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始まりました、志賀十五の壺。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
ミルマスカラスです。
日本語は、否定を表すのに、「ない」っていうものを使いますよね。
食べない、寒くない、あるいは鍵がない、とかね。
共通して、「ない」っていうのを使うと、
ま、一見そういうふうに思われるんですけど、
実は日本語の「ない」には2つあるんですね。
たまたま発音が同じだけなんです。
食べないみたいに、動詞につく「ない」だけ別物で、
この「ない」っていうのは、寒くないとか鍵がないとか、
ま、こういった「ない」とは別物なんですね。
ま、そういうこと皆さんあんまり気にしたことないと思います。
というか、気にしなくても生きていけるので、
気にしてるほうがおかしいと言えばそうなんですけど、
んー、端的に言えば、動詞につく「ない」は、
ま、国語学的に言うと助動詞と言われるものです。
一方、寒くないとか鍵がないとかいった場合の「ない」っていうのは、
ま、自律語っていうふうに言っていいんではないかなと思います。
どういうことかというと、ま、何を比べるのがいいかな。
ま、鍵がないのこの「ない」っていうのが自律語だっていうのは、
はっきりわかると思うんですね。
というのが、「ない」だけで単体で使うことができるので、
ま、自律語であると。
食べないと寒くないのこの「ない」っていうのが違うっていうのが、
ま、あんまりピンとこない方いらっしゃるかもしれません。
これは間に何か要素を挟み込めるかっていうのが一つポイントとなってるんですね。
寒くないの場合は、「寒くはない」とか、「寒くもない」っていうふうに、
「は」とか「も」っていう助詞を間に挟み込むことができます。
一方、「食べない」の場合は、「食べはない」とか、「食べもない」とは言うことができずに、
「食べはしない」とか、「食べもしない」っていうふうに、
ま、「しない」っていう形にしないとダメなんですね。
ま、たまたま今、「しない」っていうのが連続しちゃいましたけど。
こういうふうなテストを行うと、
食べないのないと寒くないのないっていうのは別物だっていうことがわかります。
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食べないだとややわかりづらいんですけど、
行くっていう動詞につくと、「行かない」っていう形になりますよね。
つまり、「ない」っていうのは未然形についているっていうことです。
同様に、「行かはしない」とかは当然言えなくて、「行きはしない」っていうふうに、
動詞の方は連用形に変えなきゃいけないんですよね。
ま、こういう間に要素が入り込めないっていうことから、
動詞のないの方はより結びつきが強い要素であるということができます。
ま、こういうのは節字とか節微字って言ったりするんですよね。
一方、「寒くない」の場合は、さっき言ったように、
寒くはないっていうふうに間に助詞が入り込むことができるんですよね。
で、形容詞の方は連用形のまま形も変わることがないと。
ま、このことから、形容詞の方のないは結びつきが弱くて、
むしろないっていうのは自律語であるというふうにね、
いうことができて、
鍵がないみたいな時に出てくる存在、非存在を表すないと、
同じであるということができるんじゃないかなと思います。
そもそも動詞につくないと、自律語のないっていうのは由来が異なるんですね。
ここでね、その中学とか高校の古文の時間を思い出してほしいんですけど、
否定の助動詞っていうのはずっていうのを使ってましたよね。
この否定の助動詞ずの連体形ぬっていうのが、
まあ現代の西日本の方言に残っていて、
食べんとかいかんとか、
このんっていうのはある意味有所正しい否定の助動詞であるということができます。
一方、東日本というか共通語のいかない食べないのないっていうのは、
中央の言葉ではなくて、東国方言の否定の助動詞、
なふっていうものに由来するそうです。
で、これがたまたまないっていう形になって、
形容詞のないと音が一緒になっちゃったんですね。
なのでそもそも由来から、
動詞の方のないはなふという助動詞だし、
寒くないとか鍵がないのこのないっていうのは、
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そもそも自律語の形容詞なんですよね。
ただこの寒くないとか鍵がないのないが、
自律語化っていうとね、結構微妙なとこはあると思うんですよね。
確かにないっていうふうに独立して使えて、
さらになかったとかなければっていうふうに活用するので、
活用する自律語っていうのは国語学的に言えば形容詞なんですけど、
単なる形容詞よりは、
さらに文法化してるんじゃないかなと思います。
というのが、
特に形容詞につくないの方ですけど、寒くないとかいった場合のない、
これを漢字で書く人はまずいないと思いますね。
鍵がないの方のないも、独立して使う方のないも、
漢字で書く人の方がもしかしたら少ないんじゃないかなと思います。
日本語の暗黙のルールとして、
具体的な意味を表す語彙的な要素っていうのは、
漢字で書くっていう決まりがあるんですね。
例えば同じ見るっていう発音でも、
目で見るときは漢字で書くけど、
食べてみるみたいにトライみたいな意味で使うときはひらがなで書きますよね。
こういうふうにより文法化してるというか、
抽象的な意味を表す場合は、
日本語はひらがなで書くっていうことになっています。
そういうふうに考えると、寒くないとか、
あるいは鍵がないのこのないっていうのは、
もちろん助動詞ではないんですけど、
典型的な形容詞であるかと言われると、
まあそうも言い切れないと、
そういう中間的な存在と言えるかなと思います。
というわけで、今回のお話は、
日本語の否定を表すないっていうものには2つあって、
動詞につくないと、
まあそれ以外のないっていうかね、
寒くないとか鍵がないとか、
こういった場合のないっていうのは別物で、
食べない、行かないのないは助動詞で、
動詞との結びつきが非常に強くて、
間に何も挟むことができません。
一方、寒くないみたいな場合は寒くはないみたいに、
間に助詞が平気で割り込むことができます。
歴史的に見ても、前者の方が助動詞で、
後者の方が自立語である形容詞ということができて、
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その特徴が現代でも引き継がれているということなんですね。
たまたま音が同じないというだけで、
その文法的な位置づけっていうかな、
振る舞いっていうのは両者で全く異なると、
そういうお話でございました。
この2つのないが混同されるのは、
日本語が分かち書きということをしない言語だからと言えるかもしれません。
もし日本語が分かち書きをする、
つまり単語と単語の間にスペースを空けるような言語だったら、
行かないとか食べないっていうのは1つのまとまりとして書いて、
寒くないみたいなものは寒くとないの間にスペースを入れるんじゃないかなと思うけど、
ちょっとわかんないですね。
もうね、僕も含めですけど、日本語母語話者は
分かち書きをしないっていうことに慣れ切ってしまってるから、
その辺のことは全くわかんないんですけど、
多分そういったことも多少要因としてね、あるんじゃないかなと思います。
同じようにね、過去のエピソードに
らしいっていうものに2つあるっていうような話をしているので、
そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
男らしいと男らしい、
この2つの違いについて話しているので、
興味のある方はぜひ聞いていただけたらと思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。