永遠に語り継がれるものの本質
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回はですね、永遠の存在、永遠に語り継がれるレジェンドになるとはどういうことかという話です。
いろいろな言い方ができるけど、何らかの作品だったら、いわゆる超神作品っていうのは伝説的とか金字塔とか呼ばれますよね。
同様に、人物だったら異人とかレジェンドとか呼ばれます。
これなりにいずれも共通しているのは、何度も何度も繰り返し反復されるということです。
人々の記憶の中で反復し続けることで、非常に大きな存在となるわけですね。
この反復という概念は、哲学でよく出てきます。
ジル・ドゥルーズとか、ラカンとか、ジャック・デリダとか、風光とか、実に様々な人が反復、繰り返されるとはどういうことかっていう話をしています。
でもこの辺を全部ひっくるめてまとめようとすると、異常に難解な話になってしまうので、
超神作品が永遠に語り継がれる、レジェンダリーであるっていうことはどういうことかっていう、こういう補助線を引くことでシンプルにしつつ喋りたいと思います。
なので、この補助線の性質上、いくつも例を挙げながら話を進めたいと思いますが、
まず分かりやすいものとして、記念日というものがあります。
この記念日って何なんでしょうね。
誰かの誕生日とか結婚記念日とか、これってそもそも何なんでしょうかっていう話です。
今これを聞いているあなたも、誰かに誕生日を祝ってもらっていると思うんだけど、
本来的には、あなたが生まれてきたという事実が大事なのであって、あなたが生まれた日にち自体は大事ではないはずですよね。
でも、哲学者のジャック・デリダが言うには、あなたが生まれてきたとか、あなたが結婚したみたいな、一回しか起こり得ない、つまり反復不可能な出来事であっても、
そのイメージだけは反復することができる、それが記念日というものの本質だと言います。
あなたが生まれたという過去の事実は、どうやっても反復することはできません。
作品のレジェンダリー化
時間を巻き戻して生まれ直すっていうことができない以上、どうやったって反復不可能ですね。
でも、あなたが生まれたというイメージだけなら、毎年の日付と紐付けることで反復させることができます。
これと同じことは、日本でも東日本大震災のことを3.11って呼んでますけど、あれは確実に意図的にやってますね。
政府の中の人がデリダを知っていて、震災の記憶を後世まで残すために、わざと3.11と日付で呼ぶことで、毎年1年に1回は震災のことを思い出すことができるようにしている。
この反復という概念の持つ強力なパワーを良い方向に利用していると思います。
反復するという行為がどれだけイメージの世界において強力なパワーがあるか少しわかったところで、話を戻します。
作品や人物が永遠に語り継がれるためには、何をすればいいかという話です。
基本的には作品でも人物でもどっちも同じなので、作品を例にしますが、
映画でも小説でもアニメでもいいんだけど、作品という一時創作がまずあります。
で、あらゆる創作のことは一般的にテクストって呼びますので、ここでは一時テクストと呼びます。
何らかの一時テクストが世の中に出た段階では、その作品、一時テクストと読者だけがいるという構造になっています。
一時テクストを受けた読者が、その作品を起点として新たな二次テクストを作り出すかどうか、これが全てです。
一言で言うと、プライマリーとセカンダリーがあって、プライマリーはすごく大事なんだけど、それ以上にセカンダリーの方でバーッと盛り上がらないといけないということです。
で、また話を戻して、このテクストっていう概念はめちゃくちゃ広い概念なんだけど、ここで言う二次テクストっていうのは、感想、批判、惨事、批評、模倣作品、パロディなど、あらゆる反応、一時テクストに対するあらゆる反応が含まれます。
それらおびただしい反応の群れ、数多のリアクションが一時テクストのイメージを反復させ続けるので、一時テクストの記憶が強化され続けることによって、結果的にレジェンダリーな作品となるわけです。
だから、逆方向から超紙作品があって、それをリバースエンジニアリングするかのように逆算する形で言うんだったら、永遠に語り継がれるような作品とは、二次テクストが増殖しやすいという性質を持っていた作品がすごくたくさん反復されて、結果的にレジェンダリーとみなされるようになったんだとも言えますよね。
したがって、構成に残る作品とは、つまるところ、おびただしい批評や研究を誘発し続ける作品であるのだと言えます。
あらゆる作品に対する批評や模倣、はては作者の人生、影響を受けたであろう別の作品、作者の交友関係なんてところまで、二次テクストは再現なく広がりながら、一時テクストのイメージを反復させ続ける。
これが永遠に語り継がれるということであろう、という、こういう話でした。
はい、今回はここまでです。また次回もよろしくお願いします。