2021-02-26 41:08

第199回 【対談】東京外大→海外勤務のキャリアについて語る

東京外国語大学での学生生活がその後の社会人生活のキャリア選択に大きく影響し、また海外に関係する業務に就く卒業生が多いです。今回は最近まで日系メーカーの海外駐在員として勤務していた、高校、大学と一緒だった同期の方にお話を聞き、大学生活のリアルや培った経験、社会人として生かされている事について対談します。 

*このご時世ですので、ソーシャルディスタンスに配慮して収録しております。 


【ハイライト】  

・その語科にした理由   

・東京外国語大学に入学するための勉強方法   

・再び外大生に戻れるなら何をしたいか?   

・外大生の経験から培ったもの?(精神面、ビジネス面)   

・外大生に一言   

・今のお仕事について 


 ~お知らせ~

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。


人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。


話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。


パーソナリティー:田村陽太

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、番組MC・ナビゲーター等、音声メディアや放送業界でも活動。また、番組プロデューサー、ポッドキャストデザイナー等のPRブランディング事業も手掛ける。


カバーアート制作:小野寺玲奈


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社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務士として活動する田村が、
普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、
その道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております、
岩立くんです。よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいまして、ありがとうございます。
田村さん、お久しぶりです。
何がお久しぶりかというと、
岩立くんは高校と大学が一緒ということで、
同期。
キャンパスでもよく会いましたね。
高校の時は同じクラスではなかったよね。
ではなかったね。廊下ですれ違うぐらいの。
大学に入ってからの方がむしろ仲良くなったというか、
そんなイメージです。
高校では何部だったんでしょう?
ここではマンドリン学部というところでした。
マンドリンね。
4人数で合奏する中で、
自分のパートはエレキギターで、
3年間ずっとエレキギターを弾いてました。
高校が千葉東のところなんですけど、
結構マンドリンが盛んっていうか。
そうだね。本当に人数多くて、
多分1年生から3年生合わせて100人ぐらい、
傍女隊の部活でした。
なんでマンドリンに入ろうと思ったの?
最初マンドリン学部って。
高校を選ぶ時に千葉東高校を見学して、
その時、学校自体の説明が終わった後に、
部活動紹介があったんですよ。
その時に演奏してくれて、
なんだこのキラキラした部活は。
その魅力に惹かれて決めました。
確かに楽器を使っている楽器とかも、
すごい華やかな感じとかもあったりとか。
大人数の合奏のインパクトがすごくて、
自分も入りたいなと思って。
高校入る時がその以外の目的というか。
高校選びもマンドリン学部が、
すごい魅力的だったからっていうのが大きかったと思います。
そうなんだ。
そこで3年間部活もしっかりして、
勉強もして。
本当にマンドリン学部が、
自分の高校生活の中では割と上位だったかなと思います。
両立、部分両立で。
分からないけど。
それで何とか卒業しました。
僕はあくくんのイメージ、
岩立くんのイメージは音楽。
普段の喋っている感じって、
03:01
すごい温厚な感じで、
聞くばりができるっていうイメージがあって。
食事とかでも取り分けるときも、
これ食べてないから食べてよみたいな。
聞くばりができない。
たまたまだったかもしれないけど。
そうですか。
でもそこを裏を返すと、
音楽とかコアにバンドやってたりとか。
そうだね。バンド活動も長くやってました。
高校から始めて、
大学、社会人になってからも続けて、
10年くらいギターは触ってたかなと思います。
長いですね。
長い。
曲をコピーすることもあれば、
自分たちで作曲作詞やって、
オリジナルをやったりもしてました。
つまりギターとかバンドの魅力って何ですか?
やってみて。
自分の場合は、
それが自己表現できる、
自分をアピールできる場だった
というのも、
小学生の頃は、
スポーツできる子がモテるじゃないですか。
僕はそうじゃなかったんですよ。
サッカーとかバスケとか苦手で、
周りがチヤホヤされているのが羨ましかったんですけど、
楽器を触ってみたら、
意外といけるなと思って、
そのままずっと続けていって、
かっこよかったよとか言われるのが、
純粋に楽しかった。
俺はこっちの道で行くみたいな。
そうそう。
運動はダメだったから、
その分楽器で。
それで認められたいみたいな。
欲でしかないですよ。
岩立くんが、
僕は大学で、
確か大学1年生の時に、
新入生歓迎会みたいなのがあったじゃん。
確か、
僕はマレーシアから来たんですけど、
マレーカンの時の新入生歓迎会の日に、
悪くんのバンドの発表会があって、
俺はそこに行ったの。
そこで悪くんのバンド見て、
めっちゃかっこいいなと思って。
四ツ谷かどっかでやったかな?
そうだね。
その頃は四ツ谷で、
よくライブハウスで使わせてもらってました。
やってたよね。
そっか、その頃か。
難しい。
あの頃はバンドやってたんだね。
それこそ、
田村くんと共通の知り合いがボーカルやってたりね。
確か。
あとは〇〇がドラムだったかな、その頃は。
確かね。
知ってる声が、知ってる顔が。
ちらっと浮かんだけど。
これは載せていいのかな?
ちゃんとPも入れるから。
そうだよね。
その時のイメージがあるから、
バンドやってる悪くんがすごいいいなと思って、
かっこいいなって思ったから。
今日一緒に収録できてるっていうのが、
不思議な感じはしますけど。
06:01
確かに不思議だね。
なぜ今回呼ばせていただいたかというと、
岩立くん、高校、大学と同じように過ごしていて、
就職して、
今お仕事されてるんですけども、
ほんとについ最近まで、
海外駐山員としてお仕事されてたんですよね。
場所はどこでしたっけ?
イタリアです。
海外駐山員として、
僕と同い年くらいで駐山員経験して、
今もう日本に帰ってきて、
お仕事されてるということで、
言ったら僕の旋風のまなざしに。
実際にこれからリスナーさんの中にも、
日本の企業に働いてて、
駐山員として働きたいなって方とか、
若い方、これから就職活動するんだけど、
駐山員どんな仕事をしてるのかな?
結構興味持たれる方がいらっしゃると思うので、
今日は岩立くんをお呼びさせてもらって、
駐山員リアルとか、
大学の時にはどんなことをやってたらいいのかとか、
いろいろねぼりはおり。
先生ながら。
聞かせていただいたらと思うんですけど。
わかりました。お願いします。
大丈夫でしょうか。ありがとうございます。
最初ちょっとお話聞きたいのが、
高校一緒で、
東京大学も一緒でしたからね。
岩立くんは大学は何専攻だったんですか?
ドイツ語専攻でした。
ドイツ語専攻にした理由、きっかけを教えていただきたいんですけど。
高校にいた頃に、
何が一番得意だったかなっていう時は英語だったので、
それを使って大学も進学したいなっていうのは考えてました。
なので、そういう外国語系の大学を選んでたんですけど、
なんでドイツ語にしたかっていうと、
英語以外にも興味持った授業の中で、
倫理でドイツ哲学が出てきたんですよ。
皆さんも知っていると思うんですけど、
カント、マルクス、ヘイゲールとか、
テーゼ、アンチテーゼ、アウフヘイベーみたいな、
懐かしい用語があると思うんですけど。
その発想するドイツ人すげえなと思って、
別にすごい憧れるとかじゃなかったんですよ。
なんでこんな発想になるのっていう、
こんなガッチガチの論に尽くって、
なんかすげえ発想するんだなドイツ人は、
っていうふうに思ったところがきっかけで、
そういう文化とか、背景だったり、国民性だったり、
そういうのを勉強してみたいなと思って、
ドイツ語を選びました。
それは倫理と授業、高校の授業で勉強したいなと。
そこが決め手だね。
そういうエピソードありますか?
こんな価値観って日本と違うとかわかんないけど。
ドイツ人とかドイツの文化って、
ルールをまず決めますと。
09:00
ドイツ語から見てもそうで、
本当に文法の縛りが多いんですよ。
特に僕イタリアの駐在経験したので、
イタリア語も多少わかるんですけど、
やっぱりそれと比べてもルールがめちゃくちゃ多い。
テニオ派って日本語だとあると思うんですけど、
それがドイツ語とかイタリア語だと格変化って言うんですね。
イタリア語の格変化は8種類ぐらいしかないんですけど、
ドイツ語は倍の16種類あるんです。
そういうところでも、
いかにドイツ語がガチガチかっていうのがわかるんですよ。
だからそこが一番ステレオタイプではあるけど、
ドイツ語のドイツ人の特徴かなと。
日本とは違うところかなと思いますね。
そういう考え方とかやっぱり現れるんですよね。
そうですね。もうそう思います。
こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないっていうのが
割とドイツ人は強いかなと。
何か人から提案されても、
いやルールはこうだからこうしましょうよっていうのを
言うような国民性かなというふうに思いますね。
そこでリンリンの授業、確か高3とかで学び始めるじゃないですか。
学び始めて、ドイツ哲学いいなと思って、
最終的にドイツ語を専攻にしたきっかけって何かあるんですか?
いや、もうどうだろう。
僕もマレー語なんですけど、
マレー語、いろいろ選択肢があって僕も。
確かマレー語かウルズ語かトルコ語か。
そうだね。
選択肢はいろいろあった中で、
純粋に4年間勉強できそうだなって思えたのはドイツ語かなって。
授業受けて興味持って、
特に観光とかでも大きな教会があったり、
ソーセージうまそうだなとか、
そういうのも込みで行ってみたい、
4年間勉強してみたいと思えたのがドイツ語かなと。
実際試験勉強もして、
入ってみてどうでした?入学してからのイメージと。
入学してからイメージはそのまんまかな。
特に大きな略もなく。
高校で思い描いてたより意識の高いというか、
語学に熱心な生徒がやっぱり多いので、
そういう人たちに感化されて、
自分もできないながらも何とか勉強してたっていう。
感化と一緒に高め合って、
試験勉強前とか勉強したりとか。
入ってから、大学の中での試験もそうだけど。
例えばトイックの試験で言うと、
みんなトイック700点、800点、
入学の時点から取れてますっていう人たちが
いっぱいいて周りに。
12:00
僕全然取れてなかったから。
そういう人たちに囲まれて、
自分も頑張らなきゃって思えるような環境だったかなと思います。
言語って積み重ねというか、
やっぱりそういうところもあって、
それがきっかけで大学生活もスムーズに。
刺激されて自分も頑張れたかなと思います。
ドイツ語を勉強してみて、
例えば後輩、ドイツ語界に入るっていうことがいたら、
どんな風なアドバイスとかありますか?
語学を続けるモチベーションっていうのは、
本当に人それぞれだと思うので、
ドイツ語を通じて何やりたいかっていうところは、
自分で持っておいた方がいいんじゃないかなと思います。
僕の場合は、
結局倫理で受けて知ったドイツ哲学、
これをやってみたいっていうのが、
わりとモチベーションとしてあって、
目標のためにドイツ語を勉強してた部分もあったので、
語学を使った上での目標を入学してから持つっていうのは大事かなと思います。
自分の興味っていうか、やりたいことっていうか。
多分それがないと、
やっぱり語学って結局反復の単語を覚えて、
文法を覚えて、
しゃべってみて、
何とか上達していくっていうものだと思うので、
それが苦に思うときもやっぱりあると思うんですよ。
田村君がどうだったかわかんないけど。
でもありますよね。
だからそういう地道なトレーニングだったり練習だったり、
それを乗り切れるだけのモチベーションを自分で見つけること、
そのためにはやっぱり語学を使った上での目標を設定することっていうのが大事じゃないかなと思います。
外来っていうと言語なイメージありますけど、
やっぱり他の軸を持つっていうことを、
ドイツ語とか外来に入るんだったら必要かなっていうところですよね。
あるとより有意義な学生生活を送れるんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。
ちょっとまたおいおいの質問で聞いていきたいんですけれども、
とはいってもやっぱりいろいろ大学を選ぶ中で外来に入りたいですと。
外来に入るためにはいろいろと、
今だったらセンター式、昔で言ったセンター式。
もうセンターじゃないんだよね。
大学における共通テストっていう名前変わってますけど、
それを受けていろいろと試験勉強すると思うんですけど、
岩立くんの外来に入るときの勉強方法、
多分これリスナーさんも多分こうやって勉強したら入れるんだみたいなのがあると思うんですけど、
ちょっと教えてください。
僕らが入学、受験してた頃っていうのはセンター試験と呼ばれるもので、
15:03
必要な科目が国語、数学、社会系の何か、理科系の何かだったと思うんですけど、
英語もあって。
そこはまんべんなく、すごい特化してではないけど、
まんべんなく全部やりました。
その上で二次試験に出てくる英語と国語、
国語絡みというか英語の記述と世界史の記述はしっかりやるように考えてはいました。
やっぱり試験勉強って丸暗記しがちなところはあると思うんですけど、
できる限り論理的に、例えば世界史も何があったからこういう結末になったとか、
そういうところの展開は説明できるように、
それが日本語だろうが英語だろうが説明できるようにっていうのは心がけてたかなと思います。
単純に暗記とかじゃなくて。
そうだね。英語と世界史のところはそうだね。
暗記じゃない、自分で論理的に説明できるように訓練するっていうのは心がけました。
センター試験と論術、二次試験で勉強の方法って変えてたりしてましたか?
そこまで大きくは変えてないんですけど、
世界史で言ったらやっぱり古代、中世、近代、近世とかあったりするじゃないですか。
そういう時代に区切ってどういう時代だったかっていう、
全体像も見て細かい単語、用語も覚えてっていうのは心がけてたと思います。
そのマクロとミクロなのかな。
両方意識して勉強して覚えたかなと思います。
マクロとミクロってどういう感じっていうかイメージで言うと。
イメージで言うと、
例えば中世だったらキリスト教対それ以外の宗教とかあるじゃないですか。
まずそういう全体像を捉えておいて、
そういう時代背景だったからこの都市にこういう戦いが起きたとか、
この人がやられちゃったとか、この人が皇帝になったとか、
そういう全体と細かいところのリンクさせるような覚え方はしてました。
時代だけじゃなくて一つの注目ポイント。
起きたこともこういう時代背景があったからみたいなね。
宗教に着目するとかいろいろポイント作ってみたいな。
なるほど。
田村君もそうだったと思うよ。
18:00
もう何年前だ?12年前?13年前くらいの勉強したね。
残酷だよね。全然覚えてない。
タペストリー。
あったね。
世界史のタペストリー。
資料集の名前。
緑っぽいやつ。
あれは重宝しましたね。確かに。
あれは読んでた覚えがある。
なるほどね。ありがとうございます。
やっぱり世界史と英語はびっちり勉強できるようにした。
そうですね。そこにはウェイトを置いて勉強してました。
分かりました。ありがとうございます。
今のアドバイスを聞いて無事入学しましたと。
リスナーさん入学しました。
入学していろいろと生活していく上で
岩立くんが外大生として経験から培ったもの。
いろいろ多分経験してると思うんですよ。
大学生活を振り返ってみて。何かありますか?
そうですね。僕の場合は入る前から
外国語は好きだけど
喋るところはコンプレックスだったというか
ちょっと怖気づいちゃうところがあったんですよ。
小さい頃のエピソードであるんですけど
小学生とか中学生ぐらいの時に
住んでるところが成田市だったので
空港に見学に行ったりするんですよ。
そこで外国から来た人と喋ってみようみたいな
謎のトライをさせられるわけです。
ファンキーな学校ですよ。すごいな。
そういう時に自分から話に行ったりするんだけれども
うまく喋れないから
なんだよこいつ結局喋れないんじゃみたいな
顔をされたことが経験みたいなのがあって
割とそれがショックで自分の中に残ってたりしたんですよ。
大学で勉強を4年間重ねていった中で
そういうコンプレックスが消えたというか
克服できたかなとは思いますね。
どうやって克服していったんですか?4年間で。
当たって砕けろでとにかく喋る
しかなかったかなと思います。
さっき話したコンプレックスになった出来事は
もちろん赤の他人で
別にその人は先生でもなんでもなくて
そういう態度を取られてしまうのも最もだと思うんですけど
もちろん大学のネイティブの人たちは
教師であったり留学生であったり
やっぱりこっち側が喋れなくても
辛抱強く話し相手になってくれる人たちだから
そういう場を借りて遠慮なく自分から喋って
当たって砕けろで覚えていったという感じかなと。
それで克服した気がします。
21:01
週で言ったら何回くらい当たって砕けろ精神で話しかけてたんですか?
大学のコマ数はどうかな。
週に3コマくらいは会話の授業があったなと思うので
なるべく生徒と同士で喋るよりも
ネイティブの先生と喋る授業をできる限り取ってたので
そこで何とか鍛えられたかなと思います。
授業中に声かける?それと授業外にで?
授業でそういう
講師がネイティブの先生の授業を自分で探して受講してっていう感じでした。
ひとつ質問だけど
僕だったら初めてネイティブの方と喋る時って
多分自分の語学力が単語とか文法が合ってるかとか心配で
多分話すのはめっちゃ緊張すると思うんですけど
どうやってそれを乗り越えるんですか?
もう相手は待ってくれるものっていう風に
だから焦らず答えようっていう風に
自分の中でマインドコントロールしてました。
さっきも話しましたけど相手はもう先生だから
自分が喋れなくても辛抱強く待ってくれる存在だから
その胸を借りて
いくら時間がかかろうが自分の言葉で喋ってたなっていう感じです。
はいはいはい
それっていうのはやっぱり卒業してから
社会人になって活かされたことなんかありますか?
おかげで本当に仕事でも海外と関わって
海外にある関連会社とやり取りはしてるんですけど
本当に物事せず取り組めてるなと
語学はもう培った上で会社に入ったので
仕事を習熟させるっていうところに
集中してやれてるかなと
だからその意味では
外国語大学に4年間通えたことは良かったなと
それで社会人になって具体的なエピソードがありますか?
そういう考えになったのか?
そうだね
最初はイタリアに駐在してからもちろん
ずっと日本語じゃない言語でやり取りはしてたので
そこは当然のことなんですけど
入る前には日本からヨーロッパに出張行くことがあったんですね
その中で覚えてたドイツ語で
ドイツの関連会社の人たちと話してたりすることもあったんですよ
結構そのインパクトが強かったらしく
日本に戻って普段の仕事をしてる中でも
24:00
だいぶ覚えててくれたようで
そういう前提で仕事の話をしてくれたりするようになったかなと思います
ちょっと答えになってるか分かんないですけど
自分で進んでドイツ語喋ろうと仕事中にもやって
そうだね
だからもうこんなとこで下手なドイツ語喋ってもあれかなとか
そういう遠慮はなくなったかな
変な遠慮はなく
自分が喋りたいんだから喋ろうという風な気持ちで
積極的にコンタクトできたかなと思います
すごい
なかなかねドイツ語を喋る日本人っていう
僕想像があまりつかないので
やっぱり向こうの人たちにとってもすごいそれが珍しかったようで
だよね
だからその意味でも顔を覚えてくれたし
その後の仕事も深められたし
良かったかなと思ってます
言語的な壁とかは特に
ビジネスというか仕事の面のところに集中してやっていってる
そうですね
ありがとうございます
分かりました
もし再び外来船に戻れるとしたら
何したい?
何だろう
久しぶりにまた試験受けて
試験はもう受けたくないから
何したいですか外来
外来船
結構楽しかったので思い残すことはないんですけど
強いて言えば
卒論書き直したいなとは思います
どう言いますと
大学生なので最後卒業するときに卒論を書かせられるわけですけど
自分の興味持ったテーマはビシッと決まったんですよ
具体的に言っちゃうと社会言語学っていう学問があって
その見方でヨーロッパでどういう言語教育だったり
制作が取られて今に至るのかみたいなことを書こうとしたんですよ
結構かっこいいなと思って
めっちゃかっこいい
響きはかっこよかった
めっちゃかっこいいです切り口が
これ面白いなと思って結構情熱持って最初やろうとしたんですけど
なんかすごいシリーズ揉みになっちゃって最後の方
分かったけど資料読んで分かったけどまとまらない
まとまらないっていうのがもう締め切りまでずっと続いちゃって
すごいグダグダな内容で提出しちゃったなっていう心残りがあるんで
なんかその無念を晴らしたいなって
シリーズ揉みっていうのはやっぱり勉強することが多いってこと?
どんな感じですか?
そうかな
よく教授とかには言われがちですけど
27:03
テーマはできるだけ具体的にとか言われるじゃないですか
卒論書く上でちゃんとゴール着地するように
でも僕はちょっとテーマを広く取りすぎたので
最終的に資料を読んで
この時代にはこんなことあった
この国ではこんなことしてる
だから何?みたいなことが起きちゃって
それがうまくまとめられなかったなっていう後悔ですね
じゃあ次もし大学生の方だったら卒論書くときは
ちょっとテーマ絞ったりやった方が書きやすいって感じ?
そうかな
今の学生さんにも言えることなのかもしれないですけどね
こういう反省点もあります
もし阿久くんがまた大学生で卒論書くなら今何を書きたいですか?
何のテーマ?
そのテーマを言語政策
社会言語学のテーマをもっと突き詰めたいなと思ってます
リベンジ?
リベンジ、まさにリベンジ
地域を絞ってってこと?
そうかもしれないね
ドイツの社会言語学でこういうテーマでっていうのを
もう一回絞ってやりたいなと思います
次はちょっと成功できるんじゃないか
わかりました
ありがとうございます
ちょっとリスナーさんも大学について
なんとなく外来とかどんな感じで勉強したのかなっていうのが
イメージついたのかなと思います
次はお仕事についてお話ししていきたいんですけども
先ほどちょっとご説明ありましたけども
今立さんはイタリアで海外駐在員として仕事をしていました
どういう感じで駐在まで来て
帰国、駐在経験あって日本に帰ってきたか
その流れを教えていただけると
わかりました
自分が入社した頃からの話をまずしたいと思います
2013年の春に大学卒業して
新卒入社で今勤めているところに入りました
今の会社は業種でいうと電気メーカーです
取り扱っている商品はカーナビだったり
無線機だったりヘッドホン、プロジェクター
業務用カメラなどなどっていう
ちょっと幅広いんだけどニッチな商品を扱ってたりします
まず私が入社してすぐ配属された場所が
カーナビのような社債製品をビジネスとしている事業部に所属して
その中で働いている場所は日本だったんですけど
ヨーロッパの販売会社のサポーターとして
日本から窓口として仕事をしていました
サポーターというと現地の販売の方を助けるみたいな
30:00
そういうことです
どう助けてたかというと
販売会社がこの製品を何台売りたいという風に
発注してきたものを受けて
出荷の調整をしたりだとか
あとは生産調整もしたりというところが主な仕事でした
まずそこで3年間、丸3年その部署にいて
社会人のイロハも含めて学ばせてもらったんですけど
その上で急遽、後でじっくりお話しますけど
2016年の春からイタリア行ってこいと言われて
赴任することになりました
実際さっき話してたヨーロッパにある販売会社の一つに
自分が出向するという形になって
現場とより近く
イタリア人のセールスマンだったり社長だったり
いろんなスタッフと一緒に仕事をすることになりました
現地の販売会社をサポートする側から
サポートされる側というか最前線で
むしろ本当に言った通りで
サポートしてた先に自分も加わってということで
すごい現場を見させてもらえたかなというふうに思ってます
結局イタリアには4年勤めてまして
一応ポジションとしても
1個の課の課長さんみたいなポジションで仕事をしてました
具体的にやってたことは
イタリア人セールスマンが取ってきた注文を受けて
日本側に製品の発注をしたりだとか
その他には新商品の値付けとか
売れないもの売れてるもののプロモーションを
そういう形で最前線にいるイタリア人セールスマンのサポートをしていました
会社の規模で言うと
イタリア人34人と日本人僕一人
イタリア人に囲まれながら仕事をしてた感じでした
岩立課長の下に34人いたってこと?
違う
社長部長課長いろんな課長含めて34人いて
一つの課が僕の課で
僕の部下は3人いました
33:02
部下って言ってもみんな歳は上なんです
しかもみんなおじさまおばさまが多かったから
部下でも50歳弱とか
アラフィフィぐらいの人たちを部下に持ってました
そんな中でイタリア人と囲まれながら仕事をして
そこで4年間
さっきカーナビの授業を日本にいた時はやってましたって言いましたけど
最終的にイタリアではそれ以外合計6つ
商材扱って
それの発注管理プロモーション新商品値付け
販売の進捗報告分析
その手の営業関連のことをやってました
日本の本社にも報告したりとか
はいその通りです
駐在4年してそこからはどんな感じに
2020年の夏ですね
日本に帰ってきまして
イタリアでやってたアトリア使ってた商材のうちの一つ
今度は車載製品ではなく
無線機の方の事業所に移りまして
無線機に特化した
ヨーロッパ窓口担当をやってます
新事業と今までの経験とまた新しい部署で
海外と関係あるような仕事で
入社して3年間日本でイロハを教えてもらって
イタリアの方が4年間で長いっていう
イタリアから帰る前は
海外で働いてる方が長かったことになるので
すごい自分の中で不思議な状態でしたけど
色々勉強させてもらいました
もちろん仕事ではあったんですけど
イタリアの会社は学校みたいなところだったなと
今振り返ってみて思いますね
学校といいますか?
海外でも営業
日本で最初に配属された時は
社会人のイロハを勉強させてもらいましたけど
イタリアでは
営業のイロハを教われたかなと思っています
それこそずっとオフィスワークなんですよ
営業に近いポジションだったのは
イタリアにいる頃だったので
営業マンの苦しんでる姿であったり
やりたいっていう思いであったり
それをダイレクトに感じられて
36:02
自分で考えてアクションを起こせたのは
イタリアにいる間だったなと思うので
そういう意味では
営業のイロハを襲われる学校みたいなところでした
具体的にイタリアの前線で働いたと思うんですけど
現地の営業マンってどんなことに悩んでるんですか?
日本人とイタリア人に何か悩みがあるんですか?
悩みは共通してると思うんですけど
さっき話したように業種は電気メーカーなんですね
今電気メーカーで何が一番苦しいかって言ったら
値段競争になってるんですよ
本来商品ってお客さんにおろして
お客さんに喜んでもらってっていうのが根本にあると思うんですけど
どんどん会って当たり前の商品になってきてるので
ヘッドホンとか特に
そういうところで
お客さんに喜んでもらうために値下げをしなきゃいけない
でも値下げすると会社の利益は取れない
それって本当にいいんだろうかっていう悩みをずっと抱えてる感じはありましたね
そこが一番やってて難しいところ
どれだけお客さんに喜んでもらえるだけの値段を出すか
100%期待に応えるかどうかみたいな
そういう駆け引きというか塩梅がずっと難しかったなっていうのはありますね
そういう葛藤の中で現地の営業さんにプロモーションするっていう仕事になったと思うんですけど
どんなふうに克服していったんですか?
そうですね
基本的なところですけど
自分の会社ではこういう製品をいろいろ持ってますと
ライバル会社ではまた別な商品がありますと
その中でうちの商品で戦わせるにはどういう組み合わせにするのかっていうのを
まずはしっかり考えることが大事だったかなと思います
他社製品の機能としてない商品がうちにあったら
もちろんそれを押すっていうのも一つの手だし
うちの商品の
例えば商品Aと商品Bを組み合わせたら結構魅力的だよねとか
そういう合わせ技とかも考えたり
いろいろやってましたね
お客さんというとどういうお客さんが対象になるんですか?
日本でいうとヨドバシカメラとか山田電機とか
そういう量販店
今のは電化製品ですけど
カーナビとかも扱っているので
39:01
日本でいうオートバックス、イエローハット
それのヨーロッパバージョンのお店さん
そういうチェーン店にも卸してたりしました
合わせ技っていうとA社とB社どういう感じで提案を?
例えば
言える範囲で
例えばカーナビ売ってます
他のライバル会社さんもカーナビは持ってます
だけどうちの会社は実はドライブレコーダーも扱ってます
となった時に
これも付けてちょっと値段安くするからどうですか?
と聞き目があったり
同じ製品だけで争うんじゃなくて
付加価値を足してみたり
そういうプロモーションはしてました
ラインナップとかも考えながらお客さんに提案して
そうですね
難しいというかやりがいがある仕事ですね
面白いのは面白かったですね
本当に毎回毎回うまくいくわけじゃなかったので
だから悔しいなっていう時もいろいろありましたけど
やりがいはありました
お客さんによって傾向も違うって感じですね
了解です ありがとうございます
いかがでしたでしょうか?
次回もこのお話の続編をお送りいたします
魅力的なお話たっぷりです お楽しみに
シャローシュラジオ サニーデイ・フライデー
DJの田村陽太でした
それでは次回もリスナーの皆様のお耳にかかれることを楽しみにしております
今日も気をつけて 行ってらっしゃい
41:08

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