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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、野生の思考の話をしましたが、この本の中で有名な概念にブリコラージュというものがあります。
超有名概念なので、説明したいと思います。
ブリコラージュというのはフランス語なんだけど、
辞書的には、ありあわせの道具や材料でものを作ること、持ち合わせているもので現状を切り抜けること、という意味です。
これまで見てきたように、未開社会の人々も、狭い世界の中にある限られた資材を用いて、世界を説明するということをやっていましたよね。
そのブリコラージュの結果として、神話や事実というものが発明されてきたわけです。
わかりやすい例を出すと、人が亡くなった時って普通、死体を埋めますよね。
それは未開社会でも同じなんだけど、温暖必順気候の地域では、その埋めた死体が栄養になって、お墓から草花が生えてくるようになります。
するとまるで死者が草花に生まれ変わったかのように見えるので、温暖必順気候の地域では、
リンネ転生の死相が多く見られるようになるし、逆に乾燥している地域ではあまり見られなくなる、みたいな感じです。
あとはトーテム。トーテムポールのトーテムとか、ヨーロッパの先生術などが具体例としてあります。
先生術の方がわかりやすいので、そっちを紹介しますけど、
ヨーロッパの先生薬草術っていうのでは、惑星植物っていうのが7種、
黄銅黄色い道って書いて、黄銅12体と結びつく草12種といったこういう区分けがあるそうです。
概念的に各惑星と結びついた各植物っていうのがあって、その特別な植物がですね、
薬草として有効であるためには、植物の一つ一つについて決められた一定曜日の一定時間に摘まなければならないっていうこういう決まりがあるみたいです。
ハシバミとオリーブの木だったら、日曜日に摘まなければ効力がない。
クローバーとシャクヤクは月曜日に摘まなければならないといった具合です。
先生術的な概念の発明もブリコラージュによるものではあるものの、
ここから言えるのはですね、野生の思考はやはり、世界を連続した溝のない一つの相対として見ているということです。
今の例も、植物っていうものと、惑星っていうものと、そういったものの溝がないよね。
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僕たちが身につけている科学的思考では、動物なら動物界という世界に区切るし、植物なら植物界、鉱物なら鉱物界に区切ることで因果関係を整理していきます。
そしてそれらの界、世界の界ですね、それらの界は相互に独立したものとして規定され、固有の性質があるものとされます。
今話しているのは、科学的思考という思考プロトコルのモデルについてだから、例外はもちろんあります。
でもモデル化された思考様式としては、原則として、科学的思考は、動物なら動物、鉱物なら鉱物ってそれぞれの界同士を切り離して考えます。
この界というものは、意図的に世界を特定範囲に区切っているわけだから、数学とかで出てくるベンズみたいな感じで、
界の内側と外側等を分ける境界線、限界ラインが設定されているわけですよね。
それはつまり、科学的思考はオブジェクトをそれぞれの界の限界内に閉じ込められたクラスにしてしまうということでもあります。
一方で、いわゆる原始社会は、分類の様々なレベルの間に溝があり得るとは考えません。
境界線を引かない、各レベルをそれぞれ連続的なもの、全体が一つの相対として見ています。
これがレビストロースが科学的思考と対峙させている野生の思考であり、人類の思考様式のベースとなるプロトコルだという話でした。
野生の思考の解説はいっぱいあるので、興味があれば調べるといくらでも出てくると思いますが、
他の解説では多分、神話や事実の具体例としてのトーテム、もしくはトーテミズムの紹介が結構メインになっていることが多いと思います。
だから、既存の解説と全く同じアプローチしてもしょうがないので、
先住民族のいろいろな神話を羅列することはばっさりとやめてですね、
思考様式の構造に焦点を当てて話してみました。
もし具体的な神話とかの方に興味があるようだったら、ぜひ調べてみてください。
今回はここまでにして、また次回に続きます。