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2023-01-21 55:03

#075 連続Podcast小説 齋ちゃん 特別編(日本画家 齋 正機)

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日本画家の齋 正機さんをゲストに芸大受験から作家になるまでのお話をお聴きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/075 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

齋 正機(さい まさき)

  • 1966年、福島県福島市生まれ。本名・斎藤正機(さいとう まさき)福島市立森合小学校、福島市立第四中学校、福島県立福島東高校(2期生)、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業、同大学院修了。
  • 1998年、ふるさとの風景展(喜多方市美術館主催)で最優秀賞受賞を皮切りに、数々の絵画展で受賞。
  • 2003年、洋画の登竜門である昭和会展(日動画廊主催)にて、無所属の日本画家として初めて最高賞の昭和会賞を受賞。以後、福島の風景を中心に鉄道、花、人物などを描く新日本画としての世界を広げている。横浜市在住。
  • 神奈川県箱根町・芦ノ湖の「成川美術館」には、齋正機の絵画が約80点所蔵されている。

Show Notes

齋さんのページ

一井さんの話題

昭和会の話題

日本画家の話題

掛け紙のデザインを提供している和菓子屋さん

次回の展示について

00:00
♪~
はい、アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
今回は日本画家の蔡優さんが現在に至る話の最終章をお届けしたいと思います
♪~
ということで、前回ようやく斉藤正樹さんから蔡正樹になった話
本当だね
大丈夫?みんな聞いてる人
いやいや、もうすごい良い話ですし
だからこれ、ネットフリックスで映像化した方がいいと思います
須田正樹さんぐらいのキャラクター、主人公で
同じ正樹つながり
それもある、なんかこの雰囲気と合うんじゃないかなと思って
ですので今回は、さらにその先を
この前の中で急に「一位さん」っていう名前が出てきて
「一体誰なんだ?」ってところで終わってますから
ちょっとその辺も含めて聞いていきたいと思います
連続ポッドキャスト小説「さいちゃん最終章」です
はい、一位さんが出てきましたけど
一位さんってさ、あれなんだよね
美術雑誌の美術の窓とか
アートコレクターズを創刊した女さんなんだよね
あの方ってムサビ出身の画家なんだよね
そこから編集者っていうか、自分で立ち上げた人で
まあいろんな歴史があるけど
あの人は腕一本で叩き上げて、そうやって作っていった人で
28歳で立ち上げたらしいよ
あ、そうなんですか
まあ今だから言ってもいいから言うと思うけど
歳をとって見られたかったみたい
本当は若かった時に、そのぐらい努力している人で
ただ、絵に対して辛辣で結構いろんなことを隠しなく言っちゃうから
敵も多かったっしょね、早く亡くなっちゃったけど
けどなぜか僕、一位さんと仲が良かったの
それは一位さんってすごい怖い人だから
みんな物言わない
だけど一位さんは失礼な人だから
俺はね、物を言うんだよ、そういう人には
素直は優しいんですけど
一位さんは展覧会僕がやった時にちゃんと案内書出してるんですけど
僕と一緒に隣の人が作品やってて
多分隣の人に興味があって
来てすぐに時間なかったら帰ろうとしたんだろうね
隣同士でやってるんだよ
それで一位さんが出てこうとしたから
それは一位さんひどいんじゃない?って
だから俺が言ったのも
僕のも見てってよって
そしたら一位さんも「ごめんごめん、今時間ないから」
「いや時間ないって言ったって」
03:00
「そう言っていつも見ないじゃない」って
そしたら急に「わかった、じゃあ僕見るよ」って言われて
そっから急に今度は1時間近く見たんだよね
その個展をですか?
その時は池袋の西部だった時なんだけど
文章もつけてて
そしてその中で
「あれ?お前ってこんな方だったっけ?」って
初めて見られて
「俺、お前のこと見てなかった」って
でも素直な方なんですね、そこは
「そうか、お前はなんか見たやつだったんだ」って言われたんだよ
なんか見たやつだった
多分それが俺が言ってるオカルト力なんだよね
絵っていろんな魅力で合理的にできてなくて
魅力って訳わかんないことで惹かれるとか
そういうものが絵の醍醐味なんだけど
彼はそれをいつも探してて
だからそいつは何かを見たからそれになってる
頭だけじゃなく
それは作家さんがちゃんと物事に対して
見つめる目があったからだってことは
後日言ってるんだけど
その後久しくなって
名古屋来た時に一緒に飲んだりとかしてるのに
急に追われて飲みに行くんだけど
その時に一井さんから言われた
その時に僕どう答えたかって言ったら
「わかった?」って言った
僕も見たんだよ
やっぱり土蔵の北方の前の回に話したように
本当に美しいものを打ち震えるっていうことが
どういうことかっていうことが
わかった気がしたのね
勘違いかもしれないけど
でもその震えるような気持ちを
移行できたらっていうことが絵で初めてできたし
それができた理由は線をたくさん引っ張ったからだよね
それこそ朝から晩まで引っ張って
見えてきたことだった
その特殊能力を得た僕は
それを一井さんが初めて見破ったっていうところがあったんだよね
だから一井さんは
「ああ、この人は優れてる」
「本当に雑誌編集社でもあるオーナーでもあったんだな」
って言うんだと思うよ
もっと長生きしてね
いろんなこと話したかったけど
そういうことなんだよね
でもその瞬間って
変わる時があるんですか?
やっぱりアーティストが
うち大きな衝撃を受けてたらないけども
僕みたいに極端な人は少ないかもしれないけど
徐々に変わっていく人も
徐々に変わっていく人もいますし
やっぱり絵描きには
30の壁と35の壁と40の壁っていうのがあって
06:03
それは5年ごとに来るのは
家族を持ったりとか
社会にどう出てくるかと思ったりとか
最後は本当にこんな生き方でいいのかっていう
壁が来るんだよ
じゃあ40ですか?
40だよね
これをもう抜けちゃったら後は?って感じですか?
もう戻れないから
最後の最後に引き返すなら40で考えなきゃいけない?
だって40過ぎてさ
もう引き返すことなんてできないじゃない?
僕が今39で
じゃあ僕もこのまま行っちゃったら
俺はもう後回から引き返せなくなっちゃうから
そうだよ
今結構な瀬戸際に僕いるんですね
あと3ヶ月なの
本当ですか?
アートと一緒にね
どこに行くんだかね
最終の沼
底なしの沼に入るとこな
でもそのぐらいやっぱり壁があると思う
その壁で乗り越えられなかったからダメってわけじゃなくて
人間は幸せに生きるために生きてる動物だとは思うので
だけど自分で決めたことに対しては
何かしらの壁は絶対来るので
そういった意味では
市井さんは面白い
本当にそういうのを見破る人だったなっていうふうには思ったね
でも良かったですね引き止めて
うーんそうだね
帰っちゃってたらおしまいですもんね
その話を聞けないで終わっちゃってたかもしれない
でもたまにやっぱそういうちゃんと正直な人は素直な人もいると思うし
やっぱり現実って怖いじゃない
でもなんか宮崎駿か誰かが言ってたけど
理想を捨てない現実主義者っていうのが一番長くやれるっていうのは
その通りだなと
画家もそういうところがあるから
理想ばっかりではやれないからね
そこをうまくやって長い旅みたいな年月を重ねて
どこにたどり着くかっていうのを
わからないけどやるっていうのが面白い
画家としての全うする生き方だと思うんだけど
それをやっぱり市井さんとも話したこともあるし
面白かったなっていう感じがするな
すごい深い話だなと思うし
前半と後半聞いてる人からしたら
あの西ちゃんが立派になったなって今思って聞いて
なんか親心のように今ボルキュアより全然年上なのに
そうなんだよ
でも今だにね
裸れてた頃から知ってるから
俺でもねまだね
すぐにあのトイレの電気を消し忘れるぐらい
ダメだけどね
今大変です
でもそんな西さんがですよ
これまた今新しい
日本画作品で新人洋画家の登竜門
昭和会出品
なんて無謀なんだと言われた4年間
またさらに壁というか新しい
これは市井さんの前後しちゃうんだけども
僕珍しいじゃない日本画で洋画の昭和会出すっていうの
今も昭和会続いてると思うんだけど
これは日東がろうの会で出てましたけど
09:01
日東がろうさんが新人を発掘するための賞ですよね
でも日東がろうさんは洋画賞ですからね
そうとりあえずねでも僕にとってみれば賞っていうのは
今日経あるけど日経は昔なかったでしょ
日経が日本画大賞はい
で絵画っていうと何の賞が一番だったかっていうと
安い賞今はなくなって安い賞と昭和会賞だと
これはもう2大タイトル
だからそれをずっと覚えてて
その歴代の人たちの油画
それこそ生き袋モンパルナスが好きだった時期の
油画のすごい人たちっていうのを見てきてたから
そこに触れたかった部分もあって
して僕は無所属って日本画では珍しかったんだねその頃
だけどその中でもしかして自分の中での生きる道っていうのは
油の中にあるんじゃないかと思って
そしたら1年目から入選できたんだよね
昭和会に出してもらって
それがねすごい実は自信作だった
ところが俺それいい作品だなと思ったけど
油の中に混ざると日本があって
そのまま今はね一緒にやってる人多いけど
しらっちゃけてたの
それをこれはまずいと思って
解消する4年間
それはしらっちゃけてたとの
単純色合いがとか
それはね顔料の持ってる質として
やっぱり油絵具っていうのは
チューブ絵具だから派手でしょ
そういった意味で日本画って白っぽくなりやすいのは知ってた
白っぽく黒っぽくなりやすい
その中でその中に対抗できるものは何かっていうことを
考え始めたんだよね
だからもしかしたら色じゃなくてもいいけど
日本画っていう素材が
よく油と日本が一緒だって言うけど
これが本当に見た時に
自分の方がいいっていうふうに思ってくれる
何かは何なんだろうっていうところを
ちゃんと精査しなきゃいけないなって思った時期があって
今気づく
そもそもただあれですか
昭和会の出品の応募要項の中に
日本画はダメとも書いてないってこと
じゃあ別に日本画も元々出せることは出せたけど
誰も今までは出してなかった
ただ何人かいたらしいけど入選してなかった
初めて入選ができたっていうところで
自分の中で
新しい課題というか見つかった
それでそこからじゃあ
この4年間出し続けるんですか
結局3年目の時に
もう難しいと思うよって
色んな人から言われて
1回目2回目でいかないと新セミなくなるからって
M1みたいな
オズワルドが今年ダメだったみたいな感じが
でも俺全然そこを気にしてなくて
俺自身が成長途中だから
多分どっかで設置点があるに違いないと思って
12:01
それが3年目に
次の年予選から出なくていいですよっていうやつがあったの
作品出せれば入選しますっていう
それで3年目はそれの絵になった
多分次の年調整しきれるなって思って
やっぱり取れたんだよね
それは何が変わったんですか
洋画と最初は日本画の差があったなと
自分で感じたけど
やっぱり自分の絵の中で
バルールって色んな意味で色化って
前々回ぐらいにも話したけども
色とその色の中にすくむ情緒みたいのを
自分の中でうまくまとめるバランスができるようになってきた
それはわざとらしくなく
自分の感動と近いものとして
それを再現できる色彩構成ができるようになってきた
それは多分特殊な能力をどっかで得たんだと思うんだよ
それが多分今僕生活していける
ミソにもなってるんだろうけど
それはどこで感じたかっていうと
ただ見、アイズの奥、アイズの緑の中の
雨降った後のすごく湿った緑の綺麗な中で
濡れた途端屋根の赤色が綺麗にワッというふうに見えた
その美しいと思った瞬間のものを
その色だけをアトリエに描いてきて再現できるようになってた
へー
それはドローイングといい色といい
そういう積み重ねた結果
それを特殊な能力を
自分の中で発見できるようになってきた
でもなんかあれなんですよ
純度が高まった感じだってことですよね
なんか僕なんかがもし
絵じゃ描かないですけど
もし油彩画に負けてるなと思ったら
よし色派手にしてやろうとか
油彩に近づけようとするのが
なんかこう素人的なというか
一般的な考え方だったけど
別に最初はそういう感じにはならなかった
そうなんだよね
だからどうして自分がこれを描く必要があるかっていうのは
自分の衝動が心の中に残ってて
それが伝えたいっていうふうに思って
それをうまく伝えられた感じなんだよ
でもそれが楽しいのよ
だから俺はその時思ったのは
俺はアーティストじゃなくて
絵描きだなって思ったんだよね
アーティストっていうのは世界に向けて発信をすることでしょ
僕は発信をすることよりも共鳴の方に興味があって
自分の絵を見て共鳴する人が何人か
周りにいるっていう環境にいることが楽しんであって
多分アーティストとして自分を
それもいいんだよ
それを皆さんにっていう感じのタイプじゃないっていうことが
わかってきちゃったんだよね
でもそれが自分の好き好みなんだと思うんだけど
でもそれがでもあれですよね
昭和会でも認めてもらえたってことですもんね
15:01
そのやり方で間違ってなかったっていう
でもその撮った時はどうだったんですか実際は
びっくりしたけどね
だけどすごい面白いなと思ったのは
昭和会撮るともう食いっぱくれないよ
なんてみんなに言われてたんだよね
だからもう電話が鳴り止まないよって
M1も本当そうみたいな
翌日からもうテレビで
って言ってられてたんだけど
昭和会所撮った後
電話がチンともならなかった
俺には
あんまりその恩恵は受けなかった?
ただそこまでお世話になったガローさんが
裏付けをもらった感じだったから
もうその頃はある程度
売れるようになってた部分もあったから
もう新しいのどうこうじゃないなと思ったし
それに作品でね時間かかる作品なので
もらっても答えられないところもあったから
これちょっと今更の質問なんですけど
結構いいですから
4年かけて日本画の画材で行ってたじゃないですか
日本画の画材にこだわり続ける理由ってのはあったりする?
やっぱり今の蔡さんの
「力」「特殊能力」はやっぱり日本画の画材が合ってます?
油彩の絵の具では出せない感じですか?
日本画と油絵の違いって
決定的な違いがあるんだけど
それは人によって違うは違うけども
油絵は画面を立てて描く
日本画は画面を寝かして描く
何が違うかっていうと
油絵は自由自在にやっぱり動かしていくことができる
日本画は不自由な自由さって変な意味だけど
不自由だけどそこに立ち向かっていく自分の何かっていう
情熱みたいのを入れることができるのね
一瞬この不自由な枷があることによって
あともう一つ面白いのが日本画にあって
下図通りに描いていくんだけど
下図を超える瞬間がある
それを探してるの
計画通りじゃない何かっていうのが突然現れる
油絵だったら最初から計画通りじゃなかったりするんだけど
日本画だと途中までは
ここまで並走するように下図があって
それを超えるものなんだろうって中で
その現場に行った名残の斬史だったり
残り画だったり
そういうものを入れる瞬間が後半に来るの
それは面白いんだよ
そこは情熱をずっと出しっぱなしにする油絵と違う
少し日本人的な職人的な面白さなんだよね
それが日本画がやめれない
砂的な要素よりも多分それってあるはず
顔料の粒とかそういう話じゃなくてってことなの
そうそうそう
そういう人もいるしそれは別に構わないんだけど
僕はそうじゃなくて不自由さから抜けてる瞬間の
その立ち上がりの自由さ
18:03
俺セザンヌが好きだって昔言ったかもしれないけど
セザンヌって最初の自由さすごいじゃない
筆の動き見ると雲はワーってやったりとか
あとここは描いたりとか
いろんな要素を自分の感じたことをぶつけていって
でも最後はなんとなくそれが詰めていくと
「ああ同じようになっちゃうな」っていう風な悩みがあったと思う
だから同じ山を何度も何度も描いて
自分らしい秩序を探したと思うんだけど
日本画家は真逆で途中まで見本のようにワーって描いていくんだけど
途中から自由な感じで
真逆に自由さを
それをやって名作を描いた画家っていうのは何人もいて
でもそれを今思い出せない日本画家が多いから
設計図通りに描く日本画家が多くなったと感じがする
でもそれができれば
ドギュとか、奥のドギュさんとか
やっぱり山本九人さんとかを超えれると思うんだよね
だからそのためには水と仲間になって
油絵は油だけど
いい日本画家っていうのは水と友達になった人だから
筆の流れと水の流れが一致したような
日本画独特の東洋だけじゃない
なんかこう人としての素材感と一緒になった
またそこを飛び越えた絵に
日本画家はなれるんじゃないかな
そういう日本画が見たいよね
俺が一生何点描けるかそういう絵って感じがするけど
でもこれまでも昭和会撮った作品とかも
ターニングポイントになってる絵ってのは
来たなっていうのがやっぱり
ある絵がやっぱりそうなってる感じは
来たなっていう風に思う時の半分は間違ってるね
後から見ると
全部が相当限りなんだけど
でも来てないなって思う絵が評価されることはないってことですよね
来てないってことはないでしょ
あるけど、でもそれはどうしても画家っていうのは
半分自分のものだけど半分は見る側のものだから
いい絵って難しいのは画家通りに行くんじゃなくて
見る人が完成させてくれる絵もあるじゃない
自分の経験のもとに
それもいい絵ではあるからね
そこはまあ僕がやるのは半分までぐらいだからさ
そこはわからないけど
ただ時々飛び越えて
なんだか説明つかないオカルト力を得た絵が
欲しいから絵を続けてるんだよね
でも筋トレしてないとそれがいかないからさ
今でも筋トレは大事なの
でもこういう話戻すんですけど
成りやまなかったと
じゃあお仕事大変じゃないですかってなっちゃいますよね
お仕事というか生活も
ここに今とっても厳しい和菓子の世界っていうのが出てくる
話が突然急に飛んで
21:01
これは一体どういうことですかってことですよね
和菓子の道に行っちゃうんですか
そうじゃなくて
それは並行した話で
僕20年くらい前から
両口アコレキオさんって
有名な和菓子屋さんの放送紙をやってるんです
かけ紙をね
そのかけ紙ってのは今度は絵と全く違ってて
クライアントがいて
こういうことをやってほしい
こういうことを具現化してほしい
と言われる世界なんでね
だからその中では今度は
和菓子って面白いのは
僕にも勉強になってるんだけど
洋館一つあった時に
例えばこれは両口屋さんじゃなくて
虎屋さんだけど
夜の梅って
ありますよね
小豆が洋館の中に
一つ一つある
あれが夜の梅でしょ
だから見立てって世界の中で遊ぶんだよね人はね
3色の色があったら3色の色を
見立てで遊ぶじゃない
それを含めて
その和菓子の
見立ての世界と
かけ紙ってのを一致させながら
やるっていう仕事があるんだよ
それもそれで勉強になってるなって感じがして
その時には
今はもうなくなったけど
和菓子の職人さんとか
絵描きをリスペクトしてくれてるから
そうすると職人さんの
さあ和菓子を作る前の
設計図みたいな絵を見せてくれる
そうするとね
画家の絵よりいいんだよね
別に職人さんだって
絵の勉強してない人もいるわけですよね
だからリスペクトしてくれるけど
俺がリスペクトするような絵だし
それも勉強になるし
だから和菓子っていうのは
人っていうのは画家は情緒入れれるけど
和菓子の職人さんは情緒じゃない
でもその中に情緒を含めた厳しい
何かを自分は詰め込んでるところが
すごい勉強になったし
その詰め込んだものを
掛け紙で情緒的いっぱいに
僕はしてあげるっていう仕事だったのよ
それがとっても厳しい
和菓子の世界って話かな
今でも続けてますね
結局これもね
作品集の中にも入ってるんですけど
こういうね
これ毎年ですよね
毎年どころか
いろんな作品で
今はサオモノって言って
洋館物が少なくなったから
仕事は少なくなったけど
昔はこうやってね
こういう掛け紙の箱の
そういうデザインとかってのが
毎回いろいろあったので
だから多い時は
ほんと月何箱もデザインしなかったし
これはセントレア空港のね
いわゆる開港記念のやつだったりとかして
そういう箱のやつとかのデザインとかも
ずっとしてたから
それは絵と違って
自分発信じゃなくて
相手が考えてることを
24:01
デザイン的な発想だよね
でもそういう中でのやっぱり
和菓子の世界の
日本画とちょっと似てるんだけど
ぎゅっとした中で
どれだけ広がりを見せるかっていう
その面白さっていうのが
これもまた不自由の中で
自由さみたいなのが生じるわけですね
だからまあもしかしたら日本画家っていうのは
何だっけいじめられる方だったら
そんなようなものかもしれないね
自由自由じゃなくて
ちょっと締め付けられた方がいいんだろうな
でもなんか日本ってそういう文化だろうなと
俳句とかもそうじゃないですか
俳句もやっぱ5・7・5って決められてる中で
自由さを競ったりとか
いやそう思う
だから僕なんか特に
仙流とか俳句とかって
あの時代写真がないでしょ
写真がないから
でも俳句をあの時代作った人に読めば
あれ写真なんだよね
あ〜情景が
だからあの文章だけで
ほんと川津智子の水の音じゃないけど
情景っていうのがあそこで詰まってるから
だからああいうなんか日本の
言葉に詰めた写実じゃないけど
そのような風景ってのがすごいなと思うよね
その辺のところは面白いなと思うな
この辺がちょっと通じるのかなと思うんですけど
ちょっとあれですけど18番の
サイちゃんじゃなくなってきてるからな
いいです
「表現のミニマル化と逆ミニマル化」という
ちょっとなんか難しいタイトルになってますけど
これはどういうことでしょう
僕自身は作品で
やっぱりキーファーとかマーク・ロス子とか
アメリカ中小表現主義と言われてる人たちの
作品もすごい好きなのね
結構これわかる人は美術畑の人だから
難しいかもしれないけど
簡単に言えば
たった式面1個でも2個でも3個でも
それだけでなんか感じさせる力ってあるじゃない
でもそこにかかって実はさ
どんどんミニマル化して単純化して
すごいそういったような
自分しかできない哲学を入れたいって思うじゃん
ところがそれって危険なのは
単純なミニマル化って誰でもできちゃうんだ
俺と大物人がいろいろ考えれば
だけどそれを長い年月かけて
間違いながら自分なりの
そのミニマル化がすると
それがそれでその人の価値になるでしょ
それがねすごくよくわかったっていうかね
それが僕は好きだなと思うのと
あとはあれだね
それを一番実践しているのが
池袋モンパネナスの野宮山行二さん
野宮山さんはやっぱり秩序が往々比とかになると
自分で崩してもう1回やり始めるじゃない
あの人がやっぱり
27:01
僕は呼び子の世界にもいたから
油で石膏デッサンをなくした人じゃない
だからそういった意味で
秩序っていうのを自分の中で信じているものはあるけど
時々半分ぐらいは
7割は信じて3割は疑っているのが
ミニマルっていうものに対しては
自分のミニマル化じゃないと
それは美しくは見えないよなっていう風な考え方かなっていう感じだね
ちょっとちなみに
なんか難しくなってきたけどね
ちなみに昭和会の受賞したのは何年の時だったんですか?
あれは平成何年だろう?4年かな?
平成4年
1900何年だろう?
90年代ってことですか?
そうだね平成4年じゃないなもうちょっと後だね
でもあのこちらの手元の資料だと
画業青年が2005年となってるんですけども
そうなんだよね
何があったんですかってことですよね
この結構長い間
あのそういった風にどんどん増えてきたじゃない
意識すること
例えば和菓子もやったり絵もやったり呼び子もやったり
どれも全部
まだ呼び子も続いてるわけですもんね
その中でもうそろそろ
みんなからいいんじゃない?やめてって
他のことはもう絵に専念しろよ
あと呼び子も僕もこういう性格だから
最初はみんな旬ですごく感動してくれたけど
あとはみんな自分の考えでやりたいのと
僕もだんだん極端になってきて
デッサンなんてかざし狂っていいんだよなんて
若い人に怒られたりして
でも本当はそういう意味じゃなくて
あんまりこう難しく考えないでって
みんなに言ってたんだけど
役割がだんだん終わってきたなっていうのと
やっぱり絵に集中したいっていうのと
あともう一つはね
子供が生まれることになったから
子供生まれる時に画家でいたかったんだよね
もう画家?
もう呼び子の先生卒業して
お父さんは画家なんだって
半純に
そう思わせたかったし
あとは呼び子だけじゃなくて
我老さんとかももうね
もう絵で専念してやれるんじゃないの?
っていうふうに言われて
そうだなと思って
やっぱりね絵を描く時間を多くしたかったから
たとえさえ時間かかる絵だからさ
じゃあ2005年にもうそこで
画業専念というかもう画家宣言というか
そうなんですよ
これはもうこっからじゃ純風満帆な
じゃないんですよ
また来るんだよ
これが僕らが望めた最悴ですみたいな感じ
不幸になってくれたと思ってないけど
サブプライムショックってさ
普通あんま関係しないじゃん
普通だったらね
俺には関係したくない
だってさ
そうやって独立したがんばろうと鼻息荒くした時に
30:03
これってさ
やっぱ急に景気が悪くなって
どうなったかっていうと
僕はその時に
あの高知で展覧会だったんですけど
サブプライムショックの報道があった
何日?
その日ぐらいなんだよね
お客さんがゼロになった
そのぐらい止まったんですよ全てが
物事が
高知でって言ったらひどいかもしれないけど
高知っていうかあれだね
あそこは香川か
香川か
でも都内のなんかこうね
株都町とかだったらわかりますけど
そっちもですか?
デパートのお客さんとかが
多分影響をくらったんじゃないかな
だからあの時ね美術界結構揺れたよ
そうなんですか
だから急にそういう
あの頃の前が多分
ちょっとだけ上昇だったんだよね
それを見てたから俺も
これいけると思ったら
ストーンと落ちて
その時にやっぱり思ったんだよね
本当に好きじゃないと買ってもらえなくなるし
応援してくれるっていうのは
ケキいい時は応援してくれるけど
自分とって必要じゃない限り応援してくれないじゃん
そこがやっぱり甘えちゃいけないんだなってことを
最初に思わせられたな
本格画家としての1年目ってことですか?
これはどれくらいでも続いたんですか?
その不景気な状態っていうのは
でもそんなに長くは続かなかったけど
少し作家さんでうまくやっていけない人とかが
増えたかなって気がする
まだ僕は新人だったんで
そこまでじゃなかったけど
やっぱりいろんなギリギリでやってる人とか
そういう人たちは
上の先輩たちのグループ店とか少なくなった気がする
そうです
波が来ると先輩たちが流されちゃうパターンあるんだよ
わかる?
だって普通に考えると
営業の人とかそういう人たちって
若い人を開拓したいっていつも思ってるじゃない
それがこういう波が来た時に
ちょうどいいっていう考え方をする人が多くなっちゃうんでね
僕は美術界は本当は
重鎮で積み上げてきた人へのリスペクトと
新人に対しての開けるものっていうのは
バランスよく言ってほしいと思うけど
世の中ってバランスそんなに良くないじゃない
だから俺は微妙だったけど頑張んなきゃなと思って
それで思った部分がある
でも勉強した部分はその時にあって
絵って強度がなきゃダメだなと思った
絵自体ってことですか?
僕は情緒的だし
絵をすごくいい意味で勉強してきたけども
その頃になるとやっぱり人気作家の人と隣同士なんだよ
でも値段は僕はまるっきり違うの
人気作家の人は僕の何倍?10倍ぐらいするような値段
33:02
でも僕の絵が売れずにその人たちが売れてく理由っていうのがあって
絵の強度が強いの
内容ってよりもその人のもしかしたら
オーラ的なものとか強さとかっていうのをもう得てて
それはねやっぱりある意味
それを得ない限りは人気作家にはなれないんだね
その得方っていうのはどうなるんですか?
それはもう持って生まれたものなのか?
それともやっぱり努力すればなんとか?
持って生まれたものっていうよりは
その人自身が持つ
それこそオカルト力じゃないけど
強さっていうのがあるんだと思うけどね
それはやっぱり長年やってれば得られるものなの?
得られる人と得られない人がいる
だから得られる人っていうのはやっぱり才能なんじゃないかな
そこが才能って若い頃に出るんじゃなくて
年齢がいった時に才能って出るんじゃないかね
店舗の才能ってわけじゃないんですね
やっぱり努力した賜物ですっていうことな
多分それとあと
例えばお笑いだったらアカシアさんもあって
いつでも誰よりも面白いってわけじゃなくて
すごいやっぱり要所要所でちゃんとわかってる
何かを持ってるじゃないか
だけどすごい面白かったのに消えちゃう人もいるじゃない
それと似てるかな
なるほどなるほど
面白くなるっていうことは
だから本当に面白いかどうかって言うんじゃなくて
つかめる何かを持ってるようなものっていうのは
やっぱり絵の世界にもあると思うし
あと考え方もあると思うね
ここでちょっと話を終わるんですけども
いろいろと聞いてきて
そういえばと思ったんですけど
東京に送り込んだご両親はどこで認めてくれたんですか?
(笑)
うちの親が認めたのは
最初のうちは芸大学があった時
それは喜んだよね
だけど4年後には卒業になる
「え、まさきはどうするんだべ」
って話になるよね
大学院卒業する頃は
「おめえは何やってくってくんだ」って
よく電話する度に言われた
「お前は浪人の気にいくらいくらかかったのに」って
通知を見せられたりしながら
「ごめんなさい」って話をして
絵にもずいぶん言われたよ
「もっとお前は絵にデフォメロを入れよう」と
なんか覚えたんですね
フローを覚えて
たぶん日曜美術館で
デフォルメオなんとかって聞いたんじゃないの
「お前デフォメロがあって言ってんのよ」とかって
36:00
よく言われたし
あとはやっぱり
「似顔絵描きになってもいいけど」とか言って
上野の絵だけはやるなって
すごいアドバイス
なんでかって言うと
上野の絵が上手いんだって
「違う違う違う」って言いたいけど
「それはそれでやるよな」と思ったりとか
あとはね
描きが綺麗になっていると
「描き描け」
アドバイスはしてくれるんですか?
絶対描かなかったけどね
というのもここに
次のお問い合わせ
「そういえば父は鉄道運転士」
「でも全然かっこよくない」って書いてある
そういえばって急にお父さんが出てくる
そうなんだよ
だからうちの父は
どっかその絵に対しては
すごくアドバイスが間違ってる
だけど愛すべき人であるのね
人がいい人だったし
やっぱり努力もした人だったし
とにかく中学校も満足にいけてない
小学5年生まれて
平山先生も同じ学年なんだけど
やっぱ15歳の時に
戦争終戦ということは
結局戦争が激しい時の14歳、15歳だから
高校に行けたらばそれはいい子のあれだし
うちの親父の場合
小学校の時にお父さん亡くなってるから
だからうちの父さんは本当
鉄道局に入れただけのも素晴らしい人だったのね
ただ全然格好良くないっていうのは
とにかく口がうるさい人で
あとは今の俺もそうなんだけど
格好がなんかさ
ちゃんとして着ればいいのに
曲がってたりとか
帽子が格好良いのではない
ただ人がいい人で
時々恐ろしいこと言うんだよ
例えば学が自分ではないって
自分で言ってるけど
面白いこと言うなと思ったのは
いまだに覚えてるのは
「まさき、あの山見てみろ」って
「あの山の向こうがアメリカだったらどうする?」
って聞かれるんだよね
「だからな、まさき
英語は勉強しなきゃダメだぞ」って
「だから」がちょっと急な角度でびっくりしたんですけど
意味がわかんないけど
意味がわかんないけどでも
「ああ」って思うのよ
そういう面白さを持った人で
それはマジのトーンで言ってるんですか?
マジのトーンで言う
とにかく俺に教育を残したいから
これはエッセイ集とかにも書いたんだけど
「まさき、いいか?」って言って
「紅花あるだろ」
「紅花が9割のあの無駄の黄色を抜いて
抜くんだぞ」って
「そして、たった一つの赤いところを
水にしていくんだ」って
「お前も9割の無駄あるから抜け」って
「紅花の見習い」みたいな
心理があるような内容だった
だけど面白いこと言ってたし
39:02
本当にね
そういった自分のもので理屈があって
とにかく列車運転する時も
下りは滑るから砂を撒いたりとかして
登る時もね
摩擦を使ってとかって言うんだけど
だからお前も目の前に砂撒いていけば
神あって登れるからとか
よくわからないけど
すごく覚えてるね、そういうところ
父なりのそういうアドバイスはいつもあったかなって
あれでもね、まさきさんの木の字が
機関車の木から来てるって話ですけど
お兄様もそういう名前なんですね
うん、うちの兄貴は
機械の木を抜いただけの正しい
そういう感じなんですか?
うちの父さんは正義で
正義って書いて「ジャスティス」の正義ね
正義の正義
「よし」を抜いて「正し」で
俺は機関士になった年に生まれたから
まさき
不思議な、全員まさが作るんです
でも昔はそういうの多かったよ
でもひどいよね
じゃあ一ついろんな話をしてきましたが
最後のテーマになりますね
「残屍木刑」シリーズ
この「残屍」
もうだんだんわかってきたと思うけど
「残屍」って記憶の残りがでしょ
だから残りがっていうよりも
やっぱりね、どこかいらない部分だと思われてるけど
どうしてもそのいらなくなった記憶の部分とか
そういうものってやっぱり美しい部分だし
残したい部分だし
僕はそこを書きたいし
それを文章とくっつけてシリーズ化するっていうのは
僕の中でずっと頭の中にあったことだから
それで「残屍木刑」
木刑っていうのは「牧歌的風景」っていう意味で
わざと使ってるの
僕自身も現代美術的なところに
すごく傾倒したこともあったし
そこからすると
情緒的なものも悪くないよってことを残したかったのね
だってそれは日本画の醍醐味であり
かっこいいってことはいいことだけど
アーティストになろうとしてるだけ
人だけじゃなくて
共鳴して世の中と一緒に
絵描きとして生活したいっていう人もいるから
そういう人はそれでいいんじゃないの?っていう
だからそこは2つね
もっと一つの道だけじゃなくて
いろんな道があるっていうことでの
自分の中での気持ちもあるんだよね
それはだから僕変わった人だったから
薄カバンと厚カバンってあるけど
俺らの時代薄いカバンが流行ったのよ
よし俺対抗して
個人を2つ入れて厚カバンやってみよう
効きますねカバンだから
薄ければ薄いほどかっこいいっていう時代があったって言いますよね
それをじゃああえて厚く
2人とかそんなことをやった時代もあったから
だからだから俺なんか悪い言い方になっちゃってるけど
42:03
現代美術に対するっていう意味で
それに戦ってる意味じゃなくて
そういう見え方も二輪的な見方をしないと
現代美術は現代美術
絵画は絵画っていうところでの
なんか上手い紙具合があった方がいいなと思って
日本画がやってる人は今ね
現代美術流線になると
日本画ってもし消したい人いたりするけど
しなくていいよ
君は日本画って言ってあげたいし
それをもっとなんかね自信持っててほしいし
現代美術もそう
だから現代美術は現代美術でいい部分があって
ただあんまりそのスタイル的に真似するよりも
僕は名古屋芸大で2011年に講習をやったことがあって
その時に現代美術の方の先生だったんだよ
不思議だよね僕が
その時にやっぱり話を
現代美術先生っていうか油かな先生だったね
その時に安易にやっぱり
大震災の第一原発の話を作品化しちゃう
それをやっぱりみんな真面目にそういうことをさ
議論も先生たちもしたけど
僕からすれば当事者なんだよ
当事者からするときつい話なんだよね
当事者って言っても現場にはいないから
だけど福島県自体を創造で言っちゃダメな部分があったりするじゃない
そういった部分からすると
現代美術の危うさっていうのは
なんでも良しじゃなく
やっぱり裏付けとして愛情もあってほしいな
それが裏付けだったり正確さだったりすると思うけど
この辺は必要だなと思うんだよね
だからつって愛知鳥栄のあれみたいに
あれが是か非かっていうのからすると
僕はやっぱり表明は自由であってほしいから
ある意味そのね
その否定っていうのはやめてほしいけど
ただやるからには責任をある程度持ちながら作品化しないと
それは共鳴するどころか傷ついちゃうよっていうところはあるかな
最低限のルールはそういうところあるよね
と思ったりするよね
今回は結構真面目な話が多いね
いい話だなと思って聞いてました
いやいやいや
多分これを聞いて
西さんの絵を改めて見たいっていう人も
たくさんいらっしゃると思うんで
ちょっと最後ぜひ告知というか
見れるタイミングはあるんですか?
近々ということで
はい
あのですね
来年の
今年の3月ですね
はい今年3月でございます
今年の3月から
箱根の足の子の鳴川美術館で
これはね
45:01
題名として「西政木展」とはなってはいるんですけど
今年秋に「ただみ線」という線
それが11年ぶりに全線が開通しまして
2022年ですね
2022年に開通しまして
そしてそれを記念して
の鉄道を中心とした展覧会
僕の鉄道の作品を中心とした展覧会をやるので
それが3月16日から7月19日
結構長い期間なんですけど
そこで展覧会をやります
新作も出るんですか?
新作も出ます
はい
ぜひ皆さん見に来ていただきたい
それはもう楽しみに見に来てくださればいいし
とにかく鳴川美術館いいんですよ
富士山がすごい綺麗に見える美術館で
足の子
それも足の子黒田世紀の
古藩手先知ってます?
知ってますね
あの場所に近い場所なんですけど
本当湖から富士山が見えて
その風景を見ながら
その日本画も見れるっていう
ここの美術館に僕の作品が多数
収蔵されてますので
そこで見てほしいなっていうふうに思います
しかも行く途中に
箱根都壇鉄道も使っていけば
西さんのお父様の
こうちょっと速攻不動で
スイッチバックするが
こんな感じの運転をしてたんだな
っていうのも味わえるわけですもんね
ね、まあコロナがね
もうちょっとまたね
収まってるっていいけどね
ですよね
まあ3月くらいから
夏だったら大丈夫かなと思いますので
ぜひこれは皆さん
あと美術館はね
そうやってもそこまで意識する必要ないからね
そう、まあ美術館でクラスターの話は
今のとこないですからね
2年経って
これはもう僕ぜひ絶対行きますので
その時にはまたよろしく
よろしくお願いします
ちょっとまだ先ですけども
10月にはギャラリーは
沢澤さんで
はい、個展があるということでございます
これともう一つ
ぜひぜひと思って伺いたいなと思うんですけど
何でしょう
多分来年、今年もやるのかなと思いますが
絵と言葉の力点の審査員をされてますけども
西さん、いろんな話で出てきましたが
ただ絵だけじゃなくて
言葉とこの2つの
で、斬首合計シリーズも
これはこの絵と言葉の力点っていうのは
改めてどんな
やっぱり僕自身もそうですけど
絵画だけじゃなくて
言葉を付け足すだけじゃなくて
言葉と絵から生まれる
また新しい世界に
なんかやりたい人も多いんじゃないかなと思って
だから、なんていうかな
絵の説明っていうだけじゃなくて
言葉っていうのは面白いものがあって
言葉から想像できる絵っていうのもあるでしょ
それと同じようにお互いリンクするもので
今までありそうでないんですよ、そういうのって
絵だけの戦い、コウボーでもあるし
たまに絵ハガキとかね、あるから
48:00
全くないわけじゃないんだけども
その世界観が一緒になって
また新しい共鳴する人が
見る人が増えていけばいいなと思って
だからその辺は入り口をたくさん
いろんな風になってくれればいいかなっていう風に思います
第2回の審査は終わってる状態ですか?
いや、そうですね、今は終わってますね
ってことは1月の段階ではもう決まってる?
そうですね
このオンエアの時に
で、4月に展覧会ですね
これを踏まえてなんですけど
今更聞くのもあれですけども
その蔡さんが
僕もこの合集もいただいて読ませていただいてますけど
「絵と言葉」の蔡さんの「ざんしぼっけいシリーズ」
そうですけど
どっちが先に生まれてるんですか?
自分でまず絵を描いてそこから詩を書いてる
それとも詩がまず浮かんでそれを絵にしてる?
どっちが多いんですか?
どっちもあるけども
要はあれだよね
音楽で言えば視線化、曲線化っていうことだよね
どちらかっていうと多分
やっぱり絵よりも本当は言葉から生まれてるんじゃないかな
でもそれは叫びのような言葉かもしれないし
「ああーっ!」っていう疑音かもしれないし
そういったところって大事にしてるかな
すごい綺麗な紫色とか
そこから生まれてる可能性もあるからね
それをうまく連動させたいっていうのはあるかね
これ何年もやってて感動は薄れていかないもんですか?
新しい感動がどんどんあるものなんですか?
薄れるって言ったって花なんかは1年に1遍しか咲かないじゃん
多くたって2回だよね
だから米農家の人と話すとさ
「何歩やったって米やったって60回作れればいい」
「慣れないんだよ」って言われるし
野菜もそうだし
それと同じようにそんなに飽きるってことはないよね
辛い時はあるよね
取材旅行的なのはどれくらい頻度で行かれるんですか?
今年はずいぶん行ったけどね
年に何回かだけども
今年は徳島とか富山とか天羅海が多いと
それなりにやっぱりいっぱいになってくるし
年に4,5回もしくは細かいところだと何度も行くし
あとは毎日
最近ちょっと忙しくて歩けてないけど
毎日一応5キロ以上歩くことにして
ほんと10キロだったんだよねずっとね
だから花が何咲いてるか
鳥が何が鳴いてるかとか
よく僕言うでしょ
クラブハウスで
クラブハウス今鳥の会やってますからね
よくゲストでたまに行ってていただいて
あの鳥のクラブハウスすごい良いよね
51:00
ありがとうございます
ぜひ皆さん聞いてください
あれね本当にね面白いよ
ありがとう
本当になんかサイさんが普通にゲストで飛び入りしてくれたりとか
豪華な会ですので
クラブハウスで鳥止めのない話というのをやっております
鳥博士と一緒にやっておりますので
なんで僕の宣伝をしてるんだよ
いやいいんじゃない
でも多分サイさんも鳥がお好きなんですもんね
そうそう
まあ本当鳥ってねここに
昨日今日も常備滝のメス
茶色くて美しい鳥が来てたりとか
あとはどんもねあのいろんな嫌われるような鳥もいっぱいいるのよ
うんうん
だからそれを含めて鳥はいいなって思ったりするし
今ツワブキっていう葉っぱがツヤツヤで黄色い花が咲いてるんだけど
そのツワブキのねものもすごい綺麗に咲いてたりして
そういう花も含めてやっぱり風景で移り変わる中での
やっぱ感動みたいなのはやっぱり今もあるっていいよね
だから書くものは書きたいものはまだまだあるってことなんです
あるね
いやーということでいろんなお話を伺ってきまして
なんと本当番組最長3回でどうでしょうやっていただいて
サイさんの感想をいただければと思いますがどうでした
いや俺どっちかっていうと聞いてる人の感想聞きたいよ
これのねぜひ
いつももっと役に立つ話をしてるけど
いやいやいや役に立つ話でしたよ
ほんと?
うん全然
でも僕の人生って本当に話すと
本当こう上がったり下ったりの繰り返しで
これからは登ったり登ったりであってほしい
ほんとですねこの先何もないことを祈るのみですよね
でもそういかないね世の中
じゃあもしそうなったらサイちゃん真サイちゃんの時に
とっておいていただければ
でも僕の友達時々電話してきて言ってくれるのは
辛くなった時はまあ正木のこと思い出すとまだいいかって思うよって言ってたよ
だってあの頃僕老人してて体とか壊してる頃なんで
おみくじ引くといつも今日でさ
それも大経を初めて引いたのを友達が見て
大経って世の中にあるんだって言われたぐらい
それぐらい変わってるんだよね
でもその原因がまさか斉藤正樹って名前にあると思って
あんなにいろんなこと教えてくれるお父さんのせいと言っても過言ではないわけですもん
今日話して思ったけどうちの父さんのそのユニークな考え方が
俺に乗り移ったのかもしれないな
気づかないうちに今度娘さんからも言われてるかもしれない
あの謎の教えがみたいなことが言われるかも
54:02
一紙送電じゃないけど
なんかどんどん繋がってるかもしれない
そうね
いやいや本当にいろんな話になってありがとうございました
いや楽しかったです
ありがとうございます
♪~
この番組は不定期配信です
各種ポッドキャストサービスでのフォロー、ご読読お願いいたします
感想は#そろそろ美術の話を
多分これ斉さんが見てると思いますので
ぜひぜひ皆さん感想をお聞きいただければと思います
今後聞きたいテーマやゲストは番組ウェブページまでお願いいたします
♪~
55:03

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