1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #91 レヴィ=ストロースが先住..
2023-03-08 1:01:46

#91 レヴィ=ストロースが先住民族の研究から見出した人間観

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(音楽)
はい、スルテッドラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はレビィストロースのさらに具体的な話ということだったんですけれども、どんな感じの話になっていくんでしょうか?
実際にどんな研究をしたのかという話ですね。前回も婚姻関係とか先住民のフィールドワークがあったと思うんですけど、その話をしていきたいなと思います。
はいはい、ブラジルとかで何やってきたかという話ね。
ブラジルとかでやったことを求めた感じはあるんですけど、細かく見に行って、それはそれで楽しかったりとか、それを好きな人もいるかとは思うんですけど、
スルテッドラジオの奥蔵でやっちゃうと、細かい話になりすぎちゃうので、大まかなところを掴みながらお伝えしていきたいなと思っています。
今回のお話を聞いて、むしろ具体的な、どういうふうに証明していたのか知りたいという方は、レビィストロースの『親族の基本構造』という本がありまして、
図書館とかに多分入っていると思うので、買っていただいてもいいし、図書館とかで借りて読んでみていただけると、今回のような話を前提にすると、そういうことだったのか分かりやすいと思うので。
レビィストロースの親族というのは親戚とかだよね。
そう、親戚とか。
親族の基本構造ね。興味ある方はぜひ。
では早速ですね、レビィストロースが何の問題に取り組みましたかっていうと、一言で言うと、隠蔽とタブー、要は謹慎相関ってあるじゃないですか。兄弟とか、いとことかと結婚できないとか、男女が子供じゃダメみたいな。
隠蔽するという現象があって、これって何で突然って思うと思うんですけど、実は日本でも民法で、直系結属または三親等内の母系結属の間では婚姻をすることができないって実は民法で定められてるんですよね。
ちゃんと決まってるんだね。 そう決まってる。だから兄弟で、僕らは男同士だからそもそも日本では結婚できないけど、もし結婚とかしちゃうと民法違反なんだよ。
えー、犯罪行為なんですか。 犯罪っていうか、民法違反。法律で判してるんだよ。
へー、そうなんだ。 なんとなく、それのないじゃんとか、謹慎相関って言葉自体がよくないみたいなイメージはあると思うんですけど、なんでって考えたことないと思うんですよね。
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そうだよね。確かに確かに。
よく言われるのが、多分理科とか生物とかで習ったかもしれないですけど、遺伝子?近いところで結婚し続けて子供が生まれちゃうと病気になっちゃうとか、発達の障害が出ちゃうみたいな、そういうのってよく言われたりするんですよね。
なんかその確率が高まるみたいなのは確かにやった気がするね。
実際そのヨーロッパの王族でハプスブルグ家っていうところがあるんですけど、そこが親戚同士の結婚とかめちゃめちゃしてて、要は王族同士で結婚してるからね。
例えばそれで病気がちだったとかって話もあったりするんですけど、実はそういうよくよく調べてみると、王族とかいわゆる血族とかだけじゃなくてめちゃめちゃ広い範囲で隠蔽層、要は近親相関にあたるから結婚しちゃダメみたいな、
そういうのを設定している部族っていうのが普通に見つかるんですよ。要はレアとかってよりも普通にそういうのがたくさんあります。
そうなると、なんか西洋的な、前回さ、西洋的な感覚で野蛮人みたいな人たち、野蛮人って言ったらあれだけど未開示みたいな観点で見ちゃうと、
なんかよくわかんないから、なんかすごい広い範囲で、やっぱ禁止しちゃってんじゃないみたいな、本当は自分の血族とかだけ見ときゃいいのに、
よくわかんなくて怖いから、なんかバフッと制限してるんでしょみたいな、そういう捉え方になっちゃうんだけど、実はそんなことはなくって、
めちゃめちゃ機能的な観点とか、数学的に見ても、適切な、そういうインセストタブーみたいなのを設計しているよね、みたいなことを解明したのが、リビストロースの初期の主な功績ですと。
そうなんだ、これはなんでこんなことをやろうと思ったんだ、リビストロースは、そもそも。もちろん哲学的なアプローチから疑問に思ったことはあったんだろうけれども、
すごい着眼点というか、どんな仮説を持ってこれに挑んだんだろうっていうね。
なんでそこにテーマというか、目を向けたかっていう話なんですけど、結局はそれまでの人類学って、要は二次情報とか三次情報から結構やられたケースが多かったんだよね。
要は、フィールドワークみたいな言葉というか、そういう取り組みはまだそんなにない時代だから、そんな簡単にブラジルとかに行けるわけじゃないですよ、ヨーロッパの人が。
06:09
別に今みたいに、ちょっと旅行でとかって感じじゃないので。
っていう中で、やっぱりそこに住んでいた人から、その西洋人から聞いたとか、もっと言うと、西洋の目線から見た先住民のことを語るみたいなことがやっぱり多かったんだよね。
なるほど、マルコポールの東方見聞録的な、それを見て研究するみたいな話か。
そうそう、そんなイメージ。
それ、レビストロース以前みたいなね。
そこまで行くと間違いちゃう、古くなっちゃうけど、本当そのイメージ。レビストロースは実際に自分で行って、そこで住んでいるっていうところから、これ多分天才的だと言われてるんだけど、その地域の人の考え方とか、物の見方で、その人たちのことを語るっていうのができたんだよね。
それはもう、やっぱり、後世から人も天才的だと評価されるぐらいの営みなんだ、レビストロースのそれは。
そう、やっぱり、これはちょっとまた反省ちゃうんだけど、レビストロースの手法は一般的にできることなのか、レビストロースだけができることなのかが難しいみたいなこと言われてる話もあって。
めちゃくちゃアーティスティックな才能なのかもね。
そうそう。
やっぱり、先住民の側に立ち続けるだけじゃなくて、ちゃんと西洋的なというか、当然哲学を収めてる、第一回にすごい天才的なというか、すごい優秀な人だったわけだから、そっちの文脈でも重ねると、両方をもって研究したっていう感じなんだよね。
なるほど。ただの適応能力が高いとか、共感能力が高いとかだけじゃないってことなんだね。
そうそう。
さっき言った通り、いろんな後、後院関係、親族の関係って、まさにさっき言った親族の基本構造っていう話なんですけど、親族構造って実はめちゃめちゃ社会構造と密接に繋がってるっていう話があって。
それはレビストロース以前からかな?
以前から。
そうなんだ。
以前から。なぜかっていうと、国家とか統治組織を持たない人間の社会なんていっぱいあるわけだよね。いわゆる先住民とかいう人たちの中では。
その中で何が部族とか民族の基本構造になるかっていうと、それは親族関係なのよ。要は長老が治めているとか、結婚することで部族が大きくなるみたいなことが、基本的には部族の構成っていうのにかなりリンクしている。
09:00
はいはいはい。
だから親族の関係を解明していくっていうのは、そもそも当時の民族化としてもあったんだけど、人類学としてもあったんだけど、親族になるかならないかっていうのは要は婚姻関係で決まるじゃん。
結婚するとそこが親戚同士になるみたいな。それは日本も近いんだけど。ただその時に、例えば女性の側が別の民族というか親族に入るのか男性側が入るのかとかも違うし、
そこの生まれた子供を社会全体とか親族体系全体で育てるか、親の方が育てるか、父親の方が育てるか、母親の方が育てるかとかっていうのもいろんなバリエーションがあるよね。
はー、その民族だったり世界にはいろんなバリエーションがあるよって話ね。
はいはいはい。
それを解明することが、そういう民族とか部族とかそういう人間の原始的な集団っていうものを解明することに繋がるよねっていうような課題設定があります。
なるほどね、そっかそっか。今の感覚からすると生物学的な、人間とはそもそもこういうふうにできているだけじゃなくて、そもそもそういうふうにできているというよりも、いろんなバリエーションあるじゃん、なぜやみたいなところをちゃんといろんな切り口で、すでに話はあった上でレビストロスがそこにアプローチしたって話なんだ。
そうそうそう、まさにまさに。
自分が人間というものを知る哲学分野っていう自分の疑問点というものを解消というか、仮説を証明する人間って、一個一個の、元々の個性みたいな、ある意味生物学的だったりとか、
正義を正解、みたいなものだけじゃないってものを、自分で確認するためのフィールドワークだったりとか、禁止・依存化の禁止、インセスト・タブー、それにアプローチする必要があったってことなのか。
そうそうそうそう。逆に言うと、それをやっぱり現地にいて感じたからこそ、ある種の研究対象にしたっていう構造もあると思うんだけど。
まあまあ、どっちも先かはあるけどってことか。
そう、でも、今兄貴が言ってくれた通りで、例えばさ、僕らってなんとなく親子の愛とかさ、夫婦の愛とか、それこそ僕らは忠告的なというか、いわゆる儒教的な考え方があるから、徴用の女みたいな、やっぱり年上を敬いましょうとか、
やっぱり、ある種、昔の考え方で言うと、やっぱり例えば女性っていうのは、まず結婚したら旦那さんに従って、年老いたら子供に従え、みたいなさ、そういうふうに言われた時代もあったわけじゃん。
12:08
それっていうのは、やっぱりちょっと忠告的なというか、そこから入った日本風の考え方なんだよね。
ただ、例えば世の中を見てみると、夫婦は人間間では決して親しくしてはいけないとか、父親と子供は口を切っちゃダメだとか、そういう社会主弾が実際にあるらしいのよ。
そうなんだね。 そういう時に、夫婦とか親子っていうのは親しくあるべきみたいなのも、人間の生物学的なというか、素朴な感覚ではなくて、
そういう親族構造とか社会構造っていうものにある種、規定されている、影響を受けているよね、みたいな。
なるほど。 家族の情みたいなことを言葉で言うとしても、それも無数に、無数とは言わないまでも、いろんなバリエーションがあるよねっていうのが、まずこの時のレヴィストロースの一つの発見なんだよね。
はいはい。まずそういうことがあるぞっていうところからね。
それだけだと、ただの発見というか、ちょっとそういうのを見ましたじゃん。 うん、そうだね。はいはい。
レヴィストロースがすごいのは、それを要は構造、まさに構造主義の構造に近いんだけど、切り取る要は、そのいろんなバリエーションの中にも絶対パターンがあるはずだと。
そのパターンを、いわゆるよくロジカル神経がやると思うんだけど、この2×2の軸で、マトリックス作って、第1証言、第2証言、第3証言、第4証言みたいに、振り分けるとかってやったりするじゃないですか。
まさにその軸をセットしたんだよね。 へー、そうなんだ。
その軸をセットした時に、この部属っていうのはこういう風に分解できるとか、この全体の中にマッピングできるから、これで神族の基本構造を解き明かしたって言ったのがレヴィストロースです。
ほー、そうなんだ。これを社会というか、そういうマクロ的な視点から2×2を切り取って、そうやってやったんだね。
そう。しかもそれが結構当たってたっていうので、やっぱりすげーなったんだけど。 そうか、そうか、そうか。
どういう風にそれに取り組みましたかっていうのが、まさに前回から言っている婚姻関係なんだよね。
婚姻関係というか、もっとリアルに言うと、さっきインセストタブーって言ったじゃん。結婚しない間に相手を設定するっていう話なんだけど、これって何をしていると考えたかっていうと、
15:00
男性目線で話を聞いてほしいです。女性の方には申し訳ないんですけど、なぜかというとレビィストロースは女性を動かせるものとして考えているので、
ちょっと男性視点で一回捉えさせてほしいです。このジェンダーレスの21世紀において申し訳ないんですけど。
それはレビィストロースの価値観の話をしているの?それともこの話においてはの話をしているの?
価値観で別に女性が産んだとかではなく、研究的に女性を動かした方がやりやすかった、解明しやすかったって話なんだよね。
そこは現実そうなってるっていうよりは、現実を見た時にパターン化するにあたって、部族の人が女性を扱っていたかどうかはともかくとして、レビィストロースは数式化というかモデル化するにあたって、そうした方がやりやすかったよって話を。
うまく説明できましたよってことかな。
レビィストロースは別にそういう女性差別者だったみたいな話ではないと思う。
そういう話では全然なく。単純にそういった現象をパターン化する時に、男性側の目線に立って女性側に動いてもらう方が説明しやすかったっていう話。
はいはいはい、理解しました。
なので、このソイテッドラジオもフラットなので、ジェンダーとかを入れてるわけではないというのは、その前提として理解いただきたいんですけれども。
男性側の目線に立った時に、インセスタブーが何かっていうと、要は自分が結婚できる女性と結婚できない女性の区別ができますと。
そうした時に、そこにある種、女性を交換するっていう観点が出てきますと。
プレイヤーは誰だ?誰と誰が交換するんだ?
要は部族同士とか、民族同士。要はインセスタブーの中と外っていう区分けがあった時に。
ああ、そうか。さっき親族みたいな言葉を使っちゃったけど、仮にその部族のインセスタブーで繰り入ったものが親族だったとすると、
親族以外としか結婚しちゃダメだよという概念が成り立って、親族Aと親族Bで、今の話でいうと女性が交換されますよみたいな話ね。
そういうこと。逆に言うと、インセスタブーはそもそもあるんじゃなくて、その区分けを作ることで、結婚できない男女がいる我々と、結婚できる男女を持つあなたたちっていうのが分かれますよね。
18:07
っていうのが、ある種部族とか民族の区別の始まりだよみたいなことを言ったりするね。
境界線はどうやってできるんだって話だね。
そういうふうに、男性目線の話は続くんだけど、自分たちの部族、インセスタブー内にいる女性とは結婚できません。そうなると別のところからある女性をいただかなきゃいけない。
自分から見て、結婚できる女性と結婚できない女性がそれぞれ出てくるわけじゃないですか。それは相手部族にとってもそうなんだよね。
ルール上ではそうだね。 例えば、僕が部族Aの男性で、兄貴が部族Bの男性だとしましょうと。だから、僕が部族Bの女性とは結婚できる時に、兄貴は部族Bの女性とは結婚できないわけよ。
そうだね。 そうなると、僕は兄貴の例えば、兄弟、姉妹と結婚できるし、兄貴は僕の姉妹とは結婚できるとなると、そこに要は交換が発生します。
俺たち兄弟だから、日本の法律で考えると間に合わないけどね。 そうそう。そういう交換が成り立つというのが、隠蔽者分のある種の意味なんだと考えたのがエピストロースです。
そこにたどり着いたなって感じ。 話した親族の基本語をぜひ読んでほしいんですけど。
ここで言いたいのは、人間がいて、隠蔽者がいて、交換できる相手がいるから親族が生まれるという、個人から進んでいる話ではなくて、社会構造がある。
その中に親族構造や部族構造があって、その構造に基づいて、結婚相手を含めて人間のある種選択できることが決まっているという、まさに前回のマクロ的な考え方なんだよね。
はいはいはい。 だからこそ、さっき言った通り、なぜ女性の話をしたかというと、男性に比べて集団が持続するような子供を産むに対して、女性の方が価値が高いんですよ。
21:05
これは別にルビス・ローソンが言っていることではないんだけど、女性が妊娠して1人の子供を産むというのは、基本的には1人しかできません。
やっぱりそのある種、女性がそもそも集団の持続に必要だみたいな、そんな話をすると、女性を子供を産むために、みたいな話だったかもしれないけど。
ちょっとそれは置いといて、研究の話をしたときに。
要は、そうなると別に自分の兄弟姉妹と結婚して子供を産んでもいいじゃないですか。
人を増やすことだけ考えれば、自分たちの種族、家族とか、人数を増やすだけだったらそれでいいじゃんと思う。わざわざ探してきて、別の部族と交渉ってさ、いらなくても。
そう、わざわざね。それもあるし、民族って関係があるとそうなります。ただ、やっぱりその集団内だけで、その価値を消費し続けるっていうのは、やっぱり人間にとっては、部族の本質的な持続性っていうのは低くなっちゃうんだよね。
部族に女性が生まれなくなったら、もう終わりなのかってなっちゃうじゃん。男性が生まれるか女性が生まれるかってわかんないから、仮に男の子が生まれない時期があったときに、その民族が滅びるんですかって話になっちゃうよね。
まあ、そっか。そうはね。男女のどっちが生まれるかだけでもそうだし、なんとなく思ったのは、感染症とかあった時に、同じような遺伝子ばっかりだと全滅しちゃいそうだなとか、そういった意味での対応性も確かに担保できなさそうだなとは思った。
そういうのももちろんあるとは思うんだけど、だからこそ、部族とか民族同士がちゃんと交流をしておくとか、お互いの財、いわゆる価値あるものっていうのを交換するっていうのが、そういった人間社会というか、そういった部族社会の前提にあるよねっていうことを言うのね。
なるほどね。今、部族の中での個人的な遺伝子的な感染症に強くなるというかね、そういう痛みの多様性ってあったけども、面白いね。
24:02
確かにマクロで考えると、その部族の多様性みたいなものを考えた時には、文字通り外の血を入れるみたいな話がすごく重要になってくるってことなんだね。一人一人の個体だけじゃなくてね。
逆にそういうふうに、まさにその外の血を入れるみたいな人だけじゃなくて、いろんな財とかサービスとかも含めたものを入れようとするためには、まず自分からある種を受け渡さなきゃいけない、贈呂をしなきゃいけないっていうことを考えます。
欲しかったら、まず自分から与えよみたいな、ギブみたいな精神なんだけど。
これはレビストロースが言ってる話ね。 そうそう。これがまさにモースっていう人が考えた贈呂論みたいな考え方がふんだんに生かされてるんですけど。
贈呂論。へー、そんなのあるんだ。
結構人っていうのは、そもそも本性的に何かに与える、誰かに与える。そうすると返さなきゃいけないっていう感覚になるっていう発想があって。
バレンタインとかもそうじゃなかったら、もらったらもらいっぱなしって気持ち悪いなとか。そういうのがあった時に、むしろもっと言うと、そういうふうなことができる。
これは進化人類学的に言うとだけど、そういう人だけがある種生き残ってきたというか、そういう民族だけが残ってるよねみたいな話にもなったりがするんだよね。
なるほど、なるほど。
さて、それが交換だとさ、例えばさっき言った部族Aの僕と部族Bの兄貴みたいな感じで一対一で閉じちゃうけど、当然部族C、部族Dって言った時に回り回って帰ってきたらいいんだよね。
なるほど、なるほど。いわゆる一対一じゃなくても、自分がABCDって言った時にBにあげたんだけど、DからもらうよとかCからもらうよみたいなことが成り立つってことだね。
みたいなことがあった時に、ある種民族同士の繋がりとかネットワークができてくるんだけど、そういうふうに例えば自分の部族で持っている財力は何でもいいんだよ。例えば貝殻とか牛とかでも何でもいいんだけど、そういうのをロソンス代に出すことで、そこが回り回って自分らの集団に必要なものは帰ってくるっていう、そういう構造を作っています。
なるほど、そういうルールになってますってことだね。
そう、ルールをやってます。そのルールのために必要なのがインセストタブー。
そうなんだ、そのルールを成り立たせる、さらにそのルールがインセストタブーみたいな話なんだ。
成り立たせるためのルールっていうか、そういう女性の贈与、今は男性視点で立っているから、女性の贈与と成り立たせるために必要なのがインセストタブーで、要はこの人たちは結婚相手ではありませんっていうルールを作ることで、
27:09
じゃあ自分とこの人は結婚できないから、この女性は別のところにある種渡さなきゃいけないですと。それが部族同士とか民族同士で成り立っていることで、ある種滞りなく結婚と婚姻関係というところを見た時の女性の贈与というのが行われますよというのがレビューストロースの考えたこと。
ヨウ:さっき、今って女性の話してるけれども、さっき物とか牛とかでもいいみたいな食べ物でもいいみたいな貝殻でもって話あったんだけれども、それも同じってこと。このインセストタブーっていうものの上に成り立っているって話だったかな。
ヨウ:同列ではなくて、それがあるから、その部族として、そういう交流関係があるからこそ、そういう物とかの交流もされるんだよみたいな。どこまで行ってるってことかな。
ヨウ:そこは結構平行で、一応レビューストロースはコミュニケーションの基本として3つと言ってて、まさにいわゆる女性と婚姻関係というものと、財とかサービスという経済関係、また言葉とか手紙みたいなメッセージの交換。
ヨウ:言葉。
ヨウ:その3つのある種、贈与とか交換という活動があるっていうふうに言っていて。
ヨウ:そうなんだ。
ヨウ:たぶんさ、いわゆるさっき言った貝殻とか牛とかっていうのは、やっぱり地理的条件に左右左右じゃない。特産物として取れる取れないとか。
ヨウ:自分のところで取れないものを相手からもらうっていうのが、地理的な条件で基づけられているような交換の形態なんだけど。
ヨウ:でも、女性とか婚姻関係ってさっき言ったみたいに、隠蔽サブがなかったら別に女族内で子供作った方がいいじゃんってなっちゃう。
ヨウ:っていうと、贈与関係がそもそも生まれない。
ヨウ:ので、あえてそういう人為的なタブーっていうのを入れ込まないと、そこが回らないよねっていう話じゃないかっていう、そういう考え方なんだ。
ヨウ:はいはい、その3つのパターンを、3つっていうのは、女性、言葉みたいなものを考えた時に、とはいえそれらを円滑に成すための結構根幹になっている、一番重要そうなのは女性の贈与かな、みたいな話はあるってことなのかな。
ヨウ:そうだね。それがないとね、そもそも人が増えていかないと、民族とか部族っていうのは継続していかないので、そこが根本にあるよねみたいな話はしてます。
30:05
ヨウ:なので、やっぱりレビストロースの考え方ってのはちょっとマクロ的だし、個々人の人から見たら、そんな別に自分はね、そんなものとかサービスとかじゃねえんだぞってなるんだけど、
ヨウ:ただその、いわゆる部族とか、親族みたいな構造的な観点からすると、そういうふうに解き明かした時にすごくきれいに説明ができましたよみたいな。
ヨウ:これはさっき冒頭言ったように、なんとなくよくわかんないから、インセスタブっていうのをひらめに設定して怖がってんじゃないとかではなく、そこにはちゃんと合理的な、論理的な背景があって、
ヨウ:それをある種学的に証明できましたよみたいな。それがレビストロースがやったことなんですよね。
ヨウ:なるほど、そうだよね。確かにすごく前半でも話したけど、実存主義的なというか、個人の目線からたどり着けないモデルというか、考え方な感じはするよね。
ヨウ:例えば、今のさ、今回構造主義的に婚姻的なインセスタブの話を捉えると、なんとなく女性を物扱いするとか、どうしてもモデルをそういうふうに作ったからってのはあると思うんだけど、
ヨウ:そういう話もあるんだけれども、一方で、例えば部族によっては、実は男性女性同士は違う部族の間で恋愛をしているかもしれない。
ヨウ:誰と結婚しようかなーみたいなさ、そういう自由を謳歌している部族というか、集団もあるかもしれないよね。だから本人たちはあくまで、すごく自分の素朴な感情で結婚相手を選んでいるつもり。
ヨウ:家庭生活を営んでいるという可能性もあるんだけれども、リビストルサックスはそういうふうにパターン化すると、こういうふうに表する、みたいなこともあげるし、
ヨウ:もちろん昔の、戦略結婚的な話で、息子だろうが娘だろうが、結婚する相手は親が決める、みたいなところがあって、
ヨウ:じゃあお前はあそこの部族のあの子をもらってこい、とか、お前はあそこの部族に行ってこい、とか、そこが親の目線で勝手に決められちゃうって言葉になるけども、
33:04
ヨウ:そういうのをひっくるめて、自由恋愛なのか親が決めるか、戦略結婚なのか、みたいなところも含めて、この構造主義的な、ここから見ると意外と同じじゃん、みたいなところに、
ヨウ:その中のパターンだよ、2つの同じ、さっきの4つに繰り入ったところの、同じ証言というか、同じ場所ではあるんだけど、その中のパターン、映画のパターンみたいな、そういうのが見る視点だったり目線だったりとか、
ヨウ:そのモデルっていうものをレビストロスは考えたってことだって話だよね。
ヨウ:本当にそう、だから、やっぱり、中心をなくすみたいな感覚が構造主義にはあって、人間として正しい親関係とはこうだとか、結婚とはこうだっていうのはなくて、
ヨウ:パセット通り、そのずれの中で、そういう親が決めるのもあれば、好きになった人と結婚するのもあれば、別にそうじゃない経済的な理由で結婚する人もいれば、みたいな。
確かにそうだね。自分が好きっていう感情があった時に、そのインセストタブーっていうみたいなものがあって、意外と兄弟とか親族を排除してるみたいなもので、自分じゃ分かんないんだけれどもって話だよね。
ヨウ:そうそう、そこは無意識なんだけど。
本気でだから他の人を好きになってんのに、みたいな。
ヨウ:どっちがどっちかは分かんないし、だからドラマになるんだよね。やっぱり兄弟姉妹の恋愛ってドラマとかのテーマになりがちじゃない?
ヨウ:なんか自分の親を好きになってしまったとか、兄弟姉妹が好きになってしまったとかってなると、やっぱりそれはドラマになっちゃう。
なるほどね。それはこのタブーがあるからみたいな話もあるってことだね。
ヨウ:それが日本の社会的に、それは無意識的にありえないことだっていうふうに排除されてしまってるから。
なるほど、そこはある意味フィクションとして楽しめる要素もあるってことか。タブーを犯す的なのだけじゃなくて。
ヨウ:それよりも、知らなかった。僕も知らなかったけど民放で直系結婚とか決婚したらダメとかって別にみんな知らないわけじゃん。そんな規定されてるって。
ヨウ:それでもなんとなく兄弟姉妹と結婚したらダメだよねとかあって、それっていう感情を持つっていうのはなんとなく良くないことだよねみたいななんとなくがあって、
ヨウ:それに直面する時にはフィクションだっていうふうに捉えないと直面できないんだって人間って。
ヨウ:目の前の兄貴がさ、例えば僕が妹だったとして、実はお前のこと好きなのって言われた時に僕はたぶんすごい戸惑うと思う。
36:09
ヨウ:それを現実として捉えるっていうのはすごく今の日本社会では難しい。
ヨウ:それっていうのはすごい社会的なものとかに影響されてるはずなんだよね。
ヨウ:なるほどね。面白いね。すごい話だな。レビストロス。 レビストロスから派生するとすごく戸惑う。どこまでが自由意志だとか、やっぱり根っこまれてるのかとか、何が正しいんだって話は直面せざるを得ないんだよね。
ヨウ:その話はできちゃうんだもんね。あなたの恋愛感情は嘘なんですって言えちゃうみたいだね。
ヨウ:なるほど。
ヨウ:逆に言うと、文化が違えばハマる人もいて、日本人とは付き合えないけど、アメリカに行ったらめちゃめちゃモテたみたいな人がいた時に、男性でも女性でもいいんだけど、日本的な恋愛感じゃなくて、西洋的な恋愛感の方がハマる人だったみたいな。結局そういうことも起きやすい時代だよね。
ヨウ:確かにさっきね、何とでも使えるのか。さっき「あなたの恋愛感情は嘘だ」とも言えるし、さっきの例であったような兄弟感の恋愛感情みたいなものも、逆にそれも構造主義的にタブーとされていることに縛られていることだから、実は自由なんですよみたいな、それもアリなんですよみたいな方にも転換できちゃうみたいな。
ヨウ:なんか何でもアリだね。構造主義的に言うと。フラットに持って行っちゃうからか。
ヨウ:まさに何でもアリ。そのあたり僕もまだちゃんと知らないんだけど、構造主義は何でも切り刻めちゃうっていうのがあって、結構それが問題ですというか、結局何が正しいんやっけみたいな話とか、それって構造主義的にいろいろ切り刻めるんだけど、その行為に意味があるんだっけみたいなことになりがち。
ヨウ:だったりその妥当性だったりとかね、そもそもの。だってどこまで言っても解釈みたいな話ではあるもんね。今回もレビストロスがフィールドワークで培ったそれをレビストロスに解釈したら、めちゃくちゃ納得感の高いものが出来上がった、モデルが出来上がったっていう話で、それが真理ではないみたいな話だもんね。
ヨウ:真理を解体してるんだよね、構造主義はだから。これまでのセルティスワークで言うところの、ただ一つの真理っていうものをそもそも無くしてるのよ。
ヨウ:恐ろしい、そっか。同じような営みだけれども違うのか。 チョウ:違う。もっと言うと、真理があるとか、真理っていうものは尊いものだっていうのも一つの価値観ですよね、っていう風にも言えちゃうわけよね。
39:11
ヨウ:うわー、恐ろしい。 チョウ:そうなると、虚無主義にもう一歩なんだよね、そっちまで行っちゃうと。
ヨウ:本当だね。すごい。ちょっとその構造主義の、そうだね、ブラックホール感みたいなものがちょっと見えてきた気がする。
チョウ:そうなんだよね。
ヨウ:だから、まさにその愛議が勘案してくれたことっていうのは本当に大事で、なんとなくリビストロスの構造主義がサルトンの自尊主義を乗り越えて、より良い思想になりましたとも言えない。
チョウ:なるほど。だからあくまで同じ土台に持ってきたって感じなんだ。乗り越えでもないし。土台じゃないな。でも弁償法的にたぶんちょっと乗り越えちゃってるよね。
ヨウ:そもそも弁償法的な考え方が一つのイデアなんだよな。このイデオロギーなのよ。
チョウ:はいはいはい。だから構造主義を弁償法的に、前回話したクリンチャー事自体が構造主義的ではないって話になっちゃうんだね。
ヨウ:そうそう。だから自尊主義と構造主義を対決させて、より良い思想に行き着くのだみたいなのが弁償法的な考え方だからそういうことじゃないよってなるし。
チョウ:たまに聞くポスト構造主義って一体何なんだって話になってくるね。この構造主義をどう調理してやるのかみたいなね。
ヨウ:だから人によっては、1980年代くらいから哲学は死んだみたいな話が呼ばれるようになるとか、とかっていう人もいれば、今でもいろんな新しい考え方が出てきたりするし、
結局その揺れ動きがある中で、哲学自体の無用感というか、最初1年前やった時、哲学ってなんとなく難しくて役に立たなくて、こねくり回してるイメージがあるって話があったじゃないですか。
チョウ:あったあった。 ヨウ:今でもあると思うんだけど、やっぱりまさにそういう現代の混乱もそうだし、そもそも問題設定がやっぱり難しくなっているところから出てきているところもあるよねっていうのは思ったりします。
ヨウ:はいはいはい。いやー、そうはね、本当怖っ。どんだけすごいことを自分が考えてもさ、いやそれって結局こうじゃんっていうふうな、全部壊される怖さがあるね。
42:02
チョウ:そうなんだよね。だからさ、世の中的にとさておけば、ヒロユキさんとかがいらっしゃるわけじゃないですか、ロンパオーみたいに言われて。で、何か数年前だけど、それって乾燥ですよみたいな言葉が流行った時に、誰にでもどうとでも言えちゃうのよね、それは。
チョウ:それはでも、なんだろうな、いわゆる思想的な乗り越えではないんだよね。要は相対化、全てに相対化しているだけだから、うん。何とでも言えちゃうんだけど、そこに何か意味があるのかってなると、エンタメ的な意味はあるかもしれないけど、思想を前に進める意味ってあるんだっけみたいな話も出来たりするし。
恐ろしいね。思想を前に進めるって話が、もうそもそもぶっ壊されてるって話でしょ?
チョウ:そうそうそう。そこの価値を共有できないと、要は何でもぶった切れちゃうよね。
いやー、面白い。
チョウ:だから虚無主義はダメというか、望ましくないんだよね、やっぱり人間にとっては。前向きに生きようとする、それが人間にとって質疑だと思う価値を共有する前提においては虚無主義は良くないっていうことまで言わなきゃいけない。
そうだね。言うて俺たち生きちゃってるみたいなところを踏まえて、じゃあどうするのってことは課題だね。
チョウ:課題だし、さっきの僕の言葉にも、別にそもそも人類は進歩さもする必要ないし、そこに対して何か責任を負う存在でもないから、別に前向きだとか進歩とかっていうことには何の価値もないっていう前提から批判することももちろんできる。
そのスタンスまでお互いにオープンにしないと議論ができないんだよね、たぶん。このぐらいになってくると。
ヨウ:そうだね、そのテーブルの土台設定か、ルール設定だよね。インセストタブーか、そういう制限がある。スポーツもだけどさ、手が使えないから作家が面白いみたいな話で、
この構造主義的な視点っていうものは、ルールをなくす方向に全部話を持っていけるんだね。結局誰かが決めたルールでしょ、いいじゃん、作家でも手を使えばといった瞬間、作家で成り立たなくなるみたいな、
そもそものを展開できちゃうみたいな、それは面白くもあり、すごさもあり、ただ恐怖感もありみたいなね。それ言ったと何もおしまいじゃんみたいなね。
45:03
とはいえ、いろんな部族、人間はそういうインセストタブーだったりとか、いろんなルールを作って、自分たちが死なないようにしてきたっていう話を無視する話になっちゃうもんね。そこまで抽象化してしまうと、真っ黒に持っていっちゃうと。
やっぱりそこに哲学の難しさ、純粋化して考えていく難しさもあるし、やっぱり現実社会の豊かさもあるしみたいなことだよね。
確かにね、経済とかも同じだもんね。
経済もお金の視点から見たら、個人の人間が破産しようが関係ないとかなるじゃん。
必ず合理的な行動をするとかさ、みたいなのあるけど。そこはやっぱりモデルと現実に生きる人々の違いの面白さみたいな話だね。
面白いなあ。
やっぱり僕はモデル的なというより、人間がどう生きるかっていう意味で哲学がすごい素晴らしいと思っているから、やっぱり人々の人間がどう生きるかっていう中で、
構造主義的な世界、あるいはポスト構造主義的な世界で生きている人間だっていう前提だった時には、結構それって難しい問題だよねってやっぱりなっちゃう。
そうだね、確かに。やっぱりこれは本当に面白いね。やっぱり人に人にがどう生きていくかってなった時に、この構造主義的な、ある意味そのマクロ的な視点はいらないのかって言われたら、
まあ難しいなあ。自分は欲しいとは思うけれども、それを知ることでやっぱりね、あまりにもそのルールね、やっぱりサッカー楽しんでたのに、実は手も使っていいと言われた瞬間に、
そのサッカーを楽しめなくなる感覚って多分あると思うから。
あるね、あると思う。
その中でじゃあ本当にもう一回手を使わないでサッカーを楽しみ続けることができるか、今までと同じようにみたいなね。
そこはなんか、あのー、とても切ないな。
いやー、そうなのよ。だからさ、ちょっとこれは予算で話し終えちゃうけどさ、だからサッカーとかバスケとか野球とかさ、いろいろあるんだから、ラグビーとかなんかでさ、
でも結局全部ボールを分けてるスポーツじゃんとかって言った瞬間に、やっぱ全部何かが大事なものがなくなっちゃうわけだよ。
うんうんうん。
だからでも人間は別にそういう風に考えることもできるし、そういう風に生きることもできる。
けどやっぱりサッカーはサッカーで楽しみたいし、何ならフットサロフットサロで全然楽しいじゃんみたいな、そういうものを人間は持っている。
そうね。
その間の中で果たしてどう生きますか、みたいなところがやっぱりあると思うんだよね。
みたいなね、やっぱり実問主義はどうしてもどう生きるかみたいな話が常につきまとうんですけど、ちょっとレビューソースの話に戻ると、
48:05
はいはい、この話すぎるといくらでもずっとダメっちゃうからね。
僕らの人生立つなみたいになっちゃうから、ちょっと戻ると。
なのでサルトルと比較しやすい話をすると、サルトルの実問主義は事故から出発して他者に出会うっていうそういう方向性があったじゃないですか。
じゃなくてレビューソースの人間化は前提として他者を含むんだよね。
人と交換するとか贈与するとかコミュニケーションすることで相立ってるという考え方があるので、
その中でいろんな特性の型を身につける。
自分の思考を身につけていくのが人間の存在なので、ここからは僕の感想なんだけど、
さっき言った通り、その構造主義的な世界観で言うと、一人一人の人間っていうのは自由な理性とか、
自律的な主体では自分が世界でただ一つ立っていて世界を意味づけるんだみたいな、やっぱりそんなことはできないわけだよね。
同時に贈与、相手に対してっていうところから生まれる気遣いとか、他者と共に生きるあるみたいな、
そういうことが発生してくるので、それがある種人間の根拠になる。
人間の本性として、前提としてそういう他者への気遣いとか贈与からなるコミュニケーションがあるんだっていうことを見出したっていうのが、
リビストロスは大きな発見になったんじゃないかなって思ったりしました。
はいはい、生存戦略として人間という種のね。
いや、生存戦略としてというよりは、そもそも人間存在っていうのは根本に他者っていうのは含んでいるのって話だよね。
前回シャルトの時に言ったように、要は理性とか小義徒から始まると他者は含まれないわけよ、人間の根本には。
そうだよ、そういうのあったよね。結局他者も自分の認識を通じて他者を認識するみたいな。
そうそうそうそう。
結局自分から辿り着くみたいな。
その中に複数の即時、対自存在か対自存在との設定して、それが対他存在になるっていう観点から他者っていうのが自己に含まれているんだっていうのを言ったのがシャルトルの実存主義じゃないですか。
でもリビストロスはそれとは別のやり方で、そもそも人間っていうものの根底には他者っていうのは含まれているから、
個人が生きるっていうことも結局他者とどう生きるかっていう問題だっていう風な設定になってるからね。
生存戦略としてとか、そういう風な社会が望ましいからとかっていうこととは、より上位の概念として、あるいは根底の概念として、
51:09
人間というのは他者と共にあるっていう、そういう発想に行き着くんじゃないかなと思ってるんですよね。
なんか伝わるかな。何を僕が今否定して説明をしようとしたか。
結構たぶんそもそも論的な話で、生存戦略みたいに言ってしまうと、たぶん構造主義的ではないんだよね。
ちょっとこう実存主義じゃないけれども、理想主義というか、結局ちょっとその全体から見てる感じがしない?
ああ、そうね。生き残るとか、どうよく生きるかみたいな話にたぶん近づくからね。
個人として見た時もあし、主として見た時もそういう風に表現してしまうと違うってことか。
うん。そうだね。さっき僕は民族とか部族が一族するようにみたいな話はしたけれども、
たぶんそれは確かに選択的に育ってるんだけど、それって要は選択の結果を得られたものとして、
ある種ちょっと進化人類学的な感じで、要は選択的に選ばれたみたいな考え方っていうよりは、
そもそも人間存在一般の根底に他者があるっていう、そこから始めませんか?っていう感じの話かな。
ああ、はい。なるほど、なるほど。わかった。ごめん、すごい時間使っちゃったけどわかった。
でも結構大事だし、すごい丁寧にやった方がいいところだと思う。
ここ?そうなんだ。確かに生存戦略っていうと、確かにレイヤーが、確かにハヤトが表現してる、レビストローさんが言うところの、
そういうのよりレイヤーが多分何個か下な感じが確かにした。というのは、そもそも生存戦略っていうふうに表現すると、
たぶんさっきハヤトが言った、そもそも人間は他者と共にあるみたいなものがあったときに、
その上で生存戦略ってなると、いろんな人間がいる中で、自分はどう生きるか、自分たちはどう生きるかっていうものは生存戦略。
それあっての生存戦略であって、そもそも人間はバラバラバラっと自然界に存在してるんですよ、
っていうところまでレビストローとかは言ってるからってことはね、そもそも人間は。
その中での営みの一つとして、生存戦略みたいなことを発揮する奴らもいれば、それが発揮できずにただただ遠凸されていった奴らもいるよね、
っていう順番だってことはね。
そうだね、その構造主義的な感覚からすると、そっちの順番で捉えられるよね、人間っていうのがって話かな。
54:06
だし、生存戦略的に人間が集団を作ったではないって話だよね。
そもそもバラバラと存在したものが、生存戦略とかってものがあったとすれば、そういうふうにまとまった事例もあるだろうね、みたいな順番なんだったらね。
そうそう。
こんなどうでもよさそうだ話をめっちゃしたけど、結構重要なんだね、これはね。
やっぱりね、言葉ってすごい大事で、僕もまだまだ全然、もっとやんなきゃいけない、勉強しなきゃいけないとは思ってるんですけど、
やっぱり一個一個の定義とか、一個一個の順番とか、何から何が生まれるのかみたいな話っていうのはちゃんとしておかないと、この辺からすごいこんがらがってくるんだよね。
確かに、今の話を踏まえると、確かに生存戦略っていうと、確かに人間の在り方として、ここの人間が集まったみたいな感じに多分受け取っちゃうよね。
そうそうそうそう。
レビストロースでいうと逆なんだね。
そう、自分が生き残るために他者と協力した、ではなく、他者と共にあるから、他者と共に生き残れる人たちが生き残ったとこが、多分このレビストロースの人間観には近いはず。
ちょっとおめでとうございます。レビストロースはそこまで言われてないと思うから分かんないんだけど。
なるほど。ただその雰囲気としてってことはね。
人間観をイメージしたときに。
確かに全然違う気がする。
違うね、それは。
違うのよ。そうなると社会が持つ意味とか、親族が持つ意味とか、それが変わってくる。
ってことはそこから生まれる世界観も変わってくるし、何が大事かっていうことも変わってくるので。
確かに生存戦略って言葉を使っちゃうと、まだ何か個々人に光当ててる感じがしたけど、まあミクロな感じがするよね。
本当マクロなんだねっていうね。個性消し去ってっていうね。人間たちみたいな。
難しいんですよ。どこに視点を持つかっていう、ソクラテスとかからずっとやってるんですけど、それが難しい。
でもそこを獲得できると、自分の発想とか思想とか広がる気がするので、そこにはこだわりたい。
なるほど、確かにそうだよね。今の生存戦略みたいなパフッとした視点からレビストロースを今回話したのを理解しようとするとずれるもんね、絶対。
ずれちゃう。
理解してると言えなくなるだろうし、最後の最後までちょっとあれだね。終わるかと思いきやちょっと。
57:04
でも大事な話だね。
はい、なのでちょっと聞いてる方はもしかしたら置いてけぼりにしたいかもしれませんけど。
すいません、終わるかと思いきやいきなり。
改めてメッセージを伝えたいのはやっぱりどの視点から語ってますかがすごい大事っていうことでしたと。僕と兄貴が今やってたのは。
やっぱり兄貴は今、自分とか今度人間が生きるためにどういうふうに他者と関わるかっていうような観点で話してくれてたんだけど。
あとごめん補足するなら、ここ人間もしくはここの部族。
それすらもある意味ミクロ的なって話だったってことだね。
全体の主体者としての個人とかこの部族っていうのを視点に見てたんだけど、そうじゃなくて全体性として人間は他者と共にあるっていう、これ構造っていうかちょっと構造って言葉使っていいかわからないけど、そこから見るとここの人間っていうのはこういうふうに生きてますよねっていう、そういう視点の違いがあったよっていう話。
でも本当にそんな感じで、今日はすごい良い対話だったんじゃないでしょうか。僕は今すごい満足してますよ。
この第3回の最後にして、そもそもレヴィストロースを理解するための視点とはみたいな話に結局至ったわけだけれども、でも面白いね。最初にこの視点が大事なんだって最初言われたとしても理解できないから。面白いわ。
僕もその視点が違うっていう観点であんまりレヴィストロースを読んでなかったから、今改めて話してる中で気づいた確かにそうだよなっていう構造主義と実論主義の視点っていうのは全然違う。
あとは皆さんお好きな東洋、いったい東洋だと全然違う視点を持っている。それを意識して楽しむっていう、それとてもラジオのエッセンスが凝縮しがちで、すごいニヤニヤしてるんですけど楽しかったな。
そう、節約を無責任に勝手に楽しむみたいなね。
わー、すごい。ちょっとすごさがわかってきたし、構造主義のすごさも伝わってきた感じもあるし、今回そのレヴィストロース個人のヤバさみたいなものもちょっとすごく感じたよね。天才性みたいな、アーティスト性みたいなね。
そうです。やっぱりレヴィストロースすごいっていうのはその通りみたいな感じだったんですけど。今回はすごいざっくり、詳細とかも何も言ってないので、結局何をした人かっていうのは伝わらなかったと思うんですけど、やっぱりなんとなくすごさみたいなのが伝えられたかなとは思います。
1:00:17
やっぱりレヴィストロースの話をするには、途中に出たモースの造評論みたいな話とか、あとはその前提として、構造をちゃんと切り取ろう、構造というかそこに含まれているものをちゃんとパターン化しようみたいな話っていうのは、実は元号学、訴訟理の元号学の話から持ってきていたりとか。
そうなんだ。
あとはそれを数学的に表現するみたいな話もあるんで、そういった元号学、造評論、数学みたいな話っていうのを、ちょっとだけダイジェスト的にお送りして、レヴィストロースの締めくくりにしたいなというふうに思ってます。
ぜひぜひ。造評論とかっていうのも、それを元にしてるんだってなるとすごい面白そうだったし。
そうだよね。
たぶんね、順番的にはそっちを手段として理解して、レヴィストロースの話でもいいんだけど、なんとかレヴィストロースがこういうことをしたんだっていう話で、じゃあその前何があったんだっけっていう理解も面白いかなと思うので。
はいはい。へー、わかりました。
はい、そんな感じで次回やっていこうと思っております。
はい、わかりました。次回も楽しみにしてますんで、引き続きよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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01:01:46

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