1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #336 日本語の敬語は難しいか..
2021-07-21 10:31

#336 日本語の敬語は難しいか? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
前回のトークで、日本語を考える上で重要な概念である 内と外というものについてお話ししました。
内っていうのは簡単に言えば自分と まあその周辺というか身内というか家族ですね。
で、外っていうのはそれ以外ということで、 この内と外っていう考え方が
いろんなところで日本語を考える上で効いてくるっていうようなお話をしました。 まだ聞いてない方いらっしゃったらぜひ聞いていただけたらと思います。
そこで話したのは、こういう内と外っていうのはまず 敬語に関わっているみたいな話をしたんですね。
謙譲語っていうのは主語がうちの人間の時しか使えないと。 私が
お読みします、とか
身内だから母が申し上げておりました、とかね。 まあそういうことを話しているうちにですね
日本語の敬語っていうのは果たして難しい ものなんだろうかみたいな、まあそういったことがちょっと
思い浮かんだので、まあ今回のトークはそのまんまですね。 タイトルにもあるように
日本語の敬語は難しいかっていうことについて考えていこうと思います。 まあ具体的に言うとですね
日本語の敬語を
いろんな言語で見られる動詞の一致みたいなものとみなせば 実は大したことないんじゃないかっていうね
まあそういったことをお話ししていこうと思います。 動詞の一致
まあよく見られるのはやっぱ ヨーロッパの言語ではないかなぁと思いますね。
いわゆるインドヨーロッパ語族で動詞の一致っていうのはよく観察されて まあ英語の場合はちょっとね三人称単数
の時 まあかつ現在の時だけ
動詞に s っていうのがつくんですよね。 B 動詞の場合は
一人称am 二人称are 三人称is っていうふうにきっちり残ってますけど まあその動詞の認証変化という点では
英語は大部分が失われてしまっています。 動詞の認証変化がかなりきれいに観察される言語としていっぱいありますけど
やっぱりラテン語が代表的ではないかなと思います。 例えば愛するっていう動詞の場合
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一人称単数が主語の場合は amo 二人称単数が主語の場合は amas
三人称単数が主語の場合は amat っていうふうにきっちり表になっているというか パラダイムになっているんですね。
今お話ししたのは全部単数の場合ですけど それぞれ一人称複数二人称複数三人称複数の場合もいちいち動詞の形が変わります。
日本語の場合は私が愛するあなたが愛する彼が愛するっていうふうに 全部愛するっていう同じ動詞の形を使うので
ラテン語みたいな言語を学ぶ際はまずその動詞の活用表っていうのを 抑えなくちゃいけないんですよね
確かに日本語の動詞は 認証によって動詞の形が変わるということはありませんありませんけど冒頭申し上げました通り
敬語っていうのはそれに準ずるものっていうか まあ認証変化みたいなものと考えることもできなくはないんですね
敬語の中には大きく尊敬語謙譲語丁寧語っていうのがありますけど まあ丁寧語はとりあえず置いておいて尊敬語っていうのは主語が外の人の時にしか使えません
一方謙譲語っていうのは主語がうちの人の時にしか使えないんですね まあこれはさっき言った通りなんですけど
つまりお書きになると言った場合これは主語は必ず外の人で お書きするといった場合主語は
うちの人に限定されますこれは言い換えれば 謙譲語っていうのは
主語が一人称あるいはそれに準ずるものであるっていう 動詞変化ということができます一方尊敬語は主語が
非一人称っていうことができるかもしれません まあつまり尊敬語っていうのは
うちの人には使えないということですね こういうふうに動詞の認証変化みたいに見なせるものは他にもあって
これも前回お話ししたものなんですけど やりもらいとか呪術表現とか言われるもので
くれるとかあげるみたいなものですね こういった動詞は補助動詞として使われることもあって
例えば書いてくれるとか書いてあげるみたいに 他の動詞にくっついて現れることがありますよね
でこれも認証の一致みたいなものと見ようと思えば見ることができて つまり書いてくれるといった場合
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主語は外の人に限定されて書いてあげるといった場合 主語はうちの人に限定されます
つまり お書きするとか書いてあげるといった場合
主語は一人称あるいはそれに準ずるもの まあつまりうちの人ですねに限定されて
お書きになるとか書いてくれるといった場合は主語は一人称以外であるということが 示されていると
つまり日本語のこういった形式は動詞の一致みたいなものと見ることもできなくはない ということですね
そう考えると敬語だってあるいはやりもらい表現だって あまり特殊な現象ではないと言えるかもしれません
なので日本語の敬語が難しいみたいに言われることありますけど まああれはどうなんだろうな
なんでなんですかね幻想みたいなものじゃないかなと今ずっと話してて思ってるんですけど まあ一つは
ラテン語の動詞の変化っていうのは常に認証に合わせて変化しなきゃいけないんです けど
日本語の敬語っていうのは目上の人と話すときとか あるいは初めて会った人とかよく知らない人と話すとき
またあるいは その話している人と距離を置きたいような時ですね
そういった場合に使うっていうことである程度使う場面が限定されているので まあそういった点が一つ絡んでいるとは思います
敬語に対してやりもらいの書いてくれる書いてあげるっていうのは そういう場面を限定するようなものではないので
まあ誰も難しいなんか言わないですよね 言わないし書いてくれる書いてあげるみたいなのを間違えて使うような人はいません
彼が私に書いてあげたとか そういった間違いをする人はいませんよね
あと敬語が難しいって言われているのは イレギュラーがやや多いからかなっていうのはありますね
見るっていうのに対してご覧になる拝見する くるっていう動詞に対して
いらっしゃる伺うみたいに こういうイレギュラーですね
言語学では補充形とか補充法とか言ったりするんですけど まあそういったのがやや多いので
まあ難しいとされているのかもしれません まあ本当は大したことないと言えば大したことなくて尊敬語だったらお書きになるみたいに
を何々になる にすればいいし謙譲語だったらお書きするみたいにを何々する
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あるいはお書き致すとかねを何々する致すで謙譲語になるので まあかなり規則的なはずなんですけど
なぜか敬語は難しいということになってますね まあ今言ったように場面がある程度限定されているっていうことと
イレギュラーがやや多いっていうことを除けば 日本語の敬語っていうのは動詞の認証の一致みたいに
なんていうかなぁ考えることができます もし敬語っていうのがそういう場面を問わなければ
まあそうなってくるとも敬語とは言えませんけど 敬語は難しいっていうような
風潮っていうかねまぁそういったものはなかったと思います まあこういうふうに認証によって動詞が変化
するからある程度ですけどある程度変化するからこそ 日本語っていうのは主語が出てこなくていい言語なんですね
お書きする書いてあげるといえば主語はある程度 一認証に限定されるということですね
というわけで今回のトークはここまでということで最後まで聞いてくださって ありがとうございました
まあこの聞いてくださってっていうのも敬語ですね また次回のトークでお会いいたしましょうごきげんよう
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