1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。自己と他者と未..
2021-09-23 11:52

朝の散歩から。自己と他者と未知に区別する、他者に立つアップデートって話 from Radiotalk

00:02
はい、そのです。おはようございます。朝の散歩からはんせい会です。
今日は祝日で天気も良くという感じでね、気持ちよく散歩もしているところです。
公園もいろいろスポーツイベントもありそうなんだけど、みんな元気そうにやってますね。
自分も昨日は、そうだね、報告があって一山越えたのもあるし、それに付随してではないんだけど、他の仕事もちょっと作業を強引にというか、切り欲まで終わらないで進めて、
進捗の手応えみたいなものがあって気持ちよく休日に入れたかなというところですかね。
ちょっと夜更かしは過ぎたけど、眠いんだけど、わりと気持ちよく、頭の中がさっぱりしているなというのはありますかね。
お風呂に入るとかね、ちょっとそういう体なのか頭なのかわかりやすい休憩を入れたからというところもあるかもしれないなと思います。
今朝はそういう意味で、仕事のタスクとかずっと気になるし、背負ってて頭の片隅にあるみたいな状態なんだけど、
それ自体は思考の重しになっているんだなというのが、今日はある程度気になることを片付けている状態で、そうすると寝不足だからとかそういう理由もあるのかもしれないけど、
わりと観念的なこと、天気がいいとかね、散歩ですとかいろいろあるのかもしれないけど、観念的なことをいつもよりも考えられたなと思って。
何考えてたかっていうと、ふと気になって、人の歴史というか、人の歴史の中での人と世界っていうのはどういう捉え方なのかなみたいなのがふと気になって、
03:21
その変遷があるのかなと思って。
今はたぶん、例えば人類、皆兄弟みたいな言葉があった時に、いやいや皆じゃないでしょとか、兄弟っていう関係性はちょっと反応するかもしれないけど、
人類っていう時に人類って何ですかっていう人ってあまりないと思うんだよね。
それはつまり、ホモサピエンスっていう生物は全部同類ですっていうのを前提にしている。
けども、そこについてある程度みんな共通理解、前提として持てているっていう状態だと思うんだよね。
それに対して世界っていうのは何かっていうのと、その中でその時代の移り変わりっていうのはどう、何が変わると時代が移り変わっていっているのかと。
例えば今だと資本主義とか民主主義の前が王政とか絶対王政だったりとか、そういう支配者がいる、不独裁者がいるようなところから、
民主主義になる前と後とか、あと、何だろうね、宗教的な思想が支配した、それこそビファキリストアフターキリストの切り方っていうのがその時代を切っているってわけだよね。
これって何を基準に切り分けているのかと。キリストの場合、象徴的なものでもあるんだけど、後から見てみんなで確かにそうであるという風に切ったっていうのもあるし。
ただ、ビファキリストって言い始めた、アフターキリストって言い始めたのが、アフターキリストの1年目からそう言ったのかというと、そうじゃなくて後から解釈して、もしかしたら今の世界の認識、共通認識っていうのが出来上がった時に初めて言うようになったかもしれないと考えた時に、
06:00
一体何が基準になって変わっていくんだろうっていうのがちょっと気になったんだよね。
いろいろ考えて、一つ自分の中で結論というか、自分の理解についてわかったことっていうか、歴史とかについての把握、世界の把握っていうのは、
基本的に自己と他者なんだなと。自分と同類っていうものを見極めて、そこにはないというか、自分たちではない他者、周りのものを世界って呼んでるっていう気がするんだよね。
その時に、じゃあ世界じゃないあるものっていうのが実際にあって、未知のものについては自覚できないから、世界じゃないんだよね。
それを世界の外とか言い方するけど、無として見るけど、実際にはそこ未知だなっていうところ。そうなると、自覚するのかしないのかっていうところが世界の際になってて。
じゃあでも、自覚でなんで聞くのかって言ったら、たぶん時間の概念があって、時間っていう概念を取り入れたことによって、いつかは操作可能になる、影響を与えることができるっていう思想・考えがあるから、
なんとなく、自覚するものの中で自分じゃないものっていうのを世界って言って、自覚するものであるんだけども、自己と同類というふうに自覚するものを人類とか私たちと呼んでいるんだなと思ったんでね。
今は科学っていうものの概念で、世界の大半は出来上がっている。少なくとも僕自身が科学っていう概念の中にいるのもあって、世界をそう捉えているから、質量保存の法則じゃないけども、物って物質はみんなエネルギーと同義なんで、
そうするとエネルギーと自分っていう捉え方で、なんとなく自分たち、人類と世界っていうのを区切ってるなーっていうことを考えてたんだよね。
09:06
その小さな構造っていうのは、例えば自分と周りの世界っていうのを人っていうところに区切っただけで見たりとか、そういうことは行っているから、世界全体の捉え方っていうのも同じ思想とか同じ思考概念の中に生きる者たちの中で、
なんとなく一つなのかなって思ったんだよね。
それがアップデートするところとか時とか、あるいはアップデートすることによって自分自身がまた違う場所に身を置くこととかがあるのかなみたいなことを考えたりする一方で、
一つ思ったのは、最近世界でだんだんまた独裁というか派遣というか民主主義とはなんか違う世界っていうのが進んでいっているようにも感じるんだけども、
ただ、人類っていう概念、人がみんな同じ存在、観念的にその中でルールで上下があったりするのかもしれないけども、人っていうのが同じ存在なんだっていう風に教育というか認識をしている中では、
過去の独裁とはちょっと違う結果っていうのが出てくるんだろうなっていう風に思うっていうのが一点と、
あとはなんか自分のアップデートっていう意味では、事故と他者を分けるっていう概念からその他者側に立つっていうのをより磨いていく、あるいはちょっとその感覚っていうのは深めていくと、
なんかそこに大きなアップデートがあるんじゃないかなみたいなことを思ってたりしたという感じかな。
休みの日に入って、希望通りなんていうかいつもとは違うことを考えれたんでもあるし、ちょっとなんか自分のキャリアとかちょっと長めのことを考えようかなって思ってたけども、思ったよりも飛んだ方向に思考が走ったけども、
今日はなんかそんなことを考えてましたというわけで、皆さん良い週末を。今日はこの辺で失礼します。
11:52

コメント

スクロール