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  2. #4(s1-4) 有名武将3人が味噌..
2021-07-30 25:25

#4(s1-4) 有名武将3人が味噌汁を広めた理由(たべものラジオ)

戦国時代に戦場において重要視された味噌汁/徳川家康の八丁味噌/武田信玄の信州味噌/伊達政宗の仙台味噌/芋がら縄(ずいき)のインスタント味噌汁/陣立て味噌/お米イコールお金だった/元は宮中味噌?西の都の味噌、西京味噌/

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じゃあ今回なぜそんな武将が頑張ったのかというところで、話を進めていきたいと思います。
はい。まずそもそもなんですけど、戦国時代っていうのは完全なる食糧なんなんですよ。もうね、半農半部って聞いたことある?
半農半部、なんとなく。
半分農民半分武士みたいな感じ。
ああはいはいはいはい。
普段は畑耕してます。田んぼ作ってます。で、主に稲作なので、春は忙しいよね。田植えがある。で、秋は忙しいよねやっぱり。
忙しいね。
夏場しか行けないよね。戦いに行くのは。
空いた時期が夏しかない。
もう基本的に空いた時期しか戦ができないっていうのがこの時期。で、この空いた時期に戦いに行くと、そこで人死ぬじゃん。
死ぬね。
ということは畑を耕す人、田んぼをやる人の人口が減っちゃうよね、必然的に。結果的に食糧難になっていく。
と、同時に戦場になる場所が畑はなるべく避けるんだけど、どうしても全部避けるのは無理で、結果として田んぼも荒らされていくんだよね。
もちろん田んぼだけじゃなくて小麦作ってたりとか冷え屋とか泡とか作ってるところも荒らされていくから、みんな食糧が貧しくなっていって、前回話したように身長があんまり伸びないみたいなことが起こる。
で、その中で重要な要素を占めていたのがやっぱり米と味噌。やっぱり味噌大事だったんだよね。
そこで味噌出てくるんだね。
後回のところで話したけど、組み合わせでもってスーパーフードだったわけだよね。これがどっちが賭けても辛いよねっていうのがこの戦国時代の時代背景にある。
有名な武将で石田三成、わかる石田三成?
そこから説明する?
サラッと。 サラッといく?豊臣政権豊臣秀吉の配下で御武行の筆頭、官僚的なね。官僚の偉い人と思ってて、でその後に徳川家康と関ヶ原で天下分け目の合戦、関ヶ原とやるわけだけど、大将じゃないんだけどね。
この石田三成天下の知性って賢い武将の一人に数えられた三成が言ったと言われている言葉、原文は言わないけどザクッと言うと、味噌汁食べとけば数日は飢えないよねとか。
そこでも味噌汁出てくるんだ。
そうそうそう。なんでかって言うと、いろんな要素があるんだけど、まず栄養面からいくと、さっき言ったように夏場の戦が中心だよね。だから熱中症になりやすいんだよ。
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ああ、熱中症ね。
相当な距離歩いていかなきゃいけないわけだよ。そうすると汗かいて水分出てく、塩分出てく、ミネラル出てく、ふらーっとして熱中症になるところを、味噌汁飲んどけば水分取れる、塩分取れる、ミネラル取れる。
そして幸運で疲れたところに体力の補強になるタンパク質とエネルギーの元である脂質を得られる。これね、現代でも通じるから絶対覚えといた方がいい。
万能じゃん。
夏場こそ味噌汁飲んで。
暑いからとかじゃなくて?
そう。
飲めと。
飲めと。なんなら氷入れて冷やしてもいいから。
ああ、冷やすのもあれだね。
冷や汁ってあるじゃない。
うんうん。
あんな感じで、もう味噌汁たくさん取っといた方が熱中症の予防には向いてるんだよね。
ああ。
そのぐらい戦国時代、特に戦においては味噌大事だ。
じゃあ塩飴なんか舐めてる場合じゃなくて、味噌汁飲めって。
そういうこと?
うん。
味噌汁飴とか作ればいいのにね。
一同 笑
それ美味しいのかな。あれ具が入ってるからこそアリでしょ。
確かにね。
ちょっと飴で味噌汁はいかない。
一同 笑
そもそも水分摂取してないからダメだね。
ダメだね。
汁じゃねえ、味噌。
味噌ね。
これね、熱中症予防にもなっていたと言われてるのが芋柄縄っていうのが発明されるんだよね。
芋柄縄、縄?
縄。普通に縄。
縄なの?
うん。この縄を腰に巻いたりとか、荷物を運ぶときの荷縄に使われてるんだけど、この縄を何で作ったかというのが大事で、
これね、里芋の茎を味噌でゴトゴトゴトゴトに含めるんだよね。
ほお。
で、これを裂いて縄に編む。
何?味噌汁縄に編んでるの?
そう。もう味噌で煮詰めたこの繊維をね、編んで縄にするんだよ。
で、それ腰に巻いてたの?
そう、ちょっとベタつきそうだけどね。
ちょっと汚れそうだな。
で、これをね、ちぎって。で、人傘ってわかる?
うん。人傘ってあの、なんだろう、三角形の。
三角形の頭に被る。
円錐のやつ。
うん、そうそう。円錐状の帽子みたいなやつね。
うん。
あれにちぎった芋がら縄を入れて、そこにお湯を注ぐの。
ほお。
そうすると即席の味噌汁ができるでしょ。
ああ、今とだいぶ違う即席だけどね。
だけどこれね、里芋の茎とか言うとなんじゃそらってなるけど、これ別名髄気って言って今でも野菜として存在してるよね。
うん、髄気。
ほら、インスタント味噌汁で髄気の味噌汁ができるんだよね。
すごいけど髄気だけ入ってるんだね。
そう、髄気だけ入ってるの。
へえ。
で、読んだ限りだと髄気の味噌汁以外にも、なんかちょっと他のものを混ぜたりとかもしたみたいだよ。
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ほお。
どうやって混ぜたんだろうね。
いや、傘の中で混ぜるの?
汗臭いのかな。
いや、そういうレベルじゃないでしょ。汗だけじゃないでしょ。土ぼこりとかあるでしょ。
さすがにね、お湯を沸かすのに戦いの真っ最中は無理だから。
いやでも、戦いの最中にちょっとお湯沸かすわとかってそんな。
火焚いたらバレるしね。
ああ、そうか。火焚いたらバレるよね。
バレる。
後軍中、特に二縄の方がメインだったんじゃないかなって。
先陣を切る戦いをするメインの人たちと、あと物資を運ぶ兵士もいるからね。
そっちの人たちがメインじゃないかっていう記載もあったけどね。
まあ、それだったら食べる時間もあったかもね。
だからね、こういう背景があるから、
シンゲンにしてもマサムネにしてもイエアスにしても、戦場においてミソってすごい重要だなっていうのを、
たぶんね、ロジックではなくて肌感で理解してたんだと思う。
肌感、すごいね。
これないと兵士バタバタ倒れてくっていう。
そうだね、戦う前にみんな全滅だよね。
戦う前に1万人連れてきました!夏バテで5千人倒れました!戦えんじゃん。
夏バテであればいいけどね、中射で倒れたら動けないからね。
確かにね、目の前チカチカすんだろうしね。だからミソ頑張って作るんだよね。
うん、そりゃ作るよね、戦えないんでも。
ちなみに武田シンゲンね、この芋がら縄の延長上で人立てミソっていうのも開発する。
人立てミソ。
うん、人立てミソ。これはシンゲンが自分で開発したっていうか発明したって言われてるんだけど、
これね、ミソ汁の素になるというより、あ、ミソ汁の素にもしてたみたいだね。
えっとね、玉状に丸めるんだって、ミソを。で、このミソの作り方が面白くて、
出来上がったミソを丸めて持ってくんじゃなくって、これ奇想天外すげえなと思ったけど、
大豆を煮てすりつぶしてそこに麹を混ぜたやつを団子にするの。
できる前のやつを。
前のやつを。で、それを縄でぐるぐるって巻いて、ぶら下げて持ってくの。
歩くじゃん。いっぱい。歩いてるうちに発酵してミソになる。
どんだけ長い時間歩いてたよ。
ねえ。ほんとよね。工軍中に発酵するとかって。
いや、工軍長っ。
で、そのミソ玉の方だと中にいっぱい具を入れられるんだよね。
そうなの?
ジャガイモは当時ないけど、他の野菜とかをいろいろとコネコネ詰め詰めして持ってくみたいな。
ああ、なんか漬物じゃないけどミソに使ってるから腐らないな。
そういう感じで持ってったみたいよ。
こういう背景があるから、前回も言ったけど、領地経営の時にもやっぱり大豆っていうのは重視されるんだよね。
だから、領民が食べていくためには田んぼ、つまり米が必要です。
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だから開墾頑張って、水田を引いて、それこそ伊達正宗なんかむちゃくちゃ荒れたところを一生懸命田んぼ作って広げて広げて、
穀高を上げてっていうのをやるのと同時に同じ勢いでミソを作る。
おお。
この二つのコンボ、最強のコンビネーションを成立させようっていうのは国家運営としては重大な産業だったんだよね。
へえ、今ミソ汁そんなにだけどすごかったんだねミソ汁の。
相当重要なポジションを占めている。
ミソがね。
でね、これ植物学的に面白いなと思ったのが、
イネも大豆もどっちも連作OKなんだよ。
おお連作ね、これ重要だね。
普通はそれこそ小麦なんかだと一回作ったらその分だけ土の栄養素が抜けていって、土が弱っていくじゃない。
休ませて窒素が充填されるのを待って、それから作んなきゃいけない。
田んぼって水田じゃない?水が栄養を運んでくるの。
で、いらない余分なものを水が洗い流してくれるから、だから毎年作れる。
これ毎年作れる穀物って奇跡だからね。
そうなの?
小麦って毎年作れんから。
ああ、そうなんだ。
だから二毛作って言って小麦の間に別物挟んで窒素を充填させて、
翌年も作れるように間に別の作物で窒素を土に戻してやるって作業しないと小麦って毎年作れないのよ。
これが稲は毎年普通に作れる。
なんならあまりにも田んぼが優秀すぎるから秋から春にかけて間に麦を作ったりとか日本ではやってきたわけだよね。
効率いいね。
しかも大豆。大豆って超すごいから。
そうなの?
空気中にある窒素を窒素固定って言って大豆が吸収して大豆という植物の中で窒素を固定化させてそれを根を通して土に戻すっていう作業してくれる。
戻すんだあれ。
最強だから大豆って。
ええ、すごい。
だから大豆も米も連作OK。
で、出来上がる食品がスーパーフードのコンボでしょ。
これはやらない手はないよね。
作るのも楽だし食べても健康にいいっていう。
そう。
最強じゃない?
最強。
なんで日本人これを捨てるかな。
ねえ。米今食べてない人多いって聞くけどさ。
ねえ。
いや俺なんか米ほとんど食べてる。ずっと米だからね。
タクはほぼほぼ米だよね。米ないと怒るもんね。
ないと怒るね。何なら飲みに行ってるのに米食うからね。
でも日本酒飲んだら米飲んでるからいいんじゃない?
いいや。
ダメか。
米は食べたい。
米は食いたいんだよね。
飲むのもいいけど。
これがすごく大事で、一般的に歴史ちょっとかじってる人だったら
領地系っていうと開墾をして国高を上げる。国高って何万国ってあるじゃない?
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あれは貨幣の価値のように表現されてるけど、米の生産量だからね。
ああそうなんだ。
この時代米が貨幣の代わりを果たしてる。
ああお金の代わり。
お金なんだよ。貨幣って計測機能とか保存機能とか交換機能あるじゃない?
そのうちの大部分は実は米が担ってるんだよね。
だから国高で武将がどのくらいのパフォーマンスを持ってるかっていうのを測ってるんだけど
それを金だと掘らなきゃいけないし生成しなきゃいけないって言うんだけど
米だから作れば作っただけ金持ちになるわけで要は。
畑が貨幣製造所。
そうそうそう。すごいな。
で金って掘るのに技術がいるから絶対量に上限があるんだよね。
でこの時代そんなところに力をかけてる余裕がないから掘れない。
だから金が足りなすぎて経済が回らない。
だから代わりに米がもう一度台頭をしてきて貧困状態食糧難状態だから
米の価値は誰が見てもいいわけだよ。価値あるじゃん。
これが戦国時代から江戸の中期ぐらいまで続いていく。
まあまあちょっと打速だけど中期を越えてくると米が余ってきて
インフレが大きすぎて経済が破綻していって
八代将軍の吉宗が税制改革をやるみたいなとこに繋がっていっちゃうんだけど。
米作りすぎたんだ。
そうそうそう。もう貨幣作りすぎたみたいになってて。
米余りが起こるっていうね。
そりゃそうだね。稼ごうと思ったら米作れば米をお金として使えるんだから。
そりゃ作るでしょ。
ただこの戦国時代っていうのは貨幣である米が足りないからめっちゃ頑張るっていう経済面もある一方で
食料の確保っていう重大なミッションがあるわけ。
どのぐらい食べるか重要だね。
そう。これがないと人口増えないから当時機械化が進んでないせいで
人口イコール生産力だもんね。だからそのために頑張って食料を作る。
経済の方には直接影響はあんまりないんだけど、味噌っていうのは料理、味噌汁だよね要はね。
この味噌汁が庶民の、藩の、農民の栄養状態を整えるものとしては非常に重要な食料であった。
だから田んぼを作ることと味噌を奨励することが領地系にとっては産業として非常に重要なポジションを占めていたっていうのが
当時の味噌の価値観。現代人ではちょっと想像が及ばないレベルだよね。
そうだね。米と味噌が直結するっていうことでしょ。
現代人だと考えられないね。何か出てこないかなと思ったけど何も思いつかなかった。
何も思いつかない。そもそも飢餓状態になることが今ないからね。
ないね。むしろフードロスとかっていって大量に余ってるくらいだからね。
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心足りない状態だから。どんどん米と味噌を増やさなきゃいけない状態。
ただ肉食わないから体格は幕末を迎えて明治に至るまで大きくならないんだけどね。
植物性タンパク質だけではそこまで大きくならなかったっていうのが
日本人の最も体の小さかった時代を迎えていく。
前回では触れなかったけど白味噌の代表格で西日本の最強味噌っていうのを言い忘れてたんだよね。
西の都と書いて最強味噌。
これねどの武将の影響も受けてない。
武将はここまでできてるのに?
そう。武田信玄、伊達正宗、徳川家康、誰?
特になかったんだ。
これねもともと最強味噌っていうのは名前がついていなくて、九中味噌。
九中味噌。
九中っていうのは宮に中と書いて九中ね。
つまり朝廷の中の公家さんとか天皇家の人たちが使っている味噌だったんだよね。
天皇が食べてる味噌って感じ?
そうそうそう。そういうことなんですよ。
あえて被護者が誰かって言ったら天皇だよ。
もっと上に出てきてたよ。
最強のやつが出てきた。最強だから最強じゃないんだけど。
つっこまなかったのに今そこ流したのに。
すいません。ほんと失礼いたしました。
これはちょっと他の味噌とは違って、武士の世界っていうのは執事合憲、実用性合理主義の社会の中で生まれてきた味噌だから
体を強くするとか栄養価が高いっていうのに重点を置いてきたんだけど
武芸さんの世界だからどちらかというと実用性よりも旨味とか甘みとか美食目的の方が強かったらしいよ。
全然経路違うね。
だから最強味噌ってかなり甘みが強くて旨味も強いよね。
強い。
実用性よりも味が目的で栄養素はさすがに天皇家だからさ。
魚も食べるし煮物もあるだろうしそういう世界にいるんでねちょっと話が変わってくると。
そういうね背景が全然違うね。
全然違う。でこの最強味噌という名前の由来ねこれね面白いなと思ったのが幕末以降に出てきた名前なんだって。
幕末以降。
江戸幕府がなくなって明治政府ができてからその頃に最強味噌という名前が付けられる。
割と最近。
割と最近。なんでかっていうと宮中味噌だから味噌に名前がないんだよ。
味噌に名前なかったの。
強豪がないから。
区別する必要性がなかった。
ない。天皇に苗字がないのと同じくらい区別する必要がないっていう。
味噌にも苗字がなかった。
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味噌にも名前がなかった。
味噌は味噌だと。
ところが先都が行われるよね。
先都。
首都が京都から江戸に移って東京と名前を変えるよね。
はいはいはい。
天皇家もお引越しをするわけだ。
ああ。
その時に名前が東の都で東京と変わったよね。
うん。
お前らが東の都やったら、うちら西の都やし。
あははは。
マジでそんな理由で最強味噌。
ああそういうこと。東京はできたが故に最強になったんだ。
そう対抗してね。
ああそうか。
東の都に対抗して西の都で最強味噌。
まあどういう対抗意識か知らないけど。
区別をね。
そうそうそう。
無理矢理苗字つけた感じかね。
うん。でこの時に宮中で働いていた料理人たちがいるよね。
うん。
働き場所を失うんだよ。
へえ。
当然東京に連れて行ける料理人の数も限られているし、
そうすると下っ端の人たちは解放されていくよね。
解放とかリストラン。
まあリストランだよ。
何それ。
これね、歴史上見ていくといろんなところで起こるんだよ。この現象。
ああそうなんだ。
ちなみにいつかやろうと思ってるけど、フランス料理の世界でも同じことが起こるんだよな。
フランス料理もあるんだ。
そう。フランスの王族のためにいた料理人たちが、フランス革命によって王室が崩壊するときに全員リストラされちゃうんだよね。
へえ。
これによってフランスの王族だけが食べていた、上流階級だけが食べていたフランス料理が一気に庶民に広がっていく。
ああそういうこともあるんだね。
料理人が食べていけないからレストランを開くんだよね。
はいはいはい。
同じロジックで京都の宮中で働いていた料理人たちが京都で店を開き始める。
へえ。ってことは今の京料理っていうのは宮中の。
物の影響が色濃く出ている。
ああ。
そして当時京都で店を収めていた人たちがいるよね。
うんうん。
収める先が行っちゃったからさ。
無くなっちゃったね急に。
誰か買ってってことになるよね。
うんうん。
そこで合致するわけさ。
ああそういうことか。
で料理人さんたちにもいわゆる料理屋にも売るし一般庶民の間にも徐々に徐々に広がっていく。
うーん。
面白いのがこの最強味噌が一般庶民に広まる前までは京都大阪の辺りの人たちは味噌どういう風に集めていたか食べていたかっていうと基本的には自家製。
自家製なんか各家庭で作ってたって話だよね。
そう鎌倉室町時代ずっと作ってたこれは全国のどこの家庭でもほとんどが自家製で味噌を作っていたんだけど逆に例外的に江戸の人たちだけが買うことをメインにしていた。
買ってたんだな。
これはね都市形成の過程がかなり影響していて江戸って新しい都市だったんだよね本当の荒野に無理やり都市を作ったから男性の独身の人たちが集まってきて大工さんとか出稼ぎに来て町を作っていくっていうのが背景にあるので
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そんな作る?男性独身一人暮らし。
出稼ぎに来てて労働してて作んないよね味噌。
味噌作らんよね。
全然違う仕事してるでしょだって大工とかさ大工しながら農家やんないもんね。
やんないと思うよ。それが影響して味噌を作らないし買ってくる。他のところでいくと寿司とかそばとか天ぷらみたいな外食文化が関西ではなく関東で生まれていったのはそういう背景もある。
そういうことか。
こういう影響がずっと因子として散らばり続けてどっかで実を結んで江戸の後期に向かって最強味噌が花開いたりとか江戸が開かれる前までは各地で味噌がブーストしていくんだよね。
前回の話でいくと鎌倉時代にすり鉢の登場によって味噌が全国に広がっていきましたよね。
で室町時代にかけてそれがどんどんどんどん広がって一般家庭で誰でも味噌汁を飲む食べるという状況ができました。で戦乱の時代になったからこそより味噌汁の重要性が上がっていく。
当然味噌を単体で食べるということは基本ずっとここまでの間味噌の話ばっかりしてるから忘れてるかもしれないけどこれ味噌汁の回だからね。
急に味噌にフォーカスしたね。
味噌にフォーカスしちゃったけどずっと味噌汁の形で広がっていくんだよ。味噌単体で食べることもするけど庶民はやっぱり味噌汁の方が味噌の摂取が楽だから。
まあ味噌食べるよりは楽か。野菜も食べれるしね。
味噌煮込みにしたりとか調味料としての味噌が発展していったおかげもあって味噌汁がメインで全国に広がっていく。それを受けてこれは大事だぞってなって部署たちがもっともっと味噌を作るとなるからここでね知っとかなきゃいけないのは味噌の種類が増えていくんだよ。
増えるんだ。
極論で言っちゃうともっと多かったはずなんだよね。みんな自家製だから。それをある種地域性を出していく。出てきちゃった。
まあそれは作ってるしね。好みあるもんね。全国味の違いがあるように。
地域性が出てそれぞれに八丁味噌でブーストしたり仙台味噌で政宗が工場作ったりなんかするもんだから仙台の人たちは基本的に仙台味噌に近い味を作っていくことになるよね。結果として地域性が生まれていくという。で味噌汁文化が地域ごとに花開いていく。
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そこから広がっていくんだね。
これがね戦国から江戸にかけての味噌汁の花開く瞬間ですわ。深いね。
意外と深いでしょ。ちょっと舐めてなかった。
味噌をみんな自家製味噌作り始めて自然と味噌汁に流れただけかと思ったけど間にはすり鉢だったりとかいろんな経済的な理由がある。あと健康的な理由が入ってたのだというところがあるんですよ。
今回ここで一旦区切りますけど次回はどんな感じで。
味噌汁のバリエーションがどうなってたか。今度は味噌の話をしたので具がどうなってたかとか、あと江戸の後期になってくると味噌合わせ混ぜ始めるんだよね。
混ぜるのね。
今までは実用一点張りの味噌汁だったじゃない。これが食文化になって楽しみに変わってくるんだよ。
平和になったからね。
そうそう。それが現代まで続く味噌汁の源流。
やっと出だします。
やっときたよ。現代の味噌汁。
現代の味噌汁にこっからなっていくね。現代の味噌汁ってなんだろうと逆に思うけどね。
そうだね。
次回はその辺の話をしていきたいと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
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