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前回からの続き。
作戦を立案した人とかも、しっかり、この人たちの軍力とか、そういうのも載ってるんで。
別にそれに対して、
否定も肯定もしない形で載ってるんで。
まあそういうのはどうなんですかね。
そういったらマイナスになるところが、ゼロになってるって意味で、プラスノッパーがかかってるっていうような感じですかね。
ナラティブって何ですか?
ナラティブは、ナレーションの名詞ですけど、語りですね。
語り。
語り口みたいな。
ナラティブは形容詞形かな。
僕があそこで聞きたかったのは、特攻隊っていう人だったり、作戦そのものが、優秀感の中でどういうふうに語られてるのかってことを聞きたかったんです。
なるほどなるほど。
なんとなく予想した通りだったんですけど、賛美することはないんですけど、
結局あそこで語ってることと同時に語られてないことって一つのメッセージなんで。
本来だったらヒージー・ドンダー的な作戦なんかは、めちゃくちゃ常識的な範囲ですけど、人道的に認めるべきではないし、
そういったものは結構強く否定しないといけないのがイギリスの文明の、しかも先進国の人たちの共通理解だと思うんですけど、
それをしないっていうことがメッセージだなって思います。
塩田さんが説明したマイナスのことをプラスにゼロにしている。
よく言えば、冷静に中立的に情報を並べてるっていうふうに言えるかもしれないですけど、
それは例えば研究分野だったり、もう少し遠くにいる人たちに伝えるときにやるべきことで、
当事者という日本国民が見るものに対してそういう態度を取ってること自体が、僕は危ういなって思うんですね。
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だから特攻作戦の立案者なんかは、一応ひとらと同じような扱いするべきだと思うんですよね。
ん?ひと?ごめんなさい。
ひとらと同じような。
あーひとら。
そいつを持ち上げたらもう犯罪だぐらいのことをしないといけないぐらいの、人道的にはね。
でもその人の経歴を何の批判もなく掲げてしまってるってこと自体が、かなり危ういなって思うんです。
批判はなかったと思うんですよね。
だからやっぱり、安国神社自体が、戦没者たちの政治利用だって言われるゆえがやっぱりそういうところにあるんだろうなって思いますよね。
それが戦争被害、最近なんか中国人観光客がいたずらしたとかいうふうにニュースになってますけど、
それはされるよってしか言いようがないですね。
されないと思ってたのって。
ちょっとね、なかなかデリケートな話だけど。
うーん、僕もあんま知らなすぎるから、あれなんですけど、
なんだろう、知る、知るというか、そこについて深く知ることは意味があるのかもしれないけど、
多分どこまで行っても真実みたいなところにはたどり着けない気がするし、
うーん、なんか偏った意見になる危険性の方を先に察知しちゃって、
ちょっと僕の敏感な反応して、どちらかというと、
その深みにはまらないように気をつけたいみたいなのがそんな意識なのかな。
まあ、そうですね、優勝感のところは確かに非常に複雑だと思ったんですけど、
安倍忍者で良かったなと思ったのは、
良かったなと思ったのはというか、
戦没者を認識されてる忍者なので、
軍歴がある方の情報はしっかり結構残ってたんですよ。
記録が。
日本ってすげえなと思ったのは、
実際に問い合わせると、おじいさんとかひいおじいさんとかの文書を見て出てきてたんですよ。
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俺の一緒に来た人が見てて、
おじいさんはいつ調兵されてどこに行って、
で、どここういう手柄を立てて出征しましたか。
例えば大佐とか御長とか軍曹とかになりました、みたいなのがあって、
で、行ってる人からすると、日清政策とか行って、
第1次世界大戦も行ってますねとか、
サイパンとか行ってますねとか、
実際に問い合わせれば出てきて、
一人、仕方のひいおじいさんかなんかの名前の言い方がわかった人がいたんですよね。
その、証明だけ。
証明だけは名前の言い方わからないっつって、
で、安国時代はもう出来られてるみたいだから、名前だけはわかってたっていうのがあって、
それはご先祖様にとっては素晴らしいなと思ったんですよね。
あんだけ歯カワイイ、歯はいねえかなーとか思ったんですけど、
あーでもなんか、残るは残る素晴らしいな、素晴らしいんだなって感じだよ、俺的には。
うんうんうんうん、いやーわからん。
なんか、読み方の課題とかって。
うんうんうんうん。
うん。
そんな、そんなとこだったんですね。
うんうんうん、なるほどー、そっか。
あー難しいっすねー、ここらへんは。
うーん。
これは、広げて大丈夫な話なのかって気がする。
おっ、いや全然。
そうっすよね。
あんまんじゃない?ダメっていうか。
広げ方を見せると、
あーそういう意味ですか。
事故るなっていうのもあるんですけど。
広げるって、なんか偏って深めなければ、むしろこう、分散させる意味で広げる分にはいいかなとか思っちゃって。
そっからこう、連想的に、みたいな。
いやなんか、靖国神社ってもの自体がかなり、確か、誇りが特殊なんですよね。
へー。
普通の神社と違って。
うーん、はい。
その、戦没者を沈めるために作られた神社っていう、
はい。
結構目的ありきの神社なんで、
そうそうそう。
結構特殊なんですよね。
土着の日本、土着ってかもともだった日本神道が自然に広まっていったとか、
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はい。
分け見玉って言うんですか。
要はご神体を分けて、各地に広まっていったとか、そういうのとは全然違って、
はい。
もともと戦没者ってものを、日本神道でいうところの神として祀るっていう目的ありきで作られてるもんなんで、
かなり独自な誇りだっていうことと、
そういう目的的に作られてるので、相応に政治利用もされてきてるよねっていう。
あれが自民党保守派の中の、あそこに参拝することが一つの踏み絵になってるみたいなことが、まさにそうだと思うんですけども。
踏み絵。
あそこに参拝する、お前死ねえとわかってるな、みたいなことなんですよ。
するのは自由だけど、お前死ないってことはわかってるよね。
はあ。へえ。
そうなんだ。
一方で当然戦没者を、いわゆるって言わないですけど、
英霊を祀って沈める。
戦争の悲劇を起こさないようにっていうスタンスを、
そういう態度を学ぶ場所としては、意義があるところだと思うんですけど、
日本の力学的には、自分たちが戦争でやってきた暴虐行為を漂白して、そこを美化するためのロンダリング装置にしか僕としては見えないな。
何回も繰り返せば別に戦没者の人たちを貶めるわけではないですね。
僕はあそこ自体が戦没者の人たちを貶めると思ってて。
それこそ真実はわかんないんですけど、
結局彼らは、さっき話されたように写真を並べられて、遺書とかも残ってて、
いかにも立派に死んでいきました、みたいな語りがされることが多いと思うんですけど、
そのわけないんですよね。泣きじゃくりながら死んだ人もいるだろうし、あそこに祀られないような名も無き人たちもいるし。
そういうことをすべて漂白してしまうような。
なるほどなるほど。
写真とか動画でしか見たことないんですけど、あそこは綺麗なんですよ。
整形してるところ。
結構広いですよね、敷地も。東京の中にしては。
敷地も広いですね。
美しいんですよ。
確かに。
美しくしちゃってるんですよね。そういう汚らしいものを。
ガザの虐殺が始まってから、ツイッターラインが結構な頻度で、
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現地の映像とかが流れてくるんですけど、
自分でブロックしてないからなんですけど、しまったって思うような映像がたくさん流れてくるんですよね。
見ちゃったみたいな意味ですか?
見ちゃった、そう。こんなことあるのかっていう。
あえて言いますけど、子供の死体なんて日本人は見ないじゃないですか。
あーはいはいはい。
っていうものが流れてくるんですけど、
それを見るうちに思ったのは、やっぱ戦争とかって美しく描いちゃダメだなって思ったんですよね。
例えばその戦争の悲惨さを伝えてるような映画っていろいろあると思うんですよね。
有名どころか、死体とかはあんまりじゃないです。戦場のピアニストだったりとか、
ブラックホーク、ダウンとか、プラトゥーンとか、いろいろあると思うんですけど、
日本で言うと洋字山の手紙とか、ああいうのもいろいろあると思うんですけど、
洋字山?
洋字山への手紙でした。
あー、洋字山。はいはいはい。
例えばさっき話したけど、ブラックホークダウンだと、
結構内蔵が飛び立ちしてる死体とかも結構出てきて、うわって思うんですよ、映画見てるときは。
でもやっぱりね、映像ってものを追求してるんで、
秩序があって美しく見えちゃうんですよね。
現実の光景と比べると、やっぱり映像作品として整えちゃってるんですよ。
やっぱりガザの光景を見て思うのは、何の秩序もないし、
そこにそういうものが転がっている必然性が一切ない。
ただただ破壊されて殺されてる。
これが本当のって言ったらいいですけど、
実際に起きることなんだな、実際起きてることなんだなって、かなり強く意識されるんで。
ってことは、あれですよね。
日本人が経験したこと、日本人がやったことも同じことだったんだよね。
そこだけ断絶してるわけじゃないんで。
ってことをひるがえて考えるときに、やっぱりそういうものを美しく描くことにはかなり、
自制的でないといけないと思うし、そういうふうに描いてるものにはかなり、
批判的な視線を持って接しなければいけないなって。
なるほど。
いいっすね。
難しい。難しいし、まだ知ったつもりにもなれないぐらい僕はあんまり知らないんで。
僕も全然知らないんですけど。
あんまりわかんない。だから今の時点では批判的な目線を持たないといけないっていうのも、僕はまだ持ってないぐらいですね。
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ただやっぱり、ことこれに関しては、それは両方の視点を持ったり、両方の意見を聞かないといけないってのもわかるんですけど。
うーん、そういう。
戦争って圧倒的な暴力に通じることについては、
人道的に常に疑いの、そういうものを美しく語ろうとすることに対して、
人道的に常に疑いの視線を最初から持ってるぐらいのスタンスじゃないと危ないなって感じがする。
危機感っていう意味ですよね。
危機感っていうよりも、やっぱり流されてもどうですかね。
人間って結構やっぱり自分たちの民族だったりとか、自分たちが属するものを称賛するものとか、そういう語りとかに流されちゃうものだと思うんですよね。
常にそこに迂闊に乗らないように自制しないといけないってことじゃないかなって思います。
僕としては常に批判的であるってことでようやくちょうどいいかなっていうぐらいのスタンスです。
僕の言ったのはそれとまたちょっと違う感じなんですよ。
途中でちょっと訂正しようとしたんですけど、その戦争に限らず批判的であることっていうのが僕は戦争の原動力になってると思ってるんですよね。
どちらかを両方の意見を聞いてみたいな話ともまたちょっと僕の意識としてはレイヤーがちょっと違うんですよね。
どちらかの意見で固めてしまうっていうことに対する危機感の方が僕は先に立っちゃうっていうことを言いたかっただけなんですね。
その靖国人材に対しての批判的な立場を取るべきでないとかそういう意味では全然なくて、何かに対して批判的な意見として最終的に気を固めてしまうことに対する危機感みたいなのが、
僕は逆に安国神社じゃないんですけど裸足の原を見てそれを読んでそれに共感していまだにそれが影響を自分の中にまだまだ残ってるなって思って生きてるタイプなんですよね。
だから最初はそういう戦争を世の中からなくすのにはどうしたらいいんだろうみたいな発想でずっと今でもちょっとそういう気分は残ってはいるんですけど、
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何て言うんでしょうね。それもある意味無理やり力で抑えつけるみたいなことをすると必ず反発が起こるみたいなところまで今考えているもんで、
今の自分のレベルでは何かに対して批判であっても肯定であっても意見を固めたりすることそのものが逆側の人というか逆側からの反発が必ずあるみたいなところに行き着いてて、
だから普段喋ってても特にこのシュラシュシュシュではなずくるさんが一方でっていう表現をされるのがなんか僕はこれなずくるさんの口癖っぽいなみたいに思ってるところあるんですけど、それでもすごい大事だなと思ってて一方でっていう視線をいつも忘れないっていう意味ではいつも共感するんですよね。
だからあんまり知らない状態でっていう意見がそもそも出せないレベルでは靖国人に関しては全く僕知らないんであれなんですけど、視点を固定しないっていう意識の方が今の自分のレベルではそこに意識が行っちゃうかなって感じのことを言いたかったっていうところですかね。
ちょっと表現難しくてちゃんと言えた気があんまりしてないんですけど。
批判と否定の違いみたいなのがやっぱり特に日本人はついてないよなって。
批判と否定の違い、はいはい。
ついてないよなって思うことがよくあるんですね。
使い古された言い回しかもしれないですけど。
いやいや。
今あるものだったり問題を、その構造だったり経緯をちゃんと事実を整理して、その上でここに原因がありますのでここに障害がありますよねっていうことを分析するのが批判だと思うんですけど。
日本で言うとこの批判っていうのは、相手の意見だったり相手が考えてる思想の足足を取ったりとか、
ストローマン戦法と言いますけど、相手の意見をもとに存在もしない架空の事件とか架空の状況を設定して、それを否定することを相手に否定するみたいな。
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最近のトランスジェンダーの人たちに対する、女優に誰でも忍び込めるようになるじゃないか、みたいな。
っていうようなことが結構代表的なストローマン論法なんですけど。
へー。
みたいなことで。
それって相手の意見とか思想を否定することあり?って言う。
いろいろ論を展開してて、一見批判に見えるんですけど、違うんだよねって。
それとは妥協点が見えだせないですよね。
俺に従うかお前に従うか、お前の意見を俺が従うか、どっちか決めるんだみたいな話になっちゃうんで。
あー、はいはい。
それだとシュウさんがさっき言ったところの、視点の移動みたいなことが起きえないんですよね。
相手の立場だったり、相手の抱えてる苦しみみたいなことに目を向けることがないので。
日本人が一般的に批判って言うときには、否定のほうを想定していろいろ考えちゃう。
なるほどー。
批判的な思考ができてると思ってる人でも、その時点で否定ばっかりしてて、
モダハラ野郎かロジハラ野郎になってるっていうのも結構アキレスだと思う。
そっか、それは確かに。僕も全然区別ついてなかったかもしれないですね。
区別つけなくても、解読できてる人は結構いると思うんですよ。
そういう人たちで、常に何か一つの意見にこだわりすぎちゃうのが危険ってこともおっしゃってると思うんですけど、
そういうことにならないように自然に他の意見の耳を傾けて、そっちの立場のことを考える。
解読できてる人だとわざわざそこを区別しなくてもできちゃってると思うんですけど、
本的にそうじゃない人のほうが多いよね。
ある分野ではそういう態度が取れても、他の固定の分野では全く取れないみたいなことも起きると思います。
それが何が原因でそこが分かれるんだろうみたいなところに興味が行って、全然答えなく今しゃべり始めちゃったんですけど。
何が?
もしそういうふうに分かれているんだとすればみたいな、できてしまっているのか、自分ではちょっと自覚できてないけど、
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もしできているんであれば、批判と否定を分けなくてもできているんであれば。
僕が勝手に想像するになんですけど、自分の場合は思考のすごい根っこのところに近い部分にビビりがいつもあるもんで、
ちょっとさっきのお話につながるところで言うと、僕はこれは良くないよねっていう、
例えば靖国神社の美化している部分とかにそれを感じたとして、そこに否定、批判の区別がさっきついてなかったんで、批判的でいるっていうよりは、
古典ラジオとかを聞いてよく感じる、ホモサピエンスにある再現性のある挙動みたいなところをより深く理解していって、
そんなことする必要ないよねっていうところに、もうちょっと多くの人たちが気づいていくっていうところを、
その人たちを否定するとか批判するではなくて、自分も下手したそうなり得るみたいなところで、
自分自身が手放すみたいな感じのところに行っちゃってるからみたいに、僕の場合はちょっと感じながらさっき聞いたりはしてたんですけど、
僕はでもすごいそういう特殊な気質だから、僕以外にも多分そういう人がいっぱいいるだろうから、
いろんな、なんでその人はそれを批判と否定を区別しなくても、さっきのストローなんとかみたいなことをしなくて住んでる、ストローマン現象ですかね、
論法か、ごめんなさい、全然覚えてない、すみません。
そういういろんな人のケースとかをちょっと考えたり想像したり、聞けたら聞いたりしたいなみたいなのが浮かびましたね。
ご答えとか全然ないんですけど。
なんか乱暴な話ですけど、いろんな人の意見とか話を聞こうって思ってる時点でそれができてるってことだと思うんですよね。
やっぱり否定から入る人っていうのは自分の意見に従いってことしか基本的に言ってないので、
自分の意見とか思想ってものが正しいのであって、それ以外には認めないから、
この後言ってることは間違ってる。
基本的に言わないんですね。
これは相手の話を聞くのも、それを否定するためであって、
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相手の意見とかをそれこそ傾聴するわけではないんですよね。
争いしてるわけですよね。
相手のことを受容しようとするんじゃなくて、相手のことを支配しようとしてるだけのが否定なのかなって思うんですよね。
聞くっていう行為が同じでも、相手の立場を創造するっていう目的じゃなくて、
自分の意見をどうやってそこに塗りつぶせるかみたいなことを考えながら聞くっていうのは全く異名が違うと思うんですよね。
すみませんね、なんかダークな方に。
ああ、ダークなんすか。僕は逆に全然。
ダークですか?すみません。
ダークですか?
めちゃくちゃ興味ある領域に。
えー、そうなんだ。
自分から吸っといて、ああ、やっぱりこういうのかと思いながら。
え?
そうか、はい。
ここまで来たらやっぱりそのテクニックと。
次回へ続く。