ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かが、ふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
本日のご来店者は、前回に引き続き株式会社Alaveの小濱さんです。
私は海外では観劇に行ったことないんですけど、
なるほど。
どんな感じなのかな?見に行かれたりしたことあるのかな?
行ったことはもちろんあって、アメリカとイギリスと行って、シェイクスピアシアターとかも行ったりとかしましたけど、
アメリカだと、オペラーターの外人とかママミアとか、基本ミュージカルのほうがやっぱ多いので、ミュージカル。
でも、シェイクスピアシアターはストレートプレイでしたけど。
なんか、でもそもそもお客さんが楽しみに来てるんですよね。
いやいや、日本の人はじゃあ楽しんでないのかな?
楽しみ方の質が違う。
ルール?
ルール、うん。
やっぱその、日本だときれいな格好して、
そうそう、ある。
ちょっと細かな雰囲気というか、
コンサートを聞きに行くみたいな感じに近いのかなっていう感じなんですけど、
やっぱ海外だと別に全然、ラフディとか家族で来たりとか、
あと、劇場内でアイスクリーム売ってるんですよ。
えー。
飲食ありきなんですか?
そう、3ドルぐらいで売ってて。
アイスクリーム。
そうなんです。
で、マクマにアイス買ってるんですよね、みんな。
あの野球場のあれ、ビールじゃないですか。
ああいう感じで食べてて、ここも違うなって思ったところなんですけど、
でもやっぱ積極的な感じなんですよね、前のめり。
お客さんのなんかあり方みたいなのが。
そこはすごい雰囲気が違うなって思いました。
で、やっぱ例えば悪役、シェイクスペアで悪役出てきたんですけど、
ブーイングがすごいんですよ。
みたいな。
へー。
煽るんですね、結構。
面白。
でも、ああ、いいなーじゃないですけど。
ちょっと野球観戦みたいな。
ああ、確かにそうですね。
でもやっぱ登場人物とお客さんとの間で、やっぱりその交換が生まれてて、
エネルギーや感情の交換が生まれてて。
いいな。
やっぱいいなーって思うのは、なんでかっていうと、自分がそこにいていいんだって思えるんですよね。
ああ。
本当に自分のためにやってるというか演じている、今ここで作っている。
それはなぜ感じれるかっていうと、例えば何かしたときに答えてくれるかなっていうのがあって。
で、それが自分発信じゃなくても、それこそ他の人と誰かが交流してるのを見てたとしても、
なんかやっぱりそれを感じれるので、
私たちのために本当にやってて、私たちがいないとやれないだろう。
やれないっていうか、怒ってない。
例えばやりとりとかがあるから、今この時間は私たちとの特別な時間じゃないですけど。
ってなるとやっぱり言いやすくなるんですよ。
ああ。
なんか繰り返しじゃないんだみたいな。
もちろん繰り返しなんですけどね。
っていうのが感じられるのか、海外ではそういうのが特に感じられたなあっていう。
そこにいていいっていう感覚なんですね。
そうですね。
そうすると演劇に親しみが湧くんですよね。
また来たいとか。
役者自体もなんか近しい存在に感じれるし。
どうでした?演技部門見に来てくださったときに。
なんか役者さんが例えばちょっと友達じゃないですけど、遠い存在にはならないようなはずなんですけど。
終わったときに回って来てくださるときに、来てほしいって思いました。
会話したいなあって。
すごい。
思いましたね。
よかった。
なんかそんな感じ。
特別な存在ではないというか。
舞台上の特別な存在ではない。
確かに。いる場所が同じ場所だっていう感覚がすごく持ちました。
お母さんはなんかその辺、どうして気になったんですか?海外の。
普通にブロードウェイとか行ってみたいなあと思って。
後にさっきおっしゃってたように、ママミアとかは劇団式とかで見たことがあるんだけど。
やっぱりその舞台との距離感とか、見方のルールみたいなのは、すごいもしかしたら見えないルールたくさんあるなあみたいな。
見に行くときには、例えばヨレヨレのジーンズではいかないのだとか。
あとは私が子連れでアラジンを見に行ったときに、本当に息子2人が当時小学生だったんですけど、本当に没入して前のめりになったんだよね。
だけど、別に劇団式をディスってるわけではないんですが、結構階段がきつい、傾斜がきつい劇場になってて、よく見えるように。
なんで、前のめりになると後ろの人が見えなくなるから、めちゃくちゃ注意されたんです。
えー。
あの、お客様って。
あーなるほど。背もたれに。
背もたれにっていうのをもう何回も注意されたんですね。大げさなぐらい。
それぐらいもうグーって2人ともこう。
いいことなのに。
いいことなのに。見ててすごく微笑ましくて、いやでもそのぐらい人って見るものに持ってかれるよねって。
私もアラジン結局4回ぐらい見に行ったんですけど。
すごい。
でもやっぱりそういうちょっとこう、なんて言うんでしょうか、ちゃんと見なくちゃいけないこととか。
あとは、それは私が悪いのかもしれないですね。スマートウォッチが光ってるから外してくださいって怒られて、それは違うお客さんに。
あー。
お客さん同士なんですね。
あー、なぜ?みたいな。
そうですよね。
なんかね、あー、うー、みたいな。
なんか自分たちで神聖なものにしすぎてる気がするんですよ、僕日本は。
うん、だから、そう。
余計好きな人たちが、演劇を好きな人たちが、ちょっと変に神聖化しちゃって、特別なもの扱いしちゃってて、新しい人たちが入りづらいというか。
見えないルールが結構あるなぁ。
そうなんですか。
しかもあって、それがなんかこう聞くというか言われちゃうみたいな。
そう、私は小さい時から割とそう、この劇場空間には、都内に住んでて、都内には結構あるから、行ってる方だったろうなぁと思うから、ハードルは低いけれど、行ったことない人と行くと、すごく戸惑うって言われたし、トイレのこともそうだし、
マックマのタイミングに何をするのかとか、ご飯はいつ食べるのかとか、それこそね。
そう、だから、見えないルールが多いし、ちゃんとしてることを結構求められるかなぁって。
そうですね、ミュージカルとかは、例えばみんなで手拍子とかはする?
する、する、する。
特にアラジンなんかは歌いますよね、めっちゃ多分、何回も見てる人が後ろに多いので。
お客さんも歌うんですか?
そう、歌ってる。
その辺は一体感あるんですね。
もう、ガーンって音がするから、歌っても聞こえないし、もうみんな人のこと見てないですよね。
没入してるから、世界。
そのために行くので、それで好きですけど、一人でも行くぐらい。
でも、やっぱり子供が夢中になったり、ちょっと光が出てるのは、ダメ、まぁダメ、まぁダメだよね。
でも、私は自分のウォッチが光ってることにすら気づいてなかったので。
そうかって。
まぁ、暗い空間で光ると、まぁね。
そう、確かにおっしゃる通りだった。
でも、そのぐらい自分では夢中になる空間もあるし、演劇のすごさはすごく体感してるんだけど、
本当にさっきから言ってるように、私はご飯と演劇を分けてた。
だから、いや、これは絶対行かなきゃいけないと思った。演劇ご飯。
じゃあ、その、ソーシャルハイブって、まぁ社会企業家のためのシェアオフィスってなっていて、
別にいろんなジャンルの方がいらっしゃって、私もその一人なんだけれど、
でも、パッて演劇ご飯って聞いたときに、ソーシャルハイブの社会企業家、社会企業家はこうあるべきって思ってるわけではないんですけど、
おっ!って思った。正直なとこね。
まぁ、僕も感じるんで。
そっか、よかった。そこは、社会企業家はこうあるべきではないところから、
でも、社会に何らか問いを投げる、投げかけたい、みたいなところは終わりなんだろうと思うんですけど、
その辺をぜひ、教えてください。
そうなんですよね。いや、本当、僕も常に感じてるんですけど、
例えば介護とか、突然の心停止に対する課題解決とかって、見るからに社会のためになってるし、絶対需要があるしって思うから、
本当素晴らしいことを皆さんしてるって思うんですけど、
演劇ご飯、演ため、なんで社会課題解決って、
たぶん、なかなかやっぱり、これがソーシャルビジネスだよって伝わらないだろうなって思うんですけど、
でもやっぱり、小野田さんにも最初に、ここに入るとか、ビジネスモデルとしてブラッシュアップするときに言われたんですけど、
職の課題解決って、今までいろんな人たちがやろうとしてきたけど、やっぱり課題解決ができない。
中で、この手法なら、演劇ご飯、演劇を通して伝えるっていう手法なら、職の課題解決ができるんじゃないかって、小野田さんがおっしゃっていて、
逆に言うと、もうこの手段しかないよっていうぐらい、なんか刺さってるらしくてね。
で、そのときは僕も、そうなんだって。
当人がそうなんだって。
これしかないんだって思ったんですけど、
その理由を小野田さんが言ってて、僕が自然とそれを全部入れてた、盛り込んでた、無意識だけなんですけど、
まず一個は、人が行動変異を起こすにあたって、繰り返すっていうことが大事って言ってて、楽しいものは人は繰り返す。
確かに。
なので、演劇ご飯っていうものが楽しいエンタメとして確立できてれば、人は繰り返し演劇ご飯に来るので、
演劇ご飯に来ることは、もうそもそも職の選択が変わり始めてることなんですよ。
なぜなら、僕らが選んで飲食店を設定しているので、
もちろん、いろんな要素で選んでるので、食材が例えば自然派かっていうことだけではないんですけど、
とはいえ、やっぱり製法だったり、思いが強い人たちとやっているので、
どういう思いでこれができているか、今食べている、あなたが食べているものがどういう思いで作られているかっていうことは伝えているので、
食に対しての興味、関心を持つきっかけには絶対になっていて、
それが繰り返されれば繰り返されるほど、やっぱり知識がたまっていくはずなので、
なると、じゃあ誕生日に高級フレンチを食べるのか、自然食イタリアンを食べるのか、みたいなところで、
たぶん普通だと高級フレンチ行きましょうとか、高い何かを食べましょう、お寿司を食べよう、焼肉食べようってなるけど、
そんなときに、あっ、エンディングご飯で食べた、あの自然食おいしかったし、ちょっと高いけど、
でもあれ、今日のバースデーはあれにしようかな、みたいなふうに選択肢に乗ってくる。
もうすでに選択が変わり始めていく。
それは楽しいものに繰り返してくるからっていうのがあるのと、あとは学ぶことも行動変異の一つである。
なるほどね。
確かに。
そこが、なんかヤバいって言ってました。
画期的すぎるというか、革新性として。
熱く語られた。
語られた。
で、へーって。
目に浮かぶよう。
へーって聞いてて。
人にはへーなんて。
そう、そんなことだって知らないので、人が行動変異を起こす理由なんて知らないので。
確かに。
そうそうそう。
なんか多分漠然と感覚と肌感として、これだったら変わるかなみたいなのはあってもちろん設計してるけど、
具体的には知らなかったので。
なるほど。
あーなるほど、3個入ってるんだって。
言われたらハマってたことに気づいたみたいな。
そうそうですね。
あとはそのコミュニティとして、演劇と食のコミュニティが作れるっていうところも革新性ではあるんですけど。
食における課題が要は、もちろん僕が捉えてる食における課題ですけど、
何を食べてるかを知らずに食べてることで、結局自分を構成してるものって僕は食べ物だと思うので、
生きるって食べることだと思うんですね。
ってなると、人生を豊かにするには食べ物自体を考えていかないと、
例えば鬱になったりとか、人との心の余裕とかっていうところで、
どんどん生きづらくなったりとか狭くなったりとか、気分が落ちちゃったりとかってしていくと思っていて、
これを話していくとちょっとスピリチュアな話になってくるんですけど、
例えばじゃあ鶏がケージの中で一切動けずに大人になった鶏肉と、
自分の自由に土の上を歩き回って育った鶏肉とで、
どっちの方が自分にいいエネルギーを支えるかって考えたときに、
僕は後者だとやっぱり思うし、そもそも美味しいんですよ、その方が。
だからその微細な野菜にしろ何にしろ、何だろうな、何か無理して育ったじゃないですけど、
それこそ価格肥料と野薬を使って育った野菜に関しても、自然には育ってないわけで、
育てられてるというか、育てさせられているというか、無理やり肥料で早く大きくなってっていう中で、
それのエネルギーで自分はできてるって考えたときに、もちろん威嚇的なあれはないけど、
なんかそういう、それこそさっきの鶏肉みたいに、そういう肉を食べた方が考え方とかもだし、
自分が豊かになるかなと思う、この細胞から。
エネルギーがね。
そうですね。
でもなんか感覚では確かにそういう感じはなんかするというか、
がんじがらめでストレスだらけの鶏を食べるのか。
そうなんですよ。で、それを日常生活で選ばされちゃってるんですよね、知らないうちに。
外食したって言ったときに、よっぽどじゃない限りはやっぱり前者の鶏肉を使っているし、
で、まあやっぱそののびのび育ってる鶏ですっていう場合は、やっぱ歌うのでそれを。
歌ってないイコールも使ってないだろうなってなるけど、
じゃあ日常生活でってなると、やっぱり食費があって日々の生活があって仕事があってってなると、
やっぱそこまで気が回らなくなっていっちゃうし、
一時期じゃあオーガニックっていうのをテレビで例えば見たとかで情報を得たとしても、
やっぱそこで立派性のものになっちゃうと思うので、
それを持続させていくってやっぱ相当自分が食を好きだったり興味を持ってないとできなくなっちゃうと思うんですよね。
確かにすごい意思が必要そうですね。
そうなんです。
だからそこが演劇ご飯の場合、まずは演劇ご飯に来るだけでもう食、その選択が変わり始めているっていうところで、
持続性とかっていうところで、日常で野菜を買うっていうところまでの日常までは行けてなくても、
月1回じゃあ例えば演劇ご飯に行くぐらいになっただけでも、
その時というか継続的には選択を変え出している自分がいて、
そうなっていくと舌も絶対に変わっていくし、
考え方もやっぱ知識が入ってくるから考え方も変わっていくし。
なんか実際お客様に言われたんですけど、
その1年後に演劇ご飯に行ったお店に1年経った後に思い返した時に、
普段普通に行った飲食店だとなんかあれ食べたなぐらいなんだけど、
演劇ご飯で食べたのはあの時、あのシーンで、
あの登場人物がああやって食べてた食べ物だって思い出すらしくて、
だから食べ物自体もより何か具体的にというか思い出せるらしいんですよ。
っていうのを聞いて、あ、でもそういうことだなと、
なんか劣化しないというか、物語があるからこそ劣化しないというか思い出が。
匂いってすごい長期記憶になるみたいですね。
匂いで想起されるものが多分ストーリーでもう染み込んでるというか。
だからなんかこの匂い嗅いだことあるとか、
この匂いを思い出して食べたくなるとかはきっとそれこそ行動変容じゃないけど、
意図しない行動変容になり得るのかな。
さっきおっしゃったようにトレース、鬱になるとかっていう話も、
やっぱり私はメンタルヘルス専門のソーシャルワーカーなんで、
まず聞くのは結構食べてること聞きます。
そうなんですか。
普段何食べてますとか、それこそ今日何食べましたかとか、
昨日食べましたかとか、食べて、食べ物を思い出せない人も結構多いし。
だから無意識にただ食べてるだけなんですよ。
生きるっていうことが、それって無意識に生きてるだけですよっていう、
意識して生きてますかっていうところ。
意識して食べないと。
意識して食べることを楽しんでほしいんですよね。
なるほど。
じゃないと人生楽しめないよというか、
生きること自体楽しめなくなっちゃうにつながってるかなっていう、おっしゃる通り。
食とよく生きるっていうことが不可分なんですね。
と思います。
それはだって食べなきゃ死にますからね。
体ってだって、ボディという体と感情と思考っていうのがまさに一体っていう考え方も一つあるし、
ただそれをつかさどっているものはおそらく食べ物と睡眠と水分。
水分っていうのは水だけじゃない。
体内の水分が多いから人間は、バランスだと思うんですけど。
バランスはもちろん。
食べ物は結構、馬鹿にされては言わないけど、ちょっと軽視されている。
もちろんね、やっぱり日々の生活って考えると、
しかも今食材が高くなってくると、どうしてもそこを抑えたくなっちゃうからっていう気持ちはもちろんわかるし、
自分も毎日オーガニックを食べようとか全く思ってなくて、
やっぱ洗濯だと思うんですよ。
配分だと思うので。
だから最初に洗濯紙に乗るっていうことをおっしゃってたけど、まずそれが大事なんですね。
思いますけどね。
何を体に入れるかっていうことかな。
そうですね、そうです。
なんか、だって、じゃあ体にいいからコンビニでサラダを買おうって、
多分OLさんとか、なんかそのダイエット気をつけるからとかそうすると思うんですけど、
割とそうすると思うんですよね。
体にいいからですか?本当にその洗濯で体にいいですか?に対して問いを持つかどうかなんですよ。
コンビニのサラダはいつもピカピカで発色している。
じゃあ実際レタスを家で買ったときにどれくらいで品々になるか、色が変色するかっていうのを考えると、
何かを考えたほうがいいんですよ、やっぱそこで。
なるほど。何かが。
まあ、もちろんパンとかも全部そうですけど、ずっとあそこに陳列されてて、
家でカビ生えたことありますし、僕もあの、例えば食パン買って家でずっと置いといて、
カビ生えたりするじゃないですか、そのパン屋さんで買ったりとか。
でもね、なかなかあれ結構持ちますからね。
なるほど。
そのジャンキーなものが悪いわけでもない。
そう、悪いんじゃないですか。
選んでいくっていうことが大事です。
今日は例えばジャンクなものは食べない場合もある。
だからカップラーメンとかも結構人工的に作られたものだと思うんですけど、
でも震災のときとか災害時って絶対もうあれは超放送できる食べ物だから、
あれがなくなったらそれはそれでもう大変なことなので、選択だと思います。
それはでも学習しとかないとそれ選択できないですね。選択肢を理解するっていうところが。
だからそれを面白く楽しく理解するのが演劇です。
それは確かに日常ではわからないかもしれないですね。
誰かに教えてもらう人か、情報を得るきっかけがないとなかなか。
一概に何かが悪いとも言えないので、結局僕らも演劇法案ってこれがいいんだよっていう提示はしないんですよ。
単純にこのお店はこの思いでこれを作ってます。
こういうふうにこの料理できましたっていうことを伝えてるだけで、
これがいいか悪いかはお客さんが選択することだし、
美味しいと思うかどうかもお客さんが感じること。
だからこれがいい、こっちが悪いっていうことは演劇法案では言わないようにしてます。
大事なのはその知識を得ての選択を拡張させていくっていうこととか、
選んでるっていう感覚みたいなところですかね。
そうだったかな。
バリエーションが増えるって感じだね。
で、実際それが自分のなんか体調とかに影響が出てるっていうのが感じられると、
より幸せなのかなって思います。
結構ケミカルなものに頼っているのが現代かもしれないって思ってて、
それはケミカルは食事もそうだし、お薬に関してもそうだし、