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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。 春木ゼミ、行きまーす。
あのー、本当はね、全然やる気なかったんですよ。っていうのが、あのー、確かね、春木先生は、あのボイシーの超初期にね、
全く同じだったかどうかはね、違ったような気がするんですけれども、でも同じ、この人口のね、このグラフを例に出して話されてたんですよね。
大体、このグラフをパッと見た時に、どういったところに着目すべきかっていうね、
春木先生なりの答えはもう出ていらっしゃるので、今回全く同じ意図でこの問題はまたゼミで出されてないのかもしれないんですけれど、
まあそういうのもあるし、別にみんなのね、答えがどんなのかなっていうのを、とりあえず総括でね、また聞こうかなと思って、
ちょっと静観してるというかね、いう感じだったんですよ。で、あえてね、皆さんのもちょっと聞かずにいたんですけど、うっかりね、
大和さんの聞いちゃって、大和さんいいこと言うわと思って。で、なんかね、自分もちょっと話したくなっちゃったんで、あのちょっと春木ゼミのね、ちょっとこの課題に関してちょっと私も自分の思うところを話そうかなと思います。
で、えっとこれはね、あのやっぱり数え方がおかしいっていうことだと思うんですよ。っていうか春木先生は確かそうおっしゃってましたね。
私も本当その通りだと思うんですよね。これをなぜこのちょうど段階の世代の生まれたあたりですね、だから1950年スタートにしてるのかっていうところが、
ちょっと引っ掛けっていうか、ここから数えてしまうと、もう当たり前にどんどんどんどんやっぱ出生数が減っていくように見えてしまうのは当然じゃないのかっていうことをね、
思うんですよね。で、おそらく春木先生もあの前に言ってたと思うんですよ。本来であれば、今度ってもっと長いスパンで見なきゃいけないですよね。
だからもう昭和っていうことで言うならば、もっとだからもっと前まで遡って、来年で昭和100年っていうふうにカウントするならば、もう
100年前ぐらいから計算すればいいわけですよね。計算というかグラフを表示すればいいところを、わざわざこの1950年からスタートしてるっていうのが、
ちょっとある種の印象操作になるんじゃないのかなというふうにね。そこまで強く、春木先生は断定はしておられなかったと思うんですけれど、
まあでも私なんかはこれ明らかに印象操作だなって思っちゃいますよね。これはまあここからカウントしたらそれ減ってるでしょうっていうね。だってただでさえ
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昔のだからそれこそ、私のおじいちゃんおばあちゃん、明治生まれ、大正生まれの人たち、もっとたくさん子供を産んでるわけですからね。そこから言ったら、段階の世代だって
戦争で一旦減った人口が、戦争の後戻ってきた親たちが子供を作ったのでね、ボンと増えてるっていうだけですからね。
そんなところから数えればそれは減ってるでしょうよというのがあって、あと諸々ですよね。
なんですけどね、私は今回これ春木先生がゼミの課題として出されているのは、このグラフの読み解き方というよりはいろいろね、これを見て、出生率とか
いろんなことで皆さんどういうことを思いつきますかっていうね、もっと大きな主題を与えてくださっているのかなというふうに捉えて、
尾羽さんと同じようにね、私は私でこのグラフそのものとかこの数値そのものよりもね、もっと大局のちょっと話をしたいなと思うんですよね。
私はね、だから本当に尾羽さんとも本当に全く同じです。
なんですけれども、ちょっとだからその尾羽さんの観点とはまた別の、これを見てて私がその印象操作だというところを主題に話そうと思うんですよね。
少子化になっているってことに対して危機感を持たせるために、こういうグラフを準備しているっていうことをしている人たちはみんな今の政府筋とか官僚とかそういう国を動かしている人たちなわけですよね。
ここはもうほとんど男性だというふうに思うので、この人たちがその我々女性に何を求めているのかっていうことがちょっとうっすらとなんか透けて見える気がするんですよね。
で、そうなった時に私は皆さんね、マーガレット・アトウッドっていうね、カナダ人の女性の作家がいるんですけれども、この人が書いた自助の物語っていうね、小説があって、これは舞台は現代なんですよね。
若い女性たちがね、ある日突然みんな囚われたんですよね。で、囚われてみんな同じ自助っていうのはね、このメイドさんっていうかね、あのそういうだから家のお手伝いさんみたいなね、そういう人のことを言うんですけれども、みんな制服のようにね、赤い服に目まで隠れるぐらいの深い帽子をかぶせられて、
体とかはもう覆い隠すようなマントも着て、だから本当にね、昔の中世のアマサン、だからキリスト教会のヨーロッパのアマサンのようなね、古風な衣装を着させられて、みんなね、団体生活をさせられてるんですよね。
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で、ある程度訓練が済むと、おのおのが一人ずつ各家庭に派遣されていくんですね。だから例えば山田さん家とかね、田中さん家とかっていう感じで、それぞれの女性が一人、メイドとして家に派遣されていくんです。
そこには本当に家婦調整の旦那さんがご主人という感じでいて、専業主婦の奥さんがいると。何が起こるのかなと思っていると、もう結局この人たちは実は子どもを産むために家に使わされている女性たちなんですね。
なので、この夫婦っていうのはね、結構もう子どもが授かれない、ちょっと年配になっているとか、いろいろ試したんだけれども、子どもが作れない、生殖能力がない夫婦とかのところにですね、この若い、そして出産経験がある女性が主にね、連れてこられて、こういったところに送り込まれるんですよ。
で、よなよな繁殖のタイミングとかが来ると、この夫の方に差し出されるわけですね。子作りをさせられるっていう、だから赤ちゃんを作るためのマシーンのような扱いをされているという、とんでもない近未来というかね、ひどいディストピア物語なんですよね。
で、ここで逆らったり逃亡しようとしたりすると、容赦なく吊るし首にされて、もう晒し物のように街中に吊るされている遺体がね、そこら中に晒されていたりとかですね。
あと、女性の虚勢ですね。性的快楽とかを味わえないように虚勢されたりというのは、今でも行われていることですけれどもね、一部の国で。そういったことも容赦なくさせられて、完全に生奴隷としている、生奴隷というか子どもを作るマシーンとしていさせられていると。
で、この子どもが欲しいと思っている夫婦物っていうのはみんな上流のお金持ちの夫婦ということになっているんですけれども、ここの奥さんたちは奥さんたちで威張ってはいるんですけれど、やっぱり家父調整の中で非常に妻は妻で、
仕立てられているというか、夫がそうやって若い女性を抱いたりとかするのも子どもを作る目的だということで、黙認させられるような非常に男性優位な社会が舞台となっている話なんですね。
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とにかくえぐくて、あまりにも女性として身につまされるというか、ひどい内容なんですけれども、これね、やっぱり今世界中で起こっていることとか考えたときに、ありえなくはない未来なんでね、やっぱりとっても怖いんですよ。
物語としてだけね、やっぱり良かった、これはフィクションだわと、完全に言い切れない部分があるんですよね。
例えば、私は本当に信じられなかったんですけれども、私の母親たちの世代がですね、本当に頑張って命がけで勝ち取った忠誠の権利ですね。忠誠そのものが別に推奨されることじゃないことぐらい分かってますよ、みんなね、私も含めて。
なんだけれども、やっぱり産む権利、女性にはやっぱり出産しないっていう選択権は女性が持っているべきだっていうね、そういうやっぱり権利を勝ち取るためにウーマンズリブーっていう運動が起こって、見事に忠誠の権利っていうものはちゃんと法律で確立されたわけですよね、アメリカでね。
それがよもやね、去年ですよね、これ最高裁によって覆されてしまったんですよね。なので、もう州によってはもう忠誠する権利がない州が出てきちゃったんですよ。
完全にね、やっぱり時代が逆行してるんですよ。女性たちが命がけで勝ち取った権利が、いともたやすくね、やっぱり大統領が変わったりとか、時の世の中のね、流れみたいなものは変わった瞬間に、
ペラッとね、トランプ元大統領みたいですけど、本当にカードの裏表をくるっと、本当にひっくり返すかのようにね、いともたやすく、やっぱり進歩的なものが保守に戻ってしまったりっていうことが起こるんですよね。
なので、そういう何が起こるかわからないっていうね、恐怖を描いたのがこの次女の物語。ドラマ版ではハンドメイズテールというお話だったんですよね。これ実際今この先進国はね、一応男女平等ということになってますけれども、まだまだね、一部の国、アフリカとか
こういったところでは女性が性的なことをね、男性、夫とか父親とかの許可なく、自分が自由に生きることとか、結婚することとか、性を謳歌するってことは許されてない国とか、文化はいっぱい至るところにまだね、今も残ってますからね。
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今の先進国だって、いつ何時またこういう旧石器時代みたいなことになるかわからないわけですよ。
だからね、実際、日本のこの政党だってね、内心、あんたらそう思ってるだろうっていうのを思うんですよ。お前らは家庭に入って、夫とか父親の言うことをちゃんと聞いて、定宿にして、子供だけ作ってろと。
子供作ったら、子供をちゃんとまた海育ててね、また男をたくさん作ってね、女はまた子供作るマシーンとして一定数入れりゃいいみたいにね、思ってるんじゃないのと、やっぱりどうしても思ってしまうんですよね。
だってね、またちょっと話がここから逸れて、結局ね、今の資本主義のあり方みたいな話ね、そんな難しい話を私ね、そんな別専門家でもないから、深入りしたくはないんですけれども、今のでも資本主義みたいなものを、やっぱり相変わらずずっと追求していけばね、ひたすら人口っていうのは増え続けないとダメなわけですよ。
やっぱり例えば小売りのお店があったとしたら、これはどこまでもね、あの店がどんどん増えていかなければ、サイクルになってるんでね、これを追求していく限りはやっぱり人口っていうのは増え続けなければいけないし、
たくさん増えている人口に対してものを供給していけるようにどんどんものを作り続けなければいけないっていう、ずっとこのループが回ってきているのが、この近代のこの資本主義の経済構造ですよね。
この辺のいろいろ問題点を、ピケティっていうね、経済学者のフランス人のね、これ段階ジュニア世代なんですけれど、フランス人ですけれどね、この人が書いたね、百科辞典みたいにぶっとい本があって、
これが21世紀の資本っていう本で、ル・キャピタルっていうね、現代で、まあ要するに資本主義っていうことですよね。これの問題点をすごい詳しく書いている本があって、私もこの序章を読んだだけで挫折している本なんで、何も偉そうにこのことについて語る権利はないんですけれど、
まあでも本当にこの今の経済システムを維持しようと思えば、子供をバンバン産まなきゃいけないわけですよ。っていうことはね、本当は人間牧場をやりたいんじゃないの?っていうのが私は思うんですよ。
あくまでも家畜のように女の人たちはどっかにね、閉じ込められて、股を開かされてね、足を開いた状態で固定させられて、でもとにかく何も選ぶ権利もなくね、ひたすら男の人に好感されながら妊娠すればそれを嫌悪なく産まされて育てていくっていうことをね、やらせたいんじゃないの?っていうことをしない限りね、
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子供なんて増えませんよね。女の人に選ぶ権利、子供を産む権利、産まない権利とかっていうことを任せて、女性にそういう選択権を与えていったら、一定数の人は子供を産みませんからね、そりゃ。
妊娠したとしても中絶したりもするわけなのでね、そういうことを女に任せておくと、ろくなことにならないから、すべてそういう権利は剥奪して、ただもう黙って男の言う通りに、男の作ったこのいろんな資本主義の経済構造の中で、お前たちは黙って子供を産んでろというのが本来としてあるんじゃないのかって、つい思ってしまうんですよ。
なのでこのアトウトの小説なんかが穴がち、ただのフィクションではないというね、やっぱり怖さがいつもいつも私の頭の中にはあって、それをねやっぱり象徴するかのように、やっぱりアメリカでやっぱり中絶がもうダメになった。
法律的に違法なことになってしまう州がたくさん出てきてしまったっていうね、これはかなりショックだったんですよ。アメリカで起こることっていうのは必ず日本にも来るんですよ。いつもアメリカで起こることっていうのは10年後、20年後、30年後ちょっと遅れて日本に入ってくるんですよね。
だから日本もどんどんまた保守化してる気がするんですよね。なのでやっぱりもうこういったグラフでね、みんなに危機感を持たせようとしてるんじゃないのかなってやっぱ思っちゃうんですけれど、もうこんなのもう全然もう時すでに遅しなんでね。
もういつもみんなね、木下さんも言ってるし、多くの人が言ってるように、もうこの段階ジュニアの人たちがもう結婚しなかったり子供生まなかった人が圧倒的に多かった。もうこのタイミングで、だから第三次ベビーブームを起こせなかったことで、もう完全にそういう意味ではもう政策として失敗してるので、もう今更なんですよね。
なのでまあもうとにかく、ざまあみろっていう話ですよね。もうそんなにたくさん子供はできねえよということは諦めてくださいっていうね。女の人は産みたけは産めばいいし、産みたくなければ産まなくていい。もうそれが自然なあるべき姿です。それでもう亡くなっていくんだったら、もうそれでいいじゃないですか。
っていう話でした。
ちなみにね、こうやってどんどん少子化してるのはね、先進国はどこも一緒なんですよね。でも相変わらず子供が増えている国もあって、そこでプラスマイナス、長尻があってくるみたいな世界で見れば、やっぱり相変わらず人間というのは増えてるし、やっぱりこの地球環境を守っていくという点ではやっぱり明らかに人類は多すぎるっていうのは本当にその通りですし、
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もういい加減ね、こういうグラフで一機一致させるのはやめてくれっていうのが私の意見です。
はい、だから、はるき先生がどういった答えをね、皆さんから期待されているのかということからはちょっとずれてるかもしれないんですけれども、私が思ったのはそういったことでした。
はい、ありがとうございます。ごきげんよう。