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たべものラジオ カチャ料理ムト太郎です。ムト太郎です。
このラジオは少し変わった経歴の料理人兄弟が食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点 から学んでいくラジオ番組です
ということで久しぶりの日中撮影収録か 明るい
明るいね ペンションがどこに行っていいかよくわからんぞ
西日がねちょうど入ってくる時間帯ね あの動画の方は逆光でお送りします
そうですねはいということで今回もね質問箱に質問が来ているのでまずそちらの 回答から始めようかなと思います
調べ物AをしていたらBが気になりそっちを深掘りしていたらあれ何を調べていたんだっけ ってなることはないんですか
あるめっちゃある あるんだ
ありますよ やっぱりねもうこの原稿を書いている時点でもそれですね
そうなんだもうなんだか Aを調べているつもりが Bを調べてたら面白くなって
Bを調べたらCが出てきてDが出てきてみたいなのはざら そういうね
あるだろうね深掘りがメインだからね 謎文章というか謎単語をどんどん調べていくうちに
元がどこだかわかんなくなるっていうのは 単語もそうなんだけどプラスアルファでなんでこうなったっていうのはやっぱ大きいっすよね
ああそういうこと 今日は明治から大正にかけての話が中心になるんですけど
例えば明治の時代に思いっきり西洋化に振り切るわけですよね これは海外から西洋文明が入ってきたからそれがオシャンティだねみたいな感じでいった風にも解釈できなくはないんですけど
要考えたら1000年以上当たり前のリズムとして日常生活を送ってきたわけじゃないですか
まあ今風に言えば日本風和風として生きてきたわけですよね 当たり前ですけどそれを思いっきり西洋風に振り切るわけですよ
なんでそんな急にいったってちょっと考えちゃうんですよ じゃあそれなんでだっていうのを掘っていくと
なるほど西洋列挙がこういう活動でこういうような圧力がかかってきたんだね じゃあなんでそんなことなったってずーっといってんですよ
そのうちに新王朝がどうとかを読んでるけどこれなんだってなるみたいなことがよくある ですね
そういうことか 確かにネットで検索してたりパソコン上でやってるって余計ならん
そうですねタブいっぱい出ますね タブの数すごいもんねいつもね
開いていって面白そうなポイントを頭の中に残しとくなりメモに残しておいて でまあさすがにタブ多すぎんだろうと思って閉じる時にずーっと思考今度ね
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逆順に戻っていくわけですよね戻って行った時になんかすごい最果ての地に すっごい遠くで発見したものが元の絵とリンクすることがちょいちょいあって
それが面白いんですよね そういうね
なんか出発点が本とかだとさ開いておいておけば戻りやすいような気がする 確かにねなんかネットだとタブ開きすぎるとさ順番入れ替わったりすると
もうよくわかんなくなる それでいくと僕は常に手元に本を開いているのもあるし
原稿書いてますんで 自分用の教科書書いてるからそこに必ず帰ってくるっていうのは大きいですね
文字で残してあるのはね大事だよね多分ね ある意味自分で本書いてるようなもんなんでそこに帰ってこうと思ったらあれ
帰らなきゃってなるんですよね そうこの間昨日かやっとサポーターさん向けの台本サイト
このラジオのその文章版をやっとビールをあげたんだけど ビールがね6万8400文字
そんなもん そんなもんの基準がよくわかんないんだけど
どのくらいなんだろうねそれが多いのか少ないのかの基準がよくわかんないんですけど まあ今ビールが6万8000とかでその後がどんどん多くなっていくもんねさらにね
そうですね多いか 割と長くなったビールが最近は割と長くない方に入ってきたからさ
そうか梅干しとか短いぞきっと いやいやあれ番外編なんだよもともとシリーズ扱いじゃなかったんだよ
シリーズ化しちゃっただけですね あれは番外編が長すぎてシリーズ化したっていうだけで
なるほどね あれはちょっとカウントしちゃうとよくないかな そうかもしれないです
まあ今回の日本料理もね一応番外編でもね概要編なのはずだけど まだそのつもりですよ
そうなんだ 1個1個掘ってたらキリがないのでさらっと様式だけをなぞってる感じなんですよ
様式だけねまあ確かに様式だけなぞってるけどもう10本近くになるんじゃないのかな なりますね
なりますねあと1本から2本いきますね 1本から2本 今日ともう1本ぐらい
あれ1本で終わるって言わなかったの? 終わんねーよ あと2本いくの?
今日明治大正昭和初期ぐらいまで その戦後も行きたいじゃん
それが次回で終わりかな 次回ね終わりましたということで
ポッドキャスターアーバードの投票とサポーター登録の方ホームページからできますのでよろしくお願いします
はいあと皆様からのコメントメッセージドシドシお待ちしております
重要なの忘れてた 1月21日オフ会 第一回食べ物ラジオオフ会を開催いたします
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いたします で募集フォームを概要欄に貼り付けてありますのでそちらから応募いただけます
今回の概要欄に載ってるんですね 今回の概要欄 わかりました
サポーターさんの方はねもうディスコードの中で申し込みというかフォームできる前からもうホテル予約するとかね
すごいよね中に何も決まってない日付が決まった瞬間にホテル通り出す人がいるって恐ろしいんですけど
サポーターさん以外の方は一時会の部分だけの募集になりまして1月21日の土曜日の14時から18時頃まで
参加費が8000円で飲食代込みアルコール別であとイベント参加費込みになりますのでよろしければご参加ください
内容は明日か明後日かこの配信撮った後のあたりに徐々に詰めていく形にはなります
そうですね ということでよろしくお願いします はい では本編いきます
では前回からの続きですで今回は 近代の新日本料理
どっちだ近代の新日本料理 もうね近代というのは明治以降のことを指すわけですけれども
なんというか日本料理ってずっと今本然料理だとか茶外石だとか解析料理だとかってある程度フォーマットに名前がついてたんですよね
で明治以降の日本料理もやっぱり基本的には解析料理とか茶外石とか本然っていうのがベースにあるんですけど
僕の目から見るとこれは従来の解析料理とちょっと違うなーっていう感覚があるんですよ
そのなんだろうね18代2だとか行きだとかを言ってたのお金持ちたちね
あれとはまた違う思想というか美意識みたいなのが出てきて
でそっちに寄ってきてるのでこれ微妙なんですけど僕の感覚的にはまた一つ新しいジャンルができたようにも見えているという意味で新日本料理という風にしてみました
そういうことね はいでそれが起こるのが大正時代なんですがそれちょっと置いといて
置いといて 置いといてその背景知らないと意味が分からないんで うんまあね今のところ何も入ってきてない
全く入ってこないでしょ今日のゴール言っちゃうと大正時代にかの有名な北王子ロサンジンという人が出てきて
で新日本料理の原型みたいなものを思想的に美意識的に作りますでそれを有名なキッチョーというね関西のお店ですね
の創業者である結城定一さんが具現化してとかでそれの同じような動きをした人が実はあんまり有名になってないけどたくさんいて
で近代の日本料理のスタイルというのが確立されていくっていうのが今日の話のゴールです
そういうことね どんな道を辿ってそこに行ったのかというのを幕末からいきましょう
幕末から 幕末ね 幕末といって思い出すのはどんな人だったり出来事でしょう
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新選組坂本龍馬 いいねいいねやっぱそこだよねそうなるよね
きっかけになったのが1853年
変換じゃなくて 大正王冠はもうちょっとあったけどな
そこからまだ10年以上あるけど 何が原因なのか
一番最初引き金になったのは開国してくださいという黒船がやってくるわけですよね
この間出てきたね ペリーが黒船で4隻か黒船4隻が浦賀沖にやってきたと
うわなんだこりゃって現代で言ったらあれだよね映画のインディベンティスでみたいな 宇宙戦やってきたみたいな感じだよね
浦賀ってどこだっけ 浦賀ってあれだよあっち横浜の方
まあなんとなくイメージとは合ってれば 横須賀市ですね 横須賀市 神奈川
神奈川県ですよ東京湾の入り口みたいなとこかな ああそっち側なんだ
そっち側になりますねそこら辺に来て 開国しろということを武力を背景に迫ってくるわけですね
でまぁすったもんだといわゆるザ幕末ストーリーがあって 露心戦争があって大正奉還があって1868年だから
黒船が来てから15年後に元号が明治に変わるわけですね ここからが本番なんですけど
明治維新新政府はなぜ西洋化を推し進めたのかってことです なぜ西洋化を進めた
別にいいじゃん日本強いしそこそこ軍事力あったし当時も 人口も結構多い方の国だしまとまってさえいれば別に
俺たちは日本人だっていうアイデンティティを持って今までの服装のまま今までの 生活スタイルのままと渡り合ってもよかったんです
ただそれができない事情があった できない事情 はい無理やりにでも西洋化しなきゃいけない事情があったんですよ
これね前回の話もちょっと一瞬触れたんですけど あのやっぱりね他の国の文化を理解するっていうのはなかなか難しくて
例えば前回の話だとフランシスコザビエルの滞在費用として古書を持ってきたわけ じゃないですか
ヨーロッパで古書はめちゃくちゃ高価だしすごい大人気だからこれさえ持ってれば絶対売れるから 生活困んねえだろと思って持ってきたわけですよ
ところがどっこい日本でそんなに売れてないっていう 売れなかったね 自分たちがありがたいと思ってるものはお前たちもきっとありがたいよねって思っちゃうわけですよね
この感覚って多分現代時代も結構いろんなところでやっちゃうんですね でやっぱり明治の初期でも同じことが起こっていて
ヨーロッパの文脈において産業革命とか文明とかあとカトリック的な世界の捉え方ですね
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人権宣言にある民主主義的な考え方ですね これがベースであってこの考えにないものはこの道上にいないものはすべて劣ったものっていう捉え方をしがちなんですよ
排他的っていうことか そうですね他のルート道路Aがあります道路Bがあります
で道路Aを走っている人とBを走っている人がいて進んでいる距離が同じだとしてもAの人の価値観からするとそれ脇道だからみたいなね
お前らダメだよ劣ってるよ逆にBの人から見るとAは脇道だからってお互い言い合ってしまうみたいなことは世界史上よくあるんですよ
これ多分1個人対5人でもありますよねこの感覚があるから西洋列強と呼ばれる当時のヨーロッパの超強い国イギリスとかフランスとかドイツとかです
あの辺の人たちから見ると日本は劣った国に見える そういうことか
伝統の話でも出ましたけどテクノロジーを含めた文明社会経済の仕組みとかと文化という意味でこれ分けて考えなきゃいけないよねってなったんですけど
西洋的な文明を背景にすると日本にはエネルギー革命が起こっていない 産業革命が起こってないわけじゃないですか
江戸時代の話の時にしたかな日本はエネルギー革命なしに行き着くところまで行った経済の仕組みを持っていたと言われているぐらいなので
恐ろしいほどの経済力を持っていたんですけど幕府が活用できてなかったっていうぐらい 経済力ちゃんとあったんですけどそれが
ヨーロッパ的観念で見るとお前らダメだねっていうふうに見られかねない そういうリスクを背負っているというふうに捉えてましたね
あとそれが背景にアメリカが開国迫ってきましたけどそれ以前にもイギリスはちょいちょいちょっかい出してきてましたしスペインも来てたし
なんなら一番おっかねえロシアですね ロシア すぐ北にあるロシアですよ
ロシアってずっとロシアだったの? ロシアソ連ロシアですね
この頃はまだギリロシアからソ連かぐらいの間くらいですけど南下政策を取るのが彼らの基本的スタンスでそれはもう100年前も200年前も一緒なんですよ
上の人は下に来るってのは一緒なんだ あったかいとこ欲しいからねやっぱ日本にも来てたしタラフトなんかにもちょいちょいちょっかい出してたし
開国する少し前にも日本にロシア船がやってきてたりとかしてちょっかい出してたんですよ
ていうのもあってその植民地にされないために自分たちはちゃんと文明的にも進んでる国だから対等に付き合うべきだろって言い返したりするんですか
そうするときに日本人とのアイデンティティで日本的な感想で俺たち文明人だぞって言っても彼ら理解できないんですよ
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もう言葉が通じないみたいな感じなんでだから俺たちはお前たちの文脈で見ても確実に文明持ってるぞっていうのを言い張らなきゃいけない
ってことは西洋文明を受け入れてそれを形にしてもう言葉がなくても見やわかんだろう
ちゃんとレンガ作りの建物とか鉄筋コンクリートあるんだろうとか鉄筋ではないから石造りあるしとかガストあるし線路走ってるしとかそういうのを見せないといけないですね
分かりやすいのが洋服を変えることだったりとか軍隊の様式でもうあれですよねちょんまげ切ってさ
今の格好になるぞ洋服にっていうのもあるし食べ物も西洋化させていくっていう見せるために無理くり持っていくっていうのを強行突破するんですね
そういうこと相手の土俵で戦うみたいな そうですそうです
でさらに優位性を見せるっていう 翻訳するみたいな感じ文化を相手の言葉に翻訳しましたみたいな感じ
それが言語ではなくてノンバーバルの世界でやりましたっていう感じかな
よくやったね かなり強引だったと思いますよ
なんとなくおしゃれだなーって言って流行で乗っていくのってだいたいグラデーションだしじわーっといくじゃないですか
違うんですよねイメージいきなりバツンって変えるんですよ 写真というか資料集の絵とか見てるとガラッと変わるよね
いきなり変わるでしょあれ国主導でやってるパワーも結構働いてるんですよね
畳の上に絨毯引いて土俵にしたりとかさ そうですそうですそこで生まれたのがあれですもんねスリッパーですもんね
で大正ローマみたいな混ざったような雰囲気というか絵柄とかねインテリア感が生まれてるよね
いわゆる和洋節中の清みみたいなやつがね 節中したっていうか節中しかできなかったね
建物は和風だからね そうですねこれね分かりやすいとこでいくとね1871年年号をおこなくていいですけど明治4年ですね
8月宮中の食事に西洋料理を採用したと へえ早
明治4年つったらねまだ廃藩知見あったのこのぐらいじゃないかな 4年とか6年とかそんなもんだったと思うんだけどまだねこれより前はね
藩がまだ残ってたんですよちゃんと で年古もあったしお金も今の円になりかかってるけど基本的に流通しているのは
小判と銀と銅みたいな 全然江戸なんですよ
周りの生活習慣が そうだね そのくらいの時代なんだけど朝廷の天皇ですね明治天皇が召し上がるお食事をもう西洋料理採用って言って入れちゃうんですね
それもね採用したらそれが正式な食事は西洋料理ってことにしちゃうんですよ え正式な?
すごいでしょ えそこまで変えるの? 天皇だよ 天皇だよね だから晩餐書いてあるじゃないですか
金のまねーってさわーってやってパーティーですよいわゆる あの時の料理ってのは当たり前ですけどずっと日本の料理なわけじゃないですか
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現代ちゃんと日本料理ですよけどこの時は生産って言うんですけど正しいバサの3の字で生産 正しいメインの料理はフランス料理ですってことにしちゃうんですよ
すごいね 明治天皇自身はこれフレンチよりも和食の方が好きなんだけどなってぼやきながらも見せるために
外交的な意味でフランス料理にバーンって切り替えちゃう 考えた人賢いよねまあやるのは大変だけどもちろん
国のトップだしこの当時って廃物希釈とかがあったようにもう仏教とか外来の宗教ではなくて一回天皇家つまり神道に全部戻そうぜって動きをしてる時だから
国全体としてはもう一回天皇陛下トップって平安時代に戻ろうとしてるんですよねその時の天皇だからトップオブザトップの天皇の料理をフランス料理にするってわけわかんないことやってるんですよ
深藤の文明がどこ行ったかわからんけどね 確かにでもなんか日本のトップダウンのなんかその階級社会がもともとあったからね
それを有効活用した形だよね ですねあともう見せるという意味でもね
シンボライズされている部分もありますからね はいして同じ年の12月わずか4ヶ月後明治天皇がこんな宣言を発布いたします
肉食再開宣言 肉食ね確かに肉食再開したタイミングあったもんね
そうなんですこれはねあの実は消えてなくて675年に発布された天武天皇の肉食禁止の見事なりですよね
肉食なよってやつあったじゃないですか 平安時代よりも前の話ね
生きてるんですよ 一応あの辞めるって言ってないから
ほたらかしのだけなんだけどこれをあえて引っ張り出してきて明治天皇が肉食再開宣言を行う
これはもう明らかに西洋文明受け入れるぞ大勢なんですよ でやるんですけど一般庶民からすると肉気持ち悪って思ってる
まあ結構な期間で食べてないからかあまり かなり長い時間食べてないし特に江戸時代っていうのは
肉を食べない文化の極みの時期なんですよね もちろん薬食いって言ってねあのイノシシとか鹿とか一部で食べられてるんですけど
精神的な意味としてはねそのボタン鍋とか桜鍋って言ってね馬とかもそうなんですよ
モミジナミって言ったら鹿かな でインゴがついて食べられてるんだけどちょっと影で食べる
あーあれインゴだったんだ はい
大ピラに言いたくないんだよ みっともないとか恥ずかしいぐらいの感覚があるからだから薬だよって言って
これはあくまでも漢方薬の延長だから薬だよって言ってちょっとごまかしつつ食べるような風潮があるんですよもともと
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それは何かいつだったかの回で話で出てきてたけどボタン鍋のそのボタンあれインゴだったんだ
大ピラ まあでしょうねおしゃれな感じしますけどね なんか方言的な何かかと思ったけど
大ピラ ボタン鍋はインゴですよイノシシですね あと何の肉かわからないけど山クジラって言ったりね
山クジラ 大ピラ クジラはさ当時魚の扱いだから
ホウニュールかどうか知らないから海のもんだから そうかそういうことね
大ピラ クジラがすき焼き切り使われたりするわけですけど で山クジラって言ってちょっとごまかして食べるみたいな
クジラならいいでしょ山にいるクジラだからクジラだよねって もう男性よって言ってるもんが
大ピラ まあ獣なんだけど実際食べてるのは そういう風にちょっと精神的にやっぱちょっとイレギュラーだよって感覚だったのを
いやいやこれレギュラーにしますよっていう宣言を天皇自身がする ということにして国を変えてこうとするんだけどなかなか腰が重い日本人
いう状態なんですね でもそうは言ってもお前ら食えと言われたからには
国の上流階級って言うとちょっと語弊ありますけど 政治に近い人たち軍事的な人だったりとか
あと役人だったり高級役人とかね あとは銀行家とかさああいう人たちはもうそっちに寄っていくしかないわけじゃないですか
そことこうズブズブにつながってますんで 結果的に上流階級からだんだん肉食い始めてだんだんだんだん庶民に広がってくると
いう感じなんですね でちなみにこの肉料理とか肉料理を取り入れた養殖ですね
この時代の感覚ね養殖と肉食っていうのがセットなんで 肉食ったら養殖っていう感覚があるんですよね
まあそれまでに食べてないからね 今でもあるでしょ伝統的な和食で肉ってあんまり使わないイメージがあるから
ないね まあそういうイメージは多分この時代にできてる感覚で
1872年だから明治5年翌年ね 次の年には築地に西洋圏というこれはフランスの養殖屋さんですね
西洋料理屋さんが登場します 西洋圏わかるよね 西洋圏今もね聞いたことある
これね4年後の1876年に上野に西洋圏ができますね 今でもありますよね
あああるね 上野の駅前に林らしとかゆめのとこね
あれもともと西洋圏ホテルって築地にあったっすよね ああそうなんだ その支店が上野でまあ今築地ないんで上野西洋圏という風になってますね
でそこから10年もしないうちに6名館とかそういうのがバラバラバラバラと出てきて 初めは3軒5軒10軒とか言ってるうちに
15年20年の間にはもう全国100軒とか150軒とかっていう風に養殖屋さんが広がっていくと まあ結構なスピードだったんだね当時からしても
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そうですね20年から30年くらいの間にもう当たり前に徐々になっていく まあ当たり前ではないけど広がっていくっていう感じですかね
けどそんだけ食べる人がいなかったら広まんないわけだからさ 食べる人が増えたんだよね あのね20年って言うとね生まれておぎゃあが成人する時間があるんで
子供の頃に肉に慣れ親しんだ人は大人になったらもう当たり前に食べられるようになってるとか そういうのが多分あるでしょうね
この辺のフグと一緒だね ああそうですねあの頃食べてればみたいなのである意味すり込み教育的なことが起こるっすね
こういう洋食文化西洋料理がドーンって入ってきたおかげでですね 逆に日本料理という単語が作り出されるんですよ
ここでね ここでこれはね日本料理という言葉を最初に書籍の中で使った人というのがこれわかっていて
ちょっと後なんですけど1898年明治31年 明治になってから30年経ってますね
この時に日本料理大全という書籍が出ますね 大全かな日本料理大全
日本料理大全 そうこれねすごいよ
ページ数1500ページぐらい 1500ページ すごい隊長だよね すごいね
書いてある内容が日本料理の遠隔とかあと流派あと切り方とかね
剥き物それから調理の方法からこんだての立て方 考え方思想盛り付けなどなどもう全般にわたって網羅して書いてある
えーなんかこんだての立て方とかさ思想とかちょっと見てみたいな この当時のやつ だよね読んだことないけどね
多分この昔からの食べ物ラジオ的なことをもっともっと厳密にやってるんでしょうね あーそうね
興味深いのは時代も時代なんで西洋料理とか中華料理にも言及されてる
対比として日本料理という言葉が使われてるっていうことですね 分けるためにね
ちなみにこれ著者が石井康二郎さんという方ですね このお父さんが実は石井智平さんかな
智平さんという方がいらっしゃってこの人ね市場流の師範なんですよ へーそうなんだ
市場流ってのは平安時代からずっと続く朝廷の中の料理のトップみたいな人ですよね
この流派の中の一人でこの石井智平さんというお父さんは幕府諸藩の料理師範を務めていて
明治維新後も宮内町大前式傍聴って言って結局朝廷の中の料理のトップやるわけですよね
そういう人が生産をフランス料理に乗っ取られるんで出番なくなるじゃないですか
その浮き沈みを見ていてこれは一度日本料理というものを固め直さねばならんって言って
お父さんと息子が協力し合って日本料理大全という本を出版すると
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はーそうなんだね
これぶらされないように一回自分たちのアイデンティティは何だっていうのを見直すタイミングなんですよね
だからこの後しばらくの間は西洋のもの外来のものをなるべく受け付けないように受け付けないようにするんですよ
なんて言ったらいいんだろうな養殖が入ってきたことでこれ養殖が入ってきたことで一口に言っちゃうとわかりづらいんですけど
戦国時代にポルトガルやオランダから西洋料理の片鱗が入ってきますよねこの時はあくまでも一部の料理手法だったりとか食材だったんですよ
ところが今この明治維新の段階っていうのはフランス料理という今の皆さんが想像するあのフランス料理のフォーマットですよね
スープが両サイドになってスープから始まってって言って麺があってとかああいうスタイルが丸ごと入ってきてるんですね
だから思いっきり本然や解析とパッティングする だからこそ俺たちは何者かを見直さなきゃいけないということで
日本料理はより日本らしくあらねばならないというカウンターカルチャーが生まれてくるんですね だからこそ容易に西洋の食材を入れない
西洋の調理技法であるオーブンを使うとかもやらないようにするんですわざと ということでみんなの意識の中に日本料理とはそうではないものとして確立をするという
このカウンターがちょっと興味深いですよね そういうことね
で亀になってガチガチ守るっていう そうじゃないとこの時代きっとあのいろんな情報がさ
バーって開国してから入ってきてそのせいで何が何だかわかんなくなる可能性の方が高いよね そう何が何だかマジわかんなくなるんですよ
これね今からちょうどいい振りだねこの後ね日本人は西洋からやってきた食文化を真改造しながら組み替えしながら理解していくんですよ
もうめちゃくちゃ大変なこと言ってるけど 見たことないものなんですよ
宇宙で拾ってきたこれ食えるのか食えないのかみたいなよくわかんない状態だったりするわけですね 一応地球だけどね
現代的に行くと火星なんか食えそうなの持ってきたぜ食えるよって言われても何何かに似てるやつなのみたいな感じになるじゃないですか
だからみんなこう 自分の知ってるものと似てるものとして認知をしていくんですね
なんか培養された元かそうじゃない そうかもね何だろうな
海藻だけど海藻じゃないじゃん海藻の培養したやつ 今まで食べてないけどさだから海苔に見立ててみたいとかさ
そうなんだけど例え難しいと言ったら 最近あの培養系ね大体食品の情報ばっかり入ってくるから
それ一般的じゃないからね古文センスおかしいからね
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例えばさ友人知人とかで僕自分の知らない全然知らない業界の話を聞いたとするじゃない
でそれを理解するのにあーそれって例えばサッカーで言うとこういうこととか野球で言うとこういうこととか
その身近な例に置き換えてあーなるほどなんとなくメタファーとして理解したわみたいな感覚で理解していくじゃないですか
それやるんですよ 既存のものとどうだけ近いかっていうのでやっていくんですね
でまずお肉のところから行くんですけどまず牛肉食い始めます
牛肉食い始めるきっかけはもう単純に外国人が食ってからなんです まあね
すごいよイギリスとかアメリカも来なかったけど主にイギリス人が多く日本にやってきて滞在してたわけですよね
詳しくはビールのシリーズを聞いていただきたいんですが 外国人居留地に外国人がたくさん滞在いたします
彼ら肉食いたいですそうすると日本国内でもいなくはないのでそれを購入する場合もあるんですけど
他の国から連れてくるんですよ 他の国から
別に日本以外のアジアの国で牛いるんで別にヨーロッパから連れてくる必要ないですからね
別に東アジアで寄ればそこで牛いるんで まあ何でもいるだろうね
滞在してから連れてくると腐っちゃうんで生きたまま連れてきて船の上で滞在して横浜とか神戸とかでね
食べると でも足りないんで
まあ運ぶには限界があるわ めっちゃ足りない 足りないんでじゃあ日本でもうちょっとたくさん牛飼ってるとこないかなって探してたら
外国人居留地の近くにいいとこあったんですよ 横浜界隈にはなかったんですけど
海辺だしね 神戸の近くにいい牛いっぱい飼ってるところがあったんですね
六甲山脈 六甲山脈 六甲山地の山の中で結構いい牛をたくさん飼ってるところがあったんでそれを買い付けてきて
日本人がやったんですよ 神戸に持って行って神戸の町で滞在して外国人居留地にいる外国人に売ると
そういうことで始めたんですよ だから今でも神戸ビーフって海外で通じるんですね
神戸ビーフって海外も通用するの 神戸牛うめいうめえって初めに食ったのは日本人じゃなくて神戸にいた外国人なんでそもそもが
そういうことね 日本でも神戸の牛牛肉って結構有名じゃないですか
それはこの時始まったブランドなんですね まあ第一号場所みたいな
これがだんだんと広がっていくんですよ 外国人が食べるだけじゃなくて外国人に肉を提供しているのも日本人の業者が入ってくる
ここで冷蔵庫とかなんだかんや出てくるんですけど だんだんと牛肉を卸している人たちも自分たちも食べるようになるし
先ほど言った西洋圏をはじめとした西洋料理屋さんでも肉を扱うようになる
徐々に食べるようになっていくここで流行るのがすき焼きと
ここなんだねすき焼き ここからだんだんすき焼き文化が庶民の間に広がっていくんですね
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でこの時代
今のすき焼きの概念と合致しないんですよ面白いことに 合致しない 言葉と食べてるものおかしいんですよ
だってすき焼きじゃないですか すき焼きね 関東風のすき焼きってあれ牛鍋なんですよね
混ざっちゃった 混ざっちゃった ざっくり言いますね関東牛鍋関西すき焼きなんです本来は
関東の牛鍋はどういう文脈から出てきたかというと それこそさっき言ったボタン鍋とかもみじ鍋とか桜鍋の文脈から出てきてるんで
基本的に味噌ベースだったり濃い口醤油ベースの鍋なんです 鍋だね 肉は臭いから当時からだからネギいっぱい入れて
めっちゃ濃い味の鍋のジャンルとしてはありえないぐらい汁濃いですよね 水炊きが一番薄いですよね
で味付けの寄せ鍋みたいなのがあってあれは汁が飲める 増水にもなる すき焼きの汁飲める
塩辛いね 無理でしょあれなんで濃いかって言うともちろん飯のおかずになるって言うのもあるんですけど
肉臭さを消したい だから濃い口醤油もしくは味噌ですね
っていう文脈で出てきたのが関東の牛鍋屋 ルローニケンシンとか漫画見ると牛鍋屋でご飯食べてますよね
あれあれ 食べてるね あれ江戸の話東京の話ですね ああそうなんだ 横浜とかじゃのみ屋さんとか有名ですけど
あれが牛鍋です で関西はどのように出てきたかっていうともともと鉄板焼きです
鉄板焼き 以前ちょっと触れましたけど農具のスキってありますね
板状のやつ農具ね あの板状の金具の部分を外してあれを鉄板にして肉焼いて食べてたんですもともと
その肉はクジラだったりとかイノシシだったり そういったお肉なんです
なんで彼らは鍋を使わずに農具なんかで焼いてんだって話なんですよ
それはね獣肉って穢れなんです日本人の伝統的な観念からすると
この穢れを飯を食う台所に持ち込みたくないわけ
ましてや飯を食うお魚とか野菜を炊くような鍋の上で煮たり焼いたりしたら鍋が穢れるじゃない
だから農具のスキの上であれは綺麗になってねあそこで焼くっていう
それがスキ焼きの発祥 そういう名前なんだ
なんか鉄板焼きって言ってるくらいだから焼いてんだちゃんと
関東は鍋なんこれがだんだんだんだん合流していった結果どっちがどっちやらわからなくなって
牛鍋今はもうね牛鍋が主流ですけどあれをスキ焼きって言い始めちゃった
卵をつけて食べるのはスキ焼き文化なんで関西型の文化なんですけどね
そうなんだ もともとは
へえ結構混ざってんだね 結構ごちゃごちゃに混ざってきてます
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だからやっぱこれも組み替えですよね
組み替えをねもっともっとわかりやすく言ったのが下作者に金垣ロブンっていう人がいるんですね
下作ってわかりますかね 下作?
まあ平田アークというと小説家ですよ
この小説家に金垣ロブンという人がいて
この人が書いた本で割と有名なのがアグラ鍋という小説があるんですね
漢字でアグラってなんか難しい字書いてますけどね
そうなんだ これね味噌鍋とかわさび醤油で肉を食べるとかこれがいいよねっていうような
小説仕立てになってる物語なんですけどね
この中に出てくる文章で最も有名なのが牛肉食わぬは開けぬやつ
牛肉食わねば?
牛肉食わぬは開けぬやつ
まあ肉食わねえやつは開けぬっていうのは文明開化の時期ですから
お前は開けてねえな遅れてんなって
へえそんな言葉を残してる
そういうようなことを小説の中の登場人物が喋るわけですね
これが流行するの
流行するの
この金垣ロブンという人が結構参考にした書物があって
情報源になった人がいるんですよ
それが福沢諭吉なんですね
福沢諭吉
福沢諭吉といえば
なんでしょう
なんでしょう1万円?
1万円札の人
学問のすすめ
学問のすすめ
食のすすめ
食のすすめは書いてないけど
あと慶応義塾とかね
慶応義塾とかね
あと
肉のすすめか
そうさすが知ってるね肉食の説といいます
肉食の説っていうのが正式なんだ
もうほんとね文字数にしたら2000文字あるかないかぐらいの短い文ですね
僕サラサラっと読めるぐらいの原文なんで
ああそうなんだ
そんな難しくないです
肉食わねえやつは開けてないし
肉食わないから日本人の体格はあんまり大きくならないし
賢くなんねえんだというようなことを書いてます
なんかその話があるよね
肉食文化の会で福沢諭吉が書いたっていう話は
チラッと触れてるんだな
そうなんですよね
だから知ってんだよ
言ったか俺
言ったよ
この人めっちゃ肉大好き
そう言ってたのね
意外とね知られてないけど画体も良くて
画体いいな
居合抜きの達人だったりして
へえ
バリバリ大会系な感じなんですよね
すんごい絵だけ見ると文系っぽいけど
まあね学問の勧めなんて書いてるしね
分部両道なんじゃない
すごいねでも画体良かったんだね
結構画体良かったっぽいですよ
へえ
だって慶応義塾の学職の中に焼肉定食みたいなの定食入れちゃうからね
へえ
肉食えお前らも
そうなんだ
ああどんどん肉だ肉だって
へえ
で海外をぐるぐる回るじゃないですか
彼はオランド語もできるし英語もできるから
でアメリカ行ったりヨーロッパを歴報して海外の様子を見てきて
特にフランスとかドイツを見て影響を受けて
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書いたのが学問の勧めだって言われてますけどね
で色んな外国の言葉を日本語に翻訳したのを福沢由吉がやったの多いですよね結構ね
そういうような方なんで
結構ね解明的というか
もっと西洋化した方がいいぜってやろうぜやろうぜみたいなことを
の旗頭になるような人ですねこの人ね
うんうんうん
なんですけどそうは言ってもいきなりですよ
今までザ和食しか知らない人たちが
ずらっとナイフとフォークを並べられて
お皿が並んでいて
テーブルという椅子という組み合わせ
今まで見たことのないセットに座らされて
はい食べられますかって話なんですよ
ああ難しいだろうね
何これどうすんのこの道具は何って
戸惑いしかないですよね
そもそも椅子に座って食べること自体それまでほとんどないわけですから
なんだこれ
なるんでこれを日本人が食べやすいように
日本の料理屋さんがアレンジしていくんですよ
だからいきなり見たことのない海外の野菜を使うのではなくって
大和種西洋料理店って言って
日本の食材で西洋料理作ります
うんうん
そんな店まで出てきたんだね
キャベツとかそんな西洋野菜
葉物わかんないんでちゃんとコンサイ使いましょうとか
ゆかんじほうれん草とか使いましょうみたいな
西洋料理店が出てきたりとか
あと座敷料理店ですね
座敷料理店
座敷西洋料理店
畳の上に座布団置いてあぐらかいて
西洋料理食べる
もちろん箸
でスープは平皿じゃなくてお飯とかね
したら日本人食べられるじゃないですか
食べられるね
だから先ほど言った
金垣ロブンが書いたという小説のタイトルが
あぐら鍋なんですよ
西洋鍋でも牛鍋でもなくて
あぐらをかいて食べる牛鍋で略してあぐら鍋なんですね
で中を見るとちゃんと味噌鍋をベースにした
牛鍋になっているし
肉も生肉ですけどね
これはわさび醤油で食べるといい
みたいなことが書いてあるという話ですね
わさび醤油ね
食べ物ラジオ
続きましょう
こうして海外からやってきた
もしくはこの明治維新で食文化にインパクトが
ドーンって入ってきたタイミングで
理解ができないんで
いろんな組み替えをしながら
理解をしてくるって話さっきしましたよね
他の例ちょっとお伝えします
まずアンパンです
アンパン?
アンパンはもともと知られてはいたんですけど
日常的に食べられてはないですよね
江戸時代の人たちがパン食ってたイメージないでしょ
焼くのも分かんないだろうし
したらね
このパンなんだろうってことになるわけです
そもそもこのパンというものは何だろう
何か似たものないかなって探すんですよ
作り方聞いてみたら
どうやら小麦粉と水を合わせて
こねこねして火を通すらしいと
こんな釜に入れて焼くんだ
42:00
焼くとこんな風に膨らむんだって
どうやって膨らんでんだろう
そういう麹みたいなやつを入れるんだね
へえへえとなるわけですよ
確かに麹っぽいよね
なんだこれって
そういう風な理解の仕方しかしようがないので
イーストという言葉ないからね
確かにね
ないからね
なんだなんだ
じゃあ小麦と水をこねて加熱するものを
日本にも似たのがあるではないか
って思いついたのが饅頭なんですよ
饅頭
饅頭の皮ってさ
米粉か小麦粉をこねて水入れて
であれを丸めて中に餡を入れて蒸したものですよね
これ蒸すんじゃなくて
焼いたらパンになるんだっていう
理解の仕方をしていくんですよ
確かに
饅頭の外側のやつね
ほうほうほうほう
饅頭の外側
饅頭
饅頭
ってことは何か
中にあんこ入れたら焼き饅頭ができるんじゃん
笑
で思いついたのが木村弥生さんで
あんぱんを作り出すね
あれ焼き饅頭か
元のベースは饅頭の反射なん
だからあんぱんなんだ
原料一緒でしょほとんど
ほとんど一緒だね
もう饅頭っすよ饅頭っす
そういう組み返ししちゃうんですよね
じゃああんぱんは海外にはあんまりないのか
いや何でないじゃんあれ日本発祥ですもん
まああんがないからね
あれは日本のものです
じゃあクリームパンは
そう
でもそういう文脈でいくならクリームパンも
その後に出てきた可能性ありますね
っていうことだよね
あんこがいけるならクリーム入れたらいいんじゃないみたいな
どんどん転がっていくイメージですよね
あとトンカツね
トンカツ
トンカツって前半が豚じゃないですか
豚のトン
カツってなんだって話です
確かに
カツっていうのはコートレットっていうフランスで
発音知らないですけどコートレットですよ
音で聞いたらカツレツに聞こえるわけですよね
当時の日本人は
で略してカツ
カツレツって
メニューに書いてあるお店ありますけどね
洋食屋さんで
カツレツの元になってるのはフランス料理の
コートレット
でコートレットってなんだ
コーシーニックにね
下味つけてもちろん塩コショウとかして
でパン粉をくっつけて
ここまで一緒ですね
揚げない
揚げてないのあれ
炒め焼きとでもいいですかね
フライパンに油敷いてその上で
多めの油でジャーって焼いていく感じ
あるねあるある
フレンチの料理技法でありますよね
そうなんだ
そもそも英単語の
フライってあるじゃないですか
フライドポテトのフライですね
フライのことは本来は
炒め焼きのことをフライって言いますからね
だからフライパンっつってるじゃん
油を敷いて炒める
のことをフライって言うんですよ
揚げるときはディープフライって言うんです
えっそうなの
だからフライパンって
あんなに浅いんだ
ですです
フライドポテトとかフライドチキンは正しくは
45:01
ディープフライドチキンですよね
そうだね
本当に言うか知らんけど
一応料理の用事者数に分かれてるんですね
そんな
揚げ焼き見たことないわけですよ
ましてやパン粉なんて初めて見るわけですよ
なんじゃこりゃと
中に煮てるのは食べた感じ油もこんな感じだし
表面カリッとしてて
表面サクッとして中しっとり
表面カリッて中しっとり
天ぷらかみたいな
まあね天ぷらに
天ぷらアレンジね
じゃあ天ぷらと同じように
やりゃいいじゃんつって
小麦粉つけて卵つけて
でパン粉つけて
ディープフライで揚げちゃうわけね
あれコートレットどこいったみたいな
そうねディープフライになっちゃったね急にね
こうなりますよね
肉食ってると口の中さっぱりしたじゃないですか
油食ったらやっぱさっぱりしてるよな
なんかねえかな
なんかねえかな
そういや江戸の森から明治にかけた
最近マグロってやつが人気で
刺身食って口の中がベッドリする
やっぱあいときは大根のツマがあると
さっぱりしていいよね
やっぱわさびとかもなかなかイケてるよね
ツマかツマか
そういや最近流行してきた
西洋野菜のキャベツってのはどうだいって
なってキャベツがツマの代わりに
横にどんと添えられるんですよ
あれやっぱツマなんだ
はい
これやっぱ辛味があったほうがさっぱりして
引き締まっていいよね
マスタードじゃなくて和辛子が出てくる
からしってのは
からし菜があるように日本古来の
調味料のひとつなんで
からし菜のみで
からし使ったらちょうどいいよねってことで
今のあの三点セットができるようになった
そう
まあ確かにあの
日本料理だろうなとは思ってたけど
成り立ちがさだいぶ
ひねってるね
だいぶね海外のものを見て日本のものと
似てるのを探してきてそれを
組み返して組み返して組み返して
どんどんどんどん日本化させてしまう
でこれで
パンとかスープとかがあれば
まあ洋食なんですけど
違うんだねやっぱね
トンカツの時さパン食わないでしょ
食わないでしょスープとか
食べないね
もうやっぱりご飯と味噌汁と漬物セットでしょ
もうねこの時代からそうなのよ
ああ初期から
もういきなりそっち行っちゃう
もうトンカツ定食が出てくるわけですよ
そうかまあ
おかずがやり方がちょっと西洋に
学んだっていうだけで
それ以外は全国に変化なしだね
あのねこの後出てくる
コロッケとかそういうのもそうなんですけど
主役とおかずを
こんだけ分けて考えるのって
米文化圏ぐらいしかないんですよ
ああ言ってたね
海外行くと
例えばですよ
ステーキの添え物として
バターライスがあって
パンがあってみたいな
並列なんですね
メイン的な
48:00
肉とかの食べ物
肉とか魚の食べ物があって
副菜みたいのがあって
中の一つがパンでありスープであり
ご飯であるみたいな
そういう位置づけなんですよ
に対して日本は
圧倒的主役が飯なんですよね
なんなら江戸時代の
最強のおかずって
きんぴらごぼうとかじゃないですか
飯を大量に食うために
味の濃いしょっからい
きんぴらごぼうが大人気っていう
ふりかけなんですよ言ってみれば
そうねご飯と
味噌汁と漬物があって
なんかそのおかずは
毎日変わるみたいな
おかずだけしか変わらない
そうですそのおかずの
位置づけというのはおかず自体が美味しいのもあるけど
基本的な役割としては
ご飯を進めるための
おかずなんですよね
ご飯が進むくんって
あれ全てのおかずがそれですからね
これが酒に変わると
酒が進む魚に変わるだけで
この観念が
ザ日本らしい日本なんです
でこのおかずの部分に
西洋料理をバカバカバカバカ
当ててくわけ
そうすると米と一緒だから安心して食べられるわけです
ハンバーグは食べられるのがある
で極みは
ご飯の上に物乗っけ始める
元々天丼みたいなのあったな
ウナギ丼とかあるから
そりゃそうだよね米あったら乗せるもんね
乗せるじゃんだって今でも焼肉ワンバンするでしょ
ワンバンすると
巻くでしょ
あの感覚はもう江戸以前からあるわけです
でじゃあ牛鍋が出てきました
はい当然牛丼やりますよね
卵とじしますよね
鰹丼とか
卵とじやりますよね
そのうちに
オムレツらしいというものがあるらしい
あんなかに飯くるんでしまえみたいな
オムライスが出てくるし
オムライスってまあそうだよね
ライスだもんで日本だよね
元々くるぐるのが始めるのか
乗っけたのが始めるのかわかんないですけどね
そんなようなことをし始める
でカレーライスなんかも極みですよね
カレーライスなんか
肉食うのに最適
まあ確かにね
スパイス入ってさ肉の臭みないし
牛筋入れたりね
煮込みもできるしね
できちゃうしあれをご飯にかけて食べる
飯だからさ
食べられちゃうのよ
強烈なスパイスだって言うけどメインはターメリックでしょ
ターメリックってウコンなんですよ
日本語で言っちゃうと
あとシナも入ってますよね
厳密には違うけど
日記なわけですよ
割と馴染みのある
スパイスが多い
もうスーッと入ってから
明治30年頃には
国産のカレー粉ってのが生まれるようになるわけですよね
初めの頃は
牛肉は使われてないんですけど
徐々に牛肉が入っていって
どんどん西洋化していく
いう感じで
一例ですけど他にいっぱいあるんですよ
いっぱいあるんだけど
あえてこのくらいにしておきますけど
組み替えをして
51:00
日本の文脈に入れ替えて
理解をして日本流にアレンジをして
西洋料理を受け取っていく
ということになっていきます
今でもある
街の洋食屋さんってこれの文脈にしっかり乗ってますよね
そういうことになるね
今の高級フレンチとか
ザ洋食屋さんじゃないところ
西洋料理的なところは
また新しく
海外に行って勉強してきた方が
持ってきたものが多いですけど
ザ洋食といえばこの辺ですね
そうだね
だから洋食屋さん定食屋さん行くと
洋食屋なのに普通にトンカツ置いてたりするんですよ
そうか
生姜焼きとか
生姜焼きね
生姜焼き定食って日本料理の中の一部みたいに見えるじゃないですか
でも初期は
西洋の影響を受けている時にできたんで
洋食屋さんにあったんです
まあそういうことね
トビモノラジオ
このままの勢いで
明治の時代が
洋食化していくわけですよ
料理の文脈でいくと
さらに
大正に入って加速します
ここから大正か
大正デモクラシ
これ何年ぐらいで
起こったのかな
これだいたい40年ちょっとぐらい
そうなんだ
そこそこあるよ
だから僕がおぎゃーと思われたから
今に至るぐらいの時間
40数年間かかります
40数年間
明治が45年まであるからね
結構長いです
世の中に西洋料理というものが
日本文化と同化して
日本化して定着していくっていう感じですね
大正時代に入ると
大正デモクラシーって言って
自由主義的な
民主化運動みたいなのが始まるんですよ
民主化
国民主権です民主化です
みたいなのがどんどんどんどん進んでいきます
詳しくはこれ言ってると本当に切れないんで
wikipediaでも見て調べてください
この大正デモクラシーが
起きるような時代に
いわゆるサラリー番が急増するんですよね
明治の初期に
食産工業って言って工業化
進めるじゃないですか
農業従事者よりも工業従事者が増えてきて
いわゆる年型の
ザサラリーマンみたいな人たちも徐々に出てくる
これが大正ぐらいになってくると
東京あたりもほとんど今のような
サラリーマンだらけになるんですよ
洋服は和服だったりしますけどね
すごいシュールだね今思うと
男性も女性も和服着て
会社にいたりしますからね
すごいなんかこうチグファグじゃないけど
違和感がすごそうだね今
僕映像で見慣れちゃったからね
男性はあれです丸眼鏡の
ちょびひげのスーツの
カンカラ帽をかぶってみたいな
よく典型的にあるじゃないですか
あんな感じで
事務委員やってる女性はお着物を着て
バッグ持って
船さんみたいなサザエさんに出てくる船さん
みたいな格好でお仕事されてるみたいな
そういうことね ああいう時代感
ですよ ああじゃあサザエさん
54:00
そのままか
まあそうですね サザエさんは着物だしさ
けどマスオさんとかみんなスーツじゃん
特にもう
ナミヘイさんまんまっすもん
帰ってきたらジンベエだもんね
ナミヘイさんってサザエさんの
原作がそのくらいの時代感の
やつなんで
古いんだね だから
大正昭和の初期くらい思ったら
いいんじゃないですか
まあある意味そのおかげで今も
馴染みがあるというか違和感は
かににくいかもしれない
そんな時代感の時代で
サラリーマンがいっぱい出てくる
サラリーマンがいっぱい出てくるということは当然経済が復興していて
裕福な
ビジネスマンが出てくる
今で言うとベンチャー企業家で
成功した人たちみたいなのがバシバシ出てくる
ですよね
この人たちがね
思いっきり西洋化してるのに
カウンターかけてくるんですよ
カウンター
世の中が
西洋文明の影響を受けまくって
思いっきり
西洋化してくるんですね
だから民主化運動みたいなアメリカナイズみたいな感じのことが
起こってくる
特にこの時代っていうのは
イギリスとアメリカとめっちゃ仲良しなんで
日清戦争
日露戦争とかね
日露戦争なんか結構イギリスの後押しを受けて
日英同盟とかやっちゃってるんで
かなり影響を受けてるんですよね
どんどんどんどん民主化運動みたいなのが
起こりつつ
どんどん西洋化していく
まさに和洋節中の
時代感になっていきます
鬼滅の刃とかね
あの世界観かな対象って言うとね
まあね確かにそうかもね
そうするとね
今度ね実業化と呼ばれてる人たちが
やっぱ日本文化も
いいよね美しいよね
やっぱり
いう感じになってくるんですよ
鬼滅とか見ると分かるんですけど
西洋の花々しいところと
あと元々
江戸期から続いている
日本文化の艶っぽいところ
きらびやかなところがうまーく融合してる
大正時代なのに
ちょっと浮世絵っぽいような色合い
なんですよね
描かれてる絵画なんか特にそうなんですけど
ああいう美意識みたいなものが
日本的なものが再び
復活するというか
実業化という庶民の中の
金持ちが出てきたことでその人たちに
受け入れられてくるんですよ
そのいわゆる
金持ちビジネスマンの人たちが
茶の湯にはまるんですね
茶の湯ね
自ら茶人になっていく
茶人になっていくんだ
そうなんですよ
李旧そのものですよ李旧もともと豪商ですから
商人なんで商人が茶の湯にはまる
ような感じで出てくるんですよね
何人か有名な人
あるんですけど僕あんま詳しくないので
一人だけこの人の名前知ってるぞ
って言ったのが小林一雄さんぐらいでしたよね
阪急
で作った人甲子園球場とか
高須賀作った人ね
その人なんだ
57:00
その人なんかもこの中の一人と言われてます
彼らはやっぱ
ただの金持ちじゃなくて
茶人として
わびさびの美意識みたいなのを
持っていてとても日本的な美意識を
持っている上に
しっかり学ぶのね
学ぶからこそビジネスとして成功してるんですけど
学んでるから深い
教養があるんですよ
文芸とかにも詳しければ
歴史もちゃんとわかるみたいな
感じの人たちが出てきて
そういうサロンじゃないけど
コミュニティネットワークが出てくる
ですね
ここにくっついて
出てきたのが北王子ロサンジン
ここでね
北王子ロサンジンって何やった人?
北王子ロサンジン何やった人?
全然意味わかんないでしょ
ロサンジンの名前兄ちゃんがよく言ってる
名前は聞くし
器はロサンジンの器って言ったら
この皿1枚120万とかね
200万とかってのあるし
出てくるし
写真でも丸眼鏡かけた
いかつい顔したおっちゃんみたいな
そんな顔だっけか
まあいざ対象の人だなっていう
イメージなんだけど
これこの人もともと
書家、文字書く人ね
画家であり
遠国家、これ
ハンコホル人ね
いわゆるアーティストなんですよ
アーティストの
活動してるうちに
実業家の1人がパトローに
ついてくれるのね
そのパトローに連れてご飯とか食べてるうちに
食の世界ってすげえな
茶解析ってすげえな、解析料理ってすげえな
っていう方に目覚めていく
最終的には美食家になって
自ら料理をするようになって
芸術としての
食文化みたいなのに目覚めていって
それを演出するために
この器じゃねえな、いい器ねえな
自分で陶芸始めちゃう
- そういう感じなのね
ただ陶芸の世界では
ロサンゼンすげえって言ってる人もいれば
素人陶芸だよな
って批判してる方も
両方いらっしゃいます
- 写真が
梅原さんそっくりなんだよね
腕組んでさ
丸眼鏡でさ
ぶっちょずらせたら梅原さん怒られるけど
で顔してる感じが
芸術家というか
アート系の人の顔してるね
- あれですよ
ロサンゼンって結構ファンも
あるし当時からね
支援する人もたくさんいるんですけど
一方で批判する人も
めっちゃ多かったんで
なんせね態度が王兵
超上から目線
気にいらん人は
どんなに有名人であっても
ボロカソ言うから普通に新聞とか
論評で
本人に言っちゃうからね
気に入らない
王兵な態度がどのくらい王兵か
というとピッタリイメージが
くるのがかの有名な
美食漫画おいしんぼの貝原雄三です
- あーそこまでか
- あのくらいのイメージ
1:00:00
あれでフォルメされてると思いますけど
何せおいしんぼ自体が
初期の漫画ですよ
後半は違うと思うんですけど
初期の頃なんかかなり
ロサンゼンの影響を受けてますからね
フランスレストランに行って
フランスレストランに行って
中岡醤油あれを出せ
って言ってわさび醤油で食って
やっぱりこっちのがうまいとか言って
フランス料理の一重のシェフを
ケチョンケチョンにこき下ろす
マジでフランスでやったロサンゼンのやったエピソード
そのものですからね
マジでやってますから
ロサンゼンが作った
会員制の
飲食店ですね
1921年美食クラブ
まんまでしょ
まんま美味しん坊なんだ
で4年後
1925年に
星岡砂漁というやはり会員制の
お店をロサンゼンが開きます
でこの星岡砂漁をもじって
ひっくり返して山岡の
馴染みのお店でおかぼしって
出来てるわけだから
そうなんだ
でもねなんとなく
分かんなくても北尾寺ロサンゼン
分かんなくても現代人
特に僕ら世代が
ロサンゼンの影響を受けてるのは美味しん坊を介して
受け取ってる可能性が高いですよ
このね
美的感覚
料理をある種アートのように扱って
美意識を持ち込んでいく
演出していく相互演出していくんだ
っていうのがこのロサンゼンが
大正デモクラシーの時代にドンって前出したやつ
なんですね
だから特に料理も
ちょっと変わってくるんですね
今までだったら
日本料理は日本料理らしく
分かんねばならぬっていうことで
あえて西洋の料理の文化を排除して
何なら中華っぽく受け取られがちなものも
排除してきたわけじゃないですか
それを
本質そこじゃねえよ
日本には日本の美意識があるから
それを再現することが
できるのであれば
素材なぞ所詮素材であると
技術は所詮技術である
普通に西洋料理も
バッと入れちゃうし
中華料理もどんどん入れちゃうし
西洋の一般家庭の素材っぽいものも
普通に解析のコースなど
ポンって入れちゃうし
日本料理の伝統的な
考え方でいくと
同じ素材を何度も何度も繰り返し
出すってことを良しとしないわけですよね
あえてどんどん違う風に
出していくんだけど
重複しても全然オッケーやつ
わざと重複させて姿を変えてみせるとか
音楽で言うその他形式みたいにね
僕は
中華ずくしっていう料理の
スタイルってのは音楽で言うと
クラシックの園田みたいに何度もテーマを聞かせる
違うアレンジで聞かせる
みたいなものだと捉えてるんですけど
どうやらそのことを
声を台にして言い始めたのがロサンジーあたり
そうなんだね
でその世界観を
演出するためのあくまで一つのツールとして
器が大事
庭が大事
部屋が大事これは茶外席の文脈ですよね
1:03:00
世界観丸ごとをやる
茶外席と
会席料理
会うほうの会席料理ですね
これをガチャンってくっつけ始めるんですよ
これに
めちゃくちゃ感銘を受けて
これすげーって
やり始めた料理人がいるんですよ
ロサンジーはあくまでも
料理作ってたり器作ったり
自分でやってるけど本業はアーティストなんで
もう10代の時から
お父さんの後を追っかけて
茶の湯の世界に入って修行して
っていう気質の料理人が
このロサンジーのこれいいよなって
なっていく
元々
松下不舞か何かの茶外席とかを読んで
茶の湯に影響を受けてたらしいんですけど
そこに
同じく茶の湯の影響を受けて
こういうアートっぽい料理を
作り始めたロサンジーとが
結びついて
お父さんとは田元を分かって
俺は
こっちの道の料理をやりたいんだ
もっとこういう美意識があって
高品質なものをやりたいんだ
親父のとは違うんだって独立して
1931年
大阪に出したお店の名前が
喫茶
そうなんだ ゆきていちさん
昭和6年に
店を出すくらいなので特にお亡くなりですけど
息子さんたちは何人かいらっしゃって
喫茶は今
いろんなお店に分かれているという感じですよね
この人が
かなり有名人なので
喫茶というのが
松花堂弁当というスタイルを
作ったのもこの人ですしね
松花堂もそうなんだ 松花堂ってそもそも
ゆきていちさんが確立させた
スタイルです
お弁当の中に
ちゃんと汁っぽいもの
煮物とか汁の出るものを入れても
ちゃんと匂い移りもしないし味移りもしないし
しかも
ちっちゃい庭ですよね
小庭のような状態で世界観を演出して
美しくして
お座敷に届けるお弁当として成立している
どんなお座敷かというと
茶の湯のお座敷に届ける
っていうための弁当として
出たのが松花堂弁当ですね
この流れで
くるともちろんゆきさんもそうなんですけど
それ以外の料理人の方々も
たくさん影響を受けていって
新しいスタイルの
日本料理というのが出てくる
整理すると
茶外籍の美意識とか
思想的な部分ですよね
あと品格とか格識みたいなもの
と
粋な文化で生まれてきた
解析料理酒の文化のね
自由活達でちょっとエンタメ性を持たせて
心を読み合うみたいな部分
これが
ガシャーンと
融合していってそこにいい具合に
西洋のもんだろうと中華のもんだろうと
入れちゃえ入れちゃえ
もっと自由でいいもっとさらに自由でいい
っていう近代的な融合を
果たしたのがこの時代
このまんま
ずっと昭和に
平成にいけばいいんですけど
この流れは
1:06:00
一旦昭和
初期の段階でプツンって切れます
ここで切れるの?
はいいい感じにきたんですよ
料理の文化という意味では
そうだねここから
グイッといってもおかしくはない感じが
プツンって切れます
なぜか
戦時体制に入るからです
そうか昭和だもんね
この後昭和ですね
もうすぐに
吉祥ができたのは昭和6年ですんで
昭和10年代に入ると
だんだんだんだん日本は追い込まれていって
日中戦争に入り
そのまま
昭和何年だっけ14年だったかな
真珠湾攻撃
いってそのまま
大東亜戦争ということになって
いきます
贅沢は敵だ
ということで日本は
剛性な
ロサンギンのような料理を
作ってる場合ではございません
めちゃくちゃ叩かれ始めますこの人たち
そうだね贅沢の極みだからね
お前ら食いもんで
芸術とかボケーみたいな
そんな時間あったら
労働しろだよね多分
これが一回バーンって
消えて再び復活し始めて
食文化が
元気になり
始める初動が
昭和30年くらいかな
戦後10年
経ったくらい
昭和31年に国会でもはや戦後ではないという
宣言が出されますけどそのくらいになって
やっとちょっとずつ
復活を
し始めていきますが
ターゲットが
変わりすぎた
変わりすぎた?
ですよ
明治大正というのは
それ以前の江戸文化
大阪の神方文化
などを引き継いだ延長上の
世界観だったんです
経済的にも浮き沈みはあったけどちゃんと繋がってました
けど一旦
大東亜戦争を挟むことで
フルボッコにされて
戦後という新しい時代に
ガラッと切り替わりますね
長すぎたので世代がバッツリ変わっちゃう
ということで
ディスタートをする
わけですね
クラッシュ&ビルドが一回ここで起こるので
似ているんですけど
何かが違うという文脈で
次の
料理の様式がどうなってきて
今ここにいるかという最終話になります
そうなの似ているけど
そこで
かなり打撃を受けるのはね
戦争だからしょうがないけどね
平田アークって好みが変わってくるんですよね
思考自体も変わるだろうしね
寿司のシリーズでも
ちょうどこの辺また出て
そこと合わせて聞いたら
もう一回ちょっと面白いのかなと
そうですね
そういうことか
なかなか概要でやってきたけど
そこそこ長さあるね
長さあったね
1:09:00
長さありましたね
ちょうど夕日のいい時間を過ぎて
暗くなってきてましたね
さっきまで景色綺麗だったのに
もう外寒そうな
景色に被ってきて
何分やってるの
まさかの前後編とかある
あと
前回と同じくらいで1時間ちょい
超えたんでね
今回雑談ほぼなかったのに
1時間
喋ってるんで
本編にしては
本編長いね
ボリューミーだから
ボリューミーだったね
色々今までの知識とか
背景が
交えて話してるから
余計長くなるっていう
そうですね
しかもアート入ってきちゃってね
今ブームでしょアート
結構ね
この辺りはアートを語らずには
できないなっていうのが
よくわかってきたので
日本文脈的なアートっての
勉強してるんですよ
そうなんです
日本料理もね
アートといえばアートの部分も
あるからね
どう捉えるかでよって
解析と解析の2種類
両方ともアートの文脈が
今もあるんで
その辺が次回でどの辺りから
また戻ってくるのか
楽しみに
したいと思います
今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました