1. そろそろ美術の話を...
  2. #046 言語化できないことを味..
2021-12-11 56:47

#046 言語化できないことを味わう現代美術の楽しみ方(水戸芸術館現代美術センター主任学芸員 井関悠)

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水戸芸術館現代美術センター主任学芸員 井関悠さんをゲストに、水戸芸術館と早世したアーティストの佐藤雅晴さんについてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/046 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

水戸芸術館現代美術センター主任学芸員  井関悠(いせき ゆう)

  • 秋吉台国際芸術村企画課,横浜トリエンナーレ2005アシスタントキュレーター,資生堂ギャラリー学芸員,ヨコハマトリエンナーレ2014コーディネーターを経て,2014年12月から現職。
  • 2018年ベネチアビエンナーレ国際建築展日本館共同キュレーターを務める。主な企画に「内藤礼―明るい地上には あなたの姿が見える」「大竹伸朗 ビル景 1978-2019」など。

Show Notes

佐藤雅晴展の話題の続き

大学時代の話

美術との接点の話題

2005年の横浜トリエンナーレの話題

資生堂ギャラリーの話題

井関さんが過去担当した展示の話題

00:00
♪~
はい、アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組はアートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
今回は前回に引き続き、美都芸術館現代美術センター学芸員
石井裕さんをお迎えして美術についての話をしていきたいと思います
ということで先輩、改めてまたよろしくお願いいたします
よろしくお願いします
多分前回ちょっと話し切れなかった部分もあると思いますんで
そうですね、ちょっといろいろ長くなっちゃいました、すみません
佐藤正晴展、今絶賛開催中ですということですけれども
どんな展覧会かというのは前回の放送で言いましたけれども
さらにちょっと前回入り切らなかったおすすめポイントというか見どころあるんですね
美都芸術館ならでは
そうですね、実は今回の展覧会を準備しているところで
横浜にお住まいのある方から突然お電話をいただきまして
実は私のところにも佐藤くんの作品があるんですと
よくよく聞いてみると、その方がお持ちの作品というのが
佐藤さんがまだドイツにいらした時代で
日本に展覧会のために帰国して展示していた作品で
まだ当時ギャラリーがついていなかったんですね、日本で
その時に購入された方なので
佐藤さんしかその方に作品を販売したということを知らないままだった作品なんです
直で売ったってことですね、やりたりがあったということですか
ですからギャラリーさんの方もその情報がなく
作品がどこにあるのかわからないとずっと言われていたものだったんです
その作品というのが2008年に製作された平面作品の2点で
今回の展覧会でも展示しているんですけど
「ルック」という作品と「バタフライロード」という作品
その2点になりまして
この作品というのがちょっと他の平面作品とは絵のタッチが違うんですね
佐藤さんの平面作品ってどちらかというとかなり写真に近づけた
描き方をしていまして
一見すると本当にこれ写真なのか絵なのかわからないなっていうぐらいに
ものすごい細かく描いているんですよ
これももちろんロトスコープで描いているものなんですが
03:01
今回新しく見つかったその作品というのが
先ほど前半で紹介した「トラウム」という2004年から2007年にかけて4年間の時間を通夜して製作した
アニメーション作品がありますということをお話ししたんですけど
その次に製作された平面作品なんですね
その「ルック」と「バタフライロード」という作品と
他の平面作品をちょっと見比べていただくと
明らかに描かれ方が違うんです
どう違うかというと「トラウム」の描かれ方にかなり近いんですね
言ってみればかなりアニメらしい描き方なんですよ
これがなぜかっていうところをちょっと考えたりもしたんですけど
実はこのタッチで描かれている平面作品ってほんとおそらく5、6点くらいしかないんですね
それぐらい実はこの描かれ方っていうのが
限定的かつ2008年にしか描かれていなかったというものなんです
これなんでなんだろうなっていうのをちょっと考えているんですけど
もしかすると佐藤さんとしてはこの描き方だと
自分の映像作品と平面作品というものがあまりにも近すぎちゃうんじゃないかと
例えばその映像作品の一コマを抜き出しただけに見えてしまうかもしれない
そういうことを考えたのかなっていうところと
平面作品では動かない分、徹底してその1枚だけを描くことができるじゃないですか
アニメーションの場合それこそ1秒間に24コマとか
それだけの数を描いていかなきゃいけないんですけど
どちらかというとその平面作品においては1枚だけを徹底して描き込んでいくことができる
それを追求したかったっていうこともあるのかなと思ってるんですね
そこにおいてやっぱりその佐藤さんの作品を作っていく上での試行錯誤っていうのが
今回の「ルック」という作品と「バタフライロード」この2点がこの展覧会に入ることによって
そういった佐藤さんのその時の意図していたことであったり
制作に対するスタンスっていうものをちょっと買いまみることができるようになったのではないかなと思っています
貴重な作品なんですね、そういう意味でも
そうです、これ自体が私もギャラリーさんもどこにあるのかわからなかったものでして
ずっと探していて、今回の最初の展覧会のプランの中でも
06:02
展示作品にはやっぱり加えられなかったんですね
でも本当に幸運なんですけど、コレクターの方からそういった形でご連絡をいただけて
まさか展覧会の中にこれを加えることができるとはという
前回の話で「ズロック」にいろんな作品載ってるって言ったけど、その2点は載ってないんですよね
ごめんなさい、これは載ってます
でもその時にはどこにあるかわからなかった
そうです、作品の所在がわからなかったんですよ
大分の展覧会場の時にはなかった作品が、そうですね
大分ではもうそれが見れるという
見とってちょっと距離があるなと僕の中で思ってて、行くのなかなかおっくな人もいると思いますが
これをきっかけにちょっと行っていただきたい
電車で来るとちょっと高いんですけど、高速バスという手がありまして
東京駅からですね
東京駅の八重洲口からですと片道2000円で、しかも芸術館のすぐ目の前ぐらいにバスが止まるという
あとしかもこの前俺初めて教えて、何回も言ってるのに全然教えてくれなかったですけど
なんかすごいおすすめのカレー屋さんがあるから、予約して事前に来るといいって言ってましたよね
すいません、それはちょっと内緒にしといていいですか
あ、そうなんですね、じゃあそれはみんな調べてください
誤差をされると、はい
人気点もあるそうですから、そういうのも含めて見とげ行くといいですよねってことなんですが
ぜひ、結構おいしいお店も色々ありますので
できれば、見とげ芸館ってちょっと他館と違いまして
当日であれば何回でも入場できるっていう
あ、そうなんですね、再入場か
再入場かなんです、当日限りになりますけど
多くの展覧会がそういう形をとっておりまして
今回の佐藤さんの展覧会でも同じく再入場か当日に限りですが
ですので、ちょっと展覧会を見て疲れたら
一回外に出てリフレッシュしてまたとか
午前中来てご飯を食べてまた午後見直すみたいなことを
してもらってもいいんじゃないかなと思っています
映像全部見ると何分かかるって言ってましたっけ
実際に本当にしっかり見ようとすると3時間は超えてしまうので
映像作品だけでそのぐらいですから
閉鎖作品もしっかり見ていこうとすると
なんだかんだでいい時間になってしまうかなと
時間とレベルがじっくり
映像作品といってもストーリーがあってないようなものが
大半なので逆に流し見というか失礼ですけど
途中から見ても楽しめる作品が多いですからね
そうですね、ですからおっしゃるように
頭がないのでこの時間に合わせて見なきゃっていうようなことではないですから
それぞれ皆さんの好きなタイミングで見て
また次の作品に移っていただいてというのでいいと思います
はい、さあということなんですがここからちょっと
09:00
プライベートな話というのもあれですけども
前回の放送でも言いましたけど大学の先輩ということで
はい
それでこう知り合った感じですもんね
先輩っていうほどでもないんですけどね
大学時代は全然お会いしなかったですけど
学部も違いますからね
そうですね
ただかなり学部としては地位が大きいじゃないですか
はいはいはい
それこそ駅と駅の間の半分ぐらいが校舎みたいな
西島のキャンパスはですよね
そう、でかいところなので
その中ではトニーさんがいたところと私がいたところって隣り合わせで比較的近い
僕は法律をやってたんで同時に
私は教育学部にいたので本当に道を挟んで向かい合う感じですよね校舎
千葉大学って意外といるんですよね
そうですね
美術界に実はみたいな
実はいらっしゃいますね
僕はだから全然大学と美術は関係ないってきたんですけども
どういうルートを通られるんですか千葉大学の美術系の人って
そうですね、でも普通の場合は小学校、中学校、高校と教育学部の中である中で
美術図工科っていうところの授業の中でもちろん学源資格を取得するっていうのもあるのと
私がいた頃ってゼロ免課程っていうのがあったんですよ
何ですかそれ
教育学部なんだけど教育免許を取得しないコースがあったんですね
障害学習課程って言われてたところなんですけど
今多分もうなくなっていると思うんですけど
そこの場合は学芸員とか師匠とかそういった人たちを
学校出た後も障害学習していきましょう
そういった施設に働く人たちを育てたり
そういった施設について考えるようなコースがあったんですよ
そういったところの人たちとかが学源資格取得するっていうことが多かったかなと思うんです
じゃあ文之介さん大学入って千葉大自体から学芸員になる気ではいたんですか
全くです私しかもそちらじゃなかったんです
どういうルート取ってるんですか
私はもともとは小学校教員養成課程の教育学専修っていうコースだったんですね
小学校の先生になりたかったってことですか最初は
それもちょっとまたいろいろとね
禁物主義な感じ
そんなことはないんですけどもともとは別に教員になろうと思って教育学部に入ったわけではないんですよ
これちょっといろいろ皆さんには失礼な話になってしまうかなと思うんですけど
12:05
私は大学はもともと教員を目指していたわけでもなくて
教育学部に入ろうと思っていたわけでもなく全然違うところを目指してたんですけど
いろいろ受験で失敗しまして行きたいところに行くことができないというところで
高校の頃の友達が「じゃあ願書送るからとりあえず受けたら」
千葉大学校ですか
というところからとりあえず受験っていうところで
あんまり別に千葉大学入りたいって入ったわけじゃなかったんですね最初は
まあただいずれにしてもそんなにうち私立とか行けるような家じゃなかったので
国公立なら行かせてやるみたいな
とりあえずいい加減家から出ろと親に言われ
わかりましたということで受験をして受けた
教育学部で何を学んでたんですかその時は
教育学です
どこからそうやったら学芸人の道に美術の世界に行くんですかそこから
ですよね
意外と聞いたことないですよそういう話を
そうでしたっけ
私学生の頃にちょうどまだ
アップルが幕張でマックワールドエキスパとかやってた頃なんですね
もう今じゃ全然日本でやらなくなりましたけどたまたま友達と一緒に
そこに行ってついつい出たばかりのG4というのを買ってしまったんですよ
アップルの
プラスその当時だからモニターもでかいあのCRTモニターっていう
ブラウン管のモニターを買わなきゃいけないわけなんですけど
かつついでにミニDVのカメラも買っちゃったんですよね
いろんなもの買った
なんだかんだで1年分のバイト代全部そこに使っちゃうぐらい
その友達といろいろこう映像作ったりとか遊んでたりしたっていうのがあって
でその当時でPCで映像を扱うっていうのってあんまりなかったと思うんですよ
99年2000年あたりなので
そこで映像をいろいろこう作っていたところで
大学の授業の中でアーティストを招聘して授業を講義をしてもらったり
一緒にワークショップをするっていうような授業があったんですね
当時の千葉では結構変わったことをしてたんですけど
15:00
その中でたまたま私が手伝うことになったワークショップで
知り合ったアーティストの方のお手伝いをその後するようになったんですね
その方の名前出せるんですか?
中村正人さんという方ですけど
中村正人さんの例えばワークショップとか
展示をちょこちょこ手伝うことになったっていうのが
この業界にずるずると足を突っ込むきっかけになっています
もちろんそれの前も美術とかは見ていたんですけど
どちらかというと映画の方が私は学生の頃興味があった
まさに僕もそうです
映画好きだったのが美術の世界って言ってたんですから
サークルも放送研究会という映像を作るサークルにいたので
めちゃくちゃ近いところにいるのに大学で会ってないですね
サークルとか入ってなかったんですか?
私は入ってなかったですね
英研の新刊コンパウンドですかねって言われるようなものに
顔を出したことあったんですけど
デジタルでの制作は受け入れてくれなそうだったこともありまして
そういう人がうちらの放送研究会に入るんですよ
そうなんですか?教えてくださいよ
だから放送研究会入ったら放送研究会の本当先輩だった可能性高いですよね
そう考えると
そんな知らなかったです
アナログで作るサークルじゃなくて
デジタル編集の編集したい人が入ってくるサークル
僕は映像作るのに役者班だったんですよ
演技やりたい人も入る
そうなんですね
芸人やってたんでコントに役立つだろうなと思って
入ったって感じだし
この番組のプロデューサーはラジオ系が好きだから
音声好きもいるしみたいな
アナウンスやりたいアナウンス部もいたりとか
そういう人が集まってくるのがうちのサークルで
そんなのあったんですか?
ありましたよ
1年に2回発表の場があるんで
先輩さんの作った映像を伊関さんどこで見せてたんですか?
別に遊んでいただけなのと
友達が結構やり手だったんですけど
企業から仕事取ってきて
よくメッセとかで展示会やるじゃないですか
それの企業用のPVとかを
やってたんですか?大学生で?
はい
へー
っていうのとかもやっていたんですけど
気がついたら
コーチの世界?
はい
僕らの出会いの時に
前半でも言いましたけど
天野太郎さん
当時横浜美術館だった学芸員の
僕は天野太郎のせいで
この世界引っ張られたけど
天野さんのおかげで
お前ら千葉大同士だろって言って会って
18:03
今至るじゃないですか
僕と伊関さんの関係って
伊関さんは天野さんとどのタイミングで会ったんですか?
その美術の世界に入ってから
私はですね
それこそ大学を出たとの話になるんですけど
大学の時は結構中村さんのお手伝いを
かなりずっとやっていたこともあって
ほぼ大学行ってないんですよ
卒業したんですか一応?
卒業してます
ちなみに取得単位もすごいですよ
なんだかんだ言って180単位ぐらい取ってます
それはすごい
単位は1,2年でほぼ取り切ってぐらいのペースで
めちゃくちゃ偉いです
僕なんか逆にうちの学部は発論ないんで
最後ズルズルしすぎたせいで
4年の後期で34単位取らないと卒業できないところまで追い込まれて
地獄じゃないですか
奇跡の卒業をしたんです
そういうこともあって
卒業できて
ただ私たちの頃って票が決まったじゃないですか
そんなことをやってたこともあって
就職活動に乗り遅れたんですけど
全く拾ってくれるような会社とかあるわけないんですよね
教員採用試験ももともと教員を目指してたわけでもなかったりしたので
受けない方がいいなとは思って
そっちも受けていないのと
私千葉でも小学校の教員採用が20%台とかなんですよね
結構倍率が上がったんですね
めちゃめちゃ普通だったらそんなのありえないぐらいの
倍率というか採用がなかったんですよそもそも
そんな時代だったので仕事にあぶれてしまったんですよ
そんなところでちょっとフラフラしてたところで
大学の先輩からちょっと声がかかって
山口県にある秋代国際芸術村という施設があるんですね
芸術村とは言ってるけど施設なんですね
そういう名称なんですが
そこでアーティストインレジデンスの担当で働かないかと
アーティストが短期滞在するお手伝いですね
そうですねそこで制作したりとかワークショップしたりとか
色々と地域の方々と触れ合うことも手助けのようなことを
仕事にするんですけどそこで働かないかという
お誘いをいただいて行くんですよ
千葉から山口なんてだいぶ本州の一番に近くですね
そうですねバスで東京駅から出てるんですけど
21:01
それも高速バスで夜中13時間半ぐらいかかりましたね
へーそういう時代があったんですね行って
そうですねそこで働き始めて2年ぐらい経った時に
ちょっとこのままここで働いていても自分にとっていいのかっていうところがあって
ステップアップを兼ねてちょっともう1回ここを仕事をやめようと思っていたところで
当時の秋代で働いていた時の上司がたまたま横浜出張に行ってたんですね
そこでちょうど天野さんとその上司があって
人を探していると。なぜ人を探しているかというと
天野さんちょうどその時に横浜取り柄の2005年のキュレーターになったんですね
この時の横浜取り柄というのがまたちょっとひともんちゃくあった時で
あのーはいそこらへんご存知でしょうか
ぜひぜひ先輩の口から聞きたいです
もともと国際交流基金というところが横浜市と一緒に
横浜取り柄になれという事業を行っていたんですけど
毎回ディレクターというかコミッショナーというか
芸術監督を選定していたりするんですが
その時はちょうど磯崎新さんにお願いしてたんですね
水戸芸術館を作った、お馴染みの建築家ですね
磯崎さんが出したプランが結構大掛かりなものだったんですよ
それを実現するためには時間が足りないと
できれば1年、もう1年時間が欲しいということで
開催を伸ばせないかと
取り柄になれというぐらいだから普通3年に1回ですもんね
これがだから2001年に横浜取り柄になれがあって
正式に考えたら2004年にやる予定ですもんね
それが1年伸びたと、取り柄になれなのに
諸事情で1年もともと伸びてたところに
さらにもう1年伸びる可能性があるってことになった時に
折り合いがつかなくて結局磯崎さんが下りられたんです
そこで急遽ディレクターとして呼ばれたのが川端忠さん
これが前回また佐藤雅治さんが学んだという
ここに繋がってくるわけですね、いろいろと
実際に学んだ、学んだではないんですけど
憧れた川端さんがディレクター
そこで3人のキュレーターが選ばれるんです
ディレクターとして川端さんで
キュレーターとして今小金町にいらっしゃる山野慎吾さん
あとP3の芹澤孝さん
あと横浜美術館の天野太郎さん
24:01
ここで急遽チームを作らなければならない
っていうところで天野さんは人を探していると
今ちょっとある人に代わるから電話出てって言われて
そのまま出たら
お前焼きそばパン買ってこいって言ったら買ってくるかと
いや怖っ
天野太郎が一回言ったんですか
焼きそばパン買ってこいって言ったら買ってこれるか
っていう名言を私ははいと答えたんですけど
ザパシリじゃないですか
焼きそばパンだな
焼きそばパン、実際にそういうシーンはなかったんですが
それシーンはなかったけど聞いた話だと
鍋どっかで鍋やってる時に野菜がなくなったから買ってこいって言われて
いさきさん買ってきたみたいな、白買ってこいって言われて買ってきたみたいな
アイディアとか聞きますもんね
そうですね、これって言っちゃっていいのかな
大丈夫ですかね
その当時は結構
美術館からかなり隔離された
それこそ今ちょうどIR問題であれこれなっている場所の
山下不当の3号、4号ワイヤーっていう場所を
会場にして開いたトリエンナーレなんですね
その事務所っていうのも公安の中の事務室の一角を借りて
働いてたんですが
美術館でもなければ、行ってみれば文化施設もなんでもないような
部屋なのでかなり色々自由なことができてたんですけど
だいたい毎晩ある時間が来ると
天野さんが「いさき、ちょっとそろそろ行ってこい」って言って
お小遣いをくれるんですよ
で、スーパーに材料買い出しに行って
鍋を作ってみんなで食べる
アーティストさんもいたりするんですか、その場に
そうです、やっぱりそこが一番重要で
ネタが単に職員だけじゃなくて、交流の場なわけですもんね
やっぱり胸を開くっていう点では
そういう場所ってとても有効というか
とてもいい場所で
ご飯を食べながら色々とみんなの話を聞いたり
っていうのがそこで毎晩毎晩
でもそれから今度、資生堂のギャラリーの学芸になるということですね
そうですね、そこもちょっと色々あるんですけど
よく伝説、中村真里さんのお手伝いしてる時
中村さんが資生堂ギャラリーで展示をグループ展に参加して
展示していたことがあるんですよ
ライフスラッシュアートっていう展覧会なんですけど
その時の02年に
資生堂ギャラリーの中に一軒家を建てたんですね、作品として
27:02
その現場監修を私がしてたんですよ
その時は肩書きは何だったんですか?
普通に学生ですよ
その時は4年とかですね
でもその時から美術界に入り浸ってたんですね
美術界というか中村さんのところに入り浸ってた
中村さんのところにちょこちょこっていうぐらいなんですけど
その展示をしていた時に
資生堂ギャラリーの学芸員の方から
ちょっとうちでそのままバイトしないかと
監視スタッフとして
なぜならこの家説明するのに
自分たちではもう手に負えないから
そのまま入ってくれたら説明できるでしょみたいな形で
アルバイトとして働かせてもらうことになったんですね
ただその展示が終わった後も
そのまま監視としてしばらく働かせてもらってて
そうなんですか?
そうなんです。それが秋吉台に行く直前まで
ギャラリーの監視のバイトしてたんですね
そこで秋吉台に行くからということで辞めてたんですけど
横浜鳥居なりで現場で色々と作品メンテナンスしていた時に
それこそ脚立に乗ってプロジェクターをちょっと調整してた時なんですけど
下から呼ぶ声が聞こえるんですよ
振り向いたらそのシテロの時の上司で
何してんのって言われて
メンテナンスなんですけど
そこからまたちょっとその方と
つながりっていうか連絡がやり取りがあって
ちょうど横鳥居が終わって
残部処理をしていた2月ぐらいに
その方から急に電話があったんですよ
今ちょっとギャラリーでアルバイト探してるから
資生堂のギャラリーでアルバイト探してるから
もし横鳥居の後何もやることなかったから
ちょっと働かないという形で追いかけいただいたんですね
もちろんやることはなかったんで
ちょっとお願いしますみたいなことだったんですけど
資生堂に実際にアルバイトとして行き始めたら
ちょっとやっぱり人が足りないから契約社員ね
もうアルバイトじゃなくて
アルバイトだと多分
リロード時間の問題とかがあったりするんでしょうけど
そういうことも踏まえて
契約社員っていう形で働かせてもらうことになった
っていうのが資生堂の経緯です
ここでは学芸員になったと思いますか?
最初はやっぱりアシスタントとしてなんですけど
30:01
横鳥でもアマンタさんのアシスタントでしたし
最初は資生堂もアシスタントという形で入って
ちょっとずつ仕事を増えていって
展覧会を自分で企画するようになっていった
一番最初に企画した展覧会覚えてますか?
覚えてないわけないと思いますけど
一番最初に企画した展覧会というのは
それがどこまでが自分の企画かっていうところもあるんですけど
担当ということであれば
西国境さんの個展が上司と一緒に企画したものですね
それも資生堂でやった西国境ってことですか?
そうです。それが最初じゃないかなと思います
最初からも学芸になりたいってわけじゃなくて
結構流れ流れてきてる感じじゃないですか
すみません失礼ながら
でもそういう、伊関さんがだって今や
美と芸術館でもやりますけども
例えば僕がアーティストを選ぶ立ち位置だったり
いろいろやってるじゃないですか、もう最近は
審査員とかまでいろいろと
そんなことはないんですけど
たまたま回ってくるものなので
おはちです
でもそうやって自分でやるようになるってことは
ある時期から自分で新しい人も発見しなきゃいけなくなるじゃないですか
発掘というか
そうですね
どれくらい、多分今までこのゲストいろいろ出てくださったんですけど
現代アートの学芸員って多分天野さん以来だと思うんですけど
天野さんが大物についてその話したかったんですけど
現代アートの学芸員さんってどれくらい年間見て回ってるんですか
ギャラリーの新人発掘のために
それは人によって多分違うとは思うんですけど
伊関さんはどれくらい見て回ります
やっぱりちょっと見とっていうところもあるので
基本的にやっぱり見に行けるのって限られてしまうんですね
やっぱり一番多いのは東京周辺ですし
その次に京都っていうことになってきますから
京都、大阪っていうようなところになってきますので
難しいんですけど
コロナ前であればできる限り週に1回は展示を見に行く日を作って
ギャラリー行くんですか、美台とかまで行ったりするんですか
美台まで行くこともありますよ
例えば卒業展終了展はなるべく見に行くようにしてましたし
それだけでもなく普通にやっぱり展覧会も見に行ったり
っていうことをしてなるべく見に行こうとは思って動いてましたね
33:01
答えづらい質問なのかなと思いますけど
色々と見て回るじゃないですか
100人いたら何人ぐらいがこれはって思えるぐらいとかってあるんですか
割合ってどんなもんなんですか
そこはちょっとわからないところですね
本当にその時に自分も考えていることと
見た作品っていうその関係性もありますし
かつその作家が載っている時とか
そういうこともあったりしますし
グループ展で見る、個展で見るっていうこともあったり
色々条件があったり
かつそこで作家と実際に会えたかどうかっていうこともあるので
なんともそこについては言うことはできないんですが
結構この人だと思ったらすぐコンタクト取るんですか
私はなかなかちょっとそこは時間を置きます
どのタイミングで実は私ミト芸術館のみたいな
何でしょう
基本的にちょっとやっぱり
こちらの立場を知られると
相手側もちょっと多分それを作っちゃう
なんかちょっとあんまりそうでないところを見てみたいなという
いやらしさもあるんですけど
なるべくそんなすぐにはちょっと言わないようにはしていますね
でもコンタクトは取ったりするんですか
こともありますやっぱり
今まだ展覧会とかに呼んでないけど
どっかのタイミングで出したいなっていう人は結構いるんですか
それはもうたくさんいます
そういう人が他の美術館に先取られたなとか思ったりすると
悔しいとかあったりするんですか
悔しいかもしれないけどその人にとっては幸せなことなので
やっぱり自分でいつその方と一緒にお仕事できるかわからない状況の中で
先にその人がどこかで展示ができるっていうことになったら
その人にとってはやっぱり幸せなことだと思いますし
かつお客さんにとってもその方の作品が見られるということであれば
むしろ喜ばしいことかなと思ってますね
この番組で展覧会プロデューサーの藤本さんという方に出ていただいて
海外の展覧会の準備大体3年ぐらいかかりますよみたいな話を放送したんですけど
現代アートの場合って作家さんが日本に基本
海外の作家を紹介するときもあると思いますけど
例えば日本の作家の場合だったら
どれぐらいその仕込みというか準備ってどれぐらいするものなんですか
それはやっぱりまちまちですね
例えばじゃあ今回佐藤雅春さんの展覧会の場合は
1年半ぐらいかな1年半弱ですね
どこから始めるんですかまずやりたいなって考えて
元々はこれちょっと今回は
元々佐藤さんの作品は私も結構好きで見ていたっていうのはあって
36:04
特に伊達巻がもう伊達巻を見た時の衝撃は忘れられないんですけど
ずっと佐藤さんの作品を見てきてたんですね
そんな中で実は佐藤さんが亡くなって
佐藤さんの作品集を作ろうって話があったらしいんです
それを受けて最初は故郷である尾板の美術館さんに話があり
またこちらにもその話が来て
取り入れにつながるからってことですね
そうですね
一緒にやりましょうという形で進んできたものですね
私たちは小板さんの方から一度ご連絡をいただいてという経緯になるんですけど
今まで伊貞さんが完全にもう一から全部自分でやったっていう展覧会
見遂げだと何かありますかこの展覧会
一からだと藤森テルノブースの建築家建築士科の藤森さんですとか
あと内藤玲さんに関しては一からここで作ったものですね
どっちも当然見させていただきましたけれども
ありがとうございます
どっちの方が思い入れが強いんですか
それはどちらもですね
カラーが違いすぎますから
せっかくなので両方紹介してもらいましょうか
藤本テルノブ展
建築家は藤本さんの展覧会ですね
藤森さん
藤森テルノブ
藤森テルノブさんはもともとは建築士を学ばれて
それこそたくさんの本を書かれていた方なんですけど
45歳というお壮さで建築家としてもデビューされて
以来すごくユニークな作品を作られてきた方なんですね
一番彼の作品の中で大規模なものが和菓子屋さんの種屋さん
皆さん百貨店とかに行くと必ず地下にある種屋さんって
知ってると思うんですけど
その種屋さんの本社屋として作られた
草屋根、胴屋根という作品があるんですね
それが非常に評価を受けているものなんですけど
今も今お年75とか74とかされてる
しかも今江戸学の館長されてますね
そうです
ちょうどこの藤森テルノブ展が決まった頃に
館長に就任されていて
私もびっくりしたんですよ
美術館の館長が他の館で展覧会行ってるっていう
すごい特殊なことが起こった
そうです
最初にもちろん呼ばれ
ご自宅自体も作品なので
拝見させていただいたりとかしたんですけど
ある時いきなり打ち合わせここでお願いしますって呼ばれたのが
39:02
両国の江戸博で
なんでだろうと思いますよね
そうなんです
行ったところでいきなり実は館長になりましたみたいな
ものすごい驚いたんですけど
あの展覧会もすごかったのは僕は覚えてて
ありがとうございます
藤森さんが作った本社屋
それこそタネ屋の本社屋かなんかの会議
社長室かなんかの椅子とかも展示されて
座ってよかったんですよね
そうです
会議室みたいな感じになってテーブルもあって
よく藤森さんの建築ってジブリっぽいって言われるじゃないですか
一般的に
その時の味のある椅子とかがあって
こんなのがあるんだよって先輩に教えてもらったから
あれじゃ今本社屋
社長室の椅子どうなってるんですかって聞いたら
展覧会のためにパイプ椅子になったらしいですよね
こっちからするから
すごいなって思います
借りてきちゃったの
社長の椅子も本も
あの店なんかやりきって
いろんなところから借りてましたもんねだから
そうですねやっぱり物が多くて
例えば岐阜の田嶋市にあるモザイクタイルミュージアム
っていうところがあるんですけど
そこはもともと田嶋ってタイルで有名な町だったんですが
近年はどんどん輸入のタイルにされて
生産数が減ってしまってるんですね
ただそのタイルを作っていたっていうことを
継承していきたいということで
建てられた建築なんですが
ここがまたユニークなんですよ
山をいきなりスパンとバウムクーヘンのように切っちゃって
そこを切った断面が露出してるような設計なんですけど
ここはもう全面内側タイルを多用して
それこそ古いものから新しいものまで
タイルをどう使うかということですとか
タイルの歴史についてとか
そういったことを学ぶことのできる
とてもユニークな美術館なんですが
こちらからワークショップで作ったタイルカー
っていうのがですね
車だ、全面タイル
全面タイルを貼られた車がありまして
それも借りてきました
そうですよね
ありったけアラルームの借りてきた感じですよね
強奪ですよね
美術館から来たら
人んちのあと、邸宅の中の家具借りてきたりとか
そうですね、本当に小仁拓さんから
テーブルと椅子のセットを借りてきたりとか
いろいろご迷惑をおかけした展覧会ではあるんですけど
すごく賑やかな展覧会だなっていう印象が
強かったんですけどね
そうですね、ありがとうございました
それの後の『ナイトー・レイ』って今度真逆の
ザ・シンプル
何もないって言ったら失礼ですけども
42:02
裏の展覧会でしたよね
そうですね、作品の点数としては108点あったんですけど
全部で
『ナイトー・レイ』さんという
多分皆さんが思い浮かぶというと
瀬戸内の手島にある
手島美術館
パート好きの方だったら
もしかしたら見てもわかるんじゃないかな
そこに作品がある方ですよね
『ナイトー・レイ』さん
そうですね、ナイトーさんの展覧会に関しては
まず皆さんってあまり
展覧会になった美術館の中っていうのは
見たことあると思うんですけど
何もない展覧会の空間
展示空間っていうのをご覧になったことって
ほとんどないと思うんですね
展示、だから学芸人さんとか美術館の人は
展示会の期間で見てるけどとですね
何もない、ガランとした展示空間
皆さんあまりご覧になったことがないと思うんですけど
結構私たちって
ちょうど展示会のタイミングで
何もない状態で見ることができるんです
そこでどういう展示を作ろうかなっていうことも
やっぱりいろいろ考えたりしていくんですけど
私も結構
まだナイトーさんの展覧会をやることを考えた時っていうのは
入ってすぐの頃だったんですね
まだこの空間どういう空間なのかなっていうのを
自分でこう
自分の体で確認するように
いろいろと歩いて見てたりしたんですけど
その中でこの空間でやるべき展覧会って
どういうものなのかなって考えた時に
ふとナイトーさんの作品が浮かんできたんですね
結構実は早い段階から
ナイトーさんのことは
展覧会でっていう構想は立てていたのと
ナイトーさんにもアプローチはちょこちょこしてたんですけど
スケジュールがなかなか合わなくて
ちょっとズルズルと
ちょっと今忙しいからっていう形で
お断りを何回かもされてたりはしたんですけど
何回かお願いしていくうちに
じゃあちょっと会場見に行くだけでもみたいな形で
話を進めていくことができたんですが
実際にナイトーさんの作品
実験すると本当に何もないんじゃないかっていうぐらいに
それこそ繊細な作品を設置されていくんですね
例えばうちで一番見えなかった作品
っていうのが展示室3の大きな
非常に天井高の高い
13メートルっていうセンスですね
13メートルの空間に
紐糸が2本だけ垂れて
天井から吊るされてる感じですか
実際に10メートルぐらいの高さから
紐糸が垂らされるっていう
1本2本
普通はよほど目を殺さないと見えないんですよ
それはどういう意図の作品?
45:01
それはですね、いろいろあるんですけど
結構ナイトーさんって自然の中にある
彼女は音鳥って言うんですけど
様々な自然の恵みを可視化するような作品を
作っていると思うんですね
例えばですけど
糸を1本垂らすだけで何がわかるかっていうと
まず重力がないと降りてこないと思うんです
なるほど
かつ光がないと見えないんですよ
きらめくとちょっと糸が見える
そうですね
たまたまその展示室っていうのは
天井にピラミッド型の天井窓があるんですね
そこから自然の光を取り入れることができるっていう空間なんですよ
そこから入ってきた自然の光で
その糸がほんのちょっと風で揺らめくときに
キラッと光って見える
1回人間の目って
その対象にチューニングが合う
視点が合うとだんだんと見えてくるようになるんですね
面白いことに
それを一旦認識したことによって
その存在そのものを私たちは知覚することができると
それを知覚することによって
光であったり重力であったり
あと空気
実際に風でほんのちょっと人がそこを動いているだけで
繊細にその気抜いとっているのは空気の動きを感じ取って揺らぐんですよ
そういったものを可視化してくれる作品だったと思うんですね
今みたいな説明を聞くと腑に落ちるじゃないですか
一般の人でも
これは伊関さんが自分で導き出すのか
それとも内藤さんに
例えば内藤さん急に気抜いと垂らした時に
なんすかそれって聞きづらいじゃないですか
聞くことはあんまないですね
なんすかその作品がどういう意味を持っているかっていうのは
やっぱり内藤さんには聞いたことはないですね
じゃあ今の説明とか内藤さんにこの説明でいきますとか言ったり
どういう感じなんですか
はしないですそれも
ただもちろんそれまでに内藤さんの作品について
多くの方々学芸員とか
日曜日の方々とか書いているテキストをもちろん読んでもいますし
内藤さんと話していく中で
展覧会を一緒に作っていく中で色々と話していきますよね
その中で内藤さんが何を表現したいと思っているのか
何を見ているのか
何を彼女はここで感じているのかというのを
ちょっと自分なりに考えながら
っていうところが多いですかね
例えば自分の担当する展覧会の作品に関しては
多分さすがにないと思うんですけど
48:01
たまには全然わかんないみたいな
この作品の意図が全くわからないみたいなことってあるんですか
もちろんありますよ
本当ですか
しょっちゅうです特に自分が担当していないというか
どこかで見に行って見た作品が
これ何なんだろうって
頭を抱えるものはたくさんありますよもちろん
一般の人って現代アートってよくわかんないって思うじゃないですか
でも学芸員さんはもう全部わかっている
学芸員さんとかやっぱり美術関係者だったら
わかっていると思っていて
だからわかんない自分って現代アートを見る資格ないんだろう
ってなっちゃってるかなと思うんですけど
そんだけ見てる伊貞さんでもわかんないものはわかんないですね
わかんないものはわかんないですね
その時は聞いたりするんですか
さっきから捕まえて
もうわかんないからこれどういうことって聞いたりします
聞くこともあります
聞いて見落ちるパターンと聞いてもわかんないって時もあるんですか
もちろんそれは両者ありますね
もちろん両者ありますし
例えば作家がいなかった場合でも
例えばギャラリーの人
ギャラリーだったらギャラリーの人に聞くことはできるんですが
美術館だと学芸員に聞くってやりづらいので
そういうことはしないんですけど
もちろんそういうことは多々あります
じゃあ別に現代アートを見てわかんないからって言って
皆さんが構えたり
やっぱり美術自分には現代アートがあった方がいいって思わない方がいいんですね
そうだと思いますよ
例えばですね
これ私が2005年に横浜トリエナーレで働いてた時に
それこそディレクターだった河又さんが言ってた言葉なんですけど
アーティストが一生懸けて作ってるものを
そんなちょっと見ただけで
分かった風になるなっていうようなことを言ってたんですね
分かるわけがないだろうって
それはすごく重要な言葉だったと思うんですよ
アーティストにとっても何となくこれ簡単に
理解されるっていうのはあまりいいことじゃないと思うんですね
かつ言葉にできないことを作品にしているアーティストって
たくさんいると思うんですよ
それがなんか自分では言語化できないっていうこともあるでしょうし
あえてそれを伏せているってこともあると思うんです
それを言ってしまったら言葉ってやっぱりすごく強いじゃないですか
それ言葉として理解してしまったら
そこまでになってしまうことってあると思うんですね
言ってみれば納得してしまうっていうことがちょっと怖いと思うんです
現代美術において
今僕もいつも思ったんですけど
他の印象派見たりとか同尺集とか見た時に
いいなとか悪いなとか自分に合わないなとか好き嫌いっていうのに
なぜか現代アートに関しては分かるか分からないなって
気がするよね
印象派の作品見た時にこれ分かるって言わないじゃないですか
みんないい作品に関して
ここは確かにちょっと現代アートを勝手に難しく思ってる
51:03
別に分からなくてもいいなってもいいということですもんね
むしろ分からないことの方が重要だと思うんですよ
分かることってあえて学ぶ必要がないじゃないですか
分かってることっていうのはもうすでに自分の中にあるもの
かつそれを確認する作業になっちゃうんですよね
分かってることって
そうだよねっていうことで
でも分からないっていうことを
それを自分の中でどう捉えるかっていうことの行為の方が
実はとっても重要だと思うんですよ
分からないことっていうものを
もちろん分からないままに置いておくことも重要だし
それを分かろうとする行為もすごく重要だと思うんです
そこに結構現代美術の面白さというものもあるんじゃないのかなとも思います
すごいいい言葉で教師もありったんですけども
最後にですね
ちょっとサプライズというのも変なんですけども
天野太郎という男から伊籍さんへのメッセージを預かっております
え?ちょっと
急に休み始めましたけど
大丈夫ですかどうしました
いやいやいやちょっとやりづらいですね
応用が読み上げますね僕の方で
ってことはこれ聞くってことですか
聞くと思い
今日はお映画収録であることも伝えてありまして
はい来ております
天野さんから伊籍さんへのメッセージです
ちょっとこの番組は音楽使えないんですけど
皆さん脳内で16小節のラブソングを流して聞いていただければなと思うんですけど
この世は一つの鏡である
この鏡には皆自分の姿が映る
だから君が額に八の字を浮かべて鏡に向かえば
鏡も八の字を寄せて君を睨み返し
君が微笑みを浮かべて鏡に対すれば
鏡も微笑みを持って君に答える
明日死ぬと思って生きなさい
永遠に生きると思って学びなさい
そしてお世話になった退職者をいたわり
ビールなどをご馳走しなさいとのことです
はい
ありがとうございます
しみる言葉ですが
なんかあの適当に送ってくれって言ったんですけど
適当はやだって言って
ちゃんと時間をかけて書きたいって言ったんで
これが届きましたんで
やっぱりあの天野さんは真面目ですね
最後ちょっとビールで何とか言いたかったんでしょうけどね
一応あの私
今年退職祝いにおいたから
麦ちょうちゅう二つ送ったんですけどね
本当ですか
いたわってはいるんですが
麦は麦でもビールが欲しかったんじゃないですかね
いやそれ限定のすごいおいしいやつだったんですけどね
確かにそれに彼女は言わなくまだ要求してくれます
多分そういうことなんだ足りないってことなんでしょうね
ちょっと怖いですねあの人本当に
この番組使ってまでこれを言ってくるっていう
フリーになってなお一層自由ですからね
お互いあれですねこの伊関先輩と僕がだから一生逃れられないんでしょうね
54:01
あの呪縛からみたいな
おそらく
いや本当にいろんな話を聞きたかったんですけど
もうちょっとあっという間にお時間になってしまったんですが
改めて告知をしたいなと思います
伊関大先輩が担当された里正晴美子
存在の不在の存在は
水戸芸術館現代美術ギャラリーで
2021年11月13日から
そして2022年の1月30日まで開催しております
ぜひ足を運んでいただきたいなというふうに思います
はいということで収録をやってみての感想を
最後いただけたらなと思うんですがどうでしょうか
そうですねやっぱりあのトニーさんの司会が
抜群にうまいなという
いやまた褒めても何も出ないです
僕もピーロを出さなきゃいけないんです
私お酒飲めないので
ビール以外でお願いします
でも本当はあのトニーさんとは知り合っても
かれこれも15年近くなるんですね
そうなんですね
でもさすがに15年は経ってない
経ってないいつぐらいですかね
僕がアトテラやって今13年目なので
13年じゃあもう本当に
なり始めた頃じゃないですか
そうだから僕がまだアルバイトしてる時代からですから
横浜美術館のイベントっていうのが13年前
はいそれぐらいですね
じゃあもう13年で初めてのお仕事ですよね
確かにそうですね仕事としては確かに
プライベートにいつもお話しして
あれですもんね美術館に行ってはって感じなので
じゃあ今度いつか美と芸術館呼んでいただく時があれば
いつでも駆けつけますね
本当ですか
はいぜひその時はよろしくお願いします
またぜひこの番組
次の展覧会とか決まったら
ぜひ告知を兼ねて出ていただけたら
嬉しいなと思っております
ありがとうございますこちらこそ
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