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2025-01-19 05:31

#105 脱構築1 ジャック・デリダ

サマリー

脱構築という概念は、哲学的思考の方法として統一的な全体性や二元論を批判します。この概念はフランスの哲学者ジャック・デリダによって提唱され、理解が難しい一方で、建築界ではザハ・ハディドの作品に見ることができます。

脱構築の導入
ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします。
今回から脱構築という概念について紹介します。 脱構築はものすごく難しい概念なんだけど、同時にものすごく人気のある概念でもあります。
有名どころだと建築の分野で取り入れられていて、 脱構築建築あるいは脱構築主義的建築というのがあります。
脱構築建築で一番有名な建築家は多分ザハ・ハディドです。 2020年東京オリンピックで使われるということで、
日本の新国立競技場におけるコンペでザハ・ハディドのデザインがありました。 この新国立競技場のデザイン案はテレビとかでザハー案とか呼ばれてたから、
ザハ・ハディドの名前は知っている人が多いと思います。 建築の分野以外でも脱構築批評っていう批評理論もあるし、
脱構築という言葉は実にいろいろなところで目にします。 しかしながら脱構築という概念を把握するのはすごく難しいという、なんだか不思議な概念でもあります。
この脱構築という概念を提出したのはジャック・デリダというフランスの哲学者です。 1930年に生まれて第二次世界大戦や冷戦の時代を生きて2004年に亡くなったという背景の人です。
脱構築とはどういう意味か。 辞書的には西洋の伝統的な哲学の統一的な全体性という考え方や二元論による説明を批判して、その枠組みを揺るがせながら新たな構築を試みる哲学的思考の方法ということになります。
先ほど難しいと言った通り、これだとちょっと意味がわかりませんね。 なんとなく既存の枠組み、パラダイムを揺さぶる思考方法なのかなという雰囲気しかわかりません。
脱構築の定義については、慶応熟成新聞に載ってる斉藤義道先生の記事が良かったので参照します。
そのまま引用すると、脱構築とは、物事に本質や根拠がある、絶対的な見方があるとする考え方への抵抗で、その性質上、脱構築自体は何らかの定義や本質や根拠を持ちません。とあります。
これもめっちゃ難しいけど、あらゆる物事には絶対的な本質はないって言ってるわけですよ。
そうすると、あらゆる物事には絶対的な本質はないんだから、脱構築という言葉を定義したとしても、その定義自体も絶対ではない。
したがって脱構築という概念を定義することはできないということになります。 もう一回言います。
ざっくり言うと、脱構築とは、あらゆる物事を揺さぶることができる思考方法です。
あらゆる物事を揺さぶれるから、脱構築という概念を定義したとしても、せっかく定義したその定義自体も揺さぶれてしまう。
したがって、永遠に定義をすることが叶わないという固有理屈になります。 これはまさしくその通りだとは思うんだけど、
あえてその方法論とはどのようなものなのか、直感的な理解ができることを目指して話していきたいと思います。
デリダの考え方
脱構築とはこういう方法論ですって言ったところで、厳密にはその方法論自体が揺さぶれてしまうから意味ないってことになるんだけど、
それじゃ誰も脱構築という概念を捉えられないということになってしまいます。
捉えられないんだけど、それでも説明してわかることを目指します。
あと実はデリダ自身もデリダの概念を整理してるんですよ。
多分批評家とか評論家とかが、何者もデリダの概念を捉えることはできないみたいに言ってたのにムカついたからだと思うんですけど、
デリダベースっていう用語集があります。 これはデリダのデータベースって意味ですね。
デリダのデータベース、略してデリダベースって言います。
デリダはこういう言葉遊びが大好きみたいで、ダジャレみたいなネーミングをよくしています。
ここら辺で一旦切ろうとは思うんですけど、その前に、脱構築ってもともとフランス語の言葉ですけど、
フランス語だとデコンストラクシオンと言います。
めちゃくちゃ語感がいいですよね。
本当に余談なんですけど、僕このフランス語がすごい好きなんですよ。
デコンストラクシオンと言いますが、かっこいいですよね。
長くなってしまうので、一旦ここで切ります。
では次回に続きます。
05:31

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