっとね、バタつきましたね。
バタバタあったね。
あれだけコロナが始まってすぐの時はあんなにも暇になったのに。
なんなら営業するなって言われてたんだろうね。
そうなんだよね。
で、ほらさっきディスコードの方でもね。
グレさんがコロナ始まった時に層を作りましたと。
写真あげてくれてましたけど。
作ったの覚えてるかな。
食べたんだっけ。
なんか食べた記憶がうっすらあるかもぐらい。
確かに言われてみてさっき写真見て。
なんか俺見たことあんだと思って。
あれフライパンとかできれば平たい方が早いんだけど。
あそこに牛乳ダバーっとあげて。
ひたすら焦げないように混ぜるだけっていう。
やってたね確かにね。
弱火で。
ごま豆腐より時間かかんじゃねえかぐらいずっとやったからね。
確かにずっとやってたね。
しかも2回やったから。
なんでまとめて大きい鍋でやらなかったんだろうっていうね。
層を作るっていう感覚なかったけどね。
この層も前回の話で出てきた肉食禁忌の概念の中で消えてっちゃうんだよね。
そうなんだ。
層の話で層層とか言ってて。
バクってきちゃうね。
肉食じゃないからいいじゃんって思うんだけど、
延長線上にあるから一緒にやめてっちゃうんだよね。
なんでかなあと思うけど。
層はだって殺してないじゃん。
殺してないんだよ。
けど一緒に消えていくの。
へえそうなんだ。
平安時代はこの層のことを醍醐とか言ってね。
牛乳製品のこと醍醐って呼んでたんで。
平安時代は牛乳製品のことを醍醐って呼んでたんで。
だから醍醐味って。
なんかの醍醐味があっていいねみたいな話するじゃん。
醍醐味っていうのはこの牛乳の味のこと言ってるんですよ。
03:01
へえそうなの?
特に層なんかはもう完全に醍醐味そのものですよ。
でこれが一回平安時代末期ぐらいに消えてなくなるのね。
で次に牛乳が登場するのは八大将軍吉宗くらいの時代かな。
八大将軍吉宗くらいの時代かな。
そのくらいになると千葉県だったかな。
峰岡っていうところに牧場があって。
で将軍が体調崩したときかなんかに牛乳を飲ませると体力がつくからっていうので。
でその峰岡っていう地域の地名から取って峰岡なんちゃらっていうのが料理名として出てくるんですよね。
あるね峰岡っていう料理ね。
だから僕らなんかだとごま豆腐を牛乳でやるときなんかは峰岡なんちゃらっていうのが出てくるんですよ。
だから僕らなんかだとごま豆腐を牛乳でやるときなんかは峰岡豆腐っていう言い方するしね。
そこら辺まで一回こう潜って消えてくる。
そうなの?
で結局入らずに江戸時代もまた潜ってっちゃって次に牛乳が登場するのは明治。
飛ぶね。
で明治時代にその牛乳バーってやって会社を起こしたから明治っていう牛乳会社ができた。
あれ明治にできたから明治なの?
非常にわかりやすいですよね。
わかりやすそういうもんですよ。
そんなことあったんだ。
このミルクを使った料理が消えてなくなるきっかけになったっていうのが今回の話の舞台平安末期から鎌倉時代の話ですね。
平安末期から鎌倉時代。
ここは地続きでいきますから原平合戦とかねあの辺ね。
そうなんだ原平合戦ってその頃か。
原平合戦ってその頃か。
原平合戦終わって頼朝が勝ったから幕ができるんだから。
その前ってことは平安時代末期ってことだよ。
やっと繋がってきた。
久しぶりにジャックシャップに出てきたね。
最近ちょっと表出しはなかったからね。
最近ちょっと詳しくなってきたしね。
そうなんだよね。何がわからなかったかわからなくなってきたから最近。
チラッと話をするとあ知ってるやったやったみたいな話するもんね。
つい言いがちね最近ね。
気をつけましょう。
僕が知らんぷりしよう。
いやだめだ話進まないでしょ。
じゃあ本編いきますか。
はいでは前回からの続きです。今回は精進料理。
精進料理。
力強く言ってみた。
いつもとちょっと違ったね。
たまには変えてみようかな。
何の根拠もないけど。
前のテンションに戻ってきたね。
最近ほら自分で寿司のシリーズ聞いたから。
すごい進歩だね。
話したテンションとか小ネタを忘れてるから自分じゃないものと思って聞けるんだよ今。
もう2,3週回ってね。
06:00
直近のやつはまだ聞けない。
できれば聞いてほしいけどね。
ちゃんとチェックしますよ。
じゃあまず精進料理のイメージどんな感じですか。
精進料理のイメージ。
精進料理といえば。
脂っこくない野菜が中心の質素な料理。
そんな感じか。
確かに脂っこくないかだけどあれなんだよね。
脂を使った料理の元祖って精進料理だったりするんだよな。
そうなの?
今日その話なんだけど。
揚げ物はこっから登場してくるのよ。
揚げ物って精進料理かな?
日本の文化の中ではね。
イメージないけど。
パニックなるよね。
ちゃんと整理するから大丈夫。
じゃあ期待して聞いて。
じゃあまず精進料理の元祖。
発生するところだよね。
この話から行きましょう。
時代は400年代です。
400年代。
中国。
日本じゃないんですよ。
中国の南北朝時代。
南北朝時代ね。
義とか正義とか。
あの辺が出てきてまた潰れて五国十六国時代になってぐちゃぐちゃして。
北と南に分かれてごちゃごちゃしてっていう時代。
だいぶ前ですね。
なのでこの時代に精進料理の原型が出てくるんだよね。
原型がね。
中国の古い農書の一つに清明養術っていう本があるんですね。
清明養術。
多分何度か他のシリーズでも登場してると思うんだけど。
そこに精進料理のレシピっていうのが載ってるんですよ。
そうなんだ。
結構載ってる。
結構載ってる。
清明養術が532年から549年に余れたっていうことになってるので500年代前半ね。
これなんで原型って言ってるかっていうと
いくつか現在の精進料理には見られない特徴があるからなんですよ。
見られない特徴。
まずバターとラードが含まれてる。
そうなの?
殺してねえからいいだろって話。
殺してないもんね。
不摂紹介守ってるよねっていうのと
ラードなんかは接触しちゃってるんだけどね。
してるね。
もうだいぶ前にあったけど
大乗仏教の中に出てくる戒律の中の不摂紹介のところで
食べちゃダメなんだけど基本的には。
でも見てなければいいっていう概念がね。
見てなければいい。
知らないこと見てないこと。
自分のために接触したかとかいうことを見てもないし知らないっていう状態ならば許されるよねっていうのが
もともとインドの原始仏教の中にはあったんですよね。
あったねその話ね。
これが中国になってそれを曲解していいじゃんってなったから
09:03
大乗仏教の中ではそれもちゃんとはっきりとルールするダメにしようぜって言って
厳しくなったのが日本に入ってくる。
南北朝期っていうのはまだそれが緩やかなのね。
中国に仏教が伝来しきってまだそんなに時が経ってない時代なんで。
まだちょっと緩いんですよ。
っていうのもあってまだバターとかラードが使われてるし
あとなくてはならない。
精進料理といえばこれがなきゃダメだっていう豆腐もないし
当たり前なんだけど登場してこないし
あと粉食。
前回ちょっと話した粉食だよね。
粉食のことね。
粉物がまだない。
これがだから原型って言われてる。
そういうことなんだ。
これに粉物が出てくるきっかけになるのはその次の時代に移ってから
通称隋唐帝国って言われてる隋と唐という国が出てきますよね。
隋が581年から。
唐が618年から。
隋めっちゃ短いんだよ。
そうなんだ。
あっという間なんだよ。
2代か3代くらいで終わっちゃうから。
割とあったな。
この隋も唐もそもそもが北方民族の人たちが打ち立てた国家なわけ。
モンゴルみたいな。
後族とか言われてる人たちの中から出てきた一軍が隋という国を立てる。
中国を統一する。
名前を中国府にして。
股間融合を起こしていく。
この話もあったね。
隋が滅びて唐になると、唐って長いですから。
めちゃくちゃ安定した国になるわけですよ。
文化がドーンってなって経済もすげえ発展して。
国際大都市みたいになるわけ。
キリスト教の教会もあるし仏教の神もあるしみたいな。
そういうわーっとした状態になって。
いろんな文化がぐしゃーっと混ざっていく。
これね前回の話にちょっと戻っちゃうんだけど。
北の方に麦文化があった。
南の方に米文化がある。
郊外よりも北ってのは非常に寒くて乾燥してますよね。
米育たんのですよ。
だから麦なのね。
遊牧してる人たちなんで羊とか牛の文化じゃないですか。
完全なる麦文化なんで粉食文化なんですよ。
この人たちが長江と甲賀の間中原と呼ばれてる地域から
南側湾南省のあたりね。
出てきたでしょ?豆腐のシリーズで。
あのあたりが米文化なわけ。
これが真ん中でギューって一個の国になるんで
ちょっとずつ混ざり始める。
そうなんだ。
しかも食文化だけじゃないけど文化っていうのは
時代が混乱してる時ってあんまり発展しづらいわけですよ。
安定して平和で経済活動とか文化活動に勤しむことができるから発展するわけでしょ。
ここで食文化が少し花開いてくるのと
12:00
一方で仏教が国の宗教の一つに認められるようになる。
国の一つ。
国教わかる?国の教えでね。
ローマだったらキリスト教になったよねみたいな感じで
唐においては仏教も国教の一つに数えられる。
そうなんだ。
唐は3つOKにしてるから。
儒教、道教、仏教ね。
仏教も庇護されていく。
仏教を庇護されていく。
仏教人もちゃんと国が認めて守ってくれる。
何なら仏則天のあたりなんかめちゃくちゃ仏教に酔ってるけどね。
へー。
そういうような環境もあって仏教は仏教で強くなっていく。
一方で文化は北から降りてきて南からも上がっていって混ざる。
こういったことが起こるような時代なんですよ。
一説によるとですけど唐の時代になって東風が出てくるみたいなね。
北の乳布とかが混ざったんじゃないかっていう話ですよね。
ここから300年ちょっと経つ。
300年ちょっと。
唐が滅びます。
ぶっ飛びますよ。今回はダイジェストなんで。
で、宗という国ができます。
そうね。
この宗という国は実は結構パワーがないわけじゃないんだな。
武力的なパワーはない。
武力的なパワーはない。
ないけど経済派ってもう著しい。
へー。
そんな感じのイメージ。
あーそうなんだ。
なんで宗は北方の民族とバチバチに戦うんじゃなくて
物品送るから攻めんといてっていうちょっと同盟のような密技を。
そういう外交をするのよね。
まあちゃんとした外交だね。
なんとなくやっていく感じなの。
でね、宗の首都に開封、日本語だと開封かな。
中国語で開封って書いてあったけど
開くに封じ込めるの封で開封っていうね。
へー。
都市が首都なんですよ。
首都の名前ね。
そうそう。町の名前ね。
ここを開放するっていうことをやるんです。
開放する?
意味わかんないでしょ。
宗という国ができる前の時代のいろんな王朝では
首都とか政治都市だよね。
首都ってのは政治をやるための都市じゃない。
政治都市っていうのはいつ隣国に攻められるかもわかんないから
基本的に夜は城門バシッと閉めちゃうわけ。
日本くらいだからね。都市に壁がないのは。
そうなの?
大陸の古代国家って全部壁に覆われてるから。
都ってそうだよね。
進撃の巨人みたいな感じ。
あれでもうバシッと閉めるわけ。
旅人が来たらチェックをしてね。
普段は開けてるから通れるんだけど
そこでチェックをするみたいなことやってる感じなのね。
けど夜になると閉めちゃう。
夜間外出禁止令なわけ。
要はそういうことだね。
独断みたいになっちゃってるから。
当然だけど夜間だけじゃなくて昼間も含めて
飲食店の経営に関してはちょっと制限がある。
夜はもう完全にダメだし。
外食産業が盛り上がる土台がないわけ。
15:02
ところがそうになったら全部開放するの。
いきなり?
もう夜全然開放する。
ガンガン行って。
そうすると文化交流とかの意味もあるし
商業的にも発展しやすいわけじゃん。
iPhoneだって結構真ん中にあるから
中国のど真ん中あたりにあるのね。
流通の便もいいし。
そこに商人たちがワーッと流れ込んできて
900年代の段階で100万人都市になっちゃう。
増えたね。
この時代に100万人都市って相当でかいでしょ。
相当でかいよ。
江戸が100万人都市になるのはここからまだ
500年くらい先の話だから。
500年以上か。
その時代でそうはなってる。
まずそうするとマーケットができるじゃん。
大消費地がね。
ここにビジネスを持っていけば
儲かるっていう構図が当然できるよね。
経済の循環がいいからインフレが起きてさ
攻撃状態になってるよね。
飲食店がね、ここで色々と頑張って
ビジネス始めるわけですよ。
ここで効いてくるのが
北方からやってきた粉食文化と
南の米の文化が融合した状態で
ビジネスが始まるから
閉じてないの食文化が。
一般食品にワーッと開放されてるから
食べられる人たちに食文化が伝播していくわけ。
豆腐を食べるのは一般食品も食べるし
寒死ってね、食らいの高い人たちは食べないけど
お寺とか儒教寺院とかにも伝播していく。
みたいなことが発生するんだよね。
当然ですけどビジネスが発達するってことは
調理技術とか加工技術とかも発展するんで
ちょうどこの時代に石油素と水車が
全国的に広まっていく。
石油素と水車自体はもっと前
ここから数えても5,600年前にはすでに入ってる。
ああ、そんな前からあったんだ。
あるはある。あるはあるんだけど
ほとんど活用されてないんですよ。
活用されてない?
だってね、横浜行ってよ
粉食文化って北でしょ?北の州さ
馬乗って移動してっちゃうんよ。
ああ、そうだったね。
全員じゃないけど
そうするとね、水車作ってもさ
おらんのよ人が。
確かにね。どんどん移動しちゃうからね。
じゃあ作らんよね。
まあ作り損だね。
けど東の時代を経て
そうのぐらいになってくると
水車の力でもってでっかい石油素を
引くってことが始まる。
ああ、そうなんだ。
だから大量に小麦粉が出回る。
東ぐらいからなんだけどね。
そうの時代にそれができる。だから
豆腐が商業化してくるんだけどね。
ああ、そうなの?
すりつぶさないとどうしてもないでしょ。
それ人力でやったら大変な労力じゃない。
確かにね。
これが水車っていうパワーを
使えるようになるから産業として勃起してくる。
粉物文化も一緒に勃起してくる。
麺とかも出てくる。
18:01
麺もね。
というような時代が
この曹という時代なんですよ。
へえ、そうなんだね。
今回は曹とか曹とかややこしい。
そう、俺も思った。
曹なんだって言いながら思ってた。
ちなみにね、この初期の曹のことを
一般的に教科書では北曹というふうに書かれてますね。
北曹。
北の曹で北曹。
別に北にあったわけじゃないよ。
中国全体を統一してるんだけど
北曹と呼び習わされています。
なぜかというと1127年に南曹というのが出てくるんですね。
出てくるっていうか
北の北方民族の人たちに
もう攻めないでねって
ちょっとこれあげるんで
ちょっと勘弁してもらっていいですかみたいなことを
外国はやってたわけじゃない。
言うこと聞かないですからね。
キッタイとかいろいろ
源の元になっているモンゴルとかいるんだけど
地域的に言ったら右上?地図上で言ったら
右上。
朝鮮半島のつけ根っこあたりとか
後の昭和の頃だったら満州と呼ばれたような
ロシアに近いところの地域に
女神族っていう部族があるんですよ。
女神族か。
女に真実の真に族ですよね。
北方の女神族という人たちがいて
その人たちが打ち立てた国家で
金。ゴールドの金。金という国があるんですよ。
国?
国の名前ね。この金がね
攻めてくるんよ。
ここでね。
で、そうっていう国北方自体が
そんなに武力強くないから
ゴリゴリ削られてっちゃってさ
バニーの長女もゴリゴリ乗り越えられて
海風まで占領されるんだよね。
そうなんだ。
で、止まるの。
そこで止まるんだ。
もういいだろうって。
そういうふうに押し込められるよね。
南側でちょっとちっちゃくまとまって
そっちに首都を移して
南総って言って。
そういうことなんだ。
日本半分ぐらい別の国取れたんで
残りの半分で日本ってことにしましょうみたいな
そんな状態になるわけ。
そういうことね。
で、これで南総ってなるわけでしょ。
そうするとね、カイフォンよりも
南の方がより米文化なわけじゃん。
うんうん。
上海とかね、あるあたり。
そこにコナモン文化がずっと
混んでるんだよね。
とうとう力技で混ぜられる。
文化が。
文化がね。
そういう状態になるんですね。
で、南部には
ケンニン寺とかね、
ケンニン寺の元になったところとか
通称金山寺ね、というお寺があって
そこはね、留学層。
日本から留学していく仏教のお坊さんとかが
行くような大きいお寺があるんですよ。
その上も南部にあるんですね。
ああ、そうなんだ。
で、そこにも粉食文化とかが
持ち込まれていく。
そこまでいくんだね。
で、この過程の中で
仏教の世界観では
精密用術で出てきたような
精進料理の概念をもともと持ってますから
今の話で約500年経ってますからね。
21:01
サクッと言いましたけど。
この500年間の間に
仏教寺院の中で精進料理が
どんどんバージョンアップされていくわけですよ。
いろんな国の文化、いろんな地方の文化が
織り混ぜられて
最終的に南に圧縮されたことで
全部ドカンといくと。
この状態の南層に
留学層として訪れるのが
精進料理を日本に持ち込んだ
確立させたと言われている
総統宗の道元。
道元。
鎌倉仏教六宗のうちの
総統宗という宗派の
階層と言われている道元。
道元禅師が南層に渡ったのが
1223年の出来事なので
1200年って4桁なんだ。
そうそうそう。
南層が1127年からか。
そう。
南層が確立してから
約100年後ぐらいに
道元が層に渡っている
ということなんですね。
ただ日本に精進料理の原型が
入ってきたのは
道元が持ち込まれるもっと前なんです。
もっと前にもあった?
あった。
ややこしいんで
精進料理じゃなくて
精進物ですけどね。
道元以降に確立された
精進料理と
それ以前にあった原型が
精進物という言い方をしましょうと。
そういう違いがね。
これ何でかというとですね
枕草子。
枕草子。
平安の国風文化の中に
できたのが平仮名で書かれた
平仮名の漢字を織り混ぜて書かれた
随筆ですよね。
はいはい。
書いた人は
この方が
掃除者と平仮名で表記して掃除者ですね。
掃除者。
精進者のことを掃除者と表記してね。
そういうことね。
書き記しているので
それが明確になったわけですよ。
枕草子に関われていることを
ちょっとだけさらっと見ますね。
思わん子を奉仕になしたらんこそ心苦しけれ
ただ木の端などのように思いたるこそ愛おしけれ
掃除者の意と悪しきを討ち食い
ほぼほぼ意味わかんない。
思わん子っていうのは
すごく愛おしいかわいい小さい子供を
奉仕、出家させるってことだよね。
奉仕にさせるってことはとても心苦しいよって。
ちょっと中略ね。
掃除者、精進者ね。
精進者のような粗末で意と悪しきもの
とても悪いものを食べさせるなんて
ね?っていう
そういう随筆が残ってるんですよ。
この時精進者はあまりいいものではない
っていう感覚なのかな。
あんなまずくて粗末なものっていうぐらいの
そのぐらいもうガチガチに否定してる。
へえそうなんだ。
あんなもの食わせるなんてかわいそうじゃない。
そんなこと言ってんだね。
そうなんですよ。平安時代の精進者っていうのも
元々の精進の概念に通じるところなんだけど
24:02
例えば修行、徳行ね。
徳を積むとか修行をする行の妨ぎになるような
微食をしない。これが先なんですよ。
だからね。
肉を食べないで野菜を食べましょうっていうのではなくて
微食をすると修行の邪魔になっちゃうからやめようぜ。
まあそういうことね。
そういう話をしてるんですよ。
つまり肉はやっぱり微食の代表選手なんですよ。
うまいから。
まあおいしいんだろうね。
魚も含まれるからねこの時代の肉っていうのは
精進においてはさ。
ああ確かに。
貝もダメだしさ。
うまいもの全部ダメみたいなこと言われてるわけで。
食室だからね。
みなさんうまいじゃないですか。
これをダメよって言ってるから粗末だね。
それは粗末にしておいた方が修行に集中できていいよね。
っていうのがまずベースにあります。
と同時にこれ今仏教の話をしたんだけど
一方で前回の話に出てきた穢れの意識とか
肉食禁忌の概念とか
古代日本山対国の時代から続いてる概念がありますよね。
神道におけるような。
神道におけるような。
前回の話だったら天武天皇が肉食禁忌の見事乗り出したみたいな
ああいうところに通定する意識感がありますよね。
これが神道とガッチャンコしていって
仏教とガッチャンコしていって
あげくに平安時代くらいになると
本知衰弱。
本知衰弱。
神仏集合とも言うけど
アマテラス大神神は本知は大日如来だよねっていう
イコールで結びつけていくみたいなね。
どこかでやったね。
それね。
すらしか覚えてないけど。
神様と仏さんが一緒になってるよね。
本当の正しい姿は仏さんだけど
日本人に分かれているように神様の姿で現れてるだけみたいな。
そういう概念が10世紀から11世紀くらいに出てくるんですよね。
ちょうど平安末期くらいに。
これもいうのも相まって結局ね
神道だろうが仏教だろうが
修行する徳を積む身は肉食わんとこってなる。
もうそこをくくっちゃったんだ。
粗末なもんでいきましょうと。
これがもともとありました。
で、この後に平安後期から鎌倉初期にかけて
いわゆる鎌倉仏教っていうのが勃興してくる。
曹洞宗もそうだし
お茶の会出てきた隣在宗ね。
平西の隣在宗とかね。
新蘭さんとか日蓮さんとかあの辺がドゾゾゾってきて
新しい宗教を起こしてくる。
本当は起こしたっていうより持ってきたが正しいんだけどね。
中国から持ってきたって言ってたね。
そうそう。そういうのが起こってくる。
これはね、それまでの隣在宗をはじめとした
南方陸宗か奈良時代からある古い仏教ね。
日本にある。
大きな違いはそれまでっていうのは
祈りのための仏教なわけ。
祈りなんだ。
前回の話通じますよね。
効果を収めるためには祈祷とか度胸が必要であって
27:02
徳を積むためには車電を作ったり
仏殿を作ったり仏像を作ったりが必要だよね。
国家を平定するためのパワーとしてあったのが仏教だった。
ああ、そうなんだ。
ところがね、民衆が気づき始めるわけですよ。
本当に効いてるこれって。
まやかしいじゃないかと。
その時代にちょうどね、末法思想って言って
もう世の終わりだみたいなね。
これ東風の回でちょっと話しましたよね。
末法思想っていうのは仏様の教えに従って
教えは残ると文言として。
だけど本当の悟りに境地に立てるのは末法より前までだと。
その末法に入っちゃったら本当に悟りを開いて導いてくれる魅力のような人は
出てこないっていう時代になってくるんですね。
そういう思想が広まってきて
それが1150年頃だろうっていう風な感じに
世の中になってっちゃうんですよ。
これなんでかっていうとめちゃくちゃ世の中乱れてるの。
詳しくは教科書に頼るからあんまり言わないんだけど
例えば貴族はね、本来だったら貴族っていうのは贅沢する人じゃなくてさ
国政を祭りごとする政治をやる人たちなわけじゃない。
なんだけど上皇もね、上皇ってのは天皇の帯ですよ。
もう摂政も漢白もみんな私服を肥やすところにパワー使ってね。
藤原家とかさ。
あの辺がもう富と権力をおりゃって取るみたいな。
この世は我が世とそう思う餅づきの欠けたることもなしと思えば
場合藤原道長みたいなね。
ほう。
目が低になった。
もうちょっとわかりやすくってもらっていいかな。
この世は私のものだ。
欠けたることもない餅づき満月のようにね。
いうようなことを天皇がいる目の前に
言っちゃうみたいな。
天皇の部下なんだよ。
そうだっけね。
けどその時の天皇ってのは自分の娘婿だったりするから
知ったことがあって俺の部下だろみたいな勢いで言っちゃうみたいな。
はあ、やばい時代だね。
そっからもうダーッと行く。
で前々回ぐらいに出てきた大経の大盤で藤原家の長者が
こういうしぬりの大盤で食事をして大変化をやるみたいな。
あの時代に繋がっていくんだよね。
ああ、そこから始まった。
そんな時代になってくるとさ、
権力と富を奪い取ることに注力して
政治まともに機能しなくなっちゃうんだよね。
うーん。
これですね、外敵いないから。
海外から攻めてくる人いないんだもん。
この時ないのか。
うん、ないない。海渡ってこれんもん。
ああ、確かに。
来れんことはないけど、そんなリスクを負ってまで来んよ。
総とか元が来るまではなかなかなかったんですよ。
そんなことなしてるうちにさ、
権力争いするじゃん。
保元平治の乱とか言ってね。
中で天皇と上皇が大喧嘩するわけ。
上皇がお兄ちゃんで、先代の天皇ね。
現役の天皇が弟なわけ。
それで派閥に分かれてガッチガチの喧嘩するんだけど、
30:02
この喧嘩やばくて、
昇帝の中で刀振り回してんだよね。
今国会議事堂の中でね、
国会議員が刃物持ってブワーンってやって
ちゃんちゃんバラバラやってるような状態だから、
マジやばい。
その時の天皇って結構権力あったってこと?
政治祭りごとに。
一応政治の中枢にはいるからね。
うーん。
権力はもうほとんど藤原家が持ってるんだけど、
その背後に藤原家と藤原家がついてるわけ。
そこに兵士が入ってくるわけ。
兵家が武士政権みたいな武力持った奴が出てきて、
それぞれバックについて派閥になって、
一応旗頭が天皇と上皇みたいな。
ああ、そういうことなんだ。
兵士の乱も似たようなやつ。
やるわけ。
もうね、要は末ですよ。
そうだね。
そんなことしてたらさ、平野正門。
首塚が日本中にある平野正門ですよ。
日本中にあるんだ。
日本中に伝説が残ってるやつですよ。
あいつがさ、国を起こすんだよ。
国を起こす?
うん。
これが天皇だって、俺が作ったのが朝廷だって。
いろんな説あるけど、関東の方でそれをやるわけ。
へえ。
そいつを撃退しに源家、源氏が行って、
披露になるみたいな。
で、今度関西の方、四国とか近畿地方かな。
あっちの方で藤原の住友の乱とかって言ってね。
また藤原家の中にいる武士が朝廷に対して反応を起こすわけだよ。
ほう。
もうむちゃくちゃでしょ。
むちゃくちゃだね。
で、そんなことをしてる間に、1180年。
洋和の大規禁。
洋和の大規禁。
大規禁が起こるんですよ。
これはね、この時代、平安時代の終わり頃って、
平均気温が少しずつ下がっていく時代だ。
寒冷化していく時代だ。
ほう。
もともと平安時代ってめちゃくちゃ温暖な時代なのよ。
うん。
だから貴族が贅沢三昧して、
美食三昧してて、もう食料ジャンジャン来る。
ほう。
どんどん生産できる。
なんだけど、だんだんと寒くなって、
私立暴民になってくる。
で、それの状態なのに、
庄園から勢としてあんまり米持ってかれても困るんで、
二毛作やったりとかそういう状態になってくっていうところで、
なぜかこの1180年に急に猛暑が来るんだよね。
え、そうなの?
え?ってなるじゃん。
ほう。
しかも降水量激減。
へえ。
たぶんエルニーの現象の影響じゃないかって本には書いてあったけどね。
いやあ、そうなんだ。
うん。
なんかそういうのが理由で大規権が起きますと。
うん。
で、朝廷はそんな国のことあんまり考えないで、
富と権力の闘争やってるわけじゃない。
ほう。
で、批判するけど全然効かへんわな。
ほう、まあ効かないね。
ってか、徳がもうそもそも崩壊してるよね。
うん。
徳を積むべき天皇が上皇と大喧嘩するってもう徳もクソもないじゃん。
ないねえ。
じゃあ一方で金持って安泰になってる貴族たちはもう別にいいかなって言って、
和歌を書きながらこの当時の洋和の大規権ってえげつないことになってるよねって日記に書くだけで何もしないみたいな。
すごいね。高めの見物みたいになっちゃってるけど。
で、そこに乗り出していったのが実は兵士と賢治。
ああ、ここで出てくるの?
そう。
まあ兵士はねどっちかというと上皇の部下にいてそっから台頭して没効してくるんだけど、
うん。
もうこの人たちは武士になってから、
うん。
武士になってから、
33:00
うん。
極めて現実的なんですよ。
ほう。
現実に何かをしないとダメだよねみたいな思想を持ってる人たちが出てくる。
ほう。
で、これが自傷受影の乱っていうので最終的に兵士と賢治が分かれてってか、
分かれて戦った通称減兵合戦って言われてるんだけど、
正確にはこれ減兵合戦って言うと俺語弊があるなと思ってて、
うん。
減兵合戦って言うと俺語弊があるなと思ってて、
どっちかっていうと武士勢力、進行勢力が既存の政府に対してアンチテーゼで唱えてる。
だから反政府軍なんだよ。
ほう。
言ってみりゃ。
ほう。
特に源頼朝側からすると、
もうお前らのじゃもうやってられれんわ。
もう兵士も含めて清盛派も含めてもう全部ぶっ倒して、
ほう。
減兵合戦って言うと俺語弊があるなと思ってて、
どっちかっていうと武士勢力、進行勢力が既存の政府に対してアンチテーゼで唱えてる。
ほう。
特に源頼朝側からすると、
もうお前らのじゃもうやってられれんわ。
もう兵士も含めて清盛派も含めてもう全部ぶっ倒して、
やめたれっつって。
ほう。
じゃないと関東はぐちゃぐちゃのまんま立ち行かんわ。
っていう感じで立ち上がった感じなんだよ。
ほうほうほう。
要は不満の紛失なわけ。
ほう。
平たーくーと。
で実はこの不満の紛失で似てるのが仏教もそうなんね。
結局ね。
天大師の比叡山を筆頭にしたね、
ああいう祈祷をやってきた鎮魔仏教が
効かんいんじゃん。
効かないね。
効かないから直接民を救うための行動したほうがいいよね。
だから偶然仏教とかね、
休眠仏教とかって言うけど民を直接
直に救いに行く仏教のほうがいいでしょって言って
新しい仏教が勃興してくる。
ああそうなんだ。
こういう状態なんですよ。
で、この中で特に
禅宗にフォーカスされて出てくるのが
精進料理なんですけど
この禅宗っていうのは
不流文字って言って
不流文字って聞いたことあるかな?
不流文字?
えっとね、不はあらずと言うんですよね。
否定の不だよね。
で、流は立つ。
立つ。
文字。文字は文字。文字に立たずと。
へえ。
学問だけあって本を読んでね
御説法を聞くだけで
分かったような気になるなよと。
実践して体感して
感覚的に体得せよ。
これが大事だよっていうのを
ベースにしているのが
禅宗平たーくとね。
だから禅を組みなさい。
修行しなさい。行動しなさい。
町に行って実際に人に会って行動しなさい。
っていうのが
禅宗の基本的な教えなんですよね。
なんか文武両道に近い
見たようなものか。
まあかもね。
座学をしたらちゃんと実践しましょうね。
実践してフィードバックをやって
もう一回座学をやりましょうね。
この息をしないと学びって深まらないよね
っていうような感じに近いかもしれない。
ああそっちか。経験値か。
そうそうそう経験値。
感覚値とかね。五感をフルに使って
悟りに到達しましょうね。
っていうような考え方なんですよ。
極めて実践的な行を大事にする。
実はこれがすごく大事で
道元も英才もそれ以外にもいたんでしょうけど
中国に渡って禅を学びに行くじゃないですか。
36:01
例えば空海ってもう2ヶ月ぐらいで帰ってきてるの。
ああそんなもんなんだ。
あの人ねクソほど頭いいんで
めちゃくちゃ頭いいんで
もうすげえ短時間で2ヶ月じゃないから
もうちょっと長かったかもしれないけど
結構短期間で帰って来るじゃん。
めちゃくちゃ頭いいから
マスターして帰って来るじゃん。
けどそれじゃダメだよねって話なの。
これは中国に渡って一緒に修行する
中国の僧侶たちと一緒に生活をして
修行もするし生活の掃除したり煮炊きしたりとか
そういうこともやって
その中から体感して掴むものだから
1ヶ月2ヶ月台徳して帰って来れるわけがなくて
2,3年は最低でも一緒に生活しようぜっていう話になるじゃない
そこで生活してたら同じもん食うわけじゃん
道元が行った先のお寺も当然精進料理なので
精進料理を食べるし
精進料理を一緒に作るしって言って
普通に料理人として勉強して帰って来るんだよね
まあ普通に本当に修行だね
本当に料理人としてもマスターしてから帰ってくる
これが日本に精進料理をもたらした原動力の一つになってる
ああそういうことか
だから前週Aさんも同じようなことやってるんで
同じような感覚で日本に精進料理を持って帰ってくる
さっきから何度も道元道元ってさらっと言ってるんだけど
実は日本料理の変遷の中において
道元という人物は非常に大きなターニングポイントを起こした人なんですよね
ああそうなの
それまでっていうのはさ
儀式様式が大事なわけで
コミュニケーションが大事だったりとか
上下関係の確認が大事だったりとか
メインは宴だったりとか
あと歌舞だよね
歌って踊って楽器演奏するがメインだった
おまけにちょっとご飯があってお酒がメインだよねみたいな感じじゃない
道元は食を道に置き換えた
華道とか茶道とか剣道とかさ
日本人って何かと道に従うじゃない
もうね言ってみたら食道
食道って言うと違うからね
いろんな意味で間違っちゃうけどね
食の道みたいな
そういう道に持ってったような思想なんだよね
だからもう今までの様式とかはちょっと置いといて
目の前にある食材とか料理に
真剣にまっすぐ向き合いましょうって
この食というものを通じて
自分の人生とは何たるか
社会とは何たるかを見つめる
これこそが禅の修行そのものであるっていう
哲学を打ち出していく
こういうことを言い出したんで
だから今でも日本料理ってそれっぽいところありますよね
ちょっと修行の
というか極めるみたいなところね
そうで一個一個の食材も
じゃがいもならじゃがいもの
大根は大根はちゃんと見極めて
それに見合ったものを美味しく提供して
皮の一つも残さずに
これを作ってくれた農家さんに感謝をして
飴土にも感謝をして
自然の環境にも感謝してっていうのが
39:01
料理人の中のどこか根底にあるじゃないですか
料理人じゃなくても一般家庭でもね
普通にあるから
戦後じゃねえや明治時代になって
みんながいただきますって言った時に違和感ないわね
あのボーイスカートの時にさ
いただきますの前にさ
あるね
箸とらば飴土みようの
恩恵みだっけ
飴土みよう
飴と土と社会の恵みに感謝するっていう意味だね
先祖や親の恩を味わえいただきますって
まさにまさに
そういうものの源流になっているのが
精進料理にあって
それは日本に持ち込まれた時に
道元が名文化して体系化したのね
はあ
環境が違うから
イコールでは持ってこない
まあそうだね
インドとか中国とは違うんで
それは日本流に日本人の中で
日本人の感覚に合うように書き換えたら
それが天祖教訓っていう
天祖教訓
本になってます
これ東風の書いた時に僕天座って呼んでね
グレさんに違うよって言われたやつね
書いてあったんだね
そうそう天祖です天祖教訓ですね
というのが道元のもたらした
非常に思想の部分でものすごい大きな影響を与えてるんですね
でもすごいのが
今総統集の総本山2つあるんですけど
その一番最初になっているのが
永平寺という有名なお寺ですよね
永平寺には
永平寺で暮らしていく上での規則みたいのがあるんですよ
それは道元本人が書いてる
ああそうなんだ
永平盛期っていうのがあるんですね
清井二期規則の期っていうのがあって
ここにこういう生活しましょうねっていう
教えとか心得みたいのが書いてある
全部で何編だったかな
なんとか編なんとか編なんとか編って
順番に書かれていくんだけど
なんと一番最初が天祖教訓
へえ
じゃあこの天祖教訓とは何ぞやっていうのを
ざくっていうね
天祖っていうのは
お寺の中で料理をする当番の人たちのこと
ざっくり雑に言うと
料理をする当番の人
まず大本から行きますね
トップがいます
大僧城とか雑って言うんだけど
お坊さんのトップがいます
その下にナンバー2が何人かいますと
一人は宗教徒で
何人かいますと
一人は修行をする側
仏教の修行の側
経典とか文学とか文字とかの方に立つトップがいます
修行を全部司ってます
もう一つは運営側
運営側もいるんだ
大臣で100人200人一緒に生活するんで
経営運営していかないとさ
みんな困っちゃうでしょ
そこにそっちの側にトップがいるんだけど
それも分担されていて
6人いるのね
6人いるんで6知事とかって言われてて
その知事っていう言葉が今の県知事の語源だっていうのは
グレさんに教わったんだけど
そこに6人の知事がいて
ちょっと読んでも意味わかんないと思うけど
まずトップが事務所
事務を統括する通数っていう人がいて
第2位
42:01
くらいがあると順番決まってるんだって
2番目が関数っていう人がいて
その次に会計やる風数っていう人がいて
4番目に稲っていう
書務を担当する人がいて
やっと5番目に食事を担当する天蔵っていうのが出てきて
6番目が老務
雑務に近いのかな
巻き割ったりとかやる
質推っていう人がいるんだって
それがグループになって
知事の下に何人かいるみたいな
天蔵という第5位のね
食事を司るチームの人たちは
このような心構えでこのようにやりなさいよ
っていうのが
このルールブックの
一番最初の章に書いてある
順位5位なんだよ
だけど第1番目がそれ
第2章は座禅の組み方書いてある
第3章は食べる時の頃に書いてある
どんだけ食に熱いんじゃ
本当だね
食を主軸に構成してるような感じだね
座禅を組む時の前後のマナーとか
作法とかよりも
食の方が優先されてる
だからここ調理というか
精進料理作る
修行厳しいんだね
そうそう
うちにもたまにいらっしゃる
宗洞宗のお坊さんたち
仏教会とかでお集まり
ご来店いただくじゃない
あの方々の半分近い人たちは
料理経験があるんですよ
永平寺か宗寺寺っていう
どっちも宗本山ですけど
そこで天蔵の職に就いてる方が
中に混ざってるんで
だからもうあの料理はどうやって作ったの
とかって聞かれるんだよね
なるほどね
豆腐どうやって使うんだって
普通に料理人の会話するんだよね
前からそういう話ちょいちょい聞いてたもんね
それは天蔵という職に就かれた
そのチームにいた方々
そういうことか
そうですよ
今回あんまりやらなくても
せっかくなんでちょっと言いましょうかね
カットしてもいいんで
せっかくなんで言いましょうか
東君の冒頭にね
道元自身が書いた言葉で
なぜその天蔵というものを大事にするようになったのか
僕は二人の老天蔵
じいちゃんのね
年老いた天蔵に出会ったことから
禅修行の本質に覚醒した
座禅で覚醒したんじゃないのよね
座禅じゃないのか
禅の本質をつかみ取ったのは
天蔵からつかみ取ったっていうね
それは自身の修行なんだけど
そのきっかけは
中国にいた年老いた天蔵二人の姿と
やり取りの中できっかけになって
そこから自分が天蔵に注目するようになって
自分が実際にやってみて
これぞ禅っていうところにたどり着いた
一番最初はもう
中国層に着いて
船がつけられて
小船だからね
次は日相貿易なんで小船に乗せてもらっていくんだけど
上陸許可を待ってるときは
沖合なんかに停泊して待ってるわけで
45:02
したら遠くの方から一人の老僧が
おじいちゃん僧侶がやってきてね
椎茸ない?とか言って
なんかじゃなくて椎茸買いに行くんだよ
何事だろうなと思って
見た感じ結構年いってるしなって
お話を聞いたら若い時から出家をしてね
数十年も修行して
いろんなお寺をぐるぐる回りながら旅をしてきたと
何の因果か分かんないけど
今は大きいお寺の育王山というところで
修行僧の身になって
今は普通の一般僧として
修行をさせてもらったんだけれども
どういうわけか今年になって
急に天像という大略を押せつかったと
私は今年61歳である
まさかこの年になって
六知事の一人に数えられるとは
こんな名誉なことはないし
一層修行にも励みになるもんだということで
どのくらい歩いてこられたんですか?
あったら35里だと
35里
35里
日本の一里とは
当時の中国の一里は違うんで
ざっくり20キロくらい
20キロくらい61歳の方が歩いてきたんだよね
1200年頃のおじいちゃんが
61歳だから結構歳ですよ
すごい歳だね
だいぶ歩いてきて
明日は供養祭というか節句なんで
修行してる僧侶の皆さんに
おもてなしをしたい
仏教的には供養をしたい
でうどんを作ろうかと思ったんだけど
あいにく出汁になる椎茸がなくてね
それを探し求めて
あちこち歩いてきたら
ここまで来たら日本の商船があるっていうから
日本産の椎茸積んでないかと思って来てみた
そんなような話で
せっかく修行に行った
23歳の道元ですから
お話聞きたいじゃないですか
初めて会う僧侶ですね
せっかく出会ったのも何かの御縁なので
私におもてなしをさせてください
ご供養させてくださいって
いやーありがたいお話なんだけど
それはできるのだ
明日は供養があるんで
私がおらなんだらちょっと具合が悪い
いやーそんなことおっしゃらずに
お寺には御房以外にも
御供養の準備をされる方々が
いらっしゃるのではないですか
いや私は年を老いてから
天蔵という職に就いたもんでな
天蔵はこれだけの老朽に至ってもできる
わずかな残り少ない修行の一つ
他のものに譲るわけにはいかない
それに外泊の許可も取っておらず
お寺に来たら
言うことでちょっと断る
いやだけど御房ほどの御高齢になって
それほど修行を重ねられた方であれば
そんな天蔵なんでね
料理を作るなんだという
煩わしい仕事で
バタバタと忙しくされることなんか
ないじゃないですか
天蔵になって
良いことでもあるのでしょうか
うーん
あなたは外国から来た
とても良い僧侶のようだが
天蔵の中で
天蔵の中で
まだあなたは文字の何たるか
弁道
禅の何たるかを分かっておられないようだ
笑い飛ばされちゃって
えーっと思って
いやーすげーこと言ってしまった
48:00
申し訳ない文字とはどういったものなんでしょう
禅や弁道というものは
いったいいかがなるものでしょうか
その問いこそが
文字の何たるかであり
禅の何たるかである
そのことにまだお気づきになられて
おられないようであれば
そしてその道をまっすぐ進んで
いいようであれば
またもう一度会って
禅の何たるか文字の何たるかを
お話ししましょうぞ
言っておじいちゃん帰っちゃう
問いだけ投げられてポカーン
えっ禅って何
掴むって何
悟りって何
この2年後くらいに再会してね
一緒に語られたらしいんだけど
その頃にはちゃんと道言も掴んでて
掴む前の段階で
遠藤寺って別のお寺で修行してる時に
建物の中の庭を見たら
灼熱の真夏の中で
また年老いたおじいちゃんがね
一生懸命
キノコを干してるんだよね
幹物作ってるんだよね
もう頭は坊主だけど
眉毛真っ白だしさ
腰も曲がってるしさ
ヨボヨボだしさ
大丈夫?って声かけたら
なんと年齢聞いたら68歳だっていうんだよね
中国の南のだよ
南部の山の中のお寺で
灼熱の真夏日
ツソ熱い中で
おじいちゃんが一生懸命支えてあげようとしてる
どういうこと?ってなって
これは御坊ではなく下の他の者にやらせればよろしいのでは
他の者はわしではない
また全問答始まるんだよね
他の者とやらは私ではない
それは御坊ともなんですが
何もこの炎天下でなされなくても
なぜ今この炎天下の中でされるのですか
今の他いつやるというのだ
って言ってスタスタスターって仕事戻っちゃうんだよ
はあ
何?ってなって
そっから修行したら
その二人の老天祖から問いを投げかけられて
もやもやとした状態で
自分が天祖職の料理を作るだのなんだのっていう仕事とか
巻き終わるだのっていうのを一生懸命修行するわけだよ
ずっと考えてるから
はって気づくところがあって
だから今ここに天祖職がいるんだ
って書いてある
俺たちは修行も何もしてないけど
なんかふわっと感じるところがあって
何だろうね
形式とか雑務だと思わずに
目の前にある
粗末なものではなくて
今目の前にあるものを最大限生かすために
自分は誠心誠意それと向き合えるかみたいなことをやりだすね
だからないものを探すんじゃない
あるものは何だ
なるほどね
本当にうちらのやり方というか和食というか
解析とかみんなそうだもんね
そうまさにでしょ
今与えられた条件の中で最大限の工夫
最大限の心を向けて
そこから最大限のものを引き出してくるっていう発想が
この道元の若い頃につかみ取ったものの中から出てきてる
51:01
すごくねこれ
すごい壮大な話だね
これちょっと脱線するんだけど
同じ禅宗で仁財宗ってあるでしょ
あっちはあっちで喫茶用蒸気ってあるじゃない
あったね
あっちの中から出てくるのも
不作動っていうのは禅宗から出てくるんで
曹洞宗における天造料理と同じように
仁財宗におけるお茶っていうのは
修行の一環なわけ
それを言葉で謝禅とか左禅一味っていうんだけど
左禅一味
お茶と禅は元は同じである
っていう意味の言葉なんだね
同じこと言ってるんだよ
道元も英才も
英才の方が50歳ぐらい年上だけど
だいぶ年上だけど
やってることは一緒で
禅の修行される方は
同じところにたどり着くのかなみたいな
そうなんだね
面白いことに今回の話にはしないですけど
この精進料理で禅と料理をくっつけた道元ですよね
くっつけたっていうか
これを日本で隔離させた道元
そこから離宮の茶教から引っ張ってきたお茶と
臨済宗の禅能師を持ってきた英才
で左禅一味から茶道が生まれますよね
これが離宮に行きますよね
離宮が茶道と精進料理と本禅料理を全部ミックスして
作り出すのが茶外石っていう
そこに繋がっていくんだ
そうそうなんですよ
そういう感じなんですね
そうなんだ
結構厚苦しいような
広大なストーリーがバックにある
そうなんだな
修行、哲学
何て言うんだろうね
何が混ざったんだろうねもうね
ここまで来ると
もうなんだか分からない思想だけど
本で書いてあった面白いなと思ったのが
日本料理の系譜の中で
多分食と哲学を結びつけた最初の人って書かれ方してたね
確かにね哲学だよね
それ以前の大経のね
縁の座音の座で酒を飲んでっていうのとはまたわけ違うもんね
なんかそれ以前は食自体が道具の一つみたいな数え方をしてるけど
いわゆるうちらが言ってる食べ物っていう括りの概念を
そのまま哲学に昇華させたというか
今ある日本料理の精神性はここから始まるんだよ
そうか
今回なんでこの精神料理の話をしてるかっていうと
次回は本禅料理の話をするんだよ
本禅料理ね
室町時代に出て昭和平成令和まで日本のフォーマル代表本禅料理で
これで日本料理完成系って言われてるんだけど
ベースができたって言われてるんだけど
実は精神料理って前回の平安時代の大経の正統進化じゃないわけじゃん
外から入ってきたもんでしょ
別の精神世界から前回の浸透とか肉食禁忌とか
54:00
精神世界から上がってきたものじゃない
これは別流派なの要は別の流れ
大経は何になっていくかっていうと本禅になっていくわけ
確かに大経ってそんな流れあるね
儀式から儀式だから
久下から武家みたいな感じの流れで
そこで思いっきり変身するんだけど
ここの変遷の過程で本禅料理に思いっきり影響を与えたのが
精神料理なのよ
横っ面引っ叩いたよみたいな
ドカーンってインパクト与えたのが精神料理なので
今一回横道に反れて精神料理の流れがやってる感じ
そういうことか
なので前々回の大経と
今日の精神を踏まえた状態で
次の本禅料理を見ると合流していく様になるって感じ
そういうね
確かに全然流れ違うもんね
流れてくる 流れてくるもんね
脈々そもそも違う
本禅料理に合流して確立したところから
ここからもう一度茶道とか精神の影響に
引き戻されるように誕生するのが茶外石っていう
そこで分派していくまた
茶外石ってちょっと芸術感あるよね
アート寄りの職人になっていく感覚が
お茶と精神料理のガッチャンコだもん
本禅からもちょっと影響を受けてる
ある意味アンチテーゼみたいな感じで登場してくるけどね
揺り戻しみたいな感じになるよね
っていう流れなわけですよ
なかなか壮大だよ
最後ちょこっとだけ今思想面で
前回も思想の話ばっかりしたんだけど
今回もほぼ思想じゃない
なんだけど精神料理が日本料理業界に与えたインパクトは
精神性だけじゃないんですよ
具体的な技術とか文化の変化にも相当大きな影響を与えてる
まず味付け
大経ってずらっと並んでるやつはほとんど味がついてなかったり
ちょっと薄味だったりして
玉砂の器とかで酢とか非塩とかで
自分で好みの味付けして食べてくださいねっていうスタンスだったじゃん
なんだけど精神料理は基本的に全部味付け済みなんだ
なんでか肉ないじゃん魚ないじゃん
めちゃくちゃ味淡白なんだよ
だからもともとここにちゃんと味含ませてやらないと
もうごくごく淡白になっちゃって味ねえみたいになっちゃう
ああ確かにそうなるね
だからしっかり味付けするっていうのができて
これ以降の日本料理は醤油とかをつける刺身が出てくるとかね
刺身くらいかなほとんどのものが味付け済みになってくる
焼き物も煮物も全部味付け済みになってるっていう伝統がここから出てくる
ということで当然ですけど卓上調味料
消滅
ここで消滅なんだ
完全消滅じゃないけどほぼ消滅ですね
あと肉食べたいじゃんやっぱり
言っても肉食べたいっていうかタンパク質欲しいんだよね
57:01
タンパク質ね
生き物としてそこに対する憧れがあるから
もどき料理ができるわけ
もどき料理ね
豆腐の会でもちょっと触れましたけど羊羹なんかまさにだよね
羊羹ね
羊の集物だったわけじゃん
これをいろんなものでなんちゃら羊羹とかね羊羹とか作るわけですよ
その中で唯一残ったのが現存してるのは砂糖羊羹だねあれね
でもそれ一緒になっちゃったから砂糖消しちゃって
今では羊羹が甘いものになっちゃってるけど
豆の甘い何かを固めたみたいな
あとねスッポン缶とかもね
商人料理の中にあるんだけどもちろんスッポンは使ってない
片栗粉を練って小麦粉と混ぜて濃く味付けした出汁と合わせて
水物のように煮物のようにして食べるとか
本当にもどきだね
そうそう別館とかね亀の別行の別の字で別館とかね
そういった料理が出てくる
現存してるもどき料理の中で庶民にとって最も知名度のあるのが羊羹でしょうね
羊羹
豆すりつぶして野菜とかひじき混ぜてもう一回固めて揚げて
それを出汁に含ませて食べる
もう商人料理の極みだねこれはマジで
羊羹のもどきでしょ
そう鳥の羊羹のもどき料理だよね
ここには商人料理が新しくもたらした調理技術がほとんど詰まってる
ああそうなの
世代に登場したというか広がってきたのがすりつぶすという行為ですよね
ああ
これは革命なのよ
あのすり鉢だっけ
そうすり鉢で
石薄豆腐とかあっちの文化もあるんだけど要は粉物文化と同列ですよ
すりつぶすということは形を自由に変形できる
もどきには持ってこいっていうのはもちろんあるんだけど
一方で混ぜることに関しては抜群なわけですよ
確かに
粗いものを混ぜたって味はばらけやすいのが完全に混ぜることができる
白柄なんていうのもここから登場してくるよね
ああそういうことか
ゴマと豆腐すりつぶして甘味と塩味で当たりつけて野菜と混ぜたら美味しいじゃない
そうだね
もう商人料理そのものですよね
白柄ってのは商人料理から出てきた料理なんだよね
確かに商人料理の方言もめちゃくちゃ出てくるよね
出てくる出てくる
味噌なんかも元々固形だったものが吸いつぶせるようになったんでペースト状になって溶かすことができる
し電学が焼けるようになる
そうだね
これは味噌がペーストになったのは大きいですよ
今まではたまり醤油ですね
上澄みの液を使うとか鰹の色になんていうのを調味料に使ったんだけど
でもこれで味噌が使えるので
味噌を溶かすことができると煮物ができるんだわ
煮物ができる煮物ができるってちょうどまた相とか源とか民とかの時代になってくるんだけど
1:00:01
鉄鍋の優秀なやつが入ってくるんだよね
技術が上がってくるから
もともと鉄の加工技術は日本はかなり古いのよ
弥生時代以前にもあったっていう遺跡も出てきているからあるんだけど
結構厚い鍋が作れるようになってくる
本当の鍋だね
南北朝から室町期にかけてかな
室町時代ぐらいだと本当の鍋ができるんで
グラグラと煮込むっていう料理ができるようになるんで
しっかりと野菜に味を含められますよみたいなことができてくる
これでタンパク質を含めた野菜を美味しく食べられて
実際のタンパク質も豆腐で取れますよっていう状態になったけど
足りないのが脂質なんだよ
脂質ね
動物性やめちゃったじゃん
バターもラードも全部ダメみたいになって
普通の油を使うしかないわけ
そうなるね
菜種油とかゴマ油とか使うわけじゃん
何を入れたか揚げる
揚げる?
油を飲むってことはしないわけ基本的に
ああそうなんだ
ガンモード菌ってまさにそうじゃん
今出てきたすりつぶすやったよね
混ぜたよね固めたよね揚げるんだよ
うん
そうするとタンパク質は豆腐から取れるし
揚げることで脂質が入っていて
この後に出汁で煮るわけじゃん
そうだね
旨味ぶっ込めるじゃん
だから肉もどきになるわけで
だからガンモード菌なのね
栄養分的にも全部網羅してるから
だから極みって言ったんだ
そう
すごく重要なのが今チラッと触れたけど
出汁なのよ
出汁の概念自体がなかったわけじゃない
もちろん
汁物吸い物があったから
厚物とかあったからないわけじゃない
なんだけど
ここで出てきて大事な概念っていうのは
野菜とかそういった淡白なものに
別のものの味を含ませるっていう
出汁の使い方が登場するわけ
ああ
だからさっきの老天像も
干し椎茸求めてみたいなことやったじゃない
ああいったのを使って
出汁を取っておいて
それで煮たりとか
焼くはしないか
そういう調理をしていくっていう技法が
調理に端を端して定着していくんだよね
うーん
大事なのはありとあらゆる食材に
旨味を足す出汁文化
ああここからなんだね
まあ確かに精進料理なんて
そうだよね含ませることしなかったら
何の味もないやつが出来上がるよね
そう
見た目だけどね
ですごいのがね
これ本編今回はあんま話さないけど
昆布がある
昆布があるね
昆布があったけど食べてたんだよね
出汁じゃなくて
なんせ貴重品だから
貴重品なの
西日本で昆布取れないのよ
ああ取れないね
青森とかね日立の国
以北じゃなきゃ取れなかったんだから
なんであっちから運んでこないと
昆布は西日本では使えるはずがないんだよ
はいはいはい
平氏なんか山中じゃない
1:03:00
ところがね諸町時代ぐらいになってくると
ガンガン昆布入ってくるんだね
へえ
それこそ南北朝の時代になるとガンガン入ってくる
そうなんだ
これ面白いのがさ後に江戸時代になると
北前戦って言って青森とか函館と貿易をやるようになるね
ほうほうほう
これね太平洋側からだと行けないんだよ
行けない
海流の関係で
ああそうなんだ
南から黒潮が上がってくるでしょ静岡の沿岸通ってさ
北に上がってく暖かい暖流ね
北から降りてくる黒潮っていうのがあるよね
はいはい
これがだいたい駿河湾沖から長寿沖の間で季節によって変動するけどぶつかるじゃない
うん
で長寿沖千葉県だね茨城区と千葉県の間くらいのとこ
あそこでぶつかると暖流である黒潮はそのまま沖に行くんだよ
ああ離れてくもんね
離れて行っちゃう船流されちゃう
沖にね
行きづらいのよ
行けんことはないけどめんどくさいの
ところがですよ鶴が京都の北かあのあたりからずっと上がってくるとさ
そこの鶴島海流はさそのまま函館まで行くんだよ
ああ確かに日本海側ってそういう海流だったね
でなおかつ鎌倉時代の終わりから室町時代っていうのは
貨幣経済が日本に浸透して物流が進化する時代なんだよね
はあ
ちょっと思い出してたら分かるかもしれないけど
豊丸とかね土曹坂屋とかね酒のシリーズの時にちょっと出てきたかな
酒のシリーズの時
日本酒のシリーズの時にちょっと出てきたんだけど
豊っていうのは後の海鮮丼屋の豊の字ね
豊屋という名前の元になってる豊っていう集団がいて
この人たちは運送業者なわけ
これが硝煙と本城京都をつなぐ輸送の役割になってたんだけど
その人たちが売買債券を得たりとか運賃手間賃を取ったりとか
あと融資金融業に手を出していって
どんどんこんぐるまりとかしていくわけ
金があるから金貸しもやるし
どうせだったら儲かる商品を扱った方が
着物とか和紙やってるよりいいよねって言って
一部の豊の人たちが転身して自分で酒を作って
自分で酒を運んで自分で酒を売るっていうところになって
土曹坂屋の前身になっていく
これが南北長期から諸町期になる
諸町幕府っていうのは税金さえ収めてくれれば
鎌倉幕府のように厳しい制限しなかったわけ
酒作んなとかじゃなくて作っていいけどその代わり
ちゃんと税金を収めてねしたらちゃんと守ってやるよっていうスタイルだったから
どんどんどんどん商売が動き始めて物流が良くなって
貨幣経済が動き始めてるから
昆布とか椎茸とかそういった食材が
じゃんじゃん都周辺に集まるような
だから精進料理だけじゃない
本善料理とか他のものも全部そうなんだけど
室町時代は日本における食のルネッサンスです
急にルネッサンスぶっこんできた
1:06:00
そういうぐらい一番食文化がボーカーンって花開くのが室町時代だね
今もう精進料理の話してるうちにいつの間に鎌倉時代が終わって室町入っちゃってるんだけど
そういう時代感
いろいろ組み合わせもあったんだね
確かに今も千葉あたりからはあまり上に船が数なくて
新潟あたりからねよく出てるよね
だから佐渡島ってすごく重要拠点なんですよあれ
北の方に行く回路南北の往復の間では非常に重要な拠点の一つ
だから石川県のあたりがすごい栄えたのは
そういうことねやっと納得できたわ
なんで石川県なんだろうと思って確かに日本海の幸は入ってくるし
中国大陸とか中国のもっと大きな大陸のところとは近いっちゃ近いじゃん
だけじゃないんだ
あそこはもうなんなら当時の朝鮮半島のちょなんだっけな
くだらじゃねえや白木じゃなくて黄栗か
あの辺ともちょっとやり取りはしてたっぽいですし
当然北国日本の北国との拠点にもなってるんで
結構訴状とか記録見てるとその流通の過程でなんか
お偉いさんが余分なことして取り上げちゃったから何とかしてくれ
幕府の神様みたいな感じの朝廷喧嘩の朝廷をお願いするような訴状が残ってたりとかね
へえ本当に重要な拠点なんだね
それを出したのが今の納得半島だったりとか
はあ
なんだっけこれ日本史の回であったんだっけな
居酒屋っぽいものがどうやら納得半島にあったらしいみたいな話ちょっとして
やっと俺今回謎が解けたんだ
あ可能性あるわと思って
そういうことね
ねあり得るよね
納得当時って有名だよね
そういう繋がりか
やったんだから寒いだけじゃないんだ
東海道は陸主で
日本の端っこが今の福島県ぐらいでおしまいみたいな時代が長く続くんだよね
そこから先は江戸国だったりするから
一方で外国扱いだったけども
日本海側は比較的早い時代から北の方まで交流があるという感じ
はあ和食においてコブってすごくさ重要な
超重要
これ取り上げられるとかなりしんどいよね
これなくなったらマジでやばい
どうしようかなっていうこれで精進料理って言われると
椎茸もあるけど煮干しとか椎茸あるけど
いや椎茸言っても匂いがさとかあれをどうするってみんな多分同じ匂いになっちゃうね
あの匂い消すってもはや椎茸じゃなくてよくねってなっちゃうし
そう今の出汁の話ねこれ次回同じ話をするつもりだから今回カットしてもいいけど
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コブが京都周辺で活躍しだすじゃない北の産物なのに
で北の産物が京都に来たことによって精進料理じゃない食のジャンルで
南で作られた鰹と出会うんですよ
鰹って南なんだ
南あったかいとこだから基本的に四国で撮れたりするわけでしょ
都左の平安時代から都左の鰹って有名だからすでに
そうなんだ
あそこで煮干しみたいなの作ってそれを蘇陽町の献上品税として収めたりするわけ
その煮汁が調味料になったりするわけ
鰹で出汁を取るっていうのの原型は平安後期ぐらいから鎌倉時代には出てきてる
これと北からやってきたコブがちょうど京都のところで出会っちゃうんだよね
出会っちゃったその時代が室町時代なんだっていうね
いろいろ組み合わさるね
で登場するのが新しい武家の洋式料理である本禅料理の誕生
次回ですね
ちょっと次回楽しそうだね
書いてないこといっぱい言ったから書いてないところの部分は結構ふわっとして回してるんで
皆さん詳しいところ間違ったところもあるかもしれないので気になった方はググるなり読むなりしてください
信憑性は自己責任でお願いします
ということで今回はこの辺で終わりたいと思いますありがとうございました
ありがとうございました
01:11:04

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