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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、AIの意識は、哲学的ゾンビの息を出ないだろうという話をしました。
この、哲学的ゾンビってなんだよって話ですけど、そういう概念があってですね
David Chalmers っていうオーストラリアの哲学者が考えた概念です。
これはまず、Aさんっていう人間が一人いるとします。
Aさんは、人間だから当たり前ですけど、意識もあるし、内面感性感情といったものを持ってます。
これは前提として、人間には豊かな内面世界があるよね、とも言ってます。
次に、Aさんのコピーを用意します。
このコピーはすごいよくできてるから、Aさんと全く見分けがつかないし、Aさんと全く同じ反応します。
このAさんのすごいよくできたコピーを、チャーマーズはゾンビと呼んでます。
だから、哲学的ゾンビって言うんだけど、やっぱ欧米人ってゾンビが好きですよね。
でもこのコピーのゾンビは、内面世界を持っていません。
あくまでもよくできたコピーだから、Aさんと全く同じリアクションをするだけです。
これは外から見たら見分けがつかないんですけど、感性とか感情とかがない。
でもプログラム通り、Aさんと全く同じ反応する。
この内面世界、感性、感情といったもののことをクオリアと言います。
この哲学的ゾンビの論点は、クオリアを持たない、人間と見分けがつかない存在には、心があると言えるかということです。
うーん、どうですかね。
例えば感動する映画を見て、人間のフリをするように感動して泣くっていう挙動をする、
人間の真似をするコピーロボットがいたとしたら、それは自己意識を持っていると思いますか?
多分それは、意識があるとは言えない、心があるとは言えないんじゃないかなと思いますけど、
このような理由から、AIは、意識を持つかという問いに対しては、
さしあたり哲学的ゾンビの意気を出ない、という回答が得られるということになります。
はい。
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でももしかしたら、まだちょっとスッキリしないかもしれません。
この哲学的ゾンビという、思考実験上のゾンビは、
クオリアを持たない存在であるというふうに前提されていますけれども、
でもだからといって、AIがクオリアを持たないとどうして言えるのかと、
その辺の疑問がまだ残ります。
なので、次回はそのあたりの話をしてみたいと思います。