やっぱり入れるんだね。
今でもそば屋さんに行くと、そば直の中につゆが入っていて、
そこにネギとかわさびとか入れるじゃないですか。
あんな感じで使ってたんだと思いますよ。
ああそうなんだ。とりあえず大根は使ってたんだね。
ベースが大根おろしの絞り汁。
これが微妙に変形をしながらずっと残っていて、
今でもおろしそばとか絡みそばって残ってますよね。
あるね。
最初期からルーツが大根。
大根なんだ。
日本って大根文化すげえんだ。
そうなの?
いずれ大根だけでワンシリーズやろうと思ってるんだけど、
これが大変で調べるのが。
大変というのが?
まとまった本がない。
ないんだまとまって。
ないんだけど料理本に載ってる大根料理ってめちゃくちゃいっぱいあるのね。
いっぱいあるね。
これたどっていけばどっかたどり着けるんだろうけど、
これはもう研究者クラスになるんで、
大根のシリーズはしばらく後になるかな。
割と初期の頃に大根もやろうみたいな話はあったけど。
やりたい。私が大根好きだからね。
大根使いやすいからね。
使いやすいし、食べるのも好きだし。
美味しいよね。
そんな感じで大根がベースだったそうですよ。
今でも、さっきも言いましたけど、長野あたりだとね、
辛つゆとか鬼汁なんていう言い方もしてますし、
面白いなと思ったのは鬼汁の方なんかね、
大根を一回いろりの熱い灰の中に突っ込むんですって。
ん?
だから炭あるじゃないですか。
炭あるね。
その脇というか下に灰が溜まってますよね。
直接やると焼けちゃうんで、
その灰の中に大根丸ごと一本ボーンってぶっ込むんですよ。
大根丸ごとね。
そうすると、僕どういう原理かわかんないんですけど、
辛味が増すんですって。
辛味が増す。
美味しいんですよ。
辛くなる。
甘くなりそうだけど。
いや、わかんない。俺もやってないから今度実験しようかなと思うんだけど、
まず灰がねえって思ってた。
あるよ。
火鉢がさ、どでかい火鉢が何個かあるから。
今度やってみましょうか。
それで辛味を増して大根汁を絞って、
そこに焼き味噌を入れてね、食べるみたい。
焼き味噌なんだ。
でもわさびとか辛味いらない。そもそも辛い。
へえ。
だからね、一番最初の段階からわさび入れる前から、
辛いのベースなんですよ。
これがたぶん蕎麦と相性がいいんでしょうね。
同じような味を作れればさ、
普通にうちの料理でもちょっと変わりもんで出せるよね。
いいでしょうね。面白いと思いますよ。
焼き味噌に大根おろしの辛味が混ざったら美味しそうだしね。
美味しいと思いますね。
この辛味噌的なもの、おろし蕎麦とか辛味蕎麦っていうのが、
これどこかで言ったんだっけ、長野県稲地方の稲川とか作ってる稲地方ですよね。
あそこの高島藩に星名家っていうのがあって、
星名正幸っていう人がいて、って話しましたっけ僕。
してないですね。
ちょっと記憶にないが。
星名正幸というのは、三代将軍家光の原違いの弟。
二代将軍秀多田の子供。
正式には見たことがないけどね。
二代将軍秀多田の子供。正式には認められてなかったんだけど。
この人が高島藩に養子に入って、星名家を後を継いで星名正幸という名前になります。
この稲地方って蕎麦が昔からあるわけですよ。
この人がその後にお引越しをします。
引っ越すんだね。
もうちょっといいとこにね。
お兄ちゃんが、こんな優秀で可愛い弟がいるのなんで親父言わないんだよと死んじゃったけどさ。
めっちゃいいじゃんって。すげえ弟のこと可愛いがあるんですよね。
特別扱いになって、小さい藩から一回もがみ藩ってちょっと大きいところ。今の山形県か。
そっから最終的に藍津藩。藍津渡松ですね。
藍津。
藍津藩でっかいところにどんどんお引越しをしていくんですよ。
お引越しをするたびに武士たちを、部下たちを連れてくるから。
家丸ごとだからね。
そうすると、稲高島地方の蕎麦の食べ方がどんどん移動していくわけですね。
で、なぜか今藍津には高刀蕎麦っていうのがあって、それが大根卸を使ったものっていうね。
あと、新潟県とか山形県あたりには若干卸蕎麦の文化が残ってるんだそうです。
へえ、今たぶん3割儲かなかったよ。
そうですか。
人物名がね、乱にすると追い切れないのよ。
えーと、まあ星名正明はウィッキーいっぱい書いてあるんで。
ざっくり言うと。
将軍の弟。
将軍の弟がいたえ。
その人が用紙に出ちゃってるんで。
なんていうんだろう、隠し子みたいな感じなんですよ要は。
じゃあ将軍からしたら気づかなかったってこと?
自分が将軍を継いだ後に知るみたいな感じ。
いたんだ弟みたいな。
それがしかも優秀だったと。
まあ家別に関してはね、国松って弟が本当に腹違いじゃなくているんですけど。
そった問題があって将軍を継いだっていう経緯もあるからなお新しく見つかった弟が可愛く思えたのかもしれないですけどね。
で、その弟をだんだん呼び寄せたってこと?
呼び寄せたっていうか徴用して、しかも優秀だったんで。
素直だし謙虚だし。
だからちっちゃい藩じゃなくていいところにいいところに行って、だんだん命令を出して移動させてあげるわけですよ。
この人が江戸の命令記の退化の時にこのやけ落ちてしまった天守閣とか江戸の街を見て復興に尽力するわけですよ。
そこまで行くんだ。
この人が寿司の会で言ったんだと思うけど、江戸城の復活をさせるよりもまず先に蔵を開いて庶民を助けろっていう陣頭式を取ったのがこの人です。
なんか聞いたぞ。
その物語を聞いたの。
その人ですこれ。
寿司だけじゃなくてこの人微妙に側にも課則ってくるんですよ。
それで大根卸の文化がそのまま移動していった。
そばに限らないですけど、国替えって言いますけどね。
藩が移動するっていうのは植文化も一緒に交流をするっていうことになる。
これは江戸260年間前のよくある出来事です。
そうなんだ。
これは覚えておいてください。国替えと参勤交代は文化の交流の一つの要因になってますから。
家臣が丸ごと行くから。
そういうことです。
どのくらいいるんだろうね家臣ってね。
ちゃんと調べてないですけどかなりいると思いますけどね。
参勤交代とか見る限りはあれだけでも相当な人数いるもんね。
もうでかい藩だと千人単位で移動しますからね。
そうだよね。
千人って言ったら大体村サイズだからね。
確かに。
村丸ごとよ千人って言うと。
それが参勤交代ね。国替えになるともっとやばいですから。
じゃあそうか。村何個分かだからそういうことになるね。丸ごと行ったら丸ごと変わるよね。
武士団が丸ごと引っ越しますからね。
そういうことだよね。
そういう歴史があるのか。海外行ってないのそれって?
海外は行ったことないな。
基本侵略して殺戮するみたいな偏見っぽい覚え方してるけど。
もう移動してるのかなフェリペ二世とか。
移動してるけど先のものをだいたい駆逐する感がすごいあるじゃん。
そういう意味ではフランク王国のカール大帝とかも巡回してたんでその時に伝播させていたりとか。
あと聖地巡礼みたいな文化があるんで元々。
あるんだ。
宗教的な意味でだったりとかね。旅をしてるんでそこで伝播するってことはあるっぽいですけどね。
そうなんだ。じゃあ丸ごと移動するって重要だったんだね。
人の移動が文化を波及させていくことには必ずなっていくので。
そういった繋がりで同じような現象としてありますよね。
やっとこの必勝が味噌っていうのがちょろっと出てきましたよね。
もともと蕎麦つゆは味噌ベースなんですよ。
味噌ベース。
そもそも醤油ねえよって話もあるんですけどね。
この時代まだないのか。
この時代まだないのか。
しかも少ない。生産量もそのたくさんない。あったとしてもね。
醤油は醤油で醤油の歴史やんなきゃいけないんで。
今回はサラサラっといきますけど。
この時点でサラサラではないけどね。
だいぶサラッとやってますよ僕今回。だいぶはしょってる。
だしサラッとって言ったけどだいぶやったよ。
じゃあもうちょっとサラサラいきましょうか。
そうね。
じゃあ味噌から醤油になって最終的に濃い口醤油になりましたっていう話ですね。
味噌が酢口になって濃い口になる。
そうですそうです。
料理物語が出てきた1643年頃。これは味噌味です。
味噌味。1660年頃ね。
これこの間の2周年ライブでたく食べましたね。
食べた食べた。
僕はこれのもう少し時代の後のものを使ってるんで再現したんですけども。
当時味噌を元にした醤油の原型みたいなのがあるんですね。
醤油の原型。
タレ味噌って言うんですけど。
これは味噌を水に溶かしてですね。これコス。
なんかすり鉢で潰したやつじゃないっけ。
もちろんもちろんすり鉢で潰してとかね。味噌をとにかく水に溶くわけですよ。なんやかんやしてね。
味噌汁の時に聞いた気がする。
まさに。当時まだ鎌倉以前かぐらいになるとまだペースト状になってないですけどね。
すり鉢がなかったんですかね。
江戸時代はもうほとんどペーストで使うのがベースみたいになってきているんですよ。
この当時は電学豆腐とか出てくるぐらいの時代なんでね。
でこのペーストの味噌を水に溶いてそれをさらしでコスと。
そうすると黒っぽい液体が出てくるわけですよ。
例えば浸酒味噌とか見た目茶色いじゃないですか。
あれがなぜかタレ味噌として絞ってみると醤油みたいな色してるわけですよ。
あれが醤油の原型ね。もともとね。
まあそうか。もとは一緒だもんね。味噌だからね。
これ生ダレとかタレ味噌とか言うんですけど。
何度も言いますけどこの時のタレ味噌のタレが焼肉のタレのタレなわけです。
言ってたのね。
タレの語源はタレるから来てますね。
でこの味噌がタレた生ダレもしくはタレ味噌にこれに鰹節を入れるんだよっていうのが初期の頃の蕎麦つゆになっていくんですよ。
おはや味噌汁だね。濃い。
うん。しょっぱい味噌汁。
これが料理物語の中に出てくる蕎麦つゆね。
普通に美味しいだろうね。
普通に。美味しかったでしょだってこの間。
ちょっと現代人化すると甘みがないんでしょっぱいなって感じはすると思いますけど。
そうね。蕎麦の味がだいぶ左右されるというか。
あれはねドバッとつけちゃダメですよ。先ちょろっとつけてサッと食べないといけない。
そういう感じですね。
つけたらしょっぱいもんね。
でこの後料理塩梅酒だとか本聴食感とかいろいろ出てくるんですけども料理塩梅酒なんかはね割となんか醤油が出てき始めるんで醤油味の蕎麦つゆ書いてあるんですけど
そもそもねこの料理塩梅酒って食い増落の食痛みたいな人がねその辺の大名家とかね割とこう裕福な商人の家のレシピを書き集めた本なんですよ。
この料理塩梅酒が。
そうこの本自体がね。
一般市民通りかはちょっと上の高級系のさらいみたいな。
さらいというかまあまあレシピブックなんだけどちょっと専門書的なね。
専門書のほうね。
そもそもこれ出版されてないし塩梅酒。
出版されてないの?
その公に販売するとかそういうことはされてないんで。
そうなんだ。
原文読んだらわかります今度見せますね原文ね。
原文あるんだ。
ありますあります。読むの大変ですけど例えば何とか藩何々系のこんな家にこういうのがあったよとかそういう書き方してますね。
もうピンポイントなのね。
そういうのがもういろんな家のが書き集められてるっていうような書籍なんですよ。
書物としてね。
だから醤油が使えるところは醤油を使い始めたよ。
こっちのがうまいじゃんっていうのね。
まあ溜まりだと思いますけどね当時まだ。
溜まり醤油かギリ薄口出てんのかなみたいな。
溜まり醤油ね。
でどっちかっていうとこの後の本聴書館1697年のほうが一般的なのかなと思うんですね。
これはもうもっと広く書き集めたレシピブックなんで。
これ日本の食事展。
そう図鑑みたいなね。
食図鑑か。
これはタレ味噌なんですけどベースは料理物語の味噌ベースなんですけど最後の仕上げに塩と醤油を使って味を整えるみたいな感じ。
塩も入れるんだ。
そうです。
ちょっと言いましょうかレシピ書いてあった通りですね。
タレ味噌1升酒5合鰹節45銭。
45銭。
これは現在のグラムに直すと169グラムですね。
そうかグラムがないんだ。
そうグラムがない。
1銭2銭ってお金の銭の字書いてたらしいですね当時は。
鰹節45銭半溶きほどとろ火でよく煮る。
1時間ほどこれねもうちょっと細かく書いたんだけどぬる火じゃダメだとろ火にしなさいってかなり弱火ですよね。
でよく煮てそれを越した後に塩醤油で調味する。
でその後再加熱するのが要である。
再加熱するんだ。
最後にちょっと火を入れてね。
味ととらえましょうよって最後に入れた醤油と塩も馴染ませましょうみたいな感じだと思うんですけど。
まあ確かにね実際入れるもんね今。
これ最後の止め塩とかいうやつと僕ら今でも使いますけど同じような原理だと思うんですね。
そういうことだね。
でこの後に1700年代に入ってくると醤油仕立てとかもちらほら出てくるんですよ。
参考までに書籍名だけ言っておきましょうか。
文書名だよね。
料理志向酒私が考える集めるで料理志向酒ね。
それから黒白賞味酒黒白。
これはせいはなんて言ったらいいの米編に青いて書くせいね。
に味を集めるで黒白賞味酒1746年この辺は醤油ベースにどんどん変わっていて逆に風味付けにちょっと味噌入れるとうまいんじゃねって書いてありますね。
はいでついに蕎麦全書という本が1751年に出版をされます。
蕎麦全書。
はいもう蕎麦のための本。
すごいね特化したね。
と思うでしょこれ豆腐百珍のとかああいうのがね百珍シリーズとかいっぱい出てる時代なんですよもうここら辺まで来ると。
そうかそうか。
なんで当時すげー流行してる蕎麦に関して専門書が出ても不思議じゃないんですけどこれ蕎麦全書気になるじゃないですかどんな蕎麦つゆなのかなって見ました。
見たんだ。
本聴食感に同じ以上。
要はさっき紹介した本聴食感で言いましたよねタレ味噌に酒とか入れて鰹節45千円入れてみたいなこれですって書いてある。
50年前の本と一緒って言ってるの?
そうそうそう。
すごいねそれはそれで。
周りはレシピブック上はもうどんどん醤油味に行ってるんだけどまだ庶民は醤油が高くあんまり扱えてないので味噌ベースなんだ。
味噌ベースなんだ。
庶民が醤油味に一気に行くのは1800年くらいからなんですね。
1800年まだ50年先なんだ。
一応ねこの後に料理のしおりっていう本が1771年にあってでその中に醤油味っていうのが出てくるんですね。
しかもかけ蕎麦の汁がこういうのがいいよっていうもう今度ここまで来るとねつけ蕎麦じゃなくてついにかけ蕎麦まで行っちゃうんですけど。
かけ蕎麦。
ぶっかけ蕎麦の方が後からできて蕎麦ってもともとざる蕎麦みたいにつけて食べるのが主流だったんですよ。
汁の中にこうつゆの中に入っていて今のうどんとかかけ蕎麦みたいに食べるのは後なんですよね。
かけ蕎麦用の汁として考案されてこれがおいしいよっていうのが書籍上出てくるのは1771年。
1771年だいぶ経ってんねもうね。
ただこの書物も武家の料理書ですね。
そうなんだ。
武士のこんだて覚えてます?映画であったの。
うなきでんないの。
ああいう感じの人が書いてる本なんで。
そういうことか。
なんとか藩を抱えのみたいな感じなんでまあ庶民はまだまだ醤油使えてないよねっていう感じ。
そうなんだ醤油結構高いんだね。
高い。だってねちらほらね高級店とかが出てくるんですよ蕎麦屋でも。
1杯16もんとかじゃなくて50もんとかね80もんとかっていう店当然出てくるんですけど。
そうじゃなくても普通の屋台じゃないうち店の蕎麦屋さんもあって。
1800年に近づいたくらいになってくるとやっとうちの蕎麦つゆはあれだぜ醤油は下りもん使ってるしかつぶしはとさぶし使ってんだぜすげえでしょっていう自慢をするような看板掲げる店がちらちら出てくる。
そうなんだ。
やっとね。
やっとだね。
だからまだよたか蕎麦が醤油とか使うなんてないないないみたいな感じ。
いろいろありますよバリエーション。これは醤油シリーズじゃないからやらないですけど。
で関東に行って小いくち醤油が出てくると。
小いくち醤油の方が熟成期間がちょっと長いんですね。
トロッとしてるよね。
これ明治過ぎた後かな。昭和くらいかな。
キッコーマンさんがね。
キッコーマン国際食文化研究センターっていうのを持っていて。
で江戸時代共宝17年の頃の下り醤油の味を再現してみましたと。
そんなことしたんだ。
これはね間端折って結果だけ言いますね。
まあ平たーく言うと味はねうまいっちゃうまいんだけど旨味は一瞬立つんだけれども。
最初の口当たりはうまく感じるんだけどすぐに塩味が立って。
まあ正直漬け汁とかかけ汁には向いてるとちょっと言いづらいかなみたいな。
あーそういうね。
これはね醤油の特徴を同じ研究の発表のところで言っていて。
基本的に醸造期間が長くなれば醤油の色も濃くなるんだけど味もグッと濃くなって深みが出ると。
で旨味と混合がガーッと増してくるところにきてさらに香りも立ってくるんですよ。
ただ当時の技術だとあんまりこう長く熟成させていくとロスが出るリスクあるんですよね。
ロスが出る。
樽落としカビ生えちゃったとかね。
あー確かに味噌だもんねカビ生えやすいしね。
そう醤油もそういうところがあって結構味噌は現代でもね家庭で作れますけど醤油は家庭では作れないそのぐらい高度な技術の食品なんで。
そうなんだ。
まあ無理ですよ。もうすごいことやってますこれはいずれやりますね。
そういうものなんでその醸造期間熟成期間を長くするっていうのも結構技術革新が必要だったんですね。
それをやり始めたのは関東で関東でそれが濃い口醤油として出てくる。
塩分濃度がちょっと低くなってでも味が濃くてまろやかでコクがあるみたいな。
塩分濃度が低いんだ。
薄口のがちょっと塩味強いですね。
そうなんだ。
濃い口薄口って味じゃなくてあれ色の話してるんで。
そうなんだ。
塩味的には薄口のが若干強め。
まあ当たりは強いなと思う。
もうそもそも塩分濃度違います。
塩分濃度から違うんだよ。
それでね。
コアになってるのは醸造期間を長くするような工夫をしたことによって江戸による醤油市場がガラッと変わったよね。
うまくなってみんなの味にバーっと広がったよね。
それでねかけそばの色が関西感と違うんだ。
そうなんです。割合違うんですよ。
例えば関西行くとうどん文化圏だとか今では言ってて出汁は薄い色が透き通ってるのが普通だよねって言ってますけど。
塩味が強いので。
だから濃い口と同じ分量入れたら塩辛くなっちゃうんですね。
そうだね。
少なめに入れる。
塩味を抑えてバランスをとっていて旨味がちょっと不足するんですよ。
醤油自体が持ってる旨味が濃い口の方が強いんで。
そうだね。
これを出汁とか具材で調整するんですね。
だから関西のがコブルの量が多かったりするんですよ。
そういうね。
そこでしっかりと旨味を出してやって。
鰹節だとアクが立ったりするんで。
このアクとか過度の強いイノシン酸系のゴミがバーンってくるとね。
喉に当たる感覚があるんでこれをちょっと抑えめにして。
グルタミン酸の旨味を強くして薄口醤油で味を整えていく。
そういうことか。
これが僕の知っている関西系の紙型の出汁の基本系ですよね。
対して江戸型ですよね。
江戸型は濃い口醤油をベースにしているんで、
コクとまろみを醤油が持っている。
そうだね。
だから鰹節バサッと入れて旨味と香りをドカンと立てる。
それをさらに醤油のコクと香りと塩味で乗っけてくる。
パンチの効いた感じになってますね。
そうだね。それが現代までちゃんと続いてるんだね。
続いてる。
そのままだとさらに過度があるじゃないですか。
あるね。
だから飼い主を寝かすんですよ。
壺に入れて半分土中に埋めたりとかね。
壺の作用で持ってとか。
おいしい物に出てくる。
そうそうそう。そういうやつですね。
そういう世界に行くっていうね。
確かにね。醤油を一回火を入れて寝かしておくとまろやかになるもんね。
そうですね。そういう文化が出てくるのがちょうど代わりめっていうのは大体1800年くらいからなんですね。
1800年ね。
ここから数十年たったくらいがおそらくこの時そばの時代になる。
そうなると割と文化的にはかなりできた頃の話なんだね。
そうですね。
地盤が。
地盤がかなり出来上がってる。もう食文化としてもかなり出てくる。
でもエンタメができる家庭として考えればさ。
地盤がいろいろできないとエンタメってできないからさ。
本当に面白いやつって。
そうですね。
そんな時代感じゃないみたいな時はもっとシビアなお笑いが来るからさ。
自分たちが平和で食も豊かでっていう中でできたお笑いっていうのはだいぶこうゆったりとさ。
ふざけてるじゃん。
そうですね。また文化分析っていうのはちょうどにぎり寿司が出てきたりとかね。
うなぎの輝きが大流行した時期でもありますし。
輝きね。
で、庶民の芝居小屋も活性化していますし。
ちょうど落語の寄せっていうのも江戸にたくさんできている。そんなような時代。
そうね。だからこそこの時蕎麦ができたのかもね。
そう。だから時蕎麦自体は江戸期に時雨戸をベースに書き換えられたものではあるんですけれども。
おそらくはこのくらいの文化分析。もう少し後かもわかんないですけどね。
そのあたりの江戸の時代観っていうのを表現してるんじゃないかなというふうに僕は思いますね。
そういうことか。
だって華やかな時代の方がいいわけじゃないですか。
話題性というか面白みが出るよね。
しかも僕は昭和生まれ、あなた平成生まれですけど、このくらいになってくると江戸時代というのは完全に歴史のものになってるわけですね。
思い出すとかいうレベルではないわけですよ。
そうだね。生きてないからね。
ところが三代目三友邸子さんが生きた時代っていうのは江戸の終わりから明治大正にかけての方なんですね。
ということは同世代の方々っていうのは、今YouTubeとかネットで調べてもらうとわかるんですけれども、大正年間っていうのはまだかなり江戸の色彩を色濃く残してるんですよ。
ほうほうほう。
カラーでつけたのかな。この間アクニン見せてもらったのかな。
そうそうカラーね。カラーのやつは見たね。
もう普通に髪を結び上げてお着物を着てというような女性もたくさんいらっしゃる。
けまりしてたもんね子供たちも。