1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #707 おじさん構文は「構文」..
2024-11-26 10:44

#707 おじさん構文は「構文」か? from Radiotalk

主要参考文献
李在鎬 (2010)『認知言語学への誘い: 意味と文法の世界』東京: 開拓社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

今回のエピソードでは、おじさん構文と公文の違いを探求し、言語学における構文の定義を考察しています。また、具体的な例として英語の比較級や日本語の「AことはA」の構文を挙げています。

おじさん構文の概念
今回のテーマは構文です。 おじさん構文とかおばさん構文とか言われるものが
巷で流行っております。知らない方はおじさん構文とかでググってみてください。 もしかしたらあなたもおじさん構文を使ってしまっているかもしれません。
が、 そういうおじさん構文と言われるものは
言語学的に交じりですすると 構文とはちょっと言えないんですね。
では、言語学的に構文といった場合、それは一体何を指すのかというのを今日はテーマにしようと思います。
BGM お行きなさい 始まりました志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ミッキー吉野です。 お便りいただいております。ハシュさんからラジオトーク宛にギフトと一緒にお便りいただきました。
ありがとうございます。志賀さん。 収録700回おめでとうございます。
ありがとうございます。どんなお祝いの言葉を送ろうとウダウダしていたら、今月が終わってしまいそうになりました。遅れてすみません。
全然いいですよ。 とりあえずお祝いの気持ちを届けます。
700っていうのがお花の絵文字で書かれてますね。すごいですねこれね。ありがとうございます。
うまく書けないなっていうのも書いてますけど、十分届いております。ありがとうございます。
ハシュさんは僕の数少ない、配信者仲間というかね。
ラジオトーク始めた時期もだいたい一緒ぐらいなんでね。
ハシュさんも配信続けてますから、こうやって定期的に時には励まし合いながら、そして時には傷をなめ合いながらね、やっていけたらいいなと思います。
というわけでハシュさんお便りどうもありがとうございます。
この間収録配信が700回でした。
それのお祝いのメッセージはまだまだ受け付けておりますので、今からでも間に合いますので、どうぞお気軽にお送りください。
構文の定義と例
さて、冒頭お話ししましたように、今日のテーマは公文でございます。
で、おじさん公文とか言った時のこの公文っていうのは、公文というか、Cといえば文体とかスタイルと言語学では言えるんじゃないかなと思いますね。
だからといっておじさん公文と言ってるのをおじさん文体、おじさんスタイルに変えろとは言いません。
一般でそういうふうに使われているならそれはそれで僕はいいと思うので、アクセントとイントネーションみたいな、よく関西風のイントネーションとか言ったりしますけど、
あれも言語学的に言えば関西風のアクセントと言った方が正しいんですけど、イントネーションってもうちょっと別のものを指すので、
ただ、巷でイントネーションというのがアクセントのことを指しているなら、それで通じるならそれはそれでいいと思うんですよね。
学術的な意味でとか、ちゃんとしたところでそういう言い方をしているとそれはまずいと思いますけど、
それで通じている世界なんだから、そこに何かマジレスするっていうか突っ込むのは野望ですよね。
そういうことをやるのは空気の読めないオタクがやりがちなことです。
ちょっと話はそれましたが、おじさん口文を置いておいて、言語学でいう口文というのは、
平たく言うと、ある言語的なまとまりがその構成要素でうまく説明できない時に、そのまとまりのことを口文と言うんですね。
具体的にちょっと考えてみると、例えば英語でザ・ヒカクキュー・ザ・ヒカクキューという口文があります。
まさに口文と言われることがあると思うんですが、
例えば、The higher you climb, the colder it becomes とか言った場合、
高く登れば登るほどどんどん寒くなるというようなこのパターンですね。
まさにこのパターンのことを口文と言うわけですが、
このザ・ヒカクキュー・ザ・ヒカクキューという何々すればするほどというのは、
そのザとヒカクキューというそれぞれの要素からは、
すればするほどっていう意味は導き出せないんですよね。
これはもうザ・ヒカクキュー・ザ・ヒカクキューという、このパターンも全体で何々すればするほどという意味が出来上がっているというか、
そのまとまりがすればするほどという意味、形式と意味が結びついていると考えます。
こういう考え方を口文文法ということもあるんですね。
代表的な学者としてはフィルモアとかゴールドバーグと言われる人たちが開拓していった分野です。
確かに言われてみれば、すればするほどっていうのは定感詞のザにもヒカクキューのとこにもないので、
それこそ学校で習う英語では丸ごと覚えるしかないんですよね。
こういった口文というのはもちろん日本語にもあります。
例えば、この本は読んだことは読んだけどよくわからなかったとか言った場合の、
AことはAとも言えるようなパターン、まとまりも口文ということができます。
読んだことは読んだけどわからなかった。
綺麗なことは綺麗だけど僕は好きじゃないとか、
美味しいことは美味しいけどちょっと冷めてたとか。
このAことはAというのを、その意味を説明するっていうのはかなり難しいですが、
それが真実であるっていうことは否定してないんですよね。
読んだことは読んだ。 こういった場合、読んだこと自体は否定していません。
読んだということは真実です。
ただ、そこから導き出される予想というか、あるいは期待っていうのを否定しているっていう感じですね。
読んだことは読んだけどよくわからなかった。
読んだんだったら当然理解できるというか、内容がわかるっていうのが予想されるというか期待されるんですけど、
そこを打ち消しているという感じですね。
真実だけど、そこから期待されることは否定するっていうのが、このAことはAという構文です。
で、この意味っていうのは、そのことはっていうのからは導き出すことができなくて、
もうAことはA全体でそういった意味になっていると考えるしかないんですよね。
読んだことは読んだ。綺麗なことは綺麗だ。
これは共通した意味があるんですけど、それは個々の要素から導き出せるものではなくて、
分解できない、その形式全体でそういった意味になっていると。
そういったものが言語学で言う構文です。
漢用句と構文の比較
そういった意味では、構文っていうのは漢用句とちょっと似通ったところはあります。
油を売るという漢用句は、実際に油を売っているわけではなくて、
怠けるということですが、その怠けるという意味は、
その油を売るの構成要素である油と売るからは導き出せません。
油足す売るイコール怠けるになっているわけではないですよね。
もう油を売る全体で怠けるという意味になっているので、
そういった意味では構文に似通ってはいるんですが、
ただ構文の方がもっと平たく言えば幅が広いというかね。
さっきの読んだことは読んだっていうのは、
読む以外のものにも使えるので、
さっき言ったように綺麗なことは綺麗だってもいいし、
他の動詞ないし、形容詞とかにも使えるので、微妙に違うっちゃ違うんですよね。
ただ言語っていうのが、普通話というかね、
それぞれの構成要素を足していって、
その相話が全体の意味になると考えられがちなところを、
構文っていうのは別の見方を提供しているということができると思います。
今までの話からわかるようにですね、
おじさん構文というのは決して言語学で言うところの構文ではないですね。
繰り返しですが、構文というのはそれぞれの構成要素を足していったとしても、
その意味にならないようなときに使われがちなものです。
今回構文の例として挙げたのは、
座比較級と、日本語のAことはAというものでしたけど、
構文というのはもっと広く、より抽象的なものとして使われているものです。
そのあたりの話はまた別の機会に譲りたいと思います。
それでは最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はしがじゅうごでした。
10:44

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