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はい、そのです。おはようございます。 朝の散歩からはんせい会です。今日はね、
えっと、雨が降り、
なんだろう、梅雨?あれ、まだ梅雨なのかな。 梅雨っぽい雨が降り、
公園もほぼ人もいない中でじめじめしていても、なんか散歩してますね。
はい、いつも通り、えっと、昨日の振り返りをちょっとして、考えていることについて話そうかなと思って、えっと、今日は
あの、そうね、
なぜ君は総理大臣になれないかっていう映画、ドキュメンタリー映画があって、なんかそれを見て、まあ小川淳也さんっていうね、
衆議院議員の方を追ったドキュメンタリーなんで、それを見て思ったこととかね。
まあ、あの、何だろう、やり続けるみたいなことについて、考えて話そうかなと思ってます。
というわけで、昨日は、
えっとね、昨日は、
あー、そうですね、なんか午前中は会議を聞いている時間が多くて、
で、午後は、えっと、
あそこも会議は多かったんだけど、
うんと、そうだな。
まあ、プロジェクト案件がやることが、
あのね、依頼者からの相談とかが終わって決まって、
計画したりとかをバタバタやっていた感じですかね。
ただ、僕自身はどっちかというと、プロジェクトマネージャーの立場で、計画部分と、
あとは進捗はフォローしつつ、最終の納品物とかに関してのレビューと展開についてをメインで担当しているんで、
まあね、駆け出しのところをまずは進めていけば、
あとはお任せしてね。
少し、こちらの削く時間は少なくなるみたいな感じなんで、昨日はちょっと立ち上げ時だったんで、
ミーティングをセットして、心よくメンバーの方もちょっと遅めの会議とかも付き合ってもらえたんで、
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なんかいい感じで進んだかな。一方でちょっとね、ドキュメントとか残さなきゃいけないものとかは、
まあ多少残ったりとかして、
まあでもちょっとね、多分、許容量を超えたので、昨日は夜、
多少タスクを残しながらも終了して終わったと。でもその後にね、晩酌の時間というのかな。
まあ逆に言うとそういう時間を持たないといけないから、ストレスが溜まったのかもしれないけど、
まあなんかね、夜起きてて、
で、Netflixに今、なぜ君はそういう味になれないかが配信されているので、
それを見て、何回目かな。割と最初映画公開して、この時期だからね、オンライン
会っていうのは、オンライン上映会で見て、
で、その後、Netflixに2ヶ月前ぐらいかな。なんか入ってから、もうちょい最近なのかな。
なんか入ってから、なんだろうな。
たぶん、平均すると週に1回ぐらいは、その夜の晩酌の時間とかにつけて、
まあね、別に正直ガッツリ見るっていうよりは、横目に見ながらみたいな感じの視聴だけど、
週に1回ぐらい見てるかな、感じだね。
なんかね、なんで見てるのかっていうと、
もちろん僕がすごい人の行動とか、
そういう突き潰される人みたいなのが好きだから、見てるっていうのもあるし、
ネットとかで割とクローズな環境で拝見したことはあってもね、
直接会ったことすらない人にも関わらず、新人感も湧き出るかな。
なんかすごい、コメンタリーの最初、本当に最初のところで言うセリフが印象的で、
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あれはたぶん2016年だから、5年前ぐらいの状況で、
おばあさんはだから、十数年ぐらい、議員を、
10年ちょっと、選挙に出始めたのが30、確かに3歳ぐらいのときで、
その当時、16年で45歳で今50歳ぐらいなんですけど、
その十数年によって、ここ10年本当に思うんだけどって、
8割が我慢かな。8割が我慢で、残り2割のうち1割は辛抱で、最後の1割は忍耐だっていうふうに。
我慢、我慢、我慢だよね、みたいなことを苦笑しながら言うシーンがあるんだけど、
なんかこうね、共感するのと尊敬するところがその瞬間であって、
なんか僕自身は我慢強いとかっていうのもないし、自己認識っていうかな、
やっぱりなんか結構逃げがちだなとか、潰されやすいというか、
それで目の前ですごいややこしいことがあるときに、やっぱりなんかこう逃げる、逃避することは多いなというふうには思ってて、
なんかこうね、ある一種、愚直に進み続けるっていうことに憧れもあるから、
なんかまさに逆境に居続けるっていうね、人に惹かれるっていうのはあるよね。
そこからそのドキュメンタリー映画なんで、30代の選挙に出始めた頃から、
あとちょっとね、また最後の方で追加されて、2020年頃、コロナでいる頃にオンラインインタビューとかも加わっているようなところなんだけど、
まあね、なんかその中でも、自分がいたら本当に、もうなんか逃げ続けるだろうなみたいなところなんだよね。
そこに家族も、家族もなんか本当に巻き込まれたっていう感じだけど、
でもやっぱり、もちろん選挙とかって一人じゃできないもんで、家族が手伝って、支援者がいてっていうね、
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なんかこう、なんていうのかな、その栄えとした人並みみたいなところが見てて、ものすごいなっていうふうに思ったよね。
で、じゃあ愚直に進めるのは、なんか、そうだね、これは結構自分の中の愚かなというか、醜いというか話だなぁと思いながらも話すけど、
なんか愚直にする、何かをする人っていうのは結構、それしかもうやれないというような、ある種追い込まれて逃げ場もないみたいな感じでやるのかなと。
だから多少でも余裕があれば逃げるんだけど、逃げるのが苦手だったりとか、環境があまりにもきつすぎたゆえに巻き込まれてやらざるを得なかったと。
もちろんその中で潰れるのも多数ある中で、金の一粒みたいに残った人がやり遂げた人っていう感じなのかなっていうのが正直あったんだよね、感覚として。
それは多分自分自身の逃避をする後ろめたさとかで、あれはこう違う生き物だみたいな区別をしているところがあるのかもしれないけど、そうわけじゃないんだよね。
心持ちとしては何かもう逃げられないっていうふうにおそらく立ち向かうんだろうけど、
何か分かってて、粘り腰で。かつ、今目の前を耐えるっていうのはある程度できると思うんだよね。
先々が楽になるさっていう希望があるから。でも先の希望はできないと。ただ信じてやるしかないっていうところで、
我慢・忍耐・辛抱で続けられる人がいるんだっていうところ。
それを見るたびに自分の中でもせめて爪の赤を目線じって飲みたいなっていうような心持ちで見てるっていうのは、そうなんだな。