1. そろそろ美術の話を...
  2. #014 ダリ・ミロ・ウォーホル..
2020-12-05 45:57

#014 ダリ・ミロ・ウォーホルから鴨居玲まで~巨匠たちの思い出を振り返る(日動画廊 長谷川智恵子)

日動画廊 長谷川智恵子さんをお迎えして世界の美術館や、巨匠たちへのインタビューについてお話いただきました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/014 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 長谷川智恵子(はせがわ ちえこ)
  • 株式会社日動画廊代表取締役副社長
  • 公益財団法人笠間日動美術館副館長
  • 日本洋画商協同組合理事長
  • 東京都生まれ。聖心女子大学に進み、結婚のため中退。1975年-1980年、サルバドール・ダリ、マルク・シャガールら30人の画家のインタビューを手がけた。1994年-2008年、日本洋画商協同組合理事長。1979年芸術文化勲章シュヴァリエ、1995年レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、2009年レジオンドヌール勲章オフィシエをそれぞれフランス政府より受章。

Show Notes

  • [書籍]世界美術館めぐりの旅
  • メトロポリタン美術館
  • バーンズ・コレクション
  • ノートンサイモン美術館
  • マルモッタン・モネ美術館
  • [書籍]素顔の巨匠たち / 「美」の巨匠たち
  • サルバドール・ダリ
  • ジョアン・ミロ
  • マルク・シャガール
  • アンディーウォーホル
  • 富士美術館
  • リチャード・バートン
  • ガラ・エリュアール(サルバドール・ダリの元妻)
  • 梅原龍三郎
  • 藤田嗣治
  • 鴨居玲
  • 宮本三郎
  • さかなクン展
00:02
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、日動画廊の長谷川智恵子さんをお迎えして、美術の話を繰り広げていきたいと思います。
ということで、前半に引き続き後半もよろしくお願いいたします。もう前半でだいぶいろんなエピソードが登場しましたけど、これもまだほんの一部ということで、まだまだ掘り下げていきたいなというふうに思います。
まずはですね、智恵子さんいろんな本を出版されていますけど、その中で世界美術館巡りの旅という本を書かれていますが、今ちょうどコロナで海外行けないので、ぜひ海外の話をしていきたいなと思ってまして、
ちなみに過去どれくらい、いくつぐらい世界の美術館?
本にしたのは152館なんですよ。
すごいですよ。もうそれだけですよ。
というのは、もっと見たけれども、建物はいいけれども、作品、中身で描けなかったとか、そういうことも含めますと、中がエピソードがあって、歴史もしっかりしていて、コレクションもいいとなると152館で本としてまとめたんです。
でもじゃあ、ざっくりどれくらいというところの世界?
150館ぐらい行っていますでしょうね。
もっと行ってみたいです。しかも一回だけじゃないですもんね。同じところに何回も行っているって。
そうですよね。何度も伺って。
ただアメリカなんかは結構、どこの町に行ってもちゃんとした美術館があるなというのが一番思いました。他の国だと首都に大体あるんですね。
例えばイタリアだったらローマとかフィレンツェとかミラノがほとんどなんですけれども、アメリカの場合はそれぞれの州で結構印象を集めていたり、こんなところにこんなコレクションがあるというような。
もう一つは税制が、アメリカの場合はお金持ちが美術品を寄付することによって節税になったんですね。
だからわりとお金持ちはこぞって美術品をお金になっちゃう。寄付して自分の名前を付けてもらう。そうすると子孫にこの方は偉かったということになるという喜びも与えて、どの絵の下にも誰の寄贈というのがわりと書いてあります。
そういうもんなんですね。じゃあ例えばアメリカの美術館でここをお勧めみたいなのありますか。いわゆる有名なところもあると思いますけれども。
アメリカの美術館ですね。大きいといったらメトロポリタンはすごいですね。
エジプトの部屋もすごい部屋がありますし、一階じゃ見切れない美術館の一つだと思いますけれども。
あとは例えばバーンズコレクションというのがフィラデリフィにあるんですけど、これは初めはバーンズさんは人に見せたくなかったという話があって。
03:07
コレクションですね。
それで週に何日かしか開けないとか、また私最後に行った時は午前と午後で開けるあれが違って、1日以内と全部見れなかったんですけれども。
でもなかなかいいルナワールドが素晴らしいものを持っていらっしゃるので、待ってみる価値があったという。
あとアートインシチュートシカゴというのも良かったですしね。
私はわりと好きだったのが、ノートン・サイモンというカリフォルニア州の笠寺にあるんですけれども、
その時にちょうどゲイズコレクションというのはロスにあるんですけれども、両方が大きな金持ちなんですけど、ノートン・サイモンのコレクションの趣味が好きでしたね。
それは何が多いんですか?印象派が多いんですか?
印象派はいろんなものがあるんですけれども、個人コレクションの場合はその方のお好きなものというのの方向があるんですね。
笠寺のゲイズの方は何かビカビカしてるんですよ。
時間にもお金持ちという感じがするんですよ。ノートン・サイモンはちょっと品がいい展示の仕方もそんな感じで。
個人コレクションの場合はなかなか特色が良いか悪いか別としてもございます。面白いですね。
コレクターの人間性質みたいなものも。
大体が海外のコレクションというのは、日本だと県立美術館が建物を建てて、それから予算で墓地墓地ですよ。
向こうはわりと公立的な美術館でも、もともと小さなコレクションがあって、それを寄付した頃から建物を作るという。コレクションありきなんですね。
だからそういう歴史が、コレクションの歴史がずっとあるので、そういうのが世界の美術館を巡っていいながら、面白かったですね。
ちょっと日本と違うところですね。たまたま国立西洋美術館だけは同じような考え方で、他は違いますね。
大体が建物の立派なのができちゃって、それに対して墓地墓地と絵が増えていく程度ですけれども、向こうは建物よりかコレクションがあるから建物がいるというか。
なるほど。逆にそういうことは建物とコレクションが神話性があるということですね。
そうですね。
先にコレクションがあってから作るわけですもんね。
ちなみにアメリカやヨーロッパだと、例えばどこが?
ヨーロッパではね、私はわりともともと好きだったのがね、フランスのね、あれは大好きでしたね、モネーの。
マルモッタ。
マルモッタ。あれは綺麗ですよ。
日本人としては皆様共感があるんじゃないかと思います。やっぱり日本人はね、水のある風景が好きなんですね。
なるほど。
やっぱり西まぐりなんですよ。
あるんですか、そういうの。
だからなんか水があるとほっとするみたいな。
だからモネーのスイレンっていうのは日本人の一番好きなのはナンバーワンじゃないのかしらとも。
ちなみに今更なんですけど、最初に行った美術館って覚えてます?世界で。
06:00
やっぱりパリでしょうね。
一番初め私が海外に行ったのが、ハワイだったんですね、新婚旅行で。
その時にはまだ美術っていうのが頭になくて、あまりハワイですから。
行かなかったんですか、ホノルル美術館って。
その時は行っておりませんね。
その次に今度はジャパンアートフェスティバルでニューヨークに行って、
それは私たちのオナコードさんが、菱田博恵さんという方でそのフェスティバルの実行委員だったんで、
連れてっていただいてお供したんですけど、それで初めてワシントンDCの美術館見たり、メトロポリタン見たり、いろいろ見ました。
でもそれが最初の美術館ですか?
そうですね、多分。
そもそも日本の美術館もあったんですか?
日本の美術館はもちろん行っておりますけど、
それで初めて海外見たらやっぱり。
海外ではやっぱり美術館としてはその時は一番愛だと思います。
結構衝撃を受けました、やっぱり海外の美術館、日本の美術館。
日本の美術館よりか規模が違いますね、コレクションの大きさが。
今でこそそれが当たり前に知られてるけど、当時そんなに情報もなかったんですか。
ですから私がこの美術館行こうの本を出した頃がまだ情報がなかったんです。
皆さんが知っているルーブルとアメリカのメトロポリタンとロンドンの美術館というのが皆さんが知っているけど、
こういう小さな美術館への情報がない時代だったので、
これはすごくこの本をコピーして持って行ったという方に相当聞きました。
本を持って行くのは重いから、行くところの街のあれをコピーしたと言ってもらえて、
これ1993年ですから。
1993年でもまだ知られていなかったみたいですね。
そうです。結局このネットでわかるようになってからは、
もう本当に世界の美術館一瞬にして皆さんに情報が入ると思うんですけど、
まだそういう情報がない時に、これの前に美術館行こうとこの本を出してるんですよ。
それで後でこれにまとめたんですけど、この上下で出してまして、
これはいつだったのかしら。
これは85年ですから。
この前に80年くらいから、うちに絵という雑誌があったので、
その中で美術館巡りのコラムを書いておりまして、
それをまとめたのがこれなんです。
そしてこれは俗も出しておりまして、
その後でもっと簡単に、これはミセランのガイドブックを真似したんです。
そうすると皆さんこうやってコピーをして、
ご旅行にいらっしゃってお使いいただいたというので、
大変嬉しかったんですけど、そういうのを聞いた時に。
今でこそですよね。
インターネットで全然知れちゃうけれども。
でもこの美術館巡りに入ったのは、なぜ入ったかというと、
その前に一番初めに本を書くようになったのが、
サルボダリとフォアミロにテレビ朝日さんからの話でインタビューしたんですよ。
ダリにはニューヨークのセントレジスホテルでやって、
バルセロナにミロの美術館ができた時で、そこでミロに行ったんですね。
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テレビ朝日さんのプロデュースの人たちがいらして撮ってくれたんですけど、
そしてその後で、せっかくダリやミロに会えたのに、
書いておかなければテレビの方へ一家制だからもったいないって言われて、
それで初めて書くことになって、
当時私はあんまり学校でも国語が好きじゃなくて、
エッセイなど書くなんていうことは全くなかったんですけれども、
そしたらテレビ朝日のその時のプロデューサーの方が、
小説家を目指した方だったのね。
自分は小説家になれなかったけど、教えてやるよって言われて、
何度も書き直しさせられてね、全然情景が出てないとかね、
当時ワープロじゃないから全部もう一回412本手書きだったんですよ。
書き直してね、それで教えていただいて、
ダリから始めたら、美術雑誌がこれずっとやりましょうよって言われて、
それでシャガールだとか、いろんな作家に会って、
こういう世界の巨匠の本が結果としてできるだけになったのは、
一番初めはそのテレビ番組から。
今さらっと話で言いましたけど、ダリとかシャガール、
生前会ってるってことですもんね、当たり前。
でもそれで、そんなことは滅多になかったことだった今になって思うんですけど、
当時は無我夢中でやってて、それがですから中国でも、
それからフランスでも、私の訳した本が出たのは、
私が話したというんじゃなくて、
インタビューした相手が大物であらしたから、
是非死んでいらっしゃいませんしね、シャガールにしてもみんな。
だから出したいと言われて、
フランス語版と中国語版ができたという次第です。
今本の中でも30人の方の、
これもでも30人以上の人になっているわけですもんね。
でもそれは30人。
それでそれ以上、もうちょっとやろうと思ったら、
ちょっとレベルが落ちるわけですよ。
世界的な巨匠というと、そうはいらっしゃらない。
それで美術家になったんです。
ピカソだ、ダリだ、フランシス・ベーコンだ、
どんな方でした?
ダリはね、もうこの人はね、他の方達は、
それ以外29人は、全部優しくて、
威張らなくて、いい方達なんです。
でもダリは1人威張って、
もうパフォーマンスが多くて、
自分が監督になっちゃって、
テレビ局が一緒に行ったわけですから、
プロデューサーの方はこうして、ああしてって、
もうちゃんと一つの流れを作ってらしたのに、
そんなのは全部ダメね。
全部自分で始まります。
自分で喋りたいことを話します。
もう台本むしろ。
一番歴史の中で素晴らしい画家は誰ですかって聞くと、
12:02
全てがその調子で、
でも私は思ったんですけど、
ああいうパフォーマンスがダリ芸術の一つなんだと思います。
というのは夜になって同じホテルに泊まったので、
下のカフェの隅っこの方でね、
黒いマントを着てね、
静かにコーヒー飲んでる人がいたの。
あれ?と思って見ましたら、それがサルバトルダリだと。
だから皆様に見せている面と、
芸人が楽屋で暗いみたいな話ですよね。
多分そうなんですね。
カメラ回ってたから、それはもう完全に、
芸人タイムモード。
自分のアートの一つなんだろうと思いますね。
でもやっぱり元気な方というか、
パッションがある方だったんですか?
そういう意味では、お顔もいい顔してますよ。
イケメンなんですよね。
良い顔ですよね。
サッパもありますし、堂々たる風才でございますよ。
へー。
だから一人で見ても目立つ人でしょうね。
花もあるんですよね。
それだけのオーラもあるし。
その後で同じ時に、同じスタッフと一緒に、
スペインのバルセロナのミロに会ったら、
可愛いの。
映画館見てると、
日本の書道家みたいに黒を使ったりした、
激しい映画が多いですから、
ニコニコしてる可愛い方なんですよ。
ダリはベラベラ一人で喋ってくださったから、
編集しやすかったのに、
今度は話してくださらないから困っちゃいました。
シャイなタイプ。
発想の源は、
ダリでしたらたくさんお話いただいたと思うんだけど、
ただ一言、
蝶々が空から回ってくるようにって終わっちゃうんですよ。
だからどうしても30分番組に作らなきゃならないわけじゃない。
そうすると困って。
十いくつか質問作っておいたんですけど、
どんどんどんどん過ぎてどうしようっていう感じが。
時間が持たないぞみたいな。
そんなに違いました。
スペインでも違うんですね。
ノリが一緒のように見えますけどね。
カタロニアっていうのはあって、
スペインの北側。
彼がミロに会った時に、
僕はカタロニア人だからっておっしゃったんですよね。
だから一時はカタロニア独立するのを
スペイン政府が、フランコが非常に
それを阻止したっていう歴史がありまして、
最近はそんなことなくて、
すごく上手くいってるらしいですけど、
だからカタロニア人っていうのは、
ローマ時代の流れを組んでるというのですね。
15:00
文化的で芸術的だというのが
カタロニア人のあれみたいですね。
一つのプライドみたいな。
アレティみたいなものがあるんですか。
それですから誰だってそういう意味では
スペイン人としても。
マドリートというよりカタロニアのバロサナ近辺、
あの辺が、ダリはフィギュラスですけれども、
あの辺が文化的には
そういう強さを持っているのかもしれませんけど、
だからミロさんそのものは
私と会っててニコニコニコニコして、
日本でガスパビリオンの壁画を描いた時に
頂いた日本史が美味しかったとかね、
それも可愛いお話でした。
会ってみないと分かんないですね、
絵のイメージと全然。
前のブランダーションの次の日だったかしら、
同じレストランで見かけたんですよ、ミロさんと奥様を。
なんかね、食べるの
好き嫌いを言ったらしくて奥さんに怒られてました。
あれ?と思って見てて。
中身はちょっと分かりません。
確かに背が低いんですね。
可愛い方なんですよ、ミロさん。
これテレビの映像?
テレビで行ったので、ミロのインタビューは。
大変だったらしいですね。
大きさが私が背が高いものですから、
ミロさんはいわゆるスペイン人特有の小柄でらっしゃるんですよ。
同じ目線にならない?
それなのでミロさんの方にクッションを3つくらい置いて、
そこに座っていただいたんですよ。
すごい苦労があったんですね、ミロ。
でも本当に可愛らしい方なのと、
すごくシャイな方なんで、
インタビュアーとしては本当に大変でした。
話してくれる方がいいですよね。
楽でございます。そうすれば余分な部分は編集していただけますけど、
話さないものは編集の仕様がないから、
私はそれがすごく大変だったなという記憶があります。
ちなみにシャガールはどんな感じですか?
シャガールさんはね、
もともと街だったらば画家だと思わないような、
素朴な雰囲気の方なんですね。
ところがシャガールさんだけは私にとって一番撮れなかったんですよ、
インタビューの時間を。
数年かかりました、OK撮るまで。
忙しかったんですか?
もうダメだという答えばかり入ってきました。
娘さんがイダさんといるんですけど、
そのイダさんに頼んでもなかなか時間が取れないと言ったらば、
結局お会いした時に奥様が言うには、
もう90歳だから、
いろんな世界中からのインタビューを受けていたらば、
主人は絵を描く暇がなくなるので、
ごめんなさいね、いつもお断りしてというような言い方をされたんですけど、
15分だけならと言われて、
15分だけお会いしたんですね。
18:01
そしたら開講一番、
僕は特別なことを喋れるような相手がいないから、
インタビューしてもしょうがないみたいなことから始まって、
日本という国は好きだと言っていたんですけど、
15分経ったらね、
さっさとね、
それで僕はこれでって言って帰っちゃったの。
あとは妻と話してくださいって。
フルットスターのインタビューみたいな感じですよ。
10分くらいしかできないみたいな。
それもあっという間に私は、
奥様がそういう風にしていらっしゃるみたいだったけど、
すごく素朴な感じで、
愛とかそういうものが、
人生にとってとても大切だっていう、
やはり彼は亡命をしてきているので、
一度だけ、
ロシアの政府に招かれ、
ソビエト時代に戻って行ったんですって。
そうしたけれども、自分の故郷のビタブスクには返してもらえないで、
会いたい人がいるなら、モスクワに呼んだげるって言われて、
なんかご兄弟が来てくれたけどって言って、
だから非常にそういう亡命した人の、
ちょっと辛さみたいなのは感じましたね。
絵の中にもしょっちゅう風景で、
出てくるのは自分の村の風景がものすごく多いです。
会いのばかって言われて、明るいイメージもあるけど、
ちょっと影の部分もあるんです。
そうでしょうね。それで確かに、
主人なんかがね、その前に一度、
車代わりさんの写真を撮りに、
主人が若い頃に行った時は、
街角でふわっと会って、撮らせてくださって行ったら、
いいよって感じだったらしいんですよ。
でも私もね、会ったらものすごく気取ったりとか、
そういうことがなくて、すごくシンプルな方でした。
そういう感じの方なんですね。
だからダリさん以外はね、全部そうなんですよ。
偉くなった方がよくそう言いますでしょ。
偉い方こそ自分を誇示しないって言うけど、
それは私はやっぱり画家の世界でも、
ほとんどの方が偉いっていう方がお会いしてみると、
すごく優しかったり、
心の温かさみたいなのを感じる方が多い方ですね。
ちなみに、アンディ・ウォーホルもどうですか?
アンディ・ウォーホルはね、私ね、何かを喋った記憶がないんですよ。
それで私が知っているアメリカの画賞が、
日本にアンディを連れてきて、
ちなみにアンディにポートレートを描いてもらったらって言うから、
どうぞ、ぐらいです。
そんなに私、アンディ・ウォーホルが今ほど有名になるというような、
意識が自分にはなかったんですね。
それで彼が来て、
50枚ぐらい、
ポロライドカメラで撮ったんです。
写真を?
写真を。
当時ポラロイドがわりと流行っていた時代で、
21:00
それを撮って帰って、
何か私はあまりね、喋った記憶がないんですね。
後でこの間ね、彼の秘書だっていう人が、
一緒にご飯を食べに行ったんですよって言われたんですけど、
その記憶すらないんですか?
あまりないんですよ。
そしてね、アンディからその後3ヶ月ぐらいしたら、
大きなチューブが送ってきて、
中にこの絵を含めて3点が入ってきたんですね。
それと一緒に請求書が入ってきたんですよ。
ただでくれたわけじゃないんですね。
そうです。それでちゃんと請求書が入ってきて、
えーっと思って見て、
みんなプレゼントでくださってたんですよ。
だからまさかね、
請求書好きとは思わないで、
自分の絵を自分で買うのかしらという感じで、
それでしょうがないから1枚だけ買って、
あとの2点は返しちゃったんですね。
金額としては高かった?
500万ぐらいだったと思います。
当時1枚。
3点で1作だと思うんですけれども。
でもその1枚500万ぐらい払えないから。
私はそこまでアンリー・ウォーホルの
画家としての興味がなかったので、
そんなことで今になってみると大変
惜しいことをしたと思うんでございますけどね。
でも2点は今何だか日本にあるんですね。
そうです。今フジ美術館さんの後で聞いたら
内画家というお話で、どういう経緯であるかと思ったら、
フジ美術館のオーナーとアンリー・ウォーホルの
やっていた画廊のオーナーとが知り合いだったそうです。
それなんで日本の人を取ったアンリーのがあるけど
ということからじゃないかと思いますけども。
でも一回あれどうなったのかしらと思って
問い合わせた時もあったんですかね。
それでフジ美術館をお持ちのことが分かって、
それで一度お借りして3点並べたらば、
やっぱり3点並べると素晴らしいですね。
先見の目がないのも恥ずかしい次第でございます。
この3点あるじゃないですか。
それが色が背景が赤のバージョンと緑のバージョンとブラウン。
ピンクは私綺麗だからピンクを取ったんです。
理由はそれだけだったんですか。
色で選んだんですか。
これは基本的には日同美術館、笠間で見れます。
常時ほとんど展示しております。
だからお願いするとフジ美術館さんもここでお借りしてくださって
3点一緒に飾ったこともあります。
一度ここで飾られた時も、その時に一緒にトークショーやらせてもらったんですよね。
そういう点では日本にそれがあることが
せめて良かったと思っております。
何かの時には3点一緒にすることができますから。
でも大頃が来た時は
やっぱり銀髪あのスタイルではあったと思う。
あのスタイルでしたしね、あんまり喋らない人でしたね。
暗い感じだった。
それでね、私ニューヨークであるレストランに行ったら
アンディが来てると思って10人くらいで来てるのを見たんですけれども
24:00
アンディは真ん中に座ってるけどやっぱり喋らない感じでしたね。
やっぱりダリと一緒なんですかね。
ダリもやっぱりこうヒゲつけたりとか
オオホルも面被ったりじゃないですか。
そういう人ってやっぱり芸人的な感じなのかなっていう気が。
何かの時には自分のアートとしてはやるけれども
普段はあんまり社交的ではないんじゃないかなと思いました。
そうなんですね。
だからダリの場合はガラという奥さんがすごくお茶目で面白くて
ご一緒した時にも
ガラにもお会いしてる?
そうです。一緒にご飯食べたんですね。
そしたら非常にお茶目でね
もう80ちょっとだったんですけれども
大きなおリボンつけててね、後ろに。
一般的には悪菜のイメージがちょっとあるじゃないですか。
一緒のお食事の時でしたし
いわゆる仕事の話をしなかったので
そういう場面は見てないんですけれども
厳しいんでしょうね。12歳年上ですし。
でも楽しい方なんですか?
お茶目な感じでした。
私とリチャードバートンとかいて
向こうがガラだったんだけど
リチャードバートンいたずらしかけたりとか
してました。
だから結構いろんな
頭の回る方だったんじゃないでしょうか。
だからダリーが
自分にとって魂みたいなものだって
おっしゃってたのもそういうガラさんなんでしょうね。
その時にはダリーはいなかった?
ダリーももちろんいて。
あとダリーとすごくきれいな女性が2人いたんですよ。
私は女性だとばっかり思ってたら
リチャードバートンが
今日はいい。僕は本当のご夫人に囲まれて
嬉しいよって言うから褒め言葉だと思ってしまった。
そうじゃなくて私もガラも
本当の女性であって向こうに見える女性は
そうじゃなかった。
私は全然気が付かないで見ておりました。
リチャードバートンはしょっちゅう
大仲間らしくてご存知で
今日はなんでそんなことをおっしゃったんだ。へーって思って。
ちなみに海外の教授にも
いろいろとお会いしたと思いますけども
もちろん日本のいろんな芸術家とお会いしてるじゃないですか。
そういうエピソードの中で
この人が一番印象的だったなみたいなエピソードがありますか?
私にとってはいろんな意味では
梅原隆三郎さんというのは
私にとって思い入れ深い方ですね。
ズドワールの唯一の日本人弟子だったという方ですね。
梅原隆三郎先生には
随分と可愛がっていただいて
ちょうどお孫さんと同じような年なんですよ。
だから初めてパリで梅原先生をお尋ねした時も
その晩ご飯に連れて行ってあげるって言われて
そしたらフランス料理屋に連れて行かれて
27:01
大きなワインディストを
ソメリエと一緒にやってるんですね。
私なんて赤玉ポートワインくらいしか知らない。
当時。
だからたくさんのリストなんて
大変びっくりした。
何が違うかもわからないけど自然にやってた。
若い時にルノワールに会いに行った時に
やっぱりフランス語を勉強されたんだと思います。
だからフランス語はお分かりになるから
ソメリエともやり取りしてらしたりして
結構ダンディな感じなんですか?
オシャレでしたね。
オシャレっていうのが英国紳士みたいな感じの
ネクタイをきちっとした
スーツの方でした。
梅原先生っていうのは。
インタビューしてますもんね。
梅原先生には美味しいものも随分教えていただいたり
同じレストランに行っても
中華でも先生がいらっしゃると
特別メニューが出てきたり。
藤田嗣晴さんにはお会いしたことは?
私たちはね、主人も私も残念ながらね
お葬式からなんですよ。
藤田さんが徳士さんのお父様とかを
描いたりとかもしてるんですか?
モデルになったんですか?
父のことも描いていらして。
非常に親しかったんですよね。
父の時代に戦前。
戦後すぐにパリに行ってしまわれてからは
1回ぐらい父たちがヨーロッパ旅行したときに
会いに行ってますけども
日本にも帰っていらっしゃらなかったもんですから
あまり御殿目の頃に会うチャンスがなくて
だから伺ったのは主人が
藤田さんが亡くなったという知らせを頂いて
主人の父がお葬式に
自分はいけないから行ってやってくれって言われて
主人はランスでのお葬式に出席して
それに出席してるんですか?
主人は行ってます。
歴史の出来事みたいになってますからね。
私はね、子供たちがいたんで
子供を見る人を手当てしたりして
町の所有になって一般公開してますけど
ビリエドバークルというベルサイの近くのお宅に
毎晩日本食を届けに行ったの。
未亡人に。
藤田さんが最後に愛した
長くお付き合いになった方だけあって
なかなかね
一種独特の魅力のある方でしたね。
そうなんですか。
なかなかダダッコみたいなところがあってね
もうあなたたち明日来なくていいわよって
帰る時におっしゃるのね。
次の日来ると遅かったわねって。
30:02
ツンデレな感じの人だった。
だから藤田先生も一緒にいて面白かったんじゃないかと思う。
そういうところに惹かれたんですね。
すごくね
日本に対して恨み事を言ってらしたんですよね。
未亡人は。
藤田さんは戦後すぐに出た時に
結果いろいろ歴史を調べていくと
日本が藤田をいじめたんではなくて
戦争画を描いたからいじめたと逆説が流れてますけれども
それはそうではなくて
当時はいろんな戦争画を描いてますから
藤田だけではないし
藤田がアメリカ経由でフランスに帰ったのも含めて
やっぱりアメリカのいわゆる
連合軍を描かせたんだと思いますから
だけれども
画家同士のやきもちはあったみたいです。
嫉妬心みたいな。
画家の人が藤田が割と
お父様が軍医総監だったり
おじさんも軍の偉い方だったから
いろんな絵の具とかそういうものを
交互されたという話もあるんですね。
そういうことに対しての他の画家のやっかみ
それはわずらわしくなったことが
フランスにもともと行きたかった人が
戦争のちょっと前に帰ってきたということですから
だから日本が藤田を追い出したわけではなくて
藤田そのものがパリへ行きたかった
ことだろうなと思うんですけどね。
そういう意味で行ってしまったので
帰っていらっしゃらなかったから私たちは
藤田が生きていらっしゃるときには
行くチャンスがなかったんですよ。
そういう繋がりはあるんですね。
加山日堂美術館に
カモイレイの部屋がありますけど
カモイレイさんとの繋がりが
カモイレイさんとは本当に楽しい方だったんですよ。
たぶんアトリエに入ると
ぐっと暗くなってああいう絵ができるんだと思うんですけれども
今年が没後35年でした。
そしてカモイレイさんくらい
没後、いろんな美術館がやりたい作家ってないんですね。
5年おきにやるんですよね。
没後30年は東京ステーションギャラリーさんで
今35年はくるめし美術館で
僕も1週間前に行ってきました。
カモイレイさんの展覧会というのは
人が入るんですよ。
だからいろんな美術館がやりたい展覧会なんですね。
毎回成功するんですよ。
ステーションギャラリーでもステーションギャラリーが始まって以来の人数だそうです。
ステーションギャラリーが当時
年間パスポートの売り上げがめちゃくちゃ売り上がって
1回だけじゃなくて何回も見たいって人がいるから
カモイレイ展で一気に年間パスポートが売れたっていう
伝説の展覧会
でも生前から人気はあったんですか?
33:02
人気はありましたね。
でもカモイ先生っていうのは案外恥ずかしがり屋で
いろんな合掌さんが売れるようになってからは
いろいろと話が来ても
そういうのを交通整理するのは僕は嫌だから
全部日動画廊に
お任せだって言われて
日動画廊に行ってと合掌さんに言って
ご本人は直接他の合掌さんとは
あまりお付き合いにならなかったんですね。
いつからお付き合いですか?
昭和会首相とお取りになって
40歳ぐらいでお取りになって
割と早くないんですね。
カモイ陽子さんっていうのは
大阪でいわゆる下着デザイナーとして
お姉さまですね。
そのデザイナーだったお姉さまは
柴良太郎さんと仲良くて
柴良太郎さんのご紹介で大阪の画廊に先に紹介はあるんです。
それで知り合って
その後すぐぐらいに昭和会出してみたらということで
出したら昭和会優秀首相となって
東京の本店も本を知れて
それでまたその後で彼がパリに住んだり
スペインに住んだりしたので
海外に行くときに反対に日本にいるときより
濃い付き合いができたと思います。
スペインに遊びに行くと一日中ご一緒したり
お酒を飲むと
人を楽しませるのが上手な方なんですよ。
絵は暗いイメージがある。
絶対アトリエに入ると暗くなる。
もう一つはね
宮本さんの弟子二期で
美しいものを描くと宮本先生に
バリになるのがいつも避けてらっしゃいましたね。
違う方向でやらないと師匠と同じになるのは
良くないと思ってらっしゃったから
それだからいつもおじいさんおばあさん描いて
出身が少しラフぐらい描いてよって言ったら
すごく悩んで
普通に描いたら宮本先生になっちゃうからねって
おっしゃって石の花という
ロシア映画かな、戦後すぐの
それから撮った題材で石のようになっていく
恋人たちを描きになったのが初めてのラフでした。
後ろ姿ですね。
だからそういう意味で
宮本先生というのを常に意識照らして
だからああいう暗い絵の方を
好んでお描きになって
本人の写真見たらびっくりすると思いますが
イケメンですよね。
東京ステーションギャラリーでやったとき
担当の学芸員さんがカモイレー好きになりすぎて
展覧会史上初だと思うけど
ポストカードのところに
普通は作品のポストカードだけ置くのに
カモイレーの写真みたいなのを5種類ぐらい売り始めて
36:02
こんな展覧会あるっていうぐらい
家の中もヨーロッパ風にして
神戸に戻っても靴を履いたまま
土足で
洋風の生活をしていました。
お酒も強かったんですけど
それ以上に一人飲ませるのが上手
楽しくみんなにワインで乾杯しよう
みたいな感じで
そんな社交化ではないんだと思います。
会合に入ってらっしゃったんですけど
会合とかに出るのは
一回そういう見機会じゃなくて
うちで組織した
その当時の明日への偶像展というのをやってて
各国の独立やいろんなトップの方たちを
同人にしてやったのがあるんですね。
その会合で
一つも会合の話聞いてなかったらしくて
主人の顔って
いろんな方に描いても似ないんですよ。
それがすごく似てるの。
こんなコースターなんだけど。
あんまりそういう画家同士の会合とか
運営とかそういうのには興味なくて
ただ自分の好きな世界にいるの。
だから付き合って
お酒飲むのも好きな友達とだけの
スペインの友達の小さいグループがあって
そんな感じで
私たちとは非常に
主人もすごく鴨井さんのことが好きだし
鴨井先生も私たちに任せておけば
安心みたいになっちゃって
ニューヨークでの個展も全部こちらがやり
ニューヨークに行ったら
向こうの画賞が
ホームセクションの方がいらっしゃって
君はどうかって言われたんですって
別の先生が美男子だから
僕はそれは怖いですって言って
それ以来私たちの後ばっかりくっついて歩いて
一息で襲われたら嫌だと思う
鴨井麗さんの代表作の1983年終わったし
もうここで出たんですよね
もう85年なくなってますから
白いキャンバスに周りに
自分の今まで描いたモチーフをいっぱい置いて
僕は何を今後描けばいいのっていう問いかけみたいですよね
そういうのがその頃からあったんだと思います
白いキャンバスの周りに
いろんな自分のモチーフを描かれてるんですけど
たぶんそういう気持ちも半分あり
もう一つはあれをやりたかったんです
39:03
キリストの最後の晩餐
あれを描きたかったんですって
亡くなった後に
お家にそのための机を買ってあったの
これをモチーフにして
その周りにユダとか
いろんな十二人の使徒がいるのを描きたかった
っていう話をしてらっしゃったので
あの時は突発的にやったけど
心臓が持たなかったんだと思います
本当に死ぬ気ではなかったのではないかなという風に
主人に電話をしてて
ハゲ止めの薬の話で大笑いしてたからね
その後で明け方に主人が亡くなったと聞いても
にわかに信じられなかったって
電話は今から自殺するとかじゃなくて
ハゲ薬がいいのあるかって
その後でその気になって
すぐそばに住んでるお弟子さんがいて
さっきの電話おかしかったっていうのが
その後であったらしくて
見に行ってくださったらしいのね
飲んでたんで危ないと思って
全部はかしたりなんかして
でももう一回なんか今日は心配だと思って
もう一度行ったらもう今度は助かんなかったって
らしたけど
だから多分この82年私の頃から
自分のはこの辺で死んだ方が
かっこいいんではないかと思ってたんじゃないかと思う
いわゆる今までも自殺ミスをしてるんですけども
何回かそういう時は大抵ね
いい絵ができたとか画集ができたとか
いい時にやるの
一番自分が今死ぬと一番いいんではないかという
そういう絶望して自殺するんじゃなくて
いい時にフィナーレになる方が
自分でしょかっこいいという
なんかそんな思想を持ちだったみたいで
今京都の82年っていうのがちょっとそれを考える
その時にはそんなに私たち感じなかったんですけれども
だからそんなことで
でもすごく記憶に残る作家でしたし
非常に周りの人と
楽しませてくださる方だったし
またデッサン力が抜群にありましたね
特資産を描いた絵が
それがコースターなんですよ
その会議中に話
どんだけ会議暇だったんで聞いてなかった
聞いてなかった感がすごいですよね
学校の落書き授業の落書きでもここまで書かないですからね
主人に言われてね同人だから来なきゃいけないと言われて来てたんですけども
しょうがないから来てるけれども
あんまり話しか聞いてらっしゃらなかったんだろうと思うんですよ
でもだからこの
42:01
かんまりさんの遺品とか
デッサンさんのテーブルとかが一度から行けば
美術館に行けば笠間の
笠間ではそういう思い入れる作家だったのですから
遺族から全部遺品もいただいたので
一部屋常設として
かむ入れをいつでも見れる部屋を作ってあります
これはもう私がお伝えしている画家の中では特別ですね
ぜひ行っていただきたいですよね
だから先生がお使いになった椅子だとか
全部そういうものを置いてあって
すごい大きな犬を飼っていましたよねかむ
はい、いろいろと
本当にアトリエの再現みたいなつもりでやってまして
これもぜひ行っていただきたいなと
是非
笠間って遠いって皆さん思わになるんですけども
常磐線で行けば1時間で東京駅から行けますし
それから車で行っても1時間半もあれば
美術館に着きます常磐高速で
あと秋葉原から
それからバスもあります
直通のバスが、笠間行くバスありますよね
焼き物ライナー
そんなに遠くはないので
それとやっぱり春は桜が綺麗でね
秋は今はモミジがものすごく綺麗です
つまり京都と同じ気候だということで
夏暑く冬寒いので
色付いてくれるんですね
コロナが春頃までに収まったら
ぜひ春にはもう行っていただきたいなと
思います
いろいろとお話を伺いたいですけども
そろそろお時間がやってきてしまったということで
どうでした今回収録して
感想をいただければなと
この会場を聞いてくださった方が
笠間に行ってみたいなとか
日堂画廊そんなに敷居が高くないんだなと思っていただければ
大変嬉しいです
今回はからず巨匠の話ばかり出ましたけど
そんなことなく若手の作品も
いっぱい扱っているということですね
それが日堂画廊の特徴なんです
幅が広いということで
魚君の展覧会もありましたよね
魚君の展覧会を見ると敷居なんて高くありません
魚君も素晴らしいさん
魚のいらした人数が
お子さんから子どもだけかと思ったら
結構中年の方の不安がたくさんいらしたので
そういう時には日堂画廊を
敷居が高いのではなくどんどん入っていらっしゃいました
そういう展覧会は今後もいろいろと
ご縁があればいろんな展覧会を
募集はしないので
いろんなものがありましたらさせていただきますけれども
ぜひホームページをチェックしていただきたいなと思いますし
45:00
そういう時にはまたぜひゲストに出演していただければと思っておりますので
よろしくお願いいたします
ありがとうございました
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45:57

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